20131226

 首狩りママは考える。なぜ世界は牛の糞でできているのか。なぜ排水溝は小便で一杯でときどき胎児が流れてくるのか。なぜ影は実体の一部であることを主張しないのか。なぜ人々はアイデンティティという幻想に憑かれるのか、なぜ猫は愛情過多のためにカーペットの上でゲロを吐くのか、なぜ女はタマネギを刻むときにだけ本当の涙を流すのか。なぜ男はかくも幼児的な戦争をしたがるのか。なぜ男たちは昼の間眠っていて、夜のカフェにくり出すのか。なぜ男たちは人類という巨大な生物の一つの細胞でしかないことを認めようとしないのか。なぜ男は受精以外の役割りを世界に対して求めようとするのか。なぜ男の作った機械のような世界の構造はガジガジと雑音をたてて機能するのか。なぜ靴屋のあのオヤジはヘーゲルを読んでいるのか。なぜ人々は八千五百円もするホテルのディナーをにたにた笑いながら食べているのか。なぜGのキーのブルースをギターマンはEbで弾いているのか。なぜ若者は新月の夜にタンバリンを叩き破るのか。なぜ点滴はかくもゆっくりと注がれていくのか。なぜシラフの人々が世界を牛耳っているのか。なぜシタールの絃は十八本もあるのか。なぜこぶしで夜を打ち破れないのか。なぜ「我々」という言葉は二つの文字でくくれるのか。なぜ私はこの男の耳たぶの裏に隠れていたのか。
中島らも『バンド・オブ・ザ・ナイト』)



23時半におのずと目がさめた。昨日付けの日記を書いたのちコンビニに出かけてポカリと午後の紅茶を買った。帰省したときに今度も髪を切るのかという確認メールが(…)からとどいたので、坊主頭にしようか迷っていると返信した。坊主にするにしてもとにかくおれにやらせてくれという話だったので、了解した。腹がそこそこ空いていたので昨日購入したハムを入れてラーメンでも食べようかと思ったのだが、つまみ食いのつもりで食べたハムが美味すぎたため、まるでサディスティックな貴族のように包丁でスライスしたものをそのまま口に運ぶという行為をくりかえした。400gあるうちの半分ほどをそのようにして一気にたいらげてしまった。肉というやつはたまに食うと本当に美味くてびびる。
「A」の推敲に着手するつもりがなかなか踏ん切りがつかず、だらだらと過ごした挙げ句、2時になってようやく重い腰をあげることに成功した。それから7時までぶっ通しで作業をし、とりあえず最後の周回と銘打った推敲をおわらせることに成功した。が、もちろん、というかやっぱり、これをして完成というわけにはいかない。あと一周必要だ。あと一周。これで終わるはずなのだ。おそらく。たぶん。あまり自信はないが。
ラスト一周の推敲を重ねるまえにとりあえず脳みそをクリアにする必要を感じたのでほんの数時間前に起きたばかりという気がしないでもないけれどもやはり眠るべきだろうと、そう思ったのでひとまずスライスしたハムをのっけたマルタイラーメンをかっ喰らったのち布団にもぐりこんだ。8時半だった。果たして入眠できるかどうかという疑問もなくはなかったが勝負は一瞬でつき、食後と乗車中はほとんど無制限に眠ることができるらしいおのれの性質をあらためて自覚することになった。不眠に悩むひとびとにこの楽天性をわけてやりたい。12時前にいちど目覚め、それからも何度か覚醒をくりかえしたのだが、眠れるだけ眠っておけというわけのわからない義務感から二度寝三度寝とくりかえし、ようやく布団から抜け出し身をおこしたときには15時半に達していた。25日と26日の認識上の境目はむしろここにあった。
雨音が室内にまで響いてきた。秋の錯覚がいっしゅん脳裏をよぎった。洗濯物を中に入れるためにおもてにでるとすでに薄暗かった。この薄暗さ、この生温さとも肌寒さともつかぬ空気の質感、この雨脚、すべてに見覚えのあるような気がして胸がうずいた。ストレッチをしてパンの耳2枚を食してコーヒーを飲んだ。2杯目のコーヒーを飲んでいるときにふと次回作について考えているじぶんを自覚して、どうやら「A」は何があっても年内にけじめをつけてみせると無意識のほうでも容赦なくそう考えてくれているらしいなと励みになった。「邪道」なきいま手元にのこされているのは「偶景」であるが、これは大部分をざっくり削除する予定で、そしてその選別作業はおそらくそれほど時間を要しない。問題は「偶景」の改稿に目処がついて以降で、「偶景」自体はなかば日記じみた営みとして継続するとして、それとは別の小説をどうするか、かつて書き損じたウルフ-マンスフィールドをジャンクションしつつロマサガ3の世界観を引用してのデプレシャン『二十歳の悲劇』的な群像劇をシモンばりに記号で多層化された構造で描くというもの((…))に再挑戦したいというアレがけっこうあるのだけど、それとは別に「祝福された貧者の夜に」とめずらしいことにタイトルだけが先んじて定まった(といってもいちどブログの記事タイトルに流用してしまったが)サイケデリックな小説を書きたいというのもあって、筋もなにも見えてはいないのだけれどとにかくドラッギーで、不気味なまでに美しい夜の遊園地のイルミネーションのなかでのいかれたボーイミーツガール、ヴァンドームラシックカイセキとレオス・カラックス汚れた血』をミックスしたような世界観でこれももうここ数年ずっと書こう書こうと思いながらも「邪道」にはばまれていた「とにかく胸がひりひりする小説」の発展形態ではある。と、こうして書いてみると後者のほうにいくらか食指の動くところがある。書きたいな。あたらしい小説を書きたい。まっさらなテキストファイルの断崖につまさきをそろえて立つあのスリルを味わいたくてたまらない。どんなドラッグよりもやばいなにかが脳みそから分泌されまくってじぶんが消えて、ただ言葉の運動だけがそこにあるようなあの没我と恍惚のなかに命を浸したい。浄められた一個のたましいとして言葉の運動に一体化したい。
17時半より「A」推敲ラスト一周に着手。21時中断。難所は現状二点。いぜんブログにも引用した館の描写と小蟹のくだり。両者ともに妥協案こそ無数に出そろっているものの完璧な解がいまだに見つからない。どこにあるのかぜんぜんわからない。とくに前者がきびしい。語尾の時制と読点の配置についてはおよそ考えられるパターンすべてを作成し検分したが、なにかが違う。しっくりハマった感じを受けない。難所に取り組みつづけるとたやすく疲労し麻痺するので、ひとまずこれでいいんじゃないかという程度の案を提出しておいて、あとは眠りからさめた直後のなにものにも汚されていないまなざしで検分するというのを残された数日間を通してやるしかないんでないかと思った。
腹が減ったので飯を食おうと思ったが野菜がない。かといって雨降りのなかスーパーに出かける気にもならないというか、作業疲れでどうも自炊する気になれなかったので、冷蔵庫の中のあまりものの胸肉とハムをともにタジン鍋にぶちこんで酒に浸したのに火を入れるだけというクソみたいなディナーを玄米と納豆といっしょにかっ喰らった。満腹になるまで食べるとまた眠ってしまうおそれがあるので腹六分目でやめておいた。23時前より「A」の続きに取り組んだ。
ここまで書いて推敲のためにBCCKSにログインしようとする瞬間、猛烈な多幸感に見舞われていきなり泣きそうになった。なんてすばらしい人生なんだろうという前触れのない感動にいきなり後頭部をがつんとやられた。最近こういう瞬間がいぜんにも増して多い。脳みそがそこそこバグりはじめている気がする。
1時半に中断。力つきた。文字列を追うことはできるものの読むことはできないという麻痺の極地にいたってしまった。若干の吐き気すらおぼえる。ダンベルを使って筋トレしたのちシャワーを浴び、部屋にもどってからストレッチをした。小腹が空いていたのでコンビニまで出かけておにぎりをふたつ買った。真夜中のコンビニで食い物を買っていると絵に描いたようなフリーターがここにいるという気持ちになる。おにぎりを食ってから再度作業にとりくむつもりだったが、重度の麻痺にさいなまれていたようだったので、食後のチャンスを利用して床に着き、5時には寝た。いい加減寝すぎだ。