20221224

 彫刻家の若林奮とⅠ章でも紹介した前田英樹が対談した『対論・彫刻空間 物質と思考』(書肆山田)という本の中に、なぜ画家の描く線と濃淡だけの模様ないし汚れであるところのデッサンが他人に「絵」として伝わるのか、という話が出てくる。たとえば、画家が石をデッサンしたとして、どうして紙の上に書かれた線と濃淡だけの汚れが、私たちに石だと理解されるのか。つまり、三次元空間である外界を、絵という二次元の紙の上に変換したとき、なぜそれが私たちには三次元空間の再現だとわかるのか、という疑問である。
 これについて前田さんは、「画家が自分の体とそれによる運動を使って、三次元空間にある対象を二次元に強引に押し込んだからだ」という意味のことを言っている。子どもはみんな絵を描くけれど、それは子どもがこの世の中に絵というものがあることを知っているからだ。たとえば、花の絵を描く子どもは、花そのものを描いているのではなく、花の絵を見て花の絵を描いているだけだ。自分の前に絵がなくても、絵を立ち上げることができるのは、本当の画家しかいない。
 同じことは、小説についても言えると思う。小説の読み手が目にするのは文字だけなのに、風景描写を読めば、読み手なりにそこに描かれた風景を思い浮かべることができる。これは不思議であり、驚くべきことでもあって、小説の書き手もまた、画家が三次元を平面に押し込んだように、三次元の風景を文字に変換しているということで、そこには強引なまでの力が加わっているはずだ。
 風景を書くのが難しい理由の本質はここにある。三次元である風景を文字に変換する(押し込める)ということは、別な言い方をすると、視覚という同時に広がる(つまり並列的な)ものを、一本の流れで読まれる文字という直列の形態に変換するということでもある。
 風景描写の大変さを痛感しているとき偶然、養老孟司さんが芭蕉の「古池や〜」の句にふれて、同じ主旨のことを言っているのを読んだ。論理的な思考というのは難しいと思われがちだが、論理も言語もどちらも線的(直列的)な構造であるため、人間の脳にとっては同じ質の作業に属するのでさほど難しいことではない。しかし、知覚全般は一挙的(並列的)なため、それを線的(直列的)な言語に置き換えるのは脳にとって負担が大きく、それゆえ感動も大きくなる。「古池や蛙飛び込む水の音」は、たったこれだけの長さしかないのに、視覚と聴覚の両方にまたがってイメージが駆けめぐるところが素晴らしいのだ、と。
保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』)



 8時前に一度目が覚めた。妙な夢をみた。宇多田ヒカルと親戚関係にあるという夢。しかしそのことを宇多田ヒカルは知らないし、こちらも知ってほしくないと考えている。宇多田ヒカルのロングインタビューが掲載されている雑誌がある。夢に特有の矛盾に満ちた不明な理屈により、ほかでもない宇多田ヒカル自身がそのインタビューを読むことでこちらと親戚関係にあることに気づいてしまうことを、こちらはどういうわけか心配している。その心配というのは、自分自身にかかわるものではなく、相手にかかわるものらしい。つまり、こちらはなんらかの理由により、宇多田ヒカルを気遣っており、彼女がこちらと親戚関係にあることに気づかないよう手を回しているようなのだ。そういう背景のもと、あれはたぶん地元の、(…)中学校にいたる長い坂道の途中だと思うのだが、その坂道をひとり歩いている。夕暮れ。歩くこちらのかたわらに車が停止する。運転席には宇多田ヒカルが乗っている。乗っていく? というので、あーどうしようかなみたいな返事をする。もし親戚関係にあることがバレたら、こちらは彼女のことを「お姉ちゃん」と呼ぶことになるのだろうかと考える。考えた瞬間、あ、女きょうだいのいる家庭というのは要するにこういう感じなのだなと、ある種の納得を得る。
 変な後味のする夢だったので冴えてしまった。とりあえず便所にたって小便をし、口をすすぎ、それから白湯を飲んだ。そうしてベッドに移動し、二度寝をこころみるわけだが、やはり夢の奇妙な味わいが尾を引き、なかなか寝つくことができなかった。
 次に目が覚めると10時半だった。院試会場に到着したらしい(…)くんから微信が届いていた。「美人いっぱい!」「芸術生の美人」との由。試験に集中しろバカ! 彼は去年も上海でN1試験を受けたとき、会場入りしてすぐにこちらに美人がたくさんいる! と微信を寄越したことがあった。おれのことなんやと思うとんねん。
 歯磨きをしながらスマホでニュースとモーメンツをのぞく。このときであったか、あるいはのちほどであったか忘れたが、とうとう(…)先生まで感染報告していた。これで世話になっている教員ふたり、つまり、(…)と(…)先生のことであるが、そのふたりが連続して倒れたわけだ。
 食パンを食す。二枚にとどめるつもりだったが、ちょっと足りないかもしれない気がしたので、さらに追加して二枚食す。いや、さすがに四枚は食べ過ぎだ。三枚で良かった。「朝食は食パン四枚です!」なんて言ったら、すごい食いしん坊の馬鹿みたいだ。絶対ひとに言いたくない。
 食後のコーヒーを二杯たてつづけに飲みながら、きのうづけの記事の続きを書く。14時をまわったところで中断。二年生のグループチャットに日語基礎写作(一)期末テストその四の通知を送る。今日試験を受けるのは、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの合計8人の予定だったのだが、(…)さんからは「先生、すみません、私は2日間熱があって、病院から帰ってきたばかりです」「来週の試験に変更できますか」と連絡があったので了承。一年生と二年生の試験延期組は全員月曜日の午後にまとめて片付けることにする。
 テストは45分で終わった。(…)さん、(…)さん、(…)さんの三人は良かった。(…)さんと(…)さんはボロボロ。(…)さんがボロボロであるのは織り込み済みであるのだが、(…)さんこんなにできないのかとちょっとショック。
 テストの片付いたところで、きのうづけの記事を投稿する。ウェブ各所を巡回し、2021年12月24日づけの記事を読み返す。以下のくだりを読んで、あったな! そんなこと! と笑ってしまった。

昼飯は第五食堂で打包。道中、こちらの左隣を追い抜いていったおばさん? お姉さん? が「アイヤー!」的な言葉を口にしながらこちらのほうを振り向いた。しかしすぐに前に向き直ったので、たぶん誰かと見間違えたんだなと思っていると、(…)老师うんぬんと言ってまたこちらを見るので、(…)さんの知り合いなのかと驚いた。それで(…)さんを知っているのかと中国語でたずねると、知っているという返事があった。彼はいまどこにいるのだというので、日本だと応じると、いつ中国に来るのだと続くので、知らないと応じた。一緒に飯を食おうみたいな流れになった。めっちゃ嫌だったので、ここから怒涛の中国語はわかりませんモードに切り替えた。英語はできるか? 英語で話してくれないか? と中国語でお願いした。相手が英語はできないだろうことを見越してのお願いだったのだが、そのお願いを中国語でしてしまったのが過ちだった、相手は頑なに中国語で会話を続けた、じぶんは韓国に留学していたことがあるとかなんとかいうので、(…)さんが一度韓国語の教師とデートしたみたいな話をしていたが、もしかしてその彼女なのだろうか? いや、面食いで若い子好きの(…)さんがこのひとを選ぶとは思えないし、目当ての子の同僚とかそういうアレなのかもしれない——と考えていると、女性は第五食堂の一階に入った。おれは二階で打包するからといって去った。女性はあとを追いかけてきた。勘弁してくれ。故郷はどこなんだという。(…)県なんて言ったところで通じるわけがないので、京都だと応じた。いつもの店で打包。先の女性は別の店でオーダーしたものを持って近くの席についていた。確実にこちらとここで一緒にメシを食う流れを作り上げていたが、マジで嫌だったので、バイバイと告げて去った。ちょっと冷たすぎたかもしれないと後で反省したが、おれにはおれの時間と流儀となによりも習慣というものがあるのだから、とにかくそれを邪魔しないでくれという気持ちだ。フラグって何? チャンスって何? んなもんガソリンぶっかけて火つけちまえ!(OMSB)

 17時を過ぎたところでキッチンに立つ。夏休み以来となる自炊。まず、まな板を捨てることにした。この寮に越してきた当初からキッチンにある、分厚い円形をした木製のまな板。でかい切り株を輪切りにしたようなブツなのだが、たぶん何度も何度も熱湯にさらされたからだろう、いつからか表面にでかい亀裂が入っており、もともと持ち重りがして使い勝手の悪かったところ、ますます使いづらくなりつつあったので、もう処分してしまうことにしたのだ。代わりのまな板はある。一般的な白のプラスチックのやつで、これも越してきた当初から寮にあったはず。違ったか? 步步高で買ったのだっけ?
 米を一合炊く。夏休み中も一合食っていたのだったか? 最初は一合食っていたが、途中からちょっと量を減らすようにしたんではなかったか? もう忘れちまった。収納からタジン鍋もひさしぶりにとりだす。で、ブロッコリーとトマトとパクチーを適当にカットする。鶏の胸肉もあれはたぶん200グラムほどだろうか、やはり適当にカットする。で、そいつらをタジン鍋にぶちこみ、みじんぎりしたにんにくをぶちまけ、鸡精と塩とごま油をぶっかける。あとはレンジで7分チンするのみ。
 ひさしぶりにメシを作ったので、段取りも悪くなっているし、目分量も忘れてしまっているしで、できあがったものはあまりうまくなかった。まず料理酒を使うのを忘れていたし、ブロッコリーの茎を食うのであればレンジで7分は短すぎる、8分くらいしたほうがおそらくいい感じ。ま、このあたりはあと二回か三回トライするうちに、勘を取り戻すことができるはず。どうせ毎日同じものを食うのだし、嫌でも上手になる。
 食後はベッドに移動。『荘子の哲学』(中島隆博)の続きをKindleで少々読み進める。で、仮眠。目が覚めると、国外居住組を含む外教のグループチャット上でクリスマスを祝うメッセージがやりとりされている。フルオープンに舵を切りつつある現状、国外居住組もそう遠くないうちに(…)にやってくるのだろう。歓迎会がうんぬん、会議がうんぬん、ディナーがうんぬん、またクソめんどくさいイベントがいろいろ待ち受けているわけだ。もうちょい英語の練習をしておいたほうがいいかも。
 コーヒーをいれて「実弾(仮)」執筆。20時から22時までカタカタやった結果、プラス3枚で計977枚。第三稿、無事あがった。第四稿に着手するのは年明け以降でいいか。これから期末試験の採点作業や成績表の記入作業をはじめとするペーパーワークがいろいろひかえているわけであるし。あと、第四稿にとりかかる前に、全体の見取り図みたいなものを作成して印刷し、デスク正面の壁に張りつけておきたい。それから漢字のひらきについてもそろそろ基準を作成しておかないといけない。これがめんどくさいんだよなァ。
 ところで、今日の執筆前、ずいぶんひさしぶりにペーパードリップでいれたコーヒーを飲んだのだが、これがなぜかものすごくアルコールくさいものになった。アルコールというか、以前(…)さんにおすすめされたやつを淘宝で購入したあのブランデー風味のコーヒーみたいな味がしたのだが、これはいったいどうしてなんだろう? これまでそんなことなかったと思うのだが、もしかしてここ数ヶ月ずっとネルドリップでばかり飲んでいたために、ペーパードリップ特有の香ばしい雑味みたいなものをこちらの舌が受けつけなくなったのだろうか?

 執筆中、母からLINEが届く。大陸がこのような状況だからだろう、最近頻繁に連絡がある。(…)では雪が降ったらしく、となりの家の屋根を雪が覆っている写真や、散歩中の(…)が鼻水を垂らしている写真などが送られてくる。コロナのことをやはり心配している様子だったが、薬とポカリをはやめに買って備蓄してあるので心配ないと返信。そういえば、今日だったか昨日だったか忘れたが、どこにいっても薬が手に入らないと(…)さんがモーメンツで嘆いていた。淘宝ですら購入することができない、と。こんなことが起こるとは思ってもなかったと嘆きは続いていたが、こちらからすれば、いざ感染爆発となったら薬だのマスクだの備蓄用の食料だのに関する買い占めが起きるのは自明であるというか、むしろそうならない未来のほうが見えなかったわけだが、これってもしかすると、壁の内側にいる人民たちはそれこそ四月の上海でどのような事態が生じていたか、その後の各都市でいかなる問題が巻き起こっていたのか、マジで全然知らないからなのかもしれない。そう考えると、気が重くなる。
 ジョギングに出る。寒いので薄手のジョギングウェアには着替えない。どうせ学生もキャンパスにいないのであるしとパジャマのまま走ることにする。寮の外に出たあと、じっくりストレッチしてから走り出す。気温は8度。後半かなり疲れたというか、けっこうバテバテな感じだったので、思っていたよりも飛ばしたのかな、タイムも相当いい感じになっているんじゃないかなと思ったが、地下道入り口に達した時点で12分50秒、前回より20秒も遅い。なんでや。キャンパス内では当然ほとんどひととすれちがうことがなかった。歩行者をふたり見かけただけ。あとは電動スクーター一台とすれちがった。清掃員がいないせいで道路端に散り敷かれたままになっている黄色い落ち葉が、そのスクーターが過ぎ去ったあとの風に吹かれて軽く舞い上がり、ぱらぱらぱらぱら小雨の降るような音をたてるのを聞いた。
 帰宅。部屋にもどり、白湯を飲む。階段を男と一緒にあがってくるやかましいババアの声をひさしぶりに耳にする。週末の23時以降、酒に酔ったような大声でわめきながらうちの棟の階段を男と一緒にあがってくる、あのクソババアだ。こちらの部屋の真上に位置する爆弾魔のところの客なのか、それとももう一室のほうの客なのかはいまだに謎。とにかくうるさいし、声に品がない。こいつとカラオケ行ったら地獄だろうなと思う。
 シャワーを浴びる。ストレッチをする。冷食の餃子を食し、ジャンプ+の更新をチェックする。それから今日づけの記事を書きはじめる。途中、二年生の(…)くんがクラスのグループチャットにMerry Christmasと投稿。ほかのクラスメイトらが全然反応しないことを嘆いてみせるので、みんな寝ているか、期末試験の勉強をしているか、恋人と一緒に過ごしているんだよと応じる。Merry Christmasで思い出したが、外教のグループチャットでHappy holidaysという表現を使っている人物はひとりもいなかった。
 1時になったところで作業を中断。明日は朝から日語閲読(三)の期末試験なので早起きしなければならないのだ。寝床に移動し、眠気を催すまで『荘子の哲学』(中島隆博)の続きを読み進める。