20131219

 山上たつひこのマンガに、「娘」という字を大書したのを壁に貼って、それを見ながらマスターベーションにふける男が出てくるが、あの気持ちというのはよくわかる。女の子という存在が、柔らかな頬や丸い肩を持った実在としてではなく、まさしく「女の子」という文字の持つ抽象性、観念としてしか頭の中に入っていない。つまりデータ不足なのだ。やさしい女の子、意地悪な女の子、こすっからい女の子、かしこい女の子、母性的な女の子、ひょうきんな女の子、めめしい女の子、スケベな女の子、強い女の子、繊細な女の子、不潔な女の子、大人っぽい女の子、そういった数多の女の子をサンプルに、帰納的にあるがままの女の子を理解するという訓練が全くスッポぬけている。演繹的に、それも稚拙なアナロジーを使ってしか女の子を手さぐりすることができない。こうした貧弱な想像力からは、「聖女」と「娼婦」という、どうしようもない二元論的女性観しか生まれてこない。現実の女の子には聖女も娼婦もいはしない。そして僕の頭の中には実在する女の子の本質というものが欠如している。そうして、いわば二つの「不在」の間をただ意味もなくドキドキしながらうろついているというのが僕の不毛な思春期の実態だったのだろう。
中島らも「私が一番モテた日」)

世界中のotakuにこのくだり一日千回音読させてやりたい。



10時半起床。昨夜(…)くんがスカイプにログインしているのを見つけたのでメッセージを送ったところ返事がなかったのだけれど、携帯のほうにすみませんいまさっきメッセージに気づきましたなにかありましたかと入っていたので、推敲地獄でしんどくてなぐさめてほしかっただけ!と返信をした。(…)くんもこのところずっとくさくさしているらしい。(…)くんもそうだしみんなくさくさしてる。まったくもって冬だ。歯をみがくためにおもてに出るときのうに引き続きどうにもパッとしない雨降りで、外気はどういうわけか異様にかびくさかった。起き抜けに嗅ぐようなにおいじゃあない。ストレッチをしたのちパンの耳2枚とバナナとコーヒーの朝食をとり、王将の社長が銃撃されたというニュースを見ておどろいた。今年は山科での殺人事件が目立って多い気がする。界隈に明るい職場の同僚らもここ数年京都の治安が目に見えて悪くなってきていると、そういっていたばかりのところにこの事件だ。
月曜日が祝日であることを思い出して朝から気分が悪くなった。このタイミングで三連勤。祝日なんてものはぜんぶなくなっちまえばいいのに。
12時より「A」推敲。16時ちょうどに終了。終わった。完成した。どうにかこうにかで難所をしのいだ。しかしこれで完璧だとはやはりまだいえない。データを入稿しサンプル本をとりよせて最後のチェックをするべきだと思うが、しかしいまから入稿するとなるとサンプル本が届くのはおそらく年末ぎりぎりということになる。となると年内の発刊に間に合わない。今年いっぱいでケリをつけないとこのままずるずるとプルーストのように終わりなき推敲の地獄にからめとられてしまいそうでおそろしい。それだけは避けたい。もういちど原稿をプリントアウトして最後の推敲(だが、これで何度目の最後だ?)にとりくみ、どうにかしてこの二日間でけじめをつけて、それで週末の〆切りに間に合わせるという方法もなくはない。と、しかしここまで書いて考えたのだが、紙本の発注にはたしかに一週間かそこらの時間を要するとはいえ、ウェブ上へのアップロード自体は即時可能であるのだから、31日ぎりぎりまで手元の原稿データを相手にねばるだけねばり、それで年明けと同時にアップロードみたいな小粋なまねもできなくはないわけだ。大晦日と元旦はシフトの変動で出勤するはめになってしまったというかむしろじぶんからそう(…)さんにお願いしたのだけれど、時期が時期だけにクソ暇であるらしいし31日にはプリントアウトした原稿をもちこんでたっぷり内職することもできるかもしれない。
買い物に出かけようとして土間で靴をはいていると玄関の引き戸の磨りガラス越しにのぞくおもてが黄金色にぼんやりけぶっていて、戸をひいて外にでてみるとクリムトのダナエに描かれているゼウスの金貨の色に空気が染めぬかれていておおっと思った。夕暮れどきというのはときどきこういうイレギュラーな色調をなんでもないような突拍子のなさでたたえてみせる。ここ数日にくらべると比較的温暖な空気のなかをぶつくさやりながらスーパーにむかい、総菜コーナーにクリームコロッケでも売っていないかなと期待していたのだけれどなくて、そのかわりに春巻があったものだからやや迷ったのち一本だけ購入した。春巻もバナナもタイに行く前までは別段好きでもなかったというか後者にかんしてはむしろどちらかというと嫌いなほうだったのだけれどクレープに包んで焼いたものをカットしたそのうえにチョコレートソースをぶっかけるみたいなのを屋台で食べてから好きになった。春巻も同様に一本につき10バーツだったか20バーツだったかそもそも1バーツが何円だったかさえいまとなってはおぼろげなのだけれど安くて、肉が入っていないので(…)の反感も買うことがないというアレもありよく食べ歩きしたものだった。
帰宅してからその春巻きを食べた。腹が減りまくっていてとても筋トレなどできそうになかったので夜にまわすことにして、ひとまず玄米と納豆と冷や奴ともずくと豚肉と胸肉をえのきと春菊と水菜と厚揚げといっしょににんにくとしょうがと塩こしょうと酒とこんぶだしで蒸し煮したしょうもない夕飯をかっ喰らった。それから原民喜『夏の花』を読みながら布団にもぐりこみ、眠気をもよおしたところで30分の仮眠をとった。めざめると19時半だった。寝んの気持っちいいわーと起き抜けになぜか声にだしてつぶやいた。それから『夏の花』の残りを片付けて、コーヒーを飲みながらここまで日記を書いたところで、「A」のいまだ解決が不完全な難所三点を確認した。改良の余地はあるように思われたが、考えようとするだけで頭が鈍くなり吐き気のきざしがチカチカと光るようであったので、今日はこれ以上取り組んだところで無駄だろうとワードファイルを閉じた。それでかわりに『映画史』の続きをちびちび読み進めた。ゴダールトリュフォーのことをこきおろしまくっている。ある程度読み進めたところで大岡昇平『俘虜記』に浮気した。双方ともにおもしろい。
職場に客が忘れ去っていったパタゴニアのダウンジャケットがとても重宝している。色が悪いしサイズも合わないから外着としては全然使えないけどアウトドア系のメーカーのものだけあって軽いのにむちゃくちゃ温かい。古着屋にもっていって売るつもりだったけれど冬の部屋着として手元に残しておきたくなった。いまさらといえばいまさらだけどだれが着ていたかわかんないものではあるし一度クリーニングにでも出しておこうかな。なんか袖口とかちょっと黄ばんでるし。
23時前だったかに読書をきりあげ、懸垂とダンベルで背筋と腕の筋肉を酷使したのちジョギングに出かけた。いつものコースの三分の一ほど走ったところで両脚のすねのあたりの筋肉が妙に張ってしんどくなったものだから歩いた。いつもより短いコースでやめておこうかと思ったが、サボり癖をつけてしまうのも癪なので、ところどころ歩きつつ結局5km走った。いつもなら太ももやふくらはぎに疲労の蓄積するのを感じるのがどうして今日にかぎってすねなのかと思ったが、雨降りで道路が濡れているのを受けてすべってはならないぞという意識が過剰に働いているそのためにいつもよりずっと歩幅がせまくなってしまっているのが原因であることが走っているうちにだんだんとわかってきた。一歩また一歩のそのたびごとにどこかブレーキをかけている感じ。その負荷が両脚のすねにのしかかったわけだ。ジョギングのフォームみたいなものもそろそろ研究しておいたほうがいいかもしれないと思った。いつだったか(…)と夜道を歩いている途中でっぷりと肥えた女性がジョギングしているのを見かけたのだけれど、一歩一歩がどしんどしん音をたてるような鈍重なフォームで、あれじゃあきっとひざやら足首やら痛めるんでないかと他人事ながらも心配になったしそれに単純に見栄えの問題としてちょっとかっこうわるいなと思ったのだけれどひるがえってこちらはどうかといえば我流は我流なわけで、もともとそれほど頑丈な身体に生まれついたわけでもなければとくべつ運動神経に恵まれているわけでもなし、足りない分は頭で補うほかないのだから図書館でいちどジョギングとかランニングとかマラソンとかで検索をかけてめぼしい書籍を借りるべきだろう近々。
シャワーを浴びてストレッチをしたのち『俘虜記』をいくらか読み進めて寝た。とても良い本だとおもう。おもしろい。