20230910

 She had spent fifteen years coping with Mr. Greenleaf and, by now, handling him had become second nature with her. His disposition on any particular day was as much a factor in what she could and couldn’t do as the weather was, and she had learned to read his face the way real country people read the sunrise and sunset.
(Flannery O’Connor “Greenleaf”)



 9時ごろに一度目が覚めた。アラームは10時に設定してあったのでそれまで二度寝するつもりだったのだが、年をくったからなのかなんなのか、最近この二度寝があまりうまくいかない。
 今日は教师节なので学生たちからお祝いのメッセージが続々と届く。(…)二年生からは(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの四人。今学期は授業がないのにわざわざ連絡をくれたのだ。(…)二年生からは(…)さん、(…)さん、(…)さん。(…)さんからは第三食堂の油泼面がとてもおいしいという耳寄り情報も。(…)さんからは日本と中国の習慣の違いについて教えてほしいという質問が続いたので、日本では中秋節に月餅の代わりに月見団子を食べるという話から、中国とは異なり食事中に冷たい水や冷たいお茶を飲むことも多いという話をする。生卵を食べますかというので、食べますと応じる。(…)さんはいつか日本に行ったら生卵を食べてみたいという。しかしあれは大多数の中国人にとって、なかなかけっこうグロいものとして映じるのではないかと思うのだが、どうなんだろう。ほか、(…)四年生の(…)さんからもお祝いのメッセージが届いたし、現在北京にいるはずの(…)先生からもなぜか届いた。あとは(…)大学で院生をしている(…)さんからも長文のお祝いメッセージがあった。いつも論文の添削などしていただきどうもありがとうございますみたいな内容。(…)さんは10月から(…)大学に半年間留学する予定らしい。この時期に留学となると、彼女自身は壁の外の事情にどれだけ通じているのか知らないが、家族からの反対はおそらくけっこうすさまじかったんではないかと思う。冬休みに日本で会えませんかというので、そもそも帰国するかどうかわからないからと応じる。いちおうTrip.comでチケットの価格を調べてみたが、いまのところ特に安くなっているようには思えない。
 朝昼兼用のメシを第五食堂で打包。今日の最高気温はきのうにひきつづき37度で、いくらなんでもお天道様は仕事をサボりすぎているのでは? 気候変動だの温暖化だのを言い訳にちゃんと仕事をしていないのではないか? もう9月やぞ! そしてこのクソ暑い中、軍服姿の新入生たちは朝から晩まで行進の練習をしている。地獄やな。
 メシを食い、食後のコーヒーを飲み、先に記した学生らからのメッセージに返信したりしながら、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年9月10日づけの記事を読み返し、2013年9月10日づけの記事を「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲したのち、今日づけの記事もここまで書くと、時刻は14時だった。

 授業準備にとりかかる。日語会話(一)の第4課を詰める。四年生の(…)さんから教師の日おめでとうございますのメッセージが届く。
 食堂に行くにはやや時間がはやかったので、何ヶ月ぶりかわからないが、「究極中国語」でボキャビルする。17時になったところで第五食堂へ。寮の門前を通る道路で隊列を組んで気をつけの姿勢をしている軍服姿の集団がいくつかのブロックを形成している。このクソ暑いのにマジでよくやるよなと思うわけだが、近くには簡易の机と椅子が配置されており、あれはたぶん熱中症対策ということなのだろう、ボランティアスタッフの上級生がそこに腰かけてひかえており、水だのなんだのを常備しているふうだったが、野晒しのままで、せめてテントでも用意してやれよと思った。
 第五食堂で打包して帰宅。メシを食ったあと、ベッドでひとときだらだらしたり書見したりする。二年生の(…)さんと(…)さんからお祝いのメッセージが届く。ハルビンの(…)さんからも。今年から高校で日本語教師をしている(…)くんは教室で学生からサプライズのクラッカーを浴びせられている動画をモーメンツに投稿していた。感慨深い。彼もいまや教師なのだ。ほか、小中高で教師をしている元学生の大半が学生からもらった花束だのお菓子だの手紙だのメッセージのスクショだのを投稿していたが、今日は日曜日であるはずなのに、一部の小中高では普通に授業があるのだろうか? 小学校は別にしても、一部の中学と大半の高校は学生たちも寮暮らしで校内にいるし、それで先生を呼び出してうんぬんみたいなアレなのかもしれない。しかし(…)くんが楽しそうにしていて本当によかった。彼は初回の授業でいきなり学生たちに『鬼滅の刃』を見せたりしていたようであるし、それで若い学生からの支持もけっこう厚いのかもしれない。
 『小説の自由』(保坂和志)を読了する。浴室でシャワーを浴びたのち、そのまま『小説の誕生』にとりかかる。ページを見ると、赤や青や緑で線が引いてあったり、ところどころ書き込みがあったりして、そっか、そういうふうにして読書する習慣があったころに読んだ本なのかと思った。たぶん(…)でバイトしていた時期だ。「A」もまだ書きはじめていないころだと思う。
 22時に書見を切りあげ、23時まで「実弾(仮)」第四稿。シーン40の確認だけすませる。
 (…)さんにもらった菓子を食い、プロテインを飲み、歯磨きをすませる。中原昌也の『二〇二〇年フェイスブック生存記録』経由で知ったイーディス・パールマンというアメリカ人作家の『蜜のように甘く』という本が気になったので、Kindleでポチった。「世界最高の短編作家」(ロンドン・タイムス)とか「現存する最高のアメリカ作家による、最高傑作集」(ボストン・グローブ紙)とか、なかなかでっかい惹句がついているようであるが、でも同じように高く評価されているルシア・ベルリンとか全然しっくりこんかったしなという警戒心もある。それでひとまずあたまに収録されている「初心」というのを読んでみることにしたのだが、読みはじめてすぐに、あ、これは全著作読むかも、と思った。で、「初心」を読み終えた時点で、ひとまず邦訳されているものは全部読む、そして邦訳されていないものもふくめて原文でやはり全部読むと決めた。小説を読み終えたあとに、どうしようどうしようとうろたえるような気持ちになったのはかなりひさしぶりだ。ロベルト・ムージルの「ポルトガルの女」とか、フラナリー・オコナーの「田舎の善人」とか、キャサリンマンスフィールドのAt the BayとかPreludeとか(両方とも邦題を忘れた)、あれらをはじめて読んだときの、あれ、この作家やばくないか? という予感。イーディス・パールマン、日本語で検索してもそれほど情報が出てこないのだが、英語版のWikipediaの項目Edith Pearlmanによれば、今年の元旦に86歳で亡くなっている。長編は書いておらず、短編集を五冊残している。“Vaquita and Other Stories”(1996年)と“Love Among the Greats and Other Stories”(2002年)と“How to Fall: stories”(2005年)と“Binocular Vision: New and Selected Stories”(2011年)と“Honeydew: Stories”(2014年)というラインナップ。ノンフィクションとして旅行記なども発表しているようであるが、最初の短編集が1996年リリース、生年が1936年であるから60歳のときに処女作が出版されたということになる。翻訳はこちらがポチった『蜜のように甘く』のほかに、『幸いなるハリー』と『双眼鏡からの眺め』の三冊が出ているが、『双眼鏡からの眺め』は電子書籍になっていない。訳者は三冊とも古屋美登里。とりあえず『幸いなるハリー』をポチって、その後はリリース順に原文で読んでみるか。翻訳を読むかぎり、原文はそれほど難しくないはず。