20221220

「まったくわからない」芸術に出くわすと、人はその制作者に向かって、よく「その意図を説明せよ」と言うけれど、それはとても無意味なことだ。日常の言葉で説明できてしまえるような芸術(小説)は、もはや芸術(小説)ではない。日常の言葉で説明できないからこそ、芸術(小説)はその形をとっているのだ。日常と芸術の関係を端的に言えば、日常が芸術(小説)を説明するのではなく、芸術(小説)が日常を照らす。
保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』)



 10時半起床。一年生の(…)さんから微信。喉の具合がやはり良くないので、今日の試験は休ませてほしい、と。了承。その反対に、(…)さんからは体調がずいぶん良くなったので、明日の試験は問題ないですと連絡。(…)くんからは感染報告。具合が良くないので今日の試験を休ませてほしいというので、お大事にと返信。
 歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。街着に着替える。自転車に乗って(…)楼の快递へ。貼り紙に記されている営業時間中におとずれたにもかかわらず、店の入り口はがっつり封鎖されている。くそったれ。もしかしたら店のスタッフが感染したのかもしれない。
 第四食堂入り口のハンバーガー店で海老のハンバーガーと牛肉のハンバーガーを買って帰宅。食す。コーヒー飲む。きのうづけの記事の続きを書く。13時半になったところで作業を中断し、午後に控えている日語会話(一)の期末試験の準備をはじめる。グループチャットに段取りを通知したり、基準点を設定したり。昨日だったか一昨日だったか、感染したのでテストの日程を変更してほしいという連絡のあった(…)さんだが、小康状態にいたったらしく、やはり今日試験を受けさせてほしいという微信が届いたので、これはもちろん了承。
 14時半から期末試験。18時前までぶっ通しでやったのでさすがに疲れた。(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの18人。問題数をかなり多めに設定したので、優秀な学生であれば10分足らずほどで片付く一方、そうでない学生はひとりで20分以上かかったりして、なかなかけっこう大変。あきらかになんの準備もしていない学生に対しては、当初予定していた問題を省略するなどの措置をとった。時間をかけたところで無駄なので。具体的にいえば、(…)くん、(…)さん、(…)さんの三人。(…)くんは高校時代から日本語を勉強している学生であるはずなのだが、しょっぱなの授業から居眠りするなどやる気のなさではほかの追随を許さぬアレで、実際、今日の出来も相当ひどかった。今回のテストは、ごくごく簡単にいえば、ひとりにつき24の問題を出し、その正答率を軸にしつつ、返答速度や発音で総合点をプラスマイナスする仕組みを採用しているのだが、まず24問中2問しか正解していない。テスト中は正答数をメモしつつ、発音の良し悪し、不正行為の気配(カメラ越しの目線でだいたいカンニングペーパーを利用しているかどうか理解できる)、その他備考を記録するようにしているのだが、彼の備考欄にはひとこと「クソ」と書き残されている。(…)さんからはテストが終わったあと、成績を教えてほしい、合格したかどうかだけ知りたいという微信が届いた。成績は全員の試験が終わったあとにつけると事前にグループチャットで報告したばかりであるのにと内心げんなりしていると、「来学期は法律を勉強する予定で、これ以上追試したくない」とあり、あ、もう日本語学科からほかの学科に転入する予定でいるのか、と思った。ま、今回のテストの出来を考えると、絶対にそうしたほうがいい。しかるがゆえに、この授業では不合格者を出すつもりはないと返信しておいた。「先生ありがとうございます! ! ! 今はとても興奮しています! !」とのこと。もうひとりの劣等生、(…)さんについては、浪人してもっと良い大学を受けなおせという親と揉めに揉めた結果(本人にその気はなかった)、授業に参加するのがほかのクラスメイトより数ヶ月遅れたというハンディ持ちであるので(そもそも彼女の顔を見るのは今日がはじめてだった)、テストの出来が悪くても仕方ない。ただ、そんな彼女の事情も汲んで、彼女が授業に参加しはじめたオンライン授業以降の内容だけを期末テストの範囲に設定していたのだが、その割には——というアレだったのがちょっと残念。親に対する反骨心からめちゃくちゃがんばってクラスメイトをごぼう抜きするタイプの学生かなとちょっと期待していたのだが。あと、途中で打ち切るほどのレベルではなかったが、(…)さんも相当まずかった。逆に良かったのは、(…)くん。ま、ダントツでクラス一位だなという印象。男子学生では(…)くんと(…)くんもいい。特に前者は大学入学後から日本語を勉強しはじめた学生であるのだが、けっこうできるのだ。女子学生では、(…)さんと(…)さんのふたりがきわだっていた。(…)さんもいい(彼女は今日感染二日目で、冷えピタみたいなのを貼ったまま試験を受けた)。この三人はこのまま勉強し続ければ、相応のレベルには達するはず。
 テストを終えたところで、ふたたび街着に着替え、自転車に乗って第四食堂に向かう。駐輪場で何度も何度もしつこく鼻水をかみまくっているおっさんがおり、おいおいだいじょうぶだろうな、とちょっとびくびくしてしまう。
 どんぶりメシを打包して帰宅。食す。モーメンツをのぞく。卒業生の(…)くんが陽性三日目であると報告している。じいちゃんのために薬局をめぐって体温計を探していた彼であるが、結局、自身も感染してしまったわけだ。浪人して(…)大学の院生になった(…)さんは、弟が40度近い高熱を出していると報告している。
 ベッドに移動して仮眠をとる。覚めたところでコーヒーを用意。デスクに向かう。(…)の事務局から(…)さんの電子版表彰状があらためて届いていたので転送する。(…)さん、よほど嬉しかったのか、「泣きそう」という。そしてすぐに賞状をモーメンツに投稿する。
 一年生の(…)さんから微信。発熱したので明日の試験をキャンセルしたいとの由。画面が真っ赤になった電子体温計の写真も送られてきたわけだが、まさかの40度オーバー。40度の大台に達した体温計、生まれてはじめて見た。
 きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年12月20日づけの記事を読み返す。(…)で期末試験を行なった日。便所の描写がおもしろかった。そういや、こんなこともあったな、と。

(…)途中で便意を催したので、(…)さんの試験をややはやめに切りあげていったんトイレでクソをすることにした。(…)の便所はマジで終わっており、どれくらい終わっているかというと、たぶんこれまで何度か書いたことがあると思うのだが、小便はまず壁に向けてする。壁沿いに溝があり、壁にかけた小便は自然とその溝に落ちるという仕組み。これは(…)の便所も同じなのだが、(…)がひどいのは大便も同じ溝式という点。まず一直線に溝が走っている。その溝には等間隔に背の低い仕切り壁が設けられている。うんこをするときには溝の両側に足をついて屈み込むことになる。屈み込むことによって前後からはいちおう姿が見えなくなるのだが、横からはほぼ丸見えである。そういう作りなので、便所にはこちらのほかにだれもいなかったが、途中でだれか入ってきたら溝にかがみこんでいる姿を横から見られるおそれもあるので、わざと入り口からいちばん遠い溝の一番端っこでクソを垂れることにした。そこは安全だと判断したわけだったが、クソを垂れてほどなく、丸出しになったこちらのケツに水がぶっかけられた。びびった。溝にたれた小便だの大便だのはその溝を定期的に流れる水がどこかに押し流してしまうわけだが(しかるがゆえに場合によっては他人のクソがじぶんのケツの真下をすさまじい速度で流れ去っていくこともあるわけだが)、その水の排出されるパイプがこちらの真後ろにあり、ちょっと信じられないくらいの勢いで水を吐き出したのだ。ケツは濡れるし、足元も濡れるし、というかこのいきおいであればふつうにクソが飛散してこちらのズボンだのシャツだのにかかったのではないかと疑われるほどで、というかそれだけではなく、びっくりして思わず立ち上がったこちらのちんこからはひきつづき小便が垂れていたわけだが、その小便がふつうにボクサーパンツかズボンにひっかかりまくった気すらして、で、マジで呆然とした、あれ、これ場合によってゲームオーバーなんでないのと思った。それでシャツだのズボンだのをその場で確認したのだが、とりあえずは無事っぽい、濡れているところもあるにはあるのだが、指でぐりぐりしてにおってみても嫌なにおいはしない。つまり、教室に戻れなくなっているほどの大惨事ということは全然ない。安心した。しかし心情的にはなかなかけっこう落ち着かなかった。

 また、この日は外教らのクリスマスディナーがあった日らしい。忙しさを理由に最初出席を断ったのだが(実際めちゃくちゃ忙しかった!)、大学のお偉いさんらも来るし、主催者である国際交流処の面子もあるし、なによりあなたはcome backしたばかりなのだからと(…)にせがまれ、だったらまあ仕方ないかとしぶしぶ参加した。そのディナーの記録。

やがてその偉いさん二人組と(…)外国語学院長がやってきた。どちらも四十代くらいだろうか。ひとりは顔も体型も髪型も金正男に似ていた——と書いて気づいたのだが、以前もパーティーに出席した偉いさんのことを金正男とこちらは書かなかったか? 然り。今月5日づけの記事に「共産党の書記長」のことを金正男と似ていると書いている。ということは同一人物なのだろうか? わからない。部屋には大中華テーブルがあったわけだが、席順でいえば金正男、そこから時計回りに(…)、偉いさん(中国の中年男性にはめずらしく短髪ではなく前髪を垂らしている)、そしてなぜか指名のあったこちら、(…)、(…)、(…)、(いつのまにか部屋にいた)(…)、(…)の奥さん、(…)、(…)外国語学院長、(…)だったと思う。金正男にしても権力者にしても、すでに一杯ひっかけてきたのかというくらい声がでかくテンションが高い。ふるまいのいちいちが、粗暴とまではいわないが決して繊細ではなく、気遣いをする側ではなくされる側であることを当然とする物腰があからさまで、それは金正男ではないほうが特にそうであったのだが、この品のなさはおそらく教師上がりではない。金正男のほうはどうかわからないが、もうひとりのほうは共産党のお偉いさんのバカ息子がまずまずのポストとしていまの立場を与えられたみたいなバックグラウンドがあったとしても、なるほどとちょっと納得できる感じ。

食事がはじまり、ワインが進むにつれて、ふたりのふるまいはますますあからさまになっていった。(…)も食事どころではない感じで、英語の話せない権力者ふたりのためにいちいち席をたって通訳を務めたりしてけっこうたえず周囲に気を配っている様子であったし、(…)にいたっては完全に小使いみたいになって権力者ふたりの空になったグラスにワインを注ぐためにしょっちゅうあちこち移動していた。心を完全に閉ざしており中国語もまったく解することのない、気難しさを絵に描いたような(…)相手にも、ふたりの権力者は一切の遠慮がなく、中国語でベラベラまくしたてて肩をバンバン叩くみたいな有様で、こちらは別に何をされたわけでもないし、むしろなぜか権力者が甲斐甲斐しくメシを取り分けてくれたりしたのだが、ふるまいのいちいちが確実に権力にあぐらをかいている人間であるのを目の当たりにして、不愉快になったわけではないがしかしびっくりした。こんなにふうにして、態度に、物腰に、ふるまいに、口調に、もろに反映されるものがあるんだな、と。なんとなくの比喩だが、酔っぱらった大人をはじめて見た子どもの衝撃に近いかもしれない。

 モーメンツをのぞく。同居の祖父母を心配していた(…)さんも感染した模様。コメント欄では(…)くんが大学を去って一日目にじぶんも感染したと言っている。ふたりのクラスメイトである(…)さんの自撮り投稿に対するコメント欄では後輩である(…)さん——ふたりは東北仲間なのだと思う——がやはり感染したことを伝えている。
 浴室でシャワーを浴びる。浴びながら、『私家版 聊齋志異』(森敦)のことをちょっと考える。むかしの物語というのはやはりあの世が近いよなと思う。『私家版 聊齋志異』のなかにもいともたやすくあの世に迷い込むような話がたくさんある。近いというか、ほとんどシームレスに越境しさえするのだが(というのは語義矛盾か、越えるべき一線がそもそも引かれていないのだから!)、こういうあの世の表象をもって、近代より前は死がごくごく身近なものであったのだ! と語るのは、なんの面白みもないクリシェだろう。それとはむしろ逆、死がある意味では現代よりもはるかに遠く未知のものであったからこそ、それに対する防衛機制として、あれほど豊かなあの世の表象が生まれたのではないかと考えてみるほうが面白いかもしれない。
 死の先にはなにもない。死とは端的な終わりである。それは、括弧抜きで考えると、ほとんど耐えられないほどの不安を呼び起こす酷薄な現実である(こちらは不安障害をわずらっていた時期、その酷薄さを——あたまでの理解ではなく——身体で経験している)。その死を括弧に封じこめるさまざまな幻想をわれわれは生きているわけだが、これは逆にいえば、先に述べた「死の先にはなにもない。死とは端的な終わりである」という認識が、共通の前提、常識、ある種の権威になっているということでもある。そうした科学的視点がある種の権威とともに成立しているからこそ、バリアとしての幻想——現代におけるなかば形骸化した信仰は大部分がこのようなものだろう——もまた成立する余地がある。
 しかしそのような科学的視点が成立しておらず共有もされていない時代にあっては、ひとびとは死の先になにがあるのかという不安や恐怖につねづね晒されることになる。現代に生きるわれわれは「死の先にはなにもない。死とは端的な終わりである」という認識こそが恐怖の源であると考えるが、そうではなく、「死の先にはなにがあるのかわからない」という恐怖こそが、当時のひとびとにつきまとっていたものなのではないか。それはもしかしたら、「死の先にはなにもない」という理解が一種の救いとなりうる、そのような恐怖をひとに呼び起こすものかもしれないのだ。この世とシームレスなあの世の表象、この世の論理や言語がある程度まで通じる、ほとんど俗っぽくさえあるあの世の表象とは、こうした恐怖に対する防衛として生じたものではないか(しかし、その場合、現代を生きるわれわれの防衛とは、いったいどのようなかたちをとっているというのか? 単なる忘却? ほかでもない死のその間際まで、資本の運動と一致した欲望に駆り立てられながらの?)。
 部屋にもどる。ストレッチをして、ヨーグルトを食す。それから今日づけの記事に着手。23時半前に中断。懸垂し、冷食の餃子を食い、ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをする。モーメンツで卒業生の(…)さんと(…)さんが陽性報告。(…)さん、40度6分の高熱。
 1時にベッドに移動。『私家版 聊齋志異』(森敦)の続きを読み進める。以下、「美少年」の一節。

(…)そこで、王生員は下僕と宿をとり、更に一夜を過ごして出かけましたが、そろそろ昼も近いというころ、としはまず十六、七、ぴちぴちした騾馬に乗り、冠も服もととのっている。顔かたちも優雅で、美少年というよりも美少女といいたいほどです。王生員は心ひかれて、思わず騾馬を寄せると、
「屈律店までまだあるんでしょうか」
 ただ細々と道がつづくばかりの原野を見やって、少年はため息まじりに言うのです。

 これ、普通だったら「ぴちぴちした騾馬に乗り、冠も服もととのっている」のあとに「少年を見ました」とか「少年に出会いました」と続けるべきだろうに、「としはまず十六、七、ぴちぴちした騾馬に乗り、冠も服もととのっている」のが誰であるかわからないまま文章が不時着している。で、「美少年というよりも美少女といいたいほどです」と、やはりその文章が誰に対する形容であるのか明かさないまま、当の人物のセリフ「屈律店までまだあるんでしょうか」をはさんで、ようやく「少年」と名指される。あきらかに破格の表現であるのだが、古い時代の作家のなかにはこうした破格、文章の上下がかっちり噛み合うことなくずれたまま進行してしまう、そういう書き方をするひとがときどきいる。ただ、そうした書き方、ある種の違和感をもたらすその破格を、技法や企みのレベルにまで洗練し全面化して書いている作家はたぶんいない。で、もうかれこれ十五年近く前になると思う、こちらは一度そういう書き方で短いメタフィクションを書こうとしたことがあった。例によって短くはおさまらず長編化し、かつ、途中で頓挫したわけだが!
 あと、「見果てぬ夢」という話がちょっと気になった。これは簡単にいえば、王子安という人物が夢の中で二十年ものあいだ宰相として豪奢に過ごしたあげく、ついには没落して山賊に首チョンパされたその途端にはっとして目が覚めるという、それだけであればよくある筋立てのアレなのだが、面白いのは、王子安の目が覚めた現実世界でも、夢のなかと同じ二十年もの歳月が経過しているという点だ。

(…)だれかが大声を上げて大斧を振りかぶったと思うと、王子安の首を切り落としました。王子安は自分の首が地面に落ちて音を立てたような気がし、はっとしてわれにかえりましたが、妻が入って来、
「なにをそんなに喚いてるのかい」
 と、言うのであります。
「いや、山賊どもがおれの権勢を憎んで襲って来たからさ」
「なにが権勢さ。どうしてそんなに酔っ払ったんだね」
「酔ってなんかいるものか」
「だって、家にはこの婆さんが、昼にはあんたのために煮たきをする。夜にはあんたのために足を温める。それが権勢だなんて、とぼけるにもほどがあるよ」
 言われてみれば、妻ももうもとの若い妻ではない。
「お前はいつそんなにとしをとったんだい」
 思わずそう訊くと、妻は馬鹿げたことをと言わんばかりに、
「そりやァ、自分を見ればわかるだろう」
「おれを……」

 目が覚めたらその夢のはじまりにいた二十年前のじぶんに戻っているわけではない。現実世界もまた二十年が経過している。とはいえ、王子安は二十年間眠り続けていたわけではない。ただ酒を飲んでちょっと居眠りしていたにすぎない。すると、夢のなかで過ごした二十年間に対応する現実世界の二十年がぽっかりと空白になってしまうわけだが、そのことに対して王子安は過度にうろたえるわけではない、「言われてみれば、妻ももうもとの若い妻ではない」と思うし、その妻に対して「お前はいつそんなにとしをとったんだい」とたずねもするが、これらはせいぜいが寝ぼけた男のふるまいのような軽さでとりあつかわれている。空白の二十年はむしろ読者が感じるものであり、王子安自身はその空白を空白としてすら認識していない(あるいは寝ぼけたあたまで一瞬認識するものの、その空白はすぐに満たされてしまう)かのようだ(実際、このあと語り手は「むろん、こうして王子安は二十年の太平の宰相が夢にすぎなかったことを知り、むしろ夢にすぎなかったことに安堵したでありましょう。しかし、夢でありながらなおそこに二十年余の歳月がたっていたのを、わたしは恐れずにはいられないのです」と続ける)。だからこの話は「浦島太郎」とは全然別種のものだということになる。むしろ、荘子のいう物化にこそ近い。

 荘子の主張の中で最も根源的な主張は「物化」である。物化とはある物が他の物に変化するというだけでなく、そのものが作り上げていた世界が、まったく別の世界に変容するということでもある。それは、儒家が考える「教化」とは根本的に異なる。教化は、小人(しょうじん)が君子や聖人になるという啓蒙のプログラムであって、教えを通じて、啓蒙されていない状態から、啓蒙された状態に変化することだ。それは目的論的に方向づけられた変化であり、端的に言えば君子を目指す変化である。
 それに対して、物化には定められた方向がない。

 かつて荘周が夢を見て蝶となった。ヒラヒラと飛び、蝶であった。自ら楽しんで、心ゆくものであった。荘周であるとはわからなかった。突然目覚めると、ハッとして荘周であった。荘周が夢を見て蝶となったのか、蝶が夢を見て荘周となったのかわからない。荘周と蝶とは必ず区別があるはずである。だから、これを物化と言うのである。
(『荘子』斉物論)

 有名な胡蝶の夢のこの一節に物化の定義が尽くされている。すなわち、「荘周と蝶とは必ず区別があるはずである」という前提のもと、荘周が蝶になり、蝶が荘周になることが物化である。言い換えれば、自他の区別がなくなることではなく、自他が独立して存在しながらも、まったく別の存在様態を有した他なる物に変化することなのだ。それとともに、その変化の背後に、それぞれ夢と目覚めというまったく別々の世界が想定されている。荘子は物化を通じて、他なる物に変化するだけでなく、その物が属している世界そのものが変容するという事態を見通していた。
中島隆博中国哲学史—諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで』)