20230302

 四つ目の読書体験は、一九七七年に始まる。文化大革命終結し、毒草と見なされた禁書が改めて出版された。トルストイバルザックディケンズらの文学作品が最初に我々の町の書店に並んだときの反響は、現在で言えばスター歌手が田舎町に登場したようなものだった。人々は走り回って情報を伝え合い、首を長くして到着を待った。我々の町に届く図書の数量には限りがあるので、書店は告示を出した。行列して整理券を受け取ること、整理券は一人一枚、一枚で二冊まで購入可能。
 私は図書購入の壮観さをいまだに覚えている。夜明け前、書店の門の外にはもう二百人あまりの長い行列ができていた。一部の人は整理券を手に入れるために、前日の夜から腰掛けを持ってきて、書店の門の外に陣取った。秩序正しく列を作り、雑談を交わしながら長い夜を過ごした。朝早くやってきた人々は、自分が出遅れたことに気づいた。それでも彼らは幸運を願って長蛇の列に並び、整理券をもらえるチャンスがあると信じていた。
 私もまさに、遅れてきた中の一人だった。ポケットに忍ばせた五元札は、当時の私にとっては大金だ。書店に向かう途中、私はずっと右手でポケットの五元札を握りしめていた。振り動かせるのが左手だけなので、到着したときは体が左に傾いたままだった。上位の席次が得られると思っていたから、私は自分が二百番よりあとだと知って半ば落胆した。私のあとからも、続々と駆けつける人がいる。彼らの不満の声が聞こえた。
「早起きしたのに、着いてみれば遅刻かよ」
 朝日が昇るころ、この三百人あまりの隊列は、睡眠をとっていない集団ととっている集団に分かれた。前方の一団は腰掛けにすわって一夜を過ごしていた。これらの一睡もしていない人たちは整理券獲得に自信を持っていて、買うべき二冊の本について議論している。後方の一段はひと眠りしてから駆けつけた人たちだ。彼らの関心事は、整理券が何枚配られるかだった。その後、情報が乱れ飛んだ。まず、前方の腰掛けにすわっている人が百枚を超えるはずはないと言い、すぐに後方に立っている人から反駁を受けた。中ほどに立っている人が二百枚は出すだろうと言ったが、それよりうしろの人たちは同意せず、もっと多いはずだと主張した。こうして整理券の数は水増しされ、最後に誰かが五百枚は配るだろうと言った。これには全員が、そんなに多いはずはないと反対した。並んでいるのは全部で三百人あまりだ。もし五百枚も配るのなら、苦労して行列した我々はバカを見ることになる。
 七時ちょうどに、我々の町の新華書店の門がゆっくりと開いた。私の心に、何か神聖な感情が湧き上がった。古びた門はギーギーと耳障りな音を立てたのだが、私はうっとりして、舞台の華麗な幕が開くような気がした。門の外までやってきた店員は、立派な司会者に見えた。ところが、神聖な感情はあっという間に消え去った。店員はこう叫んだのだ。
「整理券は五十枚だけです。うしろの方はお帰りください!」
 冬のさなかに頭から冷たい水を浴びせられたようなものだ。後方に立っていた我々は、頭のてっぺんから足の先まで冷えきってしまった。一部の人は憤慨しながら帰って行ったが、一部の人は怒りが収まらず、悪態をつく人たちもいる。私はその場に立ち尽くし、右手でポケットの五元札を握りしめたまま、最前列の人たちがうれしそうに店に入り、整理券を受け取るのを見ていた。彼らにすれば、整理券は少ないほどいい。それだけ徹夜の価値が上がるのだから。
 整理券を受け取れなかった人がまだ大勢、書店の外に立っていた。店内で本を買った人が出てきて、喜色満面で成果を見せびらかす。外に立っていた我々は、それぞれ知り合いを取り囲み、羨ましそうに手を伸ばして、『アンナ・カレーニナ』『ゴリオ爺さん』『デイヴィッド・コパーフィールド』などの真新しい本を触った。我々は長いこと読書に飢えていたので、これらの名作文学の真新しい表紙を見るだけでも、大いに慰められた。気前のよい人は自分の本を開いて、買えなかった人にインクの匂いを嗅がせた。私も、その機会を得た。それは初めて嗅ぐ新刊書の匂いで、すがすがしいインクの香りに思わずうっとりしてしまった。
 記憶に強く残っているのは五十番以降の数人だ。その表情は「痛恨の極み」という言葉で形容できる。彼らはしきりに悪態をつき、自分を罵ったり、名前も知らない他人を罵ったりした。二百番以降に並んだ我々は、一瞬がっかりしただけだった。五十番以降の数人は、カモ鍋のカモが飛び去ったようなもので、その無念さは想像に難くない。特に五十一番目の人は、書店に足を踏み入れようとしたときに行く手をさえぎられ、整理券の配布が終わったことを告げられた。その人は身動き一つすることなく立ち尽くしていたが、その後うなだれて端に寄った。腰掛けを持ったまま、ポカンとした顔で、本を買った人がうれしそうに出てくるのを見ている。我々がそれを取り囲んで、新刊書を触ったり、匂いを嗅いだりするところも見ていた。その人の沈黙は不気味だった。私は、その人が奇妙な目つきでこちらを見ているような気がして、何度も振り向いた。
 その後、我々の町の人たちはしばらく、この五十一番目の人を話題にした。彼は三人の友人と深夜までマージャンをしたあと、腰掛けを持って書店の前にやってきて夜明けを待った。後日、彼は知り合いに会うたび、こう言った。
「もう少し早く、マージャンを切り上げればよかった。そうすれば、五十一番にはならなかったはずさ」
 こうして、五十一番は一時、流行語になった。誰かが「今日は五十一番だ」と言えば、「今日はついていない」という意味だった。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 10時起床。眠りが浅かった。朝方に何度も目が覚めた。また明晰夢を見るかもしれないと思ったが、そうはならなかった。いくつか見た夢のうち、ひとつだけ内容をわりとはっきり覚えているものがある。兄の運転する車の助手席に乗っているものだった。運転席の兄に対して、憲法には抵抗権というものが明記されているのだから独裁者を殺害することは許される、暴力革命にしたところでその可能性をゼロとうたう必要はないと、安倍晋三信者である兄に対する牽制を込めつつ、聞きかじりの知識を口にしていた。車はおそらく(…)市内と思われる道をゆっくりと走っていた。道路の両脇は群衆でみっちり埋まっている。その群衆のなかに、白い法被に白い短パン姿の白人たちの集団がいた。阿波踊りかなにかの外国人チームらしい。そのなかのひとりであるブロンドの女性が踊りながら道路に出てこようとしていた。こちらはその姿に気づいていた。兄も気づいていたと思うのだが、徐行しようとはしなかった。減速せずに接近するわれわれの車に気づき、ブロンドの女性が恐怖の表情を浮かべる。
 歯磨きしながらスマホでニュースをチェックする。身支度を整えて第五食堂へ。打包。食うものを食ったのち、コーヒーを淹れる。それからセーターのほつれを縫う。おとついの授業中、右肘のあたりがほつれていることに気づいたのだ。購入したのは去年の冬で、洗濯したのはまだ一回か二回きりのはずなのだが、さすが淘宝の安物だ。セーターはエスニックな柄物であるし、ほつれたのもわりと目立たない箇所なので、黒い糸を使って適当にぐいぐい縫い進めた。
 途中、卒業生の(…)くんから微信。日本語の文章を直してほしいというのだが、送られてきたその文章というのが商品に付す注意書きみたいな内容だったので、なるほどネットビジネス関係の会社に就職したのだなとおしはかった。しかしその仕事でまかされた文章をこちらに添削せよというのはまったくもってふざけた話であるので(こんなもん一度引き受けたらその後きっとことあるごとに頼まれることになるし、そもそもなんでおまえが賃金をもらう仕事をおれがやらなあかんねんという話であって、(…)くんはマジでこういうクソみたいなところがある)、ぼくがきみの仕事を毎回チェックするのはおかしいでしょ? 自然な文章を書きたいのであればDeepLでもなんでも使って参考にすればいいとつっぱねておいた。
 部屋が断水していることに途中で気づいた。しかし出発前、コーヒー臭くなっているだろう口をすすぐために洗面所に立ったときは、解除されていた。わりと頻繁にあることだが、予告なく断水するのはマジでやめてほしい。
 ふたたび身支度を整えて部屋を出る。自転車で南門近くまで移動。駐輪スペースっぽいところに自転車を停めておいてバス停へ。先週とおなじ13時40分発のバス。いつもどおり最後尾の座席に腰かける。先週も見かけたハゲのおっさんが乗ってくる。たぶんこちらと同じ教員だと思う、もしかしたら英語学科の教員かもしれない、コロナ以前にいちど参加した翻訳チームの食事会でこのおっさんに似た教員を見かけた記憶があるのだ——あのときよりはるかにいまのほうがハゲているが! ハゲたおっさんと親しげに話している別のおっさんもいた、このおっさんもたぶん教員なのだろうと推測したが、キャンパスから出ているシャトルバスではなく市バスで(…)まで移動している教員がこちら以外にいるのは意外だった。移動中は『ラカン入門』(向井雅明)とEverything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)を読み進めた。
 終点の(…)に到着する。ハゲのおっさんともうひとりのおっさんもやはりここでおりる。キャンパスに入り、売店でミネラルウォーターを買う。先週授業をおこなった三階の教室はコンピューターがクソだったので、教務室の先生に相談して別の教室を確保しておいてほしいと先週学習委員の(…)くんにお願いしておいた、そういうわけで今日は五階の教室へ。その前にクソ汚い便所で小便。地獄に公衆便所が設置されているとすれば、おそらくこういうものだろう。
 教室へ。先着している学生もちらほら。男子学生がひとり教壇にやってくる。作文を添削してほしいといって紙をいちまい差し出してみせる。その場でばばばっと添削したが(春のおとずれについて書かれた教科書的な文章)、かなり上手だった、高校時代から日本語を勉強している学生であるのは間違いないが、それを差っ引いてもこれだけ書くことのできる子はなかなかいないと思う——と、これを書いているいまスマホに収蔵されている写真を見て確認したが、彼の名前は(…)くんだ。フレームの細いめがねをかけた、線の細い、物腰のひかえめな男の子。日本語は高校二年生のときから勉強している——そう、今日は授業がはじまる前に、高校時代から日本語を勉強している学生に教壇まで来てもらったのだった、そして名簿にいつから日本語を勉強しているかについての情報を書きこんだのだった。手元にある名簿によると、高校一年生から日本語を勉強している子が(…)さん、(…)くん、(…)さんの3人。高校二年生から日本語を勉強している子が(…)さん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)さんの6人。26人中10人が高校時代からの学習者。男子学生にかぎっていえば、7人中5人になる。これはこれでやりにくいよなと思う。高校時代から日本語を勉強している学生にとっては、大学一年時に勉強する内容なんて死ぬほど簡単で死ぬほど退屈なはずなのだ。
 14時半から日語会話(二)。第5課。既習者が多すぎるがゆえにどうしても内容に張り合いが出ない。後半になるとそのせいでダレてきている学生もちらほら(例によってほぼ男子学生だが)。授業がはじまってほどなく居眠りをはじめた女子学生もいた。名前は(…)さん。たぶんほかの学部に移動したかったが、それがかなわなかった学生だろう。外見も(このクソ田舎の大学にしてはであるが)ちょっと派手目で、授業がはじまる前、教壇にいるこちらの姿をスマホで盗撮するそのふるまい含めて、はやい段階で脱落する学生のすべての特徴をそなえている。こういう学生はもう自由にさせてやったほうがいい。反省点としては、もうちょい声を出す練習をしっかりやったほうがよかったかなというのと(単調な反復練習をおそれてしまった)、後半にやったアクティビティが説明不足になってしまったところ(既習者が多いし、丁寧に説明せずとも通じるだろうと思ってやってみたところ、案外そんなことなくて、そうだった、(…)の学力レベルはこんなだったわとあらためて思った)。しかしこのクラスでだれよりも目立つのは(…)さんだな。名字のめずらしさだけではなく、とにかく元気がいいので、今日いっぱつで顔と名前が一致した。(…)さん、積極的な学生としてはめずらしいことになぜか最後尾の座席に座っているのだが、そこから教壇に向けてガンガンガンガン声を出してくれる。こういう子がひとりでもいると、本当に授業がやりやすくなる。大学に入学以前は日本語に触れていない学生であるのだが、胆力のみならず語彙もなかなか豊富であるし、発音も悪くない。目鼻立ちのわりとくっきりしているところも含めて卒業生の(…)さんを彷彿とさせる。(…)さん、本当にいい子だった。コロナがなければ、もっとずっと親しくなっていただろうに。親の命令でろくでもない男と婚約させられたという彼女の境遇を思うと、いまでも胸が重くなる。

 授業が終わったところで教室を出てバス停へ。移動中はEverything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続き。“The Comforts of Home”を読み終わる。これもなかなか良い。“Everything That Rises Must Converge”とペアで考えることができる。“Everything That Rises Must Converge”はマイノリティに対する理解がある進歩的な息子(という像それ自体もまたシニカルかつ容赦なく描写されるわけだが)と保守的な母の組み合わせであったが、“The Comforts of Home”はその息子と母の役割が入れ替わっている(そして息子の内面で命令を下すのは、世俗化したキリスト教倫理ではなく、マッチョな〈父〉の声だ)。

 終点で降りる。バス停のすぐそばにある(…)に立ち寄る。せまい店内にめずらしく先客が複数いる。レジに並んでいる姿もある。店の入り口でいったん足を止めると、ふたりいる阿姨のうちのひとりが、こちらがいつも買うあずき入りの食パンを三袋、なにも言っていないのにカウンターに持っていき、これでいいんだろ? と笑いながら、ちゃちゃっと予備のレジを使って会計をすませてくれる。常連の王! 好感度100%や!
 南門からキャンパスに入る。停めてあった自転車に乗って寮に戻る。自転車だけ置いておいて徒歩で第五食堂へ。打包。帰宅して食す。大川隆法が死んだという報道に触れる。大学時代おなじゼミだった(…)のことを思い出す。フランスに一年間留学していたので卒業はこちらより一年遅れることになった彼からその卒業直前に連絡があり、マクドナルドの金閣寺支店で夜に落ち合うことになった。そこで彼の父親が幸福の科学の信者であり、界隈ではかなり有名な人物であることを知らされたのだった。いや、知らされたのはそれより少し前だった、当時こちらが(すでに連日書くのが習慣になっていた)ブログ=日記で、たしか家庭事情のあれこれについてわりあい長々と書いた、それを読んだ彼から、うちの父親も実はこれこれこうでというメールが届いたのだった、それでマクドナルドで会った最後の夜にその詳細をきいたのだった。(…)は金持ちであることがそのふるまいその物腰からはっきりと感じられる人物だったが、家族については謎が多かった、興味を抱いたほかのゼミ生が両親はどんな仕事をしているのかとたずねてもよくわからないと笑ってごまかす、そういうところがあった。だから、真相を知らされたこちらは驚きつつも、やっぱりワケありだったのかと思ったのだった(もっとも、こちらは彼の父親の職種について、そこそこの立場にある政治家だろうと勝手に予測していたわけだが)。(…)からその話をきかされたとき、くだんの父君はすでに亡くなっていた。(…)中に倒れて、そのまま逝ったのだった。名前をググったら、不報がニュース記事として出ていた。(…)は父親のことをいまでも許したわけではないとメールに書いていた。あの当時はそんな言葉を知らなかったわけだが、彼は宗教二世の苦しみを生きていたわけだ。山上徹也の事件があったときも、(…)のことを少し思い出した。
 食後のコーヒーを淹れる。(…)さんから微信。「先生、心理学に関する専門用語を教えていただけませんか。」というので、大学院試験の面接にそなえて心理学の専門用語を日本語でなんというか知りたいということなのかと思い、そうたずねてみたところ、「心理学についての日本語の専門用語です。」「適応障害うつ病、群集心理という日本語の専門用語です。」というよくわからん返信がある。「これらの単語を日本語でどう説明するかを知りたいということ?」「それとも、ほかの専門用語をもっと知りたいということ?」とかさねてたずねると、後者であるという返事があり、どうやらなんでもいいので心理学の専門用語を日本語でなんというのか教えてくれということらしい。いやいや、なんぼなんでも依頼が大雑把すぎやろとクソげんなりする。そもそも一口に心理学といってもめちゃくちゃ幅広い領域であるし、彼女の志望する専攻がその広大な領域のうち具体的にどこにフォーカスしたものであるかも知らない、その状態でなんでもいいからランダムにピックアップした心理学の専門用語を教えることが面接の準備になるわけがない。そもそも心理学の専門用語なんて何百何千もある、きみがやるべきことはまず過去の面接でどのような質問があったかを調べることであり、そしてどのような質問があるかを予想することだ、その上で面接で必要になるだろう専門用語を日本語ではなんというのかを調べるべきであり、調べても見つからないときにこちらに依頼するべきだ——と、そのようなことを丁寧に諭したわけだが、さすがにちょっとうんざりした。こんなこともわからないのか、と。じぶんの依頼がめちゃくちゃ大雑把であり、非効率的であり、さらに自身による判断と責任を完全に放棄して相手に強いる性質のものである、そんなこともわからないのか、と。
 明日の授業にそなえて二年生の(…)さんにPDFを送る。それから自分用の資料を印刷したりデータをUSBメモリにインポートしたりする。それから浴室でシャワーを浴び、ストレッチをし、ふたたびコーヒーを淹れて、きのうづけの記事の続きに着手する。
 途中、四年生の(…)くんから微信が届く。電話したい、相談したいことがある、と。このクソいそがしいときに……! と思うが、大学院試験の報告もまだ受けていないわけであるし、おそらくそのあたりのことだろうというアレから、いそがしいのであまりたっぷり時間はとれないがと断ったうえで通話。(…)くん、大学院試験はダメだったという。総合成績は330点ほど。専攻も受験科目も全然異なるので単純比較はできないが、(…)さんが390点台であったことを考えると、相当まずい。(…)くんの志望校は(…)大学であるわけだが、去年そこに進学した(…)さんもやはり390点台だったはずで、そう考えるとちょっと意外すぎるというか、え? そんなに低かったの? という感じだ。(…)くん自身、この結果にはかなり驚いたらしい(実際、院試を終えた直後に彼から届いたメッセージは、想像以上に簡単だった、少なくとも日本語関係のテストの出来はいいと思う、というようなアレだったとこちらも記憶している)。あれほどみっちり勉強しまくっているわけであるし、なんだったら楽々合格するのだろうくらいに思っていたのだが——しかしそれでいえば、(…)くんはこちらがまだ日本でオンライン授業をしていた期間、クラスメイトのレベルとモチベーションの低さに嫌気が差し、教員らの許可をとったうえで日本語関係の授業をすべて欠席し、その代わりに寮でN1のために自習を続けていたのだったが、それだけみっちりやったにもかかわらずN1の点数は(合格点にこそ届いていたものの)全然ぱっとしないものだったという同種のエピソードをもっているのだった。
 いずれにせよ、この点数では定員割れしているほかの大学院を受験することもできない、もともと経済的な事情もあって浪人することは考えていない、それでいまは就職活動中、明日さっそくオンライン面接を受けるのだという。広州にある(…)。面接でどういうことを話せばいいかわからないというので、なにがわからないのとたずねると、たとえばどうしてうちを志望したのかといわれたときはどう答えたらいいでしょうかというので、ああこれはもう中国の教育環境によってもたらされた病理であるなと思った。自分の意見を自由に表明せよとする作文に実は「答え」がある、そういう教育を受けてきた子たちであるから面接でもやはり唯一の正解があると思いこんでいるのだ。きみが(…)は受けようと思った本音はなんなのとたずねると、世界的に有名な大企業であるし、日系企業であるし、給料も悪くないし、週休二日制であるし——中国ではいまだに週休一日の中小企業が腐るほどある——、残業代も1.5倍ちゃんとつくし、みたいなことをいうので、じゃあそれを正直にいえばいいよ、将来的に日本語を使う仕事を絶対にすると決めていたというのを最初に持ってきて、そのあとは(…)は世界的な企業であるしうんぬんいって、福利厚生もしっかりしていてうんぬんいって、それでもういいじゃんといった。趣味をたずねられたらどうすればいいですかというので、そんなもん正直に答えればいいんだよ、嘘ついたってどうしようもないでしょ、経済新聞読んでますとか格好つけても突っ込まれたらおしまいだよ、アニメと漫画とVtuberって正直に言えばいいじゃんというと、それはダサくないですか? というものだから、いまどきアニメや漫画をダサい趣味と感じる感性のほうがおっさんくさくてダサいよ、そもそも日系企業で人事を担当している人間であればこの国で日本語がペラペラな若者のほぼすべてがアニメと漫画好きであることくらい知っているはずだよ、そんなもん隠すようなことじゃないよといった。
 そうこうするうちに通話時間が30分を超えた。また時間のあるときにたっぷりしゃべろう、きみとは親しくしていた仲であるしちゃんと進路を見届けたいから、いろいろ落ち着いたらまた連絡をくださいというと、もし広州で仕事が決まったら夏休みか冬休みに遊びにきてください、食事をおごりますよというので、あそこのメシはマジでうまいからな、楽しみにしているよと応じた。
 それからきのうづけの続きを最後まで書き進めて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年3月2日づけの記事を読み返す。さらに2013年3月2日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。「ピザをいちども食べたことがないという(…)さんがピザをいちまいとってみんなにふるまってくれた(当の(…)さんは全然お気に召さなかったようだった)」という記述があり、戦後かよとクソ笑いつつ、そんなこともあったなとなつかしくなった。(…)さん、カラオケにも行ったことが一度もなく、いつかは行ってみたいと思っていたのだが、周囲に言い出すことができずにいた、それがわれわれと出会ったことがきっかけで、あのどうしようもないふきだまりの職場に流れ着いたことがきっかけで、とうとうその念願をはたすことになったのであるし、以降は飲みに出かけるたびに二次会のカラオケに率先して行きたがるようになったのだった。そうした(…)さんの60代後半を思うだけで、ちょっとうるっとくる。ひとがひとの人生に影響を与えること、その奇跡にさかむけだらけの指先で触れた気持ちになる。
 そのまま今日づけの記事も書く。合間に腹筋を酷使する。作業中は『Ride On Time』(田我流)を流す。0時半になったところでいったん中断し、プロテインを飲んでトースト二枚を食し、ジャンプ+の更新をチェック。その後、歯磨きをすませてベッドに移動し、Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きを読み進めて就寝。