20230301

 三つ目は街頭での読書、すなわち壁新聞である。これは文化大革命が我々の町にもたらした独特の光景だった。当時、壁新聞を引きはがすのは反革命行為とされたから、新しい壁新聞は古い壁新聞の上に貼るしかなかった。壁はだんだん厚くなり、我々の町は着ぶくれしたかのようだった。
 私は文革初期の壁新聞を読んだことがない。そのころの私は小学校に上がったばかりで、七歳前後だったから、壁新聞の表題が読める程度の漢字しか知らなかった。当時の興味は街頭での激しい武闘で、私は戦々恐々としながら、町の大人たちが殴り合うのを見ていた。彼らは棍棒を振り回し、「命をかけて偉大な領袖・毛主席を守る」というスローガンを叫びつつ、殴り合って頭から血を流した。これは幼い私にとって、いくら考えてもわからないことだった。どちらも毛主席を守ろうとしているのに、どうして生きるか死ぬかの殴り合いが起こるのだろう。
 私は度胸がなかったので、いつも遠くで観戦していた。戦う人たちが突進してくると、一目散に逃げ出し、銃弾の届かない距離に身を置いた。二歳年上の兄は人並みはずれた度胸の持ち主で、いつも間近で武闘を見物した。両手を腰にあてがい、余裕たっぷりだった。
 我々は当時、毎日街角をうろつき、通りで演じられる武闘の光景を眺めた。映画館で白黒映画を見るのと同じだ。子供たちの間では、街に出て遊ぶことを「映画を見る」と言うのが口癖だった。数年後、映画館にはワイドスクリーンのカラー映画が登場した。我々の口癖も、これに伴って変化した。誰かが「どこへ行くの?」と尋ねると、街へ行こうとしていた子供はこう答える。「ワイドスクリーンの映画を見に行くんだ」
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 3月だぜ!
 9時にアラームで起きた。眠い。歯磨きをし、白湯を飲み、街着に着替える。50分になったところで部屋をあとにし、中国版ラジオ体操の音声が校内放送として流れるキャンパス内を歩き、(…)楼に向かった。(…)先生の付き添いで財務処をおとずれる約束になっていたのだ。(…)楼の入り口に女性がひとり立っている。(…)先生とはちょっと雰囲気が違う。しかしこちらが近づいていくにつれて、軽くおじぎをするのがみえたので、あれ? ということは(…)先生なのか? と目をほそめながら駆け足で近づく。(…)先生だった。髪型が変わっていた。以前は長い髪の毛をひっつめにしているか、六対四か七対三のところで分けているかだったのが、肩に達するかいなかくらいの短さになっており、かつ、髪色がちょっと赤くなっていた。指摘すると、ひさしぶりにパーマもあてたとのことで、たしかに毛先がくるりとかわいく巻いている。さらに服装もいつもとちがってちょっとオシャレなジャケットで、全体的に10歳くらい若返ったんじゃないか? あまりの変化だったものだから、きれいですよねとか若く見えますねとか、お世辞ではない本気の言葉を口にする機会を逸してしまった。あと、これはちょっと失礼な話になるかもしれないのでどのみち口にするわけにはいかないのだが、けっこう痩せたんではないかという印象も受けた。むかし(…)さんが、大学生時代の(…)先生の写真を見たことがあるけれどもめちゃくちゃ美人だったというようなことを何度か言っていて、たしかに(…)先生は目鼻立ちもはっきりしているしなァと思ったのだったが、今回の変化で、(…)さんの感想があらためて裏打ちされた感じ。
 ところで、(…)先生はN95を装着していた。いま(…)でN95を装着している人間を見ることなどまずないのだが、そして(…)先生はすでに感染済みであるわけだが、それでもやはりこうして警戒しているあたり、一度感染したらもう感染することはないとマジで思いこんでいるらしい大多数の中国人たちとはやっぱり情報感度およびリソースが全然違う。(…)先生によれば、(…)市内の小学校だったか中学校だったかで最近感染者が出たらしく、とりあえず一週間学級閉鎖をすることになったという。二度目の感染であるのか、こちらとおなじ未感染者がとうとう感染したのであるのかは不明。
 財務処へ。まずは翻訳の報酬についてチェック。財務処からこちらの銀行口座に支払われた金額を項目ごとに印刷してもらう。2020年に、15000元だったか18000元だったか、翻訳の報酬という名目で支払われているというデータがあったが、それはこちらも把握しているものだった。問題は2021年分のほうである。これについては、データを出してもらうためになぜか別室にひかえている事務員にお願いする必要があったのだが、そこで印刷してもらったものを見ると、やはり四ヶ月分しかふりこまれていないし、その額も計算に合わない(一ヶ月560元のふりこみになっていたが、(…)先生曰く、600元でないとおかしいとのこと)。この件については、結局、外国語学院のほうで会計をあずかっている(…)先生に確認する必要があるらしい。なので、今日印刷してもらったデータを片手に、(…)先生が後日直接(…)先生のところへ事情を聞きにいってくれることになった。
 それでいったん(…)楼をあとにしかけたが、スピーチの件について確認し忘れていたので、ふたたび財務処へ。2019年分ということになるのか、(…)さんや(…)さんや(…)さんが代表だった年——遠いむかしのようだ!——の分はきちんと振り込まれていた。去年の分については、やはり銀行口座に登録されているこちらの名義の問題でいろいろてこずっているらしい(どうも(…)の「(…)」がまた「(…)」か「(…)」になっているようす)。とりあえずここでは必要な申請書かなにかに必要事項を記入して提出する必要があるらしかったが、その申請書を持っている職員がいまはいない、さらにいつ戻ってくるかもわからないとのことで、となるとこの件については出直しとなる。別に急いでいるわけではないし、ふりこみ状況や手続き状況がどうなっているかをひとまず確認しておきたかっただけであるし、まあ今日はこれでいいかとなったまさにそのタイミングでくだんの職員がもどってきた。それで例の申請書に名前と銀行の口座番号を記入して提出。じきにふりこまれるだろうとのこと。
 外に出る。(…)楼の入り口でひととき立ち話をする。(…)くんの修論について。ひととおり事情を把握した(…)先生は、いまからでもDCTをやりなおすことはできないんだろうかと言った。やっぱりそう思うわな。(…)先生は(…)くんと微博でもつながっている。そうであるから彼の置かれている現状もある程度理解しており、指導教官となかなかそりが合わず、メンタルがかなりきつそうだと言った。中国の大学院ってどうなんですか、やっぱり厳しいんですかとたずねると、日本と同じで指導教官次第であると思うと(…)先生は言った。ただ、理系ではなく文系の場合、修論が通らず卒業できないというようなケースは滅多にきかないとのことで、だったらやっぱりどうにかなるのかもしれない。ちなみに(…)先生の修論同音異義語について。(…)くんと同様、日本語学習中の中国人を対象とするDCTでデータをとり、それを考察するというかたちだったという。言語学関係はそういうやりかたがいちばんメジャーらしい。書くのが簡単だからと(…)先生は笑った。

 雨が降りだした。(…)楼の入り口で立ち話をしているわれわれは自然雨宿りをしているふうになった。長々と引き止めるのもアレであるし、これ以上強くならないうちに帰ったほうがいいだろうと判断して歩き出した。(…)先生は近くに電動スクーターを停めていた。収納スペースに折り畳み傘が三本も入っているらしく、一本貸すと言われた。寮までそれほど遠くないしかまわないといったのだが、そうこうしているうちにちょっとずつ雨脚が強くなりはじめた。結局借りることに。裏地が花柄になっている黒い傘。
 礼を言って別れる。そのまま第五食堂へ。打包。レジで阿姨からこれ唐辛子が入っているがだいじょうぶなのかときかれたので、少しだけならだいじょうぶだと答えた。
 帰宅。食す。ベッドに移動して昼寝する。ずいぶんひさしぶりに明晰夢を見る。あ、入ったな、とわかったので、じゃあ幽体離脱でもしようかなと思ったが、明晰夢のなかでもかなり浅いほうにいる感じがしたので、これはたぶん幽体離脱しても長続きしないな、せいぜい部屋を出るか出ないかで解除されるパターンだなと判断。そうこうするうちにあたまのなかで音楽が鳴り出したので、あ、じゃあリアルタイム作曲のほうをやろうと決めた。あたまのなかで鳴りはじめたのはどうやらSyrup16gの演奏らしかった。昼寝をする直前、YouTubeにあがっている“I can't Change the world”の弾き語り(https://www.youtube.com/watch?v=mZwRlA_IWnY)をきいたからだと思うのだが、既存のどの曲でもない、しかしあきらかにSyrup16gの楽曲であるものが自動的に演奏される、それに対してリアルタイムで、「ここでベース!」とか「ここはもう少し壮大な感じで!」とか「ここはこういうメロディで!」とか念じる、するとそのイメージ通りの修正が施されるといういつものアレで、明晰夢のただなかでこの遊びをやるたびに思う、じぶんの記憶の引き出しだけでこれだけ豊かな創作が可能なのであれば、何年か前の日記にも書いたけれど、AIに自分好みの音楽データを食わせまくってデフォルトのパラメーターをいじくるだけでそこそこのものが作れるんではないか? Stable Diffusion(画像)とかChatGPT(自然言語)とかよりもむしろそういった音楽に関連したサービスのほうがはやく登場するだろうとこちらは予測していたのだが、画像はまだしも、自然言語のほうが先んじることになるとは思わなかった。とはいえ、現時点で音楽も技術的にはほぼ間違いなく可能だと思うけど。テクノロジーと音楽といえば、この話題もこれまで何度言及したかわからんが、もう15年近く前になるかもしれない、ブライアン・イーノがインタビューのなかで、自動作曲の大変発達した世界ではひとは同じ音楽をくりかえしてきくことはない、未来のひとびとはおなじ音楽を何度もくりかえしきいていたという過去の人類のふるまいにきっと驚くだろう、みたいなことを言っていた記憶があるが、この見立てにこちらは賛同しない。イーノは所有というものを低く見積もりすぎていると思う。あるいは、享楽やこだわりといってもいい。精神分析的な知見がそこでは無視されている。
 14時半になったところでベッドから抜け出した。結局2時間近く寝たような気がする。コーヒーを淹れ、明日の授業に備えて必要な資料を印刷したり、USBメモリにデータをインポートしたり、学習委員の(…)くんにPDFを送ったりする。それが済んだところで、きのうづけの記事にとりかかるが、これは17時半に中断。
 また第五食堂で打包。食す。それからコーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年3月1日づけの記事の読み返し。(…)先生といっしょに病院で気胸の再検査を受けた日。(…)先生とかなりいろいろな話をしている。以下、彼女から聞いた話を一部抜粋。他人の人生はいつもおもしろい。

 (…)先生は前回同様、中国における男尊女卑のひどさについて、その後いろいろと語った。田舎では今でも女の子には学校に行かせないとか、7歳くらいの女の子に家事をすべてやらせておきながらその兄ないしは弟はとことん甘やかすとか、女の子は中学・高校を出るなりすぐに働きに出なければならずその給料も兄ないしは弟の小遣いとして没収されるとか、いまだにそんなことがあるのかみたいな話だった。高校時代だったか大学時代だったかのクラスメイトに、農村出身の女の子がいたのだが、その子の故郷というのがガチガチの封建社会だったらしく、クラスメイトの男の子が座っていた椅子に別の女の子が入れ替わりに腰かけたのを見たその子が、男性がさっきまでいたところに女性が座るなんて「不謹慎」だとして騒ぎ出したことがあり、そのときはたいそうショックを受けたと(…)先生はいった。そんな発想がありうるのか、と。また、大学時代は、同級生に兄弟姉妹がたくさんいることに大変驚いたという話もあった。(…)先生は(…)でも都市部で育った人間なので、周囲はだいたいみんなひとりっ子であったわけだが、大学には当然農村出身の学生も多数いる。農村はひとりっ子政策の対象外だったため、兄弟姉妹のいる家庭も多い。それまで(…)先生にとって、兄弟姉妹=双子という認識だったので、これにはたいそう驚いたとのことだったが、この「兄弟姉妹=双子」という前提があったという話が、これまで聞いたことのあるひとりっ子政策に関するエピソードのなかで、ある意味もっともなまなましく感じられた。

 (…)の、たしか幼稚園時代の友人といっていたと思うのだが、彼よりもひとつ年上の女の子がいる。彼女は政府のお偉いさんの愛人の子らしいのだが、ひどく落ち着きがあり、また聡明なのだという。母親は教育熱心でもなんでもないのだが、娘は七歳にして誰に強いられるでもなくコロナ禍のオンライン授業をまじめに受講、食事も母親が作り置きしておいたものをじぶんで火にかけて温めて食べるという生活を当時は送っていたらしい((…)には絶対にできない! と(…)先生はいった)。また、幼稚園時代に年長者から98+98はいくつだとたずねられたとき、はじめは答えられなかったのだが、その後ひとりでじっくりと考えたのち、200から4を引けばいいのだということにじぶんの頭で気づいたというエピソードもあるらしい。

 それから(…)先生が実は母方の祖母のことが好きでないという話もあった。母方の祖母とは、いままさに同居している、新興宗教にハマっているあの祖母と同一人物であるとこちらは受け止めていたのだが、もしかしたらそうでないほうなのかもしれない。母方の祖母は若い頃めちゃくちゃ不良だった、たいそう素行が悪かった、外でしょっちゅう大人たちとケンカして過ごしていたという。娘((…)先生の母君)が生まれたあとも世話をせずほとんど放りっぱなしだった(夫がどんな人物であったかは聞きそびれたが、はやくに離婚したか死別したか、あるいは生きているにしても妻と同様ろくでもない人物だったのだろう)。娘が年頃になると見合い相手を連れてきたが、それもたいそう素行の悪い男だった。娘は当然こんな相手とは結婚できないと突っぱねた。すると見合い相手が、お前の娘はとんでもないやつだ、と母親のほうに抗議し、母親は母親でその話を一方的に信じて娘をなじった。結局、娘はのちに出会った男((…)先生の父君)と、ほとんど駆け落ち同然で結婚した。北京に逃亡して彼の地で二週間身を隠し、そのあいだに「暴力団」みたいなひとの力を借りてやや強引に籍を入れたのだという。(…)先生はじぶんが大学生になるころまで祖母とは会ったことがなかったという。ずっと縁が切れていたのだ。(…)先生の母君は父君と結婚するに当たって、恋愛感情があったわけではなかった。ただ父君のほうは暖かい家庭に生まれ育っており、優しい心根の持ち主であった、その暖かさに憧れて結婚するにいたったのだという。

(…)ウクライナ情勢の話が本格的に交わされたのはこのタイミングだったと思う。(…)先生、やはりロシア批判派だった。安心した。中国のネットではプーチンがかわいそうだという意見すらある、どうかしている、本当におかしいと、(…)先生はしきりに憤った。いまのプーチンを見ていると本当に核戦争になりかねないおそろしさがある、どうもまともに見えない、ロシア関係の専門家の多くが侵攻はありえないだろうなぜならメリットがないからだと判断していた、その判断をうらぎる行動に出た、いまのプーチンは普通ではありえない選択をとりうるということだ——そういう話をした。そもそも今回ロシアがウクライナに対してやったことって日本がかつて中国にやったこととそっくりですよね満洲事変とか盧溝橋事件とかというと、そうなんですなのに中国は全然ロシアを批判しないんです完全におかしいですと(…)先生は我が意を得たりといった口調で応じた。中国の教授五人組による声明について切り出してみると、(…)先生もやはりネットで見たらしかった。しかしその後さらに100人以上の名前が加わった件については知らなかったようだ。中国の知識人はとても勇敢だと思う、同じような状況にあったときに日本でこうした声をあげることのできる知識人がどれくらいいるか正直わからないというと、それでも中国国内ではまだまだ声が小さすぎると(…)先生はいった。
 独裁は結局こうなるんですよねと(…)先生は踏み込んだ。中国もシュウになってからどんどん……というので、あ、そこまで批判的なんだとやや驚きながら受け止めつつ、まあ正直かなり嫌な方向にむかっていますよねと受けた。授業中はこういう話なんてできませんけど、でも学生のなかにはやっぱりいまの状況に批判的な子もいることはいますね、(…)さんなんてけっこうはっきりシュウのことを批判していましたよ、彼女とはそういう話もけっこうたくさんしましたと続けたのち、(…)さんは彼が主席の任期を撤廃したときに相当ショックを受けたようです、ニュースそのものにもですけど周囲が良いニュースだと喜んでいたのが特にショックだったみたいでというと、日本語学科のクラスメイトたちが喜んでいたんですか? とややショックを受けた表情でいうので、いえ高校時代のクラスメイトらしいですが、ものすごく優秀で勉強もよくできるクラスメイトたちがそんなふうにしか物事をとらえることができないのがショックだったようですと受けた。
 私の世代はもっとも改革開放の恩恵を受けていると思いますと(…)先生はいった。こういう話題は家で旦那さん相手に交わすことはあるが、外ではよほど気心の知れた相手にしか打ち明けることができない。父親もいまではTikTokの愛国動画ばかり見て、すっかり妙な愛国心の持ち主になってしまったというので、田舎の両親がネトウヨになってしまうという例のあの現象が中国でも発生しているわけかと思った(日本でも同じようなことがたくさん起きていますと受けたし、ついでに以前(…)くんとも話したことであるが、西欧人らによる「日本すごい!」「中国すごい!」動画の馬鹿馬鹿しさについても言及した)。父親は世代的に日本にもアメリカにも西欧社会にも良い印象を持っていない、しかし十年ほど前に一度ヨーロッパを旅行したことがあり、そのときはさんざんヨーロッパにかぶれた、街並みはきれいであるし人間は親切であるし日曜日は仕事をせずにみんなゆっくり休んでいる、なんてすばらしい社会なんだろうと、完全にヨーロッパびいきになったというのだが、最近はまた元の木阿弥になってしまったとのこと(年齢が年齢であるし、いまさらどうのこうのいっても難しいので、特に議論などはしていないのだが、家庭でそういう中国すごい的な話ばかり聞かされていると、さすがにしんどいという)。こういう話をきくと、東浩紀ではないけれどもやはり観光客の持つ力というものを感じないわけにはいかない。コロナ以前の世界で中国の対日感情が一時期かなり改善されていたのは、実際、日本側が爆買いとして厭うていた中国人観光客らが帰国後にそのポジティヴな印象を母国で拡散したからだという調査結果みたいなものもあったように思うが、コロナ禍で気軽な海外民間交流が途絶えてしまったことは、国際関係上、長期的におそろしいリスクをもたらすのだろう。

(…)先生は日本に留学中、タッキーのコンサートにも参加したといった。ジャニーズの商売はえぐい。コンサートチケットを買うためにはまずファンクラブに入会しなければならない。(…)先生はネットで知り合った同じジャニーズファンの女性(ファンクラブに入会済み)にたのんでコンサートチケットを買ってもらったという。例のうちわとか用意したんですかとたずねると、それは恥ずかしくてできなかったとのこと。竹下通りの芸能人ショップもおとずれたが、生写真が一枚500円で売られており、高すぎてとても買えないと諦めたという話もあった。(…)先生はこちらよりも一個年上である。日本に留学していたのは院生時代だったはずだから、となると当時こちらはちょうど(…)(一日の売り上げが100円のときもある中古ゲーム店)でアルバイトしていた頃か、(…)で働きはじめた頃か、いずれにせよ円町のあばら家の二階に住んでいたときのはずで、読書でいえばゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』と『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』がセットになった三段組のクソ分厚い本を読んでいた頃か、トルストイの『人生論』を読んでいたころか、あるいはブックオフ縛りをやめた手始めに集英社文庫ヘリテージから『失われた時を求めて』と『ユリシーズ』と『ファウスト』をまとめて買った頃ではないだろうか。気が遠くなる。中国で暮らすことなんて一ミリも想像していなかったあの当時、(…)先生はすでに存在していたし、しかも日本で、(…)大学で研究生活を送っており、場合によってはもしかしたらどこかですれちがっていたかもしれないのだ。その事実の途方もなさ!

 病院での再検査は問題なかったのだったし、一年経ったいまも幸いなことに再発せずに済んでいる。以下は再検査をおこなった病院の様子。これはほんま謎なんよなァ。

 ようやく順番がまわってきた。機械音声がこちらの名前を呼ぶと、CT検査室の前を陣取っている患者らが若干ざわついた。当然だ。100%外国人の名前なのだ。CT検査室の入り口付近には常に順番待ちの患者らが集まっている。早い者勝ちというわけでは当然ない、検査の順番はコンピューターに登録されているし、検査室前のモニターに各々の名前と予約番号も表示されているのだが、それでもなぜか常に十人近くが入り口そばを陣取っており、扉が開いて中からスタッフが出てくるたびに、じぶんの順番ではないかとばかりに詰め寄るのだ。列に並ぶ習慣が一切ないのにはもう慣れた。しかしこのCT検査室のように、あらかじめ予約が必要であり、かつ、順番待ちの進行状況が常時モニターに表示されている、そのような状況にあっても、部屋の入り口にダマになってかたまり、少しでも隙があれば我先に中に入ろうとする、あれはいったいどういう思考回路なのだろうかと思う。まったく理解できない。

 あと、検査結果が出るのは午後なので、そのあいだ(…)先生お気に入りの店で麺を食ったり、主に金魚をたくさん売っているペットショップをのぞいたりしている。以下はそのペットショップをおとずれたときのこと。アホすぎて笑ってしもた。

 店は二軒並んでいた。(…)先生がいうには、以前は三軒か四軒ほど似たような店が軒を連ねていたらしい。二軒目は一軒目よりも高級志向らしく、かなり大きなアジアアロワナの入った水槽もあったので、写真を撮って(…)に送ってやってもよかったかもしれない、写真を撮るかわりに(…)先生に向けて、これ、日本のヤクザが好んで玄関に置く魚ですよ、とクソどうでもいい情報を吹き込んでしまった。

 作業の途中、(…)さんと(…)さんから散歩の誘いがあったが、さすがにちょっときついのでこれは断った。(…)くんの修論が片付くまでは新規受付は一旦停止したい。きのうづけの記事を完全プライベートの記録専用ブログに投稿した流れで、月締めということもあるし「実弾(仮)」の総枚数がどうなっているか確認してみたところ、先月末の時点で977枚だったのが996枚に増えており、やっぱり1000枚オーバーか。今年中にリリースと考えていたけれど、やっぱりそれは無理かなァ。
 20時半になったところで作業中断をしてシャワーを浴びる。あがってストレッチ。東院一年生の(…)くんから微信が届いている。明日の授業で使う資料と名簿の双方を印刷しておくようにお願いしたのだが、その名簿に問題があるという。先週38人いたクラスであるが、いまは26人しかいませんと続いたので、は? どういうこと? と思ったが、どうやらほかの学部に一気に12人も移動したらしい。さすがにこれにはびっくりした。学期間に学部移動をする学生というのはだいたい各クラスにつき2人ないしは3人くらいであるのだが、12人? クラスの三分の一抜けとるやんけ! 聞いたことねーぞ! というかそれだったらなぜ先週はまだ38人もいたのかという話になるわけだが、あれか、外教がやってくる初回の授業であるからすでに学部移動した子らももぐりで見学に来ていたということか。それにしても12人とは……これはマジでいったいどういうことなんだろう? 先学期このクラスの授業を担当していないのでなんともいえないが、ほかの教員がよっぽどまずい授業をしていたのだろうか? それでいえば、(…)くんから聞いた話であるが、(…)の現四年生も一年生のときに10人以上ほかの学部に移動を希望する学生が出て、(…)学院長がそれをまあまあとなだめて引き留めたみたいな話があった。(…)一年生についていえば、先学期こちらの担当する授業はなかったわけであるし、そのままずっと外教の授業はないものと思っていたかもしれない、だからごそっと移動する学生が出たのかもしれない。(…)の現四年生はもろにコロナ世代で、彼女らが一年生のとき、外教の授業は(…)さんのものがいちおうあるにはあったが、オンラインであったわけであるし、当時は外教がいつ大学にもどってくるかも不明だった。せっかく外国語を学ぼうというのに、肝心のネイティヴの授業がなければ、そりゃあがっかりするよなとは思う。実際のところ、それだけが理由でごっそり移動するわけではないと思うけど、しかし同じ一年生でも、こちらが先学期から授業を担当していた(…)の学生でこの学期間に去ったのは3人きりなのだから、外国人教師の在不在が学生らのモチベーションにとってある程度おおきなファクターになっているというのはやっぱりあるかもしれない。
 名簿を作成しなおして送る。それからコーヒーを淹れて、「実弾」(第四稿)にとりかかる。執筆の時間を全然とれていないためか、最近けっこうイライラしやすくなっている。毎日は無理でも二日に一度は、そして三時間は無理でも二時間は、やはり執筆のための時間をとりたい。そうしないと壊れる。そういうわけで21時半から0時までカタカタやる。結果、プラス24枚で計233/996枚。シーン15はとりあえず片付いた。シーン16もたぶんそれほどむずかしくない。シーン17とシーン18は鬼門なので、考えるだけでストレスを感じる。
 懸垂をする。プロテインを飲み、トーストを二枚食し、ジャンプ+の更新をチェックする。村上春樹の新作長編のタイトルが『街とその不確かな壁』であるという情報を得て、あれ、これって単行本化されていない中編とおなじタイトルじゃない? と思ったら、やっぱりそうだった(正確には、くだんの中編は読点付きの「街と、その不確かな壁」らしい)。村上春樹については、去年、(…)さんの置き土産である『アフターダーク』を読んだらびっくりするくらいよかったので(『海辺のカフカ』なんかよりずっといいと思う)、ひさしぶりに新作を読んでみるのもいいかもしれない。
 それから歯磨きをして寝床に移動。Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きを読んで就寝。