20231009

 疎外において主体はS2を選択するが、その結果、主体は存在欠如として外部に失われる。主体はこのとき、何の要素も持っていない空集合である。ここで主体は一つのものにめぐり合い、それによって自らの存在を救おうとする。主体の行動範囲は〈他者〉の世界に限定されているゆえに、それは〈他者〉の世界で見出せるものである。〈他者〉はどのように構成されているのであろうか。〈他者〉を一つの集合と考えると、それはS1とS2の二つの要素に要約される。だがこれを部分集合の観点から見ると、そこには空集合が部分として含まれる(集合論によると空集合はすべての集合に含まれる)。分離とは、主体と〈他者〉が双方に共通する空集合を仲介として結ばれることである。疎外によって存在欠如として生まれる主体は、〈他者〉のなかに一つの欠如を見出し、それを自らの存在として自らの空に重複させる。ここでは成立過程の違う二つの空が結ばれ、一つのものが形づくられるわけである。一方の空はシニフィアンの効果としての主体(/S)、もう一方の空はシニフィアンによる産物として、〈他者〉の欠如を表すaである。この二つの結合は(/S◇a)となり、ここで幻想が成立する。
(…)
 主体は疎外においては言語の他者(A)と関係し、分離においては欠如を含む欲望の他(/A)と関係するものだといえよう。主体は他者(A)の不完全性を経験し、他の欠如(a)に自らの場を見出すのである。
(向井雅明『ラカン入門』より「第Ⅱ部第六章 精神分析の四基本概念」 p.364-365)



 8時45分起床。歯磨きしてトースト食す。寮のそばにある売店でミネラルウォーターを買って外国語学院へ。教室に入る。一年生との初顔合わせ。事前情報にあったようにやはり男子学生が多い。
 と、ここまで書いたところで、男子学生の名前のみ羅列しようとしたのだが、これまで受け持ってきた学生の名前はすべてこの日記を書いているPagesのファイルの下部にクラスごとに記録してあり、必要なときにそこからコピペして日記本文に名前を記すという方式をとっていたのだが、さすがに卒業生も含めるとその数もかなりのものになるので、いま、独立して「学生一覧」というファイルを作った。今後は日記を書いている最中、この「学生一覧」から適宜彼女らの名前をコピペすることにする。
 で、10時から一年生の日語会話(一)。今日は1班のほう。まずは昨日仕込んだPDFをスライドに映して簡単な自己紹介。それから名前の日本語読みをまとめたプリントを配布し、五人ずつ黒板の前に立たせて写真撮影。その後、五十音をざっと確認し(しかし高校時代から日本語を勉強している学生が相当数いたためにここはかなり端折ってしまった、が、いまは端折ったのは失敗だったと反省している、たとえ高校組が退屈していたとしても基礎練習はしっかりやるべきだった)、全員分の名前の日本語読みも続けて確認。最後に、これは去年まではやらなかったことであるが、「はじめまして。わたしは(名前)です。よろしくおねがいします」をひとりずつ言わせた(以前は一クラスに40人近く学生がいたのでこれをする余裕がなかったが、いまは30人×2クラスなのでできる)。
 男子学生は(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くんの11人。内、高校時代から日本語を勉強している学生は、(…)くん(高二)、(…)くん(高二)、(…)(高一)くん、(…)くん(高一)、(…)くん(高二)、(…)(高二)の6人で、やっぱり割合が高い。しかし半数以上は一年後のいまごろは落第生になっているだろうとすでに確信できる。
 女子学生は、(…)さん(高二)、(…)さん(高二)、(…)さん(高一)、(…)さん(高二)、(…)さん(高一)の5人が既習組。男子の6人とあわせて11人。クラスのおよそ三分の一が既習組にあたる。
 (…)省以外の出身者は、(…)くん(浙江省)、(…)くん(江西省)、(…)さん(江西省)、(…)さん(遼寧省)、(…)さん(河北省)、(…)さん(黒竜江省)の6人。ちょっと少ないという印象。
 印象に残っている学生は(…)くん。高校一年生から日本語を学習していることをさっぴいてもダントツでできる。そして100%ゲイ。ここまでわかりやすいタイプのゲイは(…)くん以来かもしれない。いや、彼よりもさらにずっとわかりやすいか。いわゆるオネエ系のしゃべり方をするのだ。しかし口語能力はかなり高い。最初から最後までこちらの発言にひとり日本語で相槌を打ち続けたり返事をしたり質問をしたりしてみせる。現二年生の(…)くんですら去年のいまごろこのレベルには達していなかったかもしれない。次回のスピーチの代表はおそらく彼で決まりだろう。地力が違う。ほかの男子学生らが例によって後部座席を陣取るなか、学習委員の(…)さんをサポートする意味もあるのかもしれないが、彼女のとなりである窓側最前列を陣取ってとにかくしゃべる。男子学生でほかに熱心に耳をかたむけているようにみえたのは(…)くん。小中学校時代の同級生である(…)に顔がちょっと似ている。逆に、こいつは絶対落ちるなと確信したのは(…)くん。四年生の(…)くんに顔が似ているのだが(のちほど(…)くんのクラスメイトである(…)くんに写真をみせたら彼も同意していた)、初っ端の発音練習からスマホをいじってばかりいる。で、そんな彼にひきずられるかたちで、男子学生の半数がそのまま落第組になるだろうというのが、それ相応に経験を積んできたこちらの予測。あと、既習組の女子学生のなかにもひとり、五十音の練習となった途端に椅子の背もたれに寝そべるいきおいでもたれかかって足を前に投げ出すという、信じられないくらいだらしのない姿勢をとりはじめたのがいて、おまえマジはったおすぞと内心ひそかに思いつつもニコニコ無視したのだが、それが(…)さんだったか(…)さんだったか、いま写真を確認してもちょっとわからない。しかし発音練習をはじめるまえに、きのうわざわざ(…)さんに翻訳をお願いしてまで既習組は発音練習に励むようにというメッセージをスライドに映して見せたというのに、そのうえでこの感じかよとげんなりする。まあそういうタイプの学生はもともとやる気がないのだろうし、来年のいまごろはほかの学部に移っているだろう。
 しかし全体的にはちょっとパッとしないなという印象。初回の授業だからといってパーティーみたいなにぎやかな雰囲気になるのかといえば、全然そうでもない。とはいえ、新入生の初回授業では毎年似たような印象をおぼえているので、ことさら深刻に受け止める必要はないだろう。赴任した最初の年やオンラインでしか授業を担当していなかったクラスとの初顔合わせの場合でいえば、二年生や三年生との初回授業はわーっと、それこそパーティーみたいに盛りあがったわけで、思っていたよりは手応えのないこの感じはやっぱり相手が新入生であるから、つまり、語学力の壁に起因する問題なのだろう。実際、クラスの三分の二は五十音がぎりぎり読める程度の力しかないのだ。現二年生も現三年生も、初回から第三回くらいにかけての授業は、けっこうやりにくかったのをおぼえている。初学者相手ではろくにアクティビティもできない(ある程度単調にならざるをえない練習くらいしかすることができない)、それにくわえて学生もこちらの担当する授業の構成や方法に慣れていない、そしてなにより転移が成立していない、ゆえにどうしてもむずかしくなってしまうそうした時間が、こちらの経験ではおそらく一ヶ月ほどは続くはずなのだ。
 授業が終わる。教室を出る。駐輪スペースでケッタのロックを解除していると、向こうから三年生の(…)くんがやってくる。ひさしぶりとあいさつし、四級試験をクラストップのスコアで合格したことに触れ、おめでとうと告げる。(…)くん、嬉しそうだった。英語学科の彼女も英語の試験に合格したという。立ち話をしているわれわれのそばを、二年生の(…)さん、(…)さん、(…)さんが通りがかる。(…)くんを紹介。四級試験をトップスコアで合格した優秀な先輩だよ、と。
 (…)くんとはそこで別れる。いつもの三人とそのまま昼食をとる流れとなる。食堂は混雑しているので后街へ。病院内を突っ切っておもてどおり沿いに出たところでケッタを停める。そこから徒歩で移動。后街の前にある語学学校の門前で(…)が座りこんでいるのを見る。ここにmoveしたというのは本当だったのだ。メシは魚のスープの店でとる。店員のおばちゃんにひさしぶりとあいさつ。こちらと浙江省出身の(…)さんは辛いものがダメであるが、(…)さんと(…)さんのふたりは辛くないとダメ。あいだをとって微辣の金汤なんちゃらと鶏肉に餃子の皮をかぶせて鍋で煮たのか蒸したのかしたやつを食す。(…)さんはいつもどおり元気にしゃべりまくったが、(…)さんの元気がなかった。寮では毎日掃除をする必要があるのだが、その監視役から不合格を言い渡されたらしい。そして不合格を言い渡されると、総合成績かなにかから減点されるというのだが、そのせいでじぶんはルームメイトからきっと嫌われているのだという。連帯責任でルームメイトの成績も減点されるのかという質問には否定の返事があったし、だったらそんな理由で嫌われることはないだろうと思うのだが、(…)さんは始終浮かない顔をしていて、やっぱりこの子ちょっと鬱っ気があるよなと思う。以前の大学を辞めたのもこの人間関係に対する過度にネガティヴな思い込みのためではないかと思ったりもしたのだが、いや実際彼女とルームメイトの関係がどうであるのかなんてこちらには知れたものではないので、あまり勝手なことをいうのもよくない。ちなみに、ルームメイトというのは、(…)さんと(…)さんのほか、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、それに英語学科の先輩ひとりだというので、え? ガチガチの一軍やん! とびっくりした。全員少なくともこちらがこれまで担当した授業ではトップレベルの成績をつけている子たち。この子たちをのぞく女子学生でこちらがトップレベルの成績をつけているのは(…)さんと(…)さんと(…)さんと(…)さんと(…)さんと(…)さんくらいではないか。これもやっぱり環境の力なのかもしれない。クラスごとにレベル差が生じるように、部屋ごとにやっぱりレベル差が生じる。
 会計は少しだけ多めにこちらが出す。学生らはきまって遠慮するのだが(中国の習慣的にはむしろ学生が教師の飯代を出すほうが一般的なのだ)、こちらひとり男であるし多めに食ったからという理由でいつも多めに出すようにしている(実際は辛いのと油っぽいのとで、こちらは外食時あまりたくさん食わないのだが)。店を出る。大学にもどる帰路も(…)さんはずっと浮かない調子で、それを(…)さんがなぐさめはげますかたち。(…)さんは例によってこちらにつきっきりでベラベラベラベラハイテンションでよくしゃべる。この子はこの子でなかなかの独占欲だなと思う。女子寮前で一年生女子を見かける。名前は当然まだおぼえていないが、最前列に腰かけていたわりには初回からやる気のないオーラを身にまとっていた女子で、どことなく雰囲気が二年生の(…)さんに似ている点からしても、そう遠くないうちに脱落するだろうとこちらは見当をつけているのだが、これを書いているいま写真をチェックしてみたところ、たぶん(…)さんだ。あともうひとりいたと思うが、よくおぼえていない。
 二年生の三人と別れて帰宅。ベッドに寝転がりながら微信の友達申請があった一年生全員にひとりずつ返信。こういう地道な仕事は絶対に必要。これを書いているいま、申請があったのは29人であるのだが、未申請はだれであるのだろうと確認してみたところ、(…)くんだった。一年生男子ですでに他の学科に移動することを考えている子がいるという噂を以前聞いたことがあるが、たぶんこの子だろう。あいさつの合間に、(…)さんからの微信に返信したり、(…)くんからの質問に答えたり、(…)さんから送られてきた「おじさん」の件についての長文に返信したりする(昼間は「おじさん」のことをまだ忘れることのできる瞬間もあるのだが、夜になるといまだに泣いてしまうのだという)。新入生とのやりとりの大半は「よろしくお願いします」とステッカー(表情包)の形式的なやりとりだけで終わるのだが(こちらとしても今日の時点ではそれ以上は望んでいないのだが)、(…)さんという女子学生がこちらの使用したステッカーを自分でも使いたいという旨の発言を中国語および日本語でした。そしてこちらはそれに対して了解の返信をしたのだが、続くむこうの返信が「看不懂思密达」で、看不懂だけであれば、(こちらの返信内容を)理解できないという意味なんだろうが、思密达ってなんだよと思ってのちほどスピーチメンバーに確認してみたところ、これは韓国語を真似た語尾であるとのことで、日本語でいうところの「〜ハムニダ」みたいな意味合いであるということだったのだが、これを聞いた途端、あ、この(…)さんもちかぢか脱落するかもなと思った。彼女には「他者」がいない。中国語を解さない外国人とのやりとりで、微信のお粗末な翻訳機能で対処できる範囲を超えている俗語をなんのためらいもなく使ってみせる、そういうタイプのいわば「他者」に対する想像力の徹底的に欠けた子というのは各クラスに何人かはいるのだが(作文に平気で身内ネタをその文脈の補足なしに書いてみせる子、中国語の慣用句や成語をそのまま直訳すればそれが通じると思いこんでいる子)、この子もたぶんそうなんだろうなと思ったのだ。

 午後、ふたたび出発。門の入り口で中年女性から英語で話しかけられる。この大学でstudyしている人間かというので(learnではなかった)、I’m a teacherと応じる。なにが目的だったのかわからない。もしかしたら留学生と交流するのが目的の人物だったのかもしれない。それでいえば、あれはもう四年か五年前になるだろうか、近所に住んでいるというおばさんからやはり寮の門前で英語で話しかけられたことがあり、そのときはちょっとだけ立ち話をしたのだった。独学で英語を勉強しているという人物で、じぶんの英語教師になってくれる人物をここで探しているのだと続けたのち、英語を教えてくれないかとなぜかこちらに打診してみせた。もちろん、こちらはネイティヴでもなければ英語教師でもないからと断った。
 最寄りの売店でまたミネラルウォーターを買う。店員のおばちゃんに今日は午前も午後も授業かと驚かれる。外国語学院へ。スピーチコンテストの代表三人は先着している。練習は14時半から17時過ぎまで。まずはテーマスピーチのチェック。今回は問題があるとこちらが判断した時点で手をあげてスピーチを中断、その都度指摘するという形式でやる。感情の込め方が三人ともかなりあやしかったので((…)さんにかぎってはそもそもの発音に問題があるが)、抑揚たっぷりで朗読したものをあらためて録音して送ることにする。そういうわけで即興スピーチのテーマだけあたえて学生らが準備している最中、廊下に出てトイレの近くに移動し、そこで録音することにしたのだが、でかい声で抑揚たっぷりの気持ち悪い朗読をしているこちらのそばを、おなじ階に専用の個室がある(…)先生や(…)先生がトイレに行くために通りすぎていくので、けっこう気が散った。
 即興スピーチは三つやったが、三つともけっこうさんざんな結果だった。(…)さんは「型」を使った方法のほかに、例年学生らがそうしているように、即興スピーチ用の原稿も複数暗記して本番に挑むつもりらしかった。(…)くんと(…)くんは「型」だけで挑むつもりらしかったが、それについて(…)くんのほうが自分は暗記など必要ないというようなことをけっこう自信満々の口調でいうので、やっぱり釘を刺しておくべきだなと思い、正直いまのままでは厳しいよと告げた。彼はその前に「理解」というテーマで即興スピーチをしているのだが、ほかのふたりがボロボロながらもどうにか形だけは取り繕ったのに対して、開始30秒くらいで完全に失敗してしまったのだ。日本語能力がもっとも高いのが(…)くんであることは間違いないのだが、テーマがいくらか抽象度をおびるとなると途端にダメになるというか、本当に中身がすっからかんの文章しかこしらえることができず、またすっからかんであるので当の本人も内容をろくに記憶できず口頭表現もボロボロになってしまう、そういう節が以前より見え隠れしていたので、その点をけっこうするどくえぐるように指摘した。逆に、(…)くんは文学青年であるので、日本語能力はいまいちパッとしないのだが、スピーチの内容自体は筋が通っているし、あたえられたテーマをうまく解釈しているなという印象を受ける。(…)くんはこちらの指摘に多少イライラしているようにみえた。鼻っ柱を折られた、メンツが潰された、そういう思いがあったのかもしれない。「理解」のほかに「成功」や「思考と行動」などという抽象的なテーマを連続でやってみたが、三人ともやはり苦労しているふうだったので、そもそもテーマに真正面から対峙する必要はない、たとえば「理解」がテーマであるなら前置きとして理解力が重要であるとしたうえで、その理解力を向上させるための方法を複数紹介する(読書、旅行、アルバイトなど)というふうに、抽象度の高いテーマをいったん具体性の水準にひきずりおろす作業を噛ませたほうがいい、そうすれば一気にやりやすくなるはずだと説明すると、(…)くんはおー! と納得したようす。たぶん彼はこれで方法を掴んだと思う。あとのふたりはわからない。
 練習を終えて廊下に出る。西の空に夕陽が出ているのを(…)くんが写真に撮る。夕陽が落ちる先には后街にある語学学校の建物がそびえたっている。(…)くんのクラスメイトの男子たちは今日からあそこで教師として働いている。一階までおりる。(…)くんとはそこで別れる。(…)さんはセブンイレブンで夕飯を買うという。(…)くんからいっしょにいきましょうと誘われたので、たまにはセブンで夕飯を買うのもいいかなと同行する。老校区と大通りを結ぶショートカットとして開放されている病院の入り口の手前で、四年生の男子学生たちとばったりでくわす。(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くんの四人。全員くだんの語学格好で一日働いたその帰り道だ。以前(…)くんから(…)くんもいっしょに働くときいていたが(そして(…)くんは故郷に帰ると聞いていたが)、そのあたりちょっと情報の行き違いがあったようだ。教科書や宿題を見せてもらう。五十音レベルの授業を担当しているのかなと思ったが、もっとずっと高度な内容だった。学生たちはどうだった? バカ? とふざけてたずねると、バカ! バカ! とみんな笑った。
 セブンイレブンへ。レジには制服を来たおばちゃんふたり。そして店内にはまた例のロリータファッションの女子がいるわけだが、客としているという感じではない、商品棚をチェックして商品の陳列をひとつずつ直しているふうだったので、やっぱり彼女もスタッフなのかもしれない。しかしスタッフだとすればやはり制服を着る必要があるだろう。もしかしたら店長の彼女かもしれないなと思った。それでバイト代はなしでときどきこんなふうに手伝いに来ているのかもしれない。あるいはああいうファッションをしているくらいであるし、日本にいくらか興味があって、仕事を手伝う代わりに店長から日本語を教えてもらっているのかもしれない。全部手前勝手な想像だが。店ではチーズと鶏肉が白米にのっかっているやつと、おにぎりと、焼き鳥を二本買った。(…)さんが野菜生活を手にとって、先生これはおいしいですかというので、おいしいよ、ぼくは京都にいたころよくコンビニでこれを買って飲んでいましたと応じたが、小さい紙パックのやつでひとつ10元以上して、うわやっぱり割高だなと思った。
 三人とも夕飯を購入し、店のレンジでチンしてもらったところで、外に出た。すると、ちょうど電動スクーターに乗った店長がやってきたので、こんにちはとあいさつし、学生ふたりにあらためて店長を紹介した。授業中いつも学生に宣伝していますからねというと、店長はありがとうございますと笑った。
 帰路をたどる。学生ふたりとロリータファッションの彼女について話す。ふたりもやっぱり店長の彼女の可能性はあるかもしれないと考えているようす。(…)くんはしかし納得がいかないという。ロリータファッションの彼女のことを彼はたいそうかわいいと考えている、だから店長の彼女だとすればちょっとがっかりするというわけだ(しかしそんな彼にも英語学科の彼女がいる!)。
 女子寮前で(…)さんと別れる。男子寮でメシを食っていくかとなる。寮に向かう途中、一年生の女子からこんにちはとあいさつがある。たぶん(…)さんだ。高校一年生のころから日本語を勉強している女子。女子なのだが、なんとなく、本当になんとなくなのだが、うっすらと(…)さんに顔が似ている気がする。さらに三年生の(…)さんと(…)さんともすれちがう。(…)さんの名前が出てこずあせったが、そこはまあうまく誤魔化しつつ、四級試験合格おめでとうございますと伝える。

 男子寮へ。(…)くんと(…)くんのふたりが在室。ベッドでごろごろしていたが、こちらの訪問にあわせてもぞもぞと起きはじめる。空いている机にセブンの弁当を置いて食いはじめる。(…)くんは食欲があまりないらしく夕食は食パンのみ。(…)くんはすでに食事を終えたあとだったかもしれない、なにか食べているところは見なかった。(…)くんはカップラーメンを片手に外からやってきたが、湯に溶けかけた粉末スープのぐちゃぐちゃになっているのをこちらに見せてうんこみたいですねとふざけたことを口にした(しかし食うのは彼自身なので自殺行為だ)。エロい日本語を教えてほしいと(…)くんがさっそく男子寮での会話らしいことを言いはじめた。しかしこちらがなにか言うよりもはやく、じぶんたちから率先して「淫乱」とか「中出し」とか「ぶちこむ」とか言ってゲラゲラ笑う始末。(…)くんは大学入学後に日本語を勉強しはじめた学生であるのだが、そして授業中も全然熱心ではないのだが、口語能力はけっこう高い。ゲームとエロ漫画とエロゲーで日本語を学んだからだという(AVのドラマパートで日本語を勉強した卒業生の(…)くんよりはマシという印象をなぜかもってしまう)。是来兄弟chao4我! だったか、おれのケツにぶちこんでくれ的な意味合いのフレーズらしいのだが、それを(…)くんをはじめとする面々がクスクス笑いながらこちらに言わせようとするので、廊下に面しているとびらのひらいたままになっているほうに向けてクソデカい声で叫んでやった。まさかそんなデカい声で言うとは思ってもいなかったのか、みんななかばパニックになりながらもゲラゲラと笑っていた。それからAV女優の名前を複数出して、先生知っていますか? とこちらにたずねた。蒼井そらは別格として、中国では深田えいみや三上悠亜などが人気だという。こちらがむかしセルビデオ店でバイトしていたことは言いそびれた。(…)くんが外出先からもどってきたところで猥談は切りあげた。彼は十中八九でゲイであるし、こういう話でルームメイトらが盛り上がっていたらいろいろ居心地悪いだろうと思ったのだ。代わりに卒業生の(…)さんの名前を出した。というのも(…)さんのモーメンツに(…)くんがたびたびコメントしたりいいねしたりしているのを見て、以前より不思議に思っていたのだ。高校時代の先生だと(…)くんは言った。(…)くんは高校二年生から日本語を勉強しはじめたのだが、そのとき日本語の授業を担当してくれたのが(…)さんだという。予想通りだった。(…)くんの故郷は(…)。(…)さんはいまは(…)を離れ、もうすこし(…)に近い街の高校で日本語教師をしているという。(…)さんはこちらが(…)に赴任した初年度、二年生の学生だった。(…)くんは(…)さんがこちらの教え子であることを知っていたようであるが、ほかの学生たちはこの話にけっこう興味津々で、じゃあ(…)くんにとって(…)先生は先生の先生だ! と興奮して口にするなどした。それから、でも先生の先生っていうとおじいさんみたいだという(…)くんの言葉に、みんな笑った。(…)さんの日本語レベルについてたずねられた。半笑いを浮かべるしかない。しかし(…)さん自身、じぶんの在学時の日本語レベルは高くなかった、ただインターンシップで北海道に渡ったのをきっかけに口語能力が向上したのだと授業中語っていたという。インターンシップに参加後の彼女とはこちらは一度も会ったことがないので(コロナのせいだ)、これは初耳だった。
 二年生は夜の自習がある。教室に向かう学生らとおなじタイミングでこちらも男子寮をあとにして帰宅。すぐにシャワーを浴び、コーヒーを飲みながら、きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年10月9日づけの記事を読み返す。

2021年10月9日づけの記事を読み返す。小説をどこで終わらせるかという話とラカン派の短時間セッションについて、磯﨑憲一郎の初期作品もこの道具立てで語ることができるだろうという注釈付きで、2020年10月9日づけの記事から以下のくだりを引いている。

16時から18時半まで「S」詰め。144/197枚。「S」の最後10枚程度はバッサリカットしてしまってもいいかもしれないなとふと思った。初稿の構想段階でそうであったように、子が「お父さんはぼくに似ているね」と口にするシーンで一気に終わらせてしまったほうがいいのではないか、そのあと長々とまとめにかかる必要はないのではないかと思ったのだが、しかし先のセリフの直後で物語を閉じてしまうと、当のセリフがあまりに重く意味付けされてしまうことになる。小説をどこで終わらせるかという問いは、ラカン派の短時間セッションを思わせるところがある。区切りとは、それが区切りであるというだけで、非常に意味深になってしまう。そこで区切る、そこで句点を打つ、そこで沈黙をさしはさむことによって、文脈が切断され、その切断面から妄想性解釈がはじまる。区切りとは、それ自体が隠喩(意味の産出)である。それを(たとえば保坂和志『プレーンソング』のように)回避するのか? それとも逆手にとるのか?

 セブンイレブンで買ったおにぎりが残っていたので食う。食いながら今日づけの記事を書きはじめる。当然長くなる。23時半前に中断。ベッドに移動し、『小説、世界の奏でる音楽』(保坂和志)の続きを読み進めて就寝。