20230201

 最近は、「宿題が嫌ならやらなくていいんじゃない」と子どもに簡単に言う大人が増えています。でも、子どもに対して「苦しいならやらなくていい」というメッセージを簡単に伝えてしまう大人を信用してはいけません。そういう大人って、学校への批判と宿題の問題をごっちゃにしている場合が多いんです。物事を身につける際に、何も努力しなくてよいというメッセージを子どもに伝えることが良いことであるわけがありません。努力したら報われるかどうかなんて知ったことじゃありませんが、努力したぶんだけ身につくことがあるのは確かで、身につけなければ入口に招いてさえもらえない世界があるのは事実です。
「苦しいことはやらなくていい」という大人は人間をあまりに単純に捉えすぎです。だって苦しいことをやらなければ、人は幸せになれるのですか? むしろ人はみずから進んで苦しいことをやることで、じぶんの人生の輪郭を作っていくところがあるじゃないですか。苦しいことが全くない人生なんて実は誰も望んでいません。
(鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』)



 12時半起床。天気予報をチェックすると明日から一週間ずっと雨とのこと。鬱陶しいこときわまりないが、ようやくこの地方らしくなってきた。今日は雨降りでもなければ快晴でもない天気だったので阳台には出ず、寝室で歯磨きしながらニュースをチェック。トースト二枚を食し、食後のコーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きにとりかかる。Worls Standardの楽曲がいつのまにかサブスク解禁されていたので、あれはひょっとしたらまだ学生時分だったかもしれないが、当時ちょくちょくきいていた『アラバスター』のリマスター版である『アラバスター(2021 Remastered)』と、2020年にリリースされたものらしい最新アルバムの『色彩音楽』を作業のお供として流した。きのうからあたらしいネルフィルターでコーヒーを淹れているのだが、マジで味わいがまろやかになるし、雑味が抜けて透明度が高く、同じ豆を使っていてもこんなに違うのかとあらためてびっくりする。ペーパーフィルターはペーパーフィルターであの複雑にして不純な味わいが味わい深いのだが。
 きのうづけの記事を投稿すると時刻は17時。昨日に引き続き、今日も上の部屋の爆弾魔がアホみたいに椅子だの机だのなんだのをひきずりまくって強烈にやかましくかしましくさわがしく、その都度あたまがおかしくなるんではないかというくらいイライラして吠えまくったのだが、しかしじぶんはこのままいくといずれ近所の公園で遊ぶ小学生や保育園でお遊戯会をする子どもらにクレームを入れまくるクソジジイになってしまうのではないだろうか? そうなる前にゴッホみたいに耳を切り落とすか?
 キッチンに立つ。米を炊き、豚肉と白菜とトマトとニンニクをカットして、タジン鍋にドーン! し、レンジでチーン! する。調理中はずいぶんひさしぶりにキエるマキュウの“Meteor”をリピートしてきいていたのだが、これだけゴージャスかつクラシックなトラック——中途半端な展開をもちこまずにひたすら単純にループし続ける——に、死ぬほど下世話なリリック——ドラッグとセックスの話題だけが、いかなるよそおいもなく、いかなるスタイルとして打ち出されるわけでもなく、ただただ生身のなまなましさでうたわれている——がのっかっている、これってやっぱりちょっと特異だよなと思った。MC漢やMaki The Magicの存在を教えてくれたのは(…)さんだったわけだが、いまはどうしているのだろう? パクられたあと、(…)さんのところにひととき居候していたわけだが、追い出されて以降は行方知れずだ。掛け持ちしていた職場を二つとも辞めざるをえなくなり、かといって売人としての収入もおそらくたかが知れていただろうから、なにかしらの仕事を見つける必要があるわけだが、あのプライド、あの虚言癖ではなかなかむずかしいだろうなと思う。地元の友人らとは親しく付き合いがあったようであるし、すなおにじぶんの虚言を認めて彼らに力を貸してほしいとあたまを下げるのであれば、まだどうにでもなると思うのだが、たぶん、あの性格だとそれもできないだろう。難儀なことだ。
 メシ食いながら(…)さんの発表動画をまた15分ほど視聴する。それからウェブ各所を巡回し、2022年2月1日づけの記事の読み返し。

(…)じぶんはなんだかんだいって、これまでにけっこうとんでもない量のテキストを書き続けているなと、ふと思った。しかもほぼ非公開であるし、今後公開する予定もない。これもやっぱりどうにかしたほうがいいのだろうか。1年前の記事の読み返しとは別に、10年前の記事の読み返しも行い、ついでにその記事を——(…)くんのように検閲をほどこしつつ——公開するとか?

 このくだりにはっとした。実際七年ぶりにこうして日記をふたたび公開するようになっている現状を予言しているという事実に対するおどろきもあるのだが、それよりも「10年前の記事の読み返し」というアイディアに、お! ええやん! と思ったのだ。それでためしに2013年2月1日づけの記事を読み返してみたのだが、なんと! 以下のような記述があった!

帰宅してから水場で米を洗っていると(…)さんが現れた。明日中国に旅立つという。いろいろと迷いもしたが結局行くことに決めたらしい。諸手をあげて賛同した。じぶんが(…)さんの立場だったとしてもやはり行くと思う。周囲のひとたちは反日デモやら大気汚染やらを気にかけて行ってくれるなと(…)さんに言うらしいのだけれど、反日デモやら大気汚染やらがあるからこそむしろ、というのがたぶん(…)さんの本音なんじゃないかと勝手にじぶんにひきつけて思う。社会派的な気取りがそうさせるのではない。ただ見ることの欲望がそうさせるのだ。不謹慎との誹りを免れ得ぬかもしれぬところのきわめて独りよがりで、純然で、混じりけのない、ただ単純に見ることの欲望。

 ここで(…)さんとイニシャルで表記されているのはもちろん(…)さんなわけだが、そうか、もう10年前になるのか。しかしこのとき、「じぶんが(…)さんの立場だったとしてもやはり行くと思う」と書いているわけだが、これはあくまでも(…)さんの当時置かれていた状況であればという意味であって、まさかじぶんがその後、彼の後を継ぐかたちで本当に中国に渡ることになるとは思ってもみなかった。しかしたまたま読み返した記事が、ある種じぶんのその後の人生にもおおきくかかわってくるターニングポイントに関する記述の書き込まれているものであったというのは、ちょっと偶然にしてはできすぎている。これは啓示だ。そういうわけで、一年前のひらめいた計画に従い、「×××たちが塩の柱になるとき」のほうに、この日の記事を一部伏せ字にして転載することにした。今日から10年前の記事の読み返しと投稿も行う!
 ちなみに、2013年2月というのはいったいどこでなにをしている時期なのだろうとほかの日の記事もランダムピックアップしてざっと斜め読みしてみた。(…)さんが出国前のあいさつに来たということはすでに(…)アパートで暮らしている時期であるはずだし、バイト先も(…)ではなく(…)であるだろう。2013年2月1日づけの記事には「偶景」および「邪道」を執筆しているとある。そしてこの時期の日記はまだはてなダイアリー上で公開されていたものらしい(つまり「きのう生まれたわけじゃない」のころだ)。さらに、「ずいぶん前から切れてしまったシャンプーの引き継ぎとしてタイのセブンイレブンで購入した商品の残りを使っているのだけれど」とあるので、ということは前年の夏にタイ・カンボジア旅行に行ったということか? と思っていろいろ調べてみたところ、やはりそうらしく、その旅先で知り合った(…)が来日するのがほかでもない2013年の夏、そして『A』の出版作業にとりかかるのが彼女がイギリスに帰国したあとであるわけで、そうか、まだそんな時期なのか、ということは(…)くんともまだ会っていないし、(…)さんともまだコンタクトをとっていない時期になるのか。(…)さんともたぶんまだ会っていないころかな? はじめて会った日、たしか(…)さんは付箋をたくさんはりつけた『A』を持ってきてくれたはずなので。つまり、ブログ経由でだれかに会ったという経験がまだ一度もないころなのだ(いや、(…)くんとは(…)荘時代に一度会っているか、ただ彼はブログ経由というよりも(…)くん経由で知り合ったというべきかもしれない)。そうか、そう考えるとおもしろいな、これから一日ずつ読み返していくのが楽しみになってきた! なんかちょっと強くてニューゲームしとるみたいや!
 と、考えたところで、去年「実弾(仮)」執筆に必要な資料集めとして、たしか一ヶ月ほどかけて2011年3月前後の日記を大量に読み返したわけだが、あれはどの期間だったろうと思って確認してみたところ、なんと! 「2011年3月〜2013年1月」とあった! つまり、2013年2月1日づけの記事とはほかでもない、あの読み返し作業のちょうど続きにあたるわけだ! ちょっとすごくないか、これ? こんな偶然、ある? 神がふりかえれと耳元でささやくのが聞こえる。ふりかえれ、ふりかえれ、塩の柱になることをおそれるな、と。

 ベッドに移動する。(…)四年生の(…)さんから微信青空文庫で著作の文字数をベースとした検索はできないだろうか、と。ググってみたところ、何分程度で読み終わることができるかどうか検索することのできる外部サイトがあり(「ブンゴウサーチ」というところ)、そこでは1分400字で換算したうえで「〜2000文字」「2001〜4000文字」みたいに各作品がカテゴリ分けされているふうだったので、逆算してみればだいたいの文字数に目処をつけることはできると思うよと返信。
 「行人」(夏目漱石)の続きを少々読み進める。20分の仮眠をとる。起きたところでコーヒーを淹れ、デスクに向かう。10年前の記事をこれから「×××たちが塩の柱になるとき」のほうに転載していくとなると、検閲をほどこすつもりであるとはいえ、身バレすると色々やっかいなことになりかねないなというアレがあるので、名前だけではなく著書名も伏せたほうが賢明であるかなと判断。それで「×××たちが塩の柱になるとき」の記事過去二ヶ月分に検索をかけて、『(…)』はA、『(…)』はS&T、『(…)』はSに表記変更しておいた。「実弾」は仮題であるのでこのままでよし。
 21時半から授業準備。第22課の続き。爆弾魔のクソ野郎があいかわらずギイギイギイギイうるさくてたまらないので、ひさしぶりにブチ切れてしまい、椅子を持ってベッドにあがり、天井をガンガンガンガンガンガンガンやりまくった。『エイリアンvsプレデター』みたいな映画があったけど、あるいは『貞子vs伽椰子』でもいいんだが、もしいま仮にむかしなつかしい騒音おばさんがうちの隣人として越してきたら、マジで血で血を洗うような『(…)vs騒音おばさん』がはじまると思う。
 第22課、あとは応用問題を用意するだけであるのだが、その応用問題をなかなか詰めることができず、うーんとなったところで気分転換にシャワー。無事ひらめく。あがってストレッチ。腹筋を酷使し、プロテインを飲む。餃子を茹でて食し、ジャンプ+の更新をチェックしたのち、1時半から2時半までふたたび授業準備。しかし応用問題用の画像を集めるだけで終わってしまう。ゲーム式応用問題のアイディア、けっこうたくさんあるのだが、その中からもっとも効果的なものを選び出すために手と頭を使っていろいろシミュレーションしていると、うーん、ああでもない、こうでもないとなってしまう。むずかしい。
 歯磨きをすませてベッドに移動する。「行人」(夏目漱石)の続きを読む。「それから」は友人の妻と一緒になるという話だったが、そうか、「行人」は嫂なのか。かつて読んでいるはずなのだが、そういう大筋すらもはやおぼえていなかった。しかしおもしろい。妻の心がじぶんにではなく弟(二郎)にむいているのではないかと疑った兄(一郎)が、その弟に対して漏らす煩悶「ああおれはどうしても信じられない。どうしても信じられない。ただ考えて、考えて、考えるだけだ。二郎、どうかおれを信じられるようにしてくれ」というセリフなど、その言葉自体はなんてことないのに、それまで描写(造形)されてきたその人物像と一種齟齬をきたすようなかたちで突然あらわれるので、なかなかすごみがあってぎょっとする。以下、そのくだり。

「兄さん」と自分が再び呼びかけた時、彼はようやく重そうに頭を上げた。
「兄さんに対して僕がこんな事をいうとはなはだ失礼かも知れませんがね。他(ひと)の心なんて、いくら学問をしたって、研究をしたって、解りっこないだろうと僕は思うんです。兄さんは僕よりも偉い学者だから固(もと)よりそこに気がついていらっしゃるでしょうけれども、いくら親しい親子だって兄弟だって、心と心はただ通じているような気持がするだけで、実際向うとこっちとは身体が離れている通り心も離れているんだからしようがないじゃありませんか」
「他の心は外から研究はできる。けれどもその心になって見る事はできない。そのくらいの事ならおれだって心得ているつもりだ」
 兄は吐き出すように、また懶(ものう)そうにこう云った。自分はすぐその後に跟(つ)いた。
「それを超越するのが宗教なんじゃありますまいか。僕なんぞは馬鹿だから仕方がないが、兄さんは何でもよく考える性質だから……」
「考えるだけで誰が宗教心に近づける。宗教は考えるものじゃない、信じるものだ」
 兄はさも忌々しそうにこう云い放った。そうしておいて、「ああおれはどうしても信じられない。どうしても信じられない。ただ考えて、考えて、考えるだけだ。二郎、どうかおれを信じられるようにしてくれ」と云った。
 兄の言葉は立派な教育を受けた人の言葉であった。しかし彼の態度はほとんど十八九の子供に近かった。自分はかかる兄を自分の前に見るのが悲しかった。その時の彼はほとんど砂の中で狂う泥鰌(どじょう)のようであった。
 いずれの点においても自分より立ち勝った兄が、こんな態度を自分に示したのはこの時が始めてであった。自分はそれを悲しく思うと同時に、この傾向で彼がだんだん進んで行ったならあるいは遠からず彼の精神に異状を呈するようになりはしまいかと懸念して、それが急に恐ろしくなった。

 あと、「何だか柔らかい青大将に身体を絡まれるような心持もした」という比喩があり、また青大将いうとるやん! となった。青大将で過去ログを検索してみると2022年11月24日づけの記事に、「寝床に移動し、『彼岸過迄』(夏目漱石)の続きを読む。「冷たい青大将でも握らせられたような不気味さ」という比喩を見て、あれ? と思った。漱石のほかの作品でも青大将を用いた比喩があったような気がしたのだ。しかし思い出せない」とある。
 ま、こちらは青大将という言葉を見聞きするたびに、梅田駅かどっかで加山雄三を見かけた(…)さんが「青大将! 青大将!」と呼びかけたというエピソードを思い出して笑ってまうんやが。