20230917

 ラカンによると「記号はシニフィアンシニフィエが癒着したものとし、シニフィアンシニフィエとは独立して存在する」ものである。記号とは、例えば道路標識である。
(…)
 これは分析において、直接適用されうる構造である。医学において、症状とは一つの固定した意味を持つ記号であると考えられ、一つの症状はその種類に多少の広がりはあるが、ある一定の病気と関連している。例えば「咳」は結核、風邪など限定された病に結びつく。ゆえに症候のリストとそれに結びつく症命とのリストを作ることができる。ところが分析においては、一つの症候に対して固定した意味を与えることはできない。一つの症候には常に特殊な主体的意味があり、それは、患者自身が見つけ出さねばならず、他人には未知なものである。精神分析では分析家がその意味を知っているものだとされることがあるが、それは間違いで、分析家といえどもそれを直接知ることはできない。分析家は患者がそれを見出すための援助をするだけである。分析家がそれを発見し、患者にその意味が与えられた場合、それが患者の真理だという保証はどこにもなく、逆に暗示となってしまうので、それは避けなければならない。
 分析では、症候のリストを作ることができないし、そうすることは症候の未知の意味に対して予断することとなり、それをもとに解釈を進めることは逆に治療の障害となるのだ。
(向井雅明『ラカン入門』より「第Ⅰ部第二章 言語構造」 p.50-52)



 8時ごろに自然と目が覚めた。母親に関する不快な夢を見た気がするのだが、よくおぼえていない。歯磨きしながらニュースをチェックする。きのう(…)さんにお土産としてバターのクッキーとチーズのクラッカーをもらったので、それらを軽くつまみながらコーヒーを飲み、きのうづけの記事の続きを書く。
 11時になったところで作業を中断して第五食堂で打包。食後、洗濯機をまわし、コーヒーを淹れ、ふたたびカタカタやる。長くなるだろうと覚悟はしていたが、ひさしぶりに20000字をオーバーしてしまった。しゃあない。投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年9月17日づけの記事を読み返す。以下は2021年9月17日づけの記事より。

ローベルト・ヴァルザー/新本史斉・訳『詩人の生』をちょっと読む。あいかわらずどこまでもすかすかで上滑りしていくような風景描写。たとえるなら、箱庭ゲームで、マップに山や家や森をぽんぽん配置していく感じ、ああいうような感触を受けるのであるのだが。あるいは、これはもはや風景描写ですらないのかもしれない。かといって記号的な処理と言い切ってしまえるものでもない。仮にそう言い切ってしまうのであれば、ヴァルザーの小説とは、記号的な風景描写を、筋に奉仕するためのアリバイとしてではなく、その記号性自体を玩味するために並べたものという、かなり倒錯的なものだということになる。描写を一種の「道」として突き詰めようとしているわけではなく、むしろ饒舌かつ大仰な紋切り型を恥ずかしげもなく繰り出していき、しかも、それだけにとどまる。そんなテキストが、モダニズムポストモダンもない時代に書かれて、かつ、現代にまで生き延びているというのがすごい。奇跡的ですらある。

 驚いたことに、一年前の今日、すなわち、2022年9月17日は、(…)さんがうちに料理を作りにきてくれた日だった。出来事そのものにある種のバイオリズムがあるとしか思えないこういう偶然の一致、シンクロニシティみたいなものがわりとしょっちゅう起こるということを、日記とその読み返しを通して何度も痛感する。しかし以下のような記録を読んでいると、(…)さんが双極性障害であるという話もちょっと納得してしまうかもしれない。躁転しているふうに読める。

 髪の毛の長い(…)さんが髪留めかなにかないだろうかというので、昨日片付けをしているときに出てきた髪留めを渡す。レディースの服を買ったときに無料でついてきたものだったと思うのだが、(…)さんはそんなものがこちらの部屋にあるのがよほど面白かったのだろう、ケタケタと笑いながら、先生、彼女! 先生、彼女ですか! といった。(…)さんは異常といってもいい笑い上戸で、授業中もしょっちゅうツボに入ってケタケタしてしまうことがあるのだが、このときもまさにそうだった。

 マジでうまかったので、マジでうまいうまいと言いながらバクバク食った。ちょうど流しっぱなしにしていた音楽が停止したころだったろうか、みんなの腹もぼちぼち膨れてきたタイミングだったと思うが、調理に使ったビールの残りを(…)さんが飲みはじめた。めずらしい光景だなと思った。少なくともうちの学生にかぎっていえば、お祝い事でもなんでもない普通の日にこうしてお酒を飲む子はこれまでほとんどいなかった、さらにいえば教師の前でお酒を飲むなんて失礼だと考える子も多いわけだが、(…)さんは小さなプラスチックのコップにそそいだビールを一杯ゆっくりと飲んだ。本人はお酒が強いというのだが、ほどなくして壊れた。笑い上戸が一気にレベルマックスになった。ここからの時間はなかなかすごかった。クサでも食っとんかという壊れっぷりを彼女は次々と披露しはじめた。とにかく笑う。笑いまくる。先生、彼女いないです、といって笑う。先生、さびしいですか、といって笑う。先生、どうしてですか、といって笑う。バグったスーファミクソゲーみたいだ。ふつうに酒弱いやんけという話なのだが、わたしは強いです、としきりに日本語でくりかえす。しかし顔が赤い。

 軍事訓練の話をする。朝からうるさいというと、みんな笑う。新入生が軍事訓練をしているのを見るととても楽しいと(…)さんがいう。どうしてとたずねると、疲れている顔を見るのが楽しいというので、最悪の性格やんけ! となって爆笑した。(…)さんがいうには、きのうもキャンパス内をふたりで歩いているとき、軍服姿の新入生が道の両端からそれぞれ行進して面と向かい合ったところで停止するという訓練をしているそばを通りがかったのだが、(…)さんは突然耐えきれなくなって吹き出したらしい。

 (…)さんがトイレを貸してほしいというので案内した。彼女がトイレにいっているあいだにうさぎの話になった。(…)さんがうさぎは好きですかというので、かわいいよね、先学期食べたけどと応じると、(…)さんはスマホの写真をながめながらやがてぽろぽろと泣きはじめた。(…)さん曰く、夏休みにペットのうさぎが死んでしまったらしい。一歳だったという。トイレから戻ってきた(…)さんも心配そうに声をかける。こちらとしては全然そんなしんみりした気分になれないというか、それよりもむしろ、感情のふりはばやべえな! 酔っ払いすぎだろ! というのがあり、正直めちゃくちゃからかいたくなる気持ちもあったというか突っ込みを入れたくて仕方なかったのだが、女子ふたりがものすごく深刻そうな表情で(…)さんをなぐさめている様子をみるかぎり、ここで下手なことをいったら一生クズ扱いされるパターンである。それでこらえた。がんばって我慢した。

 しばらくペットの話をする。先生の犬は何歳ですかと(…)さんがいうので、もう12歳、平均寿命が10歳だからたぶんもう会うことはできないと思う、と応じる。それで犬だの猫だのに関する話をしばらくしていたところ、(…)さんがこちらの顔を見てまた吹き出し、で、そこからはもうずっと面白かった。二杯目のビールを飲んですっかり酔っ払っている(…)さんにもう中国の阿姨(おばさん)みたいだなというと、辞書アプリを起動してしばらくごにょごにょやったあと、先生とは絶交です、といった。そこから彼女はことあるごとに覚えたての言葉である絶交を持ち出し、で、そのたびに学生らはゲラゲラ笑った。(…)さんは当然ケラケラケラケラ高い声で笑うのだが、シラフの(…)さんも同じように高い声でケラケラ笑って手を叩いてして、若い女の子だよなァと思う。(…)さんはほかのふたりに比べるとけっこう落ちついている。酔っ払った(…)さんの面倒を見るそのそぶりなど、なかなかけっこうお姉さんという感じ(三人の中ではもっとも小柄であるが)。

 そろって外に出る。そのまま女子寮まで送っていくことに。(…)さんはフラフラ。「先生、彼女いません、さびしいです」「私は失礼、明日、後悔します」「来年の夏休み日本に行きます(「高いと思うよ」)どうしてですか?)」「先生の髪留め、彼女のものです」「先生は女装します」「先生、イギリス人の彼女、私は月曜日クラスメイトにいいます」「私はお酒が強い!」「絶交!」と、だいたいこれらのセリフを30秒に一度ランダムに口にする気の狂った九官鳥みたいな感じで、(…)さんが保護者としてかたわらに付き添い、(…)さんはひたすらケラケラ笑いながらときおり通訳するという感じ。

 それから2013年9月17日づけの記事を読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。そのまま今日づけの記事もここまで書くと、時刻は17時だった。

 第五食堂で打包。食後、Pathosというローグライクゲームをはじめてしまったが、二時間ほど経過したところで、あかん! これたぶん無限にやってまうやつや! となり、あわててアンインストールした。これはやばい。
 浴室でシャワーを浴びる。ストレッチし、コーヒーを淹れてから、「実弾(仮)」第四稿執筆。21時から23時まで。シーン41を片付け、シーン42を半分ほど進める。プラス15枚で計807/1040枚。第四稿も終わりがみえてきた。第五稿で完成というわけには全然いかないが、第十稿まで加筆修正を重ねる必要もないかなというのが現時点の印象。
 懸垂し、プロテインを飲んでトーストを食し、ジャンプ+の更新をチェック。ひさしぶりに部屋の照明を落としてフリースタイルをやったが、やはりおそろしく気持ちがいい。BPM90〜100くらいがいちばん気持ちよくやれるかも。
 三日か四日前だったと思うが、夜寝るまえに突然、神聖かまってちゃんの「美ちなる方へ」を思い出し、YouTubeで再生してやっぱりいい曲だなと思った。たぶんおよそ十年ぶりにききなおしたことになると思うのだが、神聖かまってちゃんといえば、ほかに「夜空の虫とどこまでも」と「黒いたまご」が好きだった、これらの楽曲をきいていたのもやはり十年ほど前だったはずで、というのも(…)を迎えに羽田だか成田だかをおとずれたとき、(…)くんの部屋で寝泊りさせてもらったのであるけれどもそのとき(…)くんと「夜空の虫とどこまでも」のライブアレンジ版がすごくいいよねという話をした記憶がある、だから十年前だろうと見当をつけているわけであるけれども、ところで、「美ちなる方へ」も「夜空の虫とどこまでも」も「黒いたまご」もアルバム『つまんね』に収録されている。それで昨日今日とこのアルバムをずっと流していたのだけど、その過程で、そういえばの子も双極性障害をわずらっているんだったなと思い出し、また妙なシンクロを覚えたのだった。