20230918

 言語活動(Language)は、二つの軸の絡み合いの中で繰り広げられる。一つの文章を構成するときには、一方でシニフィアンの選別、他方では選別されたシニフィアンの結びつけが行われる。簡単に言えば、それは辞書的構造の軸と文法的構造の軸である。
 ——例えば、「空は青い」と言う場合、まず「空」は空、川、山、水……の集合体から選ばれ、「青い」は青、赤、白……から選ばれている。これが同時に共存する集合からの選択である。
 ——そして次に、それらの単語が文法に従って時間軸上で構成される。空—は—青い
 ——できあがった文章は、シニフィアンの一つの連鎖をなす。
 シニフィアンの選択は、シニフィアンの場ともいえる場においてなされる。辞書はその一つの例である。そこはシニフィアンが同時に共存する場で、時間の流れには無関係であり、いわば広がりを持った場的次元である。これを共時態と呼ぶ。それに対し、一つの文章の結びつきは時間の流れに従って構成される。こちらの方は線的な関係で、これを通時態と呼ぶ。
 空、川、山、水などの集合体は、辞書のなかで共時的な場をなす。そして、そこからシニフィアンの選択が行なわれ、次に文法的、通時的に構成されるのである。
 言語学者ヤコブソンは、失語症がこの二つの軸に応じて分類できることに注目した。
 
⑴ 共時性機能に障害がある患者においては、文法的な機能は保たれるが、一つの状況においてそれに適切な単語を見つけ出すこと、そのもの自体の名前を見つけることに大変な困難さを示す。何かを表現しようとするとき、彼は常にそれに関連する周辺の単語への横すべり的現象に陥り、それから逃れることができない。象徴化、隠喩的機能が破壊され、常に換喩的なシニフィアンの用法しかできず、これは聞き手にしばしばコミックな印象を与えることになる。
⑵ 通時的機能の障害は、単語を文法的に結びつける機能の破壊であるが、シニフィアンの選別機能は残っている。このとき文章は電報文のような文体となり、隠喩的表現が多量に用いられる。
(向井雅明『ラカン入門』より「第Ⅰ部第二章 言語構造」 p.55-57)



 9時前に目が覚めた。8時間以上ぶっ通しで寝ることがもはやできない。7時間程度で目が覚めてしまう。加齢だ。老化だ。人生の折り返し地点にさしかかりつつある。残された時間であと何枚書ける?
 歯磨きしながらニュースをチェックする。三年生の(…)さんと(…)さんがモーメンツに今日が満洲事件の記念日であることを告げる画像を投稿していて、あ、今日なのかと思った。中国では大日本帝国との戦争に関する記念日に「勿忘国耻」や「吾辈自强」といったスローガンとともに、けっこう雄々しい愛国画像をモーメンツに投稿するひとが一定数いて、こちらの知り合いというのは大半が日本語学科の学生であるし学生でないひとにしても日本とかかわりのあるひとたちであるから、モーメンツがそれ一色になるということはない、実際これを書いている12時36分現在でも上に述べたふたりしか投稿していないのだが、たぶん一般的なひとのタイムラインにはもっと盛んにこの手の投稿が認められるのだと思うし、愛国教育を狂ったように受けている若い世代は特にそうなんだろうと思う。ただ、例年こうしたスローガンを律儀に投稿している学生というのはけっこうまじめな子が多い、まじめというのはこの場合皮肉まじりで「優等生」と称されるようなタイプの子、学生会に所属したりクラスでなんらかの委員に任命されていたりする子であるということなのだが、たとえば卒業生でいえば(…)くんなんかも毎年この手の表明をしっかりこなしていたと思うのだけれど、だからこれって、いわば、中国における「政治的に正しい」ふるまいということなのだろう(実際、大学でろくに勉強せずぷらぷら遊んでいるタイプの子が、この手の意見表明をSNS上でしているところをこちらは見たことがない——とはいえ、それがすなわち、彼らには愛国心がないということを意味しているわけでは全然なく、むしろ先の意見表明をしているタイプの子らよりもずっと短絡的で視野のせまい愛国者であったりもするのだが)。ポリコレやキャンセルカルチャーの一部狂いに狂った暴走とその帰結がもたらしている、ほとんどラテンアメリカ文学的な混沌を思わせる問題はアメリカでいろいろに発生しているけれども、実は中国も同様に——あるいはそれ以上に——「政治的な正しさ」が異論も反論も、あるいは建設的な議論の余地すらもうけつけないドグマと化している社会で、だからやっぱりこちらはアメリカと中国を一種の双生児として見てしまう。
 (…)さんにもらったロールケーキの消費期限が近かったので、けっこう量もあることであるし、そいつを朝昼兼用の食事としてとることにした。食後のコーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年9月18日づけの記事の読み返し。一時帰国中の(…)さんといっしょに火鍋を食った日。

 そもそも主体は、自らの根源的な「病」を経験していなければ、分裂した主体であることを選択できない。まず決定論の要請、あるいは「脱-心理学」の要請によって形成される領域を旅していなければ——自らが行うすべての行為の原因すべての間に、一貫した、「閉じられた」連鎖関係が存在することを、そしてこれによりすべての行為の動機や意義が完全に説明できるということを、仮定するような領域を通り抜けていなければ——主体は(自由な)主体であることを選択できない。つまり主体は、まず強いられた選択肢ではなく、排除されたあるいは不可能な選択肢にたどり着いていなければ、主体としての存在を選択できない。まさにこれがSという選択肢——不自由であることの選択、完全に〈他者〉に従属した状態、自分の行為すべてが動機や利己心やその他の原因によって完全に決定される状態の選択——である。主体は、まず「私は行う」、「私は考える」などと言えないような場所にたどり着いていなくてはならない。このように主体自身が不在であるような不可能な点、主体に言えることは「私は存在しない[アイ・アム・ノット]」のみであるような点を通過することが、自由な主体としての地位を獲得するための必要条件である。そこに到達して初めて、決定論を極限まで突きつめていって初めて、倫理的主体の基盤となる「余り」が現れるのである。カントは、自由の基盤をなすこの根源的疎外の経験をどのように記述し、そして理論化しているのだろうか?
 しばしばカントは、現象としての主体は自由でありえない、自由とは主体性の「ものそれ自体」としての「側面」のみに属する、と主張する。が、批評家たちに言わせれば、そのような立場は、どうしようもないジレンマに陥るのみである。自由が「ものそれ自体」の領域に限定されるならば、それは現実の人間主体を理解する上で何の役にも立たない、全く空虚な概念となってしまう。逆に、実際に自由はこの世界に変化をもたらしうると考えるならば、それは超時間的なもの、「ものそれ自体」ではないということになる。すなわち、問題はこれである——どうしたら自由というひとつのものが、全く同時に、経験的性質と純粋思弁的な性質とをあわせもちうるのか? どうしたらひとつの行為が必然であると同時に自由でありうるのか? 『たんなる理性の限界内の宗教』の中で、カントはこれらの問いに答えて言う。

選択意志の自由は全く独特な性質をもつ。というのは、誘因は、人がこれを彼の行動原理にとり込んでいるかぎりにおいて(これを、自分の行動を決定する際にしたがう一般的原理としているかぎりにおいて)、彼の選択意志を決定することができるからである。このようにしてのみ誘因は、それがどんなものであれ、選択意志の絶対的自発性(つまり自由)と共存できるのである。

主体の特徴である自由にたどり着くためには、法則の対立項である恣意性あるいは任意性から考えなくてはならない、などというのは間違いである。その行為が予測不可能であるからと言って、主体が自由であると言えるわけではない。そのような解決が示しているのは、まだ我々が「脱-心理学の要請」の道を歩みきってはいない、ということのみである。確かに、その動機だと思われるものが、実際そうではなかった、ということもありうる。しかし、だからといって主体には他の動機、他の「病的」な利己心がなかった、ということにはならない。それゆえ我々は、主体の行動の恣意性の中にではなく、法則あるいは必然性自体の中に自由を探さなくてはならない。我々は、法則あるいは因果律による必然の中で主体が果たしている積極的役割を明らかにしなくてはならない。つまり、主体とは無関係のように思われる因果律の中に主体がすでに書き込まれている点を、明らかにしなくてはならないのである。
 右の引用でカントが言っているのは、まさにそういうことである。主体の問題においては、すべての原因と結果の関係の大前提として、必ずある種の行為(「意識的」であるとはかぎらないある種の決断)——何らかの駆動力を(十分な)原因として確立するような、つまり主体の行動を導く原理に組み込むような、ある種の行為——が想定されている。このような読解は、「組み込み理論」として、ヘンリー・E・アリソンによって提出されている。駆動力は、それ自体何の動機にもならない。それは、直接的には何物をも生み出すことができない。それは主体の行動原理に組み込まれた時にのみ、そのような力を発揮する——つまり「動因」あるいは「誘因」となる。

簡単に言おう。自己保存、私利私欲、あるいは幸福が私の行動原理である時、それらがそのような権威ある立場にあるのは、私の中においてそれが自然な状態であるからではなく、私自身がそれらに原理としての権威を与えているからである。……もちろん、だからといって我々は、我々の行動の根底にある原理が前時間的・非時間的に、あるいは意識的・意図的に、外部から採用される、などと考えてはいけない。むしろ、自己を顧みた時、我々は、自らがそのような原理——道徳に関する根源的な意志の方向づけ——にずっとしたがってきたことを知るのである。

アリソンによれば、カントの主張は次のようにまとめられる——「(自然な)ことの成り行きに流されるもよかろう。だが最終的に、このような必然性という君の行動の原因を原因としているのは、他でもない、君自身である」。主体の行動の原因の原因は存在しない——原因の原因は、他でもない主体自身である。ラカンの言葉で言うなら、〈他者〉の〈他者〉とは主体である。意志を超越論的なものとして、自由なものとして位置づけること、これは意志がその対象すべてに先行するということを意味する。意志は何らかの対象に向かうかもしれないが、この対象自体はそれに向かう意志の原因ではない。
 以上のことは日々の経験からも証明されるであろうが、より明確かつ印象的な事例を提供してくれるのは、精神分析が発見したもののひとつ、フェティシズムである。人物Aが何の関心も示さないある物体を見ると、人物Bは、自らの意志とは無関係に一連の行為あるいは儀式を行わずにはいられない。これはその物体が、二人の内のリビドー配分図において同じ場所を占めてはいないからである。カント流に言えば、Bの場合、この物体は、すでに彼の行動原理に組み込まれており、それゆえ動因として機能しているわけである。さらにカントが言うには、我々は、これには主体すなわちB自身が一枚噛んでいる、と考えなくてはならない。我々は、この動因あるいは誘因を行動原理に組み込む際になされる決断は主体のものである、と考えなくてはならない——たとえ主体がこの決断をそのようなものとして経験しなくても、である。フェティシストは、「今日この日、私は、ハイヒールを私の欲望の究極の対象、動因とすることに決めた」などとは言わない。彼は、ただこう言うのみである——自分ではどうしようもないのだ……私が悪いのではない……我慢できないのだ……。
 このような決断は、もちろん無意識レベルのもの、カントの言葉で言えば「心術」——すなわち誘因を行動原理に組み込む際の究極的な基盤である主体の心的傾向——のレベルに位置づけられるべきものである。しかしここで重要なのは、この「心術」、主体の究極的な心的傾向それ自体、主体によって選択されるものであるというカントの主張である。これは、精神分析において「神経症であることの選択[ノイローゼンヴァール]」と呼ばれるものに近いと考えていいだろう。主体は、自らの無意識に従属している[サブジェクト]——あるいは、隷属している——と同時に、最終的には、その無意識の主体[サブジェクト]——その無意識を選択した者——でもあるのだ。
「主体が自らの無意識を選択する」という命題——これを、「(精神分析流)自由の要請」と呼ぼう——こそ、精神分析成立の条件である。精神分析の目的=終着点[エンド]である視界の変化、ラカンが「移行[ラ・パス]」と呼ぶものは、この原理を背景としてのみ起こる。無意識が選択されるのは一度だけではない。精神分析は、主体を新たな選択ん入り口まで導いた時、つまり主体が新たな選択の可能性があることに気づいた時、終了するのである。「精神分析の倫理」についてのセミナーの開始を告げるラカンの言葉——むしろ問いかけ——は、このような観点から理解されねばならない。

 これは言っておきたいのだが、道徳的行為は我々に問題を投げかける。というのは、精神分析は、我々にこれに対する心構えをさせると同時に、最終的には、その入り口のところで我々を置き去りにするからである。実際、道徳的行為は、現実に接ぎ木されている。それは現実なるものに何か新しいものをもち込み、そうすることによって、そこでは我々が存在している位置が正当化されるような、そんな道を切り拓く。精神分析が我々に道徳的行為に対する心の準備をさせるとは、いったいどういうことか? もし、本当にそのようなことがあるならば? 精神分析が我々を、言わば、いざそのような行為にとりかかることのできる状態にするとはどういうことか? なぜそれはこのように我々を導くのか? また、なぜそれは玄関口で立ち止まってしまうのか?

(『リアルの倫理——カントとラカン』アレンカ・ジュパンチッチ・著/冨樫剛・訳 p.47-52)

 その後、2013年9月18日づけの記事を「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲し、今日づけの記事もここまで書くと、時刻は13時前だった。Emeraldsの『Does It Look Like I'm Here?』が Expanded Remasterとしてあらたにリリースされていたので流したが、やっぱりかっこいい。

 翌日の日語基礎写作(一)で配布する資料を印刷する。それから日語会話(一)の第6課を詰める。これはわりとすぐに片付いた。この分だと中秋節国慶節の連休までに今学期分の授業準備をおおかた終えることができそうだ。連休明け以降は一年生の授業もはじまるし、スピーチの練習もおそらく週に二日になるだろうから、それまでに事前にできる準備はすべてしておきたい。
 時刻は15時だった。『小説の誕生』(保坂和志)の続きを読み進める。途中、眠気をおぼえたので、三十分ほど居眠り。17時になったところで第五食堂にでむき、いつものメシを打包。食事中、モーメンツをのぞいたら、長野県でインターンシップ中の(…)さんが寿司の写真を投稿していたので、おいおいマジかとびっくりした。壁の外の情報にとうとう触れたのだろうか? あるいはただ単純に、同僚らが食べたものを写真に撮って投稿しただけかもしれないが、しかしものがものだからだろう、彼女の投稿する写真にはいつもそこそこの数のいいねがつくのだが、この写真には少ししかついていなかった。
 シャワーを浴びる。ついでにひさしぶりに浴室とトイレの掃除もした。あがってストレッチ。そうして20時半から23時まで「実弾(仮)」第四稿執筆。シーン43、いちおう最後まで通したが、まだ完璧ではない。このシーンはたしか第三稿の時点で追加したものなので、荒削りなところがずいぶん目立つ。プラス18枚で825/1040枚。
 その後は夜食もとらず、寝床に移動して就寝。なんだかんだで朝方生活に身体がなじんできたかもしれない。このリズムはこのリズムで悪くないな。