20230511

無意識とは対象a大文字の他者の欠如に住まうという構造を示している。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第六章 共時的なものとして存在する二つの臨床形態」 p.135)



 10時半のアラームで起きれない。11時半前になったところでようやく起きる。一年生の(…)くんから微信が届いている。きのうクラスのグループチャットでコロナだかインフルエンザだかが流行していると訴えていた彼であるが、「先生、お元気ですか、新型コロナウイルスに感染して病院にいますので、マスクを着用してください」というメッセージとともに、陽性を示している検査キットの写真と、あれは病室であるのか、あるいは専門の隔離室であるのかちょっとわからんのだが、ベッドから周囲のようすを撮影した短い動画が送られてきて、ええー! マジで! となる。二度目の感染だという。中国がいきなりフルオープンにして、体感周囲の九割以上の人間が感染したのがクリスマスから年始にかけてのころだったはずだから、ぼちぼち免疫も弱まりつつあるころではある。しかしこの感染の波、このまま拡大するとして、その場合もしかしたらピークがこちらの一時帰国のタイミングに重なる可能性もなくはないのではないか? だとすれば、ちょっと鬱陶しいな。
 四年生の(…)さんからも微信。今日大学にもどってきたという。約束通りいっしょに食事しましょうというので、明日の夕飯を共にすることに。メシはなんでもいいというので、こちらのリクエストで麻辣香锅をチョイス。
 食堂に出向くのが面倒なので、メシの代わりにプロテインを飲み、ヨーグルトを食す。それだけではさすがにアレなのでトーストも食し、コーヒーを飲み、きのうづけの記事を途中まで書く。
 時間になったところで寮を出る。いつものようにケッタを南門のそばに停める。ロックしようとして鍵穴に鍵をぶっさすが、回転しない。これまでも何度かあったことなのだが、今日はマジでどれだけ力を入れても回転せず、しまいには鍵そのものが微妙に変形してしまう始末だったので、こりゃあかんわとなった。キャンパス内であるし、まあだいじょうぶだろうということで、鍵はせずそのまま放置することに。淘宝であたらしいやつを買うか。
 バス停に向かう。歩道の先をビート博士が歩いている。バス停のベンチでは小学校低学年くらいの男の子が座面に両足を放り出し、なかば寝そべるようにしてスマホでゲームしていたが、こちらがおなじベンチに座った途端、たぶん中国ではなかなか見かけない髭面のサングラスだったからだろう、行儀良く座りなおした。少年は先着したバスに乗る。こちらとビート博士とはそのあと到着したバスに乗る。こちらはいつものように最後尾に移動。
 ビート博士は今日もビートをきざんでいた。乗客の数はけっこう多かったのだが、おかまいなしに广场舞に使われていそうなダサい音楽をスマホで鳴らしているし、そのスマホを持った右手をリズムにあわせて上下にふっている。途中乗車した女性客がじぶんの右となりに座ったあともその手の動きを止めない、そのせいで女性客が通路のほうに身体を半分逃すように座っていて、おいおいマジかよ、ここまであからさまに嫌がられとんのにやめへんのか、おまえほんまに大学教員け、とまたしてもおどろかされた。さらに、ビート博士とは別に、途中乗車した赤いキャップをかぶった老人がこちらのすぐ前の座席に着席するなり、演歌のようなこぶしのきいた歌をやはりそこそこでかい声で歌いはじめたので、は? めずらしい鳴き声の動物ばっか集めたサファリパークけ? と絶望した。ほんならこっちもやったろやんけと、こちらもひとりでぶつぶつフリースタイルを開始。こういう呪われたバスはとっとと事故ったほうがいい。
 終点でおりる。バス停から大学に向けて歩くわけだが、その道中もビート博士はスマホの音楽にあわせて両手を左右にやわらかく、ほとんどフラダンスでもするみたいに科をつくるようにふりながら歩いていて、こいつほんまシラフけ? バケボンでたらふく吸ってもこんなんならんやろ! と唖然とした。
 売店でミネラルウォーターを買う。レジのおねえさんが「ありがと!」と日本語でいう。教室に移動。14時半から(…)一年生の日語会話(二)。「道案内」をする。期末試験の内容であると事前に告げたのもあり、いつもは最後部の座席で居眠りしているだけの(…)さんと(…)さんも最初のうちはめずらしく集中していた(それでも後半は結局居眠りをするわけだが)。このクラスとは今学期きりの付き合いかもしれないんだよなとひそかに思う瞬間もあった。まだどうなるかはわからんが。
 授業が終わる。地獄の便所で小便をすませてからバス停に移動する。バスが来るのをベンチに座って待っていると、シェア電動バイクを運転する(…)さんが後ろに女子学生をのせて、ものすごくゆっくりしたペース——まるで自転車の練習をする子どものようだ——で走っていく。シェア電動バイクに乗るときもヘルメットをかぶる必要があるというふうに交通ルールがたしか変更されたはずだが、ふたりともおかまいなしのノーヘルだったし、そもそもふつうの電動スクーターはともかく、シェア用の小さなやつは2ケツ自体ダメだったはず。「(…)さーん!」と声をかけると、「せんせー!」という返事。
 バスに乗る。The Garden Party and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読む。“Bank Holiday”を読み終えたのだが、こんな作品あったことなんてすっかり忘れていた、これはちょっとびっくりした、描写だけの小説だ。主人公もいない、筋もない、マジでただholidayのようすを最初から最後まで描写しているだけ。こんな試みをしていたのかと驚いた。うまくいっているかどうかといえば、なかなかけっこう微妙な感じはするのだが、しかしやろうとしていることは実によくわかる。
 バスをおりて大学にもどる。ケッタはパクられていなかった。第五食堂に立ち寄ってメシを打包する。帰宅して食し、仮眠をとったのち、シャワーを浴びてきのうづけの記事の続きにとりかかる。投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月11日づけの記事を読み返す。この日は2012年4月後半の記事を読み返している。以下は『特性のない男』からの抜き書き。

「一つのガラスの鉢に入っている二匹の金魚のことを、想像してくれ給え」(…)
「まあ、想像してごらんよ! よく客間で見かけるような丸くて大きなガラス鉢だ。序でに、この鉢はぼくらの家の地所ほどに広いものだと考えてごらん、さて、二匹の赤い金魚は薄いヴェールのようにひれを動かして、ゆっくりと上に下に揺れ動いている。金魚がほんとうに二匹なのか一匹なのかは無視することにしよう。お互いにとっては、金魚は差し当たりともかくも二匹なんだろうね。餌に対するねたみ心と性別があるだけでも、そういうことになるだろうね。だって、互いに近づき過ぎたりすると、避け合ったりするものね。しかしぼくには、金魚が一匹だと充分想像することができるんだ。そのためには、ゆっくりとひれや尾を閉じたり開いたりするその動きだけに注意を払いさえすればいい。そうすると、別々にちらちらしているものは、一緒になってゆらゆらしているこの動きの、独立性のない一部に化してしまう。で、ぼくは問うんだが、いつ彼ら自身もそんなふうに感じるようになるのだろうか……」(…)

「じつをいえば、すべての静物画は、神と世界とが水入らずの間柄にあって、まだ人間が存在していなかった天地創造の六日目の世界を描いているんだよ!」

狂気とは、誰もが妥協と中途半端な態度ですることを、妥協もなく限度もなくやるということだ。

青春時代の美とは、誰もが見て回るものに、それぞれの人にしか分からない一面があるかどうかで決まるのである。

アンダースは思い出した――たとえば、小さな写真機の暗箱のなかでのように何かを逆さまにして見るときには、これまで見過ごしていたものが、そこにあるのに気づくものだ。ふだんの気侭な目には動いていないように見えた木、茂み、人の頭などが左右に揺れている。あるいは、人の歩調の特色が意識されてきたりする。外部の物にある絶えざる動きに気づいて、人はびっくりする。また、知覚されない二重像が、人間の視野にはあるのである。というのも、一方の目は、他方の目とは別のものを見ているのだから。だが網膜上の残像が、ごく薄い色の霧のように、この瞬間写し取った映像を消してしまう。そして脳は抑制し、補足して、誤信された現実を作り上げるのである。また耳は、自分の体内の無数の音を聞き逃している。だが皮膚や関節、筋肉や最奥にある自我は、目も耳も口もない状態でいわば地下で徹夜のダンスをしている無数の感覚器官の入り乱れた動きを、送っているのである。

 それから2013年5月11日づけの記事も読み返そうとしたのだが、11日から13日までの日記がまとめて13日づけの記事に記録されていて、そういえばそうだった、むかしは記事の更新が遅れた場合そうやってまとめて投稿していたんだったなと思い出した。「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲するにあたっては、ちょっと迷ったが、1日ずつ分割することにした。そういうわけで今日は11日づけの記事だけ再掲した。この日は車にはねられた日だった。なつかしい。このときの慰謝料がなければ、(…)と沖縄旅行することもなかったわけだ。あと、「芸大卒」の「アルバイト志望の21歳女性」の採用が決まったとあるのだが、これ、だれだろう? 現役の芸大生は何人か、(…)さんとあとだれだっけ、顔は微妙におぼえているが名前は出てこない子が、同僚として入ってきたことがある、その記憶はたしかにあるのだが、というかそもそも21歳で卒業生というのはおかしいんじゃないか? これは単に誤記かな?
 ほか、「(…)さんが友人とデリヘルをはじめるらしく、事務所を構える場所を探しているといった。電話番が必要になったらいつでも言ってください、内職ができるなら最低賃金でもかまわないっすからと伝えると、軌道にのりはじめたら本当にたのむかもしれないのでよろしくとなった。これで次の職場は確保できた。」という記述もあったが、いまおもえば、これも(…)さんのホラだったのかもしれない。あと、「駐車場に車が入ってきたと思ったら運転席から女性がおりてくるなり、駐車中の車にカメラをむけて写真をぱちりとやり、すたこらさっさと立ち去っていく一部始終をカメラ越しに目撃した。あれぜったい不倫の証拠をつかみにきた奥さんだよ!とみんなで盛り上がった。」という記述もあって、これについてはよくおぼえている、(…)さんが監視カメラの映像を見ながらめちゃくちゃ興奮していたはずだ。

 そのまま今日づけの記事も書いた。書いているあいだ、THE POTIONSの「分かれ道」のことを不意に思い出し、なつかしくなったのできいた(https://www.nicovideo.jp/watch/sm11417086)。昔はYouTubeにMVがあったのだが、いまはニコニコ動画にしかない。これをはじめてきいたのは、まだ(…)に住んでいたころだから、地元を出て二年以内か。YouTubeがまだそれほど一般的ではなかったころ、というかインターネットそのものが、スマホ以前の時代の話であるのでそれほど一般的ではなかった、いやインターネットそのものは活用されていたのだが、GoogleやYahooの検索バーで検索するという行為がまだそれほど一般的ではなかった、少なくともあのころ地元で付き合いのあった友人らにとってはインターネットはiモードでありezwebであったはず。なつかしくなったついでに、Washed Outの“Don’t Give Up”のカバーもひさしぶりに流した(https://www.youtube.com/watch?v=UUBtRs_0DSw)。これ、見つけた当時はすごくいいなと思ったし、のびるだろうなとも思ったのだけど、『Paracosm』がリリースされて10年、いまだに全然のびとらん。
 今日づけの記事の作成を中断し、明日の授業準備をする。期末試験の説明用資料を作成し、試験問題の練習だけでは授業がだれる可能性があるのでそれにそなえて心理テストも用意しておく。モーメンツをのぞくと、一年生の女子らが複数名なにやらブチギレている。具体的な状況は全然わからんのだが、なかにはもう日本語学科をやめてほかの学部に移動するとか大学そのものを辞めてやるとか鼻息荒く息巻いている子たちもいて、大学側がまたなにかわけのわからんルールでも制定したのかなと思う。もしかしたらコロナ関連かもしれない。
 授業準備を終えると1時だった。トースト食し、ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませる。その後、寝床に移動し、The Garden Party and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読んだり、足の裏の皮を剥いたりして就寝。