20230529

The past and the future were the same thing to him, one forgotten and the other not remembered; he had no more notion of dying than a cat.
(Flannery O’Connor “A Late Encounter with the Enemy”)



 10時半にアラームで起床。二年生の(…)さんから微信が届いている。スピーチコンテスト校内予選の結果が出たという。一年生の一等賞は(…)くんと(…)さんのふたり。後者は妥当。前者についてはスピーチ本番の出来そのものは正直まったくダメだったと思うが、日頃のやる気と地力を考慮すればやはり妥当ということにはなる((…)先生などはスピーチそのものも発音の点から高く評価していたようだが)。二年生の一等賞は(…)さんと(…)さん。前者は妥当、後者は大健闘。(…)くんは三等賞。やはり本番で文章が飛んでしまったのが問題だったのだろう。三年生の一等賞は(…)さんと(…)さんのふたりで、ま、これは誰が選んでもそうなる。(…)さんは(…)くんを推しているので、この結果にはちょっと不満がある様子——というよりも、(…)さんのことがあまり好きではないのだろう、彼女が代表に選ばれることには反対のようだ(いちおう、彼女は今学期になってから全然勉強していないというのが反対の理由として掲げられているのだが、おそらくそれ以外の理由もいろいろあるらしいというのが、日頃の言動のあちこちからけっこう察せられる)。
 今日も絶賛嗅覚&味覚障害。あたまも少し重い感じがしたのだが、どうも寝ているあいだに首に負荷がかったらしい。ふつうの枕の上にアイスノンを重ねていたのだが、それがダメだったのかもしれない、ちょっと高すぎたのかもしれない。メシは例によって第五食堂の炒面。食す前にはいちおう律儀に黒酢をかけるのだが、マジで味がしないので意味がない。食後は昨日回収したばかりのコーヒー豆を開封し、ひさしぶりにインスタントではないコーヒーを飲んだのだが、やっぱり味がしない。ネルまでわざわざ新調したのに(しかし舌触りの変化ははっきりと感じられる)。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所巡回。2022年5月29日づけの記事を読み返す。そのまま2013年5月29日づけの記事も読み返したが、以下のくだり、完全に失念していた。そういえば、そんなこともあったかもしれない。交通事故後の病院通いの一幕。

(…)病院に到着したのはたしか17時だった気がする。二時間待って診察五分。駄目なウィダーインゼリーのキャッチコピーみたい。待ち時間はひたすらきのう届いたばかりの『ハートで感じる英文法』を読みすすめた。おもしろい。そしてわかりやすい。
ロビーで診察を待っているまばらなひとびとの中にひとり、汚れた作業服に身を包んだ坊主頭の巨漢がいて、挙動や発言などから察するにどうも精神障害をわずらっているらしいというか、ひょっとすると精神障害ではなくて知的障害なのかもしれないが、看護士をよびつけては何度も順番を確認したり、公衆電話を利用する金がないから病院の電話を貸してくれと言い出したり、なにぶん人目をひきがちであるところのその巨漢が、部活動の途中で怪我でもしたのか学校指定のものらしいジャージを着用してひとり腰かけている女子中学生か女子高生かわからないけれどもなんとなく前者な気がするそんな推定女子中学生のほうをじっと見つめ、片時も目を離さず、座席四つ分の距離だったと思うが、とにかく妥協のない凝視を送り出していて、なんかこれまずいことになりそうなんすけどと思いながらその様子をうかがっているじぶんは彼らの腰かけている座席の二列後方にひかえていたわけだけれど、盗み見るとかそんななまやさしいレベルではない熱視線である。推定女子中学生もとっくに気づいてはいるのだろうけれどそこは完全なる無視というか、目をあわせたらまずいということがたぶんわかっていてウォークマンで聴覚を封じて拒絶の身振りをとるなどしていたのだけれど、そうこうするうちに、それまでも何度も席を立ってはろくに読みもしない雑誌などをとっかえひっかえしていた巨漢のほうが席を立って戻ってきたその機会を利用して座席四つ分の距離をおいた席にではなく座席二つ分の距離をおいた席に腰を落ち着けてしまい、で、さすがにちょっと身の危険を感じたのか巨漢のほうをちらりと横目で見遣ったそのまなざしをがっちりホールドするかたちで巨漢のほうがとうとう口火を切った。会話内容ははっきりと聞こえなかったのだが、たぶん今何歳だだとか何という名前だだとかそういうアレが繰り出されはじめ、推定女子中学生の表情こそこちらからはうかがえなかったものの相当びびっているだろうことは疑いようもなく、さて、周囲を見渡してみれば老人・主婦・子連れと頭数に入らないようなひとたちばかりであるし、なんでまたじぶんがいるときにかぎってこういうことが起こるのかと内心げんなりするというかそもそも仮に頭数に入る何者かがいたところでこういうシチュエーションで最初を一歩を踏み出すことのできる奴なんてそうそういないというのはあの、なんだったっけか、ストックホルム症候群ではなくて、と、ここまで書いたところで「傍観」+「犯罪」でググってみたところトップにウィキの「傍観者効果」という項目がヒットしたのでああそうそうこれだこれという感じなのだけれど、とにかくこの傍観者効果があるだろうからきっとだれもなにもできないだろうし、そしてその点、同調圧力を唾棄するはねっかえりのB型たるじぶんなどわりと平気というか金縛りは即時「解!」みたいなこともできなくはないタイプであると自認するにやぶさかではないので、それゆえ、とにかく、推定女子中学生が明確に否定の意思をあらわにするかあるいは巨漢が推定女子中学生の体に触れるかするというのを出撃トリガーとする待機姿勢に入っておこうと考えたものの、しかし状況が状況というか立場が立場というか、詳細は省くというか察してくれたまえというところなのだけれど、ここで悪目立ちしてしまえばすべてが水の泡になりかねないというリスクを抱えこんでいる身でもあるのでなかなかどうして気が進まない、事を大きくしたくない、そしてそれにもかかわらずこの巨漢相手に派手に怒鳴り声をあげているじぶんの姿がありありと想像できるというどうしようもない按配で、と、そうこう考えをめぐらしているうちに、不意に、そうだ!受付にいって事情を話せばいいんだ!そんでもって余っている男手を呼んでもらって巨漢と推定女子中学生の腰かけている席の近場で威嚇的に待機してもらっておけばいいんだ!とすばらしき名案を思いつき、そうなれば万事良好、すべてよし、というわけでそうしようと席を立ちかけたところで推定女子中学生が診察室に呼びだされてしまい、ほとんど奇蹟といってもいいほど完璧に無駄なタイミングで立ちあがってしまったこの身をどう処理すればいいのか、尿意も便意もないのにとりあえず便所に行った。
診察室から出てきた推定女子中学生は巨漢を尻目に会計待ちのため受付のほうに近い席に移動した。巨漢の診察順はたしかじぶんのひとつ後ろかふたつ後ろである。となればもう心配するにはおよばないだろうと思ったのは見事な思いちがいで、雑誌を返しにいくふりをして推定女子中学生の腰かけている座席のほうにまではるばる遠征しては本棚の陰からじっと彼女のほうに熱視線をむけたり用もないだろうにその近くを歩くなどしはじめ、ただ受付に近い席であるからそうした巨漢の行動の逐一は職員らの目にはっきりと映っている。であるからにはまあ大丈夫だろうというアレでじぶんの診察がまわってきて、二時間待ち五分で終了、で、診察室を出ると、診察室のそばの座席に大またをひらいて腰かけていた巨漢と目が合い、ああこのニタニタ笑いはあの女の子にしたらかなりきっついもんがあるだろうなと思った。会計待ちということで受付のそばの席に腰かけると推定女子中学生はまだいて、看護士さんたちもさっさとこの子の会計をすませてやって巨漢とバッティングしないように気をきかすとかできないもんかねと思っているそこにふたたび巨漢があらわれ、その唐突さにこちらもびくっとしてしまったが、推定女子中学生のいるほうにむかって歩きだし、どうもこれまた彼女の近くの席に座ってなにやら話しかけようとする魂胆ではないかと、そう思って推定女子中学生のほうをちらっと見遣ると、巨漢の接近に備えて席を移ろうかどうか迷っているらしいそぶりが若干見え、表情はこわばり、うろたえ、完全におびえきっている。あ、これ駄目だ、と思ったので、とりあえず席からたちあがり、それで直線的な歩みを重ねる巨漢の進路にわりこんだ。肩が派手にぶつかった。思いのほか大きな声で巨漢が「わ!」と言ったので、目立つなっつってんだろうがこの馬鹿野郎が!と内心思いながら、しかしここまできたらままよとばかりに、とりあえずメンチを切り、次いで周囲に聞こえない程度の音量で舌打ちした。小声で「え?」と戸惑うような声の漏れるのが聞こえたので、輩に徹して「邪魔くせえな」と相手に聞こえるよう吐き捨てたのだけれど、この声はおもいのほか大きくひびいてしまったかもしれない。が、いまさらあとにはひけん。というわけで推定女子中学生のすわる座席の斜め後ろの座席に移動してそこに腰をおろし、もじもじとなにやら立ちつくしている巨漢のほうにむけてそこからふたたびメンチを切り、すると推定女子中学生のほうにむけて接近しようかどうか決めあぐねていたらしいそのもじもじがぴたりと止まり、それからなにかこう、こちらを中心とする半径五メートルの円いバリアの周辺をうろつきまわるかのごとくあたりさわりのない距離をぶらぶらとしはじめ、そしてまたそのぶらぶらのあらゆる機会を利用してちらちらとこちらの視線を盗み見てくるので、そのまなざしひとつひとつをいちいち真正面から受け止めて丁寧にメンチを切りかえすというクソくだらんピンポンラリー的な対応を強いられてしまい、滑稽きわまりない、というか端的にいってクソしょぼい闘争というほかない事態におちいってしまったわけだが、そうこうしているうちに診察室のほうから巨漢の名前を呼ぶ看護婦さんの声がたち、すると巨漢はその体躯からは想像もつかないような機敏さで踵をかえすがいなや走り去っていって、ひとまず安堵。
巨漢が診察を受けている間に推定女子中学生も処方箋を受けとって病院を後にして、次いでじぶんも処方箋を受けとり、それでもまだ巨漢は診察室から戻ってこず、診察は長引けば長引くほどありがたいのだけれどと思いながら病院の外の薬局にいくとそこに推定女子中学生がいて、薬局はたいそうせまいし、スタッフはみな女性である。この状況で診察を終えた巨漢がやってくるというのがいちばんまずいと思っていたのだけれど、まあ奴が来るより先に推定女子中学生のほうが先にここを出るだろうと、そういう見込みとは裏腹にあろうことか薬剤師のお姉さんが推定女子中学生にお薬手帳か何かの発行をすすめるなどしはじめ、推定女子中学生も推定女子中学生でとりあえずうながされるがままにはいはいとふたつ返事で、そうこうするうちにじぶんの番がやってきて、いつもの湿布と痛み止めをもらい、お大事にと送り出され、推定女子中学生はまだ中にいる。巨漢がやって来るのも時間の問題な気がする。おめえこっちがいろいろ気ィ回してやってんのに何やってんだよ!と心の叫びをかみしめながらとりあえず薬局の前でiPodをいじるふりをしながらしばらく突っ立ち、こうなるとどっちがストーカーだかわかったもんじゃない、馬鹿らしい、こんな小娘にいったい何の義理があるというのか?なぜおれの神聖なる時間をどこの馬の骨ともしれぬこの小娘に割かなければならぬのか?などと考えていたらますます馬鹿らしく、ゆえに、もういいや、しーらね、となった。後のことは薬局のひとびとにゆだねることにしてすたこらさっさと帰った。とちゅうで生鮮館に立ち寄り、半額になっていた刺身を買った。飯つくる気力なんてとっくにないね!

「しかし状況が状況というか立場が立場というか、詳細は省くというか察してくれたまえというところなのだけれど、ここで悪目立ちしてしまえばすべてが水の泡になりかねないというリスクを抱えこんでいる身でもあるのでなかなかどうして気が進まない、事を大きくしたくない」というのは、(…)病院通いをしていたからで、そんなときに仮に取っ組み合いにでもなってしまえば、じぶんの嘘がモロバレするというおそれがあったため。あと、ここまで献身的(?)にあれこれやっておきながら、最後の最後であっけなく責任放棄するあたりは、物語ではない現実という感じでたいそうよろしいと思った。

 作業中、ひさしぶりにルイジ・ノーノを流した。はじめはクセナキスを流すつもりだったのだが、クセナキスはなんだかんだで一年に一度か二度はききたくなるけれどもルイジ・ノーノはそうでもないな、もしかしたらもう二年か三年くらいきいていないのではないかとふと思い、それでAppleMusicから適当にチョイスしたものを流した。緊張感のある種類の現代音楽をスピーカーからいつもよりほんの少し大きめの音で流す、そういう聴取しかいまは受け付けないというような身体的コンディションというものがたしかにある。『Luigi Nono: Variazioni canoniche, A Carlo Scarpa & No Hay Caminos, Hay Que Caminar』(Michael Gielen & Sinfonieorchester des S”udwestfunks)と『Luigi Nono: La lontananza nostalgica utopica Futura』(Marco Fusi & Pierluigi Billone)。ミヒャエル・ギーレン Michael Gielenというのはドイツの指揮者兼作曲家で2019年に91歳で亡くなっている。日本語版ウィキペディアによれば、「現代音楽を得意とし、グスタフ・マーラーアルノルト・シェーンベルクなど大編成の楽曲を精妙で色彩豊かなアンサンブルで聴かせる」とのこと。ピエールルイジ・ビッローネ Pierluigi Billone は英語版Wikipediaによると、1960年生まれのイタリア人作曲家で、“known for works which often "reinvent" the performance techniques of the instruments involved.”とあるので、もしかしたらケージみたいなことをやっているのかもしれない——と思ってYouTubeで演奏動画をディグってみたところ、これ(https://www.youtube.com/watch?v=jINCc84-otg)とかこれ(https://www.youtube.com/watch?v=XXbpzKPsjOY)とかおもしろそうなのがヒットした、というか「東京現音計画」なるアカウントの存在をはじめて知った! なんやこれ! おもしろそうやな! というわけでさっそく同アカウントで投稿されている、タイトルが気になった「Ayana Tsujita: Save Point 辻田絢菜《セーブ・ポイント》(2021)」というコンサート動画を視聴してみたのだが(https://www.youtube.com/watch?v=MFoBdwyR77c)、これがマジですばらしかった、ちょっとのぞくだけのつもりだったのに結局あたまから尻まで集中して視聴するはめになった! もう15年ほど前になるが、ミニマル・ミュージックばかりバカのひとつ覚えのようにとにかくききまくっていた時期があり、当然その流れでポスト・ミニマリズムの作曲家のものにも手を出しはじめたのだがどれもこれも全然しっくりこず、マイケル・ナイマンジョン・アダムズも全然ダメだわとなったというか(ナイマンは『実験音楽 ケージとその後』という名著を残しているので良しとするが)、少なくとも当時こちらがきいた音源にかぎっていうならば、マイケル・ナイマンジョン・アダムズミニマリズムを俗情と結託させただけのもんじゃんという印象で(アルヴォ・ペルトはかろうじてそこから逃れていた気がするが)、それは、こちらが「ポスト・ミニマリズム」という字面から勝手に想像していたタイプの音楽では全然なかった、だからこそ余計に反発をおぼえたのだと思うのだが、いま、この辻田絢菜《セーブ・ポイント》をきいて、じぶんがはじめて「ポスト・ミニマリズム」という字面を目にしたときに漠然と期待した音楽、それはまさしくこういう音楽だったのかもと非常にしっくりきた、だからついつい最初から最後まで通して視聴してしまうことになった。本当にすばらしい。ググってみたところ、この方はいまゲーム音楽や映画音楽の仕事にもたずさわっているっぽい。あと、AppleMusicに『OTO』というSingleがあったのでこれもダウンロードした。

 授業準備にとりかかる。明日の授業で配布する印刷をまとめて印刷し、データをUSBメモリにインポートする。その後、『ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』(樫村愛子)の続き。17時をまわったところで第五食堂で夕飯を打包。
 食後、ベッドに移動して20分の仮眠。(…)さんと(…)さんから順次、明日の午後スピーチコンテスト代表として会議に参加する必要があるので授業を途中で抜けると連絡。東院四年生の(…)さんからはモーメンツに投稿していた世話になった教師人への感謝の手紙の日本語訳が送られてきた。学生らがこちらを表する言葉、ほぼ100%といっていいほど「幽默」と「自由」の二語だ。
 ひさしぶりに執筆する気だった。しかしその前に鼻うがいについて調べた。コロナ後遺症について、上咽頭炎の慢性化が原因のひとつであり、そこを治療すれば改善するという例が認められるみたいな話を、一年以上前にどこかで見聞きしたことがあったのだが、ところで、こちらはここ数日、鼻の奥にツーンとした痛みをおぼえることがある。熱が出ているあいだは、鼻詰まりもなかったし咳も出なかった、ただときおり喉に違和感をおぼえるだけだったのだが、熱がひいてほどなく喉に痛みを感じるようになり、かつ、これまで体験したことのない鼻の奥のツーンとした痛みを呼吸の最中に感じるようになった、そして気のせいかなと思われていたその痛みが微妙に悪化しつつある気がして、今日調べてみたところ、これはコロナだけではなく普通の風邪でもときおり生じる症状らしいのだがそれはともかく、その流れで「慢性上咽頭炎」というワードに行きあたり、あ、これって後遺症の原因の一種という説があるやつじゃん! となったのだった。それでさらに調べてみたところ、ふつうのうがいでは上咽頭には消毒が行き届かない、だからこそそこが炎症をおこしているのであれば鼻うがいをすべきであるという意見があるらしく、実際、コロナ後遺症が一日二回の鼻うがいで軽減したというデータもあるみたいで、だったらやるしかないなと思い、水道水ではなくミネラルウォーターに塩を溶かしてこしらえた生理食塩水を鼻から吸いこんで口から出すという江戸時代の曲芸かよみたいなことに挑むことにしたのだが、ところで、小瓶につめてある白い結晶が砂糖であるのか塩であるのかを判別するためにぺろりとしてみたところ、そもそも味覚および嗅覚障害であるのでどちらであるのかまったく理解できずに爆笑してしまうという一幕があった。
 ミネラルウォーターに塩を溶かしている最中、(…)さんと(…)さんのふたりから散歩の誘いが届いたので了承。鼻の穴から吸いこんだ塩水を口から「オエエエエ!」と吐くだけの簡単なお仕事をすませたのち、イージーパンツと無地の白Tシャツという簡単な外着に着替えて出発。

 女子寮に向けて歩く。女子ふたりは女子ふたりでこちらの寮に向かっているという話だったが、よっぽどトロトロしていたのか、結局、女子寮まで残りわずかの地点で合流することになった。嗅覚障害と味覚障害について話す。(…)さんには前回会ったときに話したが、(…)さんはこれが初耳だからだろう、ちょっと気の毒そうな表情を浮かべていた。ふたりとも去年感染したときは微熱であったし、後遺症に悩まされることもなかったという。
 (…)湖のほうに歩こうとふたりがいう。夜になるとさすがにすずしい。湖畔沿いとなるともっとすずしいはず。音楽関係の学科の教室が入っている棟のそばを通りがかる。さまざまな楽器の音がごちゃまぜになって聞こえてくる。ちょっとフリージャズみたいだ。オペラっぽい歌声も聞こえてくる。棟のそばには竹ばかりが植えられている一画がある。バスケットボールのコート一つ分くらいのスペースの人工的な竹林。なかには石畳の道が通っている。ところどころに照明付きの木造テーブルも設置されており、そのうちのひとつを男女のカップルが占めている。フリージャズを頭上から浴びながらその竹林を抜ける。
 三年生のスピーチコンテスト代表はだれになるのかという話になる。今日、(…)先生が(…)さんと(…)さんのふたりを呼び出してなにやら話していたと(…)さんがいう。ということは新四年生の担当教師は(…)先生なのだろう。(…)さんは院試があるのでスピーチには参加しないと以前語っていた。(…)さんについては興味があるかもしれないという話だったはずだが、結局、彼女もやはり院試があるからという理由で断ったらしい。するとだれが代表になるのだろう? (…)くんになるかもしれないという話もあったが、彼は彼でやっぱり院試組ではなかったか?
 (…)湖をはさんで対岸に図書館をのぞむ位置にある広場に出る。南門のすぐ近く。後ろから肩をつかまれ「先生!」と呼びかけられる。二年生の(…)くん。なにしてるのとたずねると、これからジョギングに行くという(たぶんグラウンドで走るつもりなのだろう)。きみはそういえば今学期すごく痩せたよねというと、20キロ痩せたというので、さすがにびっくりした。(…)くんは背が低い。たぶん165センチもないと思うのだが、それで20キロというのはなかなかではないかと思うのだが、これはもしかしたら斤と公斤の取り違えがあったのかもしれない、実際は20斤=10公斤(キロ)痩せたということなのかもしれない、それだったら納得がいく。味覚および嗅覚障害について告げると、彼も感染後しばらく続いたという。そのときは水だけなぜか奇妙に甘く感じたというので、そういうこともあるのかと思った。
 (…)くんが去る。(…)さんと(…)さんのふたりは少し離れたところで待機している。毎度毎度後輩が話しかけてくるたびに逃げるなよと思う。ふたりのそばでは釣りをしているおっちゃんとギャラリーのおっちゃんが複数いる。釣りではなかった、どうやら仕掛けらしかった。太い支柱の先に青いネットがくくりつけられているもの。ただのタモではない。ネットは平べったい三角錐をしている。たぶん魚がいちど中に入りこんだら外に出ることができなくなっている、そういうタイプの仕掛けなのだと思う、ネットの内側に餌かなにかをしこんでおいてしばらく沈み込ませておくのだろう。で、いまはちょうどその仕掛けをひきあげている最中だった。スマホのライトでギャラリーがネットとバケツを照らしているのをこちらものぞいてみたが、バケツのなかに大量のテナガエビがいて、おー! 天ぷらサイズのテナガじゃん! と興奮した。ギャラリーのひとりであるおっちゃんが、日本人か? とすぐに話しかけてきたので、そうだと応じると、日本でもこいつはいるのかというので、いる、食べることもあると応じた。でもザリガニは食べないんだろう? というので、食べない、じぶんも中国に来てはじめて食べたと受ける。そうしたやりとりをみた(…)さんがちょっと驚いたようすで、先生はなぜ(…)弁のおじさんと会話できるのか? みたいなことを(…)さんにささやくのが聞こえる。聞き取れているわけではない、文脈と部分的な単語でなんとなく推理しているだけだ。テナガエビのほかにウナギやドジョウっぽいくねくねした細長い魚も一匹まじっていたので、こいつも食べるのかとたずねると、食べるという返事。おいしい? とたずねると、ギャラリーのおっちゃんも学生ふたりも声をそろえて、好吃! という。
 去る。テナガエビがいるということは意外にこの湖の水質はきれいなのかもしれない。ジムのそばに到着する。二年生のときにジムの会員になった(…)さんであるが、あれから結局ジムに通っているのか? ヨガの教室に参加しているのか? とたずねると、まったく通っていないという返事。クラスメイトの(…)くんはしょっちゅうジムに通っているよね、朋友圈にいつもじぶんやジム仲間の半裸写真を投稿しているよねという。ふたりは筋肉ムキムキの男は好きじゃないといった。気持ち悪いと続けたのち、「ちょっとテロリストみたいです」というので、これにはクソ笑った。筋肉=テロリストの図式が存在するのか?
 歩く。われわれの後ろを歩いている女子学生の集団が、こちらのあやつる日本語をきいて、日语日语と口にするのが聞き取れたので、また話しかけてくるパターンかな、連絡先交換のパターンかなと思ったが、そうはならなかった。(われわれのあいだだけの)通称「恋人の道」を通る。湖で釣りをしているひとは今日はひとりもいない。公務員試験の準備ははじめたのと(…)さんにたずねると、まだしていないという返事。いまが楽しければなんでもいい! みたいなことをいうので、ぼくみたいな人間になっちゃうよと受ける。湖のそばの岸辺にはいつものボートが一艘放置されている。そのすぐそばにはバイクが一台置かれていたが、持ち主らしい姿は周囲のどこにも見当たらない。くさむらに隠れてカップルが青姦でもしてるんじゃないかと警戒する。
 食べられない桃の実のなっている木がある。なりぐあいを確認してから図書館のほうにいき、そのまま第五食堂付近の果物屋へ。桃を見た途端、フルーツを食いたくなったのだ。串にささったメロンのスライスを買う。いつもは夕張メロンみたいな黄色っぽい色合いをしたやつしか売っていないのだが、今日は日本の回転寿司屋でまわってきそうな緑のメロンがあったので、そいつを買ってみることに。3元。実はかなりやわらかくジューシーなのだが、やっぱり味はしない、しかし口触りでわかる、こいつはきっとかなり甘い。
 外国人寮にたどりつく。解散するにはまだちょっとはやいということでそのまま女子寮のほうに向かう。バスケットコートでは試合がおこなわれている。電光掲示板まで用意されている本格的な試合だったので、学部対抗試合はもう終わったんじゃないのかと思ってフェンス越しの遠目にのぞくと、電光掲示板に表示されているチーム名前が、それぞれ銀行と自動車学校の名前になっている。どういうことかと学生ふたりにたずねる。説明にかなり手こずっているふうだったが、どうやらスポンサーらしい。選手は社員ではなく、うちの学生。ユニフォーム代であったり練習代であったり差し入れであったりを企業が出すかわりに、こういう試合の場でうちの企業をしっかり宣伝してくれみたいなアレっぽい。そういう話をしているうちに、こちらの左隣にふらりと女子学生があらわれる。日本人吗? というので、对啊と受ける。しかしそれ以上続く言葉があるわけでもない。学生らふたりもこういうときいつもそうであるように彼女とこちらのあいだに入ろうとしないどころかむしろガッツリシカトする。中国人の若者はというと主語がデカすぎるのでうちの日本語学科の学生はというふうに規模をひかえめにしていうが、見知らぬ他者とのコミュニケーションの場において、「社交恐怖症」と「敵意」の二種類しか持ち合わせていないんではないかと思うことがしばしばある。(…)くんとか(…)さんとか(…)さんとか(…)さんとかあのあたりは全然そんなふうではなかったのだが、と、書いたところで気づいたのだが、これはもしかしてアレか? コロナ以降の特徴なのか? 中学ないしは高校時代にがっつりコロナの影響を受けている世代以降の特徴なのでは?
 試合が終わる。銀行がスポンサーをしているほうのチームが勝つ。コートを離れてそのまま女子寮まで歩く。二年生の(…)さんと(…)さんから声をかけられる。また排他的ペアで行動している。(…)さんと(…)さんが部屋から手のひらにおさまる小ぶりなサイズの桃をひとつずつ持ってきてくれる。受け取り、ありがとう、おやすみ、とあいさつして女子寮を去る。
 帰宅してさっそく桃を食う。シャワーを浴び、ストレッチをし、今日づけの記事にとりかかる。中断後、トーストを二枚食し、鼻うがいをし、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェック。1時半にベッド移動。Bliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読み進めて就寝。