20231012

 セミネールの一一巻ではアリストテレスのチュケー(tuché)という概念が扱われていた。チュケーは現実界との偶然の遭遇を意味するものであったが、七〇年代になると人間が最初に遭遇するのは言語であり、言語との遭遇によって、生物学的存在でしかなかった人間は、生まれてきた状況から引き剥がされ、言語的存在となるのであって、そこで現実界との遭遇がなされると考えるようになった。もちろんこうした考えはラカンのなかに基本的にあったものだが、七〇年代ではその遭遇が残したものを〈一者〉と呼び、「〈一者〉はある(yadl’Un)」という命題を精神分析の基本的命題とした。「〈一者〉はある」は「〈他者〉はいない」、「性的関係はない」などの否定的命題に対して唯一肯定的であり、これを基に精神分析を基礎づけることができるのだ。
 「〈一者〉はある」というのはプラトンの『パルメニデス』で扱われている一命題のようで、形而上学的で大変抽象的な表現に見え、いったいそれと精神分析との関係はどこにあるのだろうかと疑問が湧くのも当然である。だが実はこれは大変に具体的な意味をもち、大変に強力な命題なのである。
 なぜなら一者とは人間が言語と遭遇したときに残された痕跡であり、それはトラウマとして残り、反復現象の基になるからである。ラカンはそれをS1と記す。S1と記すのはそれが最初のシニフィアンであって単独で実在(existence)するシニフィアンだということを表している。
 人間は最初の満足体験を反復しようとする。これはそもそもフロイトが最初に心的機構の理論的構築を試みた『科学的心理学草稿』のなかで主張されていたことである。そしてこれは反復強迫に潜む死の欲動に繋がっていった。それがラカンの最後期の理論化における〈一者〉の反復にまでずっと受け継がれてきたのだ。フロイトが満足体験の反復と呼んだところでラカンは享楽と呼ぶ。ここには〈一者〉の享楽というものがあり、ラカンはそれを精神分析の最も基本的な概念とするのだ。
 それまでのラカン精神分析理論は欲望を中心概念として考えられてきた。享楽の概念は、最初は単に想像的なものであったものが徐々に現実的なものの意味合いを与えられるようになったが、まだそこに完全に重心点が移行したわけではなかった。ところが七〇年代に入り、ラカンの最終的な理論化においては享楽を中心軸に理論化がすすめられ、欲望は背後に置かれるようになるのだ。
 享楽と言う概念を優先させると、欲望と言うものは結局二次的だということがよくわかる。なぜなら、ラカンの有名な公式、「人間の欲望は〈他者〉の欲望である」が成立するには〈他者〉を必要とし、「そもそも〈他者〉はない」というなら、何らかの形で〈他者〉を一種のフィクションとして構築しなければならないからである。まず〈一者〉の享楽があり、それを耐えられるものとするために〈他者〉を構築して、ファンタスムをつくり、そこから欲望を成立させ、その欲望を追求しながら人間は生きていくのだ。
 これまで、フロイトエディプス・コンプレックスから始まり、ラカンの様々な理論的展開はこの〈他者〉がいかに構築されるかを考えるためであった。ラカンはここで〈一者〉の享楽を、精神分析を考えるためのスタートラインとするのだ。
(向井雅明『ラカン入門』より「第Ⅲ部第七章 ジョイスの方へ」 p.392-394)



 6時半起床。いつも授業の1時間15分前に起床していたのだが、これだと毎回けっこうバタバタするしうんこする時間すらろくにとれないことに気づいたので、今日から15分はやく起床することにした。結果、うんこするだけではなく、コーヒーを飲む時間をとることもできた(さすがにインスタントだが!)。
 激混みの売店でミネラルウォーターを買って外国語学院へ。六階まで階段をあがると、息がぜえぜえ切れた。情けない。一年前の日記を読み返していると、二、三日に一度のペースでジョギングをしており、ああまた走りたいなと思うのだが、今年もきっとまた暖房の季節になるにつれて大気汚染がえげつないことになるのがわかっているので、いまから再開したところでどうせあと一ヶ月か二ヶ月したら走れなくなるもんなと腰がひけてしまう。しかし教室が6階にあったり自室が寮の5階にあったりするのは、そしてどちらもエレベーターがついていないのは、こちらの健康にとってはむしろプラスかもしれない。毎日いやでも運動せざるをえないわけだ。
 6階にあがったところで廊下の前方に(…)先生の姿を見つけた。あれ? と思った。授業ですかとたずねると、となりの教室で一年生の基礎日本語だという。先週までは見なかったわけだがと思ったところで、あ、そうか、先週までは軍事訓練の関係でまだ授業がはじまっていなかったのだと合点した。ついでに教室をのぞき、おはよう! と声をかける。(…)先生もこちらが授業を担当する二年生の教室をのぞきにやってくる。二年生とは初対面。うわさの(…)先生です、とっても優秀です、と学生らに紹介する。はじめましてと(…)先生は日本語であいさつした。
 8時から二年生の日語会話(三)。まず「食レポ」の実例と説明。先学期はそれほど時間を要しなかった気がするのだが、前半をまるっと費やすことになった。はじめてとなる日本語での発表というかプレゼンというかそういうアレであるし、もっとブーブー文句が出るかなと思ったが、全然そんなことなかったのでちょっと意外だった。授業後半は第27課であるが、ここの基礎練習はほぼ必要なし。「見ます」と「見えます」、「聞きます」と「聞こえます」の違いを例文と英単語(lookとsee、listenとhear)でざっと説明し、いくつかの応用問題をやってから、とっととアクティビティに移行。さんざん盛りあがった。
 授業前には(…)さんから予告通り手作りのスマホ立てをもらった。めっちゃかわいい。休憩時間中に彼女に「食レポ」の題材をなににするか決めたとき、みかん! という返事があったので、みかん? と意外に思ってたずねると、故郷がみかんの名産地なのだという。(…)さんは(…)省出身。となるともしかして(…)県かと思ったところ、ビンゴだった。旬には500gで2元だというので、クッソ安いやんけ! と爆笑した。休憩時間中には(…)さんから鲜花饼をもらった。薔薇の風味の餅。雲南省ではたしか花を使った料理があるよねとたずねると、まさにこれは雲南省のお菓子であるとの返事。たぶん先日『ハイキュー!!』の歌詞を調べてあげたお礼ということだと思う。(…)さんいま『ハイキュー!!』の歌の練習をしているのですか? とたずねると、友達が知りたがっていたという返事。
 授業のあと、(…)さんが教壇に出て、いまから会議をするとクラスメイトらに告げた。(…)先生がやってくる、5分ほどで終わるという。廊下ではすでに英語学科の学生らが待機しており、一部は教室の中に入ってきていた。ほどなくして(…)先生が教室にやってくる。(…)さんが黒板にチョークでなにやら書き記す。せっかくなのでこちらも最前列の空席、(…)さんのとなりに座る(学生らは当然笑う)。黒板の文字から察するに、ネット犯罪に巻き込まれないようにという注意らしかったが、VPNおよび国外のSNSに対する規制が最近ますます強化されているようであるし(一部地域ではその手のアプリがインストールされていないかどうかをチェックするアプリを強制的にインストールさせられると聞いたことがある)、もしかしたらそれ関係のアレでもあったのかもしれない。(…)先生の話は5分も続かない。3分くらいだ。結局こういうものも形式主义にすぎない。チョークで黒板に会議の名前を書いたその前に(…)先生が立って話をしている、その絵面を(…)さんがスマホで写真に撮ってしかるべき部署に提出すれば、それでもうオッケーなのだ。悪ノリしたくなったので、写真撮影の場にこちらも割り込んで厳しい表情を浮かべながら黒板を指差しているポーズをとった。英語学科の学生ふくめてみんなアホみたいに笑った。あの外教は毎日楽しそうだな、と英語学科の学生が中国語で話すのが聞こえた。ほっとけ。
 それで学生たちと一緒に教室をあとにする。例によって(…)さんがこちらの脇を独占する。(…)さんも(…)さんも当然同行するかたちで階段をおりる。先生もいっしょに基礎日本語の授業に行きましょうというので、ぼくが行ったら(…)先生が緊張しちゃうでしょうと応じる。外国語学院の出口で学生らと別れる。ケッタにのって(…)に向かう。食パンを三袋購入。店のおばちゃんが最近あんた見てなかったわというので、ほんとう? と応じる。おばちゃんはなぜかスーツを着ていた。今日の服きれいだね、スーツだ、というと、仕事着だよという返事。もしかしたら高級感を出すために従業員はスーツの着用を義務づけられたのかもしれない。
 帰宅。授業の反省をざっとメモする。(…)さんにお礼の微信を送る。(…)さんからはまた教科書にこちらの似顔絵を落書きしたのが送られてくる。

 ベッドに移動。二時間ほど昼寝する。デスクにてきのうづけの記事の続きを書きたして投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年10月12日づけの記事を読み返す。それから第五食堂にて夕飯を打包。自室をあとにする直前、向かいの部屋、以前セルビア人の(…)が住んでいた部屋にだれかが入っていく気配がした。最初は水道管の工事をしている人夫かなと思ったのだが、玄関口の周辺に濃い香水のにおいがたちこめていたので、たぶん留学生だ、だれかが最近越してきたのだ。やかましくない人間であればいいのだが。
 打包したものをかっ喰らう。(…)くんからスピーチの練習動画が送られてくる。三人そろってホールではじめて練習したらしい。大舞台で練習するのはこれがはじめて。やはり三人とも緊張しているのか、発音がいつもよりまずい。(…)くんは感情表現がかなりよくなっているのだが、ちょっとペースが遅い、特に序盤がゆっくりすぎて後半が駆け足になってしまう、それがもったいないので時間配分を意識するように伝える。(…)さんは事前に予想していたとおりマイクに声が通りやすく(「見映え」ならぬ「聞き映え」がたいそうよろしい)、そのおかげでふつうに暗唱しているだけで感情がこもっているようにきこえるという利点があるのだが、発音がやはり全体的にボロボロなので、残された時間でとにかくひとつずつ問題点を解決するようにと告げる。(…)くんはとにかく感情表現にとぼしい、全体的に平坦にしか聞こえないので、発音はぼちぼちよくなってきていることであるし、あとはひたすら抑揚をつけて読むようにする練習を重ねなさいと告げる。
 シャワーを浴びる。執筆の気分ではなかったので、コーヒー二杯をがぶ飲みし、(…)さんにもらった鲜花饼を食べながら、ソファに寝転がって『小説、世界の奏でる音楽』(保坂和志)を最後まで読み進める。『秘境西域八年の潜行』(西川一三)という本がおもしろそうだなと思った。チベット潜入記でいえば、『チベット旅行記』(河口慧海)をもう十年近く前に青空文庫で読んだ記憶があるが、あれは途中でうっちゃってしまったはず。『チベット旅行記』(河口慧海)を知ったきっかけは『田紳有楽』(藤枝静男)だったはず。たしか元ネタなのだ。『田紳有楽』ももうずいぶん以前、下手すれば15年ほど前に一度読んだきりであるけれどもたいそうおもしろかった記憶があるし、あまりにおもしろかったので似たような小説を「百鬼夜行」という仮題で400枚ほど書いた記憶もあるので(途中でボツにした)、いずれぜひ再読したい。
 書見中、ランダム再生していたスピーカーからSACOYANSの“JK”が流れてきて、やっぱりこの曲は楽曲もいいけど歌詞がまたいいんだよなと思った。特に「あのね/わたしのこころの中/日本語がいっぱい」というフレーズがすばらしすぎる。ふつうの感性であれば、ここは「日本語」ではなく「言葉」やそれに類似する単語を使うだろうに、「日本語」なんだよな。このチョイス、本当にすばらしい。
 (…)くんから微信。「耳に絶えず」という日本語は存在するかという質問。「耳に絶えず聞こえてくる」という表現であれば理解できると応じると、単独で「耳を離れない」のような意味で使うことはないかという。ないと応じる。どうしてかわからないが、あたまのなかにふと浮かんだのだという。辞書にも載っていなかったが、なんとなくあるような気がしてならず、それでこちらに確認したとの由。「聞くに堪えず」と勘違いしているのではないかというと、たぶんそうではないとのこと。
 (…)さん、(…)さん、(…)さんの三人にもらったドラゴンフルーツを半分に切り、スプーンですくって食う。(…)さんといえば、先日の授業で出した課題「わたしは◯◯オタクです」で、「わたしは(…)先生オタクです」という作文を書いてよこしたのだが、いつものようにふざけた内容になっているのだろうと思って目を通したところ、意外なことにまっすぐな感謝状だったので、ちょっとふつうにジーンとしてしまったのだった。

 私は(…)先生オタクです。私が(…)先生を好きな理由は二つあります。
 まず、(…)先生には面白い魂があります。いつも面白いことを言ってくれます。先生は本を読むのが好きです。だから、私は(…)先生はいい人だと思います。そして先生はいつも優しいです。いつも皆のためを思っています。そして、いつもちょうどいい冗談を言うことができます。つまり、冗談はつまらないことでもひどいことでもないです。こういうことができるのはすごいことだと思います。
 また、(…)先生は善良で暖かい心を持っています。いつも私たちの生活を照らしています。たくさんの暖かい時を感じさせてくれました。そして、先生はいつも他人のことをよく考えています。だから、私はよく先生にどう感謝すればいいのかと思います。どうやってお返しできるか分からないです。
 しかし、(…)先生オタクには問題点もあります。それは先生が完璧すぎることです。だから、私は時々彼が遠いと思います。

 最後の段落はちょっとおふざけが入っていると思うのだが、それにしても、これまでの授業でさんざんふざけた作文ばかり書くようにあおってきたこちらの言葉を受けて、実際にそんな作文ばかり書いてよこしてきた彼女が、つまり、中国式の「正解」のある作文を離れ、両親や教師に対する感謝をしらじらしくぎょうぎょうしく書いたり、国家や母国に対する忠誠と愛を雄々しく勇ましく書いたりする、そういううわべだらけのくだらない文章とは一線を画した(そしてその意味で逆説的にリアルでシリアスな)「おふざけ」ばかり実践してきたはずの学生が、急にこんなものを書いてよこす、その文脈にこちらはちょっと動揺してしまったのだが、はたしてそれがどれくらい伝わるかちょっとわからない。(…)さん、哲学に興味があるというし、友達はあまり多くなさそうだし、クラスで一番のオタクであるし、ネガティブであるし、そういうもろもろがときおりのぞく鬱っ気の印象を裏張りしているようにみえ、ときどきちょっと心配になる。都会育ちの(…)さんという印象。
 小説を読みたい気分だったので、『幸いなるハリー』(イーディス・パールマン/古屋美登里・訳)をKindleストアでポチった。はやめに寝床に移動してから眠くなるまでたっぷり読み進めるつもりだったのだが、あれほど昼寝したにもかかわらず寝床に横になった途端に眠気に見舞われて、ほとんど読み進めることなく就寝した。めずらしい。