20230828

 10時にアラームで起床。歯磨きし、きのう(…)さんにもらった桜モチーフのお菓子をひとつだけ食べる。今日の最高気温は26度でかなりすずしく、さてそうなるとどういう服装で出かけるのがベターであるのかと考えるわけだが、自転車でおそらく15分以上移動する必要があるわけであるし、半袖でも問題ないかなと思った。ただ、一枚きりであると肌寒いかもしれないので、下にエアリズムを重ねて着ることに。日本で買ったブラウン系のジャージっぽい素材のテーラードパンツに、去年こっちのユニクロで値引きされているのを買ったモナリザのプリントされている黒のTシャツをあわせてみたところ、ものすごくしっくりきたし、めがねのチェーンのピンクゴールドとパンツの色がほどよく調和していて、それでずいぶんテンションがあがった。
 寮を出る。百度地图にナビしてもらう。南門の外に出たところでいきなり右と左をまちがえてしまったが、その後はほぼ問題なくルート通りに進むことができた。目的地は川沿い。(…)くんとおとずれた(…)さんおすすめのカフェであったり、(…)先生一家と春節の花火をした河原であったりがあるあたりだと思う。しかし自転車と百度地图があるだけでめちゃくちゃ便利になるものだ。自転車を導入したのは去年の夏であるし、百度地图にいたってはごくごく最近だ。もう6年くらいこの仕事をしているというのに、じぶんの生活はマジで大学内で完結しているんだなとあらためて思った。
 店には予約時間ぴったりの11時半に到着した。(…)さんについたよーと微信を送る。送ってほどなく当の本人がスーツケースをガラガラさせながら姿をあらわした。数年ぶりの再会であるわけだが、さすがにおとなになっていた。髪の毛もきれいにしていたし、メイクもバッチリで、さらには裸眼になっており、こちらの記憶にある彼女の姿と全然違う。この年頃の女の子はすごいなァと感心する。ふたりでレストランの個室に入る。(…)先生はまだ来ていない。中華テーブルには五人分か六人分の食器が用意されている。(…)先生も(…)先生もやってくるのだという。思っていたよりもしっかりした食事会になりそうだ。

 まず、(…)先生と(…)先生のふたりがやってきた。(…)先生は(…)さんが(…)大学で院生をしていることを知らなかった。(…)さんの大学時代のクラスメイトである(…)くんも(…)大学を受験していたという事実を告げると、(…)さんを含む全員がびっくりしていた。
 続いて(…)先生と(…)がやってきた。(…)は最初ちょっとはずかしそうにしていたが、じきにいつものようにこちらのそばにやってきた。座席もこちらのとなりがいいという指定が事前にあったという。最近お笑い動画をみるようになってお笑いにハマっているらしく、(…)は何度かおきまりのお笑いネタのようなものを口にしていたが、当然こちらには理解できない。(…)さんも通訳することができないと苦笑。食事中は箸だの皿だの服だのおかずだのをひとつずつ指差しながら中国語の単語を教えてくれたので、そのたびに復唱しては谢谢老师と応じた。(…)は途中で光头と口にした。以前こちらが光头叔叔といいながら剃り立てのあたまを見せてやったことをおぼえているのだ。最終的には席に座ったまま抱きかかえるかたちに。(…)だの(…)だの(…)だのの相手をするうちにじぶんもすっかり子守が板についた。
 (…)さんに同じ専攻の院生は何人いるのかと質問したのだったが、何人という答えであったのか忘れてしまった。たしか10人くらいではなかったか? しかしそのうち男の子は2人だけ。彼女が学部生だったころは日本語学科の大半は女子学生だったわけだが、いまではクラスの三分の一くらいが男子学生だよと告げると、やはり相当びっくりしていた、信じられないといった。今学期から一年生が二クラスになること、(…)が(…)として来年から独立することも伝える。
 その(…)の授業はないのかと(…)先生からたずねられたので、スピーチを担当するので断ったのだと答えた。(…)の授業は向こうまで移動するのも大変ですものねという反応があったが、正直こちらは移動時間はさほど苦にならない(どうせ書見するだけなので)。ただ、先学期授業を担当したクラスが、これまで経験したことのないくらいやる気のないクラスだったので、正直今学期は引き継ぎたくないというのがあったわけだが、それについては当然口にしない。ところで(…)といえば、外国語学院の新一年生はほかでもないその(…)にある寮で生活することになるという噂があったわけだが、あれについてはどうなったのだろう?
 (…)さんのクラスメイトの話にもなる。(…)先生から(…)さんの消息をたずねられたので、いまは広東省でひとり暮らしをしていると応じる。(…)さんについては、専攻を心理学に変更したうえで大学院を受けるという話を最後に会ったときに聞いたわけだが、いまはどうしているのかわからない。両親は故郷の(…)で公務員をしているので、その关系で公務員になれといわれているようだが、本人はその気でないらしいというと、中国では关系が大切ですと(…)先生が笑いながらいうので、いちばん大切ですねと受けた。
 博士号を有している教師が赴任してくるという話はどうなったのかとたずねると、流れてしまったという返事があった。東京都立大学かどこかで博士号をとった人物らしいのだが、世界大学ランキングで1000位以内にランクインしていないので給料がランクイン組にくらべると7割程度になってしまう、それが(…)だけの話であるのかよその大学でもおなじであるのかはわからないが、いずれにせよ、そういう金銭面の事情からもっと待遇のよい(…)の大学のほうに赴任することに決まったとのこと。(…)省にはほかにいま日本人教師がいるのかと(…)先生がいうので、二年前にぼくがこっちにもどってきた時点では(…)大学に夫婦で勤めているひとがいると聞いたきりですと応じると、(…)にもひとりいるはずですよというので、あ、知ってます、中国人の男性と結婚している日本人女性ですよねと受けた。(…)の(…)先生の名前が出た。(…)先生、やっぱりいろいろ知っているんだなと思いつつ、彼はずっとオンライン授業を続けていたと思います、少なくとも二年前にぼくがもどってきた時点ではまだオンライン授業みたいでしたねと受けた。
 (…)さんは功労者だと(…)先生はいった。こちらにしても(…)さんにしても(…)さんにしてもみんな彼経由で(…)にやってきたわけだからというので、彼はこれまで10人以上中国に外教を紹介してきたみたいですよと受けた。ぼくも(…)さんも(…)さんも、それから(…)で一年間だけ外教をしていた(…)さんもですけど、もともとはみんな京都の同じアパートに住んでいた住人ですからねと続けると、一同大笑いした。(…)さんは大学院に進学するためにいまは日本にいる。別れた元奥さんは南京ですかと(…)先生がいうので、一年くらい南京で働いていたみたいですけどでも結局日本に帰っちゃったみたいですと応じた。結婚生活は二年にも満たなかったことになるのか。(…)先生がいうには、夫婦で外教をしていたその当時すでに関係はほぼ終わっていたらしい。元奥さんは「(…)先生」と呼ばれており、学生たちからの評判もかなり良かったようで、実際こちらも(…)先生よりも(…)先生のほうが授業は上手だったし面白かったという話を何度か学生たちから聞いていた。(…)さんはいま元教え子と付き合っていますよというと、みんな笑った。(…)さんの消息についてもたずねられたので、夏休みに直接会うことはできなかったが、日本で日本語教師をしているようだ、仕事がかなり忙しいらしくときどき中国にもどりたくなると言っていたと伝えると、やはりみんな笑った。
 (…)先生はもう何年くらいになりますかといわれたので、たぶん五年か六年くらいだと思います、途中コロナがあったせいでちょっと実感とずれがあるんですけどと受けたうえで、かたわらの(…)さんを指して彼女が一年生のときですよと続けると、じゃあやっぱり六年くらいですねと(…)先生はいった——と、これを書いているいま過去ログを検索したところ、2018年3月28日にはじめて中国に入国しているので、いま外教歴5年半ということになるのか。しかしそのうち2年近くはオンライン授業で実家に待機していたわけで、在住歴となると3年半ということになる。しかし時が経つのはマジで死ぬほどはやい。6年もこの仕事してるのに中国語全然できないのやばいですねというと、みんな笑った。
 こちらが中心となって交わした会話はだいたいそれぐらい。あとは(…)先生が中心となって中国語での会話が続いたわけで、当然こちらはほとんど聞き取れないわけだが、どうやら日本語学科の大学における扱いが不遇であるという愚痴が大半を占めていたようだった。給料に関する愚痴などもあるようだったし、その場にいる中国人教師三人での結束を高めるための乾杯みたいなものも何度か交わされていた(日本語学科の中国人教諭の関係性はあまりよくないといううわさはしょっちゅう聞くし、実際こういう集まりに参加するのはだいたい今回の三人がメイン、それにときどき(…)先生と(…)先生が加わるくらいで、(…)先生や(…)先生や(…)先生や(…)先生がこういう場に姿をみせたところを見たことがない)。
 店を出たところで、(…)先生からこれからもずっといてほしいといわれたので、(…)先生の勤続10年を目指してがんばりますと応じた。ただでさえ不遇の日本語学科であるが、今回の処理水放出を受けてますます立場が悪化する可能性がある(たとえば新入生のうちいくらかはさっそくほかの学部に移動することを考えているのではないか?)、そこにこちらまで大学を去るとなったら弱り目に祟り目というか、いよいよ(…)の日本語学科崩壊ということになってしまうので、中国人の先生たちとしてもなんとしてもこちらを引き止めたいというあたまがあるのだろう。それでいえば、給料が10000元に増えるという、あの夢のような話はどうなったのだろう?
 (…)先生と(…)さんは(…)先生の運転する車に乗りこんだ。(…)さんは今年院を卒業する。修士論文でわからないことがあればいつでも連絡するようにと車の窓越しに伝える。(…)先生と(…)はスクーターに乗る。外に出てはじめて気づいたのだが、(…)は『鬼滅の刃』のTシャツを着ていた。
 書き忘れていたが、(…)さんからは重慶土産をもらったのだった。お菓子の詰め合わせ。(…)さんは律儀に教師四人分を用意してくれていた。
 ケッタに乗って帰路をたどる。帰路は百度地图など不要だろうとたかをくくっていたところ、さっそく道に迷ってしまった。これが本物の方向音痴の底力やで! 百度地图をひらく。せっかく滅多に来ないところまで出張ってきたわけであるし、周囲の街並みもけっこう栄えているふうだったので、この繁華街を突っ切って大学にもどろうと決めた。しかしはじめてひとりで街中をぶらぶらするのが、よりによってこのタイミングであるのかというアレはある。こういう調子こきが海外で不用意にテロに巻き込まれておっ死ぬわけや。ビートなしでフリースタイルしながらケッタをえっちらおっちらこぐ。途中、「寿司」の看板を掲げている店を見つけて、ちょっと笑ってしまった。いや、笑いごとではないのかもしれんが。
 (…)に立ち寄って、冷食の餃子だのパクチーだのトマトだの長ネギだの豚肉だのをまとめて買う。それで帰宅。ひとときだらだら過ごしたのち、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年8月27日づけの記事を読み返し、2013年8月27日づけの記事を「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。2022年8月27日づけの記事の以下のくだり、笑った。(…)のガイドで当時大学にいた外教全員でPCR検査を受けにいった日。

 南門から外に出て(…)病院へ。入り口にPCR検査専用の受付が設けられている。車庫のような空間に長机をふたつ並べ、防護服ではなく簡易の手術着みたいなのを身につけた女性スタッフが四人ほど待機。(…)が事情を告げる。するとスタッフがあわただしく何かを言い返す。どうせまた事前の通告がうまくいっていなかったパターンだろうなと思っていたわけだが、案の定そうだったみたいで、スタッフが偉いさんに外国人の対応についてききにいくのでちょっと待ってほしいみたいな展開になった。(…)が、彼の英語はマジでほんの一言も聞き取れないのでこれは完全にその全身に漂うムードから推測したアレでしかないのだが、じゃあおれはもう帰る、みたいなことを言い出した。(…)は硬直。(…)も気まずい表情を浮かべる。いっつもこうだ、いっつもこんなふうにあれこれてこずるはめになる、段取りが悪い、みたいなことを(…)はぼやきつづけた。こちらは知らないふり。(…)は常と変わらず寡黙に押し黙っている。
 それでちょっと思ったのだが、飛行機事故で山頂に墜落してこのメンツで救助を待つとなったら、けっこう地獄ではないか? 危機にあっても物腰を過度に崩さない冷静さをもちあわせているのはこちらと(…)と(…)の三人だが、そのうち(…)はなんでもかんでもalternativeに判断しようとする陰謀論者的思考が血肉化しているので、冷静でありながらも狂った判断を下しかねないという弱点がある。こちらはそういう判断の狂いを有していないとは思うのだが、単純に、判断の根拠をほかのメンツに伝えるための語学力に難がある。(…)はたぶんそういうシチュエーションでは真っ先に死ぬタイプだと思うのだが、(…)はマジでわからない。クソ偏見を承知でいうが、アメリカの白人男で(…)ほど寡黙な人間が存在するとは思わなかった。マジで自分からは一言も話さない。(…)は家族がいるし、(…)も離婚したとはいえ以前は家庭を持っていたし、独り身となった今は今で留学生らとつるんだりバイクをいじったりして楽しんでいるが、(…)はマジで私生活がいっさいの謎に包まれている。部屋の中に少年少女の白骨死体が山ほどあったとしても、ああやっぱりね、と思ってしまうかもしれん。

 以下は2021年8月28日づけの記事より引かれていた箇所。『アズミ・ハルコは行方不明』(山内マリコ)の感想。

 読み進めているあいだ、何度も何度も、これはいったい誰が語っているのだろうと思った。いや、そこで「誰」という存在論的次元(人格)を問う必要はない。それは、「A」や「S」、そしてまた「S&T」の問題意識であるのだから。しかし語りの操作性にどうしてもこだわってしまうこちらの性向なのか、やはりその点が気になって仕方ない。というか逆にいえば、ほとんどの作家は、三人称で小説を書くときに、ここで語っている語り手の身分とは何であるのかという問いを括弧に入れているというか、むしろそこを括弧に入れることで成立したのが近代文学なのだろう(最初期の小説は、書簡や日記や記録や日誌という、それが誰によって、そしてどのように書かれ、記録され、残されたものであるのか、その出自を必ず断っていた)。こちらは書き手として、その身分の不透明性を利用する語り——存在論的次元(人格)をはっきりと担保しつつ、その出自だけは括弧に入れて宙に吊る——をこれまで発表した三作では採用してきたのだが、「実弾(仮)」ではむしろ、そのような問題意識を消去し、いわば近代小説の制度にあぐらをかいた語りを採用するつもりだった。採用するつもりだったのだがしかし、書き進めるにつれて、そう簡単にはいかないことがわかってきて、さてどうしたものかとなっていたのだった。
 そういう視点で読み進めるなかで、おっと思う箇所がいくつかあった。それを記録しておく。まずはユキオと学のふたりがグラフィティをするために夜中に車で出かける場面。この場面にいたるまで、基本的にずっと「ユキオ」もしくは「学」視点で進行していた語りに狂いが生じる。

 深夜零時を回るころ、ユキオと学はパジェロに乗り込んで、ラジオを流しながらなにを話すでもなく車を走らせる。
「あそこはどお?」
 ハンドルを握る学がユキオにたずねる。
 通り沿いの潰れたコンビニは、窓の上に打ち付けられたベニヤ板に大量の落書きがされ、見るからに荒れた雰囲気だった。
「ああ、いいんじゃない?」
 駐車場に車を入れると、エンジンはかけたままでライトを消し、二人はスプレー缶とステンシル型を持って廃墟と化した店舗に向かった。
 辺りの民家の明かりはすでに消え、周囲にはほかに店もなく、もちろん人の通りもなく、街はすでに寝静まっている。車道には時折トラックが轟音を立てながら走って行くものの、交通量は昼間とは比べものにならないほど少なかった。
 フードをかぶった彼らの姿は野蛮な雰囲気をまとってはいるが、その足取りは散歩しているようにのんびりして、動きの一つ一つが暇を持て余した放課後の高校生のようにダルそうだ。
(78-79)

 まず途中で「二人は」という主語が出てくる。ただ、これは「ユキオ」もしくは「学」に寄り添った語りの延長線上にあるものとしてまだ理解できる。この「二人は」というのは、実質、「我々は」に近い。しかし最後の段落の「彼らの姿は」はまったくの別物だ。ここで「ユキオ」と「学」のふたりは、それまで使用されることのなかった人称代名詞「彼ら」の使用によって一気に遠ざけられている。さらにいえば、ここで描写されているのは「彼らの姿」であり、「その足取り」であり、その「動き」である。つまり、ここでは「ユキオ」と「学」のふたりをその外側から観察して描写している語り(手)が不意に登場するのであり、その存在論的次元(人格)は、「ダルそうだ」という(主観的な)推測・判断によっていっそうきわだつ。これはこちらの感覚でいえば、ほとんど掟破りに近い、別種の語りのモードが混在しているような居心地の悪さをおぼえる。しかしそう思うのは、先述したとおり、くりかえしになるが、こちらがこれまでずっと語りの操作性にこだわってきたからであり、おそらく、そこにさほどこだわりのないだろう書き手にとっては、これはごくごく一般的な書き振りであり、いちいち立ち止まり指差してみせるほどの何かですらない普通の作法なのだろうと思う。そしてこちらはそのような「普通の作法」を手に入れたい。一般的な三人称小説において、暗黙の前提として括弧に入れられて用いられている慣習的な技術を、それがどこまでも特殊で根拠のない慣習でないことを暴きつつ、しかしふたたび括弧に入れなおしてなんでもない顔つきで使用したい。それが「実弾(仮)」を書くにあたっての、技術的側面におけるこちらの問題意識となっている。

 なぜか猛烈な眠気に見舞われたので一時間ほどベッドで寝た。起きたところでいつもより遅いメシをこしらえて食った。昼前に母からLINEが届いていたことに気づいたのでVPNを噛ませてメッセージをチェックすると、左目が真っ赤にそまっておかしくなっている(…)の写真だった。最初は結膜炎かと思っていたのだが、目が赤くなるだけではなくおかしくなってきたので獣医に連れていったところ、ホルネル症候群と診断されたという。すぐにググったのだが、ここ(https://nihonbashiah.jp/blog/190424horners-syndrome/)に以下のような説明があった。

犬の目の病気です。写真のように、第三眼瞼と呼ばれるものが見えるようになります。本来は引っ込んでいて、見えるところにはありません。
犬のホルネル症候群は、眼瞼下垂(まぶたが下がる)、眼球陥没(眼球が奥に入ります)、そして第三眼瞼の突出(写真のような膜が上がってきます)、そして瞳孔が小さくなる縮瞳を特徴とする異常です。
神経の異常で起こるもので、その異常とは、炎症、感染、外傷、椎間板疾患、線維軟骨塞栓症、腕神経叢障害、腫瘍、中・内耳炎、鼻咽頭ポリープ、球後疾患などなどです。
(神経の異常とは、視床下部と言われるところから、眼球までの交感神経走行路中のいずれの部位の障害でも起こることがあります。ちょっと難しですね。)
ときに、この椎間板疾患とは、椎間板ヘルニアで起こる進行性脊髄軟化症と呼ばれるものでも起こることがあり、この場合、ホルネル症候群が現れると生命の危険が迫っていることを意味します。
特発性三叉神経炎という病気がありますが、この炎症が三叉神経に組み込まれている節後性交感神経に波及すると、ホルネル症候群が起こることがあります。この場合、多くの犬が3週間ほどで回復します。
基本的には、特発性ホルネル症候群では、回復に時間がかかるものの、5%フェニレフリンという目薬を1日に4回ほど点眼することで4か月くらいで治ることがあります。そして、ホルネル症候群のほとんどが特発性だと言われています。

 「ときに、この椎間板疾患とは、椎間板ヘルニアで起こる進行性脊髄軟化症と呼ばれるものでも起こることがあり、この場合、ホルネル症候群が現れると生命の危険が迫っていることを意味します」という箇所に当然ギョッとする。というのも、(…)の後ろ足の問題は脊椎に由来するものであるという可能性が高いという診断を以前獣医から受けたばかりだったからだ。
 すぐに母から電話があった。母は泣いていた。どうやらこちらとおなじページを見ておなじ懸念を抱いているようだった。ホルネル症候群という診断は確実であるのだが、ではなにが原因であるのかとなるとけっこうおおがかりな検査が必要らしく、かつ、検査をしたところではっきり原因がわかるとはかぎらない。(…)の年齢のこともあるし、(…)ペットクリニックの先生は検査をすすめようとはしなかったというし、説明を受けている時点で父もやはり同じ意見だったという。母も弟も同様だろう。人間であれば病院で検査を受ける意味を理解することができるわけだが、犬には当然そんなことは理解できない、ただただ怖い思いをするところ、ストレスを強いられるだけのところであるわけだし、とりあえず目薬かなにかの処置だけでだましだましやっていくことになったという。「ホルネル症候群+犬」で画像検索してもらえればわかると思うのだが、左目が現在こういう状態であるために目もやはり見えにくくなっているという。耳もだいぶ遠くなったし、片目もこれで視野がかなりせまくなったし、後ろ足はほとんど飾りと化してしまっているし、老犬であるのだからしかたないし受け入れなければならない運命でもあるのだが、それでもやっぱりそう遠くないだろう帰結を思うとなかなかけっこうしんどい。

 シャワーを浴びる。新四年生の(…)さんから作文を添削してほしいという依頼が昼前に届いていたのでちゃちゃっと仕上げる。(…)くんにはテーマスピーチの録音を送る。新四年生の(…)さんが友人からの拡散依頼として大学内でこの黒猫を見かけたひとがいたら連絡してほしいとモーメンツに写真を投稿していたが、昨日(…)くんといっしょに寮にもどる途中見かけたひとなつっこいやつだったので、昨日の19時ごろに女子寮から(…)楼に向かう途中にあるカフェ付近で見かけたよとコメントしておいた。
 懸垂し、気晴らしのフリースタイルをし、(…)さんにもらったお菓子を食ってプロテインを飲む。ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませ、授業準備をほんのちょっとだけ進めたのち、ベッドに移動して就寝。昨日と今日の二日間で、『Stahlwerksynfonie』(Die Krupps)、『Um Dada』(Mallinder)、『1974 - 76』(Cabaret Voltaire)、『ぜいご』(鈴木常吉)、『Feedback Works 1969 - 1970』(Éliane Radigue)、『Un lièvre était un très cher baiser』(Léonore Boulanger & Jean-Daniel Botta)をきいた。Léonore Boulanger(レオノーレ・ブーランジェ)、やっぱりすばらしいな。楽曲のなかでちょいちょい日本語が出てくるのだが、調べてみたところ、たとえばアルバム『Square Ouh La La』では「フランス語、ドイツ語、そして何語でもない言語で歌」っているとのこと。意味から離れた音を楽しんでいるのだろう。このひとの音源は全部チェックしたい。