20230512

 ラカン対象aは愛という囮・ルアーか欲望を支える幻想として機能すると述べている(…)。これらは転移の二つの側面に対応しており、その二側面とはよく知られた抵抗的な転移と効果的な転移のことである。ラカンにとって前者は欲動を遠ざける愛という欺瞞が展開する暗示的な転移のことであり、後者は欲動との出会いを可能にする分析的な転移と言えるだろう。そして、この転移の二面性に関してラカンは「転移というこの両刃の斧の軸となり、共有点となるのは分析家の欲望(désir de l’analyste)である」(…)と述べている。つまり、分析においては分析家の欲望のあり方によって転移は吉とも凶ともなるのである。
 まずは凶の方である愛という転移を分析家の欲望との関係で検討していこう。愛という転移についてラカンは次のように述べている。
 「転移が私たちにはっきりと見せてくれるのは、愛の次元の基礎的構造ではないでしょうか。私たちを補完することができるものをあなたは持っているのです、と他者を説得する際に、私たちはまさに自分たちに欠けているものを無視しつづけることができると確信するのです」(…)。
 これを理論的な形のまま分析状況の会話にすると、分析家が「あなたは私を補完することのできるものを持っているのです」と患者を説得して、患者が「わかりました。私はあなたを補完します。だから愛して下さい」と分析家に返答する、という場面を想定することができるだろう。分析家は患者の愛によって欠如を埋めることになり、患者も同様に分析家の愛によって欠如を埋めることになる。それがここで問題になっている転移である。
 それでは、こうした転移に分析家の欲望はどのように関わっているのだろうか。再びラカンを引こう。
 「主体は分析家の欲望に従属するものとして、分析家に自身を愛させて、愛という本質的には虚偽であるものを自ら提供することで、この従属によって分析家を騙そうと欲望するのです。転移の結果、それは現在、今ここで反復されるものである限りでのこの騙しの効果です。
(…)
 そういう訳で、私たちは、いわゆる転移性の愛の裏側にあるものは、分析家の欲望と患者の欲望の間に結びつきがあるという確証である、と言うことができるのです」(…)。
 この愛という転移においては分析家の欲望と患者の欲望は結びついている。それは第三章の「愛と分析家の欲望」で示したラカン第一臨床(同一化の臨床)の問題の構造である。同一化の臨床においては、分析家の欲望、卑近な言い方をすれば分析家の意図や意志が分析主体にそれとはっきりわかる場合、換言すれば、分析家側の解釈が一つのシニフィアンとなり、意味を産出させた場合、欲望を欲望する分析主体は、明示的な形で表現されたその意味を分析家の欲望と捉えて、愛のためにそれに想像的に同一化する傾向がある。この構造の観点のみから言えば、分析家の欲望が陽画化されているかぎり、その内容にかかわらず、分析家の欲望を欲望する分析主体がそれに同一化していくことは避けられない。そして、無意識は閉鎖してしまうのである。
(…)
(…)
 以上より、愛という転移と分析家の欲望の関係をまとめると、対象aが愛という転移として機能するのは、シニフィアン解釈などの「内容のある解釈」によって分析家の欲望が陽画化され明示された場合である。それによって、対象a[a]と自我理想[I]とが重なり、同一化によって欲動的無意識は閉じてしまうのである。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第六章 共時的なものとして存在する二つの臨床形態」 p.135-139)



 昼前起床。朝昼兼用で第三食堂のハンバーガーを打包する。いつもどおり海老のやつと牛肉のやつ。食堂を出たところで、彼女といっしょに突っ立ってスマホをのぞきこんでいる二年生の(…)くんの姿を見つけたので、そのとなりに無言のまま突っ立ってみたのだが、パーソナルスペースが日本人とくらべてせまいからだろうか、日本人であれば違和感をもつほど近くまで寄って立っているこちらのほうを見向きもしない(単純にあたまのおかしいやつが近くに来たという認識だったのかもしれないが)。それで肩と肩がひっつくくらい近づいたところ、ようやくこちらに顔を向けたので、軽くあいさつ。一年生でコロナに再感染した子がいるから気をつけたほうがいいよと伝える。

 帰宅して食す。きのうづけの記事の続きを書く。時間になったところで寮をあとにする。第五食堂の一階でミネラルウォーターを買ってから外国語学院へ。教室に入る。教卓のパソコンでまた日本語のよくわからない音楽が再生されていたので、たぶん(…)くんの仕業であると思うのだが、ちょっとうっとうしかったので始業時間を待たずに再生を停止した。コンディションによるのだが、しょうもないポップスを耳にするのがしんどい、きいているだけでイライラしてくるという状態があり、今日はちょっとそういう感じだったのだ(砂糖の味しかしないミルクティーを何杯も飲まされているような気分)。
 14時半になったところで授業開始。(…)一年生の日語会話(二)。期末試験についてのあれこれをまとめたPDFは作成していたし、グループチャット上で配布できるようにもしてあったのだが、スクリーンに映すためにデータをUSBメモリにインポートしてくるのを忘れてしまった。そういうわけで口頭と板書でざっと説明する。それがすんだところで前半いっぱいを使ってリスニングを中心に練習。
 休憩時間中にめずらしく(…)先生が教室にやってきた。そのまま学生ら全体に向けてあれこれ言いはじめる。説教なのかなと思ったが、ときおりさしはさまれる学生らの相槌がぶーぶー言うものだったり、あるいはちょっとした笑いだったりしたので、どうもそういうわけでもないらしい。やりとりは長く、休憩時間がすぎてなおしばらく続いた。途中でこちらは最前列の空いている席に座った((…)さんがすすめてくれたのだ)。やりとりを見物しながら、ぜんぜんわからんわ、と途中でぼそっと漏らすと、(…)さんと相棒の(…)さんが笑った。
 (…)先生の話が終わったところで、教室から出ようとする彼のそばに近づき、スピーチコンテストの校内予選が一週間後の金曜日にあると聞いたのだがとたずねると、肯定の返事。19日の午後に実施とのこと。指導教員はどうなったのかという質問には、こちらと(…)先生と(…)先生と(…)先生の四人でやることになったというので、あ、今年は(…)先生が参加するのかと驚いた。去年は三人でまわしたところを今年は四人でやるわけだから、多少は負担が減ることになるのかもしれない。いや、そんな変わらんか。
 (…)先生が去ったところで授業の続き。むずかしい問題を出しますと前置きしたあと、さっきの(…)先生とのやりとりを通訳してくださいという。みんな口々にぎゃーぎゃーいう。実際のやりとりから聞き取れた断片と学生らのぎゃーぎゃーを総合するに、韓国語の試験がやりなおしになったらしい。韓国語の授業は先週すでに試験を終わらせた。しかしそれがダメだということで、来週か再来週かわからんが、もう一度試験を受けることになったのだという。やりなおしになった理由としては、ここだけちょっとよくわからなかったのだが、授業を規定回数きちんとすませていなかったみたいなアレが聞かれた。ただ、(…)先生の発言のなかに考试だの考查だのいう言葉が聞き取れたので、今学期の韓国語の授業は16回ある授業とは別にテストを実施する必要がある考试形式であるところを、担当教諭が試験そのものも16回のうちに含む考查形式と勘違いしていたのではないか、それが判明してやりなおしということになったのではないかと勝手に推測もしたのだが、実際のところはどうかわからない。それから、新入生は韓国語ではなく英語を勉強するという話もあった。それについても学生らはぶーぶー言った。英語よりも韓国語のほうを勉強したい学生のほうが多いのではないかと思っていたのだが、どうもそういうわけではないらしい、みんな英語のほうが簡単だという。そもそも元々日本語学科の学生は日本語とは別に二年生の前期までだったか後期までだったか、英語の授業もいちおうあるにはあったはずなのだが、現二年生が新入生として入学した年からだったろうか、希望者は英語の代わりに韓国語をセレクトすることもできるようになり、そして現一年生にいたっては全員が英語ではなく韓国語を勉強するという仕組みになっていたわけだが、そうした制度変更がさっそくキャンセルされることになったわけで、これも教育改革うんぬんのアレなんだろうか?
 残った時間について、テストの練習をしたいか、それともゲームをしたいかとたずねると、当然ゲームという返事がある。先週もずっと「道案内」の練習でゲームをしていないことであるし、やっぱり準備してきてよかったなというわけで、「心理テスト」をおこなう。下ネタテイストの問題も多少あるのだが、それに関しては男子学生だけを指名して答えさせる。まあ、わいた、わいた。これはどのクラスでやってもわく。
 (…)くんからKFCに行きましょうと誘われたが、四年生との約束があるからと断る。約束は何時からですかと、わずかな隙間時間にまで身をねじこんでこようとするので、この子どんだけおれのこと好きやねんと思いつつ、授業が終わったらすぐに合流する約束だからと答える。(…)くんはやっぱりバイなんだろうなと思う。これまで何人かの女性と付き合ってはいるものの、服装や髪型のテイストがほかの男子学生よりもはるかに洗練されているし、自撮りもちょくちょくモーメンツに投稿するし、こちらに対する距離が近いし、これまでこちらが中国で出会ったゲイに共通するポイントをいまのところすべて押さえている。さらにいえば、本人には女装趣味もあるし、男の娘のAVを見るとも言っていたし、もしかしたら学部生時代の(…)くんみたいに性的アイデンティティがぐらぐらしている時期であるということなのかもしれないが、とにかく、ヘテロではないよなと思う。そんな(…)くんは今日も日本の歴史について語りたがっていたわけだが、南開大学を知っていますかという。知らないと答えると、天津でいちばん有名な大学だというので、じゃあ超一流校ということか、全然知らんかったわ、と思いながらふんふんと受けると、大学院生としてそこに進学すれば日本史を研究することができるという。というか、日本史を研究できる大学院というのはそこくらいしかないらしい(そんなこともないと思うが!)。それでそこを目指すというので、一年生にしてはやくも大学院進学について考えているなんてはやいなァとびっくりした。
 教室の外で別れる。ケッタにのって女子寮に移動する。道中、また(…)くんと彼女が手をつないで歩いているのを見かけたので、ワン! ワン! ワン! と犬の鳴き真似をしながら近づく(周囲の学生らが怪訝な目つきでこちらをふりかえる)。おいコラ! 勉強しろ! と威嚇すると、先生授業だったのというので、一年生の授業だったと応じる。来学期の新入生は2クラスらしいよというと、(…)先生から聞いたという。以前は2クラスだったというので、ぼくがここで働く前だね、ずっと以前はそうだったらしいねと受ける。
 女子寮の前には(…)さんがひとりで立っていた。相棒の(…)さんもいっしょにいるのだろうと事前に予測していたので、あ、サシなんだ、とちょっとびっくりした。(…)さんはバッチリメイクだった。まずは大学院合格についてあらためておめでとうと告げる。それでケッタを近くに停めておいて麻辣香锅の店へ。結局クラスで大学院に合格したのはきみだけだったのとたずねると、肯定の返事。あとは全滅だったらしい。(…)さんや(…)さんあたりはもしかしたらなんとかなるんじゃないかと思っていたのだが。この話を学生にするのも今日で三度目だが、新入生は2クラスらしいよと伝えると、(…)さんはびっくりしていた。先生いそがしくなりますねというので、そうなんだよーと応じた。
 店に入る。野菜と肉を適当に選ぶ。時間帯が時間帯なので、客の姿はまだ全然ない。貸し切り状態の二階に移動。そこから一時間ほどだろうか、ゆっくりと食事を進めながら、かなりたくさん話した。正直ふたりきりでここまでスムーズに会話できるとは思ってもなかったので、びっくりした。一年生の男子学生が二度目のコロナに感染したというと、流感ではないですかというので、もしかして中国ではいま二度目の感染についてはあまり報道しないようにする微妙な圧力があったりするのかなとちょっと思った。もう一ヶ月ほど前だったと思うが、(…)からグループチャットに送られてきた文書も、手洗いやうがいを続けよとする文面であるにもかかわらずそのなかには新冠の文字は一切なく、春はインフルエンザの流行するシーズンであるからという、ちょっとよくわからんとってつけたようなエクスキューズがあったのだった、それで「うん?」と思ったのだが、その「うん?」が今日の(…)さんの言葉でさらに濃く太くなぞられた感じ。とはいえ、ごっつい圧力があるというのではない、実際微博では二度目の感染が一時期トレンドになっていたというし、中国各地の大学でふたたびマスクを必須にしているところが出はじめているみたいな情報もVPNを噛ませて壁の内側の情報をTwitterに放流しているいくつかの中国人アカウント経由で確認している(こちらにとってTwitterは現状ほぼその手の情報を確認するためだけのツールになっている)。(…)さんは大学院試験の二日目に発熱したらしい。二日目はいちばん大事な心理学のテストの日だったというので、よくそれで合格できたねと驚いた。(…)さんは夏休み中マジで一日12時間は勉強していたはず。そのことを指摘すると、何度も何度も暗記しなおしたので内容があたまに入っていた、だから体調が悪くてもなんとかなったとのこと。ちなみに(…)さんはその後一ヶ月近く体調不良が続いたらしい。二週間ほどはほぼベッドに寝たきりで、風呂にも入れなかった。症状はかなり重いほうだったようだ。
 進学先はハルピン。南方生まれで雪をろくに見ずに過ごしてきた彼女にとって、やはりハルピンの雪景色はかなり楽しみらしい。二次試験の面接はオンラインではなく現地であり、飛行機で向かったらしいのだが、(…)から片道四時間だったか五時間だったかかかるらしくて、大阪より遠いやんけ! と笑った。機内でたまたまいっしょになった男性がいて、そのひとはかなり日本贔屓だったらしく、彼女が日本語を専攻している大学生だと知ると、将来は家族をひきつれて日本に移住したほうがいいとけっこう熱心にすすめたという。もしかしたらひそかな反体制派だったのかもしれない。面接の先生はかなりこわい顔をしていたという。(…)さんといっしょに面接を受けた学生らもみんなこわかったこわかったと言っていたらしいのだが、彼女は幸いなことに面接の場にめがねを忘れてしまっていて、そのおかげで相手の顔を見ずにすんだというのだが、それでも本番ではめちゃくちゃに緊張し、足がガタガタと震えたとのこと。ちなみに面接にまで進んだ学生は彼女を含めて10人いたらしいが、今年はその10人が全員合格したとのこと。全員女性だというので、心理学科も外国語学科とおなじで女性ばかりなのかと驚いた。そのうち、(…)さんとおなじで元々は日本語を専攻していたにもかかわらず、その専攻を変更して今回入学が決まった学生がひとりいるというのだが、その子は卒業後しばらく日本語教師として働いていた、しかし仕事をやめて今回一念発起し大学院受験をしたという履歴の持ち主。さらにその子とは別に、40歳の女性もひとりいるというので、すばらしい、やっぱりそういう年になってから大学や大学院に進学するというのは良い話だよと応じた。
 (…)さんは博士になるつもりだという。ただしハルピンの進学先は決してレベルの高い学校ではない、それだから修士をとったあとは別の大学院に移ることになると思うという。大学は日本語専攻で心理学の知識がろくに身についていない、だから最初からレベルの高い大学院に入学するのは無理だと思った、そこでひとまず修士はそこそこの大学院で過ごしそのあいだに知識を身につけ、博士をとるにあたって本格的に良い大学院に移ることにしたのだという。感動した。大学院進学についてノリとかなんとなくではなくはじめてまともに論理立てて考えている学生に出会った気がした。だからそう伝えた。うちの学生たちって大学院に進学すると決めた場合でもみんな全然進学先を調べないでしょう? ただ先輩が進学したという理由だけで大学院を選んだりしているでしょう? ぼくはあれが本当に信じられないんだけど! いつもびっくりするんだけど! というと、大学院に進学するのであれば勉強そのものよりもどこかの大学院に進学するか情報を調べることのほうがずっと大事ですと至極まっとうなことを言ってみせるので、ようやくまともに話のできる相手に出会えた! とやはり感動した。ルームメイトが院試に挑戦するからじゃあじぶんもやるかなみたいな学生もすごく多いでしょうというと、(…)さんはうんうんといいながら、みんなただ仕事をしたくないだけです、だから大学院の勉強をします、でもそこに理由はないです、情熱もないです、といった。博士号をとることについては親に伝えてあるのとたずねると、一度言ったことがある、じぶんの親は基本的にじぶんのやりたいことをすべて支持してくれるというので、内陸の農村育ちであるのになかなか話のわかる親だなァと思った。父はすでに定年をむかえて退職金がある、だから生活費もしばらくはなんとかなるというので、お父さんは何歳なのと驚いてたずねると、61歳という返事。あ、けっこう遅い子どもだったんだ、となった。
 心理学の話からカウンセラーの話になる。中国ではカウンセラーのことを詐欺師扱いする声がたくさんあるという。どうしてとたずねると、中国の心理カウンセラー、日本でいう臨床心理士ということになるのか、そういうひとたちは全然専門的でないし役に立たないと(…)さんは言った。それでちょっと思い出したのだが、(…)さんの双極性障害が悪化したとき、大学のカウンセラーに相談するようにいわれてそこに通ったものの、そもそもそのカウンセラーは双極性障害の基礎的な知識をもちあわせているかどうかすらあやういような相手であった、そのことを彼女はうんざりしたようすで語っていたのだった。さらに中国における心理学——と(…)さんはいつも口にするので便宜的にそう表記しているが、実際は臨床心理学といったほうが正確だろう——のレベル自体が低いという話も続いた。学問(医学)として根付いたのがここ何十年だったか、アメリカやヨーロッパ、あるいは日本などにくらべるとはるかに歴史が浅く、本気で研究するのであれば留学は必須というので、なるほどなと思った。(…)先生や(…)先生のような、いちおうは大学で教鞭をとっている、そこそこ高度の教育を受けているはずの人物ですら、いまだにうつ病をはじめとする精神疾患を気の持ちようの問題であると本気で考えている、ああいう無理解を目の当たりにしてきた身としては、たしかにこの社会ではまだまだ全然そういうものが理解されていないよなという感じ。そういうわけで(…)さんの指導教授も、そのひとはかなり優秀な人物らしいのだが、いずれ日本に留学——というか研究員として赴任するということか——するという計画があるらしい。
 長々と話していたためか、途中で店員から声がかかった。それで店を出ることに。ちなみに会計は合格祝いということでこちらがもった。ついでに(…)に寄って食パンを三袋買う。浪人してもう一度大学院試験を受けるクラスメイトはいないのかとたずねると、いないという返事。ただし、(…)さんは研究生として日本に渡るかもしれないというので、えー! あの子そんなにマジなんだ! とちょっと驚いた。まずは日本の語学学校に籍を置き、そこで勉強しながら日本の大学院進学を目指すというコースなのだろうが、彼女はたしか少数民族であったはずであるし、実家はそれほど太くないと思うのだが、だいじょうぶなんだろうか?
 (…)さんはいま女子寮に住んでいないらしい。万达の近くにある部屋を借りてそこでひとり暮らししているという。ということはわざわざ今日女子寮前で待ち合わせする必要はなかったのだ。ちなみに万达の近くでケッタに乗っているこちらの姿を見かけたこともあるらしい。夜だったというので、もしかして日曜日じゃない? ぼくは日曜夜にいつもあそこのスタバに行くからというと、わたしは「先生!」と呼びました、でも先生はすごいはやさで去っていきましたというので、あ、じゃああの日だな、小便をしたいのにわざとスタバの便所を使用せず、寮にたどりつくまで膀胱がもつかどうかチャレンジした孤独なチキンレースの夜だなと思った。あのときはケッタのペダルがちぎれるんじゃないかというくらいぶっ飛ばしたもんだ。
 (…)さんはこちらの寮までついてきた。バスケットコートにはこれまでなかったバレーボールのネットが用意されていた。学院対抗のバスケの試合が終わったあとはバレーボールの試合という趣向らしい。卒業写真の撮影はいつなのとたずねると、15日(月)の午後だというので、えー! もうすぐじゃん! となった。たしか16時から17時までのあいだという話だったと思う。図書館の前だというので、じゃあそのときまた会いましょうと約束する。となると、例年通り、卒業生への手紙も書かなければならん。なんとなくこんな内容にしようという絵図みたいなものはすでにあたまのなかにあるので、仕上げるまでにそれほどの時間は要しないと思うが。この週末でちゃちゃっと片付けるか。

 帰宅。仮眠とる。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月12日づけの記事を読み返す。(…)さんとスタバでコーヒーを飲んでメシ食って駄弁った日。彼女はこのとき(…)さんと同様に専攻を心理学に変更して大学院を受けることにすると語っていたわけだが、その後どうなったのだろう?
 2013年5月12日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。そのまま今日づけの記事にとりかかったのだが、夕飯がはやくかつ少なかったこともあり、たしか時刻は20時過ぎだったと思う、猛烈に空腹を感じた。麺類を食いたい気分だった。第三食堂の鱼粉を長らく食っていない。いまから食いにいくかと思ったが、そもそもあの店は夜食の時間帯も開いていただろうか? それで一年生のグループチャットに質問を投げてみたところ、いままさに閉店したところだという返事があった。くそったれ。ほかにスープのついた麺類を食うことのできる場所といえば、第四食堂しかないので(第一食堂は遠すぎるので論外)、ケッタに乗って向かうことにしたのだが、週末の夜だからだろうか、キャンパスはかなりの人出で、特にバスケコート付近には人だかりができている。こんな遅くにまた試合でもやっているのかなと思ったが、そうではなかった、女子学生らがダンスをしていた。バスケコートのなかに楕円形の人垣ができており、その中央で音楽にあわせて、あれはたぶんK-POP風のものということになるのだろうか、わりとセクシー&パッショネイトなダンスをフォーメーションを組んだ数人の女子がパフォーマンスしており、彼女らが体を派手に動かすそのたびにギャラリーがキャーキャー盛りあがりまくって、こういう盛り上がり方もやっぱり中国とアメリカの共通点——というか中国と日本の相違点かもしれんなと思った。日本で同様のイベントがあったとしても、たぶん自然と拍手が巻き起こったり口笛が吹かれたり歓声があがったりするのは、パフォーマンスとパフォーマンスの合間(楽曲の切れ目)であったり、あるいはパフォーマンスのわかりやすい山場だけなんじゃないかと思うのだが、こっちではひとつのパートが終わって次のパートに移るたびにいちいちギャラリーがわーっと盛りあがる、ダンスの振り付けが大きく変化するそのたびごとにうわーっと巻き起こるものがある。それでちょっと思ったのだが、これってお偉いさんのスピーチの合間にさしはさまれる拍手とおんなじではないか? こっちでお偉いさんがスピーチしたり講演したりすると、ほとんど一段落ごとに、場合によっては一行ごとに、観衆らの拍手がさしはさまれるのがならいで、日本のようにはじまりと終わりだけ拍手する方式が世界共通だと思っていたこちらは最初びっくりしたのだが、と、書いていてさらに思ったのだが、乾杯もやはりおなじだ、日本のように最初に一度だけ乾杯して終わりではなく、中国では食事中に何度も何度も席を立ち中華テーブルに沿って歩きながら同席している人間全員と順次乾杯する必要がある。これ、全部共通のリズムだ。ここをフックにしてちょっとした文化論が書けるかもしれん。

 ギャラリーがコートの外にまではみだしてごった返している道をケッタでのろのろ移動していると、「先生!」と呼びかけられた。三年生の(…)くんと(…)くんのふたりだった。女子のダンスを見てんのか変態! とからかうと、いやいやいやと否定する。ジョギングを終えた帰り道だといいながら、ビニール袋に入っている果物を手にとってかぶりついてみせる。それでまた、これでもう本日四度目になるわけだが、来学期入ってくる新入生が2クラスであるという話をする。ふたりは初耳だったらしく、たいそう驚いていた。高校時代に日本語を勉強する子が増えているからだろうという。
 その先の交差点で別れる。ひとり第四食堂をおとずれる。食堂内はなぜか堆肥のようなにおいがした。螺蛳粉だろうか? 红烧牛肉面を打包する。帰宅して食す。さすがにちょっと辛い。頭頂部から汗がにじむ。食事中、一年生らのグループチャットでめずらしく雑談が進んだ。(…)さんが第三食堂にあるトマトの鱼粉は「あじだめ」と言ったり、(…)くんが豌杂面をすすめたり、(…)くんが炒黄面をすすめたり、以前学生からもらった中国の典型的なおばちゃんがヨガのポーズをしているステッカーを送りつけたこちらに対して彼女はじぶんの同郷の网红であると(…)さんが反応したり(郭老师という人物らしい)、あるいはそれとはまた別の网红のステッカーを送りつけてこのひとも网红でしょうとたずねてみたところほとんど全員がその人物のことを知らず、このステッカーをこちらに送って寄越したのはたしか(…)さんだったはずで、あれはまだコロナ以前の出来事であるから三年か四年くらい前になるのだろうか、だからいま一年生の彼女らはだれもこの人物のことを知らないわけかとちょっとぞっとするような認識を得つつ、三年か四年くらいまえに流行していた网红だと思うよと補足するとそれに対して「古すぎます」と(…)さんが言って、たった三四年前の出来事が「古すぎる」と感じられる生のスパンを彼女らは生きている! とやはりショックを受けたり、あるいは先のバスケコートでの女子のダンスについて(…)くんが自分も見たと言ったのち很骚と続けるのに(…)さんから表現を変更しろとたしなめられていたり、(…)さんが太極拳のテストが近いのだが不安だというのでこれを見て練習しろといってこちらがおばちゃんらに混じって广场舞を踊っている短い動画(2018年撮影!)を送ったりした。
 シャワーを浴びる。ストレッチをし、今日づけの記事の続きにとりかかる。1時前に中断し、トーストを一枚だけ食し、ジャンプ+の更新をチェックしたのち、フリースタイルで30分ほど遊ぶ。それから歯磨きだけすませてもう一度今日づけの記事の続きにとりかかる。途中で蚊にあたまを喰われて猛烈にイライラする。あいつらなんで毎度毎度ひとのあたまばっか狙いよんねん。そういうこっすいことばっかしよるから輪廻の罰ゲームで蚊みたいなしょうもないもんに生まれ変わんねん。(…)さんが2時ごろにグループチャットにステッカーを送ってよこしたので、この子も宵っ張りなんだなと思いながら反応すると、むこうはむこうでまさかこちらがそんな時間まで起きているとは思っていなかったらしく、びっくりしていた。寝床に移動して就寝。