20230903

 アラームは9時に設定してあったのだが、8時過ぎにおのずと目がさめた。しばらく寝床のなかでぐずぐずやったのち、半をまわったところでベッドを抜け出し、歯磨きしながらスマホでニュースをチェックした。(…)さんにもらったお菓子と(…)くんにもらった月饼を朝食代わりに食し、10時にはじまる会議の10分前になったところで寮を出た。おもては小雨。ケッタで(…)楼のそばまで向かう。
 会議室にはすでに(…)以外の教員が出揃っていた。はじめてみる黒人男性から握手をもとめられたので軽くあいさつ。(…)からなにやら話しかけられたが、あいかわらずうまくききとれないので適当に返事する。(…)が遅刻ぎりぎりでやってきたところで会議開始。上座には小太りの女性。こちらが(…)だとずっとEnglish nameを勘違いしていた(…)だ。中国人スタッフはそのほかに(…)と(…)とあとたしか先学期からみるようになった新人の若い女性がいてこの子のEnglish nameは(…)であるとのこと。というかこちらが(…)だと思っていた人物が(…)であることが判明したのがたしか先学期だったわけで、だったらこのひとが(…)であるなと考えなおしたそのひとは今日は不在で、かわりにいた別の見覚えのある女性が(…)として紹介されていたわけで、じゃああのこちらが二番目に(…)だと思っていた小柄な女性はだれなんだとなったところで、外国人教師と国際交流処のスタッフからなるグループチャットを確認したところ、彼女は(…)だった。これでようやく、マジでいまさらすぎるわけであるけれども、国際交流処のスタッフの顔と名前が一致した。まずボスが(…)だ。小太りでやや化粧の濃い彼女はなぜかこちらに話しかけるときに英語ではなく中国語を使うことがときどきある。(…)はわれわれ外国人の直接の窓口として機能している存在でおなじみ。今日の会議には出席していなかったが、(…)((…))は留学生担当で、こちらが赴任した当時はいまの(…)の立場だった(一度、「日本人教師はやさしい、不満をあまり言わないから、ほかの国の教師はいつもすぐに文句をいうので対応するのが疲れる」という愚痴を直接聞いたことがある)。(…)はちょっと顔がアンパンマンっぽい女性で、(…)にくらべると英語能力は劣るのかなという印象。(…)は今日の会議に参加していなかったが、いつもやさしく人当たりのよい印象を受けるというか、たぶんけっこうシャイなんだと思う。そして新入りの(…)は学生とほぼ変わりない年頃のようにみえる。今日の会議中もずっとおとなしくひかえにまわっていたので、英語がどれだけできるのかは不明であるが、まったくできないということはないだろう、と書いていて気づいたのだが、こちらが赴任した当時スタッフとしていた(…)はほとんどまったく英語ができなかったのだった、あれはきっと关系で雇ってもらったのだろう、いつのまにか見なくなったが。
 外教はこちらを含めて現在7人いるようだった。外国語学院の授業をメインとしているのがこちらと(…)と(…)の三人。(…)は定年で大学をやめるという話を以前(…)先生からきいたし、かわりに若い英語教師が入ってくるというアレではなかったかと思ったのだが、ひとまず今学期は変わらず継続というかたちらしい。ほかにキャリアが長いのは(…)で(こちらと半年か一年しか違わないはず)、今日はひとりずつ軽く自己紹介をする場があったのであらためて確認することができたのだが、彼はやはりカナダ出身であった。しかし英語はけっこう聞き取りにくく、それはこちらだけではなく中国人スタッフも同様のようす。もうひとりは微信のアカウントに(…)とあるのだが、アイコンの画像には(…)と記されていて、こちらの記憶が正しければコロナの発生する直前のクリスマス会で軽く話を交わしたことがある。そのときは白人女性である奥さんもいっしょで、黒人と白人の夫婦ってめずらしいなと思ったのだし、国籍もロシアとアメリカという話だったように記憶しており、つまり、(…)のほうがアメリカ人で奥さんのほうがロシア人という認識だったのだが、現在の彼は(…)というアカウント名の左右に中国とロシアの国旗を配しており、だから、あれ? こっちがロシア人なのかな? と思うようになったのだが、まあ、(…)とおなじでガチガチの反米主義者であり、かつ、陰謀論者であるということなのかもしれない。しかし彼の英語はマジで聞き取りにくく、会議の途中、教室を自由に使うことができないとか学生の英語能力が低すぎるせいで授業が成立しないとかそういう愚痴をとうとうとまくしたてる一幕があって、そういうのは以前(…)がやっていて周囲をうんざりさせていたことであるのに、彼がいなくなったと思ったら次はおまえがやるんかいという感じであるのだが、とにかく聞き取りにくい、そりゃあ学生もついていけんわと思うわけだが、あれでネイティヴなんだろうか? いや、ネイティヴだからこそ聞き取りにくいわけか? 新入りはふたり。厳密にいえば、今学期からの加入ではなく、もしかしたら以前よりオンライン授業をやっていたのかもしれないが、ひとりは(…)で彼はナイジェリア出身。キャップをかぶってめがねをかけていたのだが、そのめがねというのがこちらが日本にいるあいだに買おうかどうか迷っていた一本にそっくりだったので、あぶねー! かぶるとこやったわ! 買わんくてよかった! となった。彼の英語はおそろしく聞き取りやすかった。ナイジェリアの公用語は英語であるらしい。なるほど。もうひとりはインド人の男性で、名前はむずかしすぎて聞き取れなかったのだが、微信のアカウント名によると、(…)とのこと。比較的おとなしい。
 外国語学院でメインに授業をしているこちらと(…)と(…)の三人は当然語学教師であるわけだが、ほかの四人がなんの授業を担当しているのかはよくしらない。(…)はengineerだったと思うし、(…)((…))は実験がどうのこうのいっていたのでたぶん理系なんだろう。(…)はもしかしたら国際学部のほうで英語をメインに担当する語学教師なのかもしれない、(…)((…))が学生の英語能力の低さを訴えるのに対して、じぶんの経験であるがと断ったうえ(彼はうちの大学に来る前に中国のよその大学で働いていたらしい)、授業では学生らをグループ分けしてactivityをするようにしているみたいなことを語っていたのだ。とはいえ、その彼もうちの学生のレベルにはやや辟易しているらしく、What color is your shirt? という質問にすら答えられない子がいるといった。そういう流れで主に(…)((…))と(…)と(…)のあいだで学生の語学力をいかに向上させるかみたいな議論がはじまったのだが、こちらにいわせれば、おめえらまだ英語やからええやんけ、中国人はみんな小学校から英語勉強しとるやろが、うちのクラス来てみぃ、特に新入生なんてほぼコミュニケーション不可能のところからはじめとんやぞという話である(とはいえ、われわれには奥の手である漢字があるわけだが!)。(…)はとっとと会議をきりあげたいらしく、喧々轟々の連中のほうを苦笑いでながめながらこちらにちらりと視線を送った。めんどくさいねという合図だ。あと、今日あらためて思ったのだが、(…)はめちゃくちゃおしゃべりだ。しかしおしゃべりであるのだが、英語の発音の問題なのか本人の声質のせいであるのかわからないが、こちらや中国人スタッフは彼の発言の聞き取りにけっこう苦心するし、そもそも彼自身ほかの面々が交わしているやりとりとずれた発言をすることがたびたびあり、それもまた彼自身の資質というか読解力に由来するものであるのかそれとも語学力に由来するものであるのかよくわからない。いや、カナダ人であればそもそも英語力に問題があるということはないと思うのだが。
 その後、(…)が無理やり会議をきりあげて写真撮影。なんだかんだでこちらがまたいちばんの若手であるかなと思ったが、いや(…)のほうが若いかもしれない、黒人男性なので年齢がちょっとわかりにくいのだが、肌にもツヤがあるしファッションもけっこういい感じであるし、三十代前半くらいだったりするのかもしれない。
 (…)にたのんで今学期のカレンダーを送ってもらう。今年の国庆节はけっこう長いらしい。それから(…)に(…)に渡しておいてくれと伝えてドラえもんのキーホルダーをあずける。これ以上長くなるのもめんどうくさかったので、とっとと会議室をあとに。寮にもどったあと、(…)からたのまれていたreimbursementのためのクレジットカードの明細を送る。それからきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年9月3日づけの記事を読み返し、今日づけの記事もここまで書くと、時刻は14時前だった。

 執筆にとりかかる前にいつものようにコーヒーを淹れようと思ったのだが、去年大学の封鎖がはじまってまもないころに買いだめしていたペットボトルのコーヒーがまだまだたくさん残っていることを思い出し、期限はだいじょうぶなのだろうかと確認してみたところ、保质期なるものをすでに二ヶ月ほど超過していた。ググってみたところ、保质期というのは日本でいう賞味期限のようなものであり、消費期限ではないらしい。だったらだいじょうぶであるなと思ったが、それでもやはりはやめに飲んでおいたほうがいいだろうというわけで、シンク下の収納に入れてあったやつをまとめて冷蔵庫に移し替えた。そのうちの一本を飲みながら「実弾(仮)」第四稿執筆。きのうに引き続き、シーン36に加筆修正を重ねていく。ほとんど全文が現在形になっているのだが、これはどうしてなのだろう? 第三稿の時点でこれはちょっとおかしいぞとは思わなかったのだろうか? いまあらためて読み返してみると、どうしたってリズムが短調でつまらなく感じられてしまう。いちおうシーン36のケツまで通してやることはできたが、これでオッケーとはまだしたくないなというアレがあるので、明日もう一度確認することに決めた。
 夕飯をこしらえて食す。昨日と今日の二日間が返校であるので、食堂もとっくに営業開始していると思うのだが(今日の会議で(…)も昨日ようやくプリペイドカードにチャージすることができたと報告していた)、冷蔵庫および冷凍庫のなかにまだ食材が残っているので、めんどうくさいけれども自炊することに。タジン鍋に肉と野菜をぶちこんで食す。
 新二年生の、と書いたところで思ったが、いちおうもう返校期間であるわけだし新学期というあつかいでいいのだろうか? だとすれば新二年生ではなく二年生ということになるわけだが、まあそんなことはどうでもいい、新二年生であろうと二年生であろうとどうでもいい(…)くんから書き直しのすんだテーマスピーチ原稿が送られてきた。内容をざっとチェックした感じ、前回よりははるかによく書けていたが(というより前回がひどすぎたわけだが)、「(…)」というテーマに即した個人的なエピソードが語られたあとになぜかオッペンハイマーのエピソードが引かれており、時期的におそらくクリストファー・ノーランの映画を観たんだろうが、偉人のエピソードなり逸話なりを引くとすれば普通は原稿の序盤であり、それを踏まえるなりあるいは対比するなりのかたちで自分の具体的な経験を続けるものだろうに、まるで字数不足を補うべく最後の最後にとってつけたようなアレになっていて、やっぱり彼には構成力というものが完全に欠落しているし、これにオッケーを出した(…)先生も同様である。さらに問題なのは、原子力爆弾を開発したオッペンハイマーを戦争を終わらせた偉大な立役者として言祝ぐような内容になっていることで、いやこれいちおう日本語のスピーチコンテストやし審査員には日本人も一人か二人は参加するわけなんやがと思うわけであるし、そもそも(…)くんはガチガチの精日分子であるのに原爆についてはそういう認識なのかとおどろくわけで、とりあえず審査員に日本人が含まれている事実を告げたうえで、偉人をとりあげるにしてもどうしてよりによって米国の兵器開発にたずさわった人間をとりあげるのか、それよりもむしろ中国国内の偉人であったりあるいは日中両国の偉人であったりをとりあげるほうが適切ではないかと疑念をていすると、あっさりとたしかにそうですねという反応があって、ここでオッペンハイマーをとりあげたのはやっぱりただ最近くだんの映画を観たばかりだからであるという。(…)くんは作文コンクールの原稿でもテーマや趣旨を無視して、そのときドハマりしていた弥生時代だの奈良時代だのの歴史を延々と書くという馬鹿をしでかしていたし、やっぱり基本的に作文というものを理解していないのだろうなと思う。もっといえば、彼の政治的認識にしても、複数の視座を比較対照したうえでいわゆる精日分子的な価値観を有するにいたったというわけではなく、アニメかなにかを目的に噛ませたVPNを経由してたまたま壁の外で自由に政治的発言をしている同国人に出会った、その衝撃みたいなものにただただ突き動かされているだけであり、ケースごとイシューごとに複雑な判断を下しているわけではないのだろう。そうでなければ、「オッペンハイマーは原爆の父だと人達に言われていて、僕は彼が偉いなぁって思って、こうして、彼のエピソードを書きました」などという、素朴な小学生みたいな発想にはならないだろう。そういう意味ではちょっと(…)くんに似ているかもしれない。(…)くんはいわゆる精日分子ではないし、いまどきの若者らしく愛国心も旺盛であるけれども、それでも自身がゲイであるという事情であったりゼロコロナ対策の非合理性を目の当たりにしたりして、子どものころから内面化するのを強いられていたあれこれを徐々に相対化しつつあるのだが、それでもやっぱり深い相対性、それはいわゆる自由主義陣営の価値観のなかではそれほど深くはないというかむしろ教科書的なお行儀の良いアレでしかないのだが、その程度の浅さ=深さしか獲得するにいたっていない、ものすごくバカな言い方をすれば「どっちもどっち」とか「どちらにも正義がある」とかそういうクソ単純な考え方すらそもそもインストールせずに成長してしまっている、しかるがゆえにモーメンツの投稿などを見ているといまでもやっぱりあやういというか、処理水の話にかぎらずであるけれどもけっこう扇動されやすい気質であるなと思われる、その気質をいわば裏返しにしたかたちで(…)くんもまた持ち合わせているように思うのだ。とはいえ、彼はしょせん二十歳そこそこであるし、ひるがえってじぶんが彼と同い年であったころを思い返してみると、まあそういうふうな浅はかさを脱しきれないのも仕方ないよなと思う。こちらにしたところで実際、大学入学にはじめてパソコンを買ってインターネットに触れて、当時まだいまほどがっつり流通していたわけではない嫌韓・嫌中発言の洗礼を受けて一時的にそちらに流されかけたりもしたのだが、ただ幸いなことにインターネットに触れるのと文学にあるいは芸術に触れるのがほぼ同時だった、そのおかげである意味免疫を獲得することができたというか右と左で相殺しあって、窪塚洋介の言葉だったと思うけれども鳥が空高く飛ぶためには右の翼も左の翼も必要だみたいなものがあったと思うがそれはともかく、いわゆるネトウヨにならずにすんだという実感がある。それでいうと、中国の教育環境および情報環境というのは、こちらがネトウヨになるのをひきとめてくれた文学および芸術が、というのはいわゆる反=愛国的言説であるとこの場合は言い換えてもいいわけだが、そういうのがまったく存在しない状況であるわけで、だからこちらがもしこの時代の中国に生まれ育っていたら、かなり高い確率で小粉红になっていたんではないかという気がする。小粉红でもネトウヨでもいいし、あとはSNSでバカをやってさらされている連中でもいいけれども、ああいう連中を見ているとときどきぞっとする、じぶんも一歩間違えればああなっていたんだという恐怖をひしひしと感じる。そしてそのあやうさと同様のものをやっぱり現在の(…)くんも抱えているはずで、壁越えしている中国人のなかには実際反CCPであればなんでもいいみたいな人物も多く、結果トランプや安倍晋三みたいな人間を盲目的に信奉していたりするそのようすをながめていると、このひとたちは壁の中では許されていない理念をもとめて壁の外にやってきたのではなく、とにかく自国政府を叩くことさえできればなんでもいいんだという感じがして、それはつまり、中韓朝日新聞をはじめとする左派系メディアさえ叩ければなんでもよろしいという(保守主義者ではない)ネトウヨと構図としてはおなじなのだ。
 ところで、『オッペンハイマー』については卒業生の(…)さんも触れていて、彼女自身のものではない長い作品レビューに対するリンクをモーメンツに投稿していたので、DeepLを噛ませて読んでみたのであるけれどもかなり理性的な内容のものであり、

 浴室でシャワーを浴びる。中国人が原爆を肯定するのは心情的には理解できなくもないよなと思う。南京も731部隊も正式に認めない政府が原爆の被害者としてふるまう、そのふるまいをどうしてじぶんたちが支持しなければならないのだ、と。もちろん、科学的にというか理性的に考えれば、南京にしても731部隊にしてもそこで行われたことは徹頭徹尾非人道的なことであり糾弾されるべきであるし、となるとおなじく徹頭徹尾非人道的である広島と長崎でのできごとも糾弾されるべきであるとするのが筋なのだろうし、少なくともこちらはそう考えるわけであるけれども、ただ中国人民があくまでも心情的に被害者たる日本に寄り添うことができない、その点をどうして理解できないのだと詰め寄るような態度はやはりおかしいのであって、それはたとえば、トリチウムは問題ないにしてもその他の放射性物質はたとえ二重に処理したとしてもいくらかは残存するものでありそれを人体に影響がないレベルで薄めたところで大洋に放出すれば汚染は汚染であるわけで、であるから(科学的理性や数量的判断とは別に)心情的にそこに抵抗をおぼえる人物がいたとしてもそれを強い口調で居丈高に批判するのはどうなのかというか、むしろこれこれこういうデータがあるのでご理解いただきたいとあくまでもつつましやかに出るのがしかるべき態度であるはずだという原則とも通じる話であるのだが(政権が意図的に煽動を仕組んでいる中国に対してそんな物腰は不要であるという反論があるのであれば、他の国々の反対派らを念頭に置けばいい)、とはいえ「流量」稼ぎのために平気で原爆ミュージアムの展示をこきおろす网红なんかはやっぱりとっととくたばったほうがいいと思うし、結局、いつもこういう結論になってしまうのが癪であるのだが、マジでじぶんの属性や背景や立場をいったん、完全に透明にすることなどはだれにもできないのではあるけれどもそれでも可能なかぎりいったん括弧に入れて、理念の側に道徳律の側につくという態度を、たとえそれが不徹底なものであったとしてもある程度は建前にすぎないものであったとしても、ひとまず示してみせるそのひとまずの余裕すら失われている、そのひとまずすら許せないというほど視野狭窄のヒートアップ状態になっている、それが結局現代の姿なのかもしれない。
 そういうことを考えながら浴室を出る。ストレッチをし、コーヒーを淹れ、(…)くんの原稿修正を再開する。ある程度進んだところで今日づけの記事に切り替えるが、(…)さんがモーメンツにリンクを投稿していた『オッペンハイマー』評を要約しはじめたところで、いやなんでほんなめんどいことせなあかんねんとなって投げ出した。
 新三年生の(…)さんから微信。日本語で小泉八雲の『怪談』を読んでいるが、わからない単語が出てくるたびに調べて本文に書き込んでいるので、まるで小説ではなく教科書みたいになっている、と。縦書きの文章にもなかなか慣れないという。それから今学期の時間割について、授業数が異常に少ない、もしかしたら日本語学科取り潰しの前触れかもしれないと以前こちらにおびえながら報告してみせた彼女であるが、最終的な時間割があらためて発表されたらしく、それによると例年どおり全部で22コマあるようす。それはそれで大変なのでがっかりしているらしい。複雑な子だ。あと、(…)先生が今学期博士号を取得するために北京に行くらしく、その関係で彼女の担当する授業を今週まとめて6回分、つまり、12コマ分受けることになったという話もあった。その(…)先生が一年生のスピーチ代表と何度も喧嘩をしているという報告もあった。一年生の代表とはもちろん(…)くんのこと。(…)さんは(…)さんからそう聞いたらしい。(…)先生は毎年学生と喧嘩しますというので、スピーチの風物詩みたいになってきているなと思った。
 懸垂し、プロテインを飲み、トーストを食し、歯磨きをしながらジャンプ+の更新をチェックしたのち、フリースタイルを三本ほどやってから寝床に移動。『小説の自由』(保坂和志)の続きを読み進めて就寝。明日からいよいよ新学期! めんどくせぇ! はよ冬休みなってくれ!