20230829

 11時起床。歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。洗濯。ストレッチをし、トースト二枚を食し、コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年8月29日づけの記事を読み返し、2013年8月29日づけの記事を「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。
 なんとなく微信をながめたら新二年生の(…)くんのアイコンがくまのプーさんに変わっていたので、さすがに笑ってしまった。どう考えても彼の趣味ではない、近平の旦那に対する皮肉としか考えられないチョイスであるのだが、しかしこのままいくと彼はいつかやらかしてしまうのではないかという心配がないでもない。去年卒業した(…)くんもけっこうガチガチの精日分子であったが、彼の場合はそもそもクラスでもずっと浮いた存在であったし、こういう言い方をするのもアレだが、社会からの疎外感をずっと感じ続けてきたタイプであるので、じぶんと周囲のあいだにある政治的立場の落差をさほど痛ましいものとして感じていないというか、そういうのに慣れっこになっている、そして慣れっこになっているからこそ不用意な言動を少なくともおおやけには慎むことができていたと思うのだが、いわゆる陽キャに分類されうる(…)くんの場合はたぶんそこのところの免疫みたいなものがない。しかるがゆえに、じぶんの立場や認識を共有できる同志をもとめる気持ちに急かされるようにして、そのうちうかつな言葉を口走ってしまうんではないかという心配がある(そもそも意中の女子に、中国国内では検閲の対象になっている処理水排出に関する資料のスクショを送っている時点で、おいおいそれはやばいでしょという感じだ)。くわえて、そうした葛藤が続けば続くほど、共感可能な同志をもとめてVPNを噛ませて壁の外で過ごす時間が長くなるわけだが、その場合、「壁の外の情報=真実」とはかならずしも言い切れないという見方をちゃんと捨てずにいられるのだろうかという疑問もある。アンチ習近平が勝りすぎてアメリカ大統領戦でトランプを支持するようになってしまったり、ソースが「大紀元」のクソ記事を平気で引っ張ってきたり、日本政府の言い分はなんでもそのまま全肯定みたいになってしまったりしないか、こちらはちょっと心配している。処理水の一件にかぎったところで、中国政府の恣意的極まりない情報検閲による煽動にうんざりすることが、そのままイコールで、科学的に不明および不確定なところもある件を手放しかつ盲目的に全肯定するということにはならないという、傍からみれば中途半端に映じるかもしれないが確率と度合いからなる事象を確率と度合いのままに受け止めようとするのであればそう構えざるをえないその構えを、はたして彼は理解できているのだろうか。

 今日づけの記事もここまで書いたところでキャンパス内にある快递を二軒まわり、めがねの洗浄液とルーズリーフを回収した。その後、例によって瑞幸咖啡で打包して帰宅。ルーズリーフの紙質、いまどき藁半紙かというくらいひどいものだったので、やっぱり安物買いはするもんじゃないなと思った。文具品くらいは店頭で実物を見て買ったほうがいい。
 授業準備をいくらか進めたのち、キッチンに立って夕飯をこしらえる。食後、『小説の自由』(保坂和志)を読む。30分ほどの仮眠をとったのち、浴室でシャワーを浴びる。新三年生の(…)くんから微信。「公信力」という日本語は存在しますかという質問。ググってみたところ、「信頼性」を意味する中国語らしい。「公信力」は不動産用語として日本語にも存在するようであるが、まさかそんな専門用語を知りたくて連絡をよこしたわけではないだろう。時期が時期だけに、処理水に関する日本政府側の説明には「公信力」がないみたいなことを、壁の外側にいる連中相手に喧々諤々とやっているんではないかと勘繰ってしまうわけであるが、実際はどうだか知れない。(…)くんははじめて会ったとき、(…)くんとちょっと似たにおいを感じたというか、Vtuberをはじめとするコアなオタク文化にどっぷりハマっているふうだったし、独学でかなり日本語能力も身につけていたものだから、きっとクラスに一人はいる精日分子であるなと思ったわけだったが、その後の付き合いを経て、実際はけっこう愛国少年であるらしいと認識をあらためるにいたっている。
 新四年生の(…)さんからも微信自作PCを組み立てたという写真つきの報告。以前モーメンツ上で(…)さんとそろって日本は沈没しろとか日本人は汚染水のせいでだれも定年退職後の人生を平穏に過ごすことができないとかなかなか物騒なことを言いまくっていた当人であるが、それはそれとして、こういうなんでもない報告はこれまでどおり変わらず届くわけだ。その程度の節度はあるということに安心した。これはこれで一種の偏見かもしれないのだが、中国人は日本人以上にウチとソトの差が明確で、ウチの側にいるとみなした人物に対してはどこまでも手厚く世話を焼いてくれることがよくあるし(これはほぼあてにならない「公助」の代わりに、「自助」と「共助」のみにたよって生活を営む必要がある社会に由来するものだと思う)、そういう意味で、こちらは学生や同僚らを含む顔馴染みと深刻なトラブルを抱えることにはならないだろうと、今回の一件を受けてなおその点についてはほぼ心配していない(とはいえ、デリカシーのない何人かの学生からは、今回の件についてどう思うかと意見をもとめられることもあるだろうが)。
 コーヒーを用意し、21時から23時まで授業準備。これで日語会話(一)は4コマ分、日語基礎写作(一)は8コマ分、日語会話(一)は7コマ分片付いたことになる。授業は全部で16コマあるが、1コマは祝日で潰れるだろうし、最後の2コマないしは3コマは試験にあてるつもりでいるので、だいぶ余裕がでてきた。今週いっぱいでどこまで終わらせることができるか。作業中はLéonore Boulangerの『Les pointes et les détours』と『Square Ouh La La』と『Feigen Feigen』をたてつづけに流した。
 冷食の餃子を食し、ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませる。ベッドに移動し、『小説の自由』(保坂和志)の続きを読み進めて就寝。ジョイスの“The Dead”(邦訳のタイトルは忘れた)の一節が肯定的に引かれているのを見て、やっぱりこの短編はすばらしいよなとあらためて思った。