20230108

大江 漱石を意識して読むようになって、二、三冊目に読んだのが「虞美人草」だったのですが、これがすばらしい作品でした。それから漱石の小説を夢中で読むことになった。今でも私が漱石の作品で挙げる三作はこうなんです。書かれた年代順に、「虞美人草」、「こころ」、「明暗」となります。小説家として生活を始めて六十年近く経ってみると、夏目漱石という人が「虞美人草」を書き、「こころ」を経て、ついに「明暗」に至ったという流れはよくわかる。それは小説家の自己形成の理想的なものだろうと思います。日本だけじゃなしに世界規模でいっても、これら三作を書いた作家として漱石は偉大です。
 ところで古井さんは「虞美人草」について、何かお書きになったことがありましたかね。
古井 十数年前になりますが、「新潮」で高橋源一郎さんと「虞美人草」のことをひたすら話した対談があります(「文学の成熟曲線」二〇〇三年四月号)。なんで、二人が「虞美人草」を絶賛するのかと、人は首をかしげたようです。
 二人で意見が一致したのは、「虞美人草」が、文語文から口語文に移る大事な曲がり角の頃に書かれたことです。「虞美人草」は、文語文仕立てで、文語文にふさわしい内容がある。次に「三四郎」を書くときは、ああいうパトスがだいぶ薄れてくる。
 「虞美人草」は、決してうまい小説じゃないですし、現代人から見れば滑稽なところもあるけれど、これだけパトスが隘れている小説は今どき大事だと意見が合いました。
大江健三郎古井由吉『文学の淵を渡る』)



 10時半に起床。歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。トースト二枚を食し、コーヒーを飲みながら、きのうづけの記事の続きを書く。作業中は『our hope』(羊文学)を二度くりかえしきいてみたが、しっくりこなかった。羊文学は何年か前に『若者たちへ』をきいて、そのときもやっぱりしっくりこなかったというか、別になんとも思わない感じだったので、そのまま活動を追うことなどせずにいたのだが、最近あちこちで名前を見聞きするようになったので、じゃあいちばんあたらしい音源をきいてみようと思ってみたわけだったが、うーんという感じ。
 きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2021年1月8日づけの記事を読み返す。(…)くんといっしょに(…)のタイ料理店でメシを食った日。全然うまくなかったのを覚えている。ところで、寮の騒音問題について、以下のような記述がある。

たびたび悩まされる近隣住人の騒音、というかスピーカーの低音であるが、今夜は特別ひどかった。上の部屋の住人であるのか、隣の棟の住人であるのかわからないのだが、いつもはスピーカーを床に直置きしたような、音というよりは震動が壁伝いに伝わる感じでびりびりきてうっとうしいのだが、今日ははっきりとボーカルの音まで聞き取れるほどうるさかった。あまりにうるさかったので、天井をスリッパで叩きまくり、さらに壁を蹴りまくるなどしたのだが、ぜんぜんマシにならない。音楽はヒップホップだった。上階に住んでいるのはオタクっぽい中国人男性で、少なくとも外見の印象からするとヒップホップを聴くようなタイプではない。ということはやはり騒音の主は隣の棟に住んでいる留学生なのかもしれない、アフリカ系であるし、土曜日の夜に特別いつもよりうるさくなるあたり友人らを部屋にまねいて騒いでいるのではないか? しかし音の出所はやはり上階という感じもする。音は3時ごろまで鳴り止まなかった。途中で我慢できず、部屋の外に出て階段をあがり、上階の玄関前までいって耳をすましてみたのだが、中から音楽の聞こえてくる感じはなかったし、扉の下から明かりも漏れてはいなかった。ということはやはり隣か? しかし3時ごろになって音楽が鳴り止むと、上階の友人が椅子をひいたり部屋を歩いたりする気配がたち、ということはこの夜中にもかかわらず起きているわけで、やっぱりこいつが犯人なのではないかという気がしないでもない。それで結局(…)に苦情の微信を送っておくことにした。留学生が犯人であれば、どのみち国際交流処の管轄だ。上の部屋の住人が犯人であった場合は、直接こちらから注意しにいけばいいだろう。

 これ、犯人は結局となりのとなりの棟に住んでいるアフリカ系の留学人であることが、長い長いながーい格闘の果てにあきらかになったのだが(去年の夏休み中に現場を取り押さえた)、そういえば、最初は上の「オタクっぽい中国人男性」、つまり、爆弾魔が犯人であると疑っていたのだった。無実の彼に対して思いきり壁ドンして抗議しているわけだが、ま、一年後のいま、実際にうるさくなっているのだし、このときの抗議はその先取りということでトントンとしましょう!
 便所に立ったとき、洗濯物干し場が異様に暖かいことに気づき、いやこの暖かさを無駄にするわけにはいかんでしょ、ただでさえ晴れ間の少ない地方であるのだからこの機会はフルに享受するべきでしょと思い、それで日中はひなたぼっこしながら書見することに決めた。それで洗濯物干し場に——と毎回書いていて思うのだが、もうちょっといい呼び名はないものだろうか? (…)はこのスペースのことをverandaというのだが、ベランダといえば普通は屋外ではないか? こちらが洗濯物干し場と便宜的にいつも呼んでいるのは、寝室と浴室のあいだにある六畳足らずの空間、洗濯機や浴室用の給湯器が設置されており、壁には洗濯物を干すためのロープが張られていて、窓に面しているので日当たりが良くて明るい、そういう空間のことであるのだが、と、考えているうちにふと思ったのだが、もしかして中国語の阳台とベランダ(veranda)には微妙に意味するところにずれがあるのではないか? それで阳台で画像検索してみたところ、屋外と直接つながっていない、窓と天井によって外界と区切られているそういう窓辺の写真がガンガンヒットしたので、やっぱり! となった。で、せっかくなのでverandaでも画像検索してみたのだが、ざっとスクロールしてみた感じ、こちらでもいちおう阳台と同様、外界と区切られている屋内スペースの写真も、決して多くはないがヒットするにはする。じゃあ日本語のベランダだったらどうなんだろうと思って三度目の画像検索をしてみたところ、出てくる写真はどれもこれも屋根がなかったり窓がなかったりあるいはその両方がなかったりする空間の写真ばかりで、あれ? もしかして日本語のベランダがおかしな意味になっているの? verandaと阳台は指示対象がほぼ同じであるところ、ベランダだけがわやくちゃになってるの? と思った。で、あらためてググってみたのだが、Wikipediaの項目「ベランダ」には「ガラスがはめ込まれた屋内環境のベランダも多く存在する」「日本では、部屋囲いがなされたものはサンルームと称されることもある」という記述があった。つまり、うちの洗濯物干し場もカタカナでベランダと表記していっこうに差し支えのないことがあきらかになったわけだが、しかし全然しっくりこない。だからといってサンルームと呼ぶのもやっぱりちがう。だから決めた。これからは阳台と呼ぶ。中国の住居でよくあるスペースなのだから、中国語で呼ぶのがやはり筋だろう。

 その阳台で書見する。阳台にいつも置きっぱなしにしている椅子、座面に(…)くんから誕生日プレゼントにもらった多肉植物の鉢植えを置いたままにしているその椅子を少しだけ移動し、鉢植えをどけて代わりに(…)さんにもらった熊のクッションを敷き、KindleでA Good Man Is Hard To Find(Flannery O’Connor)の続きを読む。“A Late Encounter withe the Enemy”を読み終わる。これはまああんまりかな。わりと序盤のほうで孫娘のSally(62歳)が祖父(104歳)に向けて、じぶんのcollegeのgraduation exerciseに出席してくれるようにお願いする、そしてその式の当日に祖父に向けて“Aren’t you just thrilled, Papa?”“I’m just thrilled to death!”と語りかけるこのセリフが、ある意味で予言のようになっているのはちょっと面白かったし、“The past and the future were the same thing to him, one forgotten and the other not remembered; he had no more notion of dying than a cat.”というくだりに端的にあらわれている譫妄状態におちいった祖父の、終盤にいていよいよきわまったその自失と混迷を内側から描き出そうとするところも悪くはなかったのだが、ただそこにかんしては現在と過去を重ねて混線させようという書き手の意図がわりとはっきり出てしまっているために(その図式こそがこの小説の核なんだろうが)、たとえばJohn WilliamsのStonerのクライマックスみたいな凄みにはやはり達していないかなという印象。と、思って過去ログを検索してみたところ、2020年2月4日づけの記事と5日づけの記事に該当箇所がひかれていた。

(…) She said something else, but his attention wandered. More and more frequently he found it difficult to keep his mind focused upon any one thing; it wandered where he could not predict, and he sometimes found himself speaking words whose source he did not understand.
 
彼女は何か言った。けれども彼の注意はほかに漂い出していた。彼はじぶんの精神をひとところに据えることのむずかしさをますます頻繁におぼえた。精神は彼の予想できないところを漂った。ときには出自不明の言葉を口にしている自分自身に気づくこともあった。

Gordon Finch visited him nearly every day, but he could not keep the sequence of these visits clear in his memory; sometimes he spoke to Gordon when he was not there, and was surprised at his voice in the empty room; sometimes in the middle of a conversation with him he paused and blinked, as if suddenly aware of Gordon’s presence. Once, when Gordon tiptoed into the room, he turned to him with a kind of surprise and asked, “Where’s Dave?” And when he saw the shock of fear come over Gordon’s face he shook his head weakly and said, “I’m sorry, Gordon. I was nearly asleep; I’d been thinking about Dave Masters and―sometimes I say things I’m thinking without knowing it. It’s these pills I have to take.”
 
ゴードン・フィンチはほとんど毎日のように彼の元をおとずれた。だが、ストーナーは記憶の中でその訪問をうまく順序づけることができなかった。ときにはゴードンがそこにいないにもかかわらず彼に話しかけ、自身の声が空っぽの部屋で響くのを耳にして驚くこともあったし、ときには言葉を交わしている最中に突然、目の前のゴードンの存在にはじめて気づきでもしたかのように絶句して目をぱちくりすることもあった。いちどゴードンがそっと部屋に入ったとき、ストーナーは驚きの表情を浮かべながらそちらを向くなり、「デイヴはどこにいる?」と口にした。そして恐怖にも似た不安がゴードンの顔を覆うのを見るなり、力なく首をふり、「すまない、ゴードン。どうも眠っていたみたいだ。デイヴ・マスターズのことを考えていたんだ。ときどき考えていることを知らず知らずのうちに口にしてしまう。薬のせいだ」と言った。

 ほかにもすぐれたくだりはたくさんあったはずなのだが、そちらは翻訳版のほうで記録しているのかもしれない。と、考えたところで念のため検索したところ、2016年2月3日づけの記事にすばらしいくだりが引かれていた。

 イーディスが部屋に入ってきた。ゴードン・フィンチは立ち上がり、邪魔が入ってほっとしたように、おおげさな励ましの言葉を口にした。
「イーディス、きみがここに坐ってくれ」
 イーディスは首を振り、ストーナーに目をやった。
「ウィリアムはよくなっているよ」ゴードンが言う。「先週よりうんと元気になっている」
 イーディスは初めて彼の存在に気がついたように、ゴードンと向き合った。
「ああ、ゴードン。ひどい状態だわ。かわいそうなウィリー。先はもう長くないのではないかしら」
 ゴードンは殴られたかのように、青ざめ、一歩あとずさった。「何を言うんだ、イーディス!」
「あまり長くない」イーディスはまた言って、小さな笑みを浮かべた夫にしげしげと見入った。「わたしはどうすればいいのかしら? この人がいなくなったら、どうすればいい?」
 ストーナーは目を閉じ、すると誰もいなくなった。ゴードンが何かささやくのが聞こえ、やがて遠ざかる靴音が聞こえた。
 驚かされるのは、それがとてもたやすいということだった。どんなにたやすいかをゴードンに伝えたかったし、それについて語るのも考えるのも苦にならないことを訴えたかった。なのに、できなかった。今はそれがまた、どうでもいいことに思えた。台所での話し声、低く張り詰めたゴードンの声と、恨みがましいイーディスの声が聞こえた。ふたりは何を話しているのだろう?
 ……突然、痛みが前触れもなく襲ってきて、備えのない体を暴れ回り、ストーナーは音をあげそうになった。シーツをつかんでいた手をゆるめて、徐々にわきテーブルのほうへのばしていく。痛み止めを何錠か取り、口にほうり込んで、少量の水で呑み込んだ。額に冷たい汗がにじみ、ストーナーは痛みが和らぐまでじっと横たわる。
 また話し声がした。ストーナーは目を開かなかった。ゴードンだろうか? ストーナーの聴力は肉体を離れ、宙空を漂って、あらゆる繊細な音を拾い届けた。けれど、言葉を正確に聞き分ける力はもうなかった。
 ある声――ゴードンか?――がストーナーの人生について語っていた。言葉は聞き取れず、ほんとうに言葉が発せられているかどうかも定かではなかったが、ストーナーの知力は、手負いの猛獣のように夢中でその主題に飛びついた。否応なく、自分の人生が他人にどう映るかが見えてきた。
 冷静に、理詰めに、ストーナーははた目に挫折と映るはずの自分の来し方を振り返った。ストーナーは友情を求めた。自分を人類の一員たらしめてくれる篤い友情を。そして友をふたり得て、ひとりは世に知られることもなく非業の死を遂げ、ひとりは遠い生者の戦列へと撤退していった……。ストーナーは二心(ふたごころ)のない誠意と変わらぬ情熱を捧げる結婚を望み、それも手に入れたが、御しかたがわからず持て余しているうちに、それは潰え去った。ストーナーは愛を求め、愛を手にして、やがてそれを可能性の泥沼に放り投げた。キャサリン。思わず名を呼ぶ。「キャサリン
 そして、ストーナーは教師であることを求め、その願いをかなえたものの、人生のあらかた、自分が凡庸な教師だったことに思い至って、それはまた、前々からわかっていたことでもあるような気がした。高潔にして、一点の曇りもない純粋な生き方を夢見ていたが、得られたのは妥協と雑多な些事に煩わされる日常だけだった。知恵を授かりながら、長い年月の果てに、それはすっかり涸れてしまった。ほかには、とストーナーは自問した。ほかに何があった?
 自分は何を期待していたのだろう?
 目をあけてみると、あたりは暗かった。窓の外の空が、深い紫紺の空間に見え、細い月影が雲間から差した。夜もずいぶん更けてきたに違いない。明るい午後の光のもと、ゴードンとイーディスがそばに立っていたのは、つい先刻のことに思えるのに……。それとも、遠い昔? 自分でも判然としなかった。
 体力の減退に伴って、気力も萎えていくことはわかっていたが、これほど急に来るとは思っていなかった。肉体は強い。誰の想像も及ばないほどに。それはいつも先へ先へと進みたがる。
 声が聞こえ、光が見え、痛みの去来が感じられた。イーディスの顔が目の前にぬっと現われ、ストーナーは思わず笑みを誘われた。ときおり気がつくと、自分の声がしゃべっていて、それは筋の通った話に聞こえたが、そう言い切る自信はなかった。イーディスは夫に手を触れ、その体を動かし、全身を拭いていく。妻はふたたび子どもを手に入れたのだ。ようやく、自分で構うことのできるわが子を。ストーナーはイーディスと話をしたかった。言うべきことがあるように思う。
 何を期待していたのか。
 重いものがまぶたを押していた。その力にわななきが生じた瞬間、ストーナーはぱっちりと目を見開いた。光が、午後の明るい陽射しが感じられた。まばたきをし、窓の外の青空を、そして日輪のまばゆいへりを、眺めるともなく眺めた。これが現実だ、と心に決めた。手を動かすと、動きにつれて、宙から舞い降りたような力が加わった。深呼吸をする。痛みが消えた。
 ひと息ごとに力が増すように感じられた。肌が火照り、顔にかかる光と影の繊細な重みがわかるような気がした。ストーナーはベッドに身を起こし、半坐りの状態になって、背中を壁に預けた。これで室外が見渡せる。
 長い眠りから覚めたような爽快な気分だった。いまは晩春か、もしくは初夏。外のようすから見て、初夏らしい。裏庭の楡の巨木は、みずみずしい緑の膜に葉を覆われ、かねて知る深く涼しい木陰を与えている。空気は濃く、その重みが草や葉や花の甘い香気を孕んで宙に漂っていた。ストーナーはもう一度深く息を吸った。耳障りな呼吸音がして、夏の香気が肺に流れ込んだ。
 と、同時に、体の奥で変化が起き、何かが妨げられて、頭を動かすことができなくなった。だがやがてそれは収まった。なるほど、こういうものか、とストーナーは思った。
 イーディスを呼ぶべきだと思ったが、自分がそうしないことは承知していた。死者はわがままだ。子どものようにみずからの時間を独占したがる。
 ストーナーはふたたび息を吸い、体内に、名づけようのない違和感を覚えた。自分は何かを、何かが明らかになるのを待っている。そう感じたが、時間はまだいくらでもあるように思えた。
 かなたに笑い声が聞こえ、ストーナーはその源を振り返った。どこかへ急ぐ若い学生の集団が裏庭を横切っていく。三組のカップルだ。娘たちは手足が長く、薄地のサマードレスをまとっている。男たちは幸福そうにその優美な姿に見とれていた。三組は軽々と芝を踏み、そこにいた痕跡すら残さず、飛ぶように去っていった。そのあとも長いあいだ、夏の午後の静謐に、屈託のない笑い声が遠く弾けていた。
 何を期待していたのか、ともう一度問う。
 夏風に運ばれてきたかのように、歓喜の情が押し寄せてくる。挫折について――それが重要な意味を持つかのように――考えていたことをうっすら思い出した。いまはそのような考察が、自分の生涯にふさわしくない、つまらないものに思える。意識のへりにぼんやりとした影がいくつも集まっていた。姿は見えないが確かにそこに存在し、しだいに力を増して、見ることも聞くこともできないが、はっきりした形をとろうとしているのはわかった。自分がそこへ近づこうとしていることも。しかし急ぐ必要はない。無視したければそうしてもよい。時間はいくらでもあるのだから。
 柔らかさがストーナーを包み、四肢にけだるさが忍び込んでくる。ふいに、自分が何者たるかを覚り、その力を感じた。わたしはわたしだ。自分がどういう人間であったかがわかった。
ジョン・ウィリアムズ東江一紀・訳『ストーナー』)

 そのまま“Good Country People”も読みはじまる。これはFlannery O’Connorの最高傑作。こちらははじめて読んだその日からこの短編がムージルの「グリージャ」や「ポルトガルの女」と並び、世界文学史上最強の短編であると確信しているのだが、今日ひさしぶりに序盤を読んでみて、あれ? こんなに難しかったっけ? と思った。いや、別に難しくはないのだが、ただ、オコナーの短編は基本的に時系列の複雑な操作などはなく、むきだしのまままっすぐ前に進んでいくものが多いのだが、この小説では、少なくとも聖書売りの男が現れるまでのあいだ、わりと過去と現在を小刻みに行ったり来たり、話題があちこちに飛び移ったりするところがあり、そういうところが、できごとの継起を基本とする"A Good Man Is Hard to Find”や“The River”に比べると、あれ? なんか思ったより序盤ぐずぐずしてるぞ? という印象を抱かせる。Mrs.Hopewellのモノローグや回想に語り(手)の付き合う時間が思っていたよりも長いというか(しかしこれは聖書売りの男が現れてから主役となるMrs.Hopewellの娘Joy=Hulgaが「できごとの継起」を担っているのと対比になっているのかもしれない——と、まだそこまで読んでいないのに、先取りして考えてしまった)。
 16時ごろに中断。あらためて思ったのだが、新潮文庫の『オコナー短編集』(須山静夫・訳)は翻訳もすばらしかったけれど、それ以上に作品のチョイスもやっぱり優れていた。今回原文で再読していてやっぱりいいなと思う作品、いまのところすべて『オコナー短編集』に収録されているものだけだし。
 キッチンに立つ。米を炊き、鶏肉とトマトとたまねぎをカットしてタジン鍋にぶちこむ。食後はベッドに移動し、“Good Country People”の続きを少しだけ読み、20分の仮眠をとる。
 目が覚める。いつもならば眠気覚ましにシャワーを浴びるところだが、今日はそのまま執筆になだれこむことにする。キッチンに立ってコーヒーを淹れる。窓の隙間から若葉のにおいがまじった外気がただよってきて、昨日と同様、春のはじまりの高揚と夏への期待感で一瞬胸がいっぱいになる。夜のひとときをカフェでゆっくり書見するか執筆するかして過ごしたいと思う。暖かい空気や植物の香りに誘われて外に出たくなるというのは、なんというかもう、動物というよりもほとんど昆虫であるな、光と熱にふらふら寄っていく夏の虫であるなとちょっと思う。じぶんのようなひきこもりがちな人間ですらこういうふうに感じるのだから、コロナのせいでおもいどおりに外出できないことにストレスを感じているひとというのはやはりこの数年、相当苦しかっただろうなと同情する。
 コーヒーをもってデスクにもどる。作業を開始しようというタイミングで母から電話がある。きたなと思う。例年であれば正月ごろに姪っ子ふたりと一緒に電話をかけてくるわけだが、今年はそれがなかった。だからコロナの感染拡大もあって今年の正月は会わないことにしたか、あるいは身内から実際に感染者が出たか、それともとうとう(…)が病に伏せたかしたのではないかとこちらは予測していた。母はそういうとき、遠方にいるこちらに心配させまいと考えて、だいたいすべてが片付いてから事後報告というかたちでこちらに連絡を寄越すし、そういう思考パターンをこちらも理解しているので、正月に連絡がないということはおおかたなにかしらの不幸があったのだろうと察しつつ、その不幸の内実をわざわざたずねたくもないし知りたくもないのでそのままにしていたわけだが、今日がその答えあわせだった。母はこちらが電話に出るなり、どうして今年の正月は(…)や(…)といっしょに電話しなかったかわかるか? と予想通りの言葉を口にした。たしかクリスマス前だといっていたと思うが、(…)が高熱を出したのだという。譫言が出るほどひどいものだったらしく、あわてて救急病院に連れていったのだが、時期が時期だけにコロナという判断だったのだろうか、とりあえず熱さましだけ処方というかたちになり、実際そのあと熱はいったんひいた。しかしその後発疹があり、そのときはかかりつけ医から溶連菌だろうという診断がくだされたのだが、その後だったか、あるいは発疹が出たときと同時だったか忘れたが、また高熱が出た。で、かかりつけ医に紹介状を書いてもらって日赤に連れていって検査をしてもらったところ、白血病膠原病の可能性があるという診断が下されたのだという。これにはびっくりした。は? と大声が出た。血液検査や髄液検査をした結果、異常な数値がバンバン出まくったらしい。で、結論から先にいうと、その数値はひとまず平常にもどった、とりあえず白血病ではないだろうということになったらしいのだが、膠原病の疑いはまだ残っているとのこと(これに関してはたぶん経過観察ということになるのだろう)。一家としてはとりあえず白血病ではなかったということが判明しただけでほっとしているというのだが、いや、さすがにこの話にはびびった。(…)は入院中毎日ひたすらゲームばかりしていてご満悦だったらしいのだが、やはり家族としては気が気ではなかったようで、ありきたりな言い方やけどと母は前置きしたのち、本当に代わってやりたいと思った(という言葉をきいたとき、先月25日づけの記事に書いた内容を思い出した)、じぶんはもうすべてが終わった人間だからどうなってもいいが(という言葉をきいたとき、今月4日づけの記事に引いた磯﨑憲一郎の言葉を思い出した)、これからの子につらい治療をさせると考えるとそれだけで泣けて泣けてしかたなかったといった。
 で、遅れに遅れたクリスマス会と新年会を兼ねて、本当はこの週末実家にやってくるという話だったらしいのだが、(…)の祖母が昨日だったか今日だったか亡くなったらしく(九十代とのこと)、それでまたお流れになってしまったらしい。兄は今年本厄だと母はいった。
 小児の白血病は、いまの医学ではたしかそれほどおそろしいものではなく、寛解率もかなり高いはず。膠原病は症状がいろいろすぎていちがいにどうとはいえないのだろうが、それでも服薬によって寛解にまで持っていくことができるケースもざらにあるという話を以前きいたことがある。笙野頼子は三十年以上、じぶんが膠原病に罹患していると知らずに生活していたのではなかったか?
 通話は30分ほどで終えた。そのまま「実弾(仮)」第四稿執筆(さすがに最初の30分ほどは集中できなかったが)。20時前から23時前までカタカタやった結果、プラス9枚で計93/977枚。今日もシーン8を延々と加筆修正。ずいぶんよくなったと思う。阳台のほうからときおりただよってくる春の気配にはげまされた。エアコンをつける必要もなかった。
 浴室でシャワーを浴びる。あがってストレッチをする。懸垂をし、プロテインを飲み、餃子を茹でて食す。ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませたのち、『健全な社会』(yonige)をききながら、今日づけの記事を途中まで書いた。その後、寝床に移動して就寝。