20230901

 9月だぜ!
 10時前にスマホの震動で目が覚めた。(…)が外国人教師のグループに会議の延期を告げていた。体調がすぐれないので病院にいく、と。本来は今日の15時から会議だったのだ。二度寝しようとうつらうつらしはじめたところで(…)本人から着信があった。こちらがメッセージを見ていないかもしれないと思って直接コールをよこしたのだろうが、出るのがめんどうだったので、そのままにしておいた。
 アラームがセットしてあったのは10時半だった。時間になったところで(…)にメッセージを確認した旨を送る。お大事に、と。歯磨きしながらスマホでニュースをチェックする。トースト二枚の食事をとり、コーヒーを飲み、きのうづけの記事の続きにとりかかっていると、新三年生の(…)さんから微信。スピーチコンテストの代表は彼女に決まったという。(…)さんは交通事故に遭ったらしい。それで代表を退いたとのこと。(…)さんはもともと大学にもどったあと、原稿をブラッシュアップするつもりでいたわけだが、代表が正式に彼女に決まったいま、新学期がはじまるまえに原稿を仕上げておいたほうがこちらの負担も少なくてすむだろうというあたまがあったので、ブラッシュアップはこちらに任せてくれと伝えた。(…)さんは(…)さんで、担当の(…)先生から原稿を修正するようにとは言われたものの、具体的にどこをどうすればいいのかという指示がいっさいなかったので困っていたとのこと。
 (…)さんにお見舞いの微信を送る。交通事故に遭ったときいたが、だいじょうぶか、と。「先生、嘘をつきたくありません」「実は私は自分で自分を切ったのです」との返信がすぐに届く。一瞬にしてあたまのなかですべてがつながった。そういうわけか、と。先学期以降、彼女の授業態度が急激に悪化していた理由はここにあるのか、と(授業中にゲームをしていた件は別としても、眠たそうにしていた件についてはここに理由があるのだろうとすぐに悟った)。手首を切ったということなのか、自傷行為をしたということなのかと確認すると、肯定の返事。他人には秘密にしたほうがいいんだねと重ねて確認すると、秘密にしてくださいとのこと。言いたくなかったら言わなくてもいいと前置きしたのち、ときどきそういうことをするのかとたずねると、前回は三年前にしたという返事。そのときは傷は浅かったが、今回はかなり深く切ったらしく、大動脈まであと1センチだったらしい。「今回は本当に死にたいでした」「ただ運命が私を死なせないようだ」という。理由はいろいろあるというのだが、過去の失恋がどうやら大きいらしい。(…)さんは以前、うちの寮にメシを作りにきてくれたとき、高校時代の彼氏だったかに手ひどく傷つけられたみたいなことを言っていた記憶があるのだが(浮気をされたという話だったと思う)、おそらくその件だと思う(「あの失敗した恋愛は私に大きなダメージを与えた」「あの男は私に悪いですが、私が彼から離れられないのは、私が孤独を恐れているからです」)。周囲に相談できる友人はいるのかとたずねると、「誰に言っても無駄だ」とのことで、彼女にはどこにいくにしてもなにをするにしてもいっしょという相棒の(…)さんがいるわけだが、そんな彼女にすら打ち明けることができないわけで、それでいえば、彼女のクラスメイトである(…)さんも(…)さんも自分がうつ病であるとこちらに打ち明けてくれたいっぽうで、それぞれの相棒である(…)さんと(…)さんにはやはりなにもいうことができないと涙ながらに語っていたわけで、メンタルイルネスに対する社会的な理解度のなさがこれらの例からだけでも十分に察せられるわけであるが、理解でいえば両親のそれが重要であるところ、幸いなことに、(…)さんの両親は彼女の精神状態を気にかけてくれているという話で(以前は彼女がうつ病であるかもしれないと訴えても理解してくれなかったのだが、今回か前回かわからないが手首を切って以降、そこのところを理解してくれるようになったという)、だから、こういうのは比較すること自体がまちがいといえばまちがいであるのだが、それでもこの一点にかぎっては、(…)さんよりも(…)さんよりも、(…)さんよりも(…)さんよりもまだ恵まれているといえるだろう。「心理カウンセラー」である(…)先生——というのが日本語学科に所属するあの(…)先生と同一人物であるかどうかはわからないが——に訴えたこともあるが効果はなく、食欲不振と不眠に悩まされていたと(…)さんはいった。「消毒中に麻薬を打っていなかったので、傷口がとても痛くて、痛くて涙が出ました」「縫い針の時、麻薬を打っても、まだ痛いです」などと続いたが、いまもまだ病院にいるのかどうかは不明。とりあえずゆっくり休むように、両親の理解もあるようであるし場合によっては休学も考えるようにと伝えた。
 しかし大変なことになった。今学期の初っ端からこれかよと思った。両親の理解があるという話であるし、こちらの出番はさほどないと思うのだが、いやしかしリストカットの件を秘密にせず打ち明けたということは、やはり理解者をもとめているということなのかもしれないし、場合によっては(…)さんや(…)さんのときのようにいろいろ動く必要が出てくるかもしれない(その場合は逆転移しないようにマジで気をつけないといけない……)。
 きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年9月1日づけの記事を読み返す。以下、2021年9月1日づけの記事より、『星の子』(今村夏子)の感想。

風景描写はほぼない。人物の外見すらろくに描写しない。心理描写もぎりぎりまで切り詰めているのだが(説明・分析をしない)、その切り詰め方が、(「こちらあみ子」もそうだったが)抜けた「わたし」による一人称という形式と完璧にフィットしている。ふつうの作家であれば、こういう状況に置かれたこういう人物の内面を、第三者的な視点から分析的に記述したくなるか、内側から当事者の判断と迷いを記述したくなるかするだろうに、そこに対する禁欲っぷりがすさまじい。とにかく分析という分析がことごとく排除されている。「わたし」の周囲の登場人物にしたところで、彼女らがなにを考えているか、その内面が描かれることもないし、ご都合主義的なダイアローグによってその意図や本心が吐露されることもないのだが、抜けた(バイアスのかかった)「わたし」を経由して語られる出来事と、その「わたし」が周囲の登場人物と交わす(判断・評価不在の)ダイアローグの機微を丁寧に追っていけば、彼女らはおおむねこういう考えの持ち主だったのだろうと察することのできる、その塩梅がマジでクソ絶妙というほかない。

周囲についていくことのできないトロい子ども、世界の速さに置き去りにされてしまう迂闊な子どもを書かせたら、今村夏子よりも巧い作家はなかなかいない気がする。子どもの表象に完璧に成功している小説といえば、これまで中勘助銀の匙」と保坂和志「この人の閾」だけだと思っていたが、今村夏子も捨て置けない。子どもの表象とひと口にいっても、「銀の匙」は長じた当事者による回想的な語りであるし、「この人の閾」は成年である第三者による観察(記述)であるので、今村夏子の作品群とはまた毛色が全然異なると思うが。あと、グレた年長の兄弟姉妹を子どもの視点から書くのも本当にいい。「こちらあみ子」もそうだったが、ぐっとくる。

語り手の「わたし」だけが事態に気づいていないし、周囲の諒解も共有していない。もっといえば、「気づいていない」ことにすら「気づいていない」。ようやく気づいたところで、(筋を追う読者が一種の「破局」に対して身構えをとるのを尻目に)「わたし」の反応は薄く、鈍く、その内面は「破局」に釣り合う動きをまるでみせない。自信の誤解、錯誤、思い込み、見込み違い、見当外れ、非常識——そういったものがあきらかになる、ほとんど暴力的といってもいいほどの暴露や答え合わせの瞬間が、大なり小なりたくさんあるにもかかわらず(そのなかのいくつかは読者に叙述トリックのような新鮮な驚きをもたらす)、「わたし」は(言葉の広い意味で)「反省」することがない(そして「反省」の不在は記述の簡素化をもたらす)。これが本当にすごい。なぜ、書かずにいることができるのか?

 それから、一年前の今日は、金先生に通訳と付き添いを頼むかたちで、欠けた前歯を修復するために歯医者をおとずれた日だった。

こちらは歯医者での治療をまったく苦痛とは思わないタイプである。口の中にあれこれ突っ込まれている状態でもうとうとしてしまうほどだ。このときも途中からけっこう眠気を感じた。不思議なのは、相手がその気になればこちらに極限レベルの苦痛を与えることができる、命だって奪うこともできる、そういう状態に身を置く、というか委ねているそういうときにこそ生じる一種の安心感みたいなものがあることで、ごくごく一般的に考えれば、母に全的に身をゆだねていた幼少期の反復がもたらす甘い全能感なのだろうが、同時に、ここには完全な受動性、自己を完全に放棄することで生じるある種のエクスタシー、啓示待ちの身にもひとしい官能性の片鱗のようなものもあるよなと思う。

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は15時だった。(…)さんのスピーチ原稿にとりかかる。16時過ぎに作業を中断。
 ケッタに乗って(…)へ。店の近くにある駐車スペースで金髪に染めた若い男女が大型バイクにまたがっていたりベンチでベロチューしていたりするのを見て、めずらしいものを見た気分になる。いわゆる不良少年&少女だと思うのだが、そのスタイルというか外見というか出で立ちみたいなものが、こちらが中学生ないしは高校生時分の地元のいたるところにいた不良とうりふたつだったのだ。中国の不良というと、というのは主語がでかすぎるだろうから(…)省の不良に言い換えるが、みんなだいたい短髪の黒髪でやせぎすで腕にびっしり刺青が入っているという印象を有しているのだが(夜遅い時間の后街をぶらぶらしているとそういう姿をよく見かける)、日本の田舎にそのままやってきても不良で通じる、ああいうスタイルの子たちもいるんだなとちょっとなつかしく思った。こちらのことを日本人だと知ったら絡んでくるかもしれないなと思いつつ入店。
 店のおばちゃんらはいつもどおり迎えてくれた。担担面の大盛りを食う。食いながら、自殺をはかったと学生から連絡のあった数時間後に大盛りを食うのかと思った。いや、こういう罪悪感は偽の罪悪感でしかない、これはいかにも嘘くさい、こういうのはむしろ一種得意になっているようなものだ、感傷や罪悪感や自責の念として(…)さんを消費しようとしているにすぎないのだ、というこの考え方自体もまた一種の消費であり搾取であるのかもしれない、でもだからといってこういうひっかかり、後ろめたさがゼロであるというのもそれはそれでダメなんじゃないかと思う。
 食後、腹がいっぱいだったので、ひととき店内でゆっくりした。それからとなりにある(…)で買い物。豚肉、パクチー、广东菜、冷食の餃子のほかに、布巾とスポンジを買った。先学期あれほど探しても探しても見つからなかったスポンジをようやく入荷するようになったわけだ。調味料コーナーには開店当初から陳列されている日本製のさしみ醤油だのなんだのがまだ置かれていたが、これらもいずれ近いうちに撤去されるかもしれない。一部ではもはや水産物でもなんでもないものが、ただ日本製品であるという理由だけで店頭から姿を消しているらしい。
 帰宅。違法アップロードされているものだと思うのだが、NHKの「三和人材市場〜中国・日給1500円の若者たち〜」がYouTubeにあったので、視聴した。三和人材市場で日雇い労働をしている若者たちのドキュメンタリー。番組内でフォーカスされているひとりなどすでに身分証明書まで売ってしまったと語っていて(それもほんの端金だった)、は? マジで? ほなもうなんもできんやんけ! となった。Wikipediaの「三和大神」の項目でも、実際、「求職者の中には、ここに長期滞在して独特の「サブカルチャー」を形成し、定住することなく、ほとんどが派遣社員として日雇いで働きながら、「1日日雇いをすれば、3日は遊べる」と言い切る人もいる。これらの労働者の中には、身分証明書さえ持っておらず、借金を抱え、家族との連絡もほとんど取れない者もいる。身分証明書を紛失したため切符を買うことも三和地区から出ることもできない人もいる一方で、極貧で散在した環境に長くいたため、もはや自分の意思でこの土地を離れることができず、社会のメインストリームに復帰できない人もいる」と記されている。映像を見るかぎり、ごくごく最近のものではないだろうなと思ったのだが、番組が放送されたのは2018年5月で、そもそも中国語圏でも「「三和大神」といった集団に関する初期の報道は、2017年5月3日に触乐(Chuapp; 中国Webニュースサイト)が掲載した記事「三和でゲームをする人たち」がきっかけとされる」とあるので、ちょうどこちらが中国に渡る一年ほど前ということになるのか。出稼ぎ労働者らの集まる地域を映したものであるとはいえ、深圳にしてはそれにしてもみすぼらしい街並みがひろがっているというか、普通にこちらがいま過ごしているあたりとあんまり変わらないんじゃないかという感じで、それが、この映像はそれほどあたらしいものではないという印象をこちらに与えた理由だったりするのだが、しかし中国はわりかし大都会でも、路地を一本ちょっと奥まったところに入っていっただけでボロボロの住宅群がひしめきあっていたりするものらしいので、そういうものなのかもしれない。三和大神を自称したりその周辺にいたりする人間の大半は90年代生まれ。農村生まれの留守児童で、両親は物心のついたときからすでに出稼ぎ中、教育の価値を理解していない農村の祖父母のもとで育ったこともあって勉強はろくにしておらず、結果、中卒で社会に出ることになったという人物が多いという話で、いまのうちの大学にいる学生はどうかわからないが、こちらが赴任した当時の学生にもけっこうこの留守児童がいた。(…)さんもそうだったし、夏休み前にうつ病と診断されたとこちらに連絡をよこした(…)くんもそうだったし(彼はうつ病の原因としてじぶんがかつて留守児童だったからだと思うとすら言った)、最近であればこの夏に卒業したばかりの(…)さんも、口語のテストのときだったと思うが、じぶんは小さいころから農村にいる祖父母のもとで育ってと語りながらその農村の写真を見せてくれたのだった。いまは省外の都市部出身の学生も多くなってきたので、ちょっといろいろ見えにくくなっているのだが、それでも(…)省出身の学生だけにかぎってみれば、まだまだ留守児童だったという子は多いんではないかという印象を受ける。ところで、省外出身の学生の数が増えるにつれて、この国の格差というのはすさまじいものであるなとつくづく感じるのは、たとえば今年もあと一ヶ月もすれば新入生と対面するわけであるが、(…)省の農村出身の子と省外の都市部出身の子では、特に女子学生に顕著であるのだが、身なりからしてもう全然違うのだ。都市部の子たちは入学するころにはすでに化粧もおぼえているし、服装にも髪型にもこだわりみたいなものが認められるいっぽうで、農村出身の子たちはみんな芋臭くて野暮ったい。こちらが赴任した当時、新入生の女子学生の半数以上はみんなおなじような髪型(ロングのひっつめ)、おなじようなめがね、おなじような服装(たとえば夏であればデニムのホットパンツに白のTシャツ)、おなじような体型(ぽっちゃり)で、卒業するまで化粧もいっさいしないという子がほとんどだったが((…)さんはそのせいで学生たちの名前をおぼえるのに難儀すると漏らしていたほどだ)、彼女らは往々にして農村出身者だった(いまはさすがに農村出身者でもそんなふうではないと思う)。
 しかし三和大神を見ていると、こちらがかつて受け持った学生たちの、たとえば中学時代や高校時代の同級生のなかには、こうした群れの一員になった子もいるんだろうなと思う、その意味でそれほど遠い存在には思えない。三和大神が90年代生まれの農村出身の低学歴者であるのに対して、寝そべり族はというと主に00年代生まれのムーブメントということになるのだろうし、あちらはデカダンスで破滅的なその日暮らしというよりも思想的にはミニマリズムに近いという印象を受ける、提唱者もそもそもインテリであったはずだし、賛同者のなかには大卒者も多い。詳しいことは知らないのでこれらは適当な放言であるけど。
 浴室でシャワーを浴び、ストレッチをし、コーヒーを用意してからふたたび(…)さんのスピーチ原稿に着手。作業中は、『SOS』(SZA)と『The Reminder』(Feist)と『Let It Die』(Feist)を流した。『Let It Die』は(…)時代、(…)さんがおすすめですよと貸してくれたもの。ひさしぶりにきいた。
 途中、大分の(…)さんから微信。仕事休みを利用しておなじ大分の(…)さんと電車に乗ってブックオフに行ってきたという。宇江佐真理という作家を知っているかというので、知らないなあと思いながらググってみると、時代小説をメインに書いている人物らしい。表紙の絵が古代のものだったのでおもしろそうだなと思ったという。仕事には慣れたかといつもの質問をしたところ、「嫌い嫌い嫌い大嫌い」という返事。旅館では部屋の掃除だけではなく、案内や紹介など、やらなければならないことが非常に多く、それらの内容をおぼえるのがとにかく大変だというのだが、それ以上に、やはり同僚との関係に悩みがある様子。東南アジア出身の先輩たちとなかなか馬が合わないのかなと思ったが、彼女自身の問題ではなかった、彼女の教育係であるブータン人と、そのブータン人の先輩であるネパール人との関係がとにかく悪いらしい。(…)さんが仕事でヘマをしたとき、ネパール人の先輩はそのことで彼女に直接注意するのではなく、教育係であるブータン人を叱りつけるという。それも決まってかなりこっぴどくやっつけるというのだが、しかしくだんのネパール人は(…)さん本人に対しては優しいのだ。ほかの同僚らに対してもやさしいし、客受けもかなりいい、ただブータン人に対してのみ辛辣らしくて、そのあたりもしかしたら政治的なあれこれがあるんではないかと思ったが、(…)さんの印象としてはそういうアレではないという。ネパール人とブータン人はおなじ日本語学校出身だというのだが、ネパール人のほうが能力は上で、それでまたそのことを勝ち誇ったようにいうらしく、(…)さんとしてはそういうところにも違和感をおぼえるとのこと。ちなみにネパール人とブータン人のふたりはネパール語でのやりとりも可能らしく、これについてはWikipediaに「ブータンでは、英語も含めると20以上の言語が話されている。公式には、チベット語系のゾンカ語が公用語である他、ネパール語と英語も広く使われている。その他、ツァンラ語、シッキム語、ザラ語、リンブー語、ケン語、バンタワ語等が話されている。国内の言語分布は、西部はゾンカ語、東部はツァンラカ語(シャチョップカ語)、南部はネパール語ブータンではローツァムカ語と呼ばれることもある)が主要言語となっている。英語・ネパール語を除いたすべての言語はチベットビルマ語系の言語である。地方の少数民族を中心にゾンカ語を話せない人も多く、ブータンで最も通用性が高いのはヒンディー語やそれに類するネパール語である。これは近代教育初期の教授言語がヒンディー語で、インド製娯楽映画やテレビ番組が浸透しているためである。2006年の統計上は、ゾンカ語話者は全人口の25%、ネパール語話者は40%である。80年代まで政府は、南ブータンの学校でのネパール語教育に助成金を供出していたが、ゲリラ勢力の台頭以降、教授科目から外れる事となった」とのこと。
 (…)さんのスピーチ原稿修正が片付いたので送信。(…)先生と一緒に確認しておいてくださいと伝える。それから23時ごろまで授業準備。新学期がはじまるまでに準備をすべて終えることはできなかったが、休日に一コマずつ片付けるというペースでやっていけば9月中に、というか下手をすれば来週中にはいったん目処がつきそう。
 冷食の餃子を食し、プロテインを飲み、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェック。寝床に入るまえにいつものように部屋の照明を落とし、YouTubeにあがっている適当なビートにあわせて今日一日を日記のようにふりかえるかたちでフリースタイルをおこないあたまのなかを整理するわけだが、(…)さんの件をふりかえっている最中に、そういえば彼女からは夏休みに日本旅行をするつもりであるからこちらの実家をおとずれてもいいかとか、その計画が立ち消えになったあとも彼女の実家に遊びに来ないかという誘いがあったりしたわけだが、そのいずれもこちらはつっぱねてしまったわけで、ああいうのを受けていたらなにか変わっていたのかもしれない、もうちょっと事情がよくなっていたかもしれないと思った。いや、それはそれでやっぱり傲慢というもので、こちらの存在が彼女の人生に影響をあたえるほど大きなものでないことは明白であるし、そこを勘違いしてはいけないわけだが、ただある種バタフライエフェクトみたいな感じで、ああいう誘いを気前よく了承していたらもしかしたらと思うところもなくはない。先学期の会話の授業は平常点込みで成績をつけると学期はじめに宣言した手前、授業態度のおそろしく悪かった彼女には最高点をつけることができなかったわけだが、それについてもせめて事情を知っていれば斟酌することができたのにという苦々しさが残る。彼女がいま現在どういう状況なのか、(…)の病院に入院しているのか、そばには両親がいるのか、そしてどういう精神状態であるのか、さっぱり見当がつかないわけだが、仮に近場の病院にいるのだとすれば、そして彼女の心情含むもろもろの条件がそれをよしとするのであれば、明日か明後日お見舞いにいこうかなと思う。
 いや、どうなんだろな、それも。でしゃばりすぎかな。うーん。精神的にまいっているときに不慣れな外国語で会話なんてしたくないよな、たとえば仮にこちらが病気で入院しているときに(…)や(…)が見舞いにやってきたら正直めんどくせえなァと思ってしまうよなと、寝床のなかで考えていたのだけど、いやこの考え自体がまたおかしいのか、物事を「外国語で外国人の相手をする」と雑に一般化して考えているわけで、それをめんどうくさいと思わないひともいるという話とは別に、そもそも「外国人相手」というときのその相手がだれであるかによってそんなもの全然変わるわな、仮に(…)や(…)よりも普段ずっと親しく英語で交流している相手がいて、そのひとが見舞いにくるというのであればこちらもそれほど悪い気はしないだろうし——いや、それでいえば、(…)さんとこちらはそれほど親しいといえるのか? 何度かいっしょにメシを食ったり散歩したり、ときおり微信で犬についてやりとりしたり、あるいはうちの寮でメシを作ってくれたこともあったりしたが、それでも授業外の付き合いなんて片手で数えるほどしかないのでは?