20230707

 この日もたしかドリルで目が覚めたはずだがこれを書きだしたいまは8日の21時53分でありメモもろくに残っていないので詳しいことはおぼえていない。詳しいことはおぼえていないといちいち断るということは詳しいことを書くのが日記という営為であるという前提がこちらのあたまのなかにはあるということだろうか。日記に時間をもっていかれるのはばかばかしいので記述をひかえめにすると宣言して実際にひかえめにしようとするものの気づけばまた長々と書き記してしまうというようなことをもう十年以上くりかえしている気がする。それはいいすぎだ。十年前の日記はそれほど長くはない。そしてここ最近の日記も外に出かけたりしないかぎりは5000字ほどにおさまることもままあって、つまり日記をひかえめにするという宣言がここにきてようやく順調に果たされつつある。きのうはまた10000字をオーバーしてしまったしおそらく今日もそうなるだろうが。
 前夜か早朝か忘れたが(…)くんから微信が届いた。ホテルをチェックアウトするための手続きに時間がかかるし荷物をまとめたスーツケースをもって移動しなければならないので午前中の練習には間に合わないかもしれないという内容で間に合わないことはないんだろうがたぶん前夜夜更かしをしており寝不足でもあるからまあそういうことにしておこうというあたまもあったんではないかとこちらは勝手に思っていた。勝手に思っていたというか教室に到着したところいつものように(…)さんが先着していてその(…)さんが(…)くんは朝寝坊ですみたいなことをいうものだから(…)さんのほうにはそういうふうに本当の事情を告げていたんだなと察したわけだったが、S.Sさんの日本語はまだまだかなりまずいのでただいろいろな事情があって遅れることになったというその事情をたまたまおぼえていた朝寝坊という単語に集約してこちらに提示してみせただけかもしれない。(…)くんからも微信が届いた。冷たいものと熱いものを一緒に食べてしまったせいで腹痛に悩まされている、午前中の練習にはちょっと遅れるかもしれないという話で、これで午前中は(…)さんとふたりで過ごすことになったわけであるがふたりで練習などしてもつまらないしだったら雑談でもしよう、ふたりきりであればむしろ雑談ほど効率的な会話練習はないというわけでふたり横並びになってデスクに向かいつつそのデスクの上に筆談用の紙とボールペンを置いてそれでいろいろたくさん話しておもしろかった。
 いちばんおもしろかったのは中国の教育についてというか小中高という流れはもちろん知っているし日本とおなじ年数をかけるということも確認済みであるのだがその後の進路についてで、高考の点数次第で一本大学、二本大学、三本大学のいずれかに進学することになるというのも知っている。その高考で三本大学未満のスコアをとってしまった場合なのかあるいはそもそも高考自体に参加しないということなのかそのあたりはちょっと確認しそびれていたのだがいずれにせよ三本大学にも入学できなかった学生には専門学校に入学するという選択が残されている。専門学校には「中専」と「大専」の二種類があり前者は中学卒業後に高校に入学せず直接入学するものであり後者は高校卒業後に入学するものである。「中専」も「大専」も三年間通うわけであるが「大専」のほうではその三年目に本科大学(一本大学、二本大学、三本大学)に転入するための試験を受けることができる。三年前の卒業生である(…)さんがその転入組で彼女は三年生から(…)の日本語学科に所属していた。(…)さんたちのクラスも来学期から、ということはすなわち三年生からであるわけだが三人もの学生が編入してくるらしくて女子がふたりで男子がひとりだというのだがすでにN1を取っている。(…)さんがいうには大専から本科への転入試験はかなりむずかしくまた競争率も激しく、(…)先生から聞いた話だといっていたけれども今年は志望者が103人もいた、そのうち3人だけが編入することになるという話で惜しくも編入できなかった四番手の学生さえN1をすでにもっているというレベルらしくて(…)さんはそのような編入組の学生たちのことをこわいこわいとしきりに口にした。ストレスやプレッシャーを感じるという。とはいえ転入組はすでに「大専」で三年間日本語を学んでいるわけで学習歴も年齢もうちのクラスの学生より一年長いという計算になる。ちなみに高校入試試験のことは中考というのだがその中考でよいスコアをとることのできなかった学生は高校にではなく職業技術学校という教育機関に通うこともあるらしい。こちらは何年であるか聞きそびれてしまったが内容としてはコンピューターや外国語や獣医学や美容や料理などがあるという。職業技術学校では一般的な高校とは異なり本当に専門的な内容に特化して勉強するかたちになるのでたとえば外国語を専攻した場合などは本気で勉強すればけっこうなレベルにまで達することができるというのだがしかしその手の学校に進学することになる若者というのは基本的に不良であるとのこと。
 (…)さんの両親が離婚しているという話については期末試験の際に聞いていたがその両親はともに中卒であるという。ふたりとも実家がまずしくまたかなりの不良だったとのことで父親は1981年生まれだからおれと四つしか違わないではないかと絶望しかけたのだがその父親は教育こそ受けていなかったものの地頭の良い人物であったらしく13歳にしてすでにアイスクリームを販売する商売をはじめて金を稼ぎその後も持ち前のコミュニケーション能力をいかして人脈を作りまくって商売に成功したというのだがその仕事が忙しかったのか、あるいは友人たちと遊ぶのに忙しかったのかもしれないが家に全然帰ってこず寄りつかずそれが離婚の原因となったという。しかし浮気はしなかった。(…)さんの母親はそんな父親としょっちゅうケンカしてしょっちゅう殴りまくっていたというのだが父親のほうはいっさい手を出していなかった。父親はやがて仕事の関係で内モンゴルのほうに出張った。そのころにはもうたぶん離婚していたのだろう、あるいは離婚する前からすでに内モンゴルにいたのかもしれないが、いずれにせよ小学生から中学生にかけて(…)さんは父親とほとんど連絡をとることがなかったし恨んでもいたとのことだったが、ただ彼女が高校生になったころに父親が内モンゴルから故郷の遼寧省にもどってきてそれ以降は交流も再開していまではそこそこ良い関係に落ち着いているという話だった。他人の人生の物語はいつもおもしろいねと話す。
 流れでこちらも家庭の事情についていろいろと話すことになったのだがその最中に(…)くんがやってきた。きのう冷たいジュースと温かいご飯を一緒にとったあと腹が痛くなり夜もそのせいでなかなか眠らずにさんざん難儀したという話だった。いやその前に新一年生の話をしたのだった、新一年生は(…)ではなく(…)で生活するかもしれないという話だった。日本語学科も新入生は二クラスになるわけだが他学部も新入生の数が増えるところがいくつかあるらしくてその結果寮や教室が足りないという判断が働いたのだろう、それで新入生のうち文学学院と外国語学院とあとどこかの一年生と二年生は全員(…)に引越しするという案が出たというのだが当然来学期から二年生になる現一年生は猛反対、その結果として学院を問わず新入生は全員(…)で生活することになったというのだがこれはまだ本決まりではないらしい。しかし仮にそうなった場合もうこれで(…)までバスでいちいち通わなくて済むぞと思っていたこちらの目論見は外れたわけであるしせっかくの見納めも意味がなくなったというかまたあの売店で水を買って店のお姉さんと簡単な日本語で会話することになるのはいいのだが地獄の便所で小便や大便をしなければならないのはマジ勘弁である、嗅覚が死んでいるいまならまだだいじょうぶだがしかし来学期になってまだ嗅覚が死んだままだったらそれはそれでクソうっとうしい。この案がマジになると片道40分の道のりは書見についやすからいいにしても仮にメシに誘われることがあればキャンパスにひとつきりしかないあのまずい食堂でメシを食うかさびれにさびれた后街の店でメシを食うかしなければならないわけでそれはマジでいやだしごめんこうむりたい。食堂といえば大学食堂に入っている店は全部民間企業らしくて大学にテナント料のようなものを支払って出店しているかたちだという話でこれは初耳だった。
 (…)くんもやってきた。どういう流れからそういう話になったのであったかすっかり忘れたので経緯は省くが、省くがと書きつつも微妙に政治的な話題が出たその流れにのっかってというかたちだったと思う、政治的な話題というのは(…)くんとこちらのあいだで交わされていたもので(…)さんは実はわたしは政治に全然興味がありませんといった、(…)くんは現在の中国は修正主義だといった、毛沢東の時代の社会主義では全然ないといった、それはアメリカと中国の二カ国が現在世界でもっとも格差の大きい大国であるという話をこちらがした流れだったかもしれない、中国の若者のあいだでは毛沢東ブームが起きている、というか毛沢東時代の理想や方針と現在の中国の過酷な社会状況があまりに異なることに違和感をもちはじめた大学生たちが毛沢東の語録やなんかを読んで現代の中国を批判するみたいな流れがあるみたいな話は数年前に見聞きした記憶がある、あれはコロナのあとだったろうか? (…)くんは文学青年であるからおそらくその流れにのっているひとりであるのだろう、(…)くんのように社会主義共産主義や党そのものに対する反感というのはそれほどないのだろうが、毛沢東のぶちあげた理想とあまりに異なる現状に強烈な違和感はもっているようすだった、というかそもそもこのムーヴメント自体、一部の知的な反体制的大学生らが毛沢東の理論を根拠として毛沢東の言葉をひきながらであれば現体制や社会を堂々と批判することができるというあたまがあって起こしたたくらみなんではないかとこちらはかんぐってしまうのだがそれはちょっと考えすぎかもしれない、かつての日本が世界でもっとも成功した社会主義国であるといわれていたという話であったり一億総中流という言葉であったりをこちらが説明したその流れであったと思う、(…)くんが突然1989を知っているかと(…)くんに言ったのだった。(…)くんは知っているといった。びっくりした。翻墙して知ったのかとたずねると、翻墙することもあるがしなくてもそういう話を知ることはできるのだという返事があった。天安門事件それ自体に対する(…)くんの評価は正直ちょっとわからなかった、ただ(…)くんのように絶対的に批判をする感じではなかった、体制を守るためにはある程度の弾圧はしかたないと考えている節も微妙に見てとれたが、彼の日本語能力もやっぱりそれほど高くはないし話題が話題なのでニュアンスや機微に触れることはできなかった。白紙運動についても知っていた。クラスメイトも知っているのだろうかとたずねると、わからないがあまり知らないと思うという返事。ただし天安門事件についてはけっこう知っているひともいると思う、でもみんな話題にはしないとのことで、天安門事件についてはそもそもの中国政府が絶対的タブーとするという方針を微妙に変更しつつありテロとの闘いのような文脈で情報開示しつつあるというような報道をやはりコロナ以前ネットで見かけた記憶があるのでそういう文脈で知っているという若者がこれから先出てくるかもしれない。小粉红という言葉については知らないようだった。いましているこの話は絶対にだれにも言わないでね、外国人教師と政治や歴史の話をしたとなるとぼくだけではなくてきみたちも危険だからというと、(…)さんが手元のスマホをデスクの向こうのほうにさっと移動させた、(…)さんのスマホはこちらとおなじHUAWEIのものである、(…)さんは盗聴されているかもしれないからというようなことを中国語でいったが、冗談半分にしてもそういう認識が政治に興味がないと自称する人民のあいだですら流通しているのかとちょっとおどろいた。それでいえば(…)くんも中国産のスマホは絶対に使わない、iPhone一択であるといっていたが、VPNの使用ですら犯罪となるこの国の人民である彼らはやはりそのあたりについて外国人であるこちらなどよりもよほど敏感になっているのかもしれない、こちらは外国人であるからといってVPNの使用が許されているわけではないと思うのだがいちおうそのあたりはなんとなくオッケーだろうというふうになっているし中国内にいる外国人らはみんな同様の認識だと思う。現地人と結婚して家庭を有している(…)のような人物はそのあたりやや敏感になっていると思う、実際冬休み中にVPNの件でこちらに電話をかけてきたときはVPNという単語を決して使わないよう遠回しな口ぶりで事情を説明しようとしていた、そんな彼の配慮をまったく無視してこちらは二言目にはVPNと発語してしまった。

 昼飯の時間になったのだが今日は(…)さんも(…)くんも教室に残るといった、教室に残るといったのは(…)さんと(…)くんのふたりはこの練習のあとすぐに駅に向かうことになっているからでそれもあって通常は17時終了の練習を15時だったか16時だったかに切りあげることにしたのだがそのかわりに14時半まである休憩もはやめに切りあげることになったのだがそれだけではなくわれわれの雑談が盛りあがったという事情もあったかもしれない。(…)さんと(…)くんと(…)くんの三人は先日こちらが食ったハンバーガーを外卖で注文した。こちらはまた猪脚饭をお願いしたのだが猪脚饭はもともと広東省の料理らしい、細かく刻んだ豚足が米の上に乗っかっているメシですごくうまい、味付けも広東料理だけあって日本人の口に合うと思う。(…)医院までこちらと(…)くんのふたりでメシを回収しにいくことになったのだが(…)くんはなぜか逆刃刀を帯刀していた、そんなものを持ち歩く必要はまったくなかったし途中で雨が降ってきたのでむしろ邪魔でしかなかったのだが手放さずにいて彼はちょっと中二病だなとスピーチコンテスト校内予選の会場で(…)くんがぼそっとつぶやいていたのを思いだした。京都の土産物屋へいけば刀の柄がついている傘がたくさん売っているよというとそれはちょっと中二病ですねと(…)くんはいったがコスプレ用の逆刃刀を理由もなく持ち歩いている彼のほうがよっぽどだと思う。配達員が(…)医院に来るまえにCoCo都可でいつものように安いアイスコーヒーを買おうと思ったのだが后街の瑞幸咖啡が今日オープンであるからそっちにいきましょうと(…)くんはいった、そっちまで行っていたら時間がかかるしオープン初日であるから混雑している可能性もあるし買い物しているうちに配達員が到達してしまうんではないかと思ったのだが行きたいというので仕方なくつきあった。それで実際店に到着したところそれほど混雑はしておらず先客は男性三人組のみであったが行きたい行きたいといっていた(…)くんは注文をしないというのでなんやそれどういうことやとちょっとイラッとした。すでに雨が降り出していたし当然のように暑いしこの店まで歩いてくること自体がうっとうしくてたまらず、嗅覚も味覚もろくに機能しない現状カフェインさえ摂取できれば問題なしと近場のCoCo都可で安いコーヒーを買えばよかったのに彼のしつこいリクエストでここまで来てでもその彼は注文をしないという。マジでなんやそれという感じであるし実際に注文する段になったときもQRコードでメニューを読みこんだのち商品を決めて受けとり店舗を決定するその受け取り店舗をこちらに代わってなぜか注文しようとした(…)くんはあやまって第五食堂付近の店舗にしてしまった、キャンセルできないそのせいでコーヒー一杯分が無駄になってしまった、なにからなにまで全部だめだった。
 逆刃刀を持ったままでは高铁に乗ることができない、だから駅に行くまえにまず快递に立ち寄ってそこで実家にむけて逆刃刀だけ送るという話だった。来月の何日だったか忘れてしまったが(…)でコスプレ大会が開催されるらしくそこに(…)くんは例の日本語を教えている高校中退コスプレ少女といっしょに、とここまで書いたところでこの表現はいくらなんでもアレだからと微信のアドレスを確認してみたのだが(…)さんだ、あの(…)さんといっしょにコスプレ大会に参加するという話だった。
 教室にもどる。ひきつづき世間話をしながら食事を続ける。食後もそのままずっと世間話をすることになって13時になったタイミングだったかで一度こちらが練習をやりましょうということで「理想の先生」というテーマで即興スピーチをやったのだが学生らはやはり世間話をしたがりそれで練習はその一度きりにして残り時間はひたすら世間話をした、いまの練習生三人は全員が会話にひとしく参加しようとする前向きな姿勢であるので会話の練習として世間話もかなり効果的だと思う、会話をほかの学生にまかせてじぶんはスマホをいじるというようなふるまいに出る子がいない。
 昼休みも午後もそういうわけでいろいろに話したのだが午前中に(…)さんから教えてもらった中国の教育に関連する内容でいえばこちらがずっと気になっていたのは高考の仕組みだ。省ごとに高考の問題は異なるのかとたずねると異なるという返事があって(…)くんが紙に書いてくれたところによればまず「第一巻」「第二巻」「第三巻」の三種類がある。受験者の数が多い省には「第一巻」が、少ない省には「第三巻」が与えられるというかたちになっているらしくて(…)省はたしか「第二巻」といっていただろうか、そのあたりはちょっと忘れてしまったがその三種類とは別に個別に問題を作成している省および地域があるらしくてたとえば江西省だったか江蘇省だったかは独自の問題を用意しているという話だったし、北京や上海や重慶もやはりそうらしかった。高考は全然平等ではありませんと(…)くんはいった。そういう話はたびたび見聞きする。受験者の多いところは自然競争率が高くなるので少子化のまだそれほど深刻ではない内陸部は競争が激しくたしか江西省がいちばんむずかしいと言われているという話だったか、湖南省湖北省もやはりむずかしいという話でそのいっぽう東北は高考が簡単であるという話は以前(…)さんから聞いたがそれはつまり東北地方は少子化が著しくまた人口も少ないからなのかもしれない、人口については正直よく知らないのだが中国の出生率を省ごとに色分けした地図を以前ネットで見かけたことがありそれによれば東北地方はたしかに惨憺たるもので特に黒竜江省とかひどいもんだったと思う。さっきも書いたかもしれないが(…)さんは地元の一本大学の合格ラインにまであと4点およばなかったらしくだからといって二本大学に進学するのもアレであるからはるばる(…)省の一本大学である(…)にやってきたということなのだと思う、遼寧省の高考は(…)省の高考よりも簡単であるはずだから(…)省の人間からすればじぶんたちよりちょっとレベルが下の人間というあたまはもしかしたらあるかもしれない、実際うちの大学で東北出身の学生はだいたいみんな勉強ができないしこちらが成績をつけるにあたってお情けの合格を与える学生の東北出身率はかなりのものになっている、東北出身の学生はだいたいクラスに三人程度であるのだがこれまでの五年か六年か東北出身で勉強がしっかりできたのは卒業生では(…)くんと(…)さんのふたり現役では(…)さんくらいであとは全員お情けで合格にしなければならないレベルだった、もちろん異郷で生活することのむずかしさもそうした子たちの成績の低さや勉強意欲の低さに関係しているはずだ。一本大学、二本大学、三本大学という区分けについては近々なくなるという話だった。
 細かい話はほかにもいろいろした。(…)先生が日本語などほとんどまったくできないにもかかわらず博士であることを知った学生らは驚愕した。フィリピンの大学で博士号をとったらしいと続けると(…)さんは水博だと声を大きくした。フィリピンの大学では博士号をとることが簡単にできる、お金と時間さえあれば楽々とることができる、そういう博士のことを水博というのだと続けるので、以前どこかでこれに関する報道を見たなと思った。博士号取得を計画しているという(…)先生はさすがにフィリピンの大学を狙っているわけではないと思うがどこの大学院に通うつもりであるのかは知らない、そもそも通うことがあるのかどうかもわからない、(…)先生はなぜか(…)くんのことをたいそう気に入っており彼に日本語の勉強に役立つウェブサイトのアカウントまで貸しているという話だったが、なぜそんなに彼のことを気に入っているのかはわからないと(…)くんはいった。
 外教不足の話にもなった。本当に給料がいきなり10000元にアップするのであれば万々歳であるがたとえ10000元になったところでようやく都市部の基準に追いついたかといったようなレベルでしかないしそれでわざわざこんな辺鄙な場所まで新たにやってくる外教もなかなかいないだろうと話すと先生はいつまで(…)にいるつもりですかというおきまりの質問が(…)さんからあった。なんにも考えていないと答えるとほかの大学に行きたいと思わないですかというのでこれまでこれこれこういう大学からの誘いはあったけれどと答えると211じゃないですかという反応があってどうしてそっちに移らないのかまったく理解できないみたいなことをいった。(…)さんは当時ほかの大学に移ることをけっこう検討していたようだねというと(…)先生がほかの大学と連絡をとっていたことを実は(…)先生は知っていますと(…)くんがいって、え? そうなの? と驚いて詳細をきいてみると、(…)さんがコンタクトをとったよその大学の日本語学科の担当者というのが(…)先生の知り合いであったらしくそれで(…)先生のもとにあなたのところの外教が転職を希望していますがみたいなことを言ってきたとのことでこの話にはクソ笑った。あと日本に帰国後に自殺してしまったという(…)先生の話にもなってその話を(…)くんは(…)先生から聞いたといった。自殺したのは父親のほうの(…)先生であり(…)が英語学科の学生だったときに日本語を学んだのもやはり父親のほうの(…)先生であって(…)は彼のことをold(…)-senseiと呼んでいたが、息子のほうの(…)先生は教え子と恋仲になっていっしょに日本にもどったらしい。しかし結婚にはいたらずその後破局したとのこと。英語学科の外教もいちおうあたらしくひとり来るという話にはなっているようだけれども(…)とふたりだけではなかなかつらいだろうといった。先々学期でやめた(…)は授業中に学生のことをstupidとかidiotとかバンバン言いまくるので嫌われていたという話が出たがこれは(…)くんからではなく(…)さんから聞いたのだったかもしれない、(…)はマジで短期で気分屋だったししょっちゅう国際交流処のスタッフと揉めていたし奥さんと離婚したのもさもありなんであるし学生らにとってもきっと災厄でしかなかったのだろう。(…)もやっぱり評判がよくなかったという話であるしそういうのを聞くとおれはなかなかよくやってるよなと思う。
 それから(…)くんが少数民族だという話も出たがこれは初耳だった。苗族だというのでうちの学生では回族とならんでよく目にするやつだなと思っていると、苗族の刀である苗刀はとてもかっこいいと(…)くんはいった。日本刀よりももっと長いものらしい。クラスメイトではほかにだれが少数民族なのかとたずねるとよく知らないといいつもルームメイトの(…)くんは土家族(トゥチャ族)らしかった。(…)くんはクラスメイトの(…)さんと(…)さんが少数民族であることを知らなかった。
 教室にはこの夏卒業した学生らの卒論が印刷されて積み重ねられていたのだが、(…)さんのものだけ指導教官がまったく見たことのない教師の名前になっていたので、いったいこれだれなんだろうと学生らと話した。
 あと、途中でうんこがしたくなったので便所にいったのだがトイレットペーパーを持参し忘れていたので、しかたなくリュックに入っていた未開封のマスクで尻を拭いた。
 時間になったところで教室を出た。(…)くんのスーツケースは一階の階段下に置いてあった。それを回収して新校区に向かう。その手前でほかのふたりとは別れる。第五食堂の瑞幸咖啡に立ち寄ってみると昼に注文したやつがずっとカウンターの上に置きっぱなしになっていたのでそれだけ回収した。(…)くんはこちらの部屋を見たいといった。めんどうくさかったのでまた来学期ねというと、じゃあ来学期ルームメイトといっしょにみんなで遊びにいきますとあった。
 帰宅。すぐに寝た。二時間か三時間か四時間か忘れたが、いずれにせよこれで朝型だった生活がさっそく元どおりに狂った。五日間にわたる練習が終わったという開放感からスマホゲームを無駄にプレイしたり、モーメンツにきのう(…)さんが撮ってくれた韓国料理屋での写真を投稿したり、鹿児島の(…)さんから先生の故郷は関西ですかというので(…)地方にある(…)県だよと応じたりした。(…)さんは地図アプリで鹿児島から(…)までの距離をはかり移動手段を考えているふうだった。夏休みを利用して向こうで会えないかどうか思案しているのだった。