20221218

 杉の苗を植えた者の行為や感情や、杉が根から吸い葉から吸った厖大な時間が、両の腕に抱えきれぬ太い幹の美林として形を顕わしているなら、かたわらに立った秋幸はたった二十九年の歳月しかたっていない。秋幸がまだフサの腹にも宿らぬ種のはるか以前、風のように未生の無の中に漂っている頃から杉は形を顕わし育ち続けていた。秋幸は妙に不安になり、一瞬心の底からヨシ兄の言うジンギスカンや浜村孫一を信じ込みたくなる。有馬の小屋に住んだジジも浜村龍造も、仏の国を求めて、戦に敗れて片目片脚で熊野の山々を敗走して来た孫一を伝説ではなく真実の事として信じた。杉は秋幸の未生以前の無の時間を生きていたのではなく、種の秋幸の中心に潜んだ孫一の片目が視たものだった。秋幸は浜村龍造がそう考えて成長してゆく秋幸を見ていたのだと思った。
中上健次「地の果て 至上の時」)



 10時前起床。なぜかアラームよりはやく目が覚めたので二度寝しようと思ったのだがうまくいかず。結局ベッドの中でぬくぬくするだけして11時前に活動開始。上の部屋が大工でもおんのけ? という勢いでガンガンガンガンやりだしたので、うるせえ! と数度天井に向けて吠える。
 歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。ついでにモーメンツものぞくと、一年生の(…)さん、卒業生の(…)さんとその母君、同じく卒業生の(…)さんが感染ないしは発熱を報告。きのうの報告も含めて、やはり感染している学生の大半が省外在住だ。(…)省はよそに比べるとずっとマシなようにみえる。あと、院試組の(…)くんが、図書館に全然ひとがいない! と館内にある自習室の様子を撮影した短い動画をあげていたのだが、これはやっぱり学内でも感染者が出たからだろうか? みんな感染をおそれて寮にこもっているのだろうか? (…)さんは大学がどうしてこの時期に期末試験を行うのか理解できないと訴えていた。来学期のあたまにずらせばいいという考えなのだろう。もっともだ。
 街着に着替える。自転車にのって第四食堂へ。今日も晴天。ハンバーガー屋で海老のハンバーガーと牛肉のハンバーガーを買う。よくよく考えてみると、朝昼兼用の食事はここ最近ほぼ毎日ハンバーガーであるし、夜食は水餃子であるし、あれ? おれ平均的なアメリカ人よりもハイペースでハンバーガーを食ってんじゃない? 平均的な中国人よりハイペースで餃子食ってんじゃない? と思う。
 帰宅。食す。コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿。ひとつ書き忘れていたことがあるのだが、『ほんとうの中国の話をしよう』(余華/飯塚容・訳)の訳者解説によると、「外国の文学の影響が指摘される」「余華自身がよく名前を挙げるのは、川端康成、ガルシア=マルケス、そしてカフカである」らしくて、この並びに川端なの? とちょっとびっくりしたのだった。「片腕」とか、あのあたりの川端のことかな。
 ウェブ各所を巡回し、2022年12月18日づけの記事を読み返す。そのまま今日づけの記事もここまで書くと時刻は15時半。作業中、(…)さんから微信。テストで使用するイラストについて、男性がたまごやきを食べているものがあるのだが、これはなんですかという。たまごである旨告げると、どうしてこれがたまごであるかわからないというので、たまごやきの画像をググって送る。たしかに中国でたまごやきを見たことはない。あとは(…)先生からも微信。日語閲読(三)の期末試験の日程を教務室の先生が知りたがっているというので、明日最後の授業があるのでそのときに学生らと相談して決めるつもりだと返信。

 明日の授業準備にとりかかる。授業準備といっても期末試験について説明するだけなので、それだけだとおそらく30分ももたない。なので、例年通り、数年前に卒業生に向けて書いた手紙(「ニーバーの祈り」を引用したもの)を配布し、それをみんなで読むことにする。三年生とはこれが最後が授業なので。
 準備のすんだところでふたたび第四食堂へ。麺類が食べたい気分だったので、红烧肉面を注文する。が、面ではなく粉が出てくる。作りなおしてくれというのもアレなので、もうこのままでいいかとなる。
 寮に戻る。いつもじぶんの部屋がある棟の一階、階段下のスペースに自転車を駐輪しているのだが、そこに少年がふたりいる。大きめの段ボールを置き、その中にふたりそろって体育座りして、捨て猫の真似みたいなことをしている。目が合った瞬間、ぐふふふふ……みたいな笑いを漏らすので、こちらもぐふふふふ……で対応する。するとまたぐふふふふ……とふたりそろって笑いを漏らすので、こちらもぐふふふふ……と応じながらふたりからすこし離れたところに自転車をとめる。そしてぐふふふふ……と続けながらふたりの前を通り過ぎ、そのまま階段をあがる。
 帰宅。红烧肉粉を食う。やっぱり面のほうがいい。南方であるしデフォルトが粉なので、オーダーするときにある程度しっかり強調して面! と言わないと粉が運ばれてくるわけだが、うーん、麺類といえばやっぱり小麦でしょという違和感がどうしたってぬぐえない。ベトナム料理のフォーとかもあんまり好きじゃないし。でも今日ひさしぶりに粉を食べてみて思ったのだが、唐辛子との相性はこっちのほうがいいのかもしれない、そういう観点からみると、ああなるほどなという味わいがしないでもない。食文化にはそれ相応の理由の蓄積があるわな。
 食後、ベッドに移動。『私家版 聊齋志異』(森敦)を読む。それから20分ほど仮眠をとる。モーメンツをのぞくと、卒業生の(…)くんが体温計がどこにも売っていないと訴えている。祖父が発熱した模様。診療所の前を通りがかったが、中は大混雑だったと写真付きで報告している。(…)よりも田舎の(…)でさえいまやそんな状況なのかと驚く。これ、木曜日の健康診断はまずいやろ、自殺行為やろ、と思う。やっぱりキャンセルしたほうがいいんではないか? 契約やビザや保険の関係でキャンセルできない可能性はおおいにあるが!
 両足が地味に筋肉痛なのでジョギングはなし。浴室でシャワーを浴びてストレッチをする。コーヒーを準備してから「実弾(仮)」第三稿執筆。記録をとりわすれているのではっきりしないが、たぶん21時ころに着手したはず。で、23時半になったところで中断。プラス3枚で計974枚。いちおう最後まで書き終えた。が、まだまだ加筆する必要あるので、第三稿完成というわけではない。

 作業中、微信でのやりとりが多かった(そのせいで作業にいまひとつ集中できなかった)。まずは(…)先生とやりとり。日語閲読(三)の期末試験、25日(日)の8時半から10時半に決まった、と。外国語学院のほうで勝手にスケジュールを決められたわけだが、いちおうほかの日程に変更することもできるという。朝早起きするのは嫌だなと思ったが、ほかの科目との兼ね合いもあるだろし、まあそれくらい我慢するかというわけで了承。ついでに(…)の感染状況をたずねると、「もうかなりのスピードで拡大していると思います」「明日からまた中小学校もオンラインモードに入ります」「(…)の誰でも知り合いの中に一人か二人、あるいはもっと大人数の感染者が出ているほどです」とのこと。木曜日に病院で健康診断を受けることになっているのだが、これってちょっとやばいですかねという質問には、「病院はちょっとやばいですね」「ママ友に病院で勤めている人が2、3人いて、それぞれの病院にも院内感染が発見されたって」とのことで、ひえっ! このクソ田舎ですらそんな感じか! ほか、「解熱剤が今どこも売り切れの状態です。北京では病院の前で、普段三、四十元の子供用の解熱剤を1700元で売っているダフ屋がいて、警察に捕まえられたって今日のニュースでみました」「わたしも解熱剤はありますが、マスクはN95のがないです。普段1元もしないのに、今は10元以上で売っているところがありますが、買いたくないですね」とのこと。
 (…)さんからも微信。期末試験の問題として出すと以前通知した短歌を今日までに提出する課題と勘違いしたらしい。そうではないと否定。「先生は学校で今どのように過ごしていますか。」「楽しい?」というので、寮と第四食堂を行き来するだけの毎日だと答える。「つまらない」というので、本を読んだり音楽を聴いたりして充実しているよと応じたのち、そっちの感染状況はどうかとたずねる。じぶんはまだ感染していないという返事。最初は友達と一緒に杭州に旅行するつもりだった、でも母親に反対されたというので、状況が状況だから仕方ないと受けると、「(…)はボーイフレンドと遊びに行って感染しました」「でも彼女は楽しそうで何の不快感もありません」「毎日私に何を食べるか自慢しています」とのことで、これにはちょっと笑ってしまった。(…)さん、わりと最近彼氏が感染して高熱を出して心配だみたいなことをモーメンツに投稿していたわけだが、じぶんも感染していたらしい。しかし無症状だったわけだ。
 (…)さんからもほぼ同時に微信。故郷の星空の写真。ぼくの故郷と同じくらい星がはっきり見えるねと受ける。(…)さんは長期休暇のたびにこうして故郷の自然を撮った写真を送ってくれる。そういえば、じぶんが「自然」を発見したのは大学に進学して以降のことだった。東京や大阪出身の同級生が、うわ、すごい! 星が見える! と、せいぜい三つか四つちらちら点滅しているものがあるにすぎない京都の夜空をあおぎ興奮している様子を見て、心底びっくりしたのだった、おれが地元で腐るほど見てきた風景はどれもこれもひとに感動をあたえるほど貴重ですばらしいものだったのか! とはじめて気づいたのだった。夏休みだったか冬休みだったかに帰省したとき、夜中に(…)が急に散歩に行きたいと言い出したので仕方なく外にそろって出たところ、月明かりがやたらと明るく、道路にじぶんと(…)の影がはっきりと浮かびあがり、それを見て、あ! 京都ではこんなに月が明るくない! とやはり「発見」した記憶もある。
 故郷の感染状況はどうかとたずねると、「具体的な状況はわかりません。妹たちは明日授業がありません。家の向かいの人がコロナになったり、一緒に車の練習をしていた人の父や母がコロナにもなったりしました。」「なんか多くの人がコロナになったような気がします」「親戚もたくさん感染しました」とのこと。「母は毎日私たちに薬を煎じて飲ませています。免疫力を高めると言っていますが、とてもまずいです」という話もある。(…)さんの故郷はなかなかけっこうな農村なので、いまどきめずらしい民間療法みたいなものがしぶとく残っているのだ。
 冷食の餃子を食う。ジャンプ+の更新をチェックする。ドラゴンボールの最新話(437話)、「しかし いいよな 悟空はあの世じゃトシをくわねえんだもんな」というクリリンに対して「まあな クリリンも死んでみるか?」と悟空が応じるコマに続けて、先と同じサイズのコマでアップになったクリリンが「やめてくれよ」「オレは 今 すっげえしあわせなんだからよ」と応じるこのモンタージュ、やっぱり不自然だよなと思う。これ、高校生のときだったか、あるいはすでに大学に進学したあとだったか忘れたが、(…)の実家をおとずれたときにコミックスで読んで、あれ? なんかここのリズム変ちゃう? と思った記憶がある。まだ本を本格的に読むようになる前のことだったはず。
 M-1ウエストランドが優勝したという報道に触れる。YouTubeに決勝戦の動画があがっていたのでそれだけ試聴する。ワールドカップの日本戦についてもいえることだが、おれもなかなか俗情と結託しまくりやなと思う。ま、俗情と結託することすらできんやつになにができんねんという論法も成り立つわけだが。
 (…)くんから微信。短歌をいくつか作ったのだが、音数にまちがいがないかどうかチェックしてほしいとのこと。チェックする。中に「春は馬車に乗って」というフレーズがあったので、あれ? これ横光利一だよな? なんでこんなの知ってるんだ? と思ってたずねてみたところ、(…)先生の授業で習ったという返事。意外。(…)先生が担当しているのは翻訳の授業だったか? 温州の感染状況をたずねると、「まあ、従姉妹もう感染した」との返事。
 歯磨きをすませてベッドに移動する。ワールドカップの決勝、アルゼンチン対フランスがPK戦にまでもつれこんだらしい。最終的にアルゼンチンが優勝。前半はアルゼンチンが2点リード、後半でフランスが追いついて延長戦、延長後半にアルゼンチンがまた一点決めるもフランスがここでも追いつき、その流れでPK戦。ちなみにメッシは2ゴールで、エムバペにいたってはハットトリック。完全に漫画の決勝戦やんけ。アルゼンチンの優勝が決まったあと、モーメンツでメッシおめでとうの投稿を複数確認した。職業柄、サッカーにそれほど興味のない女子学生ばかりで構築されたモーメンツであるわけだが、にもかかわらずこうした投稿が複数認められるわけだから、中国人の若者、やっぱりけっこうワールドカップを見ているんだなという感じ。日本がドイツだったかスペインだったかに勝利した試合なんて、夜中にもかかわらず男子寮で歓声がわきおこったらしいし((…)さんが以前そういう投稿をしていた)。
 眠気をもよおすまで『私家版 聊齋志異』(森敦)の続きを読み進める。各篇、冒頭でお話の時代背景をめっちゃ説明するなと思った。すべてがそうではないのだろうが、ほとんどの場合、別にあってもなくてもよいような、それ省略しても本筋にはさほど影響をおよぼさないんじゃないの? という史実なんかが概略的に記述されるのだが、これってつまり、近代小説以前、フィクションが自明でない時代の小説の冒頭に特徴的なアレだよなと思う。小説(フィクション)を括弧にいれないというか、まずこれらの文章はどこどこのだれだれがどこどこのだれだれから聞いた話を書き取ってうんぬんかんぬんみたいな、文章の起源および出所をいちいち最初に断るような書き方を(たとえばセルバンテスの『ドン・キホーテ』なんか顕著だが)古い時代の小説はするわけだが、それとある意味よく似ているというか、『聊齋志異』はやはり怪異譚だからだろう、これは作り話ではなくマジですよと強調するための一種の下ごしらえ、リアリティの外堀を埋めていくためのアレとして、本筋とはそれほど関係ない時代背景を丹念に説明する、そういう書き方がされていると思う。リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』がはじめて上映されたとき、観客らがみんなびっくりしてその場から逃げ出そうとしたという有名な神話があるが、逃げ出さなくなった観客とはつまり、テキストの出自を問わなくなった読者であり、そのテキストで語られる出来事の真偽を問わなくなった読者である。