20230815

 11時起床。きのう寝ついたのはかなり遅かったのでやや寝不足。6時間眠ったか眠っていないか。階下へ。雨は多少弱まっているが、風はまだ強い。母は朝方弟と協力して(…)を外に出したといった。とんでもないどしゃぶりのなか、さすがに庭に出すと泥まみれになってしまうだろうからということで、弟が抱っこしておろす格好で玄関先に出したという。(…)はめだかの鉢の前でうんこをした。とんでもない風雨だったので拾うひまもなかったというのだが、のちほど雨が小ぶりになったタイミングで様子を見にいったところ、うんこは半分以上溶けて流されていた。
 (…)からロト6の結果のスクショが送られてきていたが、昨夜のうちにこちらは確認済みである。ひとつも当たっとらんだ。クソが。宝くじひとつ当たらんこの町のどこが神都なんじゃ。
 父が帰宅。昨日の夜が台風のいちばんのピークだったという。手土産のうな重を食す。この一ヶ月でいったいどれだけうなぎと寿司を食ったかわからない。すべて廃棄品であるわけだが、父がいうには、現在発注を担当している人間が底抜けのポンコツらしい。(…)時代の同僚である(…)さんのことをちょっと思い出した。発注のことでいつも叱られていた。
 下はとにかく冷房のせいで寒いので、押入れから長袖を取り出してエアリズムの上に着た。京都のしょぼいリサイクルショップでたしか100円だか200円だかで買った芥子色の長袖。リバーシブルになっており、裏は茶色になっているのだが、芥子色のインナーというのが当時けっこうめずらしく、わりと重宝していた記憶がある。いま着るとさすがにかなりパツパツだ。いちばんガリガリだった時期——体重が50キロを割った時期——に着用していたもの。
 ソファで『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』(乗代雄介)の続きを読みはじめたが、じきに睡魔に魅入られた。二時間は寝たと思う。起きたところで、弟から増水した川を見物に行こうと誘われた。カッペの習性だ。(…)がめだか鉢のそばに垂らしたうんこが半分以上流されているのを見たのはこのときだったと思う。弟の運転する車の助手席に乗った。まずミニストップでコーヒーを買った(弟にはデカビタをおごった)。そのまま(…)のほうに向かったのだが、(…)をいつも散歩させるときにおとずれる河川敷のほうにおりるか、あるいは(…)橋を渡って上から流れを見下ろすか、どうするかとなったところで、そこまで水が増えているとは思えないが、万が一、河川敷のほうまで浸かっていれば大変だろうし、なによりそちらは道が細いので、とりあえず(…)橋を渡ってみようということになった。で、びびった。とんでもなく増水していた。河川敷はすべて茶色い濁流で浸かっていた。濁流は堤から河川敷におりる細い坂道の途中までせまっていた。あと一日おなじ勢いで降り続いていれば、これはもうまちがいなく決壊していたんではないか。写真を撮って(…)に送った。せっかくなので橋の向こうにあるセカンドストリートに寄ってもらおうと思ったが、やはり臨時休業だった。ブックオフも、ほかチェーン店の飯屋もろもろも休業。ドンキとマクドだけは営業していた。
 そのまま川沿いを(…)や(…)のほうまで走った。田んぼの一部が完全に水に浸かっていた。一部通行止めになっているところもあったが、弟がいうにはその先にある集落は毎回雨が降るたびにすぐに浸水するらしい。(…)の田んぼもそのあたりにあるのでもしかしたら浸かってしまっているかもしれないと弟はいった。途中、われわれの後ろについていた軽バンが、広くもなんともない道でアホみたいに速度をあげてわれわれを追い越していった。対向車も来ているタイミングだったので、なんやあいつアホちゃうかというと、実はさっきからずっとあおっているふうだったのだと弟。ヤンキー乗っとるような車ちゃうやんというと、たぶんおっさんだったという返事。なるべくはよ事故って死んどけ。車のラジオは終始入りが悪かった。途中で速報が入り、鳥取のほうで数十年に一度のレベルの災害がうんぬんと言い出した。
 帰宅。(…)が庭に出ようとしたが、スロープに敷いてあるマットが風で飛ばされていた。父が小雨の中、庭先に出てそのマットを敷きなおしたのだが、(…)は出ようとしなかった。庭に面した窓からくるりときびすを返すと、そのまま近くにあったバスタオルをくわえて、ひっぱれ! ひっぱれ! と母をうながしはじめた。こちらがその遊び相手をひきとったのだが、興奮して力んだせいだろう、(…)の肛門が不意にブラックホールのように拡張し、あれよあれよというまにそこから野太いうんこが二つ三つ落ちた。わあわあ騒いでいるわれわれをよそに、出すものを出してすっきりした(…)はひとり台所に向かうと、冷蔵庫の前でたちどまりおやつをくれとねだりはじめた。海賊王なみに自由やな!
 『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』(乗代雄介)の続きを読む。夕飯を食し、ひとときだらけ、入浴をすませる。ストレッチをし、コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年8月15日づけの記事を読み返す。2013年8月15日づけの記事も読み返して、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。そのまま今日づけの記事も一気呵成にここまで書くと時刻は23時だった。帰国まで残り一週間。ちょっと気持ちがそわそわしだしている。

 中国語圏で報道されたのは昨日だったと思うが、中国政府が若者の失業率をしばらく公開しない方針に決めたというニュースが日本語圏内でもちらほら見られるようになった。たとえば、「中国、若年失業率の公表一時停止 海外投資家の信認さらに低下も」(https://jp.reuters.com/article/china-economy-unemployment-idJPKBN2ZQ06F)。

[北京 15日 ロイター] - 中国国家統計局は15日、若年層の失業率について、測定方法を改善する必要があるためデータの公表を一時停止したと明らかにした。
国内の雇用見通しに対する不満が高まる中、ソーシャルメディア上ではこの決定に批判が相次いだ。これに先立ち発表された鉱工業生産と小売り売上高の統計は予想よりも弱い数字となり、景気減速を示す内容となった。
統計局の報道官は「大学卒業予定の学生の大半はすでに就職先を決めており、就職状況はおおむね安定している」と説明し、新卒者の就職率は「前年同期より若干高い」と述べた。
ここ数年の規制強化により不動産やハイテク、教育など、これまで新卒を多く受け入れてきたセクターが影響を受け、中国の若者は最も厳しい夏の就職活動シーズンを迎えている。
先月発表された直近データによると、16─24歳の若者の失業率は6月に21.3%と過去最高に達した。
中国通信社が先週民間の調査データを引用して報じたところによると、卒業後半年以内に出身地に戻った学生の割合は2022年に約47%で、18年の43%から上昇した。
統計局報道官は、経済と社会は変化し続けており、統計作業は常に改善が必要なため、データ公表を一時停止すると説明した。
就職活動中の学生を失業者の統計に含めるべきかどうかや年齢層の定義については「さらなる研究が必要だ」と語った。
これまで若年層の失業率は16歳から24歳が対象となっていた。
野村の中国担当チーフエコノミスト、陸挺氏は「入手できるマクロデータが減れば、海外投資家の中国に対する信認が一段と低下する可能性がある」と指摘。7月の若年層の失業率は悪化すると予想されていたと述べた。

 「就職活動中の学生を失業者の統計に含めるべきかどうかや年齢層の定義」とあるけれども、中国政府が発表していた失業率のなかには就職活動をしていない若者すなわちニートは含まれていなかったはずであるし、あとはたしか過去何ヶ月かのあいだに一度でもバイトなりなんなりしていたらそれもやっぱり失業者としてはカウントしないみたいな話もあったように記憶している。実際、こちらの体感としても、失業率21%はどう考えても低すぎる。もちろん、こちらが日常的に観測している対象というのが、現在の中国における就活市場で激弱らしい日本語学科卒の学生であり、かつ、いちおう一本大学であるとはいえ有名大学だなんてとてもいえない大学の卒業生である、そこのところをちゃんと差っ引いて考えるべきであるとはわかっているのだが、それでも平均値が21%というのはおかしい、少なくともこの夏休み前に卒業した学生のうち就職先がすでに決まっていたのは40人近くいる学生らのうちほんの数人でしかなかったし、モーメンツの投稿など見ているかぎり、その後職にありついて働いているようすの学生もほとんど見当たらない(しかしそのわりには悲壮感のようなものは見当たらず、むしろみんなしょっちゅう旅行などしていて、こういうところは中国らしいなと思う)。
 失業率のみならず経済状況に関する専門家の発言についてもネガティヴなものは公布するなという楔がわりと最近打たれたばかりだったように記憶しているが(ニュースのいわゆる「正能量」化がお上から命じられるのは別にこれが最初ではないが、経済指標のようなデータと数字にもとづく種類の報道まで「正能量」化せよとなると、これはいよいよ大本営発表めいてくる)、ニック・ランド的にいえば、しかしこうした政策も荒唐無稽というわけではない、すくなくとも効果の面にかぎっていえばゼロではないのかもしれないと、以下のくだりをふと思いだした。

 ロコのバジリスクの特異性は、その感染力だけでなく再帰性にもある。ロコのバジリスクを一度読んだ者は、未来からの脅迫者に駆り立てられて、実際に超知性的なAIを作ることに対するインセンティブを得ることになる。つまり、ロコのバジリスクを読んだ人間が増えれば増えるほど、ロコのバジリスクのようなAIが未来において実現する可能性は必然的に高くなる。
 予言の自己実現。ニック・ランドとCCRUは、すでに90年代の時点でこのような再帰的な自己実現能力を備えたミームを「Hyperstition」――Superstition(迷信)にHyper(超)を付け加えた合成語――と呼んでいた。たとえば株価や為替は、将来の予測が実際の価格の変動に影響を与えるという意味で、まさしくHyperstition的だ。ニック・ランドにとっては、資本主義とは正のフィードバック・ループを持つ自動機械なのであった。あるいは、将来の予測(フィクション)が未来の現実に影響を与える、という意味ではHyperstitionとはリアル(現実)とフィクションの関係を問い直す概念であるともいえる。
 ロコのバジリスクの例も、リアルとフィクションの境界が思いのほか曖昧であることを教えてくれる。もしかしたら、私たちのリアルはフィクションによってこそ支えられているのかもしれない。
(木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』)

 夜食は夕飯の残りもの。食しながらジャンプ+の更新をチェックし、間借りの一室にあがって『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』(乗代雄介)の続き。

わたし、一人一人のことなんてわからないけど、わたしも含めたわたしたちのことならわかる気がするの。
(「君こそタヌキだ」)

 「創作」はひとまずすべて読み終えた。しかし随所にさしはさまれる漫画やゲームの小ネタに、著者との同世代感をひしひし感じるなと思ったのだが、確認してみたところ、こちらと年齢がひとつしか違わなかった。やっぱり! 「冬のザボエラ」なんてタイトル、見ただけでクソ笑ってもうたわ! タイトルだけで笑ったのは木下古栗の「デーモン日暮」以来かも(おなじく木下古栗の「カンブリア宮殿爆破計画」もまあまあやばかったが!)。