20230706

 またドリルのクソ騒音でクソ起こされてクソあたまにきた。時刻は7時をまわったばかり。歯磨きしてトースト二枚食して母親からたのまれていた土産の花茶を淘宝で検索してポチった。コーヒーを豆から挽く時間はなかったのでインスタントですませて出発。(…)楼半地下の売店でミネラルウォーターを買って外国語学院へ。午前9時で気温はすでに35度近い。マジで死ぬ。
 9時から練習開始。昨夜こしらえたあらたな型「良い面と悪い面を述べる」のプリントを配布して説明したのち、今日はこの型のみを使って練習しましょうと提案。前半後半あわせて「お金」「外国での生活」「インターネット」「都会の生活」「お酒」をテーマにして即興スピーチを練習する。
 合間には雑談もする。(…)先生はマジでどの学生からもまったく評価されていないといういつもの話になる。しかし彼女は副教授という比較的高い立場であるし、いまは博士になるための準備も進めている。この夏に卒業した学生たちが四年生だったとき、彼女は日本文学の授業を担当していたわけだが、すべての授業でただ動画を流していただけだったと学生らがしょっちゅう不満を漏らしていたというと、(…)先生の授業もおなじだと三年生の(…)くんがいった。(…)先生が日本語を話しているところは聞いたことがないという。でたらめだよな、ほんとに。
 (…)外国語学院長の話にもなった。娘がとても優秀だ、高校卒業と同時にカナダの大学に進学したらしいと(…)くんと(…)さんがいうので、(…)に来るまえは新疆に住んでいた英語教師——とはいっても新疆人ではないのだが——の娘がカナダの大学に進学かと、ことの裏側にいろいろと流れているかもしれない複雑な物語を勝手に想像してしまった。驚くほどの偶然であるのだが、そういう話をしていた矢先に、(…)外国語学院長がアカデミックドレスを着た娘の写真と大学の卒業証書の写真をモーメンツに投稿していた。今年卒業だったらしい。
 スピーチコンテストの賞金の話になった。一等賞をとった学生には奨学金として4000元支払われるという。先生はお金がもらえますかというので、きみたちが受賞してもボーナスが出るのは中国人の先生だけだと思うと答えた。この練習にしても以前は一時間ごとに通常の給料とは別枠で一種残業代のようなものが出ていたのだが、今年からそれもなくなった、だから実質ただ働きになったのだと続けると、学生らは三人ともびっくりしてどうしてどうしてと口にした。地方政府の予算が厳しくなっているからだろうと答える。そういう状況なので、はじめ(…)先生からは今年のスピーチコンテストの指導はしなくてもいいという話があった、しかしスピーチの指導に外教が参加しないとなると学生からの不満も生じるだろうというあたまがあった、中国人の教員らもみんなやりたがらないと(…)先生から聞いていたし、それだったらじぶんがやると自主的に手をあげたのだと説明した。学生たちはそろって、やさしい! 先生最高! などといったが、こちらとしてはスピーチ練習を担当する代わりにほかの担当授業数を減らしてもらうというアレもなくはなかったので、おれはおれで打算アリなんだよと内心ひそかに罰の悪い思いもした(通常授業よりスピーチ練習の担当のほうが負担がおおきいことには変わりないわけだが)。(…)先生はこちらが仕事を辞めないかすごく心配していると(…)さんはいった。初耳だった。しかしまあそうだろうなとは思う。こちらが仮に抜けたら、マジでそのタイミングで一気に日本語学科取り潰しの話が進むんではないかという気がする。もしかしたらそういう計算もあって、外教の給料をあげるようにという働きかけが外国語学院のほうから大学に向けてあったのかもしれない、それで給料爆上がりみたいな話が出てきているのかもしれない。
 昼休みは例によって(…)くんとふたりそのまま教室に残ることに。以前彼が外卖していたハンバーガーがおいしそうだったので、その店で北京ダックのハンバーガーなるものとクリスマスみたいな骨付きチキンを注文した。最近中国でいきおいを増している国産のハンバーガーチェーンでかなりおいしいという噂。外卖が届くまえにCoCo都可でアイスコーヒーを買った。これで三日連続だ。
 ホテル暮らしをはじめた(…)くんに、きのうは練習が終わったあと荷物でいっぱいになったスーツケースをガラガラひきながらホテルまで移動したのかとたずねると、肯定の返事。(…)くんは最近『るろうに剣心』の剣心のコスプレセットを買ったのだが、セットのなかには当然逆刃刀も含まれている。その逆刃刀をリュックにさして移動した、ホテルのひとはちょっとびっくりしていたというので、さすがに笑った。昼食中は例によって彼の好きな日本史の話に付き合った。今日は刀狩りと隠れキリシタンについて。キリシタンからキリスト教の話になり、温州のキリスト教徒の話、日本におけるクリスマスの過ごし方(みんなケンタッキーのチキンを食うという話に(…)くんはおどろいていた)、中国におけるクリスマス禁止令(大学側が学生らに通知するのが例年恒例行事になっている)の話などをした。そういえば、ひとつ書き忘れていたことがある、おとついのことになるのか、(…)くんとはじめて腹を割って政治の話を交わしたときに聞いたのだが、二年生だったか三年生だったかの授業で、学部を問わず学生が受けなければならない習近平思想の授業とは別に、日本語学科固有の新規授業として、習近平の著作だか発言録だかの日本語訳を読むというものがはじまるらしい。担当は(…)先生だという。マジでこの国ほんまやばいとこにガンガン向かっとるなとあらためて思った。(…)くんも共産党がときどき怖くなると言った。
 食後は昨日と同様ならべた椅子の上で寝た。ならべた椅子の上で寝るのはどうしてこれほど気持ちがいいのだろう。ときどきじぶんのいびきで目が覚めた。(…)くんからのちほど、先生いびき! と指摘された。はずかしい。めちゃくちゃ痩せているのに、むかしからものすごく太った人間みたいないびきを掻くのだ。睡眠時無呼吸症候群なんじゃないかとひそかに疑っている。
 鹿児島の(…)さんから微信が届いた。一週間の連休をもらったので大阪に滞在しているという。USJがすごく楽しかったといってマリオのパレードの動画や写真が送られてきたのだが、卒業生の(…)くんがよく似た動画をモーメンツにのせていたのを昨日だったか今日だったかに見たばかりだったので、もしかしたらあのふたりは日本でニアミスしているのかもしれないと思った。
 昼寝から覚めたあとは(…)くんとまた少し話した。なにかの拍子に差別の話になった。二年生の(…)さんが会話の期末試験で広州に出稼ぎにきているアフリカ人たちを差別する中国人らについて真剣に怒っており、この子はいい子だなァと心の底から思ったわけだが、その話題を口にしたところ、でもぼくは黒人が大嫌いですと(…)くんがいうので、これにはぎょっとした。理由をたずねると、最近どこかの大学の留学生である黒人男性が元恋人だった中国人女性をリベンジポルノで脅迫したみたいな、細部についてはちょっと不明であるがそういうニュースがあったと口にしてみせるので、マジでこのレベルから諭さなければならないのか内心ひそかに唖然としつつ、でも悪いのは脅迫したその男性であって黒人全員が悪いわけではないでしょう、そもそもおなじようなことをしている中国人も韓国人も日本人もアメリカ人も世の中にはきっといるでしょう、だからといってその国の人間全員が悪いという判断にはならないでしょう、そういう判断をもしするというのであればそれは差別だよといった。(…)くんは納得したようすだった。

 (…)さんがいつもよりややはやめに教室にもどってきた。全然昼寝できなかったという。今日の練習後にいっしょに万达に行きませんかと誘われた。めずらしいなと思っていると、練習最終日は明日であるけれども、(…)さんも(…)くんも明日の練習後すぐに駅に移動する計画になっているからみたいなことをいうので、あ、一日はやめの打ち上げということなんだなと察した。万达では母親へのお土産を買いたいという。そのついでに近所の韓国料理屋で夕飯を食べましょうというので、了解した。友人からおいしい店だとすすめられたらしい。(…)くんも当然誘う。
 それで午後の練習もつつがなく終えた。(…)医院を抜けて道路沿いに出たのち、滴滴で呼んだ車に乗りこむ。助手席に(…)华さん、後部座席に男三人がそろって座る。車内に乗りこんでからも会話を続けていると、運転手のおっさんが例によって、おまえたちどこの言葉を話しているんだという。日本語だ、彼はわたしたちの大学の外教だ、と(…)さんが説明する。すると、おっさんがなにか口にする。(…)さんの顔がひきつる。男子学生ふたりも黙る。他喜欢中国と(…)さんが口にする。運転手が吐き捨てるような調子でなにかを口にし、それきり言葉が途絶える。あ、これはやばいパターンだな、運転手のおっさんがなにかひどいことを言ったな、と察する。このひとなんかひどいことを言ったでしょと日本語で(…)くんにいうと、翻訳しないほうがいい言葉ですという返事。愛国のおっさんかというと、そうだという返事。高校生のときもこういうことがよくあったと、大学入学前から日本語を勉強している男子ふたりはげんなりしたようすでいった。けっこうイライラしているふうだったので、まあまあ仕方ないよ、こういうこともあるから、とこちらがとりなした。日本人は嫌いだとか、どうしておまえたちは中国人なのに日本語を勉強しているんだとか、たぶんそういうお決まりのセリフだったんだろうなとこちらは予想していたのだが、先取りして書いてしまうと、翌日7日、あらためてこのときの話になった際、運転手は実はこちらが中国にいる理由をきいたのだと学生らはいった。それにたいしてやばい空気を察した(…)さんが、彼は中国が好きだからと応じたところ、そんなわけがない、金目当てできたんだろう、みたいなことを言ったという話であって、ま、実際こちらは出稼ぎ労働と認識しているわけであるし、間違いではない。
 車をおりるなり、(…)さんは猛烈に怒った。わたしはああいう運転手にあうたびにとても怒ります! というその口ぶりから、やっぱり大学で日本語を学んでいるというだけで学生たちは日頃からあれこれこころない言葉をたくさん投げかけられているんだろうなと嫌な気持ちになったし、そうした逆風のなかでどうにか習得した日本語とともに日本に渡ったところで、今度は日本人からも差別的な言動を向けられたりする、それはマジできついよなと心底嫌な気持ちになった。日本人のほとんどは日本に来る日本語のできる中国人がそういう背景を有していることを知らない。なんでもかんでも政治的ゲームにとらえる傾向のある人間でさえ、彼らがいわば潜在的レジスタンスであるという認識をもたず、壊れたスピーカーみたいに馬鹿げた排外的言説を口にし続けるだけとくる。やれやれ。(…)さんの怒りがおさまらないようだったし、男子学生ふたりの顔つきも暗くなっていたので、笑いに変えてしまったほうがいいと判断した。それで(…)くんに、いまから剣心の逆刃刀を持ってこい! ぼくが日本鬼子になってあの運転手ぶっ殺してやる! と最悪なブラックジョークを口にすると、三人ともゲラゲラ笑った。
 万达の近くにある通りを歩く。レストランをはじめとするさまざまな店が通りの両サイドに軒をならべている。歩行者の姿も目立つ。最初気づかなかったのだが、この通りはコロナ以前に開発を進めていた場所だ。当時はまだ空っぽのテナントばかりで、ほとんどゴーストタウンのような様相をていしていたのだが、いつのまにかほぼすべてのテナントが埋まっておりひとも多くたいそうにぎやかで、大学の西側にある開発地区もそうであるが、このあたりだけ見ていると、地方経済の悪化というものは全然感じられない。
 セブンイレブンがあったので入った。抹茶ケーキを購入。(…)くんはアサヒスーパードライを買った。(…)くんは酒に強いらしく、瓶ビールであれば10本飲んでも平気だという。韓国料理店に入る。店員はおばちゃんとお兄さん。中国語ペラペラだったが、ふたりとも韓国人だった。さらにお兄さんのほうは日本語も少しできるらしく、こちらが日本人であると知ると、「わたしは韓国人です」と日本語で口にした。料理は各自が適当に注文。お通しのキムチのほか、ビビンバ二種、炸酱面、チヂミなどをみんなでシェアすることになったが、南方人である(…)くんと(…)くんの口には合わないようだった。反対に東北人である(…)さんはおいしいおいしいという。
 それでちょっと思い出したのだが、スピーチの練習をしているときに、東北人と南方人の違いという話題になったのだった。(…)さん曰く、東北人のほうがおおらかでコミュニケーション能力が高く、ユーモアもあり、日本でいう関西人のようなひとなつっこさがあるとのこと。優しく、世話好きで、東北にいけば(…)先生みたいなひとがたくさんいるというのだが、いっぽうで南方人は「ぬけめがない」「ずるがしこい」というイメージがあるという(そう言われた南方出身の男子学生もそのようなステレオタイプに特に反対意見を述べるわけでもない)。これは大連出身の(…)さんの口ぶりからもたびたび感じとれることであるが、なんとなく、うっすらと、東北人は南方の人間に対して差別的な優越感みたいなものを抱いている気がする。
 社会の話にもなる。例によって同性愛と精神病の話になる。家族や友人に打ち明けることができないため、こちらにひそかに相談してくる学生がときどきいる、と。言葉の壁があるにもかかわらずわざわざこちらに対して告白をする、そうした若者らのせっぱつまった現状を考えると、けっこうしんどい気持ちになるというと、(…)さんは女性同士の同性愛はいいが男性同士のそれは嫌だと平然と口にした。(…)くんがすぐさま、昼間のアフリカ人の話も踏まえていたのだろうが、それは差別だといった。(…)さんの日本語はまだまだまずいので、ニュアンスをつかむことができない、そのせいで誤解の生じることも多いゆえに軽率に判断するわけにはいかないのだが、彼女は英語学科にゲイの先輩がふたりいるといった。そのふたりはルームメイトであるのだが、寮でたびたび(言葉を濁していたので推測になるが)セックスをしていた、それを嫌に思ったほかのルームメイトたちは部屋を越してしまったと、だいたいにしてそのような話を続けた。そういうふるまいは迷惑でしょうというニュアンスだったと思うのだが、それこそ(…)くんとアフリカ人の話とおなじで、仮にルームメイトらに迷惑をかけている人間がいたとして、そしてその人間がゲイであったとして、それだからイコールでゲイがみんな迷惑をかけているわけではない、こういうあまりに当然すぎる理屈を大学生相手に説かなければならないこの社会の現状をやはりなかなかしんどく思う。こちらが知らないだけで、もしかしたら日本の若者も案外こんなふうだったりするのかもしれないが(差別はいけないとか、他人を属性で判断するなとか、そういった良識=権威的言説が日本社会において徐々に失効しつつあるという印象は実際受ける)。あと、上野千鶴子に由来するフェミニズムの台頭を踏まえてだろうが、中国ではいま男性と社会の対立が激しいですみたいな話もあったのだが、もしかしたらその対立から派生してゲイに対する当たりが強くなっているみたいな側面もあったりするのかもしれないなと思った。(…)くんは(…)さんの発言にやや機嫌を損ねているふうだった。彼はこれまで複数の女性と付き合ってきたと公言しているわけだが、中国における若いゲイたちとそれ相応に接してきたこちらの経験が、彼はおそらくゲイだろうとたびたび告げる(バイセクシャルかもしれないが)。こちらとプライベートまで含めて親しく付き合おうとし、自撮りをしょっちゅうモーメンツにあげ、イケメンであると称し(と同時に、しばしば周囲の女子からもそう称され)、ファッションに興味があり、日本のアニメや漫画よりもドラマや映画といった実写作品のほうを好み、口数が多く、クラスメイトとの女子との関係もまずまず良好で、自身がゲイではないと聞かれてもいないのにたびたび口にする(のみならず、ときにはゲイをネタにした冗談すら口にする)。こうした特徴を彼はすべて押さえているのだ。その(…)くんであるが、女性同士の同性愛は百合といいますよと、bai3he2と中国読みして口にした。意外だった。もともとは日本語であることを知らなかったのだ。指摘すると、驚いていた。(…)くんは知っていた。(…)くんは同性愛について、反対はしない、ただじぶんのほうには来てほしくない、みたいなことをいった。この発言にも(…)くんはやっぱりむっとなっているようにみえた。
 その(…)くんがなぜか途中でゲームをはじめましょうといった。ゲームといっても彼が日本語でひとりずつ簡単な質問をするだけのものだった。最初の質問ははじめての恋人はいつできたかと問うものだったが、ほかの質問は続かず、その話題をきっかけにして結局いろいろおしゃべりを続ける流れになった。先生はいつ? というので、中学一年のときだよと応じると、(…)くんも同じだといった。その子と別れたあとにいまの彼女と付き合ったのとたずねると、そのあいだにまだいるという返事。(…)さんは小学校三年生のときにはじめてラブレターをもらったという。その子からの告白は断ったが、中学生のときに恋人がいた。(…)くんは具体的な人数は知らないが、かなり経験が多いはず。中学や高校で恋愛は禁止されているはずなのに、けっこうみんなやることやってんだなというと、学校の成績が下がらないかぎりは教師も親もなにもいってこないという返事があった。しかしこちらがこれまで親しくしてきた学生というのは、だいたいこれまで一度も恋人がいたことがありませんというタイプばかりだったので、なかなか新鮮な話題だった。(…)さんは動画を撮りたいといった。被写体を自動的に変顔にするアプリを起動した上で、自分自身、こちら、(…)くん、(…)くんの順番で映した。のちほどその動画にBGMをつけたものがモーメンツに投稿された。
 食後、(…)土産を購入するという(…)さんに付き合って近くの店に入ったが(辛く味つけされた肉だの魚だの野菜だの——おそらくほぼ干物状態になっており、ぼちぼち日持ちがするのだと思う——が、コンビニにあるアイスクリーム用の冷凍庫みたいな容器のなかに保存されており、店員に指示して好きなものを袋に入れてもらうという仕組みらしかった)、(…)くんがトイレに行きたいというので、彼女を置いて男三人で近場の便所を探すことに。しかし見つからず。結局(…)さんに追いつかれたかたちになったので、そのまま万达の中にあるトイレに向かうことになったのだが、その道中、中国に来る一年ほど前、まだ京都に住んでいたころの話だけど、実はうんこを漏らしたことがあるんだよねと打ち明けた。三人とも笑った。
 トイレで用を足したあと、(…)に寄った。韓国料理屋では割り勘といって学生らがゆずらなかったので、ここで学生らに好きなミルクティーをいっぱいずつおごってあげることにした。店内は冷房がきいておらずクソ暑かった。ミルクティーやウーロン茶を受けとったのち、また車にのって大学にもどるという流れになったのだが、(…)くんは散歩したいといった。(…)さんはタクシーを呼びたいといった。先生は? というので、どっちでもいいよと答えると、あいだをとってということになるのか、(…)くんが滞在しているホテルまでは歩いていき、その後タクシーに乗る流れになった。
 (…)くんのホテルは北門から大学外に出て東方向に向かう、その最初の交差点付近にあった。その交差点の手前で彼とは別れ、残った三人でタクシーに乗った。運転手のおっさんはここでもまたわれわれに対して何語で話しているのだと口にした。往路のタクシーとまったく同じように(…)さんが、日本語だ、彼は外教なのだ、と答えた。おっさんは特に反感を表明しなかった。陽気な調子でタクシー仲間とハンズフリーで会話していた。その会話内容がおもしろいといって学生ふたりも道中たびたび笑った。
 南門付近でタクシーをおりた。学生ふたりとはそこで別れ、回収したケッタにのって寮にもどった。シャワーを浴び、ストレッチをし、セブンイレブンで買った抹茶ケーキを食し、コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いた。投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年7月6日づけの記事の読み返し。続けて2013年7月6日づけの記事も読み返して「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲したのだが、以下のくだりを読んでちょっと、うん? と思った。

職場に(…)さんという女の子がいて、まだ入ってきたばかりであるのに加えて働いている時間帯が異なるためにこれまでほとんどろくに口を利いたこともなかったのだが、今日は色々なタイミングがうまく重なって、それで少しばかり雑談をする時間があったのだけれど、(…)さんは今日だか昨日だかにピストを買ったといっていて、ネット通販で定価6万円越えのものが1万ちょっとみたいなお買い得価格だったらしく、それをじぶんで組み立てて今日は出勤したのだと、そういうアレで、それでほらほら(…)さんこれかわいくないですかーと、豚を模したかたちの自転車のライトみたいなやつを見せられたりして、へーこんなんあるんやおもろいねーと、そんな話をしているときにふと、ちょっと待てよと、思いとどまるところがあって、それで(…)さんに今まで使っていたケッタってどうしたの?とたずねてみたところ、まだうちのアパートにありますという返事があったので、すかさず、それちょうだい!と言った。したらいいですよという二つ返事で、そうと決まれば善は急げである。それじゃあ明日そっちのほうの自転車で出勤しますよと(…)さんがいうので、じゃあぼくは朝バスで来ることにする、そんで帰りはそいつに乗って帰ることにする、と、そう答えたところでしかしそれなら(…)さん帰りはどうすんだと思ってたずねてみると、(…)さんの車で送ってもらうことにします、といっていて、ちょうどこの昼間に(…)さんが(…)さんに惚れているらしいという話を(…)さんから聞いたばかりだったので、これじぶんが(…)さんからケッタを譲りうけるという一連の流れのおかげで(…)さんも(…)さんにアパートまで送っていってもらうための正当な口実ができたわけであるし、むろんそれにくわえて(…)さんは元々古いほうの自転車の処分をどうしたものかと迷っていたところであったのだから、なんというかマジでwin-win(死語)ですわと思って、とにかく小躍りした。

 (…)さんというのは(…)さんだ。漢字で表記した場合、(…)さんになるのか(…)さんになるのかちょっとおぼえていない、たしか前者の(…)だったと思うが、京都造形大の女子学生で、卒業までの一年くらいだったか(…)でアルバイトしており、(…)さん=(…)さんに惚れていたのだが、当の(…)さんはあんまり興味ないふうだった。それでもこのできごとをきっかけに、(…)さんは以来、毎回(…)さんを車で彼女のアパートまで送っていくことになったはずであるのだが、いちど、(…)さんがダッシュボードのなかに入っている大麻を見つけてしまい、それで大いに取り乱し、出勤するなり(…)さんをロビーの待合ブースに呼び出し、そこで号泣しながらことの次第を打ち明けるという出来事があったのだが、当の(…)さんも日常的に乱用していたわけであるし、というか(…)さんはただ(…)さんから引いたモノを友人に無料で運んでいただけであり、じぶんではその手のものはほとんど一切使用しなかったのだが(何度か経験はあるのだが、ことごとくバッドに入ったらしい)、(…)さんからのながったらしい相談を受けた(…)さんはフロントの控え室にもどってくるなり、(…)、女ってさ、なんでわたし全然大麻とかいけますよ、別に平気ですよって雰囲気出しときながらさ、いざほんもん見るとああやって泣きよんの? いつもそうっちゃう? と難易度の高いあるあるネタを口にしたのだった。
 いや、そんな話はどうでもいい。うん? と思ったのはここで(…)さんからゆずってもらうことになったというケッタについてだ。(…)終盤ではブルーの折り畳み自転車に乗っていた記憶があるのだが、あれは(…)さんの息子がむかし乗っていたやつのお下がりではなかったか? となると(…)さんにもらったケッタは記憶のなかにおぼろげに残っている白いミニサイクルということになるのだが、いやあれは逃現郷で当時バイトしていた(…)さんのお古だった気がする。じゃあ、(…)さんにもらったケッタというのはどういうやつになるのだ? (…)滞在中はうちにケッタが二台あり、そのうちの一台はふつうのママチャリだったと思う、それが(…)さんにゆずってもらったやつか?
 今日づけの記事も途中まで書いた。0時になったところで中断して寝床に移動。母からLINEが届いていた。(…)が四歳の誕生日を祝ってもらっている写真だったが、壁に風船でHAPPY BIRTHDAYの飾り付けをしてもらったうえで、テーブルの上に犬用の食事とケーキが置かれており、ケーキにはろうそくも一本刺さっていて、そのテーブルの正面に置かれた椅子の上に誕生日仕様の首輪を身につけた(…)がおすわりしているという構図。(…)下手な人間の子どもより大切にされとるわと母はいった。