20230214

 一九一二年、ムージルアヴァンギャルドの戦闘的な自負心をあらわにして要求する。「こんにち、精神の大胆さはすべて精密科学にある。今後われわれはゲーテやヘッベルやヘルダーリンにではなく、マッハ、ローレンツアインシュタイン、ミンコフスキー、クテュラ、ラッセル、ペアノに学ぶことになろう……」(…)。フロイトの名が書かれていないが、ムージルは、新興の学問から得られる「示唆の価値」(…)を最初に認めたモデルネの作家のひとりであった。「得体の知れぬ脅威であると同時に興味をそそる手強き隣人」(…)、精神分析。この学問とムージルの作品との関係は、作者が死すまで協同と競争の相をおびることになる。
(オリヴァー・プフォールマン/早坂七緒、高橋 完治、渡辺幸子、満留伸一郎・訳『ローベルト・ムージル 可能性感覚の軌跡』)



 11時半にアラームで起きた。はやく起きて身支度を整えないと、浴室の工事のために人夫がやってくるというあたまがあったのだが、30分延長してうとうとした。ベッドから抜け出し、腰の具合を確認し(昨日より良くなっている!)、歯磨きしながらスマホでニュースやモーメンツをチェックする。学生らが情人节がどうのこうのと騒いでいるのを見て、あ、今日はバレンタインデーかと思う。中国のバレンタインデーといえば七夕のほうがメインで、2月14日のほうは全然という印象が、少なくともこちらが中国に渡ったばかりのころは強かったように思うのだが、あれは勘違いだったのだろうか? それとも若い世代ではそのあたりの意識も変化しつつあるのだろうか? 少なくともモーメンツをのぞくかぎり、けっこうな数の学生が情人节に言及していて、ふつうにカルチャーやんという感じ。あと、卒業生の(…)さんが婚約報告しており、ひえっ! となった。(…)さんは(…)出身。だから小中高大とずっと(…)にいたし、就職もやはり(…)でしたという話を数年前に聞いたのだが、いまもやっぱり(…)にいるのだろうか?
 トースト二枚の食事をとり、白湯を飲み、食後のコーヒーを淹れて、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ひとつ書き忘れていたが、昨夜、ルームフレグランスをナイトテーブルから阳台に移動したのだった。においが強すぎて、ちょっと鬱陶しく感じられてきたので。
 ウェブ各所を巡回し、2022年2月14日づけの記事を読み返す。(…)先生一家と川原で花火をした日。2021年2月14日づけの記事がおもしろいが、引くのはめんどくさいので直接読み返せと一年後のこちらに向けて記されていたので、指示通り読み返してみたら、なるほどおもしろかった。しかし孫引きの孫引きの孫引きみたいな、わやくちゃなアレになっていてたしかに引くのがかなり面倒くさい様相をていしていたので、初出をちょっと整理してここにあらためて引こうと思う。
 まず2009年2月10日づけの記事より。

(…)マクドで本を読んでいて、途中からとなりの席に着いた大学生男子二人組の、その片割れが興奮すると声が大きくなるタチだったらしく、十分に一度くらいの割合でぎゃーぎゃーとわめかれ、率直にいって少々うざかったのだけれど、ホットコーヒーのおかわりが無料だということを知らなかった相方にむけて発した、「これ永遠の飲み物だぜ!」という発言には不意をつかれたというか、もうすこしで吹き出すところであぶねーという感じだった。語の組み合わせが斬新すぎる。
(2009年2月10日づけの記事)

 それを受けたのが、以下。2020年2月14日づけの記事。

「これ永遠の飲み物だぜ!」には当然笑ったが、しかしそれ以上に、この「大学生男子二人組」が現在三十代半ばであるというその事実のほうにぐっとくるものがあった。あるいはまた、そのように彼らの現在のことを想像しているこちらがいることを、彼らふたりのほうではきっと考えたこともないだろうこと——そのことになんともいえないほどの風通しの良さをおぼえる。「これ永遠の飲み物だぜ!」という、発言者当人も忘れている可能性のきわめて高い馬鹿馬鹿しい言葉が、赤の他人によって日記に書きつけられていること、そしてその記述をきっかけにおよそ11年後、おなじ赤の他人によってみずからの現状が想像されていることを、当の本人らは絶対に知ることがないという事実――ここに自由がある。じぶんにたいする言及がじぶんのまったくあずかりしらぬ予想だにしない一画でなされている彼らの立場に立つとき、じぶんにもまたそのような死角があることをありありと感じる。死角、それは他者だ。この世界には他者がいる。他者とはこちらの支配をのがれ、想像をうらぎり、視界をふりきりその外へ外へと逃げ去るものだ。そのような他者の存在だけが、どういうわけかこちらには自由を担保してくれるものとして映じる。あるいは自由とは——少なくともこちらにとっては——じぶんの予測や常識をうらぎるすべての事象にあたえられた名前なのかもしれない。そしてくりかえしになるが、それこそ他者の存在によって担保されているものなのだ。
(2020年2月14日づけの記事)

 さらにこれを受けたのが、以下。2021年2月14日づけの記事。

「他者とはこちらの支配をのがれ、想像をうらぎり、視界をふりきりその外へ外へと逃げ去るものだ。そのような他者の存在だけが、どういうわけかこちらには自由を担保してくれるものとして映じる。あるいは自由とは——少なくともこちらにとっては——じぶんの予測や常識をうらぎるすべての事象にあたえられた名前なのかもしれない。そしてくりかえしになるが、それこそ他者の存在によって担保されているものなのだ」という箇所、けっこう大事だ。「予測や常識をうらぎるすべての事象」というのは、現実的なもの(出来事)であるが、それこそが「自由」である、と。そしてそのような「自由」を担保するのが「他者」である、と。現実的なもの(出来事)をもとめる傾向を仮に(死の)欲動とすれば、(死)の欲動とは「自由」をもとめる力であるということになる。そしてこの場合の「自由」とは、象徴秩序の対義語ということになるだろう。自由とは危険なものだ。そして主体はその自由を享楽せずにはいられない。
(2021年2月14日づけの記事)

 で、これらの内容とかすかに響き合うものとして、以下。初出は2019年2月12日づけの記事。

(…)先生のレジュメにはところどころ(…)さんの書き込みの痕跡があった。一年生当時の、まだ全然日本語ができなかった彼女のお世辞にもうまいとはいえない筆跡だ。(…)先生は(…)先生で、レジュメは基本的にはもちろんWordを用いて作成しているのだけれども、ところどころに手書きのイラストや手書きの文字を添えている。そんなふたりの筆跡を相手取りながらこちらはこちらでまたメモをとっていたわけだが、そういうことをしているあいだ、たびたび、はげしくてするどい、ほとんど痛みにも似た感動をおぼえることがあった。(…)先生のことは(…)さんや学生から何度か聞いたことがある。ただ直接会ったことはないし連絡をとったこともない、そういう意味で、知っているともいえるし知らないともいえる半端な他者である。(…)さんはいま現在もっとも親しい学生のひとりであるが、このレジュメにたどたどしい日本語を書きつけていた当時の彼女とは面識がない、そういう意味でやはり、知っているともいえるし知らないともいえる半端な他者だろう。そしてそれらの半端さこそが、この世界にはじぶんではない他人がいるのだという当然の事実をあらためてみずみずしくつきつける、ほとんど啓示じみた瞬間のおとずれのきっかけとして作用したらしい。「知っているともいえるし知らないともいえる半端な他者」のものであるふたつの筆跡――それは指紋としての文字、他者の他者性(他者の特異性=単独性)のあらわれとしての文字だ――が、飛び石や踏み石のようなものとして、「(まごうことなき)他者」の実在を身体で理解するための筋道をつけてくれたのだ。結局、十数年の長きにわたってこのようにして毎日あほうのごとく長文日記を書き記しているのは、この世界にはじぶんではない他者がいるという当然の事実を、そしてその他者ひとりひとりに固有の記憶があるという当然の事実を、確認して指摘するためでしかないのかもしれない。実際、日常生活のなかでしばしば啓示に打たれたと感じるときというのは、だいたいいつも「他者」にたいする認識が十全に果たされたときではないか? そしてその「他者」にたいする十全な認識が、こちらの論理では、そのままある種の解放感/開放感、風通しの良さ、身体の軽さ、すなわち、「自由」の確保に短絡することになる。他人を見るたびにいちいち「他者」を感知していては、現実的な生活はほぼ不可能である。であるからひとは通常、そのような「他者性」を括弧に入れて処理する。イギリス留学時代の漱石が裸婦画を鑑賞するのは決してなまやさしいことではなかったというようなことを柄谷行人がどこかで書いていたが、あれはとどのつまり、裸婦像の性的側面を括弧に入れることでしか芸術としてのヌードは成り立たない(そしてそのためには特別な訓練が、そのような文化的背景を持たない当時の日本人には必要だった)ということだろう。あるいは、谷川俊太郎のお悩み相談室的な書籍だったかで、患者が死ぬたびに悲しくて泣いてしまうという医療関係者について谷川俊太郎がけっこう突き放した回答を寄越していたおぼえがあるのだが、あれも患者の実存(特異性=単独性)をまずは括弧に入れるのが医療に従事するものの覚悟であるのではないかと諭すようなものであったはずだ(ただし、おなじ医療でも、精神分析の現場においてはこれとまったく正反対の態度がもとめられるわけだが)。それにからめていうと、こちらはおそらく他者の他者性(他者の特異性=単独性)を括弧に入れることがあまりうまくない人間だということになるのかもしれない。こちらの括弧はおそらく箍が外れかけている。だからすぐに「他者」を見、「他者」を聴き、「他者」を感じ、そして法悦や啓示の敷居に立ち尽くしてしまう(こちらが筆跡フェチであるのも、その中に「他者」を見出しやすいからだろう)。こちらの生活の端々に顔をのぞかせるあれらの宗教的な感動は結局そういうことなのではないか?
(2019年2月12日の日記)

 2013年2月14日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に転載する。この日は(…)くんからスカイプの誘いがあったらしい。スカイプという単語がすでにもうなつかしいな。以下は物書き病について。もっとも、この当時は物書き病という名前をまだ使用していないが。去年、七年ぶりにブログを一般公開することに決めた理由のひとつに、この物書き病の寛解があった。

ブログといえばこれはもう過去にも何度か書いているような気がするけれど、こうやって毎日のように出来事やら思ったことやらを書きつづけているとじぶんの思考がこのブログの文体に規定されてしまうようなところがあって、たとえば今日でも散歩しながらいろいろな物思いに耽ったりしたのだけれどそれらの物思いはすべてこのブログのこの文体ではっきり文章化された体裁をとっており、じぶんが考えているというよりもこの文(体)が思考しているという実感をつくづく得る。文未然のあの物思いらしい物思いにふけるひとときというのはもうじぶんにはほとんど許されていないのかもしれない。無意識の死? それはいくらなんでも飛ばしすぎだろう。ただし、文=論理性・因果律のこの圧倒的な前面化によってひらめきが失われたのではないかという懸念は少しある。ただこれも考えようによってはあたまの中のキーボード相手にインプロヴィゼーションで打鍵しつづけているのが常態化しているともいえるわけで、インプロヴィゼーションはしばしばひらめきを呼び寄せるきっかけになることを考慮すると、じぶんは呼吸をするようにひらめきを呼び寄せているのだと、そういうふうに解釈してみることもできる。これらすべて今日の散歩中これらの文章のままに考えたことである。

 あと、「常識よりも条件を要請する」という、かつて(…)がこちらを評した言葉が引かれていて、うわ、なつかしいな! そんなフレーズあったな! とびっくりした。こう評された当時、こちらはまだ大学に入学したばかりだったと思うのだが、つまり、まだ文学とほとんど接触していなかった時期だと思うのだが、そうだった、あのころからすでにじぶんにとって必要だと思われる事柄であればそれを常識や法律よりも優先していた、そしてそのことに引け目をおぼえる必要などいっさいないと公言していたし実際感じてもいなかったのだった、そしてそうしたこちらのふるまいを(…)は端的にこのように表現したのだった。

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は17時前だった。作業中はずっと『Melanesia』(Roberto Musci)を流していた。結局浴室の業者は姿を見せなかった。ま、中国あるあるだ。明日か明後日か、なにごともなかったのように姿をあらわすのだろう。しかし今日の分を取り返すために明日の朝からやってくるとか、そういうパターンはマジでやめてほしい。
 阳台の窓越しにながめるおもてがいつのまにか晴れている。空は例によってずいぶんガスっているが、それでも晴れ間は晴れ間だ。11日ぶりの太陽だ。どうせだったらそっちで作業すればよかったなと思った。
 キッチンに立つ。『AINOU』(中村佳穂)を流しながら、米を炊き、鶏胸肉とブロッコリーとトマトとニンニクをカットし、タジン鍋にドーンしてレンジでチーンする。なんでこんなボディビルダーみたいなメシ食わなあかんねん。中村佳穂の去年リリースされた新譜『NIA』、結局ほとんどききかえしていないな。『AINOU』ははじめてきいた瞬間から大好きで、リリースされてしばらくのあいだはほぼ毎日流していたんだが。
 食す。そのまま授業準備。第31課の続き。ひとまずアクティビティを完成させる。これはさすがにちょっとボリューム不足かもしれんなと思うが、いやこれくらいがかえってちょうどよかったりするのだ、先学期の授業なんてほぼ毎回時間不足に終わっていたわけであるし。

 授業準備を切りあげると、時刻は20時半だった。簡易ラックを段ボールから取り出して組み立てる。一部プラスチックに亀裂が入っていたが、返品するのもめんどうくさいし安物だし、見栄えなどいっさい気にせず、そのまま使うことに。組み立てもクソ大雑把にすませる。脚の長さが微妙に異なるせいで、地面と平行にならずかたむくが、そのままでよしとして、水回りのブツを組み上がったものにまとめて収納し、洗濯機の横に置く。
 それからふと思いたち、軽度身体障害者当事者研究みたいな本はないだろうかとKindleストアで検索する。なし。ググる。「「軽度」障害者のジレンマが語る日本社会における障害問題構造」(要田洋江)という論文のPDFがヒットしたのでダウンロードする。北京の(…)くんから修士論文の件で質問があったので返信する。前回こちらが手伝った分類作業について、ひとつ漏れがあった。
 浴室でシャワーを浴びる。ストレッチをする。「「軽度」障害者のジレンマが語る日本社会における障害問題構造」を印刷する。卒業生の(…)さんから微信が届く。昼起きたとき、日本文化を知ることのできるウェブサイトはないだろうかというクソデカい質問が届いていたのに気づいたので、もしかして卒業後のいま日本語教師でもしているのかなと思いつつ、日本文化とひと口に言ってもむずかしい、それに日本のウェブサイトは中国から基本的にアクセスすることができないよと返信しておいたのだが、それに対するお礼の返信が夜遅く届いたかたち。力になれず申し訳ない、もしかしたら中国のインターネット上にそういうウェブサイトもあるのかもしれないが、ぼくは中国のインターネットのことをよく知らないので、とこちらもさらに返信。それからしょうもない表情包のやりとりを少々続ける。(…)さんと微信でまともにやりとりするのは今回がはじめて。コロナのせいで二年近く顔を合わせる機会のなかったクラスのなかでもさらに目立たない学生だったわけだが、ふしぎと顔ははっきりとおぼえている。だから去年の夏、卒業写真の撮影現場で再会した際にはすぐに相手の名前を言い当てることができた。(…)さんを筆頭とするグループからいじめられていた子。
 『The Malady of Elegance』(Goldmund)と『Domicile』(Helios)を流す。GoldmundとHelios、変名の同一人物であることをはじめて知った。そうして「「軽度」障害者のジレンマが語る日本社会における障害問題構造」を読む。「実弾(仮)」のヒントにならないかなという下心で読みはじめたのだが、いくつか印象的なポイントがあった。

 ところで、「軽度」障害者を自認する人びとから語られた問題は、いわゆる「障害者」のリアリティと「軽度」障害者のリアリティとのズレや、そこに孕まれる「障害者」アイデンティティを持つことへのジレンマについてである。すなわち、これまでの政府の障害者政策が対象としてきた「障害者」は、主として重度障害者を対象としていた。施設収容主義を基本にもつ従来の障害者政策を批判した1970年代の障害者運動は、当然のことながら、地域で生きることが難しいとされて施設収容の対象となった重度障害者によって主として担われてきた。したがって、 重度障害者とは異なるリアリティを生きていると述べる「軽度」障害者は、自らを「障害者」として認知することは重度障害者として認知することになり、そこから生まれる違和感を語る。例えば、田垣正晋[202]は、自らを「どっちつかず」のつらさをもつ境界人としての「軽度」障害者と位置づけ、その特徴を、次のように述べている。
 「『軽度』障害者は、仕事や娯楽を含めた日常生活において、健常者とも重度障害者とも完全にやっていくことが難しい。(中略)『軽度』障害者は健常者の集団にも、障害者の集団にも属しにくい。健常者と関わろうとしても、その障害によって『できないこと』がある。同時に、かかわることで周囲から『障害者』と一くくりにみられることを避けようとして、重度障害者と距離をおこうとする」(101頁)、と。

 「軽度」障害者を形成する人びとのリアリティと、いわゆる「障害者」のリアリティの違いとは、「軽度」障害者が「一般社会(健常者世界)に生きる『障害』のある人」のリアリティだからである。それに対して、「障害者」カテゴリーに属する重度障害者のリアリティは、「排除された空間(障害者世界)に生きる『障害』のある人」のリアリティと見なすことができる。このように捉えると、「軽度」障害者が用いる「軽度」とは、健常者/障害者二分法によって、生きる世界が分断された社会のなかで、「一般社会(健常者世界)に生きる人びと」という意味と理解できる。

 「重度障害者が障害者のモデルとして一般に理解される結果、障害者の困難は、障害の程度の軽重に比例すると理解され、『軽度』障害者の生きづらさは、障害者集団の中では大きな問題ではないとして扱われることである」という秋風[208]の指摘は、「障害」のある身で健常者世界を生きるということの生きづらさ、つまり、一般社会の構成員として敬意を払われる人となるために、「健常者」並みにするための生きる努力は考慮されず、うまくいっても「当たり前」として、その努力を無視されるが、うまくいかない場合は、さらに自己に否定的な評価が下されるという一般社会に生きる「障害」のある人の生きづらさを表現していると言えよう。

 このあたりを読んで、(…)をいわゆる「重度障害者」と対面させるシーンがあってもいいかなと思ったのだが、それに近いシーンはすでに小説の論理にうながされるかたちで書いているわけだし、付け焼き刃の知識でとってつけたようなことはしないほうがいいかな。
 それから注釈にあった以下のくだり、「実弾(仮)」には関係ないのだが、おもしろく読んだ。

難聴者とは、「聴力障害がある人」と見る医学的カテゴリーの人びとであり、障害程度は医学的測定単位(デシベル)で測定され、中・重度難聴児の場合手話ではなく、読唇と発話によりコミュニケーションをとる口話教育を受けた人びとを指す。一方、手話言語で互いにコミュニケーションを取り、「ろう文化」を形成する言語的マイノリティであることを表明する「ろう者」とは区別される。「ろう文化」は、アメリカにおいて、言語学者により、アメリカ手話(ASL)が、英語とは異なる文法を持ち、単なる身振りとは異なる言語の一つであることを明らかにしたことから生まれてきた。なお、「ろう文化」を主張するろう者は、自らを医療的介入、医学的リハビリテーションが必要な「障害者」としては認知せず、言語的マイノリティとして捉えることを求めている。

 読み終えたところで、今日づけの記事の続きを少しだけ書きたした。0時になったところでキッチンに立ち、具なし出前一丁をこしらえる。食しながらジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませた。それからひさしぶりに淘宝で服をいろいろにチェックしてしまい、サロペットを購入しそうになったが、いや冷静になれ、おまえにこれは似合わないぞ、とぎりぎり自制した。
 それから寝床に移動し、『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー ヤンキーの生活世界を描き出す』(知念渉)の続きを読んで就寝。