20230925

 主体が目の前にするのはファルスとしての存在の可能性である。それに対し、主体は一つの置き換えを行ない、自らの存在を救おうとする。主体はそれを一つの禁止されたものと見なすことにより、この場面を回避する。つまり、不可能なものを禁止されているものと見なすことで、その禁止の彼方に一つの可能性の次元を創り出すのである。不可能なものというぽっかりと開いた穴に、一つの想像的なものを置き、蜃気楼の効果を生み出す幻想を創ることにより、自らの存在を守ろうとするのである。
 父親は、母親の欲望の満足(これは不可能なことである)を禁止するがゆえに、その禁止の彼方にファルスの可能性が生まれる。子供はこのような父親を創りあげ、それを周りにある現実に重ね合わせる。これによって父の名は具体化され、一つの内容のある欲望の対象が生まれるのである。不可能を禁止されたものと見る場合、禁止する者としての父親という次元が生じるのである。
 母親の欲望は子どもには理解できない全くの無形態なものであり、その前で子供はなす術を知らないが、父の名によってそれに一つの形態が与えられると、何らかの反応を示すことができる。母の欲望は父の名によって隠喩化されたわけであるが、これにより欲望に規律が与えられ、子どもは法に支配された言語の世界に生きることが可能となるのだ。
 母親の去勢は構造的なもので、それを行なう誰かが存在するわけではない。それは他の場合における一つの欠如である。主体はこの欠如の直接出会うわけではなく、欠場を示す一つのシニフィアンに出会うのである。このシニフィアンラカンは、S(/A)という記号で表している。
(向井雅明『ラカン入門』より「第Ⅰ部第三章 欲望」 p.128-129)



 10時ごろ起床。歯磨きしながらニュースをチェック。USBメモリに必要なデータをインポートして寮を出る。瑞幸咖啡のそばにある印刷屋へ。店内には女主人と女子学生がひとりいるきり。USBメモリを差し出し、このなかの書類を印刷してほしいとカタコトの中国語でお願いする。まずは日語会話(三)の資料二種類を一枚ずつ印刷。これは授業準備のために使う。それから明日の日語基礎写作(一)で配布する資料37枚を印刷。両面印刷にしないでくれとお願いする。さっきとおなじように印刷すればいいんだろうというので、そうだと応じる。あんたわたしの中国語わかるのかと女主人がいうので、ちょっとだけと応じる。
 店を出る。文具店に立ち寄って赤ペンとゴミ袋を買う。第五食堂はちょうど午前の授業を終えた学生らでごった返している。麺の店で西红柿炒鸡蛋面をちゃちゃっと打包して逃げるように外へ。
 帰宅。三年生の(…)さんから微信。今日オープンのセブンイレブンは学生でごった返していたという。(…)さんはパッケージに「名古屋」と記されている鶏肉の炒飯みたいな惣菜を買ったようだが(名古屋コーチンつながり?)、たいそう辛い味付けになっていたという。たぶんローカライズされているのだろう。大連のセブンだったらこんな弁当は売っていないでしょうというと、大連にはセブンイレブンがないという意外すぎる返事。ローソンばかりらしい。二年生の(…)くんからもセブンイレブンがオープンしましたよという報告が届く。
 (…)先生からは質問。金子みすずの「星とたんぽぽ」という詩のなかに「瓦のすきに/だァまって」という一節があるのだが、「だァまって」のアクセントを教えてほしいという。詩の全文に目を通したが、七五調になっているものだったので、「だァまって」は「黙って」を五音にしつつ(拍をそろえつつ)強調したものであると解説したうえで、七五調で朗読したものをボイスメールで送った。(…)先生は七五調になっていることに気づかなかったといった。ほかの金子みすずの詩について、七五調になっていないものもあるようだがといって、あの「みんなちがって、みんないい」のやつをよこしてみせるので(しかしほとんどあいだみつをレベルで手垢のついたこのフレーズも、ここ中国ではかなりクリティカルに響くものだ)、さっきの詩のようにすべての行が「七音+五音」に統一されているわけではないが、それでもこの作品のほとんどは五音もしくは七音の任意に組み合わせにしたがって成立していると解説。萩原朔太郎あたりがこうした定型を徐々に崩していきいわゆる現代詩の誕生につながっていくという流れもついでに説明したところ(しかしこのあたり本当にそうだったかけっこうあやしいが)、『プレバト』という番組で俳句のコーナーがあるが、そこでも五七五の定型をはみだす作品がときに高く評価されているというので、『プレバト』といえばうちの父親がオンライン麻雀や大谷翔平の出場するエンゼルス戦などと同じレベルで愛しているあの番組やんけとなった。(…)先生もときどき観ることがあるらしく、学生らに理解しやすそうなものは授業の合間に見せることもあるとのこと。ついでなので、種田山頭火や尾崎放哉の名前も伝えた。ニュアンスの解説はいくらか必要だろうが、なかには学生らでも理解できる作品もあるはず。河東碧梧桐なんかはさすがにむずかしいと思うが。(…)先生は小林一茶のものはいくらか読んだことがあるといった。こちらは小林一茶の句を読んだことはまったくない。しかしDA PUMPのほうは中学生のときにMDに録音したのを聴いたことがある。当時同級生に空のMDをばら撒いて好きな音楽だけ録音して返してくれと、いってみればいまでいうプレイリストを作ってほしいというアレをやって渡したその中の一枚にたしかDA PUMPの楽曲が入っていたのだが、ある冬の夜、(…)が突然散歩に行きたいと言い出したので、しかたないなとMDウォークマンをジャンパー(死語)のポケットに入れて歩き出したところ、前から車がやってきた。だから道の端に寄った。ところがその端というのがドブであり、こちらは足を踏み外してそのままドブに片足をつっこんで転んだ。そのとき耳元で流れていたのがDA PUMPだった。だからあれ以来、ISSAに対して良い印象を抱いていない。

 日語会話(三)の第24課をシミュレーションする。今学期はじめてやる課であるので、教案がちょっと弱いかもしれんなという懸念があるのだが、ま、なんとなるやろ、手持ちの武器でなんとかするしかないわな、とひらきなおる。とにもかくにもいっぺん教壇に立ってみないかぎりは、どこが問題でありどこを改良すればいいのか、それすら見えてこない。学生らにはちょっと悪いが、この課については失敗を前提でいろいろ試させてもらう。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年9月25日づけの記事を読み返し、2013年9月25日づけの記事も読み返す。そのまま今日づけの記事にもとりかかる。途中、モーメンツをのぞくと、(…)さんが(…)くんと恋人握りした手の写真をアップしていたので、「勉強しろ! デートするな! 勉強しろ! デートするな!」という文言を四百字分ほどコメント欄に投稿するというおなじみの荒らし行為をする。のちほど(…)さんがやはり似たような写真を投稿していたので(彼氏ができましたという報告だった)、一日に二度も学生のSNSを荒らすという極太のカルマを背負うはめになった。ところで、(…)さんは全然そんなふうにみえないのに、モーメンツではほとんど毎日のようにのろけているというか、(…)くんについて言及したりデートしている写真を投稿したりしていて、その度のはずしかたというかエスカレートの仕方というか、そういうのが往年の(…)さんを彷彿とさせるわけだが(完全に恋爱脑になっているのだ)、となると来学期か来年には破局をむかえることになるのではないかという余計な心配事があたまをよぎりもする。
 VPNがちょっと安定しない。杭州で開催されている亚运会だかなんだかの影響かもしれない。 (…)先生からも微信が届く。来月以降のスピーチの授業の日程。予想通り、来月からは週に二日こちらが担当するようになっていたが、よくよくみると二日ではない、三日もある。なぜか毎週土曜日ないしは日曜日にも練習が入っているのだ。しかし(…)先生によるとそれは「福利」らしい。形式上はこちらの担当する授業日となっているが、実際は学生らの練習に付き合う必要はないという。いやしかし、スピーチの練習を担当した時間数に応じて支払われる報酬については今年度からカットということになったのではないか、だとすれば「福利」もクソもないではないかと思ったのだが、それはこちらの誤解だろうと以前(…)から微信が届いたのを思い出したので、そこのところをあらためて詳しく(…)先生にたずねてみた。すると、時間数に応じて支払われる報酬はこれまでどおり支払われる、ただそれとは別に課外活動に参加したということで大学から支払われる一種のボーナスみたいなものが減額されることになったのだという説明があったので、マジ? じゃあなんだかんだで今回もけっこう稼げるじゃん! と思った。スケジュール表によれば、こちらは先学期と夏休みの分も含めて合計96時間スピーチ練習を担当することになっている。契約ではたしか通常授業とは異なる仕事について、時給120元計算で報酬が出るとあったはずなので、120元×96時間=11520元、日本円にしておよそ23万円ということになるから、MacBook Airの分を十分にまかなえる! ありがてーありがてー!
 食後、ベッドに移動して『小説の誕生』(保坂和志)の続き。そのまま仮眠をとるつもりだったのだが、全然眠くならなかったので活動再開することに。浴室でシャワーを浴び、あがってストレッチをし、「実弾(仮)」第四稿にとりかかる。20時半から23時半まで。シーン44、片付く。まあまあいい感じに加筆修正できたと思う。
 作業中、例によって学生から連絡が相次ぐ。まずは二年生の(…)さん。日本語の教科書か問題集かわからないが、答えの理解できない問題がふたつあるので教えてほしいとのこと。ひとつはこちらの解説ですぐに理解できたようだが、もうひとつの「必ずといって(も)いいほど」という表現についてはちょっと理解に時間がかかるようだった、というか彼女はそのとき授業中で、のちほど聞いたところによれば選択授業で栄養学だったかなにかをとっているのだが、その授業というのが19時から20時40分までというけっこう邪魔くさい時間帯らしく、さらに授業もおもしろくない。たぶんそういうわけで授業中の内職として日本語の勉強をしているふうだったが、ちゃんと授業を受けろ、おなじ教室にかっこいい男がいるかもしれないだろ、そんなんだからいつまで経っても彼氏ができないんだぞと茶化したところ、先生はバカです! と返ってきたので、ぼくはバカじゃありません! 日本鬼子です!!!! と返却した。(…)さん、授業中であるにもかかわらず、マジで声を出して笑うすんでのところまでいったっぽい。このネタでウケなかった試しがない。
 おなじく二年生の(…)さんからも微信。「私の家にはとても重要な事があります! 後の三日間は学校を休みました。」という。要するに、なにかしらの事情があって帰省するので、今週の会話と写作の授業を休ませてくれという話だと思うのだが、おそらく祖父母が亡くなったとかそのあたりだろう。しかしそうだとすると、せっかくの連休前に忌引きなのか、というか肝心の連休が葬儀だのなんだので潰れてしまうわけで、それはちょっとかわいそうだなと思う。いや、かわいそうだなと思う対象がずれているのかもしれないが。そもそも忌引きと決まったわけでもないのだが。
 四年生の(…)さんからも微信。卒論代わりの翻訳であるのか、それとは関係ない問題であるのかよくわからないが、どうしても意味をとることのできない文章があるので簡単な文章にパラフレーズしてほしいという依頼。原文を送ってもらったうえで、具体的にどこが理解できないのかを探るためにひとつひとつポイントを潰すようにして質問を重ねていった結果、「凝る」という動詞(いわゆる「凝り性」のほうの意味)、「やれ〜だの、やれ〜だの」という表現にひっかかっていることがわかったので、そこを中心にざっと解説。多少時間は要したが、問題なく理解できたようだった。
 その後、チーズクラッカーを食しながらジャンプ+の更新をチェックしたのち、歯磨きをすませベッドに移動して就寝。