20230408

言語が私たちを動物とは異なるものにするなら、享楽は私たちを機械とは異なるものにする。
(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳『「エクリ」を読む 文字に添って』 p.177)



 11時過ぎ起床。快晴。歯磨きと洗顔をすませて第五食堂で打包。食すべきものを食し、白湯を飲みながら、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所巡回。2022年4月8日づけの記事の読み返し。そのまま2013年4月8日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。「部屋着の使い魔として生鮮館に買い出し。」という一行を見て、あー! こんなフレーズあったな! となつかしく思った。「部屋着の使い魔」にしてもそうであるし、「歓びなき労働」にしてもそうであるし、「腐れ大寝坊」にしてもそうであるが、この当時は日記を書いている最中に偶然生まれたフレーズをその後しばらくのあいだ執拗に使い続けるというなぞの傾向があった。いまはそういうのもないか。強いていえば、「失敗の巻」が十年越しでこちらにその魅力を訴えかけているくらいか? 名前のわからない人物に記述の要請上「爆弾魔」とか「スカトロ警備員」とか「中華(…)さん」とか偏差値の低いあだ名をつける習慣はいまもまだ残っているが!
 あと、この日は中国に渡るまえの(…)さんから自作の俳句を五十句渡されて、それについての感想を本人に伝えたりもしているのだが、以下のくだりにはたまげた。

入浴後は(…)さんの俳句を読む。文句なしに良い句と部分的に良い句をメモし終えたところで、まだ起きてますかと(…)さんに連絡すると、いま外にいるから1時までには帰るよとあったので、英語の勉強をして残り30分を潰す。(…)さん到来。なんだかんだで(…)さんを部屋に招きいれたのははじめてのような気がする。俳句の話題からバルトの『偶景』とじぶんの「偶景」へ、投げ瓶通信の譬喩からかぶれさせる力=感染力を有するものとしての芸術の話など、二時間ほどいろいろと交わす。俳句はおもしろい。五・七・五のフォーマットがあるからこそ実現可能な豊かさというものがたしかにある。最初の五と七の間に一種の断絶をもうけるパターンというのが(…)さんの作品のなかにはいくつか見られて、これは本来はつながらないと思われているものでもモンタージュしてしまいさえすれば必ずつながってしまうという映画の原理と要するに同じことだと思う。本来は同居不可能と思われるものでも五・七・五のフォーマットに落としこんでしまいさえすればたやすく同居できてしまえるその柔軟性がむしろ狭隘で窮屈で制限の側から語られがちなフォーマットというものの肯定的で生産的な面であり、おなじことは十七字という文字数の少なさゆえにたった一字の一見すれば極小としかいいようのない差異がしかし複雑系のごとき極大の変化へとつながる印象のダイナミズムにもあてはまる。というようなことを話していると、正岡子規の手法であったか、最初の五で遠景を描写し残りの七・五で超近景を描写するというかたちで俳句をつくるとおもしろいと(…)さんはいって、なるほどなと思った。(…)さんの祖父が関西ではかなり有名な歌人若山牧水やら与謝野鉄幹やらと親交があったという話は以前にも聞いたことがあったのだけれど、その祖父とは別の親戚のじいさんに絵描きのひとがいて、そのひとはなんとパリでマティスに画を習っていた(!!!)のだという(日本にフォービズムを輸入するにあたって重要な役目を負ったひとらしい)。さらに小林秀雄の遺影を描いたとかその界隈のひとたちと頻繁な交流があったとかいまでも彼彼女らから送られてきた手紙の類いが残っているだとか、なんかすんごいエピソードのオンパレードで、(…)

 (…)さんのじいちゃんがそこそこ名の知れた俳人だったというエピソードについてはおぼえていたのだが、「その祖父とは別の親戚のじいさんに絵描きのひとがいて、そのひとはなんとパリでマティスに画を習っていた」「日本にフォービズムを輸入するにあたって重要な役目を負ったひとらしい」には、は? マジで? とびびった。こんな話、完全に忘れてたのだが、これ、だれだろう? 青山義雄?
 あと、来日予定の(…)を居候させることについても相談している。このときはじめて大家さんが女性嫌いであることを知り、彼女を一ヶ月間にわたって自室に滞在させるという計画の前途に暗雲がたちこめてはじめているわけだが、それはともかく、その件について(…)さんと交わしたやりとりがすべて関西弁で記録されており、あ、そっか、この当時の(…)さんはまだバリバリの関西弁だったんだな、日本語教師をはじめる前であるからいまのように標準語ベースではなかったんだなと思った。

しかし何よりも衝撃的だったというかショックを禁じえなかったのはうちの大家さんがどうも大の女嫌いであるらしいというぜんぜん関係ない情報で、八月いっぱい(…)がこの部屋に滞在することになるかもしれないと告げると、いやそれはかなり厳しいんちゃうかなとあって、大家さん女の子のこととかあんまりよく思わへんからね、「あの女」みたいな呼び方するから、ほら、ここ学生さんが多いでしょ、それでちょくちょく女の子とかも遊びに来たりするとね、そうすると愚痴っていうんじゃないけども、まあ、「あの女が……」みたいなね、古い時代のひとやし妊娠がどうのとかそういうのにもいちおう、ねえ、こう、子供さんあずかってる身としてきっちり管理せんとっていうのがあるんかもしれんけど、まあ良い顔はぜったいせえへんと思うよ、とあって、あいたー!この展開はノーマークだった!(…)さんの彼女が遊びに来ていたときはどうだったんですかとたずねると、まあ部屋の出入りは頻繁になったよね、全然いらんもん持ってきたりしたし、とあって、なんにせよ京都っていちおう外国人むけのゲストハウスとかあるし、ひと月三万くらいでなんとかなるだろうからそっち移ってもらったほうがいいんちゃうかな、という提案があったのだけれど、しかし部屋を提供するとすでに約束してしまっているし(…)もそれをいろんな意味で頼りにしているだろうし楽しみにしてくれてもいるのだろうから、そしてそれはじぶんも同様なので、とりあえずなんとかうまいこといって大家さんを説得するか買収するかして無事に事を運びたいのだけれど果たしてそううまくいくのだろうか。などと考えているとだんだんめんどうくさくなってくるところがあるというか、一ヶ月ものあいだまともに読み書きできなくなるだろう見込みも去年の夏とおなじでのちに糧となりうる稀な経験のための犠牲と考えるようにして納得していたつもりだったのがぐらつきはじめ、ホストをつとめると約束したからにはもうちょっとしっかり英語をしゃべれるようにしたほうがいいだろうから勉強しなければという今日ふたたびかためたばかりの決意もすでにぐずぐずに溶解しはじめている(習慣化の得意なはずのじぶんが唯一まいにちの時間割に導入するのを手こずっているのが英語の勉強だったりする)。(…)自身やっぱり日本に来るのはやめることにするといつ言い出すものかわかったものでないしひとまずは様子見することにして、大家さんに頼みこむというか事前通知するのは航空チケットを買ったと連絡があってからでいいかと思うのだけれど、一ヶ月間の滞在といえばちょっと長すぎるように聞こえなくもないだろうからだいたい二週間くらいと誤摩化しておいたらまあなんとか無理も通るかもしれないというか、実際問題(…)のことだから同じ場所に一ヶ月も滞在するなんてぜったいにできないと思うのでたぶん二週間もしないうちに退屈してよその県にふらっと出て行くか町歩きの途中で知り合ったひとのうちに宿を移したりすることになるだろうと、そうなることを織り込み済みでこちらも一ヶ月だろうとなんだろうとオーケイだと了承したところも薄情ながらあるにはある。

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は14時だった。今日もまた良之助VPNの調子がずいぶん悪い。いずれ接続できなくなるんではないかという不安がないこともない。そうなると困る。普通に生命線なので。
 ひさしぶりに阳台に出た。「(…)」のクイズその二の作成にとりかかる。はじめてこの教案を作成してから四年ほど経つと思うのだが、あらためていろいろググってみると、なかなかけっこう有用な素材がごろごろ転がっていたので、ひとまずそれらを収集してクイズにする。これだけあれば一コマ十分に持つだろう。それがすんだところで、きのう添削した学生らの課題を授業で紹介するためにまとめる。これは途中まで。
 作業中、三年生の(…)さんから微信。「かゆい」「くすぐったい」「こそばゆい」の違いについて教えてほしい、と。辞書を調べればいいだけだろと思いながら、いちおう説明の返信を書き送る。辞書に載っていなかったのかとたずねると、載っていたけれども説明不足だったというので、たぶんあんまり質のよろしくない辞書アプリかなにかをいれているんだろなと思った。教材についてはケチらず、がっつり金をかけたほうがいいと思うのだが。
 四年生の(…)くんからも微信。夜、空いていますか、と。また長くなるのもかなわないし、今日の夜は執筆に当てるつもりだったので、今日中にやっておきたい仕事がある、それが終わったあとに時間があればかまわないが、と半端な返事を送っておく。就活がうまくいっていないらしい。いまのところ全滅だという。それでたぶん話を聞いてほしいのだろうと思い、だったら食後二時間ほど執筆したのち、学生寮の門限である23時前に男子寮をおとずれ、そこで20分か30分だけでも話を聞いてやるかなと考えたのだが、のちほど、今日は忙しそうであるしかまわない、かわりにルームメイトといっしょにホラー映画を見ることにしますという連絡があった。
 17時に作業を中断して第五食堂へ。打包。寮にもどり、棟の階段をあがっている最中、きのう(…)と立ち話しているところを見た肌の黒い長身の男性とばったり出くわした。妻らしい女性もいっしょ。Hello! とあいさつ。たぶん(…)が以前言っていたインド人のカップルだろう。よくよく考えれば、インド人と(たとえHelloのひと言だけであるとはいえ)言葉を交わしたのは生まれてはじめてかもしれない、と、書いたところで、いやいや、ダルシムがいるわと一瞬考えたが、ダルシムは架空の人物だ、コントローラーで操作したことはあるが言葉を交わしたことはない。
 メシ食う。ベッドに移動して仮眠とる。この最中、(…)くんからホラー映画うんぬんの連絡があったので、だったら夜の部もゆっくりできるなというわけで、まずは浴室でシャワーを浴びた。それからストレッチをし、コーヒーを淹れ、20時半から23時まで「実弾(仮)」第四稿執筆。プラス5枚で計413/994枚。シーン23はひとまずよし。シーン24はかなり時間がかかりそう。シーン24からシーン26にかけては前半の山場、折り返し地点をなす一種のピークなので、ここはじっくり手直ししていきたい。
 作業中、一年生の(…)さんから微信。后街にある店舗が潰れた(…)であるが、別支店を大学の近くで見つけたという写真付きの報告。(…)のそばにある店舗らしい。以前二年生の先輩が教えてくれたよと返信。土曜日の夜であるし、あの周辺を散歩でもしているのだろう。
 作業後、『水死』(大江健三郎)の続きがあと少しだけになっていたので、さっさと読み終えてしまうことに。それで読了したのだが、これ、やっぱり大傑作だな。いや傑作というべきではないのか、それこそ作中でひかれているサイードの言葉通りの「晩年の仕事(レイトワーク)」というべき突き抜けた一作なのか。マジでいろいろな観点から語りたくなる、分析したくなる、そういう欲をそそるタイプの、ものすごく複雑で高密度な作り。無数の主体とメディウム(過去作、俳句、詩、日記、戯曲、手紙、通話、音声記録、インタビューなどが、それぞれ独立したものとしてではなく、ときに複雑な入れ子をなす)を経由しながら、読みなおし、語りなおし、書きなおすこと、それがすなわち、共同制作することであり、生みなおすことでもあるというこの作品の書かれ方それ自体が体現する論理に、分身のモチーフと擬似私小説という形式が重ねて畳み込まれる(と同時に、そうした生みなおしを無限定に肯定し称揚させないものとして——そこに介在する暴力性へのたしかな目配せとして——、強姦と中絶の挿話が象徴的に読みうる位置に置かれていると理解する筋もある気がする)。「共同制作」と「書きなおし」(修正)が形式において重視されている作品の、その中身が全体主義(的な陶酔や熱狂)の検討——否定すべき共同性および修正主義——であるというのも造りとして完璧。

 あと、古義人がアカリに「きみはバカだ」と二度にわたって口にするくだりは、そこだけ短編として独立させても十分通用すると思った。それからアカリを揶揄した人間と殴り合いになったと軽く言及されているエピソードがあったが、これは長江古義人のみならず大江健三郎自身のエピソードでもあるのかもしれない、なぜならあれはたしか現代詩文庫の田村隆一詩集だったと思うが、巻末エッセイに大江健三郎の文章が収録されており、田村隆一と殴り合いの喧嘩になったところを近くにいた愚連隊に止められたみたいなおもしろエピソードが紹介されており、へー、大江健三郎ってけっこう荒っぽいところもあるんだ、と愉快に思った記憶があるからだ。
 懸垂をし、プロテインを飲み、トースト二枚を食す。今日づけの記事の続きを書き、歯磨きをすませ、『本気で学ぶ中国語』を少しだけ進めたのち、ベッドに移動して就寝。