20221225

 しかしやっぱり山の景色というのは猫よりずっと難物で、部分と全体のバランスがなかなか取れない。で、そうなると今度は山を見ているときの自分の気持ちも動員することになる。
「自分の気持ちを書きたくて山を書く」のではない。
「山を書くために自分の気持ちも書く。そうしなければ山が書けない」のだ。
保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』)



 7時45分にアラームで起床。きのう寝たのはたしか3時をまわっていたはず。寝不足のせいで、体を起こした一瞬吐き気を覚えるが、すぐにおさまる。鞭打って活動開始。歯磨きをちゃちゃっとすませ、白湯を飲み、三年生のグループチャットに8時半から期末試験開始であることをあらためて通知する。
 VoovMeetingをたちあげる。スマホ、パソコン、教科書、配布資料など、なんでも使っていいという形式のテストにしたので、ビデオ通話モードにして試験中の学生らを監視する必要はないのだが、大学側のスタッフがちゃんと試験をおこなっているかどうか「会議室」をチェックしにくる可能性があるらしいので、その旨学生らに告げる。つまり、これはあくまでも形式的なものでしかないと断った上で、「会議室」に入室するだけしておいてくれ、と。カメラもマイクもオフにしていいと伝えたのだが、何人かの学生はビデオをオンにしていたようで、試験中、回答用紙に向かう学生らの顔が画面に表示された(ところで、彼女らの顔が消えたりあらわれたりをくりかえしていたのは、Wi-Fiの弱さが原因ではなくアプリを提供している会社側のサーバーの問題だと思うのだけど、実際はどうなんだろう)。
 試験開始時刻の8時半になったが、三人足りなかった。グループチャット上で呼びかけて数分待ってみたものの、状況が変わらないようだったので、いまログインしていない人間は最悪追試になるかもしれないと告知した上で、問題用紙をグループチャット上に配布した。その後、名簿とログイン中のアカウント名一覧をにらめっこしてみたところ、試験に参加していないのは(…)さん、(…)くん、(…)さんの三人であることが判明。(…)さんはわかる。彼女はそもそもオンライン授業をほぼすべて欠席しているし(毎回一時間近く遅刻してくるのだが、大幅な遅刻は(…)にならって欠席として取り扱うことにした)、教室授業のときすらサボり、遅刻、居眠りの目立つ学生だった(それでいて、リスニングのテストではクラスで最高得点をとっており、成績も優秀であるという話を以前、(…)さんと(…)さんと一緒に散歩しているときに聞いたのだが、それがちょっとよくわからない)。だから期末試験の日程もそもそも把握していないのだと思う。しかし(…)さんと(…)くんのふたりに関しては、どちらもかなり優秀な部類に入る学生であるので、おいおいなにやってんだよとなる。試験開始後20分ほど経ったころだったろうか、ふたりはそろって途中入室した。(…)くんからはのちほどスマホの充電が切れてアラームが作動しなかったという弁明が届いた。(…)さんからは特に連絡なし。で、残るひとりである(…)さんからは、試験終了間際、「先生、すみません、ここ数日体がとても具合が悪くて、今朝も目覚まし時計が聞こえませんでした、私の答案用紙は少し遅れて提出してもいいですか?」と連絡が届いたが、先に述べた事情があるので、その弁明を素直に受け取ることはなかなかできない。とはいえ、一方的に嘘と決めつけるのはアレなので、ひとまずはその言葉を事実としてみなし、試験無断欠席による不合格という扱いにはしないことにする。もっとも、彼女の場合、平常点がまずものすごく低いので、仮にこのテストで良い結果をとったとしても、総合成績は普通に不合格になる可能性が高いわけだが。大学の監査がすでに入っている可能性もあるし、そうであれば試験に出席した人数がひとり少ないことは大学側にバレているわけであるから、その場合は追試扱いになりますと一応念押しだけしておく。
 テストを最初に終えたのは(…)さん。まだ一時間も経過していなかったと思う。学生らから続々と送られてくる答案用紙を撮影した画像をファイル内に整理する。画像は微信のアカウントに直接送ってもらったのだが、(…)くん、(…)くん、(…)さん、(…)さん、(…)くん、(…)さんはいまのいままで「友達」になっていなかったらしい。(…)くんと(…)くんなんてしょっちゅう一緒にメシを食いに行っていたというのに、いまだに連絡先を交換していなかったのかと驚いた。(…)さんと(…)くんのふたりからはコロナに気をつけてという伝言もあった。ふたりともすでに感染後の回復過程にあるわけだが、「先生、絶対コロナが感染しないで、辛すぎる」「自分が死にそうな気がする」とのこと。
 コロナといえば、「中国、新型コロナのゲノム解析禁止 感染爆発で変異株の情報統制か」(https://mainichi.jp/articles/20221224/k00/00m/030/283000c)という記事を読んだのだった。毎日新聞の有料記事なので序盤しか目を通すことができないが、これ、感染者数の公式発表をあきらめたというニュースなんかよりもよほどやばい(あれに関しては単純に従来の方法では追跡できなくなったのだろうという側面があるので)。武漢のときから結局なにも変わっていない。100%混じりっけなしの隠蔽体質。

 新型コロナウイルスの感染爆発が起きている中国で、中国政府が11月下旬、中国内に拠点を置く民間の受託解析企業に対して新型コロナウイルスのゲノム配列の解析を当分の間、行わないよう通知していたことが関係者の証言で明らかになった。中国政府は変異株の動向に関わる情報を厳格に管理することで、中国内で新たな変異株が発生した場合などに、国内外の世論に与える影響を最小限に抑える狙いがあるとみられる。
 14億の人口を抱える中国での大規模感染で、新たな変異株が発生する懸念については米政府なども指摘している。中国の保健当局は解析や分析を続けるとみられるが、民間企業や研究機関が自主的に行う解析を制限し、情報統制を強めれば、ウイルスの変異の早期発見やワクチンなどの開発に影響を及ぼす懸念もある。

 テストのすんだところで街着に着替える。后街の快递に荷物の回収に出向くべく出発。自転車に乗る。全然ひとのいないキャンパスをえっちらおっちら漕ぎすすむ。いちおう確認するだけしてみようと第四食堂の前を通ってみたところ、入り口が開いており、中の照明がついているのも確認。今日が最後の営業日なのだろうか?
 そのまま南門へ。開放されている。よかった、よかった! 南門が閉ざされたままであると、実際、かなり不便なのだ。后街へ。店は半分以上が閉まっているが、これは別にコロナのせいではない、后街にある店のほとんどは学生を相手にしているアレなので、院試対策で大学に残る四年生がそれ相応の数いる夏休み中はまだしも、基本的にキャンパスがほぼ無人となる冬休みのあいだは大半の店がシャッターを下ろすのだ。当然ひとも全然いない(にもかかわらず路上はごみだらけだ!)。ふらふらと買い食いしている中学生か高校生くらいの男が横並びになって歩いているのを追い抜く。美团の黄色い制服を着た配送スクーターと数台すれちがう。
 目的の快递へ。前回もおとずれた、同じ通りにある別の店舗から100メートルも離れていないところに引っ越して新規開店したばかりのあの店舗。倉庫のなかに並んでいる棚には、その棚に置かれている荷物番号の頭文字数桁を印刷したステッカーが貼られている。だから荷物の回収にきた人間はスマホで荷物番号を確認しつつ、各自じぶんで棚から荷物を引き取る必要があるのだが、店の棚に貼られているステッカーの番号がどれもこれもこちらの荷物番号と大幅に異なる。おかしいなと思っていると、N95を着用した男性がこちらのもとにやってきて、何番の荷物を探しているのだという。スマホを見せる。それなら奥にあるという。言われたとおりに奥の部屋に入る。そちらにも荷物をのせた棚が図書館の書棚のようにずらりと並んでいるわけだが、ステッカーの番号にはやはり見覚えがない。よくよく観察してみる。ステッカーの番号とその棚に並べられている荷物の番号がまったく一致していない。それで事情を把握する。たぶん以前の店舗で使っていた棚をそのまま使い回しているのだ、しかるがゆえに本来は棚のステッカーをこのあたらしい店舗用に貼りなおす必要があるのだがその時間をまだとることができずにいるのだ、たぶん。
 荷物をふたつ回収する。ひとつはネルドリップ用のあたらしいフィルター。もうひとつは冬物の白黒ストライプのイージーパンツ。回収手続きはなぜかおっさんが引き受けてくれる。バーコードを機械に読み取らせるだけ。小包に記載されているこちらの名前を見て、おまえ日本人なのかというので、そうそうと受ける。
 礼をいって店を出る。そのまま行きつけの(…)へ。店に入るなり、おばちゃんが笑顔で迎えてくれる。いつもの食パンが見当たらない。今日はないのか? とこちらがたずねるよりもはやく、あんたの好きなパンは今日ないよとおばちゃんがいう。マジかよ。仕方がないので、先日も別店舗で買ったばかりだが、好きではないほうの食パンを買う。あと、なんとなく目についたメロンパンも。han2jia4しないのかとおばちゃんがいう。han2jia4? なんだそれ? 回家hui2jia1の(…)话かなと思って、帰らないよ、こっちで過ごすつもりだからと受けたのだが、これを書いているいま気づいた、寒假han2jia4だ、冬休みのことだ、もう大学は冬休みに入ったのかとこちらにたずねたのだ。会計をすませ、バイバイといって、店を出る。この店のおばちゃんたちとは全員マブダチ(死語)なので、どうか感染しないでほしいと思う。
 思いながら自転車を漕ぎ、南門からキャンパスの中に入る。第四食堂近くの売店に寄る。袋麺とかカップ麺とか、そういうアレもちょっと備蓄しておこうかなと思ったが、店の商品棚はけっこうガラガラ。飲み物の入っている冷蔵庫にいたっては電源が切られている有様。たぶん今日か明日で店を閉めるつもりなのだろう。カップ麺はいちおう何種類かあったのだが、全部アホみたいに辛そうなやつだったのでパスし、目についたウエハース的なものをひとつ買うことにした。仮に感染して39度以上の熱が出たとしても、たぶんこれくらいだったら食えるはず。あとはペットボトルの柠檬水も一本買う。これはなんとなくいま飲みたい気分だったので。
 第四食堂に立ち寄る。入り口に小さな黒板がたてかけられている。教師の資格試験に備えて大学に残る学生らのために第四食堂の一階のみ営業を来月10日まで延長するぜ! みたいなことが書かれている。これはありがてえ! 通知の日付は今日25日になっている。なにもかもが予告なく突発的にはじまる社会、あらゆる決定ができごとの不意打ち性を最大限に発揮するかたちでおとずれる社会であるので、本当に今日いきなりこう決まったのかもしれない。だとすれば、食堂で働いているおばちゃんおじちゃんたちが、やっぱりちょっと気の毒だ。
 食堂の中に入る。営業しているのはまずい麺の店とどんぶりメシの店の二軒のみ。どんぶりメシがあればもうなんでもええわい。打包する。厨房のおばちゃんら、完全にこちらを認識している。いつも辛くないおかずだけを選んで買っていく謎の外国人として。

 帰宅。メシ食う。その後、回収したばかりのイージーパンツを姿見の前で試着。クソかっこいい。ヒートテックのタイツを下に履けば、真冬でもたぶんいける。ゆったりしたシルエットの黒いセーターを合わせたらいい感じになるかも。で、ちょっとごつめのスヌードかなんかを、シルエットを崩すために取り入れてみるのもいいかもしれないとも思うのだが、ただこちらはカレン族よりも長い首の持ち主なので(これは比喩でもなんでもなくマジで、なんだったらチェンマイで撮影した証拠写真もある!)、スヌードやマフラーがあんまり似合わないという弱点がある。足元はマーチンのブーツでいい。
 ベッドに移動する。早起きしたので二時間ほど昼寝するつもりだったのだが、なぜかいっこうに眠くならなかった。なぜだ? そして寝つけないときにかぎって、上の部屋の足音、床に物を落とす音、椅子や机をひきずる音がうるさくなる。耳栓越しにも響くその騒音に、うるせえ! と巻き舌で何度も吠える。イラつく。
 (…)さんから答案が届く。10時半前にいまから遅れてテストを受けさせてくださいと送って寄越したはずなのに、14時前に答案を提出するのはおかしいだろうという話だが(テストの制限時間は二時間)、もうどうでもいい、答案にざっと目を通してみたのだが死ぬほどボロボロの内容だったので、こりゃ文句なしの赤点だと判断されたのだ。
 『荘子の哲学』(中島隆博)を少々読み進めたのち、14時をまわったところで活動再開することに。コーヒーを淹れる。きのうづけの記事を書きはじめる。ほどなくして一年生の(…)くんから微信が届く。テストはまだですか、と。再試験組は明日月曜日の14時半からと通知したはずだがと思って確認してみたところ、彼と(…)さんの二人にはあやまって今日の14時半と通知していたことが判明。あらら、マジか! すぐにその場で試験を行う。(…)くん、なかなかよろしい。(…)さんは予想通り、再試験してもしなくてもまったく同じ結果。なにもかも根本的に理解していない。本人も日本語に興味ないようであるし、取り返しのつくいまのうちに他の学部に移ったほうがいいと思うのだが、こういう学生にかぎって頑なに居座り続けるんだよなァ。
 きのうづけの記事を投稿する。ウェブ各所を巡回し、2021年12月25日づけの記事を読み返す。当時再読し終えたばかりのジョン・ケージ『サイレンス』から引かれていた以下のくだり、小説に応用してみたいなァと、十数年前の初読時に思ったことをまた思った。

しばらくして質問の時間になると、質問の内容にかかわりなく、私はあらかじめ用意した六つの答えを読んだ。これは、私が禅に傾倒していた影響であった。
ジョン・ケージ柿沼敏江・訳『サイレンス』より「はしがき」 p.12)

 あと、去年はホワイトクリスマスだったらしく、そのことに対する言及もある。

執筆中、二杯目のコーヒーを用意するためにキッチンに立っていったところ、すでにかなり遅い時間だったが、女子寮のほうから歓声があがった。またゲームの国際大会で中国のチームが優勝したとかそういうアレかなと思ったのだが、そうではなかった、のちほどモーメンツをのぞいたときに知ったのだが、雪が降りはじめたのだ。ぎりぎりすべりこみでホワイトクリスマスというわけだ。モーメンツの勢いはすさまじかった。日頃モーメンツに投稿する習慣のある学生はほとんど全員といっていいほど雪降りの写真だの動画だのを投稿した(その中には女子寮の廊下が大騒ぎになっている動画をあげている学生もいた)。というか学生だけではなく(…)先生や(…)先生も雪だクリスマスだと騒いでいて、クリスマス禁止令とはいったいなんだったのかという感じ((…)先生なんてそもそも二週間くらい前からアイコンがクリスマスツリーになっている)。(…)さんの投稿で知ったのだが、「南方人は雪を見る、北方人は(雪を見てテンションがぶちあがる)南方人を見る」みたいな言い方があるらしい。面白い。

 今日づけの記事も途中まで書く。それからふたたび第五食堂をおとずれる。食堂内、がらがら。客よりも厨房のスタッフのほうが多いくらい。ま、そりゃそうか。どんぶりメシを打包。
 帰宅。メシ食いながらニュースの確認。昨日だったか一昨日だったか、青島で一日の感染者数が50万人に達していると市の保健当局幹部が語って大騒ぎになっていたようだが(この情報は現在検閲済みらしい)、今度は浙江省が一日の感染者数は現在100万人、年明けには200万人になると発表したようだ。これ、どう見るべきなんだろな。青島の件が検閲済みであるということは、中央としてはやはり発表してほしくない情報ということになるわけだが、それに続けて浙江省がやはり独自のデータを発表した、と。ゼロコロナ政策のせいで地方政府は相当しんどい思いをしていたというし(財政圧迫がかなりきつく、公務員の給料などアホみたいに下がったという報道もずっと以前あった)、それが一転、今度はフルオープンに向けてアクセルベタ踏みしながら今度はおまえら自己責任で感染対策やれよと言われて、さすがにあたまにきているのかもしれない、中央とのあいだにある軋轢がおもてに出てきたのかもしれない——という見方は、いくらなんでも単純にすぎるか?
 二年生の(…)さんから微信。明日の再試験について、コロナに感染して声が出なくなってしまったので延期してほしい、と。証拠のボイスメールも送られてきたのだが、「先生こんにちは」という短いあいさつすらまともに口にできない、声がかすれまくって異常に弱々しく、冗談でもなんでもなく寝たきりの老人みたいだったので、えー! とびっくりしてしまった。試験は体調が回復したところでやりましょうと約束。
 ベッドに移動する。『荘子の哲学』(中島隆博)の続きを読みつつ、今度こそ食後の仮眠をとろうと努める。しかしなかなか寝つけない。そして寝つけないときにかぎって上がやかましい。みしみしいう足音、床に物を落とす音、椅子や机をひきずる音が耳栓越しにも響き、たまらず巻き舌で「うるせえ!」「殺すぞ!」と吠える。まったく同じことを数時間前にも演じた。完全にループしとる。
 ババアの下品な高笑いであるかなしかの短い眠りが破られる。ジャングルにいるカラフルな鳥みたいなやかましさだ。キレる。ベッドの上に立ち、デスクの前にある椅子を持ちあげてから、その四本の脚で天井を十回連続で叩きつける。白い粉がパラパラ落ちてくる。ババアが静かになったところで、「うるっせえんじゃボケ!」と思い切り巻き舌で叫ぶ。
 イライラしつつも活動を再開する。快递で回収したネルを箱から取り出す。触れてみてびっくりする。生地がめちゃくちゃチープでぺらっぺらなのだ。これコーヒー用のアレじゃ全然ねえだろと思う。安物買いの銭失いだ。やっぱりコーヒーまわりのブツを淘宝で買うときは、多少値が張っても日本製か台湾製のものにすべきなのだろう。キッチンに立ち、鍋で湯を沸かし、その中に新品のネルと使い古しのネルをつっこんで煮沸する。それから浴室に移動してシャワーを浴びる。シャワーを浴びていると、イライラも多少は落ち着く。週末になると酒に酔っぱらった状態で上にやってくるあのババア、いやババアと便宜的に呼んでいるが実際はたぶんこちらとそれほど年齢が変わらない、というか年下の可能性もおおいにあるわけだが、それでもあの下品な笑い声はババアの名を冠するにふさわしいのでひきつづき率先してババアと呼びたいのだが、あのババアはマジでなんなんだと思う。約四億年前にわれわれの祖先が海から陸へあがる決意を固めたとき、種としてあらたな進化を迎えようと覚悟を決めたあの瞬間、彼らはあのようなババアになることを夢見ていただろうか? 否、否、みたび否! そんなはずがない、あのようなクソババアに進化するためにわれわれの祖先は、土を、大陸を、そして大気を五感で感受したわけではないのだ。断じて。絶対。あのクソババアにはとにかく初心をとりもどせと言いたい。陸にあこがれていたころの気持ちを思い出せ、と。おれたちは下品な笑い声を撒き散らす生き物になりたくてエラ呼吸をやめたわけではない。
 あがる。ストレッチをする。新品のネルでコーヒーを淹れてみる。さすがにまろやかな味わいになるが、なんかちょっと物足りない。やっぱりこれ、ネルが悪いのではないか? もともと使っていたほうのしっかりしたネルは、使いはじめのころや煮沸した直後など、もっとまろやかでかつ深みのある味になっていたと思うのだが。
 まあ、なんでもよろしい。そのコーヒーを飲みながら採点作業。日語閲読(三)の採点はクソめんどいのであとまわしにし、まずは日語会話(一)と日語会話(二)と日語基礎写作(一)に着手。再試験組以外はすべてテストを終えているしその結果も記録されているので、それらを参照しながらテストの配点をあとづけで設定する。(…)なんかは口語の授業でもガンガンFをつけていると以前グループチャットで言っていたわけだが、こちらは口語の授業は基本的に全員合格にするつもり。なので、クラスでいちばんできないグループ、本来なら「不」になる学生らをまず合格ぎりぎりである「及」だったかなんだったかに設定し、そこから逆算するかたちで、「中」「良」「優」に割り振っていく。三科目とも考试ではなく考查の科目なので、成績が1点刻みの点数ではなく10点刻みの「中」(70-79点)「良」(80-89点)「優」(90-100点)になるわけだが、正直これはなかなかけっこう難しい。80点をとった学生と89点をとった学生に同じスコアをつけるというのは、じぶんでやっていても「うーん」と思うのだ。なので、そういうところの微調整も、「平常点」の名目でいくらかおこなう。テストの結果は79点だったが、日頃よくがんばっているふうだった学生には「良」をつけたり、テストの結果は80点だったが、授業中ずっとスマホをいじっているだけだった学生には「中」をつけたり。このあたりのさじ加減は教師に任されている。
 三科目すべて終えると時刻は23時過ぎだった。疲れた。モーメンツをのぞくと、クリスマス一色。たぶんそういうアプリがあるのだと思うが、女子学生たちが手書きのクリスマスツリーの画像をガンガン投稿している。日本ではクリスマス当日よりもイヴのほうが盛り上がるものという印象があるのだが、こっちではそうでもないのかな。
 そういえば、採点作業中、二年生の(…)さんから明日再試験をおこなうことになっている「道案内」についての質問が届いたのだった。彼女は写作のテストでも高得点を記録していたし、同じ工学部から移ってきた相棒の(…)さんよりもずっとやる気があるらしい。授業中は特にそう思わなかったのだが、と、書いてみて思い出したのだが、たしか教室授業の後半、(…)さんがぼんやりよそ見しているのに対して、彼女は教壇でいつものようにクソくだらない冗談を口にするこちらを見て、歯列矯正具をつけた歯を剥き出しにして笑っていたことが何度かあった、それで「あれ? 聞き取りできているの?」と驚いたことがあった!
 夜食の餃子を食す。今日は懸垂をする日だったのだが、寒いし腹が減っていたので、全然そんな気になれなかった。餃子だけでは物足りずメロンパンも食し、さらに甘いもの食ったら口がアレになってしまうのでコーヒーも淹れる。そのままジャンプ+の更新をチェックし、今日づけの記事を途中まで書く。今日は一日中ずっと仕事という感じだったし、明日はテストの採点はお休みにして、ゆっくり書見して過ごそうかな。
 歯磨きする。パン屋で買い物したとき、あの店のおばちゃんたちが感染して苦しむところを想像し、それは嫌だな、そういうのは見たくないな、それだったらいっそのこと(もう決して若いとはいえないのかもしれないが)健康なこちらが代わってあげたいなとすら思った一瞬があったのだが、こうした「代わってあげたい」という意識、これは一種の弱さなんだよなと思った。犬猫でもいいし、姪っ子でもいいんだが、病気や怪我で苦しんでいる様子を目の当たりにして、もう見ていられない! となるあの感情、そこから転じて、じぶんが身代わりになってあげたい! と思うあの一般的には自己犠牲と名指されている精神、あれは結局、ただ見守ることしかできないじぶんの無力を直視する強さがないということなんだよな、と。じぶんが無力であることに耐えられない、じぶんの弱さを認められない、ひるがえって、じぶんには力があると信じたい、じぶんは強いという幻想を失いたくないという、一種の去勢否認ともいうべきその態度が、「代わってあげたい」の少なくとも一部を構成していることは間違いないのだ。この欺瞞を忘れてはいけない。
 寝床に移動する。今日回収したストライプのイージーパンツにマッチしそうなセーターを淘宝でついついポチってしまう。人生のよろこび、それは服と本を買うこと。来年は一時帰国する機会もあるだろうし、そのときはひさびさに京都の古着屋をぶらぶらしたい。あと、あたらしいめがねもきっと買う。何年も前からいっているが、ノンフレームのめがねを買って、ジブリに出てくるジジイみたいにチェーンを垂らしたいのだ。舐達麻のDELTA9KIDが最近めがねのチェーンを垂らしているのを見たが、もしかしたらそのうち流行するかも。流行しないでほしい。