20231031

 ラカンは、ユダヤ人の以下のようなエピソードによって、コミュニケーションに横たわっている基礎的な信頼の問題を指摘している。

 二人のユダヤ人が出会う。「どちらへ?」と一人が尋ねると、「クラカウまで」と答えが返ってくる。「おい、お前さんはなんて嘘つきなんだ、」と先の男が腹を立てて言う。「お前さん、クラカウまでというとき、本当はレンベルグへ行くと私が思うように願っていたんだろう。ところがどうだ、お前さんは実際にクラカウへ行くじゃないか。何でお前さんは嘘つくんだい。」

 「クラカウ」という発話の意味を、普通私たちは「嘘をつくために」発話されたものとは思わない(特別のイントネーションや表情が伴わなければ)。しかしこれが真実だという保証はない。私たちは、結局の所、相手は嘘をついていないという、無根拠の自明な信頼をもっているという以外に、この点の根拠付けは不能である。
 これに対し、精神病者は、私たちにとっての自明な象徴的秩序に「騙されない者」のことであり、すなわち、いわば、「醒めた明晰者」であり、ラカンが「大他者」という象徴的秩序への不信をもつ者、それが自分を騙そうとしているという固着観念をもつ者である。ジジェク(1991)は、パラノイア症はこの点でむしろ彼らは「正しい」のだという。この通常の人々が無根拠な信頼を寄せる象徴的秩序とは、言い換えれば究極的には根本的に欺瞞に基づいた秩序だからである。彼の誤りは、この疑問を操作している隠れた存在があるという信念にあるという。騙そうとしているという妄想は、根拠付けの不在に対する意味づけである。
樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床社会学』より「精神保健における臨床社会学をめざして」 p.166-167)



 7時45分起床。トースト二枚とコーヒーの食事。最高気温は27度なのでオーバーサイズの黒Tシャツに同色のカーディガンをプロデューサー巻き、下は白黒ストライプのイージーパンツで出る。売店でミネラルウォーターを買い、ケッタに乗って外国語学院へ。(…)院长の事務室をおとずれて、documentにサインと押印をもらう。英語学科がEnglish speech contestでfirst prizeをとったことに言及する。たしかこれで三年か四年連続だったはず。うちの学生たちは压力を感じているようだというと、練習したとおりのパフォーマンスをすることができればそれでいいというので、いや絶対そんなこと思ってないでしょ、見栄えのするデカい結果が欲しいでしょと思いつつ、I hope they will make their bestでお茶を濁す
 第三教学棟に移動。朝イチの授業が終わるまえに教室前に到着してしまったので、中庭をみおろす廊下に突っ立ちながらKindleでBliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読み進める。数学科の授業がひけたところで、いれかわりに教室へ。数学科の女性教諭がこちらの姿を見てぎょっとした表情を浮かべる。なんじゃこいつの格好はという反応。だれよりもはやく教室にやってきた(…)さんと(…)さんと(…)さんからあいさつ。trick or treat! というので、あ、そういえば今日はハロウィーンだったなとなる。自撮り大好き、メイク大好き、おしゃれ大好きの(…)さんにコスプレするつもりかとたずねると、午後はオフなので顔に生傷のメイクをするつもりだという返事。クリスマスにしてもハロウィーンにしても毎回大学から外国の文化にかぶれるなという公式のお達しがあるわけだが、ま、みんなほどほどに無視するわな。
 10時から二年生の日語基礎写作(一)。「(…)」の清書を返却したのち、あらかじめ用意しておいた紙片を配布。それから「わたしの嫌いなもの」というテーマでかつて先輩学生らがとりあげた対象をクイズ形式をまじえて紹介。その後、先の紙片に自分の嫌いなものを書かせて提出させたのち、今日のテーマが「嫌いなもののファンになる」であるとネタバラシ。嫌いなものの美点、利点、メリットなどについて、こちらがあらかじめ例文というかたちで用意しておいたフォーマットに沿って書くようにと指示。ここまでで前半。後半は教卓でBliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読む。
 授業が終わる。(…)さんからひさびさとなるランチの誘い。便所で小便だけしてから出発。とんでもないひとごみの中、第四食堂に向かう。(…)さんも同行。(…)さんは寮でカップ麺を食うといってパーティーから抜けた。前々からこの三人組のなかで(…)さんのみ口数が少なかったし、いずれは離脱するだろうなと思っていた。三年生の(…)さんがバイトしている麺の店に(…)さんと並ぶ((…)さんは唐辛子山盛りの別の店に行った)。席がないから打包するという話だったが、われわれの分ができあがるころには空席もいくつかあったので、ここで食べていきましょうという。どうしてですかと(…)さんがいうので、せっかくだしおしゃべりしたほうが楽しいいでしょうと受けると、まさかこちらがそんな言葉を口にするとは思ってもみなかったというくらいのいきおいでテンション爆上がりになったので、え? 逆におれどんな印象やったん? と思った。おしゃべりは長々と続いた。授業が終わったのが11時40分で、食堂を出たのが13時45分ごろだったわけだから、2時間ほどだべっていた計算になる、ということは授業時間よりもむしろ長くいっしょに過ごしているじゃないか! (…)さんは、これは授業中も語っていたことだが、昨夜ずっと蚊に悩まされていて寝不足だという。たしかに最近蚊が多い。夏の蚊と秋の蚊は種類が別だと(…)さんがいうので、後者はたしかヤブ蚊だったよなと思った。(…)さんはマンゴーアレルギーらしい。先生はアレルギーがありますかというので、いちじくと花粉だと話す。花粉症は日本の国民病みたいなものだと説明すると、中国では「粉塵アレルギー」がそれに相当するという。たぶんPM2.5のことだろう。(…)さんも寝不足。廊下に出て夜の10時から3時まで(…)さんとずっと話し込むという夜更かしをもうかれこれ四日か五日連続で続けているという(そのせいで今日の基礎日本語の授業はサボってしまったとのこと)。(…)さん、こちらの観察するかぎりマジで鬱っ気のあるタイプだと思うので、夜更かしひとつとっても心配。夜更かしは青春の特権だよとか適当なことをほざいてしまったが、寝不足はできれば避けてほしい。(…)さんからは鬱っ気を感じることはないが、なんとなく父なるものの不在の環境で育った子なんだろうなという気はする。純度100%の直感だが。(…)さんのマニキュアがきれいだったので、いいねそれと指摘すると、じぶんでやったのだという。ぼくも昔ちょっとだけやったことがあるよというと、何色ですか? ピンクですか? というので、黒だよと応じると、またやりますか? というものだから、きみがやってくれるのであればそれもいいねと受ける。(…)さん、けっこう乗り気になっていた。マジでひさしぶりにやろうかな。(…)さんは来年インターンシップで日本に渡る。帰国したばかりの(…)さんと(…)さんの話をする。海外生活は楽しめる子と楽しめない子がいるという。好奇心が強い子はだいじょうぶ、その国のおもしろいところやいいところに目が向く子であれば問題ないと続ける。あんまりピンときていないようすだったので、爱国爱国言ってるひとは絶対楽しめないということだよとちょっと踏み込んでみると、(…)さんがそうそうそう! と膝を打つリアクション。外教もおなじだよ、中国の文句ばかり言っているひとはすぐに仕事をやめるからね、とバランスをとるため補足。
 ちょうど話題に出ていた(…)さんの姿を遠くのテーブルに認める。相棒の(…)さんといっしょにいる。せっかくなので呼び寄せて、この子はインターンシップで来年日本にいく学生ですと(…)さんのことを紹介する。長野はすごくいい、東京に近いから遊びにいきやすい、と(…)さんが助言。インターンシップといえば、やはり同様に来年参加する予定の(…)くんとその彼女がわれわれのテーブル脇を通過していく一幕もあった。
 さらにこちらの後ろの席にいつのまにか腰かけていた四年生の(…)くんからも声をかけられた。もちろん100%の中国語。万达にある車の店でいま働いている四年生だよと女子ふたりに紹介する。今月の給料が10000元だというので、どうしてとたずねると、じぶんが車を一台売ったので手当がついたのだというようなことをいう。じゃあ海底捞で火锅をおごってくれよというと、オッケーという返事。金持ちになったらきみの店で車を買うよ、そうしたらぼくも中国で結婚できるからねというと、(…)くんは笑った。先生中国語できるのにどうしてわたしたちとはいつも日本語! と(…)さんがいうので、ぼくが授業で中国語を話しはじめたらだれも日本語を話さなくなるでしょうという。
 食堂をあとにする。近くの売店で果物を見る。(…)さんがスイカ、(…)さんがメロンを買う。(…)さんの高校時代の同級生だというショートカットの女性と出くわす。たぶんレズビアンだと思う。午後の授業時間がせまっていたので、果物屋の前で一同とは別れ、ひとりケッタにのって寮にもどる。
 二年生の(…)さんから全文中国語の微信が届いている。友人と交わしたやりとりのスクショ付き。こちらが先の授業で出した課題について、じぶんの嫌いなものの美点や利点を書けというこの課題は実はかなり意味深長なものだ、これはじぶんとは異なる立場の相手の見方を学ぶという練習だ、その外教はかなり深い考えをもってその課題を出したはずだ、欧米や日本の大学教育はやはりそういう意味で優れている、中国のようにただ教科書の内容を丸暗記するだけではない、じぶんのあたまで考えるということを重視するのだ——みたいなことをその友人が(…)さんに語っているのだが、いやワシ、学生がパクチーやゴキブリやねずみや路上で痰を吐く老人のことを無理やり擁護する文章を読んでゲラゲラ笑いたいだけなんやが……という感じ。で、そのやりとりを踏まえたうえで、(…)さんはどうしてこちらが(…)にいるのかと疑問に思ったのだという。曰く、先生はうちの大学には役不足である、うちの学生はわたしも含めてみんなバカである、しかし先生はいつも責任感をもって授業をしている、授業の内容にも工夫が凝らされている、知識も豊富だ、ほかの大学からのスカウトがあるという話も聞いたことがある、一流大学に移れば給料もよくなるし学生のレベルも高くなる、しかし先生は(…)にずっといる、それはどうしてなのか、と。次の授業がひかえていたので、友人の紹介でここに来たということにまず縁を感じているということ、出世や給料にはそれほど興味がないこと、それよりもじぶんは直感やインスピレーションで動くこと、だからもし「おもしろそうだ!」というインスピレーションが働くことがあればほかの大学に移ることもあるだろうがいまのところは自分から率先してどこかに行きたいとは思っていないことなどを告げる。それでもそこそこの長文になったからだろうか(どんな文章でもすぐに長文になるのがこちらの悪癖だ)、(…)さんはまさかこんなに真剣に答えてもらえるとは思ってもなかったといった。同時に、先の友人からはこの先生はきっと物事を功利で判断するひとではない、誠実に質問すれば誠実な答えが返ってくるに違いないと言われた、実際その通りだったことにわたしは感動していると続いたので、いやその名前も顔も知らん友人よりきみのほうがおれと付き合い長いやんと思った。まあ感動してくれとるんやったらええわ。しかし投げたつもりのない瓶詰めの手紙がおもわぬところに届いたな。(…)さんは実際日本語にほぼ興味がないタイプの子ではあるのだが、それでもこちらのやっていること自体は評価してくれているわけだ。ありがたい。
 リュックの中身だけ入れ替えてふたたび外国語学院へ。一年生2組の日語会話(一)。第2課。1組でやったのとほとんどまったく同じ授業内容であるのに、やはりこちらは死ぬほど盛りあがる。授業の最初では毎回その単元に登場する単語を復唱させるのだが、その声量からしてもう全然違う。きのう(…)さんと微信でやりとりしていたときにも、(…)さんと(…)さんとメシを食っているときにも、態度の悪い学生がいるのであれば叱ったほうがいいと言われたのだが、こちらはどうしてもここは「大学」なのだという意識がある。つまり、大学とは徹底して自由な場所であり、勉強しようが勉強しまいがそんなことには教員が口出しせず、好き勝手やらせておくべきであるというあたまがあるわけだが、しかし中国の大学とは仕組みの面でいえばむしろ日本の中学や高校のようなものだ。そう考えると叱るべき場面で叱るべきなんだろうが、うーん、でもなァ……という感じ。まあ1組の学生のなかにはそう遠くないうちにやらかす連中も出てくる、つまり、授業中に寝ていたりスマホを見ていたりするだけではなくやかましく私語を交わしはじめる連中も出てくるだろうし、ま、しめるとすればそのタイミングかな。しかしうちの学生は、普段こちらがめったなことでは叱らないのが原因なんだろうが、実際にそういう場面になるとマジでびっくりするくらいビビりまくるので、あれはあれでうっとうしい。叱るというモードになるとどうしても育ちの悪さがおもてににじみでてしまう、そういうこちらの問題もあるのだろうが。
 授業の途中、約束通り、三年生の(…)さんが廊下に姿をみせた。一年生にかっこいい男の子がいないかどうかチェックしにきたのだ。授業が終わったところでそろって船型棟へ。(…)さん、左足はまだ治っていないという。この一ヶ月、授業には一度も出席せず、寮でN1の勉強をしていたというので、は? マジで? そんな重症なの? となった。靭帯が断裂したらしい。いまはゆっくりであれば歩けるが、医者からは本当は歩くのであれば松葉杖をつくようにと言われているとのこと。大学の事務室からは故郷に帰るようにと言われたが、休学扱いになってしまうのがいやなので残っている。明日病院でまた診察がある、その結果次第では本当に帰省することになるかもしれないというのだが、本人はけっこうポジティブで、もうすぐ治るでしょうという(しかし医者によれば、完治には半年かかるらしい)。しかし(…)さん、しばらく会っていないうちにちょっと口語能力が落ちたかなという印象。
 船型棟にはだれの姿もない。グループチャットでたずねると、いつもの教室で練習しているという。それで外国語学院までひきかえす。(…)さんの足が心配なのでゆっくり歩くわけだが、広州でその足を怪我するきっかけになったのが階段での歩きスマホであるにもかかわらず、外国語学院の四階にある教室まで移動する最中ずっとスマホをいじっているので、ちょっとスマホをさわるのやめときな、怖いわ、と注意する。
 教室に入る。(…)先生はたばこ休憩。学生らは即興スピーチの練習中。(…)先生はマルボロを吸っているという。中国では手に入らないと(…)さんが言っていた記憶があるのでその点たずねると、裏で売ってくれる店があるとのこと。こちらの到着後ほどなく(…)先生はバレーボールの試合だか練習だかがあるからといって去った。それで彼がもともと学生に用意させていた即興スピーチだけチェック。すぐに練習終了時刻の17時になったが、そのまま30分ほど雑談。まず出発が金曜日の午前ではなく土曜日の午前に変更になったという話があった。コンテストの開催日が土曜日であるというのは(…)先生の勘違いで、実際は日曜日であるという。それなので土曜日の朝に出発、昼頃に開催校に到着、翌日コンテストに参加、その夜遅くに大学にもどってくるというスケジュールらしい。けっこうきつい。さらに引率教員はこちらと(…)先生だけではない、(…)院长と副院長(?)まで同行するとのことで、これについて(…)さんは「社交」がおそろしいといった。ちなみに引率教員の数が増えた結果、教員にはひとり一室、ホテルの個室が与えられることになった模様。(…)さんはちょっと困惑しているといった。今日の練習中、(…)先生も(…)任先生もスピーチコンテストの結果はとても重要だとしきりに口にしていた、それにくわえて英語学科から習近平の言葉を引いたほうがいいというアドバイスを受けた結果いまさら名言集を用意してそれを暗記するようにと学生らに指示を出したというのだが、そのくせ暗記する学生らの前でふたりそろってずっとぺちゃくちゃおしゃべりしていたのだという。スピーチ練習に参加する前はずっとその練習内容に期待していた、しかし実際に参加してみたら幻滅した、役に立つのは(…)先生の練習だけだ、あとははっきり言って全然意味がない、(…)先生も(…)先生も(…)先生も作文を書かせるだけで添削ひとつしない、なんの意味もないと、毎年スピーチに参加する学生らが漏らす愚痴をここでもまた聞くことになった。まあそやわな。(…)先生は北京で博士号をとったあと、もっと条件の良いほかの大学に移るかもしれないと(…)くんはいった。うちの大学ですらろくに授業できていないのにもっといい大学なんて無理でしょうというと、でも中国でいちばん重視されるのは学歴だからというので、あ! いいアイディアを思いついた! じゃあさ、(…)先生には(…)大学に行ってもらえばいいじゃん! それで抜けた分の穴を(…)の(…)先生に埋めてもらうんだよ! そうすれば(…)大学のレベルが落ちるかわりにうちのレベルが上がるでしょう? そうしたら次のスピーチコンテストは優勝できるかもしれない! というと、みんなゲラゲラ笑った。
 教室を出る。(…)くんは彼女と夕飯。(…)くんは寮にもどる。(…)さんはセブンイレブンにいく。(…)さんは焼肉を食べたいという。あたらしい店が最近オープンしたらしい。いっしょに食べましょうの意味だったのだろうが、こちらは率直にいって(…)省の焼肉屋で満足した記憶がマジで皆無なので、遠回しな誘いに気づかないふりをしてぼくもセブンイレブンに行こうかなと応じた。それで結局彼女も来ることになった。セブンイレブンの入り口では例のロリータ女子(われわれが店長の彼女と推測している人物)が魔女のコスプレをしており、万圣节快乐! と近平の旦那が耳にしたら卒中を起こしそうな言葉で出迎えてくれた。弁当と夜食のおにぎりをふたつ購入。
 店を出る。(…)さんは老校区経由で女子寮にもどるという。こちらは自転車だったので南門のほうに向かう。おなじく女子寮にもどる(…)さんはこちらについてくるという。ちょっと申し訳ない気持ちになった、やっぱりどこかでいっしょに食事をするべきだった、きっといろいろ話したいことがほかにあったのだ。足取りを遅くする。それでゆっくり時間を稼ぎながら女子寮まで歩く。(…)さんは授業にはまったく出席できていない。しかし(…)先生のオンライン授業だけは受けている(受けなければならない)。例によって中身のなにもないクソみたいな授業らしいのだが、今年から編入してきた女子学生ふたりのうちひとりがそのオンライン授業で質問をした、それを受けた(…)先生は学生から質問を受けるという滅多にないことに上機嫌になり、あなたは本当に優秀! 来学期の四級試験にも絶対に合格する! スピーチの代表にも選ばれるかもしれない! とバカのように絶賛したらしい。彼女は去年わたしたちのクラスの担任でした、でもいまだにわたしたちの名前をしっかり覚えていません、わたしたちのクラスメイトはみんな(…)先生はわたしたちに関心を持っていないと思いますと(…)さんはいった。
 女子寮前で別れる。帰宅。弁当をレンジで温めて食す。シャワーを浴び、コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回する。2022年10月31日づけの記事を読み返す。以下のくだり、クソわかる。

 僕の敬愛する作家、レイモンド・カーヴァーもそういう「とんかち仕事」が好きな作家の一人でした。彼は他の作家の言葉を引用するかたちで、こう書いています。「ひとつの短編小説を書いて、それをじっくりと読み直し、コンマをいくつか取り去り、それからもう一度読み直して、前と同じ場所にまたコンマを置くとき、その短編小説が完成したことを私は知るのだ」と。その気持ちは僕にもとてもよくわかります。同じようなことを、僕自身何度も経験しているからです。このあたりが限界だ。これ以上書き直すと、かえってまずいことになるかもしれない、という微妙なポイントがあります。彼はコンマの出し入れを例にとって、そのポイントを的確に示唆しているわけです。
村上春樹『職業としての小説家』 p.168)

 2013年10月31日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。

山の上で僕は一晩を過ごしたことがある。百歳の樅の木の下でひとり草の上に横たわり、夢を見た。太陽が灼熱の炎を僕と草地に投げかけていた。平地からピイッと鳴る音と鉄道の騒音が昇って来た。僕は全世界から遥か遠く離れているような気がした。僕は何も眺めていなかった、そうやって自分を眺めさせていた。少なくとも一匹のリスは、長いことそうしていた。リスは呆気にとられ不安げに僕を見下ろしていた。僕はリスの好きにさせていた。トガリネズミが岩石のあいだで飛び跳ね、太陽は沈み、牧草地は黒々として透ける影の中でつやつやと光っていた。ああ、なんという憧れ。何に憧れているのか、わかればいいのだけれど。
(ローベルト・ヴァルザー/若林恵・訳「フリッツ・コハーの作文集」)

 以下も10年前の記事より。10年前の時点ですでにこちらはルー大柴のブログに言及している! しかしこの時点ではまさか上海の隔離ホテルでひとりルー大柴のブログを読んで爆笑する未来があるとは夢にも思っていなかった!

どういうきっかけであったかWikipediaルー大柴の項目を目にすることになって、というか基本的にWikipediaでぜんぜん縁のない人物の経歴やトリビアをながめるのがとても好きなのでこういうことはしばしばあるのだけれど、とにかくクソおもしろく、《関根勤のことを「トム」、その娘の麻里のことを「メァ〜リ〜」と呼び、前述の伊集院光のラジオ番組内では、恩師・勝新太郎のことを「“ビクトリーNEW太郎”」と呼んでいた》とか《近年は舞台活動をメインにしていて「ルーさん最近テレビに出てないね」と“風のボイス”を耳にしたルーと、ルーのマネージャーとの話の中から「50歳になって、今までの自分にないことをしよう」というきっかけで、自らのブログを開設する事にした》とかの記述で腹をかかえて笑った。とくに「ビクトリーNEW太郎」がツボに入って五分間くらいずっとひとりで笑っていた。というかこれを引き写しているいまも笑っている。

 そのまま今日づけの記事もここまで書くと時刻は22時半だった。書いているあいだは浜田真理子の“America”をずっと流していた。スピーチコンテストで高い点数をとるコツとして習近平の言葉を引くというものが話題に出たが、実際のところはどうなのかしれない、しかし仮にこれが本当に功を奏するのであるとすれば、あるとしても、それは別にお上がそういう基準を設けたわけではない、むしろ地べたのお上に対する忖度の結果生じた現象であるにちがいないわけで、スコアのためにクソが漏らしたクソ以下の言葉を一生懸命暗記している(…)くんの姿を見たり、あるいは閲読の授業でひたすら共産党を賛美する日本語の文章を読まされたりしている二年生らのことを考えたりしているうちに、ほんとうにやるせなくなってきて、あ、そっか、浜田真理子が“America”を作曲して歌ったときの心境ってこんなふうだったのかもしれないなと思ったのだった。
 と、書いたところでちょっと疑問に思った、こちらの記憶のなかでは“America”は911とかなんかそういうできごとを受けてアメリカがどんどんわけのわからない方向に突っ走っていく、そういう傾向を嘆き悲しむ楽曲だというふうになっているのだが、あれ? 本当にそうだっけ? なんかちがうんじゃないか? という違和感をおぼえたのでググって情報を探してみたところ、キャッシュだけ残っているインタビュー記事に当時付き合っていたアメリカ人のことを歌った曲という主旨の発言が残されていて、あ、じゃあこれは偽記憶(古井由吉)だわとなった。それで思い出したのだが、トランプが大統領になって合衆国の理念が根こそぎ破壊されつつあった時期、続々と辞職する政府高官らのなかにひとり、こんなのは自由と平等を愛する合衆国の姿ではないと泣きながら会見する男性がいて、その姿をこちらは(…)の客室にあるテレビで見たのだった、そしてその後湯船につかりながら“America”を何度も何度も歌ったのだった、その記憶がごっちゃになっているのだ。
 で、いま、「浜田真理子」で過去ログを検索してみたところ、2017年1月31日の記事がヒットした。

(…)レンジでチンしたそれらを食しながらまたみんなで雑談しているときに、ここに来る途中京大で大量の警察をみたと(…)さんがいうので、熊野寮の前ですかとたずねると、そうですとあった。年に一度の風物詩ではないけれどもまたガサ入れがはいったのだなとおもった。そこから学生運動共産主義について色々と(…)さんにたずねられるがままに答えた。話題はそのままトランプに転じた。テレビっ子の(…)さんはテレビの受け売りをそのまま踏まえるかたちで、あいつはワシみたいなアホでもわかる、ボケナスじゃと吠えた。でもあれは交渉術としてなかなかのもんですよ、最初にワーッといっといてあとから敷居をさげるみたいなと(…)さんがいってみせるので、いやむしろそうなるやろってだれもが考えとったところそういう駆け引きなしのマジもんやったんに世界中びっくりしとるっていうんが現状ちゃいます、入国禁止措置の問題やって批判した司法のトップをさっそく更迭やからね、そもそも入国禁止措置にしたところであんなもんマジでやるかってたまげた人間ばっかでしょと受けた。(…)さんはあいかわらずの知ったかぶりで、中東がまたえらいことになるぞといったり(すでにパレスチナ問題にかぎってもどえらいことになっているではないか!)、(トランプについて)あんなもんかまうからあかんのや、かまわんと放っといたらええねんといったりした。食事を終えて腹いっぱいだった。しばらく休憩したところで掃除部屋の202号室にあがった。浴槽に湯がたまるのを待つあいだテレビをつけてニュースをみると、ちょうどトランプ関連の報道がやっており、野党である民主党議員の男性がなみだに声をつまらせながら、こんなやりかたは卑劣でアメリカらしくないと非難する会見の映像が流れていてそれを見ているだけでけっこうグッときたし、その会見についてたったひとこと“fake tears”といってみせたトランプの、やすい漫画のクソみたいな悪役を地でいくこんなクズがよりによってこの世界でもっとも軍事的・経済的に影響力を有する大国のトップに君臨しているのだという事実に現実と虚構のさかいがみるみるうちにやぶけていくような気がした。こいつは暗殺されなければならない、さもないと核ミサイルの発射ボタンにすら手をかけかねないぞとおもった((…)さんはフリーメーソンの手によってトランプはきっと暗殺されるだろうといっていた)。けれどもトランプは大統領に就任したとたんにきっと弱気になる、さまざまな権力関係に巻かれてやりたい放題できなくなるにちがいないという事前の見込みがうらぎられてじっさいやりたい放題しはじめている、この図式はたとえばヒラリー絶対優勢といわれていたはずの選挙戦でトランプが当選したあの最初の流れを踏襲しているといえなくもないもので、で、その流れでいくとトランプはきっと暗殺されるにちがいないというほとんど希望・願望のようなその推測ははずれて彼は結局八年の任期をまっとうすることになるのかもしれない、そういう悲惨な未来だってみえなくもない。怒りと悲しさのまじりあう、ざわざわしてしかたない最悪の気分をかかえこみながら浴室にはいった。湯船につかったところで不意に浜田真理子の“AMERICA”のメロディがくちびるから漏れて、ああそうか、そういう歌だったんだなこれは、こういう気持ちのときに自然と口ずさんでしまうそういう歌だったんだと、もう何年もきいていないはずの楽曲のその意味がすとんと腑に落ちた気がした。それから、(…)はそんなアメリカの空気を吸っていまも彼の地で生活しているのだなとおもった。それはある意味で、貴重な経験なのかもしれない。

 この日のこのできごと、よほど印象に残っていたのか、その後過去日記の読み返しのたびにいちいち言及している。

食事のすんだところで居間に移動した。ウェブ各所を巡回し、2017年1月31日づけの記事から同年2月5日づけの記事までを読みかえしたが、トランプによる出国禁止令(「イスラム圏や北朝鮮など8カ国の国民の入国を禁じる大統領令」)を民主党議員が涙ながらにこんなのはアメリカらしくないと非難しているのを客室のテレビでながめている場面がそのなかに書き留められていて、ああそうだった、このときテレビをながめていておもわずもらい泣きしそうになったのだった、そのあと風呂につかりながらゆっくりと浜田真理子の“America”を歌ったのだったとおもいだした。建国イデオロギーを失ったアメリカの悲しみ。
(2018年2月5日づけの記事)

書いているあいだはずっと浜田真理子の「アメリカ」を聴いていた。一年前の日記の中に、(そのまた)一年前の日記を読みかえしてなつかしさにふけっている記述があったのだが、そこでこの楽曲が言及されていたのだ。トランプ大統領の発布した渡航制限政策に涙ながらに反対した議員のスピーチをラブホの客室にあるテレビで見ておもわず涙ぐみ、それからバスタブに浸かってこの曲をずっとくりかえし歌いつづけた記憶。
(2019年2月11日づけの記事)

 アメリカの建国イデオロギーというと、こちらはどうしてもウォルト・ホイットマンの『草の葉』を思い出す。あそこにはアメリカをアメリカたらしめるものすべてが描写されていた(という雑でロマン主義的な大言を書きつけてしまいたくなるほどにはすばらしい詩集だった)。

 記事をここまで書くと時刻は23時。モーメンツをのぞくと、一部の学生らがハロウィーン仕様のメイクをしたりコスプレをしたりしている写真をアップしていた。上海では大白やプーさんの仮装をしているひともいるようす。命知らずや。
 書き忘れていたこと二件。明日の午前中(…)のオフィスをおとずれる予定だったが、明後日の10時に延期になった。それと(…)の(…)先生から夕食のお誘いがあった。旦那さんの友人の(…)さんなる人物が日本文化や日本文学に興味があるらしく、こちらに会いたがっているのだ、と。来週都合がよければどうかというので、今週末にスピーチコンテストがひかえておりバタバタしていること、来週いっぱいは授業準備と延期している学生との約束を果たすのに手一杯なこと、それ以降であれば時間を設けることもできるかもしれないことを伝える。結果、とりあえず再来週のどこかでということになった。正直めんどい。どうせ川端とか三島とかその辺の話やろ。