20221221

 新人賞の応募作品やたまに私のところに直接送られてくる作品を読んで、テクニックのないものはまず一つもない。文章も十分にうまい。比喩の使い方も立派なものだ。
 しかし問題は逆で、みんなそれらを使わないことを考えていない。それらを所与のもの、つまりすでに技法として確立されたものとしてしか考えていないために、それらが、なぜ小説の中で使われるようになったのか、という起源への発想・疑問を忘れている。
保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』)



 たしか9時半ごろに目が覚めたはず。二度寝しようと試みたがうまくいかず、寝床でぐずぐずするだけとなった。そういえば書き忘れていたが、きのうだったかおとついだったか、(…)からグループチャットに通知があり、これからはもう毎朝健康コードのスクショを送る必要はないという話があったのだった。本当になにもかもがすさまじい速度でうらがえしになっていく。
 歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。一年生の(…)さんから微信。具合がよくなったので今日試験を受けてもいいですか、と。了承。同様の連絡は(…)さん、(…)さん、(…)さんの三人からもあった。三年生の(…)さんからも微信。コロナに感染してしまった、家にはプリンターがないので日曜日に控えている期末試験の回答用紙を印刷することができない、ただのA4用紙に答えだけ書いて提出してもいいかとの問い合わせ。大学の確認はとっていないが、こちらの裁量で問題なしとする(下手に問い合わせなどすると、クソみたいな形式主义に巻き込まれる可能性があるので、こういう場合はシステムをよく理解していない馬鹿な外人としてふるまったほうがよろしい)。熱は39度に達したらしい。「昨日は本当に死にそうな感じで、寒く感じましたが汗びっしょりで、全身が痛いです」「本当に涙を流しながら頭がふらふらして気絶しそうになりました」とのことで、なんか感染した学生らのアレを見ていると、39度オーバーが全然めずらしくないんだが、オミクロンってこんな感じなの?
 街着に着替えて部屋を出る。予報によれば、今日の最高気温は17度。ありえへん。自転車に乗って(…)楼の快递へ。やはり入り口が封鎖されたまま。おもての貼り紙も昨日と変わらず。こちら以外にも荷物の回収に来ていた女子学生がふたりほどいたが、みな閉め切られた入り口を見てすごすごと退散する。となりにある別の快递に入る。カウンターにいるおっさんに、となりはいつ開いているんだ? と中国語でたずねると、まるで凶悪な魔物の群れによって村人を全員殺されてしまった村長(むらおさ)のように、無言のままゆっくりと首を横にふってみせる。そんな芝居っ気いらんねん!
 第四食堂に向かう。ハンバーガー店、ついに閉店。もうどんぶりメシの店と、まずいほうの麺の店と、餃子の店しかやっとらん。どんぶりメシを打包して帰宅。食し、コーヒー飲み、きのうづけの記事の続きをカタカタカタカタやりまくる。
 14時になったところで作業を中断し、日語会話(一)期末テストの後半戦に備える。半になったところで開始。今日は(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、それに二年生転入組の(…)さんの合計21人。昨日と同様、18時までぶっ通しでやったわけだが、クソ疲れる。一年生の授業を前期から担当するのは今年がはじめてであるし、比較対象がないのであまり勝手なことをいうのもアレなんだが、このクラスちょっとやばいかもなという懸念はけっこうおぼえる。暗記さえすればどうにでもなるタイプのテストなのに、こんなにもできないのかという学生がちょっと多すぎる。そもそものやる気がない学生は別にもうアレだからいいんだが、中盤の層が正直めちゃくちゃ薄い。これは今後厄介なクラスになるかもしれん。杞憂で終わることを願う。
 優れていた学生。(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん——と、こうして羅列してみると、半数近くに達するわけで、あれ? そう考えてみると悪くないクラスかも? (…)さんと(…)さんのふたりは高校二年生のときから日本語を勉強しているコンビなので問題なし。(…)さんは発音もまずまずよろしい。(…)さんは発音や反応速度はそれほどでないが、このクラスで唯一24問すべて正解という快挙を成し遂げている。(…)さんは間違いこそいくつかあったものの反応速度がたいそうよく、みっちり準備してきたなというのがよくわかるアレだったので、その分高く評価してあげたい。(…)さんも高校二年生のときから日本語を勉強している学生なのでやはり出来がよいし、(…)さんは大学から日本語を勉強しはじめた学生であるがその(…)さんとほとんど変わらない点数をおさめている。(…)さんはその二人を上回る成績であるし、備考欄には「優秀」とメモ書きが残されている。(…)さんと(…)さんのふたりはめちゃくちゃ印象に残っている。ふたりとも病み上がりにもかかわらずほぼパーフェクトなスコアを達成している。反応速度もよいし、発音も悪くない。なにより授業中の態度がたいそう良いし、このふたりはたぶん今後クラスのトップに君臨し続けることになると思う。すばらしい。一年後にこの記事を読み返したとき、「この子たち、このときはまだ真面目だったんだなぁ」とがっかりするようなことがないのを祈る。(…)さんはちょっと期待外れ。しっかり勉強している学生だと思っていたのに、テストの出来栄えがいまひとつだったので。
 ダメダメだったのは、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの四人。(…)さん、ひどすぎるので途中で問題を打ち切っている。備考欄には、日本語の「お金」がわからないとメモ書きされている。(…)さんも同様。備考欄には「準備不足! ダメ!」とある。(…)さんは今日一番やばかった——というかこのクラス全体でいちばんやばいかもしれない。モーメンツでしょっちゅう日本語を勉強したくないと嘆いている学生であるし、授業中もまったくやる気がないし、ある意味予想通りではあったのだが、カメラの前でめちゃくちゃ堂々とカンニングペーパーを見ているにもかかわらず、16問中3問しか正解できないレベルで、残る8問に関してはそもそも問題の趣旨を一ミリも理解できていない。備考欄には昨日の(…)くんにひきつづき「クソ」と残されている。彼女からは試験が終わると同時に、実はコロナに感染して熱が40度以上あり——というような弁明が届いたのだが、本当かどうかはわからない。熱がある学生は後日別の日程で試験をやりましょうという話を、こちらはグループチャット上でもたびたび通知しているわけだが、まあ、見ていなかったのかもしれない。後日再試験しましょうとひとまず受けたが、正直、熱が引いたところで結果はそれほど変わらないだろう。ただ、問題の傾向を理解したうえでの新手のカンニングペーパーを仕込んでくる可能性はあるので、そこはちょっと厳しく対処したい。やる気がないのであればやる気がないままでいいのに、いざテストや成績となると、不合格にはしませんよと事前にこちらが通知しているにもかかわらず、あの手この手を使って高得点を狙おうとする学生たちはいったいなにを考えているのだろうとはよく思う。以前だれだったか、学生にこの話をしたところ、それこそ中国人の面子の問題ですよみたいな反応があり、え、面子って若い世代のあいだでもいまなお息づいている文化なの? とちょっと驚いたことがあったのだが。(…)さんはほかの三人に比べるとまだちょっとマシだが、「お金」のことを「おきむ」と最初発音しており、三時間ぶっとおしでテストをやっている疲れもあって、それを聞いた瞬間、全身から力が抜けて死にそうになった。《「大学でスペイン語を教えています」と彼は言った。「砂漠に水を撒くような仕事です」》(村上春樹)。然り。
 テストを終えたところでふたたび第四食堂へ。どんぶりメシを打包。帰宅して食す。ベッドに移動。上の部屋か、あるいは下の部屋か、もしかしたら階段かもしれないが、アホみたいにうるさい音でなにかをガンガンガンガン叩きまくる音がしはじめたので、耐えられずに「うるせえ!」「殺すぞ!」と叫んで対抗する。マジでクソイライラする。
 仮眠とる。浴室でシャワーを浴び、ストレッチをし、きのうづけの記事を投稿する。ウェブ各所を巡回し、2021年12月21日づけの記事を読み返し、今日づけの記事も一気にここまで書く。途中、母親からLINEが届く。母と弟の誕生日祝いの食事をずっと延期し続けていたのだが、弟が金を出すというので今日和食を食ってきたという写真付きの報告。弟は高校卒業からずっと、かれこれ15年以上ニートをしていたのだが、去年の冬だったか一昨年の冬だったかをきっかけに、(…)職人として(…)のところで働くようになったのだ。あいつ眠りつづけたまま死ぬ獅子かもしれんぞとこちらはよく冗談で言っていたのだが、最近ようやく覚めたらしい。寝るんもたいがい疲れるしな。

 冷食の餃子食う。食い終わったところで筋トレし忘れていることに気づく。ジャンプ+の更新をチェックしながら歯磨きをすませる。このままだと仕事だけの一日になってしまうのでそれはイラつくというわけで、0時から1時半まで書見。『「エクリ」を読む 文字に添って』(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳)の続き。

 第3章でフォルト - ダーの二項論理について議論した際に見たとおり、母の不在は、象徴化されるまでは無なのであって、まだ「喪失」ではない。不在は、それに名が与えられるまでは何らかの物事として理解されすらしない。母の不在に名を与えるにせよ、ペニスの不在に名を与えるにせよ、言語はまさしく名を与え意味を生じさせるプロセスそのものによって、不在の重圧を軽減する力を発揮する。不在に名を与えるとき、言語はそれを、語られうる何ものかとして、すなわち私たちのディスクール界に実在する何ものかとして存在に持ち来たらす。これによって不在にともなうやっかいな負荷を流し去るのである。欠如や不在が象徴化されるときにはいつでも、ひとつの正量化が必ず起こっている。発話のなかでシニフィアンを使用する私たちの能力は、不在に打ち勝ち、喪失を正のものへと止揚するのだ。
 ラカンによれば、ファルスとはまさにこうしたアウフヘーベンの象徴であり、言語が実行する喪失の止揚あるいは正量化の象徴である(E 692)。ラカンの用語法においてファルスは、まさにこのプロセスと力の名前である。あるいは、1970年代に彼が述べていた言葉で言えば、「ファルスが表示するものとは、意味作用の力[puissance]である」(…)。ファルスは、シニフィエを存在へともたらすシニフィアンの力を指し示す。つまり、シニフィアンの創造的な力である(シニフィエはいつもすでにそこにあるとはかぎらず、象徴化されるのを待っている)。「ファルスの意味作用」で述べられているように、「[ファルスは]意味の効果を全体として指し示すためのシニフィアンである」(E 690)。この意味において、この論文のタイトル(「ファルスの意味作用 la signification du phallus」)を「意味作用としてのファルス」と理解することもできるだろう。というのも、ラカンにおけるファルスとは、意味作用そのもののシニフィアンであるからだ。つまり、シニフィアンが物事を意味する仕方のシニフィアンなのである。ラカン自身、後になってこの論文のタイトル(『エクリ』ではドイツ語のタイトル“Bedeutung des Phallus”も併記されている)はひとつの冗語表現だとして、こう述べている。「言語のうちにはファルス以外の意味 Bedeutung はない」のであり、「言語はたったひとつの意味 Bedeutung によってそれが構成されているという事実から、その構造を引きだしているのである」(…)。
(『「エクリ」を読む 文字に添って』より「第5章 ラカン的ファルスとルートマイナス1」 p.198-199)

 ここを読んでようやく「ファルスの意味作用」とか「意味作用としてのファルス」とか、ラカン関係の本でしょっちゅうでくわす謎めいたフレーズの意味が理解できた気がする。言語(意味作用)の起源には、母の存在(〈もの〉の享楽)と不在(その喪失)の「二項論理」があり、その「二項論理」を起源とする意味作用のことを「ファルスの意味作用」ないしは「意味作用としてのファルス」というわけだ。あらゆる意味がファリックである(性的である)という表現も、その水準で理解すればいい。不在をそれとして名指し、命名し、「正のものへと止揚」し、「正量化」するという言語の根本的な作用が(原-象徴界のセリーを象徴界として構造化する作用が)、そもそも、母子未分化状態(〈もの〉の享楽)の喪失に端を発している。だから言語とはそれ自体が享楽にかかわる性的なものだといえるというわけか。
 その後、ベッドに移動。『私家版 聊齋志異』(森敦)の続きを読み進めて就寝。