20230725

 10時半にアラームで起きた。階下におり、歯磨きし、めだかに餌をやった。めだかの鉢にはまたアシナガバチが、それも二匹も来ていた。たぶん水を求めているのだと思う。めだかはこちらの気配に警戒しなくなった。指先を水面に近づけると、餌をもらえると思って近づいてくるようになった。

 CA4LAのニットベレーが届いた。はやい。ポチって一日か二日しか経っていないのではないか。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年7月25日づけの記事を読み返した。以下、初出は2020年7月25日づけの記事。

(…)くんが日記でこちらの不安障害について触れているのを見てふと思い出したのだが、あの当時のじぶんには「死ぬ」という概念がほぼなかった。というかありとあらゆる場面における「死ぬ」がすべて「殺される」によって取って代わられていた。つまり、交通事故で死ぬのではなく交通事故で殺されるのであり、病気で死ぬのではなく病気で殺されるのであり、老衰で死ぬのではなく老衰で殺されるのである——「死」を自動詞として受け入れることができず、すべて他動詞「殺す」の受動態というかたちでしか認知することができない、そういう状態に当時のじぶんは陥っていた。そのことを思い出した。

 父が帰宅した。職場から焼きそばとからあげを持ち帰ってきたので朝昼兼用のメシとした。食後は(…)メガネへ。いま使っているめがねはかれこれ15年ものであるし、装飾が一部欠けていたりもするので、ぼちぼちあたらしいものを買おうかなという気持ちになっていたところ、母も中・近両用のめがねが欲しいということで、それじゃあ店にいくかという話に前々からなっていたのだ。買い物には弟もついてきた。弟はつい最近その店で六万円だか七万円だかするサングラスを買ったばかりだが(両親のおごりだという、たいした身分だ!)、今日は母のめがねをチェックするためについてきた。母はじぶんでめがねを選ぶことができない(どれが似合っているかじぶんで判断することができない)、そこでいつも弟に助言をもらうようにしているらしい。
 店に向かう車内で(…)の話になった。いつごろからの習慣であるのか知らないが、毎月一度、兄一家が実家にやってきてみんなで手巻き寿司を食うというイベントがあるらしいのだが、その日程について、出かける前に母が(…)ちゃんと電話して相談していたその通話のなかで出た話題として、(…)が実力テスト的なもの、詳細はよく知らないが過去一年間の履修範囲を対象とするものか、あるいはひょっとすると小学校に入学して以降習ったすべての範囲を対象とするものかもしれないが、そういうテストを受けたところ、国語で98点という高得点を叩き出したらしい。うちの血やなと母はいった。まあ、そうかもしれない、こちらも高校入学直後に受けさせられた全国模試的なテストで満点をとったおぼえがある。現代文の試験についていうと、問題文として採用された文章の著者がその試験を解いてみたところ満点がとれなかったみたいなエピソードがたびたび語られるし、文系は作者の気持ちでも考えてろ的な揶揄もしょっちゅう飛び交ったりするわけだが、なぜあんな簡単なものが解けないのか、逆にこちらは理解できない、あれは出題者のほしがっている答えを導きだせばいいだけのものであってそんなものは一瞬でわかるじゃないかとつねづね思っていた(比喩的にいえば、数学のような明晰さで答えが導きだされるものばかりだ)。(…)のほうは、これはたしか担任の教師の評言だったと思う、もしかしたら(…)ちゃんだったかもしれないが、試験で実力を出し切れていないみたいな話があった。(…)はどちらかといえばわんぱくの調子こきの楽観主義者であるのだが、(…)のほうはもっとずっと慎重で、たとえば夏休みの宿題で暑中見舞いを出すというのがあったらしいのだが、暑中見舞いの期間に入ると同時に急いで葉書を仕上げてその日のあいだに投函するという感じらしくて、たぶん時間にルーズだろう(…)とはそのあたりの感覚も全然違う。ちなみにその暑中見舞いのはがきが今日郵便受けに届いていたのだが、宛名の字がめちゃくちゃうまくてびっくりした、これ小二の字ちゃうやろと思った。小学校三年生のとき、はじめておなじクラスになった(…)のことをふと思い出した、(…)の字はマジで死ぬほどうまかった、ひとりだけ大人の字を書いていた、教室の後方にはりだされた「今学期の目標」的な自筆のアレを見たとき、ほんとうに腰を抜かしかけたのをいまでもおぼえている。だからなのかもしれないが、こちらは当時すぐに彼女のことを好きになった。いまはどうか知らないが、こちらが小学生だった当時、男子は足が速ければモテたし、女子は字がうまければモテた。あの現象、いったいなんやったんや?

 (…)ちゃんとの通話のなかで聞き知ったことらしいが、兄がまたいろいろとホラを吹いたり話を盛ったりしているという話題もあった。小学生のころ宿題をしていないとメシを食わせてもらえなかったとかなんとか言っているようだというので、あることないこと吹きに吹きまくることで苦労人面して他人の気をひこうとするいつものパターンやんけという感じであるのだが、ただ(…)相手にそう語ったあと、そういう厳しい教育があったからこそじぶんはもともとあたまがよくなかったのに勉強がある程度できるようになったのだと続けていたらしく、それを聞いた父からは、それやったらまあいちおうおまえの顔も立つんやしええやろと言われたと母はいった。ちなみに、その話を聞いた(…)は母について、バアバいつも優しそうやのにほんとはこわいんかなと口にしていたとのこと。ちょっと笑った。
 どこかで聞き知ったことをすべて自分の体験として語る兄のやり口は(…)時代の同僚である(…)さんとまったくおなじであり、ただ(…)さんはマジで虚言症のレベルに達していたという意味でひとしくとりあつかうのはちょっとアレかもしれないが、しかしふたりとも年がおなじこともあって(…)さんが2ちゃんねる系のまとめブログで得た知識を自身の体験談として(その記事おれも昨日寝る前にちらっと見たぞみたいなことがわりとしょっちゅうあった)、飲み屋で知り合った業界関係者から教えてもらった裏情報として、裏社会の人間から流してもらった秘密の話として意気揚々と語っているのを見るたびに、こちらはいつも兄のことを想起していた。まだこちらが学生の時分だったと思うが、兄が地元から京都まで車で送っていってくれたことがあり、そのとき兄の友人である(…)も同乗していたのだが、なにかの拍子に、当時こちらの住んでいる部屋が寒すぎて冬場など室内にもかかわらず吐息が白くけぶるという話題になった、それに対して(…)が大受けしていたのだが、たぶんそこでじぶんも苦労人であることを印象づけたくなったのだろう、当時のこちらはそうした目論見などはなくただ事実を事実として語ったにすぎないのであるが張り合いがはじまり、じぶんも名古屋に住んでいたときは相当苦労していてみたいな話がはじまり、食うものがなかったのでティッシュにマヨネーズをつけて食ったみたいなエピソードを語りはじめたのだが、それは前日、テレビに出演していた芸人が若手時代のエピソードとして語っていたものだった。パクるならパクるでせめてもうちょい時間を置けよとこちらは内心ひそかにぞっとしたのだが、そういう軽はずみなやらかしを兄はわりとしょっちゅう平気でやらかす。とはいえ、内容がそういう罪のない盗作というかパクツイみたいな話であればまだいいのだが、政治に関する話題になってくると話は別で、いまはどうだか知れないが、一時期は本当に典型的なネトウヨとしかいいようのない、それこそ高須クリニックの院長が口にしていそうなことをそのまんま口にしているありさまであってマジで死ぬほどうんざりした、さすがにいまはそこまでひどくないと信じたいのだが(「保守」であれば対話も議論も可能であるが、「ネトウヨ」相手にはまともな論理や資料の提示がほぼ通じない)、どこかでききかじった話をタメも消化もなく右から左に自分発信の情報として流してしまう、ああいうやばさが政治の次元で発揮されたら相当まずいことになるんではないかとむかしはけっこうやきもきした。だからその当時、こちらがまだ大学を卒業するかしないかのころだったと思う、なにかの拍子に、マルクスを数ページだけ読んだがそれですぐにこいつの言っていることは絵空事だとわかったと兄が言い出したことがあり、それはつまり、マルクス共産主義=お花畑みたいなきわめて低レベルな連想ゲームにもとづく放言だったのだろうが、そのときこちらは、当時兄はすでに就職していたしいずれはそれ相応の立場にもなるのだろうし、となるといまは中学や高校時代の元ヤンたちとしか交流がないから知ったかぶりも虚言も周囲に指摘されずうまくいっているかもしれないが、これから先、それなりに教養のある立場の人物相手にこんなことばかり口にしていたら大恥を掻くんじゃないか、相当まずいことになるんじゃないかと心配になり、それでまず、マルクスのなにを読んだのかとたずねると忘れたという返事があり、代表作は『資本論』だがと続けるとそれだというものであるから、ではその『資本論』の第一巻を読んだということであるのだなと『資本論』が膨大な書物であることをにおわせつつ応じ、『資本論』の第一巻では共産主義についてなどほぼ書かれていない、内容としてはほぼ経済学の話題に終始している、商品と貨幣の関係についてが主たる内容だったはずと、相手のプライドを損ねないように言葉をつくして、というのはつまり、相手に教え諭すかたちではなく、おたがいとっくの前に了承済みの知識を再確認する口ぶりで説明したのち、現代の聖書なんて呼ぶひともいるみたいだからと締めたのだったが、こちらとしては別にマルクスに対する理解をあらためよというつもりなどは全然なく、ただ知ったかぶりをひかえてもらいたかった、もっというならまとめブログで見聞きした知識のクソをさもたいそうなものであるかのように語るといずれ恥を掻くかもしれないと意識してもらいたかった、要するにここらでいっちょう去勢してくださいなというアレだったのだが、それからたしか一週間ほどたったころだったと思う、兄とふたたびふたりで車にのるきっかけがあったのだが、その際にまたマルクスの話題が出た、兄はそのときこちらにむけて、まあマルクスの著作も現代の聖書って言われとるくらいやしなと口にした、それもこちらに教え諭すような口ぶりだったので、あのときはさすがにこれどうすりゃええねんとあたまを抱えたものだった。まず、こちら経由で知った情報をこちらに教え諭そうとするその身ぶりにぞっとした、それにくわえてその身ぶりからおのずと推測される日頃から情報のリソースを気にとめていないだろう構えのようなものにぞっとした、さらにそうして知った情報をなんの抵抗も精査もなく我が物顔で語ってしまえる軽率さにぞっとしたし、なによりも、なんでもかんでも知ったかぶりをしないほうがいい一丁噛みをしないほうがいいいずれ大恥を掻くことになるぞというこちらの心遣いから出た牽制の言葉が、その意図をまったくくみとってもらえず、ただただもっともキャッチーな表現である「現代の聖書」というところだけ切り取られたうえに、ほかでもない知ったかぶりの放言の材料としてあらたに使われている、その現実にぞっとした。
 これもいまから15年近くは前の話であるし、さすがに四十歳をまわったいまもなおこれほど軽率であるということはないと思うのだが、ただ15年前のじぶんには理解できていなかった点がひとつあった、おおきな誤解がひとつあったことはたしかで、それは、ビジネスの場である程度高い役職にいるひとたちが必ずしもその立場にふさわしい教養の持ち主ではないということだ、それは最近の政治家を見ていても同様であるのだが、たぶんいまほどSNSが一般的ではなかったからだろう、そういう人種の言説に触れることが当時はまだ少なかったからなのだろう、だからこちらはある意味「お花畑」だったといえる、政治家になるのであれば、社長になるのであれば、役員になるのであれば、それ相応の教養をもっているだろう、エスタブリッシュな良識をたとえ体面だけのものにしかすぎなかったといても必要最低限はもちあわせているだろう、そういう幻想を抱いていた。でも、現実が全然そんなふうでないことは、いまの時代だれだって知っている。この社会は想像以上にひどい大馬鹿ものたちによって牛耳られている、知の衰弱がすみからすみまで行き渡ろうとしている。陰謀論者はすぐにこの社会の黒幕を設定したがるが、黒幕があるのだとすればそれはほかでもないこの知の衰弱だろう。
 (…)図書館へ。予約していた『ヤンキーと地元』(打越正行)はまだ届いていない。(…)図書館にあったものを(…)図書館に取り寄せたはずだったのだが、そして母がいうには今日火曜日が図書の移動日であるはずだというのだが、なにかトラブルがあったのだろうか? 母がいうにはときどきこうした図書の移動し忘れが生じるらしい。今日こそ読めると思っていたのに残念。
 セブンイレブンへ。7万円×2回をATMでおろし、弟と母の分もふくめて飲み物を買う。その後、(…)めがねに移動。せまい店内にもかかわらず、先客がふた組もいたので、ちょっとおどろいた(そのうちのひとりは、地元ではあまり見かけないような、派手な柄シャツに口髭をたくわえた——と書くとまるでじぶんのようであるが——若い男性だった)。めちゃくちゃ迷った。こちらはもともといま使っているめがねとはまったく別種の、フレームが細くてレンズが丸くて装飾もひかえめな、一歩間違えるとおじいちゃんが使っているようなめがねをあえて購入し、それに金属のチェーンを垂らそうという画策していたのだったが(そういうタイプのめがねを買おう買おうとしてすでに四年ほどになる)、そして実際そういう使い方のできそうなめがねも見つかったのだが、それとは別に、いま使っているめがねと配色は同じ、つまり、黒と茶色と金色がベースになっているものの、いま使っているものとはちがってレンズが丸く、またレンズの下半分にフレームがないというものがあり、それがめちゃくちゃしっくりきてしまった。で、たぶん、小一時間ずっとそのふたつのめがねをかけたりはずしたりかけたりはずしたりしていたと思う。母は母で、弟の助言を受けながらあれこれ試着(?)したのち、これかこれかなというふたつにまで候補をしぼったようであるがなかなか決めきれず、結果、ひと晩置きましょうかと店のひとからすすめられることになった。そういうわけで、明日は店舗の定休日らしいし、明後日また出直しますと店を出た。マジで時間をかけすぎた。
 店は夫婦で切り盛りしている。たぶん四十代ぐらいだと思う。奥さんのほうがわれわれ一家を担当してくれたのだが、こちらが中国で仕事をしている人間であるとおぼえてくれていたらしく、どうでしたかむこうはというので、ゼロコロナ政策撤廃が突然決まったときの現場の混乱っぷりはすさまじかったですといつものように答えたのだった。
 帰宅。『野生の探偵たち』(ロベルト・ボラーニョ/柳原孝敦・松本健二訳)の続きを読み進める。(…)から以前送られてきた(…)とこちらがたわむれている動画がどうしてもダウンロードできない、端末の容量がいっぱいになっていますと表示されるのだがストレージを見るとそうでもない、それでもいちおうなにか問題があるのかもしれないと思ってスマホのなかにたまっている不要な写真や動画をざくざくと削除していったのだが、やっぱり結果は変わらず。再起動しても無意味。ふつうに動画を送ってもらえれば保存できるのだが、「ノート」にまとめられている動画は保存できないっぽい。LINEは滅多に使わないのでよくわからん。その(…)から夜、来月の12日に(…)のところも誘って川遊びにいこうという提案があったので、これは了承した。中学生のころから大学卒業後しばらくのあいだ、夏は毎年かならず川で泳いでいたものだが、その習慣もいつのまにか自然と消滅していた。最後に川遊びをしたのはいつだろう? もしかしたら(…)といっしょにキャンプした10年前になるのではないか? いや、それはないか。(…)といっしょに河原で(…)を吸いまくった記憶もあるし、弟といっしょに『シェンムー3』の開発が決まったなという話題を川のどまんなかにある岩場にあがったところで語りあった記憶もある。これを書いているいま調べてみたところ、『シェンムー3』の開発が正式に発表されたのは2015年のE3らしく(FF7のリメイクも発表された回だ)、となると8年前になるのか。
 長谷川白紙のインタビュー記事「長谷川白紙が語るフジロック、比類なき音楽家が辿り着いた新境地」(https://rollingstonejapan.com/articles/detail/39718/1/1/1)がおもしろかった。特に以下のくだりとか、小説における事後的に生成される語り手の存在論的次元(身体)にもひきつけて考えることができる。

長谷川:ええ、非常に意識していると思います。身体の問題がやはりあるんですよね。ジュディス・バトラーではないですけど、常に重要なのは身体である、というのがわたしの主軸として強くあって。さっきわたしが複製芸術というものを強調して言った理由のもう一つに、複製芸術が身体を仮構するというのがあります。聴取者のなかに、実際とは違う想像上のアーティストの身体、というものを常に構築するよう促すと思うんですよ。わたしは、その構築される身体、というものも最大化したいという欲求があって。そしてこれは、聴取者がいればいるだけ、その数だけその現象が起こるというふうに感じているんですね。もちろんこれは、少なければ何をしていいとか、多ければ当てにいくべきだとかいう論でもないんですけど。なるべく多様な観点、わたしが独りで準備できるようなものではない観点から、逆説的にわたしの身体の撹乱を引き起こす。そのためには、ある種のポップ性が非常に重要ということは理解していますし、サウンドデザインやアルバム全体の構造でもそれを提示できるように思っています。

 (…)を連れて(…)へ。庭から外に出すためにスロープをおりるわけだが、スロープは一部が人工芝で覆われている。で、その人工芝がどうやらかなりすべりやすいらしく、(…)はそこにさしかかるたびに毎回足をすべらせる。今日もそうだった。それで「わっ!」となっているときに、母が、じぶんは人工芝ではすべりやすいからだめだと以前から言っていた、それなのに父が……みたいな話をしはじめるので、かなりイラッときた。母は毎回、周囲の人間がなにか失敗をしたり、ミスをしたり、あるいは不都合な事態が生じたりすると、じぶんは前々からその点について指摘していた、しかし◯◯が……ということをほとんど反射的に口にする癖がある。その後出しの責任逃れが毎回かなり鬱陶しい。実際にそう気づいていたのであれば、そのときそう強く主張すればいいものを、実際はそこまではっきり口にするわけではない、母がみせる態度というのはAとBのあいだのどっちつかずな優柔不断さで、しかし結果、Aが誤りであったことが判明するなり、じぶんはBをずっと推していたみたいなことを平気で口にし、決断を下すというコストを支払っていた当事者を猛烈にイライラさせるのだ。このときにしたところで、こちらは(…)が足をすべらせてその場にへたりこんでしまったそのことをたいそう心配に思ってひやひやしているのに、母は二言目にはスロープを作りなおした父を責める言葉を口にして、それでひさびさにめちゃくちゃカチンときてしまった、それやったらじぶんでホームセンターで材料そろえて作ればええやろ! と声を荒げてしまった。もう七十近い相手であるのだし、いまさら性格の凝り固まった箇所なんて変わりようがほぼない、だからあれこれ指摘しても無駄でしかないんだろうが。
 (…)へ。駐車場の周辺を軽く歩くのみ。しかしあらたな出会いがあった。遠くからショートカットの女性の連れたトイプードルがやってくるなと思っていたのだが、まぢかで見たらトイプードルではなかった、耳がおおきく垂れていた。トイプードルとキャバリア——初耳の犬種だ——のミックスらしかった。(…)くん5歳。かなりひとなつっこく、こちらが触ろうとしても全然逃げようとせず、なされるがままだった。小型犬であるので、(…)との相性も問題なかったのだが、なぜか途中で、(…)くんのほうが一瞬だけうなるという一幕があった。大きさは(…)と同じくらいだろうか。先方も(…)とは二度ほどここで会ったことがあるといった。
 帰宅。入浴し、ストレッチし、コーヒーを淹れてから授業準備。日語会話(三)の「(…)」資料を改稿する。先学期の授業ではなかなかけっこう楽しめたわけだが、もうちょっとしっかりとした型を作っておいたほうが学生らもやりやすいかなというわけで、そのあたりをしっかり補強。
 夜食は冷食のパスタ。(…)さんから微信。班导に選ばれなかったという。選ばれたのは(…)さんと(…)さんのふたり。来学期は日本語学科も二クラスになるわけであるし、班导もそれにあわせて四人になるという話だったと思うのだが、結局、例年通りふたりになったらしい。そもそも希望者が複数いる場合、どういう仕組みで選出することになるのか知らなかったので、その点たずねると、「指導員(B201)の先生だそうです」という返事。どうやら事務員が一方的に選ぶらしい。(…)さんはボランティアチームに所属したり課外活動にも熱心な分、事務員からのおぼえもめでたく選出されたのも理解できるのだが、成績も決して優秀というわけではない、そもそももともと他学部の学生だった(…)さんが選ばれた理由がわからないというので、事務員の一存で決めるのであればせめて基準をあきらかにしてもらわないと納得はできないよねと受けると、「これが中国の先生ですね……」という反応。いわゆる关系(コネ)というやつだ。(…)然さんは相当立腹しているふうだった。最初はひかえめに理不尽を訴える調子だったが、こちらが同情的な反応を見せたからだろう、事務員に対する敵意をしだいに明確にしはじめ、それだけなら別にかまわないしむしろ正当な怒りだと思うのだが、(…)さんに対するいらだちも徐々に表明しだし、あげくのはてにはもし彼女らから助けをもとめられてもじぶんは手伝いはしないとまで言い出すものだから、やれやれと思いつつ、学生らには罪はないよ、おかしいのは事務員の先生と大学のシステムだよと、やんわり制した。(…)さんはまだほかのクラスメイトが班导に興味を持っていなかったときからずっとやりたいやりたいと言っていたわけであるし、学生会に所属しているし成績は優秀であるしスピーチコンテストでも作文コンクールでも賞を受賞しているし、スコアの面ではまったく申し分のない逸材である。それに、これはあくまでもこちらの考えであるが、最近は東北のほうからやってくる学生の数も増えてきていることであるし、仮に班导がふたり必要なのだとすれば、ひとりは(…)省の学生、もうひとりは省外の、できれば東北地方の学生にしておいたほうが、新入生らにとってもいろいろ都合がいいのではないかと思うのだが、ま、そういう気遣いや配慮などゼロにひとしいのがあの社会なのだ。(…)さんは自分が班导に選ばれなかった理由として「私は管理されにくいと思います」といった。「まあ、確かに教師に対して従順な学生のほうが、教師にとっては都合がいいのかもしれない。中国の学校はとにかくルールが多いし、とても厳しいから。もしかしたら、担当の先生は君のことが怖いのかもしれないな。「自由な学生!私の命令に全然従わない!」みたいに思っているのかもしれない」と受けると、「自由な学生!私の命令に全然従わない!」とはまさに事務員らの自分に対する印象だと笑っていうので、「でも、ぼくはそういう学生のほうが好きだよ!」「これまで仲良しになった学生は、だいたいみんなそういう性格の子たちだったからね」といった。(…)さんは外国語学院が日本語学科よりも英語学科のほうばかり優遇することにたいしてたいそう腹を立てており、そのことでしょっちゅう事務員らに不平不満を訴えている、そのことで事務員らのおぼえがめでたくないのだといった。「いずれにしても私は不平等に対する態度を変えません。」「結局私は自分の性格を変えることができません。」「私が班导をするために嫌いな先生と仲良くなれば死んだほうがいいです」と続いたので、変わる必要はない、そのままでいいよと応じた。もし班导に選ばれなかったらその分時間がたくさんできる、そうなったら先生といっしょにたくさん散歩しますというので、来学期になったらまたいっしょにご飯を食べて大学の近くをぶらぶらしましょうと受けた。
 歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェック。今日づけの記事も途中まで書く。1時になったところで中断し、間借りの一室にあがり、『野生の探偵たち』(ロベルト・ボラーニョ/柳原孝敦・松本健二訳)の続きを読み進めて就寝。