20231011

 シニフィアンの構造は、S1—S2という二つのシニフィアンの繋がりを基本とする。ここでS1は最初からS2と繋がっているわけではない。S1は最初の満足体験、もしくは享楽のマークとして他のものと繋がりを持たず単独に存在する。ラカンはこのS1を一なる印または一の線(trait unaire)と呼んでおり、これはフロイトにおける Einziger Zug に相当する。フロイトによれば人間は最初の満足体験を繰り返そうとするのであったが、これはS1、一なる印を再現することに繋がり、反復といわれる。享楽を再現しようとする運動となる。反復には二種類のものが考えられる。一つはS1をそのまま再現しようとするものでこれは幻覚を引き起こすであろう。もう一つはS1を別のシニフィアンS2と組み合わせ、意味として再現することである。通常は後者が採用され主体は言語世界で活動するようになる。だがS1–S2の構造はS1の享楽をそのまま反復するものではない。両者の間には必ずギャップが生じ、S1の享楽は一部失われていく。エントロピー増大のようなものである。ラカンはそれを失われた対象と見みなしている。一種の負の量である。この負の量はそれを埋め合わせるものを呼び起こす、それが対象aである。したがって、対象aとは陰性のものでありながら、同時に陽性のものでもある。
 この対象aはここではまた剰余享楽とも呼ばれている。ラカンマルクス剰余価値との共通点を認めてそう呼んでいるのだ。
 マルクス剰余価値説を大まかに説明すると次のようになる。
 ひとつの商品には二つの価値の側面がある。使用価値と交換価値である。使用価値は商品を消費するときに問題となる。例えば、小麦を焼いてパンにして食べるときには使用価値が問題となる。他方、小麦を布地と交換するときには交換価値が問題になり、そこでは{一定の小麦=一定の布地}という等号が成立している。つまりそこには何か共通なものがあるから交換が成り立つのだ。マルクスはその共通要素を労働と認めた。つまり同じ労働量で一定の小麦と布地を生産できるから交換が可能だというのだ。貨幣はこの労働量はお金の額と言う形で具体的、そして一般的に表すものである。
 ところで商品のなかには特別の性質を持つものがある。それは労働力という商品である。労働力はお金で買える商品である。そして労働力はそれを消費すると労働の量となる。ここで労働力のマジックが生まれる。労働力は一定のお金(=労働量)で買える交換価値である。ところが、それを使用価値として使うと、交換価値以上の労働量を生み出すことができるのだ。つまりここには交換価値と使用価値の間のギャップが生じ、このギャップが剰余価値として生まれ、利益の源泉となる。
 このマルクスの商品の論理に対してラカンシニフィアンを当てはめて考えようとする。シニフィアンS1は享楽のマークであるが、それを直接享受することはそれを使用価値として消費することを意味する。それに対してS1を別のシニフィアンS2と結びつけることは、S1をS2に置き換えることになり、S1を交換価値として使うことを意味する。それはシニフィアンの労働に相当する。S1はS2とは同じものではないのでS1の使用価値とS1—S2の交換価値との間にもやはりギャップが生じ、それを剰余価値との類似により剰余共楽と呼ぶ。
 この考えはあまり厳密な論理に基づいているとはいえないだろうが、これが剰余享楽の論理である。これによると享楽はシニフィアンの作用、シニフィアンを通した労働から生まれることとなり、それまでのような享楽は禁止され、享楽とシニフィアンの間には対立があるという考えはもうなされなくなる。ラカンにとってこれは一つの理論的方向転換である。それによって享楽の地位が高められ、以後次第に欲望についての言及は後退し、享楽の重要性が増大してくるのである。
(向井雅明『ラカン入門』より「第Ⅲ部第七章 ジョイスの方へ」 p.376-378)



 7時45分起床。トースト食って出発。9時からスピーチ練習。しかし教室の扉は閉まっている。廊下には(…)くんの姿しかない。あとのふたりは午後からの練習であると勘違いしているようす。すぐに(…)くんが鍵をもっている(…)くんに電話。こちらはスピーチ代表三人とこちらからなるグループチャットで通知。(…)さんからすぐにすみませんと返事が届く。
 ふたりがやってくるまでのあいだ、廊下で(…)くんのテーマスピーチだけチェックしようと思っていたが、(…)くんが10分もかからずにやってきたので、ちょっと笑ってしまった。四年生の男子寮は外国語学院と同様に老校区にあるとはいえ、あの距離を自転車もスクーターも使わず10分未満でやってくるのか、と。走ってやってきたらしい。じきに(…)さんも姿をみせる。
 まずはテーマスピーチのチェック。今日は本番とおなじく通してやる。(…)くん、めちゃくちゃよくなっていた。先日録音しなおした朗読ではかなり感情たっぷりに、読んでいる自分自身が吐き気をもよおすほどの抑揚をつけたのだが、それくらいおおげさにやったほうが学生にとっては参考になるのかもしれない。(…)くんも(…)さんもぼちぼちよくなっていたが、入賞レベルでは正直ない。だが、(…)くんは入賞を狙えると思う。
 即興スピーチは「科学技術」と「距離」をお題に二本練習。(…)くんはここでもかなりよかった。時間オーバーこそしてしまったものの、これをきっちり制限時間内におさえることができれば入賞を狙えるだろうというレベル。先日鼻っぱしらを軽く折っておいたのが功を奏したのかもしれない。
 練習の最後に多少雑談。長野にいる(…)さんが彼氏と別れたらしいという話をきいた。いっしょに長野にいる(…)さんが親友の(…)さんに話し、その(…)さん経由で(…)さんも聞き知ったというかたちらしい。わざわざ彼女を追って江西省から(…)までやってきて、(…)にある蜜雪冰城でアルバイトまでしていたあの彼氏との関係もポシャったわけだ。(…)さん曰く、(…)さんはもともと英語学科志望だったが高考の結果日本語学科に入学することになった、しかしそれでもめげずに一生懸命勉強して優秀な成績をおさめている、それに対して(元)彼氏のほうは大学に進学していない、そういうところの温度差みたいなものが破局の原因だったのではないかとのこと。さもありなん。(…)さんは中国でも日本でもたくさんの男から言い寄られているという。たしかにきれいな子であるし、フェミニンでやわらかなあの雰囲気には独特の魅力もあると思うが、ふたえまぶたに整形する前のほうがもっと個性的できれいだったのにとこちらはひそかに思っている。もちろん、そんなことは決して口にしないが!
 練習を終えて学生らと別れる。(…)くんも今日は彼女と食事だという。そういうわけでひとりケッタに乗って第四食堂へ。ハンバーガー店で牛肉のハンバーガーとエビのハンバーガーを打包。顔なじみのおっちゃん(いつも歌をうたっている美声の持ち主!)が無料でコーラをひとつつけてくれた。ありがたいなァ。田舎で外国人やっていると、こういうラッキーなイベントがときどき発生する。
 寮にもどる。敷地内で(…)と(…)にばったりでくわす。(…)おすすめの第四食堂の「(…)」で牛肉とパクチーのメシを食ったけどとても辛かったと告げると、あれで辛いと思うのかと(…)は笑った。今度あなたのためにおなじ料理を作ってあげるからうちにおいでというので、ありがとうと応じる。
 帰宅。スピーチ練習中に一年生の(…)くんから届いていた微信に返信を送る。こちらが自己紹介の際に言及した残雪について、友人にたずねてみたところ「意識の流れ」を重視した作家であると教えてもらったというので、残雪の作風は「意識の流れ」とはちょっと違うかなとやんわり訂正しておく。ほか、こちらが過去にモーメンツに投稿したゴダールについても、彼のことを知っているという言葉があったので、もしかしたら(…)くんは文学系男子なのかもしれない。(…)くんには今日と同じレベルのスピーチを本番でやれたら入賞できるぞと激励の微信を送る。

 ハンバーガー食って一時間ほど昼寝。(…)ちゃんのアカウントを使って(…)からLINEが届く。あれは新聞だろうか雑誌だろうか、小学生モデルっぽい女の子がこちらとおなじ10月5日生まれらしく、わたしの誕生日はじつはこんな記念日でもあるのですみたいな紹介をしているページがあり、それを写真に撮って送ってくれたのだが、そのなかに「世界教師デー」があり、そういえばそうだったなと思った。じぶんは教師の日に生まれたのだ、と。おなじアカウントで(…)から(…)ちゃんの誕生日忘れとったと届いたので、もうあんたら姉妹の誕生日祝ったらんしお年玉もやらんと送った。それでほんの少しだけ他愛もないやりとり。(…)はスマホを欲しいと思っているようす。小四やもんなァ。いや、小五か?
 明日の日語会話(三)にそなえて授業準備。計画によれば、「食レポ」の説明をする必要がある回だったので、もうそんなタイミングかと思った。明日は6回目の授業。授業は全部で16回だが、最後の3回は期末試験にあてるのでカウントせずとすると、ちょうど折り返し地点にあたる。資料を一部作りなおす。
 第五食堂で打包。食後、卒業生の(…)さんから微信。ずいぶんひさしぶり。元気にしていますか? そっちはどうですか? というので、今年の新入生は二クラスになったこと、男子学生や既習者がクラスの三分の一を占めていることなど話す。(…)さんはいまも(…)の語学学校に勤めている。オンライン授業のバイトがあるというので、ああそれが目的だったのねと思いつつ、外教のアルバイトは禁止されているのだと応じる。その後も多少やりとり。学生時代ずっと付き合っていた英語学科の彼氏とは別れたらしい。三年前のことだという。
 きのうづけの記事の続きを書きはじめる。途中、玄関の扉がノックされる。(…)! とこちらの名前を中国語で呼ぶ声もする。管理人の(…)だと思いながら出る。(…)と知らないおっさんのふたりがいる。中国語でなにやらいうのだが、全然聞き取れない。かろうじて水果と聞き取れたので、果物? 最近果物のゴミ出しでミスったことでもあったか? と思ったが、たぶんそんな理由ではない。ふたりはやや強引に部屋に入ってくる。そのまま阳台のほうにいき、洗濯物を干してあるフロアのあたりを手で探るようなそぶりを見せはじめたので、あ、水漏れだな、と察した。ここで水を使ったかというようなことをいうので、使っていない、洗濯機は使ったが水漏れは一度も起こっていないとカタコトの中国語とジェスチャーで応じる。ふたりはためしに洗濯機を使ってみるという。電源を入れて水を洗濯機内にそそいだのはいいものの、そそいだその水を外に出す方法がわからず、やたらめったにいろいろなボタンを押しまくるので、いやこれ中国語表記の洗濯機やのになんであんたら操作できひんねんと思いつつ、かたわらから手を出してこちらが操作する。水は無事排出される。どこに漏れるでもない。もしかしたらこれじゃないといって、浴室のタイルの一枚剥がれかけているやつを(…)にみせるが、そちら側ではない、こっちに原因があるはずだと阳台のほうを指さす。
 ふたりが出ていってほどなく(…)から着信。通訳だなと思いながら出る。水漏れがあったというので、さっき(…)とrepairmanの男性が来たと応じる。うちのfloorには問題なかったと言っていたよと続けると、floorではなく、tubeという言い方をしていたかpipeという言い方をしていたか忘れたがとにかく配管のほうに問題があるという返事があり、その工事をする必要があるので今日と明日は洗濯機を使わないでほしいとたのまれた。Can I take a shower? とたずねると、浴室のほうは問題なしとのこと。配管工事の具体的日程などの話はなかったし、工事をするのは水漏れの生じている下の部屋の配管であり、こちらの部屋に人夫がやってくることはないとこのときは判断したのだが、これを書いているいま、あれ? もしかしたら明日あたりおっさんらがまたうちの部屋にぞろぞろやってくることになるのかな? と思った。わからん。
 きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年10月11日づけの記事の読み返し。党大会後もゼロコロナ継続の報道が出ている。そう、党大会後にはゼロコロナが撤廃されるだろうという人民らの期待はこのとき完全に打ち砕かれたのだ。しかし実際には、その二ヶ月後になんの事前通知もなく撤廃が発表される。こちらが「×××が塩の柱になるとき」を開設し、七年ぶりだったか八年ぶりだったかに日記を一般公開するようになったのは、そのちょっと前だったはず。
 シャワーを浴びる。20時半から22時半前まで「実弾(仮)」第四稿執筆。シーン47の続き。プラス31枚で計924/1040枚。いちおうシーンのあたまから尻まで通して修正したが、もう一度チェックしたい。後半がちょっと弱い気がするんだよなァ。
 懸垂し、プロテインを飲み、トーストを一枚食べて就寝。