20230515

 治療に効果的な転移である意識的な陽性転移に目を移そう。フロイトはそれを「友好的な、あるいは優しい親愛的感情」のものと述べている。
 この転移は一般には治療状況を好転させる転移、つまり転移性治癒をもたらす陽性転移と見なされている。しかし、フロイトが述べた言葉の表面的な意味だけから、分析家がこの陽性転移を「友好的で優しい感情」だけに還元して、この感情を引き出すことばかりに専念するなら、対象a[a]と自我理想[I]との隔たりは維持されず、分析状況は愛によって想像的な同一化で終わってしまうだろう。また、このような意識的な陽性転移を強めていこうとする立場には、陽性転移を強めるために分析家の分析主体を治したいという欲望や情熱が大切であるという議論がある。しかしながら、そうした情熱だけで分析に臨むなら、この陽性転移は強化され、分析を停滞へと導く愛に変化していくだろう。要するに、分析家が「友好的で優しい感情」を持続発展させようとしたり、分析主体を治癒させたいという熱意をあまりにも持って治療に向かうことは、ともに抵抗的な転移が前面化する結果となるのである。フロイトに倣えば、それは意識的な陽性転移ではなく、無意識的な陽性転移である。このように考えると、転移性治癒とは「友好的で優しい感情」を適度に維持することで実現されるものであると言えるかもしれない。
 しかし、治癒を好転させる転移においては、こうした感情が重要なのだろうか。転移性治癒が分析的な治癒のすべてなのであろうか。
 ここで、ラカンにおいては効果的な転移とは幻想であることを思い出してもらいたい。それが効果的と言いうるのは、この幻想という転移が欲動との出会いを可能にして分析の出口を提供する転移であるからである。フロイトは意識的な陽性転移に関して、感情に力点をおき、いわば「分析家に対する感情的な信頼」が重要であると言っている感もあるが、おそらくこの陽性転移で大切なのは「分析家の知への信仰(croyance au savoir de l’analyste)」と呼びうるものである。ラカンを引こう。
 「陽性転移、それは私が知を想定された主体(sujet supposé savoir)の名のもとに定義を試みたものです。誰が知を想定されているのでしょうが。それは分析家です。それは一つの割当て、想定されたという語がすでに示しているように一つの割当てなのです」(…)。
 ここで「割当て」という言葉に十分注意を払うなら、「分析家の知への信仰」とは厳密には分析家に割り当てられた知の位置への信仰であることがわかる。
 「想定されているのが知であるということは明らかです。それを間違えた人は今まで誰もいません。誰に対して想定されているのでしょうか。もちろん分析家に対してではなく、分析家の位置に対してです」(…)
 以上の議論から、意識的な陽性転移はラカンにおいては「分析家の位置における知への信仰」に基づく幻想、簡略化して言えば「分析家の知への信仰」に基づく幻想であることがわかるだろう。
 そして、この幻想という観点から、ラカン派の臨床を、とりわけ幻想の臨床を考えてみると、それは、意識的な陽性転移を基礎として、沈黙とスカンシオンという「空白をもつ解釈」で具現される「私は知らない」という知の拒絶の態度を維持しつつ、分析家が無意識的な陽性転移と陰性転移という二つの抵抗的な転移(享楽的残余への固着の反復)を分析主体に展開させることである。もう少し言葉を足そう。まず分析家は知を想定された主体というその位置のために、〝あなたの問題の解答を知っている〟や〝あなたの本当のことを知っている〟というような「私は知っている」存在として分析主体に見なされる。そして、そのために分析主体は愛や攻撃性を使って分析状況を揺さぶることによって分析家に解釈を求める。こうした状況に対して分析家が通常の解釈で応えてしまうと、解釈への同一化によって、分析主体が自らが好む人物や嫌いな人物に分析家をより重ねることで、愛や攻撃性が強まったり、逆に解釈への反発によって、愛と攻撃性が互いに転化したりして、抵抗が強まる状況に陥る可能性がある。そこで分析家は「私は知っている」と見なされつつも、意味内容を持たない解釈で応えることによって、「私は知らない」という態度を表明して抵抗的な転移に対応することで、分析主体に自ら思うところ幻想を展開させるのである。無意識的な陽性転移という愛や陰性転移という攻撃性の過程を含んで、幻想という意識的な陽性転移を展開することを通して、分析主体はシニフィアンを数え上げていくのである(抵抗→真理的効果)。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第六章 共時的なものとして存在する二つの臨床形態」 p.142-145)



 13時起床。夏休み気分になるにはまだはやすぎる。后街の快递でケッタの鍵を回収。ついでに(…)で食パン三つ買う。第三食堂で遅めの朝昼兼用の食事として牛肉のハンバーガーをひとつだけ打包。二年生の(…)さんから写真が届く。ケッタに乗ったこちらの後ろ姿が映りこんでいるキャンパス内の写真。食堂に向かう途中、ピンクのTシャツを着ている女子を追い越したのだが、そのとき後ろから「先生!」と聞こえなくもない声を耳にした記憶がたしかにあった。
 帰宅。ハンバーガーを食し、冬服をまとめて洗濯し、きのうづけの記事の続きを書く。16時前になったところで、四年生の(…)さんに連絡をとる。いまから図書館前に行けばいいか、と。わたしたちもいま向かっているところですという返信がすぐに届いたので出発。寮を出てすぐの交差点で男子学生らとばったり出くわす。(…)くんと(…)くんと(…)くんと(…)くん。(…)くんはクソ暑いにもかかわらずスーツ姿(日本人のコスプレだ)。(…)くんは持病の皮膚病を隠すためにマスクを装着している(詳しく聞いたことはないのだが、あざのようなものが消えたり現れたりするようだ)。(…)くんは最近車の免許をとるために忙しくしており、就職活動を中断していたとのこと。6月になったら広州の日系企業を受けてみるつもりだという。(…)くんは上海に、(…)くんは浙江省にいく。(…)くんはどうするか未定。男の子はみんな顔と名前が一致するけど、女の子はむずかしいんだよね、写真撮影となるとふだん化粧をしない子もバッチリしてくるからさ、去年もそれでとまどったんだよというと、みんな笑った。後ろにも女子がいますよと王くんがいうので、ふりかえると、(…)さんと(…)さんと(…)さんがいた。全員顔と名前が一致したのでひと安心。
 図書館前には学生とカメラマンが集まっている。アカデミックドレスを着た他学部の学生が図書館前の大階段上で列になっている。日本語学科はその学生たちに続く格好らしい。(…)さんと(…)さんをはじめとする女子学生が複数いるので声をかける。みんな日本の女子高生みたいな服——いわゆるjkファッション——を着用している。レンタルしたのかとたずねると、そうだという返事。うちを出る前に、学生らの顔写真と名前をチェックし、いつだれに話しかけられても対応できるように準備しておいたのだが、実際にはそんな必要はまったくなかった。というのも、このクラスで日本語をまともにあやつることができる学生なんてほとんどいないからだ。(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんなど見知った顔を続々見かける。(…)さんとは何度か目が会って、おたがい微笑みあったりしたのだが、おめでとうございますのひと言くらい言っておけばよかったかもしれない、というかそういうお別れのあいさつをする機会が例年どおりのちのちあるだろうと考え、集合写真の撮影前はあまり学生たち個々とは言葉を交わさなかったのだ。(…)くんもいた。ディベート大会で同じチームだったという他学部の学生から花束をもらっていた。
 学生たちがアカデミックドレスを着はじめる。例によってクッソチープなてらってらの生地のやつ。学生らにまじってふざけてこちらも着用すると、そばにいた(…)先生ともうひとり、たぶん他学部の女性教諭とおぼしき人物が笑った。なんだったらそのまま集合写真にもまじってやろうかなと思ったが、さすがにそれはアレかというわけで途中で脱いだ。
 ほどなくして撮影の時間になった。驚いたことに参加する教師はこちらと(…)先生だけだった。例年必ずいる(…)先生もいなければ、(…)学院長もいない。時間帯が時間帯だからかもしれない。これまで卒業写真の撮影といえば、だいたい午前中だった。学生たちが階段上に四列くらいに分かれて立ち並ぶ。最前列の中央に空いたスペースにこちらと(…)先生が入る。こちらの右となりは(…)さんだった。先生こんにちはというので、こんにちはと返す。花束を持っていたので、それは彼氏にもらったの? とたずねると、ちょっと言葉に迷ったあげく、後輩からですという返事。
 撮影が終わる。教師ふたりは離脱し、学生たちだけでさまざまなポーズをとる。(…)先生はここではやくも去った。えー! となった。例年ならば集合写真の撮影後、学生らと順次スマホでプライベートな写真を撮る流れであるのに、そこに参加しないんだ、と。学生のみの集合写真、最後の一枚は、博士帽というのか、アカデミックドレスとセットになったあの帽子を、毕业快乐! のかけ声とともにぶん投げる瞬間をおさめるものなのだが、(…)さんがわざわざその帽子を脱いですぐに自前のブルーのキャップをかぶりなおしたのを見て、うん? と思った。彼女は夏も冬もつねに帽子をかぶっている。だからといってこちらと同様、ハゲているわけではなくそこそこ長く髪をのばしているのだが、しかし完全に帽子を脱いだところをこちらはまだ一度も見たことない。もしかしたらちょっと薄毛に悩んでいるのかなと思った(少なくともこちらの知るかぎり、中国の女子の多くは薄毛に悩んでいるし、髪の分け目など「薄毛」というよりもはっきり「ハゲ」といわざるをえないほど薄くなっている子もよく見る)。
 それで集合写真の撮影は終わり。その後は例年どおり個別撮影になるのだろうと思っていたのだが、驚いたことに、(…)さん、(…)さん、(…)さんあたりが——全員おなじ部屋のルームメイトだ——すたこらさっさと去った。えー! となった。さらには男子学生も(…)くんを残していつのまにか全員いなくなっており、おいおいおい今年はなんやこれ! となったのだが、アレか、すでに午前中ほかの場所で死ぬほど写真を撮っており、それでみんな疲れているということだろうか? や、それにしても普通、先生いっしょに写真を撮りましょう! みたいな流れになるのに、それがマジで全然なくて、いやいや、じゃあわざわざおれここに来なくてもよかったんじゃないの? とちょっと思った。とはいえ、この学年はコロナの影響をもっとも受けた学年であるし、こちらとの対面の付き合いも半年+αに過ぎず、対面を果たした時点ですでに三年生前期の終盤、つまり、大半の学生がすでに日本語学習に対する意欲を失っていたわけで、だから授業外で交流した学生も実際数えるほどしかいないのだった(そういう話を先日(…)さんとサシでメシを食ったときにもした)。(…)先生が来なかったのも、もしかしたらこういう流れになることを予想してのことだったのかもしれない。(…)くんによれば、学生も全員がそろっていたわけではないらしい。こちらの観察がたしかなら、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんはいなかったと思う。
 そういえば、撮影の場には二年生の(…)くん、(…)さん、(…)くんの三人も来ていた。彼らのクラスの班导である(…)さんと記念撮影を撮りに来ているようだったが、見事に四人全員が劣等生で、やっぱり勉強しない子たちはこうして先輩後輩の垣根なしに固まるもんなんだなと思った。ひるがえって、仮に(…)さんが彼女の希望どおり来学期班导をすることになれば、彼女になつくのはやはり優秀で勉強熱心な学生らになるのだろうか?
 それでひとつ思い出したが、学生らのみで集合写真を撮っているとき、(…)先生に新入生が二クラスになるという話の詳細を聞いたのだった。こちらとしては新入生の数が40人オーバーになるので、さすがにそれを一クラスで処理するのはむずかしいだろうというアレから、20人×2クラスに分けるくらいの話かなと、つまり、例年より10人ちょっと新入生の数が増えるだけかなと思っていたのだが、がっつり30人×2クラスらしいので、これにはさすがに、は? マジで? となった。いや、これ写作の授業とかかなりきつくないか? 毎週60人分の文章を添削するの? マジで?
 集合写真を撮影するだけしてなかば解散状態になったわけだが、(…)くんとその後ふたりでしばらく立ち話した。明日は卒論の口頭試問がある、たぶんだいじょうぶだろうとのこと(という話を聞いて思ったのだが、学生らがはやばやと去ったのは、例年とは異なり、いまだに口頭試問が終わっていなかったからなのかもしれない)。明後日いっしょに夕飯を食いにいかないかというので了承。それからこれは来月の話だったかもしれないが、(…)くんがここを去る前に彼女が(…)に遊びにくるという計画もあるらしい。それでその彼女がこちらにたいそう興味をもっているので——というのも(…)くんがいつも電話でこちらの話をしていたかららしいのだが——、そのときもいっしょに食事しませんかというので、これももちろん了承した。彼女はたしか日本に留学経験があるので、スピーキングは苦手だがリスニングは可能という話だったはず。(…)くんは大学卒業後、故郷の上海にもどって、いったん996——午前九時から午後九時まで週六日という労働条件のこと——の職場で働くつもりらしい。仕事漬けになるのは嫌だが、給料は8000元あるし、社宅もあるので家賃を支払う必要もない。ひとまずそこで彼女が大学院を卒業するまでの一年間働き、その後は同棲を開始するつもりであるとのこと。
 ディベートチームで一緒だったという他学部の女子にたのんで写真を撮ってもらう。ディベートチームは四人組みだったはずだが、(…)くんといっしょにこのあと食事に行くことになっているのは二人だけ。あとの一人は問題児だというので、なにか揉めたのかとたずねると、その問題児というのは男子学生らしいのだが、最近とある女子学生を好きになった、それで積極的にアプローチしているというのだが、そのアプローチの仕方がたいそう気持ち悪いのだという。具体的にいえば、きみはかわいすぎる! 誘拐してしまいたい! みたいなメッセージを毎日のように送りつけているみたいなアレで、どうやらきっしょいストーカーみたいになっているらしい。
 別れる。第五食堂まで歩く。夕飯を打包して帰宅すると、(…)から微信が届いている。さっき自室のbalconyから(…)が歩いているのを見かけた、とてもrelaxedしているようすだったのでわざわざ声はかけなかった、夏休みは日本に帰るつもりか、帰るつもりであったとしてもなかったとしても今学期中に一度また一緒に食事をしないか、(…)も(…)も(…)に会いたがっているというもので、まあたしかに帰国前に一度メシでも食っておくのも悪くないなと思ったので、四年生の卒業写真を撮った帰り道だった、食事会にはもちろん参加したい、こちらも帰国前に一度いっしょに食事ができればと考えていたのだ(大嘘)、(…)のxiang cai foodを楽しみにしていると応じる。(…)は卒業写真の撮影の段取りについて知りたいといった。英語学科の学生から水曜日に図書館前にくるようにといわれているのだが、あるクラスは14時、別のクラスは15時、さらに別のクラスは16時というふうになっている、1クラスの撮影に一時間もかかるものだろうか、実は先週(…)にenvironmental videoしに行っていたのだが、その際にひどい日焼けをしてしまった、そのせいでstanding still just makes my back acheなのだというので、そういえば昨日だったか一昨日だったか、外教のグループチャット上で(…)が(…)に日焼けに効く薬はないかと質問していたなと思い出しつつ、撮影そのものはすぐに終わる、図書館前は卒業写真の撮影スポットとして人気があるので一時間ごとの予約になっているだけだと思う、ただ学生が着替えをしたりカメラマンが機材のチェックをしたりという待ち時間は多少あるかもしれない、とはいえいちおう周囲には日陰もあるしそこに隠れていれば問題ないと思う、日差しが強いようであればいちおう日傘は持っていったほうがいいと思うけどと返信。
 メシ食う。仮眠はとらない。まだはやいかなと思ったが、去年もやっぱり記念撮影の日に卒業生への手紙を送っているようだったので、じゃあ今年もそうしようというわけで、学習委員の(…)さんにPDFにした手紙を送る。内容は以下のとおり。

(…)

 シャワーを浴びる。二年生の(…)さんからスピーチ原稿の添削依頼が届く。のちほど相棒の(…)さんからも同様の依頼が届いた。ストレッチをし、コーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月15日づけの記事を読み返す。やはり卒業間近の(…)さんや(…)くんたちといっしょに火鍋を食った日。

(…)くんから日本人はアメリカのことをどう思っているのかとたずねられたのでそれはひとそれぞれというほかないと返事。文化的な印象と政治的な印象とはまた別の話になってくるしというと、ロシアの戦争に関してはどうなのだろうかという突っ込んだ質問があり、というのはそれ以前に外教がどんどん仕事をやめて帰国しているという話をしたときにその理由としてコロナとウクライナ侵攻を挙げたわけだが、(…)くんは田舎の純朴な青年なのでたぶんウクライナ侵攻にしてもロシアに非がないものとひとまず見ていたのだろう。そもそもウクライナ侵攻についての意見を問う質問であったのに、ロシアとアメリカのどちらを支持しているのかみたいな問いかけだった時点でアレで、つまり、中国共産党によるガチガチのプロパガンダ、すなわち、今回の侵攻はアメリカが引き起こしたものでありロシア側はむしろ被害者であるというアレを素朴にインストールしているのだと思う。対応するのが難しい。日本とアメリカの関係を中国人に説明するときにおぼえる困難というか面倒くささというのは、文学をまったく嗜まないひとを前にして村上春樹を評価することの面倒くささと通じるところがある。つまり、村上春樹の小説をそもそもまったく受け付けず「なにこれ? 意味わからん! どういう意味?」的な態度で批判するひとと、村上春樹の作風を受け入れその試みもある程度理解した上で批判するひととは、同じ批判者であってもまったく水準が異なるわけだが、素朴な中国人に日本とアメリカの関係を語るときにもこの水準の隔たりが邪魔をするのだ。こちらとしてはアメリカも当然批判対象としてみているわけだが、それは政府主導のプロパガンダにたきつけられるようにしてアメリカを批判する中国人民のそれとはやはり別物だろう。というか中国の場合、(話題が政治になると、ことさら)「正義」と「悪」というわかりやすい構図でしか物事をとらえようとしないひとがやはりかなり多いし、悪しき相対主義を批判する以前にそもそも素朴な相対主義を理解していないひとも多いし、なにより「人権」や「自由」や「プライバシー」というものに関する考え方が西側とは完全に異なる。であるから西側の論理をもって西側の問題点を突くというような論法がなかなか通用しないし、通用させるためにはそもそもの大前提である西側の論理を(中国共産党的な独裁主義・全体主義を暗に批判するかたちで)理解させなければならない。村上春樹のベタな批判者に対して、村上春樹のどこが革新的であることをまず理解させた上で、それに対するメタな批判をレクチャーするのと同じ七面倒臭さ。

 それから2013年5月15日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。モーメンツをのぞくと、元日本語学科の二年生女子がコロナ陽性を投稿していて、うわマジで第二波来たなと思ったし、コメント欄には「あなたも?」みたいな泣き顔の絵文字付きのコメントまであって、これはさすがにちょっとやばいかも、今回ばかりはもう逃げきれんかも。というか、先週どうでもいい腹痛で授業を休まなくても、このままいけば来週か再来週おれはふつうにコロナ感染して授業を休むことになるんではないでしょうか? そもそもいま体調が悪くなっても検査をしない人間が大多数だと思うし、学生らは8人部屋ないしは4人部屋の寮生活であるし、こんなもん爆発的流行も時間の問題では? いよいよ年貢の納め時か。年貢とか庄屋とかそういう単語を目に耳にするたびに『カムイ伝』の伝説の台詞「蔵屋はドル箱だからな」を思い出す。

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は0時だった。トースト二枚を食し、ジャンプ+の更新をチェックし、(…)さんと(…)さんのスピーチコンテスト用の原稿を添削して送る。ひとつ書き忘れていたが、夕方、航空券のことについて(…)にひとつ確認したのだった。以前寮でばったり出会したとき、チケットを買う前にまず彼女に連絡するようにという話があった気がしたのだが、例年はそんなことなかったはずなので、そのあたりはどうなっているのだろうと確認するための微信を送った。やはりチケット購入前に確認のスクショを送る必要がある模様。管理社会。
 歯磨きする。1時過ぎから2時半まで『本気で学ぶ中国語』。ずいぶんひさしぶりにやった。毎日30分ずつでもいいからやっぱりやったほうがいいいなと思った。
 歯磨きをすませて寝床に移動。モーメンツをのぞいても、四年生のだれひとりとして卒業写真を投稿していない、やっぱり明日の口頭試問が終わるまではまだまだ毕业快乐という気分ではないのかもしれない。