20131218

信号がもうすぐ変わる。僕は決めなければいけない。右、左、上、下、生、死、等々、信号が変わるその一瞬に。僕はショーウインドウに映る自分の顔を眺めてみる。そいつは愚かそうに笑っている。左手の上に右手を組んで。なぜなのか僕にはわかる。今夜、僕の左手は罪を犯した。右手は夜のどこかで聖衣のすそに触れた。だから右手が左手の罪をあがなおうとしている。交差点のまん中で僕は右と左にまっぷたつに引き裂かれるだろう。それでも行かなくてはならない。信号が変わる。右か左か、上か下か。僕は十円玉を天空高く放り投げる。表なら「10」の下に「昭和五十八年」と書いてあり、裏なら「日本国・十円」と書いてある。表がきたら上か右、裏がきたら下か左だ。僕は待っている。
「おかしい。落ちてこねえぞ」
中島らも「頭の中がカユいんだ」)

こういうときにカギカッコで括られた最後の一行をつけたしてしまうところがいつも惜しい。これで一気にしらけてしまう。くせえな、と思ってしまう。中島らもはこういう詰めの甘さがほんとうに多い。いつも惜しい。



10時起床。朝方にいちど目覚めてしまったので枕元の携帯を手にとって見てみると8時で、よしあと二時間寝れると思って目を閉じたのだけれどういうわけか寝付きにくく、寝付きにくいといっても布団のなかでおとなしく3分も目をつぶってはいなかったと思うのだけれど、なにかこう独特の気怠さをおぼえたというか、熱風邪をひいてうなされているときの眠りの浅さみたいな感覚があって肩口から前腕にかけて微熱のわだかまりくすぶるようですらあり、それだからとりあえず小便にたって雨降りの空気を吸い込んで部屋にもどってからポカリの残りを飲みきってふたたび床についた。やはり独特の寝付きにくさをおぼえたが、しかし5分ほどねばったら入眠に成功した。その二時間で夢を見た。大学のクラスメイトの(…)と(…)とじぶんの三人でカフェのテラス席かどこかで軽食をとっているようなのだが、夜で、食事の途中で席をたち自動販売機の前にやってきたじぶんのところにふたりのうちのいずれかがやってきて、もうそろそろ帰らなければならないから行くねと告げて去ってしまい、さてそうなるとわれわれのもといた席にはこちらの鞄と財布が置きっぱなしになっているんでないか、そう思って席にもどると両者ともに無事で、それでタクシーにのりこんでから財布の中身を確認したのだけれど、先日5万円おろしたばかりなのに財布のなかに万札が一枚も入っていないことに気づき、これはぜったいにとられたにちがいないと、となりの座席にいた(…)か(…)かのいずれか、とにかく地元勢の人間にたいしてそう訴えていると、タクシーの運転手が居丈高な調子で、じゃあどっちに行けばいいんですかね、とバックミラー越しに問うてみせるので、そんなもんさっきの店に戻るに決まってるでしょうが、と告げると、余分に料金かかるってわかってんのじぶん、とますます偉そうな口を利くものだから、おまえコラいいかげんにせえよ的な怒声を撒きちらし、すると運転手のほうも後部座席にむけて身をよじりながらやる気まんまんの表情で手をのばしてきて、結果、せまい車内で派手な殴りあいがはじまったのだけれど、しばらくすると運転手が唐突に、おまえすごい腹筋だなと、おそらくはこちらの腹部をどついたあとに漏らし、一瞬前までのシリアスな殴りあい含めてすべて冗談とじゃれ合いの体で帰結してしまおうとするらしい魂胆のありありとのぞく一言で、ゆえに相手が完全に戦意を喪失しつつあることを察し、こちらもこちらでやや劣勢気味だったこともあったのでその魂胆にのっかることにしてひとまず殴り合いに終止符を打つことになったのだけれど、カフェに到着し、認識上はカフェなのだけれどじっさいはあいかわらずじぶんが乗りこんでいたタクシーの車内で、車内にはじぶんひとりしかおらず、あたりを見渡してみるも当然のことながら万札はどこにも見当たらない、が、シートのあちこちやダッシュボードの中に五百円玉をはじめとする硬貨の数々が認められたのでそれらをすべて合算したら一万円になるんではないかと思い、それで拾いあつめた硬貨をひとところに寄せあつめていくらになるか声にだして計算しはじめると、小学校低学年くらいの弟らしい人物が、こちらが口にだしていう計算途上の日本円をいちいちドル換算してつぶやいてみせるので、そのせいで計算がぐちゃぐちゃになってしまい、おまえちょっと黙っていろとものすごく派手な一発を顔面にぶちこんで、そこで終わった。
かれこれ六七年ほど夢日記をつけているわけだが、だれかを殴ったり殴られたりする夢を見る割合がいちばん多い気がする。中学や高校のときは夢のなかでひとを殴ろうとしても力が入らずにふにゃふにゃっとなってしまうことが多かったけれども、ここ数年はしっかりとどついているじぶんがいる。眠りが浅くなっているのかもしれない。お金のでてくる夢を見るのはめずらしい。せまい空間で硬貨を拾いあつめるというくだりに、むかし似たような夢を見たことを思い出した。いままでに見た夢のなかでもっとも印象にのこっているもののひとつだ。かつて運営していたウェブサイトで公開していた記憶があったので残骸を掘り起こしてみると見つかった。引用する。2008年4月9日のものである。

 実家にいる。母が「Aちゃんにお金を返さなければいけない」とぼくに言い、ぼくは押入れの奥に上半身をつっこんでその返すべきお金とやらを探している(Aちゃんは小学校四年生のときに事故で亡くなったぼくの保育園時代の同級生である)。押入れの中には組み立てられたダンボールがところせましと敷きつめられており、ぼくはその上に無造作に散らばっている小銭を手に取って、「これがそうか」と母にたずねる。母は「それじゃない、もっと奥にあるものだ」と言う。ぼくはふたたび上半身を暗がりの中につっこみ、同じようにして散らばっているさっきのより多少金額の大きい小銭をたぐりよせる。母は「それだ」と言う。
 母の運転で(…)橋を渡った先にある(…)書店のあたりへと向かう。そこでAちゃんと待ち合わせをしているのだという。時間帯のわりに外はとても暗い。空には重々しい雨雲が密集してたちこめており、物音をたてればそれだけでもう降りだすのではないかと思われるほどに張りつめてみえる。橋の下を通る(…)川もこころなし流れが荒い。
 待ち合わせ場所に到着し、Aちゃんと会う。顔はよく見えない。母とAちゃんが世間話をはじめる。卒業式だか地域の集会だか成人式だか、なにかしらの行事のときに演奏される音楽がいささか場違いなんじゃないかといった類のものである。ぼくはふたりの会話に参入しない。
 ぼくはちょっとした下心からAちゃんとふたりきりになりたいと考え、母に「ブックオフに寄りたいから先に帰っていてくれ」とたのむ。母は「駐車場で待っている」と言うが、ぼくは「時間がかかるから」とほとんど強引な物言いでもってして母を説得する。
 (…)橋をひきかえしていく母の車を、Aちゃんとふたりで見ている。いつのまにか雨が降りだしている。温度は感じないが、視覚的にとても冷たい雨だと分かる。ぼくはなにかの瞬間にふと、そういえばAちゃんってたしか小学校四年生のときに――と気づく。気づいたところで目が覚めた。

Aのことは下の名前でAと呼び捨てにしていたのに、なぜここではAちゃんと書き記しているのか。一人称「ぼく」の捏造と軌を一にする欺瞞がここにある。
12時より「A」推敲。15時半終了。難所にぶちあたって死亡。もうダメ。無理。どうしようもない。年内どころの話じゃあない。一生かかっても仕上げることなどできそうにない。コーヒーをいれるために椅子からたちあがると猛烈なたちくらみに見舞われて意識が半分飛びかけた。畳のうえに横倒しになり血流がじんじんとこめかみを打つのを感じながらあやうくまた気絶するところだったと思ったが、コンマ一秒くらいはじっさい飛んでいたのかもしれない。ふてくされたような気持ちからそのまましばらく畳のうえに寝転がってぜんぶどうでもいいわと世を儚んだ。すねた気持ちが不貞寝をうながすのになすがままよと目を閉じかけたが、すぐそばにあったムージルが目についたので、「ポルトガルの女」の続きを読んだ。せめてここに到達せねばなるまいと思って身体を起した。洗濯機をまわしてからコートを着て傘をさし、買い物に出かけた。
それかといって気の晴れるわけでもない。ものすごくくさくさした気分に延々と苛まれてぶつくさやるどころの話ではなかった。だれでもいいからとにかくこのやるせなさをぶちまけたい気分だった。帰宅したら(…)兄弟のいずれか都合のつくほうにコンタクトをとって愚痴の垂れ流しにでも付き合ってもらおうと思った。家の前までやって来たところで最寄りの古本屋の看板が目につき、ひさしくのぞいていないのでこれも気分転換になるかもしれないと考えて、食材だけ玄関に放りこんでから店にむかった。じつに退屈な品揃えだったが、大岡昇平『俘虜記』と原爆という文字にひかれて原民喜という聞いたことのない作家の『夏の花』という小説集(岩波文庫)を購入した。古本屋の主人はラップトップから流れる音楽をせわしなく切り替えていた。まるでテレビを視聴するときのFみたいだと思った。馴染みの客なのかご近所さんなのかしらないがヘルメットをかぶったじいさんが入ってくるなり主人と餅つきの予定について話しはじめた。そういえばスーパーで派手な飾りつけのほどこされた鏡餅を見かけたばかりだった。
帰宅してから洗濯物を室内に干した。それから腹筋とダンベルを使って筋トレをした。その日どこを鍛えたかメモしておくためのチェック表を作ろうと思ったが、そんなものなくたってその日筋肉痛でない部位を痛めつければいいだけなのだから簡単な話ではないかと思いなおした。なんでもかんでも記録すればいいってものでもない。雨降りだったのでジョギングはパスすることにした。走れなくもない小雨ではあったが、また転んだりしたら恥ずかしいし、それに気分がくさくさしていて走るどころの話じゃない。炊飯器のスイッチを入れて夕食の下ごしらえをすませてから(…)くんいないだろうかとおもってスカイプにログインしてみると(…)がいたのであわててログアウトした。いまはそんな気分でない!
シャワーを浴びて部屋にもどりストレッチをした。それから意を決してとうとう「邪道」(467枚)をボツにした。執筆を開始したのは2012年2月15日である(…)。タイ・カンボジア旅行と(…)来日と滞在の数ヶ月を差っ引いたとしても一年半分の時間と労力をこの作品に費やしてきたわけだが、ようやく決心がついた。ボツとはっきり自分自身にむけて宣言したとたん、ものすごくすっきりして、同時になにやらすとんと腑に落ちるものがあった。一気に晴れやかな気分になり、すべてよし!の力強い実感も得た。結局あれだけしつこくもったいない精神は制作に不要と口にしておきながらじぶん自身がほかのだれよりもこの精神にとりつかれていたわけだ。心のなかではこいつはダメだと思いながらも400枚も書いたのだしだとか二年近く書き続けてきたわけだしだとかなんでもかんでも時給換算する糞フリーターの貧乏根性でずるずるここまできてしまって、自らここをわが聖域とすると時代錯誤にも誓いあげた創作の域に俗情に充ち満ちた陵辱を加えてしまったわけで、ふがいない、時代が時代なら腹でも切ってお天道様に詫びのひとつでも入れるべき恥辱の極まりだ。じぶんがマルチタスクに向いていないということはしかしこれではっきりわかった。英語の勉強でさえ読み書きと並行しながらという状況を思うと時間の確保といいモチベーションの維持といいとてつもない困難をおぼえるのに(これまでいったい何度英語の勉強を時間割から削除しようと考えたことか!)、「A」の推敲地獄からどうにか抜け出したその先にひかえているのが「邪道」の無間地獄であるとなれば、考えるだけでもう気が滅入ってきて筆を折りたくもなるという話で、しかしこれですっきりした!ほんとうに!心の底から!猛烈に!すっきりした!頭の片隅につねにこびりついていて気を休ませてくれることのなかった「邪道」の処遇という事実が、その処遇に判決をくだしたいま、はじめて明瞭に意識された。はっきりいってこいつのせいでこの一年半は運気も元気もだださがりだったわけだ!だがそれももうおわりだ。「偶景」もどうにかしないといけないとは思うのだが、「邪道」をテキストデータの墓場に葬りさったいま、「A」にケリをつけさえしたらたっぷり時間をかけて選別・改稿できるわけであるし問題ない。いける!やれる!おれはできる!じつに痛快!じつに愉快!今日この日を467枚と一年半の歳月の重みよりもほかのだれでもないおのれの美意識を選びとることに成功した記念日として生涯讃える!
というような高揚に恍惚としながら玄米と納豆と冷や奴と豚肉とレタスをたっぷりのにんにくと生姜で蒸し煮したものをかっ喰らった。胸肉以外のものをたべるのはじつにひさしぶりだ。(…)さんの言いつけどおり毎日まさしく馬鹿のひとつ覚えのように胸肉ばかり食べていたというのにまるで腰痛のよくなるきざしがないものだから浮気してやった。食後は30分の仮眠をはさみつつバッハを流しながら買ったばかりの『夏の花』を読んだ。小説としての出来はそれほどよいとはいえない。しかしところどころこれは実地にその地獄を体験したものだけしか書けないのではないかと戦慄するような記述がある。地獄が描かれるためには地獄が体験されるだけではまだ足りない。まがりなりにも言葉をあやつることのできるものが地獄を体験してはじめて地獄は描かれうるのだ。抽象的な言葉遣いではなくそれこそ偶景を採集するようなどこまでも具体的で鮮明で細部にむけられたまなざしと言葉をあやつる書き手だけが描きだすことのできるものがあるはず。巨大な歴史は後世の人間の想像力にとどかない。歴史の天蓋におおわれたなんでもない事物となんでもない挿話にこそ身にせまる想像力の発端となりうる具体性がひそんでいる。イデオロギーでもなく物語でもなく、そのような細部をこそ保護すること。以下に引用する原爆投下直後のくだりの丸括弧でくくられた最後の一文が読み手にあたえるリアリティの感触!

 私たちは小さな筏を見つけたので、綱を解いて、向岸の方へ漕いで行った。筏が向の砂原に着いた時、あたりはもう薄暗かったが、ここにも沢山の負傷者が控えているらしかった。水際に蹲っていた一人の兵士が、「お湯をのましてくれ」と頼むので、私は彼を自分の肩に依り掛からしてやりながら、歩いて行った。苦しげに、彼はよろよろと砂の上を進んでいたが、ふと、「死んだ方がましさ」と吐き棄てるように呟いた。私も暗然として肯き、言葉は出なかった。愚劣なものに対する、やりきれない憤りが、この時我々を無言で結びつけているようであった。私は彼を中途に待たしておき、土手の上にある給湯所を石崖の下から見上げた。すると、今湯気の立昇っている台の処で、茶碗を抱えて、黒焦(くろこげ)の大頭がゆっくりと、お湯を呑んでいるのであった。その厖大な、奇妙な顔は全体が黒豆の粒々で出来上っているようであった。それに頭髪は耳のあたりで一直線に刈上げられていた。(その後、一直線に頭髪の刈上げられている火傷者を見るにつけ、これは帽子を境に髪が焼きとられているのだということを気付くようになった。)
原民喜「夏の花」)

仮眠からさめてのち腰痛がどうにも悪化しているようだったのでとてもひさしぶりに湿布を張った。腕立て伏せは腰に負担がかかりやすいので一晩置いたその反動なのかもしれない。