20230809

 10時半起床。階下に移動し、歯磨きしながらニュースをチェックし、めだかに餌をやる。先取りして書いてしまうが、今日も終日降ったりやんだりをくりかえしていたし、夜にはいかにも台風めいた生温く厚みのある風が幽霊みたいな音をたてながら吹いていた。父はまたエンジェルスの試合を観戦していたが、2回だったか3回だったかでリードしていたはずが、その次の回ですぐに点をとられて追いつかれそうになっていたので、疫病神が観戦するから七連敗もするのだ、試しに観戦するのをやめてみればいいといった。
 それで今日の昼食は(…)にある(…)という和食屋でとることになっていたので、正午には家を出たのだが、道中、エンジェルス戦の結果をスマホで確認してみたところ、本当に勝利して連敗を脱していたので、やっぱり! (…)の呪われた血が問題やったんや! となった。一時間の道中の半分ほどをうつらうつらして過ごした。
 店に入る。建物の一階外観は和風のカフェっぽいたたずまいをしているのだが、二階部分は完全に生活感があるふつうの家屋という感じ。こちらがおとずれるのははじめてだが、家族は何度も来店しているようす。兄が(…)ちゃんと結婚することに決まった際、親同士の対面の席もここであったらしい(しかもその際、なぜか弟も同席したとのことであるが、弟はこちらと違ってとにかく食に対する興味と好奇心が尋常でないぐらい強いので、たぶんタダでうまいもんを食えるのであればどんな席であってもというあたまだったのだろう)。席も料理もすでに予約してあるとのこと。
 掘りごたつの座敷に通される。座敷には全部で三つのテーブルがあり、ちょっとした庭先に面していた。となりのテーブルとのあいだには衝立障子が設けられている。うんこがしたくなったので便所に行った。もどってくるころには前菜が運ばれてきていた。湯葉のなんとかと、ぬたのなんとかと、サザエっぽいけどサザエでない巻貝のなんとかが、細長い皿にちょこちょこのっかったやつ。その次が茶碗蒸しとさわらの塩焼き。その次が茄子の田楽。その次が寿司。総じてうまかったが、両親と弟によれば、ランチのセットにしたほうがずっとボリュームもあって値段もお手ごろとのこと。今日ランチのセットにしなかったのは、いつもそのセットばかり食べているのにくわえて、ランチには握り寿司がついていない、しかるがゆえに握り寿司付きのセットにしてみてどんなものか試してみたかったからとのこと(母は食が細いのでひとりだけコースではなく特上にぎりを単品でオーダーしていた)。寿司はうまかったが(ネタよりもシャリの旨さがきわだっていた)、通常のランチセットに1500円以上上乗せしてまで食べるほどではない。あと、デザートのクオリティがけっこうアレだった。業務用スーパーで売っているわけのわからんゼリーを正方形にカットしたものを小鉢にのせただけという感じで、あれを出すくらいであればむしろコースにデザートはつけないほうがいい、あれのせいでむしろ格が落ちてしまうと帰路父は口にした。
 スーパーに立ち寄る。こちらはひとり車内に残って書見していたが、途中でまたうんこがしたくなったので、父に車にもどってきてもらい、入れ違いで店の便所に駆け込んだ。そのタイミングで出た話であったか忘れたが、まだこちらが保育園に通っていたころだったと思う、父が職場に検便を提出する必要があったのだがどうしても便秘でクソが出なかった、その父の代わりにこちらがわざわざおまるにまたがって全力でふんばってクソのかけらをひねりだしたことがあって、そのとき「でかした!」というわけで2000円をもらった。いまおもえば、あれが人生ではじめて自力で金を稼いだ瞬間だった——そういう話をすると、当時のことをよくおぼえていた母が爆笑した。
 その後、セブンイレブンに立ち寄って7万円×2をおろし、アイスコーヒーを購入し(両親の分もおごった)、最後にコメリにたちよって(…)のためのおやつを買った。芋のおやつで、一袋で598円もした。今回の日本滞在中、(…)のためにいったいいくら使っているだろう? 三万円ではきかない気がする。
 帰宅。(…)におやつをやり、食卓できのうづけの記事の続きを書き進める。17時ごろだったろうか、生命保険の担当者がうちにやってきたのだが、うちの担当であるという若い男の子ひとりだけではなく、五十歳くらいの男性もいっしょだった。名刺によれば、そちらは営業所長らしい。(…)は例によって最初だけ吠えたが、ふたりがうちにあがるとすぐにおとなしくなり、かまってほしげになった。父はすでに部屋にあがって仮眠をとっている最中だった。保険はこちらと弟にかけられているものだが、契約者は父の名義になっていたので、解約するにはその父が同席する必要があるらしい。ハンコぼくが代わりに押すんではダメですかねというと、それではダメだという返事があったので、とりあえず保険はぼくにかかっているものですし、まず説明だけはぼくがききますんで、サインなりハンコなりが必要になったら父を呼びますねと応じた。それで食卓に四人座る。母にはあらかじめこちらがもろもろ対応すると伝えてあったし、そういう空気を出して担当者ふたりとの会話も引き受けていたので、自然と資料はこちらの手元に開陳されることになった。話が長くなるのもバカバカしいので、最初の最初で、こちらは普段海外で仕事をしている、いまは一時帰国中である、じぶんにかかっている保険がおもいのほか高額であることを知って今回解約しようと思った、そもそもこちらは独身であるし遺産を残すべき相手もいない、病気になって治療費に悩まされる可能性も当然あるだろうが年齢を踏まえて考えるとその可能性は小数点以下のレベルになるので高額医療保障だけで十分であると考えている、弟もおなじだと、だいたいにしてそのように語った。営業所長のほうが資料をパラパラめくりながら、死亡時のほうはたしかにそうかもしれないといいつつ、しかしこの保険には資産運用の側面があると語りだした。こちらが入っているプランは三つくらいあるようなのだが、死亡および病気時にうんぬんというものは基本的にかけ捨て、しかし月額10000円のうち4000円をしめているのが障害を負った場合に支払われるというやつで、これについては10年以上支払いを続けた場合にかぎって解約時に満額返済されるというシステムらしかった。とはいえ、絶対に満額返済されるというわけではなく、かけた金で投資運用するという仕組みであるので、もちろんそのときの株式事情によっては満額返ってこない可能性もあるとのこと。現時点ですでに2年ほど支払っているのだが、仮にいま解約するとなると、これまでにかけてきた金額のうち7万円ほどが無駄金という扱いになるらしい。営業所長はせめてこちらだけでも残してもらえればといった。仮に障害を負った場合にいくら支払われるのかとたずねると、一括で200万円という話だったので、じゃあいらないですねと応じた。月々で出るという話であればまだしも一括で200万円というのはいくらなんでも少なすぎる。営業所長はその後も「資産運用」という言葉を使ってなんどかこちらに翻意をうながそうとした。銀行にただあずけているだけの利息よりも、保険会社に金をかけてそれで運用してもらったほうが、たぶんいわゆる期待値みたいなものが見込めるというアレだったと思うのだが、でもそれだったら投資会社にお願いしたほうがいいですよねと母が横から割って入ったので、いやそりゃそうやけど、こっちは保険も込みでの話なんやからさ、となぜかこちらがフォローするはめになった。営業所長は苦笑を浮かべていた。もうひとりの若い担当者は、たぶんこちらが最初にばばばっと話した時点で、あ、このひとはもうダメだ、というあたまになったのかもしれない、あとはひたすらニコニコしながらこちらの話をきいたり、(…)について母と話したりしていた。「資産運用」という言葉を営業所長が何度目かに口にした際、でもね、ぼくそもそも運用するような資産なんてないんですよといった。金も全然興味ないし、結婚もする気ないし、家も車も興味なくて図書館とコーヒーさえあれば別にもうなんでもいいんですよといった。この時点ですでに中国の大学で働いているという話はしていたのかもしれないが、大学を卒業したあとから中国に渡るまでのあいだは京都で家賃一万円代のアパートで生活しながら一週間に二日だけバイトする生活を10年くらい送っていたんですと続けたのち、仮にまたこっちにもどってくることになったとしてもおんなじような生活を続けるつもりですし、だから資産運用の面でも銀行にあずけるよりこっちにお金をかけておいたほうが賢明ってのもわかるんですけどそういうレベルの生活を送ってないですし送るつもりもないですから、そもそも生命保険ってこれぼくみたいな人間を対象にしたものとちゃうと思うんですといった。すると、この子ね、ほんとにこんな子なんです、と母が笑いながらいった。営業所長はひきつづき苦笑を浮かべ、若い担当者はめずらしいものでも見たというようにあかるく破顔した。若い担当者はすでに仕事とは関係なく、次の手を打つに打てない営業所長をよそに、京都時代の暮らしや中国での生活、日本語教師という仕事内容などについてあれこれ質問した。こちらも答えた。結果、保険うんぬんの話よりも雑談のほうがずっと多い流れになった。その過程で営業所長もあきらめた。(…)さんは、とこちらの名前を口にしたのち、非常に個性的な価値観を持たれているようで、と続けるのに、母と若い担当者が爆笑した。それで終わりだった。解約に必要な手続きもろもろがあるし、押印なり署名なりはやはり父当人が行う必要があるらしかったので、また資料をそろえて出直してきますとふたりはいった。これ解約することで査定に悪い影響とか出るんですかとふみこんでたずねると、ふたりともややうつむき、うーんとそろって苦笑を浮かべた。でもこれ契約したときは別の方が担当やったわけで、契約締結したときはそっちプラスんなって、そのひとやめて仕事引き継いで解約なったときだけマイナス査定になるってちょっとしんどないですかというと、ふたりともまあまあまあとお茶を濁した。
 弟がまた結婚でもすることがあればお願いしますというしかなかった。若い男性はぜひと笑った。その弟についても、高校卒業後から去年までずっとニートだったので、それこそ資産がうんぬんというレベルの話ではないのだと正面切って伝えたのだったし、そういう話もろもろを、たぶん立場的にそれほどあたまを悩ませる必要がないからだろう、若い男性のほうはやっぱりニコニコしながら、めずらしいもの見たさというのか、変にひいたりせずあれこれ質問してくるので、そういう意味ではかなり話しやすかったし、好印象をもった。ふたりぶんもいっぺんに解約なんてちょっと申し訳ないですねというと、営業所長はいえいえと言ったのち、まあ(…)さんのような価値観、違った価値観をお持ちの方であれば、たしかにこういうのは必要ないかもしれないですとふたたび口にした。母はこの「価値観」という言葉を気に入り、その後、父や弟の前で何度も口にした。こちらはなんとなく、大学卒業直前にたった一社だけ採用試験を受けた京都の広告会社「(…)」のことを思い出した。コピーライター部門とデザイナー部門の二刀流で最後のひとりに残ったのだが(もうひとり残っていたのは営業部門志望の男の子だった)、選考過程でいろいろ作ってみた感じ、やっぱり広告って芸術に比べたら全然おもしろくねえなと思ったので、その旨正直に社長に伝えたところ、個人で人事コンサルタントとして他社の面接に同席していたりもする自称「人事のプロ」であるその社長から、(…)はもう会社で働かないほうがいい、人事のプロとしてこんなことは普段絶対に口にしないしおまえ以外の人間だったらいまの社会状況でフリーターになれなんて絶対に言わないけど、(…)はそれでいい、好きに生きたほうがいいと言われたそのときの印象が、営業所長の「価値観」のくだりからよみがえったのだった。まあ、あの言葉はもしかすると、選考過程で受けさせられた職業適性テストとか性格診断テストとかああいうものの結果を踏まえての発言だったのかもしれないが。社長は声がでかくて豪快なひとで、テストの結果が出た日、営業部門で最後のひとりに残った(…)なんとかくんといっしょに着席したこちらの前で、おれもコンサルでさんざんこのテストの結果たぶん10000人以上見てきたけど、(…)! こんなやばい結果出たやつはじめてやぞ! と爆笑しながら言われたのだった。職業適性テストはクリエイティブ系だけが唯一ちょっとマシであとが全部最低評価のFだったし、性格診断は細かなデータとは別にそのひとの性格を一目で表すならという感じで似顔絵が表示される仕組みになっていたのだが、その似顔絵がブチギレている青年のものになっていて、(…)なんとかくんもその結果を見て(彼の似顔絵はニコニコだった)、キレまくっているじゃないですか! と爆笑したのだった。

 (…)を連れて(…)へ。今日はフレンチブルの(…)ちゃんと知り合った。1歳の女の子。母はまだその(…)ちゃんがほんの子どもだった時期に一度だけ見かけたことがあるといった。飼い主は六十代か七十代の男性。以前もフレンチブルを飼っていたというのだが、病院で殺されてしまったとおだやかでない言葉を続ける。呼吸があやしくなったので病院に連れていったのに処方されたのが睡眠薬だった、そのせいで翌日に死んでしまったというので、どこの病院ですかと母がやや声をひそめてたずねると、男性はやや言葉を濁しつつ、この辺でいちばん繁盛しとるとこでといった。(…)ですかと母は踏みこんだ。ビンゴだった。母はすぐにうちの前の犬もあそこのせいで死んだのだといった。どう考えても腹が膨れてきているのに足のようすがおかしいとそこにばかりこだわったり、手術で腹を切ったものの縫ったあとがいい加減すぎてそこが破れて腸が出てきたりしたことがあるのだというと、男性は顔をしかめて、実は犬以外にも猫も二匹あそこで殺されているのだといった(詳細は不明)。いまはうちとおなじ(…)ペットクリニックに通っているという。
 そういう話をしていると、例によって、雑種犬を連れたハンドサインのじいやんがわれわれに加わろうとしたが、父はこのハンドサインのじいやんのことがあまり好きではない。話のテンポが悪くなるし、話題がずれるし、そのわりにあれこれしゃべりたくるからなのだが、ハンドサインのじいやんはわれわれの輪にくわわるなり、「どこの悪口言うとんのや」と口にし、その直接っぷりにこちらはちょっと笑ってしまった(母と(…)ちゃんの飼い主はいちおうやや声をひそめるていで(…)動物病院をディスっていたのだが、そんな体裁などおかまいなしなのだ)。ハンドサインのじいやんはマジで皆勤賞で、(…)橋の下に(…)を連れてくるとほぼ毎回顔を合わせるし、なんだったら時間帯を問わずそこにいるので、ひょっとしたら昼過ぎから夜までずっとそこでのんびり過ごしているんではないかとすら思うわけだが、それはそれとして、ジップロックにつめてある食パンの耳をこねたようやつを取り出すなり、飼い主の許可もとらず(…)ちゃんの足元に投げ捨てて与えるので、のちほど両親はそのことを非難した。つまり、アレルギーがあるかどうかの確認もしていない、口にいれるものに気をつけている飼い主なのかもしれないのにそこに対する配慮がない、さらに食べものを与えるにしても直接手でやるわけではなく泥に塗れた地面の上に投げ捨てるようにしてあたえる、あれはダメだろうというので、そもそもあの世代は犬に残りものの味噌汁ごはんを与えていた世代なのだから仕方ないと受けた。ハンドサインのじいやんのエピソードで面白かったことといえば、そもそもこちらが彼のことをハンドサインのじいやんと呼ぶようになったきっかけの話、つまり、いまはもう死んでしまったが二年か三年前には連れ歩いていたもう一匹の雑種犬について、耳が悪くなってほとんどきこえないのだがそのかわりにじぶんのハンドサインで物事を理解するのだとわれわれに自慢したあげく、リードをつけていなかったその犬が近くに座っていた女子高生のほうに近づいていこうとするのをほかでもないそのハンドサイン——影絵で犬を作るときのように両手を組みあわせる——で「止まれ!」と制そうとするも、肝心の犬がまったくそのサインを理解していなかったというできごとがひとつ、それにくわえて、自分は子どものころからこれまで何十匹も犬を飼ってきたと勝手に語りはじめた思い出話のなかで、以前、どうしても吠えたり鳴いたりうるさくてしかたない犬が一匹だけいた、しかしその犬は病気でわりとはやく死んだ、うるさいのではやく死んでほしいと思っていたからちょうどよかったと、「犬猫畜生」という観念が現役で生きている世代特有のやばいパンチラインかましてきたときがふたつだ。
 帰宅。(…)で食ったメシの写真や(…)がこちらのそりたてのあたまを枕にして居眠りしている写真などをモーメンツに投稿する。夕食後はリビングで20分ほど居眠り。起きたところでなんとなくスマホをとると、中国→日本の団体旅行がちかぢか解禁されるかもしれないという情報が出ており、は? となった。完全に素人の推測でしかないのだが、中国にとってこの団体旅行解禁というのは日本政府に対する切り札とまではいわずとも手札の一枚であったはずで、つまり、日本政府側がなんらかの問題で譲歩することをひきかえに団体旅行解禁という流れになるのだろうとこちらはずっと思っていたのだが、半導体の輸出規制の問題が中国政府にとってなにかしら都合のいいかたちに展開したという話はきかない、それにくわえて今月末には処理水の海洋放出がはじまるわけで、タイミングとしてなにかが動いたというふうにはまったく思えないのだが、これはいったいどういう風の吹きまわしなのだろう? 中国の(主に海外の団体旅行を売りにしていた)旅行会社がコロナ以降バンバン潰れまくっており、ただでさえ不動産と地方政府の問題で傾きかけている中国の経済状況がさらに傾きかねない、そうした現状をいまさら把握した近平の旦那が、ゼロコロナ撤回と同様、いまさら感あふれるキャンセルを実行したということなのだろうか? しかしこちらとしてはこれほどありがたいこともない。団体旅行が解禁されるのであれば、(…)からの直通便も復活するだろうし、そうでなかったとしてもフライト価格全般がきっと値下がりする。コロナ以前の水準にもどってくれさえすれば、一年間に二度帰国することもまったく問題ない。
 入浴。ストレッチし、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年8月9日づけの記事の読み返し。水博に関するニュース記事が引かれていた。 「中国の大学に批判 教員集団留学で“速成博士”」(https://news.yahoo.co.jp/articles/ec97a29dca874d8afa51e12e85074600ed9bafb7)という記事。

 中国の大学が教員を集団で留学させて短期間で博士号を取得させていたことが明らかになり、批判が集まっています。
 湖南省にある邵陽学院は教員23人をフィリピンに留学させ、2年で博士号を取得させました。
 中国メディアは「博士教員を増やして上級の教育機関に昇格し、予算を多く獲得するためだ」と報じています。
 大学側は「人材確保が難しく、この方法しかなかった」と釈明しました。
 湖南省政府は「不当なやり方だ」として、大学の幹部を免職処分にしました。
 他の大学でも韓国の地方大学で博士号を取得させた例などが指摘されています。

 2013年8月9日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。今日づけの記事も途中まで書く。1時になったところで中断し、(…)を食し、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックしたのち、間借りの一室にあがって就寝。