20230405

 主人のディスクールにおいては、あるシニフィアンから別のシニフィアンへの移行のなかで、主体は、一方で意味(/S)として決定され、凝固し、固着するが、他方でその存在(a)は失われ、犠牲にされる。ひとは自分の存在をいくらか諦めるよう強いられるのである。ここで私たちは、その諦められる存在を、生物としての存在とみなすことができる。すなわち、身体の生、私たちの生物学的実在、そしてそれゆえに、身体から得られる無媒介的な快感である。できるだけ一般的な言葉づかいで言うなら、私たちは、「社会的な」動物として誕生するために、自分たちの動物的な存在の多くを失うのである(クマはこのような仕方では誕生しない。クマは、ラカンが「主体性」と呼ぶものなしにパーソナリティを持つ——仲良くなったり愛情を抱いたりする——かもしれない)。これは本質的に、ラカンが疎外と呼ぶものである(…)。
 主体性のベクトル(馬蹄のかたちをしたベクトル)の終着点は、グラフ1とグラフ2とでは異なっている。終着点であるI(A)は、自我理想、すなわち主体が内化する〈他者〉の理想である。I(A)というマテームは、「〈他者〉から与えられる(あるいは受け取られる)理想」、あるいは「〈他者〉の理想」と読むことができる。それはまた、〈他者〉の理想への主体の同一化と理解することもできる。主体は、〈他者〉による主体に対する見方に同一化する(〈他者〉の理想や価値で満たされる)かぎりにおいて、ここで誕生する。言い換えれば、主体は、〈他者〉が持っている主体にとっての理想を、すなわち、〈他者〉の目に理想的なものとして映るために自分がそうあるべきものを、内化する。それが自我理想である。先に言及したように、自我理想は本質的に自我の外側にある点である。すなわち、ちょうど親が子を見るような仕方で、ひとがそこから自分自身の自我をひとつの全体ないし全体性として観察し評価する、そうした点である。
(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳『「エクリ」を読む 文字に添って』 p.167-168)



 10時前に(…)さんの微信で目が覚めた。寮の住所を送ってくれという。駅に到着したところらしい。北門で落ち合うことにして身支度を整える。おもては晴れていたが、午後から降るという予報になっていたので、折りたたみ傘を持っていくことにする。
 10時半前に北門で(…)さんと合流。会うのは三年ぶり? 四年ぶり? いずれにせよ、前回会ったのはコロナ以前だったはずで、あのときはこちらと(…)さんと(…)さんと(…)さんの四人で(…)で落ち合い、いっしょにメシを食ったのだった(そしてこちら以外の三人はその後風俗に向かった、こちらはひとりホテルにもどって書き物をして過ごしたはず)。(…)さんはかなり痩せているようにみえた。指摘すると、卓球と水泳をしており、以前より10キロほど痩せたとのこと。どちらも金のかからない趣味だと笑っていう。(…)先生は昨夜遅くまで麻雀していたので今日は来れない、もうひとりの(…)なるEnglish nameを持つ人物はその名のとおり男性で、彼は(…)さんや(…)さんとやはり大学時代に親しくしていた仲間のひとりらしい。当時は英語学科の学生だったので、日本語はできないが、英語であれば交流可能とのこと。
 その彼が来るまでひととき門前で立ち話。共通の友人である(…)さん、(…)さん、(…)さんの近況について話す。(…)さんが中国にもどってくるかどうか迷っているようだと話す。(…)にある私大が日本人教師を募集しているらしくてというと、◯◯大学ですねと名前を口にする。私大はレベルが低いので行くのをちょっとためらっているようですがと続けると、でも給料はいいですよとのこと。(…)さんは普段自営業で、なにかといろいろ手広くやっているようであるが(メインとなる収入は日本から輸入した化粧品や健康グッズを中国国内で捌く仕事だと思う)、最近は(…)の専門学校で日本語を教える機会もあったという。学生らは基本的に学力が低いし、勉強熱心でもないのだが、雑談をするとおおいによろこんだとのこと。しかしその専門学校、公立であるにもかかわらずいまだに給料が支払われていないというし、中国の地方財政がコロナ以降輪をかけてやばいことになっているという噂を裏打ちするデータがまたあらたにひとつ……という感じ。(…)さんについては、いま老人ホームかなにかで介護の仕事をしているという話があった。大学院に進学するために帰国した彼であるが、いまはその準備中なのだろうか? で、収入が途絶えるのはさすがにアレであるし、人手不足の業界で食い扶持を一時的に稼いでいるのかなと思ったが、実際のところはどうか知れない。ながらく連絡もとっていない。(…)さんについては結婚以後いちども中国にもどってきていない。あいつは離婚したかもしれないと(…)さんがいうので、は? マジっすか! とびっくりした。(…)さんは(…)さんからそう聞いたというのだが、ただ(…)さんは(…)さんに対してしょっちゅうくだらない冗談を放言する癖があるらしいので、本当なのか嘘なのかわからないとのこと。離婚したものの同居は続けていると語っていたらしい。
 まもなく男性がタクシーからあらわれる。肉付きがよく、顔がでかく、頭の両サイドをほぼスキンヘッドに近いくらいかりあげたうえで、残った髪の毛を富士山みたいにおったてて、一部ダメージ加工のほどこされた白いジャケット——日本であれば若作りしているおっさんが好みそうな服——を着用している男性。体型はいかにも(…)人であるが、服装や髪型はいかにも中国の成金っぽい。彼が(…)こと(…)さん。彼も自営業で、ふだんは深圳で働いているのだが、最近奥さんが双子の男女を出産したらしく、彼女の故郷である(…)にもどってきたとのこと。英語はまずまず。発音に訛りはあるが、聞き取りにくいことはない。たぶんこちらと同レベル、つまり、専門的な込み入った話をするレベルではまったくないが、がんばればぎりぎり世間話を楽しむこともできるよねという感じ。ニコニコして、快活で、声がでかく、うーん、社長系のバイタリティだなという感じ。実際、(…)さんは彼のことを大学時代の仲間のなかではかなり「成功者」の部類に入るといった。深圳に部屋がふたつ、(…)にひとつあるらしく、いまはJaguarの新車を買おうかどうか迷っているとのこと(奥さんには反対されているらしい)。
 メシは万达で食うことに。徒歩で向かう。はじめのうちは主に(…)さんと日本語で会話していたが、(…)さんの英語が相応のレベルにあるとわかってからは彼ともぼちぼち言葉を交わした。(…)さんは、この道中のみならずほぼずっとそうであったが、ひたすら女遊びについて語った。金持ちになって愛人がほしいとか、愛人を作るのであれば妻にバレないように日本在住の日本人がいいとか、パパ活女子と出会いたいとか、風俗ではなく素人の女の子とやりたいとか、マジでずっとそんな話ばかり。(…)さんのほうは浮気したいとか愛人がほしいとかそういうアレはないようすであるが、高級車がほしいとかそういう話題が多く、金! 女! 車! と、なんかわかりやすい欲望がむきだしになっているふたりであるなと思ったし、これはのちほど(…)さんが口にした言葉であるが、日本やアメリカで生じた社会問題は十年遅れて中国でも生じる、それを拡張気味にふまえると、金! 女! 車! というのはまさにバブルのころの日本人男性が追い求めたものだよなと思ったりもする。しかしこれが少なくともこの国における三十代後半の男性の典型的なありかたなのだろうと考えると——いや、この国とはかぎらないか、たとえば、こちらより十歳年上であるが、(…)さんもやっぱり女! 女! 女! という感じであるし、(…)さんとは違って文化系の趣味をもっているものの、(…)さんもやっぱり似たようなところはあって、若いときはそうでもなかったんだろうが、中国で味を占めてから風俗に通うようになったという話をきいたこともある。だから、じぶんのような人間はやはり少数派なのだろう。世間一般の通念がじぶんの年代の男たちをどうとらえているか、彼らのふるまいからある程度認識しておいたほうがよさそうだ。しかしそうした価値観のみならず、外見も含めてあらためて思うのだが、37歳というのはやっぱりおじさんなんだな、同世代ふたりとならんで歩いている最中、そうか、学生の目にはおれはこのくくりに入っているんだなとちょっとショックを受けた。同時に、大陸で生活をはじめてからたびたび言われるようになった、年齢よりもずっと若くみえるという指摘が、社交辞令ではなくある程度は本当だったんだなとあらためて思った。
 車道の下を通り抜ける溝川沿いのトンネルを経由して道路の対岸に渡る。渡って地上に出たところで、「先生!」と声をかけられる。二年生女子が複数いる。あまりに急なできごとだったので、ひとりひとりチェックできなかったが、少なくとも(…)さんと(…)さんのふたりはいた。清明節ということで万达でメシを食う予定らしい。このひと友達です、日本語上手ですよ、と(…)さんを紹介したが、学生らにはにこにこするだけでなにもいわないし、(…)さんもそれまでさんざん女子大生といっしょに仕事できるなんて最高ですよとかなんとかいっておきながらいざその女子大生を前にするとなぜか急に黙りこんでしまって、おい! 素人童貞かよ! のちほど(…)さんは、じぶんみたいに口であれこれ言っているような人間は実際に行動に移さない、本当にエロいのは(…)さんのような人物だと評した。のちほど微信をみると、(…)さんからわれわれ三人がならんで歩く後ろ姿の写真が送られてきていた。
 そういえば、これは二年生らと会う前に聞いたことだが、(…)省の女子大生は外見もひどく素朴だと(…)さんは言っていた。都市部にいくとやはり金持ちが多い、私立校の学生となると特にそうだ、だから服装もおしゃれでブランドものをたくさん身につけているし、女子であれば高い化粧品をいっぱい使ってバッチリメイクしているという。うちは農村出身の学生がとくに多いですからねというと、だから(…)さんも(…)にいるときは学生に全然手を出さなかったのでしょうと(…)さんはいった。
 万达に到着した。何を食べるかと(…)さんにたずねると、depend on youというので、じゃあ火鍋でも食べましょうかと提案すると、火鍋だったら步行街に行こうという。ここからまた移動するのもめんどうなので、ここの四階にある店で食いましょうといった。それで店へ移動。起き抜けだったのでこちらはそれほど食欲がない。それにくわえて(…)さんが、せっかく鍋を辛いスープと辛くないスープに分けたにもかかわらず、辛くないスープのほうに唐辛子たっぷりの肉をじゃんじゃん放りこんだため、後半から食うのがなかなかつらくなった。(…)さんはこちらがパクチーを好むようすを見てびっくりしていた。螺蛳粉も好きだよというと、外国人らしくないなといった。
 (…)さんが途中で便所に立った。便所に行ったあと、道に迷ったという(そしてその最中、先の二年生らとまたばったり遭遇したという)彼がもどってくるまでのあいだ、(…)さんとしばらく英語でいろいろ会話した。典型的な(…)人だと思っていた(…)さんであるが、そうではなかった、山東省の出身だった。そのわりには背が高くない。しかし骨格はそう言われてみると、たしかにかなりがっしりとしている。卒業後は深圳で起業、いまは子どもが生まれたこともあって、妻の田舎である(…)にこうして帰ってきているわけであるが、来年また深圳にもどる予定だという。火鍋も辛いほうのスープでガンガン食っているようだったので、山東省の食事は全然辛くないでしょうというと、学生時代に(…)にいたこともあって辛いものも大好きになったのだという返事。山東省が有名なのは海鮮料理。日本よりも安く食うことができるといって、以前(…)さんを含む四人で飲み食いしたことがあるのだが、米なし海鮮類だけで腹いっぱい食ったにもかかわらず、たしか400元といっていただろうか? それくらいですんだらしい。調理方法はとたずねると、very simple! steam! という返事。いいな! 絶対うまいと思うわ!
 山東省は日本人も多いという。現地で土地を買って(正確には借りてか)、そこで農作物を育てているという(これはたぶん個人ではなく企業の話だと思う)。日本人は土地を購入したあとは二年ほどいったん放置する、そうすることで毒素まみれの土壌をいったんクリーンにするわけだが、現地の中国人にはその行動が理解できない、だからあいつらはなんでいつもせっかくの土地を放りっぱなしにするんだと不思議がっているとのこと。
 奥さんと出会ったきっかけはインターネット。仕事もインターネットが中心であるし、なにもかもがインターネットのおかげだと(…)さんはいった。生まれたばかりの双子というのははじめての子どもらしい。(…)さんのところは娘さんがたしか今年から中学に入学。二人目はとてもじゃないけれど余裕がないという。奥さんとの出会いは見合いのようなものだったというので、あ、そうだったんですかとおどろくと、もともと周囲から見合いをしろ見合いをしろとうるさく言われていた、それを全部突っぱねていたのだが、いまの奥さんとの見合いをおじからすすめられたときは別に結婚しなくてもいいと言われた、そこでなにか反骨心のようなものがめらめらわいてきて、だったらもう結婚してやるよ! となったらしい。奥さんとの関係はあまりよろしくないようす。そもそもの考え方や価値観が合わないというので、(…)さんはけっこう、というかかなり体制批判的であるし、そういうところでの齟齬もあったりするのかなとおしはかった。奥さんは出産後10キロ太った、その後体型は全然もどらない、だからもうそういうふうな対象としてみることもできないという言葉もあったが、これについては(…)さん自身とやかく言えた話ではないはず。いくら最近10キロ痩せたといっても、それでも結婚当初より彼自身(多くの中国人男性がそうであるように)でっぷり太っているはずなので(それも妊娠と出産という不可抗力なしに!)。
 食事の後半、うんこがしたくなったので便所にいったのだが、ちょうどお昼時だったからだろう、同じフロアにあるほかのメシ屋の前はどこもかしこも行列だらけで、そうか、今日は祝日なんだな、とあらためて思った。これほどひとの多い万达を見るのはひさしぶりだったが、(…)さんも(…)さんもここの万达はひとが少ない、都市部であればもっとひとがたくさんいる、さびしいくらいだといった。おれは都市部に住めんなやっぱ、と思った。
 食事は(…)さんのおごり。ありがたや、ありがたや。外に出ると、いつのまにかどしゃぶり。コーヒーでも飲もうというので、正直もうちょっと帰りたい気分だったのだが、瑞幸咖啡に移動。そこでまた小一時間ほどだべった。抖音はやっていないのかというので、やっていないというと、もったいない、外国人であれば小遣いを稼ぐ手段はたくさんあるのにと(…)さんはいった。たとえば(…)には(…)话を流暢にあやつるアフリカ人がいる、彼は抖音で有名になってかなりの金額を稼いでいる、だから(…)さんも(…)话を話しているところを動画にして投稿すれば、大儲けとはいかないかもしれないけど小遣い程度にはなりますよとけっこう真剣な顔をしていうので、ぼくはあんまり有名になりたくないですからといった。
 (…)さんは「中国スゴイ!」系の网红らについても言及した。このひと知っていますかといいながらスマホの検索バーに表示されている「矢野浩二」という文字をみせるので、あ、中国に来てから知りました、日本にいたときはまったく知りませんでしたけどといった。日本では有名ではないですかというので、たぶんほとんどの日本人は知らないんじゃないですかねというと、中国ではいちばん有名な日本人です、彼は「中国スゴイ! 中国スゴイ!」といって成金になりましたというので、笑った。そこから(…)さんと(…)さんの悪ふざけがはじまった。たぶんビリビリ動画や抖音上にいる「中国スゴイ!」系の外国人の物真似だと思うのだが、こんな大きな建物東京では見たことない! とか、なんて便利なシステム、なんて優れたテクノロジーなんだ! とか、中国は世界でもっとも偉大な国だ! とか、そういう紋切り型のセリフを日本語と中国語と英語でそれぞれ口にしまくったあげく、われらが国家主席は偉大だ! 世界でもっとも優れた指導者だ! 彼のような人物のいる国に生まれたことを感謝している! などと言及の対象がしだいにやばい方向にずれこみ、最終的に、Xi is the gift from God! と(…)さんがクソニヤニヤしながらぶちあげたので、これには爆笑してしまった。と同時に、日本語であればまだしも、英語はけっこう周囲にも理解できる人間がいるかもしれないので、こんな冗談言っててだいじょうぶなのかよとちょっと心配にもなった。(…)さんも(…)さんもこちらと同世代、ということは(…)先生とも同世代、ということは改革開放の恩恵をもっとも受けていた世代のひとであり、かつ、大学で外国語を勉強し留学もしていた人物であるから、やはり現政権にたいしてはかなり批判的なようす。現政権を批判する暗号として(…)さんが簡単な中国語のフレーズを教えてくれた。簡単といいながらこちらには理解できなかったのだが、彼の説明から察するに、日本語でいうところの「バックします、ご注意ください」というトラック音声のようなものらしい。政治体制が皇帝時代に逆行していることを揶揄する言葉として地下で流通しているとのこと。なるほど。
 (…)さんとは会うとかならず政治の議論にありますと(…)さんはいった。(…)さんは政治にあまり興味ないですかというので、いえ政治的動向はもちろん注視していますけど、でもだれかと議論するようなことはあまりないかな、特にいまは中国にいるから学生とはめったにそんな話もできませんしといった。日本国内にかんしてはぼくはもうずっとアンチ自民党ですね、クソ喰らえだとずっと言い続けていますというと、自民党はやっぱり独裁に近いほうにいこうとしていますかというので、方向としてはまちがいなくそうですね、そういう考え方や価値観に親近感をもっている人間が中枢にいることは間違いないです、ぼくは原則としてやっぱり自由が絶対に大事だという考え方ですから、だから自民党は嫌いですねというと、そうです、自由はいちど味わうともう絶対ゆずれないものになりますと(…)さんはいった。
 雨のあがったところでカフェを出た。徒歩で大学にもどった。道中、(…)さんはまた愛人がほしい愛人がほしいといった。今度は(…)さんまで、もし日本で若い恋人がほしければなにが必要かなどというので、金払いさえよければあとはなんでもオッケーという子は一定数いるでしょうと適当に答えた。ふたりはキャンパスをしばらく散歩するといった。こちらは授業準備があるといって、寮の前でパーティから離脱した。別れぎわにふたりと握手。Keep in touch!
 帰宅。疲れたのでひとときベッドで休憩。それからきのうづけの記事にとりかかった。17時をいくらかまわったところで第五食堂へ。打包したものを食したのち、ベッドに移動して30分ほど仮眠。それからきのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年4月5日づけの記事を読み返し。続けて2013年4月5日づけの記事も読み、「×××たちが塩の柱になるとき」も読み返す。まずはホイットマンの引用。

ぼくの届ける品物は君が大いに必要としていて、そのくせいつだって持っているものだ、
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(中)』)

 この日はまた(…)とスカイプしていたらしく、やりとりが例によって胸糞悪い翻訳調で記録されている。以下のような自己批評が残されていることで若干すくわれるが。

(…)ねえ日本語で何か読んで聞かせてよといきなりいう。なんだよそれと思いながらデスクの上にあった夏目漱石『明暗』を手にとり、日本のもっとも偉大な小説家のひとりの作品からと断ったうえで、適当な一節をひろって朗読した。というかこんなふうに書いているとなんかものすごく文化的な交際をしているように聞こえるというか、たとえば映画でも小説でも漫画でもなんでもいいのだけれど西洋人を相手に夏目漱石を日本語で朗読するみたいなシーンや場面やくだりがあったらそんな展開あるかよ、あざといわ、鼻白むわ、作為がうるさいわ、と絶対にケチをつけるところだけれど、しかしこれこそ事実は小説より奇なりというやつだ。というかそれをいえばそもそもはじめての海外でいきなり知り合った外国人女性となぜかまるまるひと月も行動をともにし、挙げ句の果てには帰国後も頻繁にコンタクトをとりつづけて、ついには相手が日本にやってくることになったというこの筋道自体いかにもつくりものめいているというか、なんというか童貞が思い描くバックパッカーの成果みたいなのをわりとけっこう地で行ってしまっているこの現状にむしろ当事者たるじぶんがときおりハッとするみたいなところはあって、じつに出来すぎた星めぐりというものである。

 以下に記されている衝動については、いまはそれを滅する方向にむけて改革中。

なぜ、交わした言葉のひとつひとつを一字でも多く書きつくしておかなければ気がすまないのか? まるでもうすぐそこに死期がせまっているようだ。

 以下のくだりにはちょっと驚いた。あ、(…)さんってそういえばこの当時こちらの(まだフルオープンだった)ブログを読んでいたんだ、と。しかしこのくだりを読むと、生活に関する記述がメインとなってひさしい現在のブログとの隔世の感をおぼえざるをえんな。

筋肉を酷使した。夕飯をかっ食らった。熱い湯を浴びた。風呂からあがって自室にもどる途中、おそらくは銭湯帰りと思われる(…)さん(…)さんとばったり出くわした。(…)くんの帰省中のブログすごくおもしろかったよ、と出し抜けに(…)さんがいった。ぼくなんか変なこと書きましたっけ、とたずねると、いや、なんていうかいつもこう執筆作業にかかわる内容が多いからさ、こう(…)くんがひととコミュニケーションしてる感じとかちょっとおもしろいなって、という返事があった。帰省中に書きつけた日記は書いた当人の身からすると、じつにだらしなく、中身がからっぽな、まったくもって手応えのない手癖だけの記述のように思われるのだけれど、読み手からすると案外そういうほうがおもしろかったりするものなのかもしれない。だれかの日記を読んだどこかの作家だか批評家だかが、われわれは当時の天気や景色のうつりかわりなどについて知りたいのではない、書き手の思想や思考に宿る普遍性をこそ知りたいのだと書きつけたのに対して、そうではないのだ、逆なのだ、思想や思考こそが移り変わるのであって天気や風景こそが普遍的なのだと断じたバルトの一節をぼんやりと思い出した。

 浴室でシャワーを浴びる。ストレッチをする。(…)さんから翻訳の添削依頼があらためて届く。中国語原文と彼女の訳文をまとめてwordに打ち直して送ってくれといったのに、打ち直してあるのは訳文のみで原文はテキストの画像をはりつけた格好になっている。これだと原文をコピペすることができず、翻訳アプリや辞書で細部を確認するのに差し障りがあると伝えたはずであるのに、たぶん文章を打ち直すのがめんどうくさいのだろう、そうしようとしない、その姿勢にちょっとイライラする、本気で勉強する気があるんだろうかと思うし、他人の時間をなんだと思っているんだと思う。とりあえず訳文のみチェックするが、案の定ボロボロで、訳文の内容からだけではそもそもの文意をくみとることすらままならない。なので、文意のくみとることができた箇所のみ修正して返信。これ以上の修正が必要なのであれば原文をちゃんと打ち直して送るようにと告げる。そうでないかぎり翻訳の添削は受け付けないと前回言ったはずだ、と。やれやれ。
 明日の授業準備にとりかかる。日語会話(一)の第14課。先週(…)でやったときに教案が弱いと思われたのでアクティビティを練りなおし、改稿した資料を学習委員の(…)くんに送る。それから明後日にひかえている第15課の資料も作りなおす。第16課とまとめてやるつもりだったが、やはり分離することに。アクティビティも練りなおす。これは途中まで。残りはまた明日やる。
 それから今日づけの記事にとりかかる。0時になったところで中断し、懸垂し、プロテインを飲む。夜食用の食パンを切らしていたので、代わりに(…)さんからもらったすももを食べる。歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックしたのち、1時から2時まで『本気で学ぶ中国語』。ベッドに移動して『水死』(大江健三郎)の続きを読んで就寝。