20230722

 10時半にアラームで目が覚めた。階下で(…)の吠える声がした。なにかを訴えるときの声色だった。両親は今日大阪までコブクロのコンサートに出かけるという話だった。階下にはだれもいないのかもしれない。(…)は庭に出たがっているのかもしれない。それで急いで下におりた。両親はまだ出発していなかった。(…)は玄関をあがることができずに立ち往生しているのだった。実家の上がり框はけっこう高い。それで何年か前、こちらが実家で居候しながらオンライン授業をしていた期間中だったと思うが、(…)の足腰もだいぶ弱ってきたしということで、ブロックを置いて階段状にしたのだった。しかしその階段があってなお最近はのぼりおりがしんどそうである。そういうわけで昨日、父が職場でもらってきた発泡スチロールの板をブロックの下に敷き、最初の段差をやや嵩増しして、二段目に足がかけやすくなるように調整したのだが、その微妙な高さの変化がどうも落ち着かないのか、(…)は自力であがれないと訴えているのだった。それなので玄関におり、お尻のあたりを後ろからかたちだけ支えてやった。(…)はひょいと玄関にあがった。こちらの支えはほぼ無意味だった。高さがいつもと変わったのでおびえているだけで、たぶん慣れたらまったく問題ないと思う。本当は玄関におりたがらなければいいのだが、玄関のたたきはひんやりして気持ちがいいらしく、夏場はきまってそこで寝たがるのだ。

 両親はスーパーで買い物だけすませていったん帰宅し、その後あらためて駅に向かった。こちらは一日中階下にとどまって食卓で作業をしつつ、(…)の面倒を見ることにした。昨日の夜、ネットで後ろ足の弱った犬のマッサージについて調べていたので、そこに記されていた通り、背骨の両サイドの筋肉をゆっくりほぐしていったのだが、首まわりや前肢周辺はけっこうほぐれている、しかしやはり機能のおとろえている後肢周辺、というよりも腰のあたりがガチガチにこわばっていて、人間と同じだな、筋肉を動かしていないとどんどん硬直してしまうんだなと思った。(…)はマッサージがよほど気持ちいいのか、こちらが手を離すたびに前足をすこしだけお手するみたいに動かして、もっとやれもっとやれとうながした。結果、三十分以上は続けたと思う。マッサージの最中、何度も屁をこかれた。
 昼飯は冷食のパスタ。食後、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年7月22日づけの記事の読み返し。2013年7月22日づけの記事は更新なし。(…)を迎えに羽田まで出張っているのだ。
 今日づけの記事を途中まで書いた。時刻は13時半前だった。ひさびさに授業準備にとりかかることにした。過去ログを検索してみると、最後に授業準備をしたのは6月30日とのこと。一ヶ月弱が経っている。日語会話(三)の第24課にとりかかる。これまでパスしていた課であるが、今学期からとりあつかうことに決めた。しかるがゆえに教案をゼロから作る必要がある。16時半まで教科書とネットを駆使してカタカタカタカタやった。ひとまずベースはできた。
 作業の途中、洗濯物を入れた。(…)に庭で小便をしろとうながしたが、さすがに暑すぎるのか、外に出ようとしなかった。おむつをみると、けっこうちびっていたので、あたらしいのものに取り替えた。もうすこし時間帯が遅くなったころに、もういちど庭に出た。(…)もこのときはこちらのあとをついて庭に出たのだが、庭に出るためのスロープをおりるときも、それほど急傾斜ではないのだが、後ろ足がけっこうもつれぎみだったので、父は翌日も仕事休みであるらしいし、明日の日中いっしょにスロープを作りなおすかと思った。
 その後は書見して過ごす。17時半をまわったところで(…)にドッグフードをやり、鶏胸肉をやり、サプリをやり、肝臓の薬をのませた。その後あらためて庭に出て、小便とうんこをさせた。
 『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(上間陽子)を読み終わった。著者同伴で市役所に生活保護の手続きの相談に向かうも、窓口で冷たい対応をされた少女「優歌」が、「「日本語って難しいね、半分もわからなかったよ」と泣いている」くだりの注釈として、以下のようなものがあった。

 沖縄では、いわゆる「標準語」が使用されている場合や、そこで話されている内容と心理的距離がある場合、「日本語」という言い方をすることがある。
(「キャバ嬢になること」 p.49)

 もっとも印象に残ったのは以下のくだり。

 翼の携帯電話の記録は、夫に破棄される可能性があった。でも、それぞれの携帯電話に残しておけば、もし翼の携帯電話やデータが破壊されることがあったとしても、美羽の携帯電話には記録が残る。しかも日付が残っていれば、翼がいつ、どのような暴力を受けたのかの証明にもなる。翼は美羽と一緒に、離婚に向けてひとつひとつ準備をはじめた。
 でも翼は、そんなふうにして美羽が離婚に向けて相談に乗ってくれたり、暴行を受けた自分の写真を記録してくれたことよりも、暴行された直後にアパートに駆けつけた美羽がとってくれた行動が、何よりも深く印象に残っていると話している。

 美羽は「大丈夫?」っていわなかったんですよ、「ちょっと待ってよ」って。「何するのかな?」って思ったら、「美羽も、くるされたみたいなかんじにやってきたよ!」って化粧で遊んできたから! 「一緒に写真撮ろう!」なんですよ……。そのときのそういう美羽が好きだったんですよ。「大丈夫」っていっても、大丈夫じゃないじゃないですか。あそこまでボコボコになってるから。……そのとき、笑わせてくれたのが美羽だったんですよ。一応、笑ったら痛かったんですよ。「お願い! 笑わせないで!」って。

 翼が暴行を受けた日の深夜、アパートに駆けつけた美羽は、「大丈夫?」と翼に問わなかった。それがすさまじい暴力であること、これまでその暴力を一身に受け続けてきた翼が大丈夫でないことなど、美羽には十分わかっていたからなのだろう。
 それでも、暴力が暴力として禍々しくあらわれるこうした事態に、ひとは通常、言葉をなくしてなすすべを失ってしまうものだ。助けたいと思うものと助けられたいと思うものが、どんなに同じ思いを共有したとしても、その身体に暴力を受けて、自分を否定され傷つけられて惨めな思いを抱くものと、暴力を受けず無傷であるものの身体は、それぞれの皮膚によって隔てられている。それは被害を受けたものを、ふたたび孤独に陥れる。
 だが美羽は突然、暴行直後の青あざがくろぐろと残る翼の顔のように、自分の顔にも、なぐられて青あざがあるような化粧をはじめる。そして、「美羽も、くるされたみたいなかんじでやってきたよ!」と翼に呼びかける。それまで、痛みで口を開くこともできなかった翼は、自分と同じようなあざだらけになった美羽の顔を見て、思わず笑い出したのだという。そして美羽は笑い出した翼に、「一緒に写真を撮ろう」と呼びかける。
 写真は日々の生活の記録だ。だからこれは、翼が暴行を受けた記録であるとともに、美羽がその目撃者となることを引き受けた記録でもあるのだろう。そしてそれは同時に、もう二度となぐられることのない未来が訪れることを、翼に予感させるものにもなったのではないだろうか。
 ずっとひとりで暴行を受け続けてきた翼は、何かのはずみで夫になぐられるかもしれないと怯えながら、毎日暮らしていた。そのとき翼のなかにあったのは、暴行に怯える「いま」しか見えない、時間が動かない感覚だったのだろう。それでもあの暴行を受けた日、翼は美羽に助けを求め、美羽はその呼びかけに応答して翼を助け、そしてふたりで写真を撮ることを提案した。
 それはつまり、「いま」の出来事が、いずれ「過去」の出来事になること、いままで動くことのなかった時間が、ふたたび動き出すことを翼に予感させるものだ。そしてその写真は、暴行された翼と暴行されたような化粧をした美羽とふたりで写した写真なのだから、それは、いずれふたりで乗り越えてきた過去の記録にも変わっていく。だから翼は、美羽との写真を撮ることで、きっとこの先には、「いま」とは異なる地平が広がっていると感じることができたのだろう。
(「記念写真」p.85-88)

 夕飯は昨日のカレーの残り。食後、(…)のマッサージをまた三十分ほどしたのち、入浴。あがったあとは、コーヒーを飲み、なぜか冷蔵庫に十本単位で備蓄されているデカビタを飲み、『野生の探偵たち』(ロベルト・ボラーニョ/柳原孝敦・松本健二訳)の続きを読み進める。玄関で居眠りしていた(…)が、しばらくたって部屋にもどろうとするも、ブロックでこしらえた段差をうまくあがることができず戸惑っている気配がしたので、そちらにたっていって後ろから尻を押して補助してやったのだが、その際に前足までくじきかけたようにみえたので(そしてその後、その前足が痛むのか、やたらとなめていたので)、玄関もブロックでこしらえた階段ではなく庭と同様スロープを設置したほうがいいんではないかと思った。しかし庭と違って玄関はスペースがせまいし、仮にスロープを設置するとしてもかなり急傾斜になってしまうわけで、そうするとどのみち危ない。だったら玄関がお気に入りの(…)には悪いが、(…)の家の階段先にもうけられていたようなベビー用品の柵かなにかを買って、(…)が玄関におりられないようにしたほうがいいかもしれない、(…)は気を悪くするかもしれないが後肢がほぼ機能せず前肢だけで歩いている現状、なにかの拍子にその前肢まで痛めてしまったらそれこそ寝たきりになってしまうわけで、最優先事項は前肢の保護なのだ。そういうわけでAmazonでスロープだの柵だのをいろいろにチェックした。
 両親が帰宅したのは23時をまわっていたのではないだろうか。ドームではない小規模なホールの前のほうの列だったので楽しめたとのこと。庭のスロープと玄関の段差について相談する。庭のスロープは明日作り直すことに決まった。玄関の段差は高さをいろいろに調整してみたのだが、どうやってみても(…)には負担がかかるようだったので、結局、柵をポチることに(明後日月曜日に届く)。お土産の菓子を食い、それだけでは足りないので袋麺も食った。両親は堺でおにぎりみたいな寿司あるいは寿司みたいなおにぎりを食ったという。おにぎりのように米を丸めているのだが、上には寿司ネタがのっかっており、のみならずシャリのなかにもおなじネタが入っているという代物で、それが四つとあさりの味噌汁がついたセットで800円ちょっとだったというので、えらく安いなと思った。父がテレビをつけるとちょうど27時間テレビがやっており、火薬田ドンが出ていたので、それだけみた。火薬田ドンを見るたびに『吾輩は猫である』に出てくる「大日本女子裁縫最高等大学院」の校長「縫田針作(ぬいだしんさく)」を思い出す。
 歯磨きをすませて寝室にあがり、書見を続けて就寝。