20230215

(…)『合一』を再読したときもそうだが、後年ムージルは『熱狂家たち』をあらためて読み返した折り、自分の要求が読者にとって過大なものになりかねないことを、身にしみて感じないわけにはいかなかった。「それから自分はこれを読んでいるうちにくたびれてしまった(案の定、自分ですらそうなのだ!)そこで、自分は何か重大な誤りを犯したのではないか、と思案してみる[…]。戯曲には無駄な部分がなければならない。一息入れる箇所とか、薄っぺらなところとか。そしてその対立物として、問題解明に注意を集中させる箇所が」(…)

「読者を敬う気持ちがあるから、自分は金儲け主義の作家になれなかったのである」
(…)

 『特性のない男』を書いたあとですら『熱狂家たち』を「わが代表作」(…)と呼んだほど、ムージルがこの戯曲に込めた野心は大きかったわけだが、それだけに不成功と失望は大きな痛手となった。出版社探しからして困難を極め、ようやく一九二一年にドレースデンのジビュレン出版社から刊行された。二〇〇〇部刷られたが、一七年たっても売り切ることはできなかった。刊行を引き受けてくれる出版社が見つかる前からムージルは上演の可能性を求めて奔走し、心身ともに疲れ果てた。著名な劇団や演出家は興味を示しはするものの——やはり首を縦に振らない。フランツ・ブライが根気よく宣伝してくれたが、徒労に終わった。この戯曲に対する関心を呼び起こそうと、一九二三年にアルフレート・デーブリーンがクライスト賞を、一九二四年にはフーゴ・フォン・ホフマンスタールがウィーン市芸術賞をムージルに授与したが、これも上演には結びつかなかった。
(オリヴァー・プフォールマン/早坂七緒、高橋 完治、渡辺幸子、満留伸一郎・訳『ローベルト・ムージル 可能性感覚の軌跡』)



 8時半過ぎに(…)からの着信で目が覚めた。おそれていたことが起きたのだ、きっと業者が朝からやってきたのだ、そう思いながら電話に出た。やはりそうだった。workersがいまあなたの部屋の前にいると(…)は言った。午後からではないのかとねぼけたあたまで答えると、午前から働くといっている、あなたのhabitはわかっている、となりの部屋に移動してもう一度寝てもいいというのだが、浴室の床をハツるのであれば隣室にいてもどのみちやかましくて眠れないだろう。なにより部屋を留守にしたくない。おぼえている? 以前業者がうちの部屋に来たとき、夏休みか冬休みだったと思うけど、と私物が盗まれた件について切り出そうとすると、(…)はおぼえているといった。どうするかはup to youだというので、Okayと受けて、通話を終えた。
 ベッドから抜け出し、部屋着のダウンジャケットをはおり、眠い目をこすりながら玄関のとびらをあけると、(…)と人夫がふたりいた。三人そろって部屋に入ってくる。人夫らは阳台にある折りたたみデスク、椅子、きのう組み立てたばかりの簡易ラックをリビングのほうに運び出した。さらに寝室の姿見もそちらに移動させる。(…)はにおいの強烈なたばこを吸いながらそのようすをながめていた。こちらは浴室からシャンプーやボディソープや歯ブラシや歯磨き粉を移動させた。
 ほどなくして(…)は出ていった。工事がはじまる。こちらはひとまずデスクに向かった。ドリルの音はやはり生半可なものではなかった。まずふつうにフロアが震動するし、その震えが椅子に腰かけたこちらの身体にまでおよぶ。これはさすがにちょっときついなと、(…)は先ほどの通話であらためてseveral daysと口にしていたわけだが、仮に四日間であるとして、そのあいだずっとこの騒音と震動の中で生活をするのかと考えると、これはちょっと無理でないの? という感じ。しかしハツるものをハツッたあとはそれほどたいした騒音はなかった。やかましかったし、人夫の吸うたばこのにおいもやはり鬱陶しかったが(彼らは彼らで気をつかってか、阳台の窓をあけっぱなしにし、たばこを吸うときはその外に顔を出すようにしていたのだが、それでも隣室にまで入りこんでくるほどしつこい香りのたばこなのだ)、まあこれだったら仕事ができんわけでもないなという感じ。
 そういうわけで、キッチンで歯磨きと洗顔をすませ、白湯を飲み、トースト二枚の食事をとったあとは、豆を切らしているのでインスタントコーヒー片手に、デスクに向かってきのうづけの記事の続きを書きはじめた。途中、キッチンに立ったときになんとなく水道を確認してみたところ、水が出なくなっていたので、ああ、工事中はいったん止めているんだろうなと思ったが、これが仮にいまだけの話ではなくてseveral daysにおよぶものだったとしたら、それはちょっと鬱陶しいぞと思う。自炊することができなくなる。
 四時間あるかなしかの睡眠だったのでさすがにあたまがぼうっとするしまぶたも常に重い感じがするし、さらには人夫らがしょっちゅう部屋を行ったり来たりするせいでエアコンをつけっぱなしにしてもなかなか部屋が暖まらないというアレもあったわけだが、ひとつだけ痛快なことがあった。人夫が浴室をハツりはじめた途端、上の部屋で爆弾魔が動きはじめる気配がしたのだ。階下からのとんでもない騒音に叩き起こされたに違いない。ざまあみやがれクソ野郎が! 死なば諸共じゃ! 地獄へようこそ! ババアも連れてこい!
 作業中、何度か隣室の便所に立った。つまり、かつて(…)らが住んでいた部屋をおとずれたわけだが、掃除をしたばかりらしく全室ぴかぴかで、ということはやはり三月に越してくることになっているという外国人教師がおそらくこの部屋で生活をはじめるということなのだろうが、マジでたのむから静かな人間に来てほしい。(…)夫妻はときおり獣のような性交をしたり激しい夫婦喧嘩をしたりして、そのときはまあまあやかましかったが、普段の生活音が気になるということは一切なかった。新入りもそういう人物であってほしい。
 11時過ぎだったろうか、人夫ふたりが作業道具をもって部屋を出ていった。昼休憩かなと思った。もういちど戻ってくるだろうし、そのときに水は今夜使用できるのかとか、午後の仕事は何時から何時までなのかとか、そのあたり確認しておこうと思ったのだが、結局そのまま戻ってこなかったので、しまったなと思った。もしかしたら今日の仕事はこれで終わりだったりするんだろうかと、真っ黒なセメントかなにかが黒々とした光沢に濡れている浴室のフロアを見て思ったのだが(阳台もびちょびちょに汚れているために部屋履きのスリッパで入ることはできない、寝室と阳台をさえぎる窓越しに首をつっこんで浴室のほうを遠目にながめるのみ)、荷物がいくつか置きっぱなしになっているふうだったし、阳台の窓も開けっぱなしになっているので、たぶん午後にまたもどってくるのだろう。
 だったらそれまでに買い出しにいくなり、水が使えないのであるから外で昼飯を食うなりしたほうがいいのかもしれない。いいのかもしれないと思いつつも、まずはきのうづけの記事の続きを書いて投稿することを先決とした。投稿のすんだところでそのまま2022年2月15日づけの記事の読み返し。卒業生の(…)くんのリクエストで万达にある日本式焼き肉の店でクソ割高な焼肉を嫌々食った日。(…)くんのバカエピソードがいろいろ書きつけられているが、めんどうくさいので引かない。
 それから2013年2月15日づけの記事を読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に転載する。「虫酸が走るわ。ぺっ。っていうこのスタンス」という邪悪な綿矢りさみたいなフレーズが唐突に出現する以下のくだりに笑ってしまった。(…)くんとは(…)くんのこと。

とはいえこれはきのう(…)くんとスカイプしているときに話したことでもあるのだが、疲れれば疲れるほどよろしいという発想は苦労は買ってでもしろという発想に結びつきやすところがあり、そして苦労は買ってでもしろという発想はまったくもって忌むべきものにほかならず、というのは「どうしてこれだけ苦労(努力)しているのにじぶんは報われないのだ!」という醜悪なルサンチマンにたやすく接続されるものであるからで、ゆえにニーチェも語っていたとおり苦労を誇るなどというはしたない真似などしてはいけない。そんなものは醜悪だ。苦労を誇るひまがあるならできるだけじぶんが楽に過ごせるポジションを探すべきだ。これは日本人に特有なアレであるのかどうかはわからんが、なるべく楽なポジションを探そうとする努力をハナから放棄して苦労に耐える努力のほうこそを「これこそ美徳である!」という封建時代の産物というほかない慰めの論理としてもあまりに稚拙な意気とともに選択するというのはいったいどういうことか。そしてその手の連中にかぎって楽なポジションを手探りしつづける創造的な人間を指差して「ずるい!ずるい!おまえはずるい!」と馬鹿の一つ覚えのように叫ぶ。醜悪だ。滑稽だ。愚昧にもほどがある。ブラック企業がうんぬんかんぬんとかいまさら何を言ってるんだという話だ。出る杭を打ち、長いものに巻かれ、苦労とは美徳なりという征服者のプロパガンダにまんまと染め抜かれ、本来なら連帯すべき水平関係にあるもの同士で足の引っ張り合いをしつづけた結果がこれだ。すべて奴隷根性が呼びよせたもの。Q.E.D. 虫酸が走るわ。ぺっ。っていうこのスタンス。さびしさはまだ鳴ってるの?

 これは週休五日制の毎日を送るこちらに対してやたらと突っかかってきた(…)さんや(…)さんに対するいらだちの表明だろう。ちゃんと働け、ちゃんと稼げ、ちゃんと将来を考えろと、こちらからはなにも相談していないしなにも迷惑をかけてもいないにもかかわらず、いつもやたらとうるさく説教をかましてきて、正直かなり辟易していた。そもそもこちらは自腹で借金を背負って大学に通ったわけで、親から学費だの仕送りだのもらってきた連中に金のことでとやかく言われる筋合いはないだろうというアレもあったわけだが、(…)さんはカフェのマスターという立場ゆえに若い客とのあいだに転移が成立することが多く、それで調子をこいてこちらにも知を想定された主体ぶって接触してきているのが丸わかりなのがうざかったし(カフェのマスターってなんでみんなきいてもねーのに偉そうな人生相談モードでひとの話割って入ってくんのやろなと(…)もよく言っていた)、(…)さんはじぶんが画家の道をあきらめて商業イラストレーターとして生きざるをえなかった挫折の経験(酔っ払ったときにそうはっきりと口にしていた)を正当化するため、彼女の人生における「画家の道」とひとしい道をそれ以外の道にはことごとくそっぽむきながら生きているようにみえたこちらを攻撃しまくるという浅はかにして露骨な心理の一挙手一投足がうざかったし、なによりもふたりともこちらよりひとまわり以上年上であるにもかかわらずそういうじぶんのうざい自意識を一ミリも自覚できていないその無反省な愚かさがうざかった。

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は13時前だった。キッチンの水は出ない、つまり、昼飯を用意することができない。人夫らの戻ってくる気配もない。中国のこういう業者ってだいたい昼休憩は14時30分までなんだよなという経験則があったので、この隙にひとまず(…)に出かけることに。ひさしぶりの晴れ間であるし、パーカーにピーコートで手袋はなしという油断した格好でおもてに出たのだが、気温は普通に低くて失敗した。それでも自転車であれば片道五分とかからない距離である。
 腰の具合もずいぶん良くなってきているので、いつもどおりまとめ買いする。野菜コーナーではパクチーと青梗菜とトマト、精肉コーナーでは豚肉五パック。精肉コーナーのおっちゃんがなにがほしいんだみたいなことを聞いてくるわけだが、別のおっちゃんが、こいつ外国人だよ、おれたちのいうこと聞き取れないよ、みたいなことを言っていて、とうとうこの店のスタッフにもアイデンティファイされつつあるなという感じ。あと、前回歯磨き粉を買ったドラッグストア的な一画で食器用洗剤を見ていこうと思ったのだが、ここでもやっぱりおばちゃんスタッフがすぐに声をかけてきて、なにがほしいんだというので、まずは全体をゆっくりjust lookingしたかったんだがと思いながらも、洗剂とか盘子とか片言の中国語と皿洗いのジェスチャーで訴えたのだが、なぜか全然伝わらない。で、そうこうするうちにほかのおばちゃんらも集まってきて、最終的に三人か四人を相手にすることになったのだが、そのなかのひとり、察しのよい女性がこっちだといいながら案内してくれた先には衣料用洗剤があり、それじゃねーよ! 手洗いしねーよ! 洗濯機あるよ! それであらためて盘子! 盘子! と訴えたのが、みんなはてな? という顔をする。なので、吃饭以后みたいなことを続けたら、そこでようやく、あー! となって通じたのだが、その際におばちゃんらがみんなxi1wan3と口々にいって、あ、洗碗か、皿洗いは洗碗というんだなと学んだ。
 ほか、红枣のヨーグルトも買って店を出る。寮に戻ると、門前に人夫と談笑する管理人の(…)の姿があったので脇に自転車を止め、断水についてたずねる。いまは一時的に元栓を閉めている、作業が終わったあとはふたたび使うことができるとのこと。問題なし。部屋にもどり、红枣のヨーグルトを食い、ベッドに移動して軽くうとうとする。
 予想どおり14時半になったところで扉をノックする音がする。人夫らを部屋に招き入れ、こちらはデスクに移動。日語会話(三)の授業準備。第32課。おおまかな流れだけひとまずこしらえる。
 人夫らは15時半に去った。たぶんハツッた床にあらためて埋めたセメントかなにか知らんがそういうやつが乾くまでに時間がかかるのだろうと思う。去り際にキッチンのほうの水がちゃんと出るかどうか確認してみてくれというので栓をひねる。問題なし。明日は何時ごろに来るのだとたずねると、午前8時か9時だという。了解。辛苦了! バイバイ! と告げて部屋から送り出す。階段をおりるふたりが、あいつは日本人だ、けっこう聞き取りができる、ちょっとかっこいい、みたいなことをいうのがきこえた。
 ひととき休憩し、16時になったところでキッチンに移動する。ふたりいた人夫のうち、ひとりはくたびれたおっさんなのだが、もうひとりは柔道家みたいな体格をした若い男で、円というよりは三角形に近いあたまを丸刈りにしていて、なんかどこかで見覚えがあるんだよなという気がしてならなかった。で、昨日の時点ではたぶん『風来のシレン』のペケジだなと思っていたのだが、これを書いているいまわかった、(…)に赴任したばかりのころにたびたび通っていたキャンパス内にある飯屋の息子だ、いまは瑞幸咖啡か快递になっているあのあたりにかつてあった店で、こちらはそこでしょっちゅう西红柿炒鸡蛋を打包したものだった、すっかり忘れていた!
 メシ食う。Hi-STANDARDのドラムの訃報を知る。ハイスタ、中学生くらいのときにめっちゃ流行っていたな。食後ひとときだらだらしたのち、18時半になったところでコーヒーを用意し、授業準備を再開するが、睡眠不足のせいで当然あたまはろくに働かない。それでも20時までねばる。ねばったところで意味はない。応用問題とアクティビティは後日また考える。
 隣室に移動し、シャワーを浴びる。隣室は家族用の部屋なので、部屋数もこちらの部屋よりひとつ多いし、リビングも阳台も広いし、窓も大きい。浴室も当然広い。ちょっとうらやましい。部屋数は別にいまのままで十分なのだが、阳台がソファの置けるほど広くて、巨大な窓に面しているというのがいい。昼寝も書見もあそこで気持ちよくできる。こちらの部屋の阳台は名ばかりの、実質ほぼ浴室の延長、脱衣スペースみたいなものだ。
 自室にもどる。ストレッチをし、食パンの残りを食う。そのまま悦惠で買ったカップヌードルのトムヤンクン味も食う。歯磨きをしている最中、BingのAIに授業の応用問題やアクティビティを作らせることができるんではないかとひらめき、さっそく利用してみようと思ったのだが、利用するのに順番待ちみたいな表示がされていて、あれ、これってまだ正規リリースされているわけではないのか? それともアクセス過多ゆえに便宜的にこういう措置をとっている? わからんが、とりあえずその順番待ちに登録するだけした。その後ベッドに移動して一瞬で沈没。