20230307

 私は一九八〇年代の初めが懐かしい。文革終結し、十年間禁止されていた文学雑誌が続々と復刊し、さらに多くの新しい文学雑誌が生まれていた。ほとんど文学雑誌のなかった中国が、あっという間に千種類以上の文学雑誌を発行する国になった。大量の紙面が飢えた嬰児のように、声を上げて食を求めていた。すでに作品を発表したことのある作家は、有名無名を問わず、作品を書けばすべて採用されたが、それでもまだ紙面は埋まらなかった。そこで編集者はみな、真剣に投稿作品を読んだ。よい作品を見つけるとお互いに回し読みして、編集部全体が興奮に包まれた。
 私はこのような、文学雑誌の紙面と文学作品の需給関係が逆転した、幸福の時代にめぐり合った。小さな町の歯医者は文学雑誌の編集者を知らなかったが、雑誌社の住所だけは知っていたので、自分の書いた短編小説をあちこちの文学雑誌に送った。当時は原稿送るのに、費用はかからなかった。封筒の角を切って、受取人払いとすれば、雑誌社が送料を負担してくれる。しかも、不採用の場合は原稿を返送してくれた。私は返送された原稿を受け取ると、すぐに封筒を開き、裏返してもう一度糊付けし、新しい封筒を作った。そして別の雑誌社の住所を書いて投函する。もちろん、封筒の角を切ることは忘れなかった。
 あのころ、私の短編小説の原稿は無料で中国の各都市を旅した。そして、しばしば私のところに戻ってきて、再び旅に出た。原稿が旅した都市は、私がその後の二十年間に訪れた都市よりも多い。郵送される原稿は、厚くて重い封筒に入っていた。当時住んでいた家には庭があったので、郵便配達員はいつも原稿を塀の外から投げ入れた。厚い封筒が地面に落ちると、ドサっという大きな音がする。室内にいた父は、立ち上がって見に行かなくても何が放り込まれたのかわかり、私の名前を呼んで叫んだ。
「原稿が戻ったぞ!」
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 10時起床。歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。身支度を整えて第五食堂へ。今日も暑い。最高気温は25度。打包して帰宅。食し、コーヒーを淹れ、午後の授業の流れを再確認する。それからきのうづけの記事の続きを書く。
 14時になったところで作業を切りあげて寮をあとにする。自転車に乗ってまずは第五食堂へ。一階の売店でミネラルウォーターを購入。それから外国語学院に行き、二階にある教室に入る。(…)さんがめずらしく最前列に座っていたので、今日は休み時間もふくめてけっこう彼女と話す時間が長かった。中学生のときから日本語をずっと勉強しているので、正直大学二年の授業なんて簡単すぎてつまらないだろうし、だからというわけではないが、授業外の時間はなるべく彼女の口語の訓練になるようにと思ってたくさん話すようにしている。
 14時半から日語基礎写作(二)。「定義集」の続き。ピックアップしてまとめた回答をスクリーンに移しながら紹介し、ときおりそいつをフックに雑談し、その後はクイズの続き。問題なし。クイズは13題用意してあったが、3題あまった。
 休憩をはさんで16時半から日語会話(三)。第21課。オラッ! しくじったわ! 文型はクソ簡単であるので反復練習はそこそこにし(そのくせ正答率はぜんぜん高くないわけだが!)、後半のアクティビティでディスカッション方面に流れをつけてみたのだが、やっぱり即興で自由にじぶんの意見を口にすることのできる学生がほぼいない、それこそ(…)さんくらいじゃないか? 冬休みに授業準備しているあいだ、日語会話(三)の授業はディスカッションやディベートをメインでやってみようかなと血迷いかけた瞬間もあったわけだが、やめておいてマジでよかったわ! 絶ッ! 対ッ! 不可能ッ! それがわかっただけでも収穫とする! 第21課は今後必要なし! ボツ! 滅! 消えろッ!

 授業中、なぜか(…)先生から電話があった。もちろん出ない。あとでメッセージを確認したところ、スピーチコンテスト参加者のお疲れ会的なものがあるという通知だったのだが、それがほかでもない今日の夕方とのことで、いやいくらなんでも急すぎるやろ。コンテスト出場者である(…)さんにきいてみると、彼女のところには連絡が届いていないという。察するに、日本語学科と英語学科の指導教員だけでおこなわれる性格のものらしい。当然そんなものに参加したいわけがない、クソほどどうでもいい。そういうわけで、18時過ぎまで授業があるし、そのあとも約束があるのでいけませんと断った。
 休憩時間中、(…)さんと四級試験の話もした。試験は6月。(…)さんは全然自信がないというのだが、仮に彼女が不合格ならばクラスメイト全員が不合格になるだろう。(…)さんは(…)くんを高く評価しているようすで、彼だけ合格するみたいなことを何度か口にした。ちなみに、授業中に卒業までに四級試験に合格する学生は何人いると思いますかという質問をしたのだが、ほとんどの学生が「全員合格します!」みたいなことを口にして、マジでそういうのいらんねんとげんなりした。日本人は本音と建前を使いますかという質問を受けたことが過去に何度かあるが、教育現場の中国人ほどそういう使い分けをしまくっている人間はいないのでは? 全員合格するわけがない。こちらの予想としては、合格間違いなしと思われるのは(…)さんのみ。で、ほぼ問題ないと思われるのが(…)さんと(…)さん、たぶんいけるんじゃないかと思われるのが(…)くんと(…)くんと(…)くんで、運がよければぎりぎりすべりこめるんじゃないかと思われるのが(…)さんと(…)さんと(…)さん。あとはダークホースとして転入組の(…)さんと(…)さんに期待という感じで、仮に、奇跡的に彼女ら全員が合格したとしても33人中11人なのだ。
 四級試験でまたひとつ思い出した。四級試験の合格者数にしてもスピーチコンテストの結果にしてもそうであるが、(…)の日本語学科は現状ろくな成果を出すことができていない、この状態が続くとそのうち日本語学科は閉鎖されることになるかもしれないと(…)先生が言っていたという話をやはり(…)さんから聞いたのだった。(…)先生は主任という立場もあるし、発破をかける意味でそう言ったところもあるのだろうが、実際、これから先、日本語の需要というものが低下するのはほぼ間違いないわけであるし、そうなると大陸にある既存の日本語学科も整理縮小されていくのが必然的であるわけで、するとうちのような弱小学科はわりとはやい段階で見切りをつけられてしまうのではないか? 特に英語学科のほうは大きな成果をおさめているわけであるし、大学としてもリソースをそちらに集中させたいと考えるかもしれない——というわけで、そう遠くないうちにほかの大学に移ることもあるかもしれんなと思った。いや、そうなったらもう帰国する可能性もなくはないか? 中国全土で通用するデカイ賞を赴任してほどないころにゲットしているので、こっちでの転職にはおそらく苦労しないと思うのだが、世界情勢のきな臭さもあるし、そのタイミングでまた京都にでももどるか? ちなみに、日本語学科が解体された場合、現日本語学科の教員らは英語学科やほかの学科の第二外国語教員として授業を担当することになるだろうとのこと。

 授業を終えて教室を出る。(…)に立ち寄って食パンを二袋買う。第五食堂で打包して帰宅。食す。(…)さんから相談したいことがあると微信が届く。インターンシップに興味があるのだがどう思うか、と。大学院を受験するつもりであれば参加しないほうがいい、受験勉強をする時間がなくなってしまうからと答える。コロナ以前は二年生の時点でインターンシップに参加する学生もいたが、いまは三年生しか募集していないらしい。三年生になってから仮に三ヶ月間なり半年なり日本で働く場合、たしかに環境次第では口語能力が上昇するだろうが、その間院試の準備はほぼまったくできなくなる、だから院試を考えている学生にはおすすめしない。(…)さんは大学院を受験するかどうかまだわからないといった。意外だった。絶対に受験するものと思っていた。日本に行きたいのであれば、大学院に入学後に交換留学制度を利用するという手もあると伝えると、どこの大学院にもそういう制度はあるのかというので、いやそれはもうそっちで調べてよと思いつつ、ある程度レベルの高い大学であればだいたい姉妹校があるものだよと応じた。大連の(…)さんは交換留学に参加しただろうかというので、中国はほんの最近まで自由に出入国できなかったでしょうと受けた。受けながら、これなんだよな、この認識の差なんだよ、このインフォメーションギャップなんだよなと思った。海外旅行も海外留学もこの国の人民にかぎっては本当につい数ヶ月前までほぼほぼ不可能な状態が続いていたという、壁の外の人間であればおおむねみんなたやすく知ることのできた実情を、壁の内側で生まれ育った人間の大半は——たとえそれが高等教育を受けている大学生であっても——知らない、そしてその無知がもたらすかもしれないギャップ——それは壁をめぐらした側の権威にとってのリスクである——を補完するためにあらかじめふんだんにあたえられまくっている愛国心および愛党心がある(あきらかに道理にかなわない政策、辻褄の合わない内と外の状況の差異を、それとして批判的に検討する思考の余地を奪い、ただただ肯定的に評価するという認知のゆがみをもたらす——もちろん、こうした愛国心の罠が壁の内側に存在する中国にのみ認められるものでないことは、たとえばトランプや安倍晋三のことを全方位的に讃美する手合いが壁の外にもかかわらず相当数存在する事実からもあきらかだ)。インターンシップに参加する学生らが直面するかもしれない困難のうちのいくらかはこのギャップに由来するものだ。
 食後のコーヒーを淹れる。今度はその(…)さんから微信が届く。「去年から、私に院試をめぐる相談を聞いた後輩がずっといるね。みんなぐらぐらして、決意が足りなさそうと思う」というので、(…)さんがさっそく彼女にコンタクトをとったのだろうと察した。(…)さんだけではない、ほかの二年生や三年生からも相談があったと(…)さんはいった。インターンシップの参加をすすめたというので、ぼくはむしろ参加しないほうがいい、院試の準備をすることができなくなるからと伝えたよというと、(…)さんはじぶんの口語能力の低さを痛感しているといった。だから口語能力を鍛える良い機会になるインターンシップには参加したほうがいい、と。「周りの同級生はみんなおしゃべり」というので、それは性格の問題もあるでしょう、きみはけっこうシャイなほうであるし、それにコロナのせいでぼくたち外教と日常的に接する機会もほとんどなかったからというと、たしかにそれもあるかもしれないと(…)さんはいった。(…)くんの院試結果をたずねられたので、330点くらいだったようだよというと、この点数の低さには(…)さんもびっくりしていた。うちの大学の日本語学科もちかぢかなくなるかもしれないよと伝えると、じゃあ大連に来てくださいといわれたが、寒い地方にはいきたくない。
 やりとりしながら、きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回する。2022年3月7日づけの記事を読み返し、2013年3月7日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。(…)からメールが届いている。この時点ではまだ来日するという話にはなっていないようだ。だから英語の勉強もはじめていない(しかるがゆえに映画を観る時間をとることもできている)。
 浴室でシャワーを浴びる。ストレッチをし、今日づけの記事の続きを少しだけ書き進める。今度は(…)さんから微信。今日、インターンシップの模擬面接を終えたのだが、そこで面接官の「(…)先生」から『ホテル日本語』という教科書を買って敬語の勉強などをしておくようにと言われたという。じぶんたちの口語能力が低かったからだろうかというので、ほかの面々はアレにしても、(…)さんと(…)さんの能力が低いということは絶対にありえないし、そもそも例年ろくに会話できない学生らも面接には通っているわけだから、単純にしっかり準備しておいてください、現場で使うことになるだろう定番フレーズやお決まりの表現、専門用語だけでもあらかじめあたまに叩きこんでおいてくださいという意味だろうと応じた。「(…)先生」はすでに鹿児島に到着している(…)四年生の学生がモーメンツに投稿していた日本の写真を見せてくれたらしい。その写真についてはこちらも(…)さんのモーメンツで確認していたが、彼女が投稿した9枚の写真の中の1枚、田舎道を写した写真を見た(…)さんは嫌な予感がするといった。彼女としてはやはり都市部に行きたいらしい。「(…)先生」は配属先として鹿児島、宮崎、佐賀、長崎、大分を挙げたらしい。先輩らの評判がよかった長野も北海道もなかったという。鹿児島から東京までどのくらいかかるかというので、飛行機で一時間半ほどみたいだよと応じると、たぶん大陸のスケールで考えていたのだろう、九州から関東はずいぶん離れているというイメージがあったのだろう、それが一時間半というフライト時間を知って、あれ? となったのだろう、すぐに「オッケー、私たちは相談してみましたが、鹿児島もいいなと思います」という反応があった。正直、都会だろうが田舎だろうが、そんなのはたいした問題じゃないんだよと受けた。問題はそれより同僚だよ、意地悪なジジババがいないかどうかが肝心なんだよ、都会に配属されて嫌な思いをすることもあれば、田舎に配属されて楽しい思い出ができることもある、それは中国での就職や進学でもおなじでしょう、要するに場所ではなくてひとが肝心なんだよ、そしてそのひとをぼくたちはじぶんで選ぶことができない、同僚の日本人はみんな親切だったけど同じインターン生の中国人が大嫌いだったというような子も過去にはいたし、実際に現地に配属されてみるまでどういうことになるかは全然わからないよと、だいたいにしてそのようなことを伝えた。
 それから懸垂をし、プロテインを飲んでトースト二枚を食し、ジャンプ+の更新をチェックした。歯磨きをすませて寝床に移動し、Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きをちょっとだけ読み進めて就寝。