20131223

22日(日)
6時半起床。(…)さんと職場でどつき合いのケンカをする夢を見た気がする。8時より12時間の奴隷労働。先週にひきつづき体重を計ってみたところ、食後でもないにもかかわらずやはり60キロあった。順調に増えている気がする。いよっし60キロキープしたぞとこぼすと、(…)くんその体で60キロもあるんかと(…)さんがびっくりしたようすでいった。おれこんだけ腹出とって65キロやぞというので、脂肪よりも筋肉のほうが重いというのはほんとうなんだなと思った。
お休みの(…)さんから売り上げをたずねるメールが入ったので返信すると、ちなみにいま39℃出てるという返事があった。これインフルエンザだったら従業員全員をまきこんでの寝正月になるんでないかとものすごく嫌な予感をおぼえた。そういえば今年は予防接種にいくのをすっかり忘れている。
翌日は祝日=出勤日であるために日曜恒例となっている(…)との外食はパスするつもりだったのだが、その旨をメールで伝えたところ、おまえおれいっつも翌日仕事やのに日曜日つきあっとるやないか!というぐうの音も出ない正論を吐かれてしまったのであいやわかった!本日もまたくら寿司に行きましょう!となった。ゆえに帰宅してから(…)がうちにやって来るまでのひとときをダンベルを上げ下げするなどして潰したのちにふたりそろって例のごとく徒歩でくら寿司にむかった。(…)は地元に帰省してフィリピン人の知人と会って来年に控えた留学にかんするあれこれについて色々と相談してきたらしかった。語学学校に付属の寮に住むよりも適当なアパートを借りてそこに住んで学校に通うというかたちをとったほうが金銭的にかなり助かるところがあるらしく、その知人の伝手をたどれば破格でアパートを用意してもらえるかもしれないとかいう話で、そうなると当初必要とされていた金額との差額すなわち浮いた金の分だけ滞在期間を延長できることになるのでそれはたしかにアツいな、おいしい話であるな、おれもフィリピンに行きたいなと思った。くら寿司を去ったのち例のごとく逃現郷にはしごした。(…)が水をひとくち含んだ途端に浄水器がかわったんでないかと言い出して、こいつは人工甘味料にたいするアレといいなんでこんなにも繊細な舌をもっているんだと思った。オーディオオタクの聖人どもが発電所の近くに家を建てるのと同じように水オタクの聖人どもは水源近くに家を建てるんでないだろうかみたいな馬鹿げたやりとりをした。1時ごろまで滞在したのち店を出てこれもやはり例のごとく薬物市場にたちより甘いものを購入し、帰宅してから喰らうべきものを喰らって軽くひっかけてから深く眠った。


23日(月)
7時起床。8時より12時間の奴隷労働。朝一で(…)さんから熱が40度に達したのでとりあえず救急病院にいってくるとメールが入った。インフルエンザと診断されたらぜったいに出勤しないでくださいと返信した。するとそれから小一時間ほど経ったところで溶連菌感染でしたという報告が入ったのでなんだそのものものしい病名はと思い職場でだけインターネットが使用可能な(…)さん譲りの初代スマフォを駆使してウィキペティアをチェックした。さほど大事ではなさそうであったのでひと安心したが、いずれにせようつされたらかなわないことに変わりはないので、今日はもう休んでくださいとお願いした。というわけで(…)さん(…)さん(…)さんの三人というかなりひやひやする組み合わせの司令塔に奇しくも二日連続でたつことになってしまったのだが、そこは持ち前のアレで卒なくのりきった。(…)さんも最近はすっかり元気をとりもどしつつある。ここで調子にのってひとを不快にさせるよう発言を口にすることさえなければ、単純に話のおもしろい輩のおっさんですむのだけれど。
仕事を終えて帰路、交差点に突っ立っていた婦人警官に自転車を止められた。条例が変わって自転車運転中のイヤホンの装着は禁止されたんですよといういつもどおりの説明があり、誓約書のごときものにまた名前を書くことになった。月にいちどくらいはつかまっている気がする。あれ?この自転車のライトは?というので、充電が切れてしもとるんですと応じた。住所と名前を書類に記入していると、それピアスですか?すっごい大きいですね!と唐突にいわれたので、はあと返事すると、わたしもピアス開けたいんですけど職業柄なかなかできなくてといい、そこではじめて顔をあげて相手の顔を真正面から正視したのだけれど、マフラーで顔の半分くらいが隠れていたもののはっきりと若くて、おそらくは二十代前半だと思うのだけれどととのった顔立ちのかわいらしい女性で、場慣れしていないであろうことのわかる目の泳ぎ方がじっとのぞきこめばあらわになるようなところがあり、それゆえの気さくさと軽口かと合点がいった。話を受けて、ピアスとかいまだにそういうのダメなんすかと問うてみれば、はい、やっぱり印象があんまり良くないみたいで、という返事があり、なかなかお堅い職場ですねと、口にしたとたんにそんな意図など毛頭なかったにもかかわらずなにやら皮肉っぽい棘のある言い方になってしまったことにとりかえしのつかないものを覚えたのだけれど、そうなんですお堅いんですと相手は単純な抑揚で受けてみせた。それから横断歩道をわたってその場を去ったのだけれど、以降なにやら嫌な感じをふところに抱えこんだままの帰路となってしまった。違反者は違反者として毅然としてかつ事務的にとりしまればいいだけの話だと思うのだけれど、女性という弱い立場にあるからなのかそれとも条例にたいする市民感情を考慮してからなのかあのような媚態を装うことを余儀なくされる彼女のありようにまず暗い気持ちになったし、というかより精確にいうならばその媚態の不完全さに暗澹たるものを覚えたというべきで、訓練の末に習熟の域にいたった媚態などではまったくなく、いままさに必要にせまられてはじめてその行使を余儀なくされたばかりだといわんばかりのさじ加減のあやしさが彼女の口ぶりや物腰にはあって、それは端的にいえば気をまわしすぎて空転しているさまと形容できるのだけれどそのような空転のへりくだりにははっきりとこちらを苛立たせるようなところがあってむろんこのときも例外ではなく、がしかし、そのような空転を前景化せしめる主因としてこちらの口ぶりや物腰につきまとうある種の威圧感や圧迫感があったのではないかという疑いが呼びよせる自己嫌悪のごときものがまたあり、本心では望んでいないふるまいをとらされてまもない彼女の初々しい傷口のようなものとそのようなふるまいをとらせたかもしれぬおのれのふるまいの疑義が結びついて胸くそが悪くなるというか、あの女性が帰宅してからどうしてわたしはあれほどわかりやすく安っぽい媚びへつらいをとってしまうんだろうと馴化されていないもの特有の違和感とともに気を悪くするほんの一寸先の未来が目に見えるようであってそれがすごく嫌だ。いたたまれなくなる。彼女の安っぽい媚びへつらいは不快であるが、その安っぽい媚びへつらいにたいする不快感を彼女自身が抱いている(あるいは抱くであろう)こともまた疑いなく、その疑いなさが反射板となってそのような安っぽい媚びへつらいの装いを彼女に要請したこちら自身のふるまいにたいする自己嫌悪として結実する。このようなコミュニケーションがありうるのだろうかと思った。ほんのひとことふたこと交わしただけで当事者全員が例外なくいやな気持ちになってしまうこのようなコミュニケーションが。
じんましんのスーパーにたちよってじんましんの烏賊の巻き寿司とじんましんの串カツを購入して帰宅した。筋トレする気にはとてもなれなかった。疲れた身体で飯を食っていると、日々が淡々とした死の積み重ねであるように思われた。ウェブを巡回したのちシャワーを浴びた。部屋にもどりストレッチをし、コーヒーをがぶ飲みしながらこの二日分のブログを冒頭から書き記していると、おそらく昨日付けの記事の半ばほどにさしかかったころだったと思うが、母から電話があり、父方の祖母が危篤であると告げられた。転んで、頭を打ったのかそれとも頭ではなくほかを打ったのであったか、細部は定かでないがとにかく転んで、いますぐに手術が必要であるというさしせまった事態になったらしいのだけれども、高齢のために手術に耐えられるかどうかあやしいという医者の判断の結果、このまま見送るという話に決まったらしく、父は今日病院をおとずれたようなのだけれど、その際に医者からもうそれほど長くはないだろうから覚悟だけはしておくようにと告げられたのだという。明日からの四日間が「A」のラストスパートと気負っていたところがあったので、容赦ない言い方がゆるされるならば、水をさされたという感じをまず受けた。それから年末年始の気ぜわしさに不幸が重なるかもしれないと思い、明日は朝一で職場に連絡をいれておかなければと考えた。電話越しに母は、孫やから葬式くらいは出とかんと、といった。父方の親族とは物心ついたときからほとんど絶縁状態にある。祖父がたしかじぶんが小学校一年生か二年生のころに死んだはずで、昼休みにグラウンドでドッジボールをしているところに誰かが知らせにやってきて、担任の教師だったかもしれないが、しかしたしか早引きはしなかったはずだ。というのも廊下の拭き掃除をしながら、おなじ掃除グループにいた当時好きだった女の子の気をひこうとして、祖父の死という事実を利用しようとした記憶がたしかに残っているから(掃除の時間というのはたしか昼休みのあとにあったはずだ。あるいは放課後だったか?いずれにせよとにかく昼休みのあとであることに変わりはない)。祖父は白装束に身をつつんで正方形の木造の箱のなかにいわゆる屈葬の姿勢でおさめられていた。父の実家にはじぶんより年上の小学生がたくさんいて、兄がそのなかにまじってファミコンくにおくんをやっているのを後ろからながめていた記憶があるのだが、あれらはすべて従兄弟だったのだろうか。祖父の死を境にしてもともと希薄だった付き合いがほとんど絶縁と呼べるものに変じ、というかそれ以前からやはり絶縁に近い状態であったのかもしれないが、とにかく、じぶんはいまだに父方に何人の従兄弟あるいは従姉妹がいるのかしらないしそれどころか父が何人兄弟であるのかさえしらない(ゆいいつ知っているのは父に双子の兄だか弟だかがいることで、このひとは空手がめっぽう強く東海の赤鬼と呼ばれていたらしい)。疎遠絶縁の原因が母と祖母の、つまりいわゆる嫁と姑のむずかしさにあったらしいことはかすかに聞きかじったことがある。あとは父の姉だか義姉だかと母の間にあった確執とも聞く。だが詳細はしらない。気になったことも何度かあったが、そもそもの両親の仲そのものがじぶんが小学校に入学してまもなく破局をむかえて、別れても慰謝料を払わないといっているから離婚せずにいるのだと母からたびたび聞かされるくらいに悪化してしまい、たとえ事務的な用事であろうとも直接口を利くことはぜったいになく間にメッセンジャーとしてじぶんが入らざるをえないという状況が当然のものとしてずっとあるようなそんななかで下手に父方の親族にまつわる話題などふればまた母親がヒステリックになにやらわめきちらしかねないと、そういう面倒を避けた結果としてけっきょくいまのいままで父の親族についてはほとんどなにもしらないままでいる。というかそれをいえばそもそも両親のなれそめやらなんやらふたりの関係にまつわる諸々など微塵も知らないわけだが。大学を卒業して最初の夏か正月か忘れてしまったけれども、あるいはひょっとしたら二年目の夏か正月だったかもしれない、いずれにせよとにかく学生時代に付き合っていた恋人と別れて以降のできごとであるのは間違いないのだけれど、あるとき帰省すると両親がふつうに口を利いていた。あのときの衝撃はすさまじかった。別の時間軸に、ありえた可能性のパラレルワールドにスリップしてしまったような、ものすごいゆがみの感じにくらくらしながら、そのような状況をふつうに受け入れているようにみえる兄と弟の姿にもまた呆然としつつ、ひとりだけ地元を離れて過ごす身として取り残された、置き去りにされた、という感覚をおぼえたのはあとにもさきにもきっとあのときだけだと思うのだが(当時は健在だった恋人のご両親が手をつないで歩いている姿を見たときにゆいいつ似たようなくらくらをおぼえた記憶はあるが)、いまだなにがあったのか、当事者の両親はもちろん兄もしくは弟にさえたずねることができずにいる。あなたはすべて知るべきよ、その権利があなたにはあるしあなたのマムだってきっとあなたがたずねるのを待っているはずよと、西日の方角にあるスーパーにむけて顔をしかめてならんで歩いているときに(…)はいった。どうだろうねと応じると、きっとそうよと(…)は男友達のようにこちらの肩に腕をまわしながら言うのだった。病床の祖父には小指がなかったという記憶がある。薬指もなかったかもしれない。それについてわりと最近、母親に思いきってたずねてみたことがある。ヤクザだったのかと問うと、そうじゃあない、バイクの事故かなにかで失ったのだ、アル中だったから、という返事があった。ほんの子供のときにもそう聞かされたことがあるような気がする。真相がどうであるのかはしらない。こんど父に直接聞いてみるのもいいかもしれない。おのれのルーツになどさして興味もないが、じぶんのでない人生におとずれた挿話を知りたいといういつもの気持ちのたしかにうずく気配はある。
家族や親族のことを書くのはすごくむずかしい。ものすごい抑圧と抵抗をくぐりぬけて打鍵する必要があるのでどうしてもじぶんの心情にたいする精確さに欠けるところが出てきてしまうような気がする。いつまでたっても簡単になってくれない。ただこれはもうずっと以前から、それこそおそらくは先代あるいは先々代ブログを書いているときから、家族や親族についての連想が記述の運動過程で走りはじめるそのたびごとに思っていたことであるのだが、いちばん筆が進まないのはやはり兄にかんすることだ。兄がじぶんの家族観にもっとも強烈な影を落としていることはまず疑いない。
先の短い段落を書き終えてわれながらおどろいた。そしておおきく息をついた。なにかが終わったという感じがした。もう何年も自覚していたにもかかわらず無意識に検閲し抑圧していた兄にたいするむずかしい感情の存在を今日はじめて書き言葉としてここに書き記すことができたというその思いがけなさが、なにかしら強力な前進を遂げたという達成感のようなものとしてじわじわと胸の奥底からしみでてくるようである。この事実ひとつとっても、関係の大枠らしきものがなにかしら奇妙に転じつつあるといえなくもないわけだ。ある集団の見取り図は、関係の網の目は、その集団の一員の欠落によって更新改変されることをおうおうにして余儀なくされるものだ。