20230904

 7時前だったと思うが一度目が覚めた。小便をして口をすすいで水を飲んだ。それでちょっと冴えてしまったところがあり、二度寝にやや難儀した結果、9時に設定してあったアラームであらためて目を覚ますことができず、気づけば11時だった。明日10時から授業やぞ!
 歯磨きしながらニュースをチェックする。トースト二枚を食し、ペットボトルのカフェラテを飲む。朝から甘ったるいものを飲むと気持ちが悪いな。
 二年生の(…)くんから微信が届く。こちらのアドバイスを受けて原稿を書き直したというのだが、前回やりとりしたときに修正はこちらがおこなうと彼に告げてある。その点指摘すると、勘違いしていたという。さらに文字数が多すぎると指摘してあったにもかかわらず、修正後の原稿は前回よりも長大になっている。こうなると一部論旨を削る必要がある、その場合はどこを削るかによって原稿が数パターン生まれるかもしれない、その場合は担当の先生と相談してどれにするか決めてほしいと伝えると、三パターンお願いしますみたいな見当違いの返信がある。前々からそんな気がしていたけれども、(…)くんはテキストベースでのやりとりが思っていたよりもまずいのかもしれない。話す・聞く・書く・読むの四つの能力のうち、読むの能力が突出して低くないか? 高校一年生から日本語を勉強している子であるし、こちらもそれに甘えるかたちで、ほかの学生を相手にするときよりも若干ラフなやりとりをしていたのだが(そのほうがむしろ彼のためになると思っていた)、これはちょっと見込み違いかもしれないぞと思いなおした。それで、もしこちらとのやりとりで不明瞭な点があれば、そのときはわかったつもりになるのではなくしっかり確認してほしい、そうしないと今回のようにおたがいに無駄な仕事をしてしまうことになるから、こちらももう少しわかりやすい単語や表現できみとやりとりするように気をつけると続けると、彼はここでもこちらが気をつけると言っているのを気をつけなさいと叱られたものと勘違いしたらしくそのような返信を送ってみせた。(…)くんは「僕は思惟がめっちゃクチャおかしいひとだといつも自覚します」といった。中国語でのやりとりでもしょっちゅう誤解することがあるという意味らしい。うーん、やっぱり国語能力そのものに問題を抱えているタイプなのか。
 彼のクラスメイトである(…)さんにも微信を送る。数日前に作文コンクールの結果が出たのだが、三等賞以上の受賞はならずだったので、それについて報告&激励。ついでに今学期のクラスメイトは合計で何人になったのかとたずねたところ37人という返事があり、名簿も送ってもらったのだが、ほかの学部に移動したのは(…)くんと(…)さんの2人だけだった。(…)くんからは以前女子が3人よそに移動すると聞いたわけだが、実際は(…)さんの1人だけだったわけで、おいマジで(…)くんいろいろだいじょうぶかと思った。あたらしくよそからやってきた学生はふたり。(…)と(…)。前者はおそらく女子で、後者は男子だろうと、なんとなく字面で判断したが、実際はどうかしらない。漢音の読み方を調べる。前者は「(…)」で、後者は「(…)」。「毓」なんて漢字、はじめて見たわ!
 明日はさっそくその二年生の写作の授業があるわけだが、お土産争奪戦のゲームは会話の授業のほうでやるつもりでいるので、と書いていてちょっと不安に思うのは、こちらが購入したお土産は海産物ではないクッキーであるしそれも処理水放出の前に購入したものであるのだが、一部の学生はそれでも口にいれることにためらいをおぼえるのではないかということで、それでいえば二年前に入国した当時もおなじ懸念を抱いたのだった、当時の中国のゼロコロナ政策は常軌を逸しており、輸入物の魚類の口に綿棒をぶっさしてPCR検査をするみたいな報道もあったから、こちらが日本から持ちこんだお土産のチョコレートにもウイルスが付着しているのではないかと警戒する学生がいるのではないかとけっこう構えたのだった。まあ、そういうのはもう出たとこ勝負だ。ひとまず明日の授業で配布する資料を37人分印刷する。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年9月4日づけの記事を読み返し、今日づけの記事もここまで書くと、時刻は15時過ぎだった。

 コーヒーを淹れる。(…)くんのスピーチ原稿に着手する。C案とD案の二種類用意して送信。担当の(…)先生と相談してどちらにするか決めてくれ、と。すぐにD案にするという返信が届く。
 (…)から微信。航空費のreimbursementはすでに提出した資料で問題ないのだが、高铁の費用についてはTrip.comの領収書とクレジットカードの明細ではダメらしく切符を直接提出する必要があるらしい。復路のほうの切符はまだ手元に残っていたが、往路のほうはすでに捨ててしまっていたようなので、その旨告げる。いずれにせよ、手元にあるその切符を提出する必要があるというので、(…)のオフィスがある(…)楼に向かうことに。
 オフィスには(…)と国際交流処唯一の男性スタッフ——たしか(…)老师だったと思う——とたぶん(…)がいた。(…)はチョコレートをふたつくれた。切符を渡す。もう一枚は捨ててしまったようなので、reimbursementがもらえなくてもかまわないと告げると、Anyway I’ll tryという返事。娘の描いた絵をあらためてプレゼントするという。絵は地下一階の駐車場に停めてある車の中にあるというので、そちらにそろって向かう。道中、今学期は忙しいのかとたずねると、授業自体は四つだけだという返事。しかし授業とは別に国際交流処のスタッフとしての仕事がおそらくかなりあるのだろう(特に彼女は外教らの直接の窓口を担っているので、英語圏の自己主張の強い人間からはけっこう四六時中あれこれ注文が入るのではないか)。あなたは忙しいのかとたずねられたので、通常の授業は四つだけであるが、スピーチコンテストの特別授業がそれとは別にあるというと、その分は余分にお金が出るのかというので、以前は出たけれども今学期からは出なくなったと答える。授業が四つだけでは実は契約内容に満たないのだと(…)はいった。外国人教師には最低でも10periodsか12periodsの授業を担当してもらうという契約になっている、最近はinspectionも厳しくなってきているのでnot enoughであると色々と問題が生じるかもしれない、これについては(…)先生にも告げてあったのだがと続くので、げ、やば、ちょっと雲行きがあやしくなってきたぞとかまえた。スピーチコンテストの授業はどれだけあるのかというので、今月は一週間に一度三時間であるけれども、例年通りであれば来月は六時間になるだろうと答える。あとでtime tableを送ってほしいというので、了承。
 地下駐車場で絵を受け取る。そのまま徒歩で外に出る。(…)は散歩ついでにもうすこし会話を続けたそうにしていた。もしかしたら処理水の話が出るもかもしれないと思った。というのも彼女は一家そろって日本旅行に行く計画を以前立てていたはずなので、それについて意見をきかれるのではと思ったのだ。freshmanは何人いるのかというので、60人ほどだ、これまでは各学年1クラスだったのに今年から2クラスになるのだと応じると、日本語の学習者は減少していると聞いているのだがというので、こちらもどうして急に2クラスになったのかよくわからないと答える。日本語だけではない、フランス語も英語も学習者が減っていると続けるので、英語も? 本当? とおどろいてたずねると、じぶんの時代とは大学入学の仕組みが変わったと(…)は言ったのち、ちょっと説明するのがむずかしいのだけどとやや言いよどんでから、最近大学生になったnephewとnieceの例として、majorを直接選択することはできない、ただおおざっぱなgroupを選択することができるだけだ、実際になにを専攻することになるのかについてはaccroding to…とそこで口ごもるので、Score? と引き取ると、Yes! という返事。たしかにうちの学生からも元々は中国語を専攻したかったとか歴史を専攻したかったとかそういう話をきくことが時々ある。英語を専攻したかったが日本語学科に割り振られたというのであれば、おなじ外国語学院のなかでの割り振りということでまだある程度は理解できるのだが、中国語や歴史を専攻したかったという学生の話をきくかぎり、もしかしたら(…)のいうgroupというのは文系か理系かということなのかもしれない、そこから高考の点数に応じて各学部に割り振られるということなのかもしれない。
 (…)楼の入り口そばでそうして立ち話をしていると、インド人の外教がわれわれのほうにやってきた。C棟だかD棟だかがどこにあるのかを知りたいという。こちらは建物のそんな呼び名を知らない。(…)も最初はわからないふうだったが、たぶんあそこのことだろうと国際学部の入っている建物のほうを指した。インド人の彼は(…)のguideを断ってひとりでそちらに向かおうとしたが、(…)は散歩もかねて一緒に行くといった。こちらとの話もまだ途中だったし、もしかしたら三人でというつもりだったのかもしれないが、こちらはそのタイミングでおいとまさせてもらうことに。それで部屋に帰った。ちょっと外出しただけなのに汗だくになったので、9月であるのになかなかすずしくならんなと思って週間予報をチェックしてみたところ、今週はまだまだ最高気温35度前後の日が続くようだった。やっとれんなほんまに。
 (…)の娘にもらったpaintingは壁にかけた。以前バッグをかけるために壁にフックを複数はりつけておいたのだが、そこがひとつあまっていたので、キャンバスの上部についていたリングをそのフックにひっかけた格好。それから歩いて第五食堂へ。第三食堂と第四食堂がリニューアルされたという噂を学生経由できいていたが、第五食堂の少なくとも二階は以前と変わりないようす。チャージしたプリペイドカードで、先学期毎日のように食ったビュッフェ形式の店でおなじみのおかずばかりチョイスして打包する。新学期だなァという感じ。
 帰宅。メシを食い、シャワーを浴び、ストレッチをし、コーヒーを淹れてから、(…)くんのスピーチ原稿を推敲。完成させたところで録音。原稿はやや長めだったので、いったんその長さで練習してみて、やはり問題があるというふうになったら短いバージョンに切り替えよう、その場合は短いバージョンの録音をあらためて送ると告げたのだが、そういったそばからこちらの送った録音が長いバージョンなのか短いバージョンなのかとたずねてみせるものだから、おいおまえマジかとなった。能力うんぬんの問題ではない、そもそもの注意力の問題なのかもしれないが、今日一日で彼に対するこちらの評価は暴落している。もしかしたら閲読の成績などかなり悪いんではないか?
 三年生の(…)さんから微信。学校に到着したという。具合はどうかとたずねると、「いつも泣きたいです」「授業に行きました」「でも、気分が悪いです」とのこと。「この病気は医療手段で解決できますか」「友達に医者に行くよう勧められたが、医者にはあまり信頼できなかった」「今は時々心拍数が上がったり、めまいがしたりしますが、医者は心疾患の生理化の現れだと言います」という。それは精神科の診断であるのかとたずねると、そうではない、「健康診断科の医師が診断したものです」という。精神科を受診するようにいわれたが、(…)さんは精神科の医者を信用していないという。「ルームメイトの一人は重度のうつ病で、毎日薬を飲む必要があり、薬に依存しています」「ずっと薬を飲んでいても、彼女の病気を根治することはできないです」というので、これが日本であれば評判のいい医者のところに彼女を説得して連れていくところであるけれども、(…)さんも(…)さんも中国の精神科はマジで終わっているといろいろ体験談を語っていたことであるし、となると絶対に病院にいったほうがいいと強くすすめることが中国の医療事情をよく知らないこちらにはできない。そういうことを語ったのち、薬の力でいったん最悪の状態を抜けたあとにそこから徐々に減薬していくというのがいちおう一般的なやりかただよと続けると、「今、以前より少しいいのは、前の失敗した恋愛を諦めることができるようになったことです」「しばらくすればゆっくり良くなるはずです」というので、まあ本人がそういう前向きな気分になっているのであればそれが一番であるなと思った。
 21時半から「実弾(仮)」第四稿執筆。22時半まで1時間だけカタカタやる。プラス23枚で計706/1040枚。シーン36が片付いた。いい感じになったと思う。
 プロテインを飲んで歯磨きをすませたのち、寝床に移動して『小説の自由』(保坂和志)の続き。かなり遅い時間になってからふたたび(…)さんから微信が届く。いい音楽を見つけたからシェアしたいといって藤井風の「死ぬのがいいわ」へのリンクを送ってよこす。この曲ってたしかTikTok経由でタイかどっかでもバズっていたよなと思う。「私が一番好きなのは菅田将暉です」というので、日本語学科の女の子たちはみんな彼のことが好きだよねと受ける。こちらが読書中であることを知ると、なにを読んでいるのかというので、手元の『小説の自由』の写真を撮って送る。十数年ぶりに再読しているのだ、と。「私が以前一番好きだった作家は林清玄で、台湾の作家です」という。はじめて見聞きする名前だったのですぐにググってみたが、日本語には翻訳されていない。英語ならどうかなと思ったが、そちらでも見つからない。しかし台湾ではおそろしく有名な作家らしく、英語版のWikipediaによれば、Lin Ching-hsuan had 298 publications とのことで、アホか! 出しすぎやろ! By the age of thirty, he had been awarded almost all the important prizes in the Taiwan literature circleともあるが、そりゃ数撃ちゃ当たるわな。三十代になると仏教に傾倒してややスピリチュアル方面での著作も増えていくらしく、彼の影響を受けておなじように仏教を学びはじめるひとも増殖したというのだが、それに関連して以下のような炎上騒動も生じている。

In 1996, Lin Ching-hsuan announced that he had ended his seventeen-year marriage with his first wife. He remarried a younger woman in the next year. Compared to the general purpose of his articles that is to show the right value to society, Lin's divorce and remarriage were opposite to this purpose. As a result, his image of a spiritual teacher is ruined. These personal issues of Lin created an intense conflict between him and his readers. Some readers criticized him as a hypocrite. Some female organizations burned his books in order protest against his hypocrisy. Therefore, Lin was under enormous pressure from the public opinions, and he stopped publishing for a long time.