20230306

 当時、私は二十歳を過ぎたばかり。昼休みには病院の通りに面した窓の前に立ち、賑やかな街を眺めていた。心に何度も、恐ろしい考えが浮かんだ。私はここで一生過ごすことになるのだろうか?
 まさにそのとき、私は小説を書こうと決めた。窓の前に立って見ていると、県の文化センターの職員たちが暇そうに街をぶらぶらしていた。私は羨ましくて、彼らの一人に聞いたことがある。
「どうして仕事をしないんだ?」
 相手は答えた。「街をぶらつくのが仕事なのさ」
 私は思った。そういう仕事なら、私だって好きだ。
 私の最大の願いは、県の文化センターに就職することだった。街をぶらつくのが仕事だという。そんな素晴らしい仕事は文化センターのほかには、天国にしかないだろう。当時の中国では、個人に仕事を選ぶ権利はなかった。仕事はすべて国家が割り当てた。私が学校を出たとき、国家から与えられた職業は歯医者だった。私が歯医者をやめて、文化センターの暇な仕事に就くためには、やはり国家の許可が必要だ。しかも、まず自分に文化センターの職員となる資格があることを証明しなければならない。文化センターに通じる道は三つあった。一つ目は作曲ができること、二つ目は絵が描けること、三つ目が創作だ。作曲と絵画は一から学ばなければならないので、私には無理だった。だが創作なら、漢字さえ知っていればできる。私は創作を選ぶしかなかった。
 私は文革の十年間に小中高の教育課程を終えた。この経歴は私を豊かに成長させたが、学習面では歳月をムダにした。中高生のころは、いつも始業のベルと終業のベルを聞き間違った。終業のベルを聞いて教室に向かい、授業を受けようとした。当時、知っていた漢字は多くない。それでも、何とか創作に支障はなかった。のちに中国の批評家は、私の文章が簡潔だと褒めてくれたが、私は冗談交じりにこう答えた。
「それは知っている漢字が少ないからだ」
 その後、私の作品が英語に訳され出版されたとき、アメリカの教授がこう言った。あなたの文章は英語に訳すと、ヘミングウェイに似ている。私は自分の冗談をアメリカに輸出して、その教授に答えた。
ヘミングウェイが知っていた英単語も少なかったのでしょう」
 これは冗談だが、理屈は通っている。人生とはそういうもので、長所が短所になったり、短所が長所になったりする。毛沢東の言い方を借りれば、「よいことは悪いことに変わり得るし、悪いことはよいことに変わり得る」のだ。さっきの冗談を続けるなら、私とヘミングウェイ毛沢東が言う、悪いことが良いことに変わった部類の人間なのだろう。
 私は二十二歳のとき、歯を抜きながら創作を始めた。歯を抜くのは生活を維持するためで、創作はいずれ歯を抜かないでいいようにするためだった。最初のうちは、字を書くのは歯を抜くより大変だと思った。しかし、天国のような文化センターに就職するために、私は自らに鞭打って書き続けた。当時はまだ若かったので、自分の尻と椅子の間に友好関係を築くのは容易だった。週末になると、窓の外に陽光があふれ、鳥が空を飛び、娘たちの笑い声が響く。同年代の友だちはみな外へ遊びに出かけたが、私は一人机に向かっていた。まるで鍛冶屋が鉄を鍛えるように、力を込めて、漢字を一つずつ書き連ねていった。
 のちに、よく若い人から質問を受けた。「どうすれば作家になれるのですか?」
 私の答えはただひと言、「書く」ことだ。書くことが経験になる。人は何か経験しなければ、自分の人生を理解できない。同じ理屈で、人は何か書かなければ、自分が何を書けるか理解できない。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 10時半ごろに一度目が覚めたはずだがすぐに二度寝して一時間後にあらためて起床。歯磨きをしながらニュースをチェックし、ストレッチをすませてから街着に着替える。今日の最高気温は27度。春をすっ飛ばしていきなり夏だ。自転車にのって第四食堂へ。エビのハンバーガーを二個買う。注文したものができあがるまでのあいだ、店の前に突っ立って『ラカン入門』(向井雅明)の続きをちょびっと読み進める。食堂を出入りする学生たちの視線をひしひしと感じる。まず、サングラスが異様。次いで、あごひげが異様。最後に、おもてで書見している姿が異様(さらに補足するなら、中国には文庫本サイズの書物が存在しないので、なんだあの小さい本は? という好奇の視線もそこにはともなう)。
 部屋にもどる。食す。二年生の(…)さんから微信。(…)先生から二年生は来学期から一年間日本に留学できると知らされた、と。(…)大学のことだなと察し、三年生の先輩もいまひとりそこの大学に留学中だよと受ける。(…)さん、興味があるようす。中国国内にとどまっていても日本語を使う機会は滅多にないし、実際に日本に行って日本語で日本人と交流する時間を作りたい、と。クラスメイトはみんな興味がないようですと続けるので、例年留学にいくのはクラスで一人いるかいないかだねと受ける。
 コーヒーを淹れる。阳台にパソコンとスピーカーを持ち出して作業開始。まずはきのうづけの記事の続き。途中、大連の(…)さんから写真が送られてくる。坊主頭にベレー帽をかぶり、丈の長い黒シャツに袴っぽいパンツ、それに黒いブーツをあわせている男性の後ろ姿。双子の弟かもしれないわと応じた流れで、大連の気温をたずねる。まだ10度くらいとのこと。やっぱり北方と南方ではずいぶん差がある。
 さらに、三年生の(…)さんから微信。「(…)」という漢字の日本語読みを教えてほしい、と。いや、きみの名前じゃんそれ、という感じであるのだが、おそらくインターンシップ用の面接に必要な履歴書をいま書いているのだろう、それでじぶんの名前の日本語読みを確認したかったのだろうと思うのだが、三年生にもなっていまだにじぶんの名前すらろくにおぼえていない、そういうレベルの学生がなぜインターンシップに参加しようと思うのか、こちらにはまったく理解できない。毎年こういう学生がいるのだが、たぶん、現地にいけばなんとかなる、ある程度習得できるという甘い見込みのようなものがあるのだろう。実際、それは間違いではないのだが、それにしたって、最低限の基礎ができていないと積み上げられるものも積み上げられない、そこを本当にわかっているのだろうかとげんなりする。インターンシップ先に差別主義者のジジババがいるんではないかという心配とは別に、そもそもその日本語能力がきっかけで無数の誤解やトラブルが生じるおそれがあるんだがだいじょうぶかというあたまもこちらには常にある。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年3月6日づけの記事を読み返す。麓健一に対する言及がある。曰く、「そういえば、今日は、何年ぶりになるかわからないが、麓健一『美化』を聴いた。きのう大友良英とかジム・オルークとか聴いた流れでなつかしくなり、BOOOKS112時代によく聴いていた音楽が連想的にいろいろとよみがえってきたのだ。ググってみたのだが、麓健一いまも活動しているのかどうかよくわからなかった。『コロニー』は発売当時CDを買った。2009年には『あるいはその夏は』というアルバムがbandcampで発売されているようだが、それ以降の足取りは不明。このひとがなぜほぼ無名のまま終わっているのかよくわからない。『美化』なんてはじめてきいたとき、めちゃくちゃやばいと思ったものだが」とのこと。その麓健一は去年末に新譜『3』をリリースしたわけだが、サブスク対象外であるので、こちらはいまだに聴くことができずにいる。夏休みに一時帰国できたらCDを買うつもり。
 さらに、2013年3月6日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。まず、『フーコー』(ジル・ドゥルーズ宇野邦一・訳)より。

話すことと見ること、あるいは言表と可視性は純粋な〈構成要素〉、ア・プリオリな条件であり、この条件のもとで、ある時点に、あらゆる観念が形式化され、様々な行動が現われるのである。このような条件の探究は、フーコーに特有な一種の新カント主義を構成する。しかしカントとは根本的な違いがある。諸条件は現実的な経験の条件であって、あらゆる可能的経験の条件ではないのだ(例えば、言表は、限定されたコーパスを前提とする)。それらは「対象」の側、歴史的形成の側にあるのであって、普遍的主体の側にあるのではない(ア・プリオリなものは、それ自身歴史的である)。どちらも外部性の形態なのである。しかしもしここに新カント主義があるとすれば、それは可視性が、その諸条件とともに一つの〈受容性〉を形成し、そして言表は、その諸条件とともに〈自発性〉を形成するからである。言語の自発性と、光の受容性。それゆえに、受容的を受動的と、自発的を能動的と同じことと考えるのは不十分であった。光が見させるもののなかには、能動も受動も同じように存在するのだから、受容的は受動的を意味しない。自発的は、能動的を意味しないで、むしろ、受容的な形態に働きかける「他者」の活動を意味するのだ。カントの場合もすでにこのようであった。彼において、「私は考える」の自発性は、この自発性を必然的に他者として表象する受容的な存在に対して行使されるのだ。ところがフーコーにおいて、悟性の自発性つまりコギトは、言語の自発性(言語の「そこにある」)に場所を譲り、直観の受容性は光の受容性(空間-時間の新しい形態)に場所を譲る。こうして、可視的なものに対して言表が優先することは容易に説明される。
ジル・ドゥルーズ宇野邦一・訳『フーコー』)

 それから、以下のくだり。

にしてもジョギングもいつの間にかすっかり習慣の一部と化した。じぶんの最大の武器はこの習慣化能力だろう。いちど習慣化して時間割に組み込んでしまえばよほどのことがないかぎり継続することができる。これはたぶん強みだ。神経症的主体の強み。書くための身体作りという名目が自身にいちど納得されさえすれば、あとは楽勝だというわけだ。書くための◯◯という公式が心底納得されたならばたとえ法を破ることだって辞さないじぶんがいる。ニーチェの教えを裏切ることになるが、この書くためにという中心化作用・目的論的な筋道のたて方が、じぶんに唯一許された生の様式なのだ。おそらく。パラノイアのど根性。わたしは世間の常識よりもわたしの条件を優先する。

 10年経ってもなーんも変わっとらんなと思いかけたが、いや、そうでもないか、習慣化能力はいまだに強固であるが、それでもこのころよりは神経症的なもろもろが解除されているといえるかもしれない、読み書き以外の時間をそれ相応に愛することができるようになっているし——と思ったが、その愛とは無償の愛ではやはりなく、それ自体がやはり「書くためにという中心化作用・目的論的な」性質のものであることは否定できないな。小説としてであるか日記としてであるかは問わず、あらゆる種類の経験、あらゆる生活の細部、あらゆる「普通の会話」(cero)が、ひとしく記述の対象となりうるというこの認識は、結局のところ、「じぶんに唯一許された生の様式」、世間の常識よりも優先される「わたしの条件」の更新・拡大・新たな解釈でしかないといえるわけだから。あらゆる経験を経験それ自体として愛しているのではなく、記述の対象として、素材として、あるいはネタとして、いわば二次的に愛しているにすぎないわけで、そのような愛は通常愛と呼ばれないだろう。ものすごく大雑把にいえば、それが書くじぶんにとって役に立つものであるから(そして書くために役に立たないものなどこの世の中には存在しないという認識を身体で得たから)、書くこと以外もおしなべて愛することができるようになった——それが10年前のじぶんと現在のじぶんを画する変化ではあるのだが、この変化とはしかし根本的な変化ではまったくないわけだ。

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は16時だった。翌日の授業準備にとりかかる。まずは日語会話(三)第21課の確認。あきらかにボリューム不足であるようにみえるのだが、実際にやってみたらおそらくそうはならないだろうなという経験則があるので、そのままで良しとする(ただし、予備の応用問題はいくつか用意しておく)。がっつりディスカッションをするのは無理だろうが、「と思います」「と言います」という文型をとりあつかう課であるので、テーマを与えた上で各自自分とクラスメイトの意見を表明するという応用問題をきっかけに、それに近い流れにもっていくことができるんではないかと考えているのだが、うーん、どうなるだろう。こちらの舵取り次第か。
 学習委員の(…)さんに作成した資料を送信。さらに日語写作(二)の内容も確認したうえで、USBメモリにデータをすべて移し、手元に必要な資料を印刷。すんだところで第五食堂へ。(…)を見かけたが、相手が気づいていないようだったので、声をかけず。食堂で見かけるなんてめずらしいなと思ったが、もしかしたらテレビ出演でずっと(…)に滞在していた、それでいまさっきようやく(…)に戻ってきたというタイミングだったりするのかもしれない、食事の準備をするのがしんどいので今日は食堂でメシをすませることにしたのかもしれない。
 打包して帰宅。食す。三年生の(…)さんから微信。明日インターンシップの模擬面接があるのだが、面接の「前置き」はどう言えばいいのか、と。前置き? とたずねると、「中国では「面试官们好,非常荣幸能够参加这次的面试」とかこんな言葉があります」というので、あ、そういうことねと合点し、「本日は貴重な面接の機会をいただき、ありがとうございます」というフレーズを教えた。
 ベッドに移動。Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きをちょっとだけ読み進める。20分の仮眠をとったのち、浴室でシャワーを浴びる。あがってストレッチ。今日は部屋にいるあいだずっと靴下をはいていないしダウンジャケットもはおっていない。なんだったらヒートテックも極暖ではなく薄いやつを着ている。部屋着用のダウンジャケットはいたるところ破れており、その破れ目から飛び出した羽毛がたびたびフロアに落ちるのがいい加減うっとうしいので、今季を最後に捨てるつもり。夏に一時帰国した際、リサイクルショップで安物を新調する。
 コーヒーを淹れて、「実弾(課題)」第四稿。21時から0時半まで。シーン16を片付ける。内容がシリアス一辺倒だと窮屈で風通しが悪くなるので、なるべくそのシーンの本筋とは無関係な描写、画にならないまぬけな失態(ユーモア)なども加えたいとつねづね思っているのだが、このシーンはどうしてもシリアスにならざるをえない。ちょっとむずかしい。プラス11枚で計244/996枚。
 筋トレはお休みし、プロテインとトースト二枚の夜食をとる。ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませる。歯磨きをしながらあらためて原稿を冒頭から読みかえしていたところ、興がのってしまい、結局、1時から2時半まで作業を延長してしまった。シーン1からシーン4まではほぼ完璧だと思う。過不足ない描写。シーン12((…)がはじめて登場する場面)でやっぱりいったん調子が狂っているんじゃないかと思う。ここはなにか抜本的な工事が必要である気がする。そしてシーン14(シーン1の反復であるバス乗車の場面)であるが、これは必要ないんじゃないか、元ネタである『青の稲妻』のカット割に準拠して設けたシーンであるが、あまりうまく書けているとは思えないし、ここで景人が変にイキっているのはちょっとおかしいんじゃないかと違和感をもった。そういうわけでまるごとボツにすることに決めた。シーン15とのつなぎが一部バグるが、多少パッチをあてるだけでどうにでもある程度のアレでしかないはず。時間をおいて読み返してみたら、やはりシーン14は必要であるという判断が下される可能性もなくはないが、そもそもがシーン1の反復であり変奏であるという点からしても、挿入しなおすにしてももうすこし後半にしたほうがいい。
 作業を終えたところでベッドに移動。ほんのちょっとだけ書見して就寝。