20221203

 自分がこの下宿を出る二週間ほど前に、K君は蘇格蘭(スコットランド)から帰って来た。その時自分は主婦によってK君に紹介された。二人の日本人が倫敦の山の手の、とある小さな家に偶然落ち合って、しかも、まだ互に名乗り換(かわ)した事がないので、身分も、素性も、経歴も分らない外国婦人の力を藉(か)りて、どうか何分と頭を下げたのは、考えると今もって妙な気がする。その時この老令嬢は黒い服を着ていた。骨張って膏(あぶら)の脱けたような手を前へ出して、Kさん、これがNさんと云ったが、全く云い切らない先に、また一本の手を相手の方へ寄せて、Nさん、これがKさんと、公平に双方を等分に引き合せた。
 自分は老令嬢の態度が、いかにも、厳(おごそか)で、一種重要の気に充ちた形式を具えているのに、尠(すくな)からず驚かされた。K君は自分の向(むこう)に立って、奇麗な二重瞼の尻に皺を寄せながら、微笑を洩らしていた。自分は笑うと云わんよりはむしろ矛盾の淋(さび)しみを感じた。幽霊の媒妁で、結婚の儀式を行ったら、こんな心持ではあるまいかと、立ちながら考えた。すべてこの老令嬢の黒い影の動く所は、生気を失って、たちまち古蹟に変化するように思われる。誤ってその肉に触れれば、触れた人の血が、そこだけ冷たくなるとしか想像できない。自分は戸の外に消えてゆく女の足音に半ば頭(こうべ)を回(めぐ)らした。
夏目漱石『永日小品』より「過去の匂い」)

 「幽霊の媒妁で、結婚の儀式を行ったら、こんな心持ではあるまいか」!



 ひさびさに熟睡した。二日連続でやや睡眠不足気味だったからかもしれない。(…)さんと(…)さんと一緒に実家の浴室らしき場所でいっしょに風呂に入っているという、教師聖職者論者が聞いたら憤死しそうな夢を見てしまったが、シチュエーションがシチュエーションであるにもかかわらずエロさが一ミリもないものだった。覚めて思い返してみれば、普通にエロいシチュエーションであるにもかかわらず、ただなかではそういう認識がこれっぽっちも成立していない、そういう夢はこれまでにも何度か見たことがある気がする。
 今日も今日とてクソ寒い。寒すぎて腹が立つ。歯磨きしながらスマホでニュースをチェックする。習近平EUの偉いさんと会談した際、ゼロコロナをあらためるかもしれないみたいなことを口にしたというニュースあり。「習主席、中国でまん延のコロナは致死率低いと発言-EU当局者」(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-12-02/RMA51GT1UM0W01)。

 中国の習近平国家主席は同国で現在まん延している新型コロナウイルスについて、致死率が比較的低いオミクロン変異株だとの認識を示した。欧州連合(EU)のミシェル大統領と1日に北京で会談した際の発言だとして、EU当局者が明らかにした。
 両首脳の会談について説明を受けたというこの当局者によると、習主席は、オミクロン変異株はより毒性の強いデルタ変異株のようなものではないと述べた。中国当局が新型コロナに関する制限措置を緩和する計画があると、習主席がミシェル大統領に明確に示すことはなかったとも語った。当局者は非公開情報だとして匿名を条件に話した。
 情報が正式に確認された場合、この発言は習主席が新型コロナウイルスの弱毒化を初めて公に認めたものとなる。中国の指導部がこれまで3年にわたって続けてきた厳格な「ゼロコロナ」政策を一段と緩和する方向に向かう可能性も示唆する。
 在米中国大使館の劉鵬宇報道官は、EU側のコメントに関する取材に対し、両首脳の会談に関する公式の発表資料以上の情報を持ち合わせていないと述べた。同資料には、習主席がオミクロン変異株について発言したとの記述はない。
 ニューヨークの助言会社テネオ・ホールディングスのマネジングディレクター、ガブリエル・ウィルダウ氏は「これは、中国がゼロコロナ政策からの出口戦略の下準備を進めつつあることを示す新たなサインのように見える。習主席ら党指導部にとって、コロナ政策のいかなるシフトも公衆衛生上の判断であり、抗議デモからくる政治面での圧力に基づくものではないと国内外に伝えることは重要だ」と指摘した。

 ほか、Twitter経由で知った話だが、広州で当局が突然オミクロン株による重症化率および死亡率は非常に低いというデータを公開したとか(しかもその数値というのが日本を含む諸外国で公開されているものよりもさらに低くなっているらしい)、地方政府とPCR検査会社が癒着しておりお偉いさんが逮捕されたとか、そういう国内報道もあるようで、マジで潮目が一気に変わりつつある。後者のような癒着は事実だろうし、こういう例はおそらく無数にあるだろうから、今後このあたりを中央が摘発しまくることでガス抜きをしつつ、みずからはヒーローとして君臨するという筋書きでいくつもりなのではないか。ただ、実際にゼロコロナをやめるとなると、それはそれでおそらくかなりの数の死者は出るだろう。高齢者のワクチン接種率はかなり低いようであるし、そのワクチンもろくに効果がないとされている。都市部はどうか知らないが、少なくとも地方はまだまだ衛生環境が悪いし(病院の中ですら汚いし、院内で喫煙しているひとが平気でいたりする)、医療インフラも乏しい。封鎖を完全解除したらそれこそかなりえげつないことになると思うのだが、その場合、中央はどう対応するつもりなのだろうか? 「ほらね、やっぱりこうなったでしょ? おれたちの言うことを聞かなかったから!」というふうに持っていくことはないだろう、なぜならそういうメッセージを発するということは同時に一度は人民の抗議に屈したことを中央が認めることになるからであり、これはありえない。だったら武漢のときのように、今後増加するだろう死者の数を隠蔽するということになるのかもしれない。というかこれまでさんざんコロナは死の病であるというイメージを全メディア総力で人民らに植えつけてきたわけだから、当然ゼロコロナ解除という措置に反対する層もかなり多くいるだろうし(ゼロコロナ政策の割をほとんど食っていないうちのような田舎であればそういう層のほうが多数派であることは間違いない)、マジでいろいろ舵取りが難しくなってきたんじゃないかなという気がする。
 街着に着替えて第五食堂へ。道中、男子寮の上階から意味不明の奇声が聞こえてくる。オンラインゲームで敗北したとか、たぶんそういう感じ。こちらの前を歩いている男子学生ふたりがその声を聞いてくっくっくっと肩を揺らす。第五食堂の入り口では今日も赤いベストを着用した学生ボランティアという名前の強制労働者が、マスクを装着していない学生にいちいち声をかけて注意している。マスクをつけていない女子学生がひとり、注意を受けたあとに笑いながら首に巻いたマフラーに口元をうずめる。まったく同じことを去年バスに乗るときにこちらもやったなと思い出す。いや、あれは今年だったか?
 食堂の中に入る。すでに二階の店のおかずはなくなっているだろう時間帯だったので、一階の店で炒面をオーダーする。できあがるまでのあいだ、そのへんに突っ立ちながらKindleで『彼岸過迄』の続きを読み進める。めがねが曇るのがうっとうしいので書見中はマスクから鼻出し。同じ店でオーダーした学生らが続々とこちらの周囲に集まるのだが、パーソナルスペースが日本人の平均値よりも大幅にせまいので、なかなか不快に感じる。こればかりは慣れない。どうしてそんなにひっつくようにして横に立つのか、体の一部が触れ合うような距離で列に並ぶのか、これに関しては郷に入っても郷に従えないじぶんがいる。
 できあがったものを受け取る。トッピングのパクチー、本当は山盛りぶちこみたかったのだが、ひとだかりが相当増えていたので邪魔臭くなり、なにもくわえず店をあとにする。ついでに売店で2リットルのミネラルウォーターも二本購入。
 寮のそばにある売店のおばちゃん——ちょっと(…)さんに似ている——が、おもてにある水道で皿かなにかを洗っている様子を見て、京都時代の下宿先を思い出す。(…)の屋外吹きさらしの水場。ゴキブリだらけのシンク。雪が降る中、手の感覚がなくなるほど冷たい水でノシメマダラメイガの死骸だらけの玄米や野菜を洗った記憶。
 帰宅。打包した炒面に黑醋をぶっかけて食す。食後のコーヒーを用意する。冷蔵庫の中に入れてある瓶詰めのコーヒー豆を外に出す。室温がこれだけ低いのであれば問題ないだろう。淘宝をチェックする。注文したコーヒー豆、やはりまだまだ届きそうにない。普段ならだいたい二日か三日で届いたものだが、やはり全国各地で実施されている封鎖措置のために快递もまともに機能していないのか。クソ割高コーヒー豆をスタバで買っておいたのは正解だった。チャンスがあればもう一袋追加で買っておいたほうがいいかもしれない。
 きのうづけの記事にとりかかる。12月に入ったことであるし、年内いっぱいは新規ダウンロードは控えめにして、今年に入ってあらたに聞いた音源の中からめぼしいものだけをピックアップし、書き物のあいだ、イヤホンでしっかり聴きなおそうと思う。とはいえ、今月の21日には麓健一の新譜『3』がリリースされるらしいので、これは絶対に聴くつもり。プロデュースは石橋英子でミックスとマスタリングはジム・オルークらしいのだが、このコンビがかかわるシンガーソングライターのアルバムといえば、長谷川健一の『震える牙、震える水』(名盤!)を想起せずにはいられない。麓健一は11年ぶりのアルバムリリースとなるらしい。前作は『コロニー』。CD、たぶんいまも実家の押入れに入っているはず。アルバム全体としては『コロニー』よりも『美化』のほうが好きだったが(いまあらためて聴きなおしたら印象が変わる可能性は当然ある)、『コロニー』は“ドントストップ”が好きで、「客の捨てたピザを食べてた」という一節を口ずさみながら、当時住んでいた(…)荘の下宿人らの残飯が夜になると共同シャワールーム入り口脇の棚に置かれているのを選り好みして食っていたのを思い出す(こちらは残飯と呼ばずにエコフードと呼んでいたが!)。その後、(…)でバイトするようになってからはまさに「客の捨てたピザ」も食ったし、出前の寿司も残りもののケーキも食ったし、保管期限の切れた服やアクセサリーもいただいたわけだが(そのうちのいくつかはいま中国でも身につけている!)。それでいえば、ちょっと思い出したのだが、こちらが(…)で働きはじめる前に(…)という男性アルバイトがいて、そのひともしょっちゅうエコフードを食っていたらしいのだが、いちど残りものの寿司を食ったところ、清掃員らがそうすることを見越してのいたずらだったのか、あるいは部屋に連れ込んだ相手に食わせることが目的だったのか知れないが、中に睡眠薬かなにかが入っていたらしくふらふらになってぶっ倒れたという話もあった。

 作業の途中、キッチンにコーヒーを入れに立ったとき、はやくも物書き病の復活を感じた。電気ケトルで湯をわかし、カップとサーバーとネルにそそいで温め、ミルで豆を挽き——とやっているあいだじゅう、あたまのなかで思考が文のかたちをとって次々と流れたり、James Joyceの“A Painful Case”にある一節のように(He had an odd autobiographical habit which led him to compose in his mind from time to time a short sentence about himself containing a subject in the third person and a predicate in the past tense.)、自分のふるまいや行動が次々に記述されていくそのような運動を感じたのだ。以前記事に書いたとおり、この運動の衰退も今回日記をふたたびオープンにしようと決意するきっかけのひとつだった。日記という営みに変化を呼び込む必要を感じたのだ。
 ここまで書いたところでちょっと気になったので過去ログを調べてみたのだが、「きのう生まれたわけじゃない」を閉じたのが2014年3月18日、その後引越し先を伝えず、自身の名前を伏せ(当然写真も使わない)、登場人物の名前もすべてイニシャルにしたうえで「信じる人は魔法使のさびしい目つき」で再出発するも、2015年4月15日づけの記事を最後にこれも閉じる。一般公開することでブレーキがかかる、それが当時はどうしても嫌だったし、部分検閲するくらいであればいっそのこと完全に安全な場所をもうけてそこで自由に書いたほうがきっとおもしろいのではないかというアレもあって、で、あらたに会員制ブログを立ち上げ、以降は五人前後の完全に見知った仲間内でのみ公開する日記「わたしたちが塩の柱になるとき」を7年半に渡ってのびのびやってきたわけだ。がしかし、のびのびしすぎて緊張感がないのはだめだとなったのが先月の終わりごろ、部分検閲というかたちをとって今月からこうしてまた一般公開用のブログをたちあげるにいたったのだが、しかしこうして書いていて驚く! あのクローズドな環境で7年半もじぶんは毎日膨大な文章を書いていたのか! 記事の数でいうと、「きのう生まれたわけじゃない」で1250、「信じる人は魔法使のさびしい目つき」で387のところ、「わたしたちが塩の柱になるとき」は(この12月以降の記事をのぞいて)2729もある! 「きのう生まれたわけじゃない」の倍以上の期間クローズドな辺境でやっていたことになる! ちょっと信じられんな!
 きのうづけの記事を投稿する。記事のタイトル欄に即席なんちゃって短歌をこしらえてはりつけるのもこれを機会にもうやめだ。タイトルは西暦と月と日をそのままアラビア数字で羅列するだけにする。ウェブ各所を巡回し、検閲版の記事も投稿し、2022年12月3日づけの記事を読み返す。(…)さんのブログの先月29日づけの記事でちょっとショックを受ける。(…)さん、インスタやっているのか、と。こちらはmixi世代ど真ん中であるのにmixiをやったことは一度もない。Facebookも同様。さらにいえば、中国に渡る直前までガラケーであったわけだが、こうした諸々の未経験が小説家としてマイナスに作用していることを、「実弾(仮)」を書いているいま、めちゃくちゃ痛感している。たとえば今後、もし2022年が舞台の小説を書くことがあったとして、そしてその主要人物が若者であったとして——と考えると、いや正直ちょっときついよなと思わざるをえない。ま、それをいえばそもそも、日本にいない時点でアレなんだが。実家に滞在していた期間も含めて、じぶんはコロナ禍を差し迫る恐怖としてほとんど一度も実感したことがない。安全な辺境からのながめとしてしか見たことがない。もちろん、それもまたこの時代のながめのひとつではあるのだが——第二次世界大戦末期の日本、疎開先の田舎で食糧に困らず空襲の恐怖を感じることもなく、ただのびのびと楽しい少年少女時代を暮らしたという人物が存在するように。コロナ禍の社会にも実にさまざまなながめがある。そういうものもいずれなんらかのかたちで出揃ってくるのだろう。と、書いていて思ったのだが、「実弾(仮)」もまたそうした辺境からのながめを書いている小説なのだった。2011年3月11日を他人事としてしか感じることのできないほど遠くにいるひとびとからのながめ。

 今日づけの記事にもそのままとりかかる。途中、(…)さんから微信。ドリアンは好きですかというので、食べたことはない、しかしずっと以前ドリアン味のガムか飴を学生にもらったことがあり、そのときは正直口に合わなかったと返信する。ドリアンのピザは食べたことがありますかというので、たしか(…)さんと一緒に(…)にある食べ放題の店で食べたのではなかったかと思ったが、ちょっとよく覚えていない。(…)さんはドリアンが大好きらしい。相棒の(…)さんも好きだという。たぶんこちらを誘ってこの週末(…)にあるピザ屋で一緒にメシでもというあたまだったのではないか? 私は先生と話すときはいつも食べ物のことばかり話しています、まるで食べ物のことしかあたまにないひとのようですというので、きみだけではなく中国の女子学生はたいていみんなそうだよと返信。
 一年生の(…)さんからも微信。こちらが授業中に配布した資料が一部手元に残っていないのでデータを送ってほしいという。第何課のものが必要であるのかとたずねる。しかしその後返事はない。
 今日づけの記事は15時半にいったん中断して授業準備にとりかかる。日語閲読(三)の資料にざっと目を通すが、これは明日でもかまわないというわけで、日語会話(一)の第7課の改稿。履修文型を半分以下に減らし、授業の後半をゲーム性のあるアクティヴィティに作り変える。今回キーとなるのは「あげます/もらいます」であるが、これはいろいろ工夫しやすい。五人か六人でグループを作ってもらって、手に持つことのできる物を三つ用意(スマホとか財布とか水とか)、で、グループの成員がひとりずつ順番に「○○さんが○○さんに(物)をあげます/もらいます/あげません/もらいません」と指示出しし、指示出し役以外の成員がその指示通りに動くというゲームをまずやらせる。で、各グループでいちばん上手な学生をひとりずつ教壇に呼んで代表選みたいなことをやれば(そして景品として飴を用意しておけば)、まだまだ一年生であるしけっこう盛りあがるんではないか。
 17時になったところで作業を中断。作業の間は『Barbara Monk Feldman: Soft Horizons』(Aki Takahashi, Flux Quartet & The DownTown Ensemble)と『Dawn FM』(The Weeknd)と『One Eye Closed』(Lack the Low)と『Richter: Exiles』(Baltic Sea Philharmonic & Kristajan Järvi)をききかえした。『Dawn FM』にたしかOneohtrix Point Neverも楽曲提供だったかプロデュースだったかで参加しているはずで、アルバム通してめちゃくちゃコンセプチュアルで完成度が高いのもわかるのだが、単純にあんまり趣味じゃない。というか、Oneohtrix Point Never自体にがっつりハマったことがない。いつかハマる日がくるかもしれないが。
 ふたたび第五食堂に向かう。入り口付近で(…)さんとすれちがう。すれちがったあとに「先生!」と呼ばれて気づいた。マスクを装着しているのでわからなかった。近くには(…)さんと(…)さんもいる。院試はクリスマス前後だったはず。すでに残り一ヶ月を切っている。彼女らとは顔をあわせるたびに、勉強どうですか、だいじょうぶですか、とたずねるわけだが、今日も同様の質問を口にする。全員苦笑するのみ。(…)さんは浙江省にある大学、(…)さんは雲南省にある大学を目指しているという話をすでに聞いているわけだが、(…)さんの受験校はまだ知らない。というか彼女が院試組であったこと自体つい最近まで知らなかったわけだが、確認してみると、寧波にある大学を目指しているらしい。ただし専攻が日本語関係であるかどうかは不明。寧波といえば、いま(…)さんが働いている会社のある都市だったはず。あと、一年生の女子学生にひとりここ出身の学生もいたと記憶している。
 打包して帰宅。食うものを食ってからベッドに移動して『彼岸過迄』(夏目漱石)の続きを読む。20分ほど仮眠をとってから浴室でシャワーを浴び、ストレッチをし、コーヒーを用意して「実弾(仮)」第三稿執筆。21時から0時まで。シーン53の続き。プラス2枚で962枚。まずまず。
 今日の22時が日語基礎写作(一)の課題提出期限だったのだが、(…)さんと(…)くんの二人からは提出なし。(…)さん、マジでなんのために日本語学科に転入してきたのだろうかとたびたび不思議に思う。
 冷食の餃子を食う。人参果の残りも食う。歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックし、その後ふたたび今日づけの記事の続きを書き進める。2時になったところで作業を中断し、ベッドに移動して『彼岸過迄』(夏目漱石)の続き。序文ともいうべき「彼岸過迄に就て」のなかで、

彼岸過迄」というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空しい標題(みだし)である。かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持していた。が、ついそれを試みる機会もなくて今日(こんにち)まで過ぎたのであるから、もし自分の手際が許すならばこの「彼岸過迄」をかねての思わく通りに作り上げたいと考えている。けれども小説は建築家の図面と違って、いくら下手でも活動と発展を含まない訳に行かないので、たとい自分が作るとは云いながら、自分の計画通りに進行しかねる場合がよく起って来るのは、普通の実世間において吾々の企てが意外の障害を受けて予期のごとくに纏まらないのと一般である。したがってこれはずっと書進んで見ないとちょっと分らない全く未来に属する問題かも知れない。けれどもよし旨く行かなくっても、離れるともつくとも片のつかない短篇が続くだけの事だろうとは予想できる。自分はそれでも差支えなかろうと思っている。

と書いていて、実際そんなふうにある意味いきあたりばったりというか、本当にただただ短編単位のエピソードが無理やり長編の体裁で並んでいるようにみえるだけのだらしない構成になっている。特に、松本が雨の降る日には客人の面会を断る理由が語られる「雨の降る日」というブロックなど、それまで語り手が付き添っていた敬太郎から完全に分離して松本一家のエピソードが長々と語られており(しかしこのエピソードは読むのがけっこうつらかった、小さな子どもや犬猫が死ぬ話はきつい)、本当にとってつけた感がある。このだらしなさ、このとってつけた感、たがの外れたこの感じをより極端な方向におしすすめていけば、ブロックごとにほとんど完全に独立しているとしか思えない非必然的なエピソードの連鎖からなるカフカの『アメリカ』になるのだろうし、そうした解体をよりミクロな次元にまでおしすすめていけば、一時期の磯﨑憲一郎にもなるはず。
「雨の降る日」では幼子の宵子——という名前には『虞美人草』の小夜子を想起してしまう——が突然死して荼毘に付されるまでの経緯が語られるのだが、出来事の悲惨さの割に、現代の基準から見ると身内の口から漏れる悲嘆の調子がずいぶん軽い。特に、親族の男たちである田口や須永の反応は、これが現代の小説であればまずまちがいなく書き込み不足というそしりを受けるだろうと思われるくらい薄く、ほとんど冷淡ですらある。いまよりもずっと子沢山だった時代の反応だよな、幼子の死亡率がずっと高かった時代の受け止め方だよなと思いながら読んでいると、最後は以下のようになっていた。

 車に乗るとき千代子は杉の箱に入れた白い壺を抱いてそれを膝の上に載せた。車が馳け出すと冷たい風が膝掛と杉箱の間から吹き込んだ。高い欅が白茶けた幹を路の左右に並べて、彼らを送り迎えるごとくに細い枝を揺り動かした。その細い枝が遥か頭の上で交叉するほど繁(しげ)く両側から出ているのに、自分の通る所は存外明るいのを奇妙に思って、千代子は折々頭を上げては、遠い空を眺めた。宅(うち)へ着いて遺骨を仏壇の前に置いた時、すぐ寄って来た小供が、葢を開けて見せてくれというのを彼女は断然拒絶した。
 やがて家内中同じ室(へや)で昼飯の膳に向った。「こうして見ると、まだ子供がたくさんいるようだが、これで一人もう欠けたんだね」と須永が云い出した。
「生きてる内はそれほどにも思わないが、逝(ゆ)かれて見ると一番惜しいようだね。ここにいる連中のうちで誰か代りになればいいと思うくらいだ」と松本が云った。
「非道いわね」と重子が咲子に耳語(ささや)いた。
「叔母さんまた奮発して、宵子さんと瓜二つのような子を拵えてちょうだい。可愛がって上げるから」
「宵子と同じ子じゃいけないでしょう、宵子でなくっちゃ。御茶碗や帽子と違って代りができたって、亡くしたのを忘れる訳にゃ行かないんだから」
「己(おれ)は雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男が厭になった」

「ここにいる連中のうちで誰か代りになればいいと思うくらいだ」というセリフもたいがいすさまじいが、やはりそのあとの「叔母さんまた奮発して、宵子さんと瓜二つのような子を拵えてちょうだい。可愛がって上げるから」という千代子の言葉とそれに対する「宵子と同じ子じゃいけないでしょう、宵子でなくっちゃ。御茶碗や帽子と違って代りができたって、亡くしたのを忘れる訳にゃ行かないんだから」という叔母の返答がすごい。こうした考え方や感じ方がなにも不自然ではなく、倫理的・道徳的に鑑みてもごくごく自然で常識的であった時代がかつてあった——というかそういう時代のほうが、「かけがえのなさ」が当然の前提とされている現代よりもはるかに長いのだ。
 こうした考え方にこちらがはじめて触れたのは(…)時代の同僚である(…)さんの言葉だった。子どもと妻のどちらかしか助けることができないのだとすればどちらを助けるかという話になったとき、(…)さんは子どもだと即座に答えた。嫁も同じこというわと続く彼の言葉に対して、(…)さんはびっくりした様子で、奥さんと答えると思った、だって奥さんがいればまた子どもを作ることができるからといって、そのやりとりを聞いていたこちらは心底びっくりしたのだった、そんな考え方があるのか、と(それは換言すれば、「子どもは宝である」「子どものために親(大人)はすすんで犠牲になるべきである」というのが一種のイデオロギーでしかないということに気づいた衝撃でもあった)。あるいは、飼い犬をなくした実家のご近所さんらがことごとく、あたらしく飼いはじめた犬に死んだ犬と同じ名前をつけているのを知ったとき(犬種が同じ場合もままある)。どちらも「かけがえのなさ」の重々しさとは無縁、とまではいえないのかもしれないが、少なくともそれがイデオロギーでしかないかもしれないという可能性を突きつけるエピソードだ。そこを足場にしてうまく考えを進めることができれば、あるいは死を乗り越えることができるかもしれないというポジティヴな勇気を与えてくれるという意味で、こちらはこれらのエピソードを驚きのみならず一種の爽快さとともに受け止めた。だから、『S』は、この二つのエピソードを要となるかたちで採用した。実存の特異性と代替可能性を組み合わせるという試みは、一歩間違えればファシズム的なものに足を踏み外す可能性があるので、なかなか厳しい道のりとなるわけだが。