20231123

 ここで主体の一定の自立に基づいた、主体と社会の関係という、この論文のとる枠組みについて確認しておこう。主体の一定の自律とは、主体の心的構造が現実から一定の自律性をもってずれて存在しているということであり、精神分析では、それを、主体を基本的に支える「幻想」と呼ぶ。しかしそれはマルクス主義が考えてきたような下部構造に遅れて成立している上部構造という、社会構造を直接反映したものではない。またかといって、この主体の自律と関わるイデオロギー構造は、一定の自律性と固定性をもっている言説の布置の内部での影響下にあるとはいえ、それは、フーコー的研究が考えるような、言説内部で閉じてまったく偶然にだけ変容・決定されるものではなく、身体の物理的構造や経済的構造と現実的な関係をもっている。この自律は、物理的構造に関与する身体の欲求(無意識)と、自律的な心的意識の、位相の違いとその困難な結合において存在する。それゆえ、主体の身体に関わる経済構造は、マルクス主義の言うように決定的な影響力をもつが、とはいえ一方で、主体の構造は経済の構造変動に簡単に適応するわけではなく、そのために閉じたイデオロギー装置が必要となる。しかも、それは、マルクス主義が考えるような下部構造の反映ではなく、両者の位相の差異を埋めるような構造である。
樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床社会学』より「新宗教の女性教祖と日本近代国家」 p.345-346)


  • 6時半起床。外国語学院に向かう道中、歩いている(…)先生の姿を見かけたので、追い抜きざまにおはようございますとあいさつ。8時から二年生の日語会話(三)。「(…)」第1回。PPTのデータを学生らはこちらのようにUSBメモリに保存して持ってきていなかった、QQ上にアップロードしておいたのを教卓のパソコン経由でダウンロードするという方法をとったのだが、教卓のパソコンは性能が死ぬほど悪い。それで最初の三十分ほどはデータのダウンロード待ちを食うはめになった。
  • 予定では15人ほどできればいいかなというアレだったのだが、実際は9人にとどまった。機材トラブルがあったとはいえ、予想よりも少ない。翌週で14人、翌々週で14人やることができれば、合計37人ぎりぎり終えることはできる。期末テストは三週使う予定なので、一週足りない計算になってしまうが、運動会で休んだ分の補講がいちおう必要ということになっているので、それをあてればいいか。
  • 今日発表したのは(…)さん、(…)さん、(…)くん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)くん、(…)さん。文句なしの最高評価は(…)さんと(…)さんと(…)さんの三人。しかしこれ、けっこう成績をつけるのがむずかしい。発表は意外なほど盛りあがった。しかし次にひかえている基礎日本語の授業でディクテーションのテストがあるらしく、大半の学生は内職しながら片手間にクラスメイトの発表をきくというスタイル。もうこれについてはなにを言っても無駄。「カンニング」と「クラスメイトの発表(他人の話)をきかない」の二点についてはどうしようもない。この社会のひとびとのめちゃくちゃ深いところにまで根付いてしまっている問題なのだ。学生だけの話ではない。たとえば以前学生から聞いた話だが、四級試験の実施中に監督官である(…)先生や(…)先生までが(合格者を増やしたいという一心からだろう)間違っている問題があるとさりげなくテスト用紙に指を指して教えてくれると言っていたし、学生のみならず教員までもがお偉いさんのお話の最中、最前列にもかかわらずスマホをいじっているところをこちらは何度も見ている。だからこの点ではもはや口うるさく言う気になれなくなってしまった。しかしじぶんが普段なかよくしているルームメイトの発表中ですらスマホを触ったり内職したりするというあの神経がこちらにはマジで理解できない。グロテスクだ。
  • 授業後、五階の廊下でまた三年生の(…)さんとひととき立ち話。N1まであと9日だという。過去問をやってみた感じ、合格するかしないかぎりぎりのラインだというので、おもっていたよりもできないんだなと内心思った。苦手なのは読解問題。二年生の(…)くんが満点をとったやつだ。クラスメイトではほかに(…)さんと(…)くんも受験する。それから(…)先生について、ちょっと厳しいですというので、これは意外だなと思った。めちゃくちゃ優秀でレベルが高くわかりやすいという評判はよく聞くが、厳しいという話を聞いたのはこれがはじめてだ。授業中にスマホをいじっていて叱られたのだろうか。
  • それから「暗唱コンテスト」の話もあった。明日が本戦だという。クラス内で代表を選ぶ予選はすでに終えたというのだが、実際に予選は開催しなかった、学生らのあいだで内々にくじ引きをしてふたりの代表者を選んだという。代表者は(…)さんともうひとり(だれか忘れた)。明日の夜に二年生と合同で本戦が開催されるというのだが、もしかしたら審査員として呼ばれることになるかもしれない、しかし明日の夜はこちらはぎっくり腰でぶっ倒れている設定なのだ!
  • (…)で食パンを三袋購入。いったん帰宅して、きのうづけの記事の続きを書く。11時になったところで(…)にて牛肉担担面を食す。そのまま(…)で買い物。カレー用の食材を大量に買い込む。これで明日と明後日の食事をまかなう予定。そうすれば外に一歩も出ずに過ごすことができる、すなわち、ぎっくり腰のアリバイが成立する! レジで精算をすませたところ、おばちゃんからレシートを持っていったらくじ引きできるぞみたいなことを言われた。で、店に入ってすぐのところにあるくじ引きコーナーにいってレシートをみせると、二枚引いていいといわれたので、箱の中に手をつっこんで四角い紙切れを二枚引いた。スクラッチ。どちらも「纪念品」と記されていた。参加賞みたいな意味合いだろう。ポケットティッシュをふたつゲット。
  • 帰宅。二時間寝る。寝るとやっぱり首の寝違えがひどくなる。枕を使わないようにしたのが効果はない。きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、一年前の記事を読み返す。以下の記述、やばかった。寝起きでぼうっとしていたこともあり、口にふくんでいたコーヒーをマジで新品のMacBook Airにぶっかけるところだった。間一髪。

帰路、どうというきっかけもなしに、中国では日本のテレビ番組『仮装大賞』が人気だという話を以前スピーチメンバーから聞いたことを思い出した。萩本欽一ってでももう死んでいるよな、いまでも番組はやっているのだろうかと気になり、帰宅後すぐググってみたところ、萩本欽一は存命とのこと。それはおかしい。芸能ニュースに触れる機会もあまりない生活を送っている現状、こちらが知らないあいだにいつのまにか生き返ったのかもしれない。

  • 15時半から「(…)」清書の添削。途中、一年生2班の(…)さん——(…)先生がクラスでトップの実力者と評していた子だ——から微信。来週の木曜日に「団体活動」があるので招待したい、と。コロナ前は例年この時期に一年生からこうした誘いがあったなと思いつつ詳細をたずねてみると、クラスの全員+(…)先生で外にあるバーベキュー会場を借り切ってメシを食ったりカラオケをしたりするとのこと。了承。これはたぶん(…)先生の提案だろう。
  • 卒業生の(…)くんからいまさら友達申請が届く。いまは河北省の高校で日本語教師をしている。学生たちと少しおしゃべりの相手をしてあげてほしいという。特別授業をしてほしいということかと察する。めんどうなので、大学外で授業をするのは禁止されている、発覚すれば最悪ビザの更新にかかわってくると断ると、自習時間に20分ほど相手するだけでいいという。それくらいだったらかまわないかと思ったが、そもそも高校で日本語を学ぶ学生のレベルがどの程度なのかわからないので、適当に話してくれと言われてもその適当がわからない。その点告げると、こちらにすべて任せるとまるごと投げっぱなしてみせるので、やっぱりめんどうくさくなった。そもそも(…)くんは授業中こちらの話をまともに聞いていたことが一度もないような学生であるし(彼は高校時代から独学で日本語を勉強しており一年生の時点ですでにN1に合格していたし、またボンボンらしく夏休みや冬休みにはしょっちゅう日本にいる友人のところに遊びに出かけていた、そういう事情もあって一年生のころから授業はろくに聞かず余裕ぶっていたところ、そのまま勉強しないことが習慣になるという既習組に典型的なコースをたどることになり、結果、N1よりも簡単な四級試験にすら合格できずに卒業という結末をたどったのだった)、こんなときだけ媚びを売ってくるなよという苛立ちもなくはなかったので(「でも、こうしておしゃべりしていると、なんだか懐かしい感じがする」「あなたは私の心の中で最強の教師だ!」)、リスクがあるしやっぱりやめましょうという方向に誘導した。
  • 17時前に作業を中断して外出。后街の中通快递でコーヒー豆を回収。ひさしぶりに夕刻の后街をおとずれたが、二車線の道路の両サイドが屋台と路駐の車で完全に埋まっているせいで一車線分の道幅しか残されていない(場所によっては一車線にも満たない)、そこを横並びに歩く歩行者、自転車、美团のスクーター、自動車などが、交通ルールも譲り合いの精神もなしにとにかく我先に進もうとしているいつもの地獄絵図。出口のみえない渋滞に巻き込まれたドライバーの女性が車からおり、対向車線で停車している車の運転席側にツカツカと歩いていき、窓越しにとんでもない声で怒鳴りちらしはじめるのを見る。
  • 夕飯は第五食堂で打包。シャワーを浴び、ストレッチをし、(…)にぎっくり腰になったので明日のactivityには参加できないとメッセージを送る。ぎっくり腰は英語でstrained backというらしい。witch's shot(魔女の一撃)というかっこいい表現もあるようだが、通じるかどうかわからないので、strained backを採用。中国語では闪腰(shan3yao1)というようだ。
  • 添削の続き。最後まで片付けると21時。そこから書見。『臨床社会学ならこう考える――生き延びるための理論と実践』(樫村愛子)の続き。ペンテコステ派という宗派の存在をはじめて知った。異言を重視するという特徴があるらしい。それでちょっと田中小実昌の『ポロポロ』を思い出した。あれも冬休み中に再読しようかな。読点が多く、粘り強くたちどまり、ふりかえり、問い直しながらゆっくりと前進していく、思考そのものが一種たしかなリズムを帯びていた文体だったと記憶している。
  • ほか、ケアと感情労働のくだりを読んでいる最中、どうしてじぶんはいつもメンタルをやってしまった子と接近するのか、接近されやすいのか、あるいは接近しやすい存在としてふるまってしまうのかということについてもちょっと考えた。なぜ放っておけないのか。(…)さんがかつて(…)くんのことを「英雄願望」の持ち主だと評していた、つまり、彼はメンタルをやってしまった女子を発見するたびに近づいていって恋人になろうとするからで、そうしたふるまいのいちいちに、じぶんがこの子を幸せにしてやるんだ! という勘違いのはなはだしい庇護欲がけっこう露骨に見え隠れしていたからなのだが、さすがにこちらはそんな幼稚な性欲につきうごさかれているのではない(自己の病歴を含む「知」がそもそもそんなお伽話を完全に否定してしまう)。とはいえ、油断するとすぐに親密圏に入ってしまうし、あやうく逆転位しかけることもあるわけで、(…)さんや(…)さんのときなんてまさにそうであったわけだがと反省しもするのだが、ただ同時に、そのいきおいのままに彼女らと一線を踏み越えてしまうこともやはりなかった、最後の最後でちゃんと知を想定された主体というポジションからおりることができた(相手の過度な期待に口先だけていよく答えるようなまねはしない、無責任に関係を引き受けることはしない、そうした節目ごとの拒絶の積み重ねで最終的に相手に幻滅を与えることができた)という意味では、まあ、よくやっているのかもしれないとも思った。このままいくとこれ完全にそういう関係になっちまうよなとなったときも当然あったわけだが、知がぎりぎりのところでそれを食い止めてくれた、おまえがやろうとしていることは精神分析的にみれば御法度だぞと制してくれた、そういう意味で綱渡り的ではあるけれどもこれまでうまくやってきたといえるのかもしれない。最近では(…)さんのケースがあったが、彼女については一貫してメタ視して距離をコントロールすることに成功している。たとえば、彼女から以前夜遅くに大学のグラウンドの写真が送られてきたとき、それがいまここに来てほしいという遠回しなメッセージ込みであることに気づきながらも、こちらはあえてそこで動かないという選択肢をとることで——その暗黙のメッセージに気づかないという無能っぷりをよそおうことで——築かれつつあった依存関係に切断を設けたつもりでいるのだが、これが四、五年前の(…)さんのケースであったら、おそらくいてもたってもらいられず駆けつけてしまっていただろうと思う。そういう意味で、こちらも多少は成長している。そう信じたい。
  • ベッドに移動後はスマホで情報収集。まとめブログ界隈を巡回し、2011年3月から4月にかけての事件や世の中の空気をリサーチする。震災の影響でどんべえが一時期かまぼこ抜きで販売されていたという情報に行き当たる。「実弾(仮)」に使えそう。
  • 今日は『Good News』(蓮沼執太&U-zhaan)と『Phenomenal Love』(Nomak)をききかえした。