20131217

正直に言って、夏が終わればどこにいればいいのか、僕には今だにわからない。とっくに夏が終わった今でも。
中島らも「頭の中がカユいんだ」)



10時半起床。ストレッチ。パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとりながらウェブ巡回。12時より「A」推敲。16時終了。16時に作業がおわるととても気持ちいい。計画通りにことが運んだ独特の爽快感のようなものをおぼえる。だらだらと遅延するでもなくはやばやと集中力がとぎれるでもなく、やるべきことをしっかりやりぬいてきっぱりきりあげるという、ひとつの美意識が達成されたかのごとき手応えがうれしい。
ぶつくさやりながら買い物にでかけた。どういうわけか行きよりも帰りのほうがあたりいったいがはっきりと明るく感ぜられた。完全に暮れきっていたわけではない太陽がたまさかうすらいだ雲の層越しに最後の力をふりしぼったのかもしれない。
帰宅後、腕立て伏せで胸と背中の筋肉を、ダンベルで腕の筋肉をしごいた。それから玄米と納豆と冷や奴ともずくと胸肉を水菜とピーマンとえのきと春菊といっしょに酒と塩とこんぶだしで蒸し煮したしょうもない夕飯をかっ喰らった。30分ほど仮眠をとったのち風呂にはいり、ストレッチをしてから(…)に出かけた。21時半ごろだったように思う。そこから1時まで「A」の推敲の続きにとりくんだ。作業の途中、推敲はこの周回で終わりだという突然の確信にうたれた。なぜそのような思い切りが確信の域にまで達したのか、たしかに今日の作業はいくつかの難所の打開に見事に成功したとはいえるものの、それにしてもこうまで前触れなく決意というのは固まるものかといくらか動揺した。今週で終わり、今月で終わり、年内で終わり、と口にする当人がほかのだれよりも信じることのできない終結宣言をさんざんくりだしてきたわけだけれど、そのような言葉を口にする意識とはまったく別の境域から唐突に、ほんとうに前触れなく、よしこれで終わりだな、という断言調のひらめきが浮上してまたたくまにこちらの意識を支配下に置いたような、そんな感覚だった。小説の読み方をしっているひとなら必ずぶったまげることになる大傑作がもうすぐこの世界に投下されることになる。期待してもらっていい。ハードルをどれだけあげてもらってもかまわない。そのうえをゆく自信があるから。
と、ここまで書いたところできのうづけの日記の最後の段落に書いた文章を思い出して笑った。しかたない。これがじぶんだ。頂点とどん底しかない極端な気分の波間になすすべもなくただよって可笑しな生き恥をさらしている小悪党だ。
帰宅してから夕飯の残りとパンの耳を2枚食べて寝た。