20230321

 経験交流の時代、中国の大地を走る汽車はすべて紅衛兵を満載していた。座席の下に横たわっている者もいれば、網棚で寝ている者もいる。多くの人は何時間も立ちっぱなしだった。列車のトイレにも人があふれ、誰も用を足すことはできない。だから汽車が駅に入ると、紅衛兵たちはすぐにドアや窓から抜け出してくる。まるで、練り歯磨きを絞り出すかのようだった。男たちは飛び降りると、臆することなくズボンを下ろし、ホームの上でところかまわず排泄する。女たちは不届き者が盗み見するのを防ぐため、集まって丸い人垣を作り、その中に順番にしゃがんで用を足した。それから、男女とも再びドアや窓から列車にもぐり込む。発車したあと、ホームは臭気芬芬、男女の紅衛兵が残した排泄物だらけだった。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 11時起床。歯磨きしながらスマホでニュースをチェックしていたら、WBCの準決勝戦で日本がメキシコにサヨナラ勝ちしたという速報が出ていた。夜勤明けの父親が居間のテレビで両手をあげて叫び、それにびっくりした(…)がガバッと体を起こし、それを見た母親が、うるさい! (…)が昼寝できひんやろ! はよ二階行って! と叱るところまで一瞬で幻視された。
 第五食堂で打包。寮の門前で管理人の(…)が小さな椅子の上に立ち、門に貼られたままになっている春節祝いのシールを剥がしている。市の監査が入るので寮の周辺を清潔にするようにという通知が(…)からまたあったのだが、これもたぶんその一環だろう、春節などとっくに過ぎているにもかかわらずいつまでそんな飾り付けをしているのか、だらしない! とならないように手を打っているわけだ。
 帰宅。ウォーターサーバーの水漏れがまた発生していた。やはりサーバー本体の問題なのかもしれない。要様子見。メシ食い、コーヒー飲み、午後の授業のシミュレーション。時間になったところで寮を出る。寮の入り口で(…)を連れた(…)から呼びかけられる。(…)、またしてもこちらにワンワン吠えまくる。なんでや!
 自転車で出発。ピドナ旧市街の入り口にある売店でミネラルウォーターを買う。教室へ。14時半から二年生の日語基礎写作(二)。先週の課題を返却。今回の課題はA+、A、B+、B、C+、C、D+、Dの8段階で評価をつけたことを説明。文章作成にあたってアプリの助けをまったく使っていないのであれば、C+評価でも十分実力はあると補足する。授業前半を使って清書。そのあいだこちらは書見。後半は「(…)」。今日は作文を書きませんと告げると、学生らは大喜びした。みんな作文が嫌いなのだ。「(…)」は上々。はじめての読解授業でめあたらしかったこともあるのだろうが、かなり良い感じだったと思う。
 休憩時間中は中国各地の方言の話。あと、インターンシップの話も出た。7月から三ヶ月間のプログラムに参加するのは(…)さんと(…)さんの二人のみ。日曜日にすでに面接も終えたとのこと。(…)さんは来年の参加を考えているというので、でもそれだと大学院試験と日程がかぶるんでないのとたずねると、日本の大学院に進学するかもしれないという返事。中学時代の同級生がいまひとり千葉で暮らしているのだが、もともとは全然勉強などしていなかったのに、いまでは服屋でアルバイトができるほどになっていると続けるので、なるほど、そういうのがちょっとうらやましくて悔しいのだなと察する。(…)さんと(…)さんのふたりは三年生と同様、やはり九州に行くことになる様子。方言だけちょっと心配だねと話しつつも、でもまあきみたちふたりのレベルだったらまったく問題ないよ、最初の一ヶ月は大変だと思うけどすぐに慣れると思うと太鼓判を押す。実際、授業態度も良いし、基礎もしっかりできているし、人当たりも良いふたりなので、どんな環境でもわりとすぐになじめるんではないかと思う。過去には全然日本語ができない状態で渡航した先輩たちもいるしねという話の流れで、七月に出発する三年生の参加者のなかでもけっこう心配なのがいると口にすると、だれですかと(…)くんがいうので、(…)さんの名前をあげると、知っているという。じぶんと同じくらい日本語を勉強していない先輩ではないかと中国語でいうので、いやいやマジでそう! きみとおなじくらい勉強していないよ! 全然話せないから! というと、みんな笑った。
 16時半からおなじメンツで日語会話(三)。第23課。オラッ! また失敗したわクソがッ! ちょっとマジで、本当に大学にお願いしたい、クラスをふたつに割ってくれないだろうか? レベルのバラバラな学生が30人以上いるクラスで会話の授業を、効率よく、おもしろく、そしてある程度歯応えのあるかたちでやる——これは! マジで! 無理ッ! こちらもそれ相応の経験を積んできているし、その経験にあぐらを掻くことなく毎学期ほぼすべての教案を作り替えて授業に挑んでいるわけだが、マジで! この条件での会話の授業はむずかしい! こちらを立てればあちらが立たずみたいなアレがあたり一面地雷原のようにひろがっている感じ。そもそも会話の授業の開始が一年生後期からというのが問題だ。基礎日本語の授業を前期でみっちりやったあとに、こちらの担当する会話の授業が一学期遅れで、はい、では五十音からやりましょう! と前期の内容を後追いするかたちではじまる——といえば、復習がてらみたいな感じで聞こえがいいかもしれないが、学生らにしてみれば、いまさらそんな簡単なことをやるのかという感じである(さらにいえば、クラスには中学時代ないしは高校時代から日本語を勉強している学生も複数いる)。今日やった第23課なんてまさにそうした遅れが悪いかたちになった典型的な例で、二年生の後期にもなっていまさらこの文型なの? という感じだ。いや、それだったらそれで教科書を飛ばしてどんどん先をやってしまえばいいというかそもそも教科書なんて使わなければいいという話なのかもしれんが、それはそれでコロナ前さんざん試してみたわけであるし、いや、マジで悩ましいな。とはいえ、現一年生からはいちおう入学直後から会話の授業を受けることになったわけであるし、しかるがゆえに彼らはいま二年生が後期で学習している内容を半年はやく、つまり、二年生前期の時点で学習することができるわけであるし、そうなると多少状況はマシになるかな。
 あークソクソ! うんこうんこ! という気分で教室をあとにする。いつもアクティビティをする時間がなくもったいないので、今日は後半まるごとそれに費やしたが、そんなときにかぎってそのアクティビティがややぐずぐずになってしまう、クラス全員を参加させるかたちになると、どうしてもやる気のないレベルの低い学生らのところでテンポが悪くなり、結果そのせいで空気が弛緩してしまう、この現象、どうにかなんねえかなと思う。そういう意味では、やっぱり一流大学がいい。(…)さんも(…)に移ったあと、授業がこんな楽でいいのかと思ったといっていたし。それにもかかわらず他校からの勧誘を断り、この辺境にいつづけようとするじぶんの享楽のバカバカしさよ!
 寮にもどる。(…)と(…)がいっしょにたばこを吸っている。(…)はたばこをやめたのではなかったか? 疲れた、腹減った! というと、午後ずっと授業だったんだろう? と(…)がいう。自転車をいったん置いてからふたりのところにもどり、さっきここで(…)に吠えられたよ、あの子おれのこともう忘れてるのかもしれないというと、(…)に近づきたくて好きだ好きだと吠えたんだよと(…)がいう。そういえば、数日前に(…)と彼の奥さんを見かけたよというと、(…)も戻ってきたと(…)がいう。黒人の男性だ。それ以外にも夫婦でやってきた教師がいるらしいのだが(そろって教員だという)、(…)もこのふたりのことをよく知らないようす。たぶんオンライン期間中にあたらしく採用された他学部の教員だろう。じゃあもう全員入国したということなのかとたずねると、(…)がその旨英語なまりの中国語で(…)にたずねる。ちょっとびっくり。こちらでも理解できる程度の中国語であるが、そうか、(…)はそれくらいだったらできるんだ、読み書きはむずかしいのだろうが会話はある程度可能なんだな。(…)曰く、あとひとり入国する予定らしい。日本語学科のこちら、英語学科と国際学科の(…)と(…)、(…)はengineerだったか? それからなにを担当しているのかわからんが(…)と新顔夫婦とまだ見ぬ一人、都合8人の外国人教師がちかぢかそろうわけで、また食事会かなにかあるのだろう。めんどくせえなァ。
 第五食堂で打包。帰宅して食す。寝不足気味だったのでベッドに移動。ほどなくして深い眠りの予兆に見舞われる。わかる、わかるぞこの感じ! 授業がうまくいかなかったときにたびたびおとずれるあの長々とした不貞寝の前触れだ! で、実際、そうなる。アラームはいちおう20分後に設定しておいたのだが、知ったことかとふてくされて二時間ほど寝る。おかげで元気になった!
 シャワーを浴びる。ストレッチをする。コーヒーをガブ飲みしながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年3月21日づけの記事を読み返す。

千葉 そもそも言語がしち面倒くさい存在であるのは、それが直接的な表現ではなくて、常に間接的で迂遠なものであるからですよね。言葉が何かを指すときには、また別の言葉が惹起されて、意味作用が少しずれていったりする。直接現実に関わるのではなくて、あいだに挟まる衝立のようなものとして言語がある。つまり言語というのは、直接的満足の延期であり、もっと簡単に言うと我慢なんですよ。その直接的満足の延期が、メタファーの存在に通じている。何か言い足りていない、真理に到達していないという不満が言語活動にはあって、その不満の周りでさまざまな言葉をああでもない、こうでもないと展開することによって、豊かな言語態が成立するわけです。
國分功一郎+千葉雅也『言語が消滅する前に』

 書見したい気分だった。なので授業準備をサボり、(…)先生の置き土産である木村敏『からだ・こころ・生命』を読んだ。めちゃくちゃおもしろかった。付箋をたくさん貼った。言ってること、ほとんどドゥルーズじゃん、と思った。あと、「二人称的な場面、つまり、「わたし」と「あなた」がひとつの親密なまとまりをつくっている「われわれ」の場面」(61)というくだりを読んだとき、趣旨および文意とはずれるのだが、「われわれ」を「二人称」として見るそのような視点に立脚することでひらける地平もあるかもしれないなと思った。

 一年前の日記には、現二年生の(…)さんが足を骨折していまだに大学に来ることができていないと記されていた。一年後のいま、その彼女のクラスメイトである(…)さんがやはり足を骨折しており、先週からだったか先々週からだったか、授業を欠席し続けている。なんの因果や。
 それから2013年3月21日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。以下に引くルーセルのエピソード、ぜんぶいいな。

 どうもルーセルはおよそのところ、大衆作家たち以外では、最も伝統的な作家たちにしか親しんでいなかったらしい。彼はつねにあらゆる藝術的ないし文学的運動から離れたところに身を持していた。若いころ、プルーストと会う機会があったが、交際を結ぶには至らなかった。『アフリカの印象』の上演について、何度か『ユビュ王』のスキャンダルが引き合いに出されたにもかかわらず、彼はジャリを読んだことがなかった。同様にして、彼はアポリネールを知らなかったし、おそらくランボーも知らなかった。ある日、彼は笑いながら私にこう言った――「私はダダイストなんだそうだ、ダダイスムが何なのかも知らないっていうのにね!」
ミシェル・フーコー豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』よりミシェル・レリス「ルーセルに関する資料」)

 マダム・デュフレーヌによれば、ルーセルは朝、平均三時間執筆し、時間きっかりに始めてきっかりに終わること、さながらオフィスでの勤め人のようだった。けれどもこの執筆時間の能率はたいへん不規則で、ルーセルはその三時間のあいだに一人の作中人物の名前しか見出せないこともときとしてあった。またときには鎧戸を閉めきって、電燈の明りで仕事をすることもあった。調子がいいと感じるときには、余分に何時間かやることもあり、それは先まわりをしておいて、もし必要があれば、休暇を楽しめるようにと思ってのことだった。オセアニアを航海していたときには、タヒチ島で心おきなく歩きまわれるように、何日間も船室を動かずに仕事をしたことさえあった。北京では街をざっと見物したあと、修道僧のように閉じこもってしまった。
ミシェル・フーコー豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』よりミシェル・レリス「ルーセルに関する資料」)

 栄光を当然の権利と見做し、たとえば、まだサロンに顔を出していたころ、誰一人として彼から発する光輝を知覚しているように見えないことにまったく素直に驚いていた彼は、どんな讃辞にも満足することがなかった、なにしろどんな讃め言葉であろうとも、自分が当然期待して然るべきものよりは劣っていると判断していたのだから。彼は批評記事の評価を自分にとって好都合なものにするために何ひとつしたことがなかった。つねに失望をくり返したにもかかわらず、彼は自分の戯曲の上演はひとつとして欠かさなかった。とはいえ、『太陽群の塵』のとき、ルネサンス座での大荒れの夕べには、もうとても我慢できないと言って芝居が終らないうちに劇場を出てしまった。事実、その後のどの上演にも顔を出さなかった。
 一九歳の折、彼がその間ずっと「世界的栄光の感覚」を覚え続けたあの発作、一生のあいだそれをふたたび見出すことを絶望的に試みた強烈な至福状態の最中に、ルーセルは自己の天才の啓示を受けたのだった。いつもながらに細かく気をまわす彼は、論破しがたい証拠をあくまで求めつつ、そして自分の〈運命〉というものの客観的実在について自分を安心させるにふさわしい確認と思われるものを行なおうとして、サン=サーンスと、そして間接的にピエール・ロティの秘書とに問い合わせて、この二人がそのような悟明を経験したことがあるかどうかを知ろうとした。
ミシェル・フーコー豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』よりミシェル・レリス「ルーセルに関する資料」)

 それから以下のくだり。バイト先でとっていた京都新聞餃子の王将の餃子無料券がしょっちゅうついていたので、それをもらってよく近所の王将で打包していたのだった。

二冊立て続けに読了したところでいったん休憩をとることにし、部屋着のまま近所の王将へ行って例のごとく無料券を使用して餃子一人前をお持ち帰りした。餃子が焼き上がるまでのひとときをシンナーで前歯の溶けた作業服のおっさんらとならんで小汚いカウンターに腰かけながら待つのはわりと好きだ。落ち着く。大学に入学してからじぶんのふるまいや言葉遣いなんかをかなり意図的に矯正してきたつもりであるし、その矯正の結果もすっかり身になじんだと思っていたのだけれど、でもこんなふうな場末感のある店内の一画でまるで高校時代に戻ったかのようなだらしのない格好でだらしのない姿勢をとり、挙げ句の果てにはだらしのない声で会計時のやりとりを交わすこのひとときがどうしてもこうも懐かしく安心するのか。いまの職場に勤めるようになって(…)さん(…)さん(…)さん(…)さんみたいなどうしようもないヤクザものたちと頻繁に接触するようになり、するとそれに刺激されて死んだはずの種子からふたたび芽吹きはじめるものがあるような、そういう印象をときどき抱く。これはおもしろい現象だ。一種の変身だ。接触する人種の頻度・割合に応じて姿が変わるのだ。類は友を呼ぶという。多くの類を隠し持ち必要なときには取り出すことのできる役者の才能がじぶんにはあると思う。

 読んでいて、ちょっと太宰治の「ダス・ゲマイネ」を思い出した。

彼は実にしばしば服装をかえて、私のまえに現われる。さまざまの背広服のほかに、学生服を着たり、菜葉服を着たり、あるときには角帯に白足袋という恰好で私を狼狽させ赤面させた。彼の平然と呟くところに依れば、彼がこのようにしばしば服装をかえるわけは、自分についてどんな印象をもひとに与えたくない心からなんだそうである。

 そのまま今日づけの記事も一気にここまで書いた。作業中は高田みどりの『Cutting Branches For a Temporary Shelter』と『You Who Are Leaving To Nirvana』をくりかえし流す。後者は黛敏郎の涅槃交響曲とか山下洋輔らの『慈愛LOVE』を思い出す。お経と音楽。不貞寝したおかげで、そしてまたうまくいかなかった一日を一気に書き殴ったおかげで、これを書いている深夜1時、ずいぶん気持ちも安定した。やれやれやな、ほんま。しかしメシに行きましょうだの先生の故郷に遊びにいっていいですかだのさんざんあれこれいう(…)さんの授業態度が毎回おそろしく悪いのはどうにかならんかなとも思う。ま、彼女の場合、こちらの授業だけではなくほかの授業でも同様らしいが、それにしても授業中あんな絶望的に退屈した表情を浮かべるか? 今日なんてクラスほぼ全員がわーわーなっている笑いどころにあってさえ目の前で犬猫が車にでもひかれたんか? みたいな、ついさっき親友看取ったばっかけ? みたいな顔をしていたわけだが、なんやあれ? どういうこっちゃ? たまたま体調が悪かっただけかもしれんが、でもけっこう毎回あんな感じだよなと思う。

 懸垂し、プロテイン飲み、トースト二枚食す。ロシアを訪問中の習近平プーチンと非公式の会談をおこなったという報道が出たのが昨日? 今日? だったと思うのだが、ほぼ同じタイミングで、今日、岸田文雄ウクライナを訪問してゼレンスキーと会ったという報道が出たわけだが、これはやっぱり狙ってかぶせているのだろうか? それともただの偶然?
 歯磨きをすませてから『本気で学ぶ中国語』。第18課を一時間ほど進める。途中、何度か雷鳴を耳にする。3時になったところで寝床に移動。カーテンの隙間からときおり稲光が差し込むなか、Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きを読み進めて就寝。