20240102

 ギデンズは、存在論的安心の問題を、人間がイマジナリーや移行空間によって変容していくダイナミクスを積極的に捉える形で議論するよりも、「ルーティン」や「経験の隔離」という概念で議論することが多い。「ルーティーン」は日々のスケジュールなどが固定しているという意味であり、「経験の隔離」とは、ギデンズがいう実存的な問題、死やなぜ生きているかといった経験が日々の生活の中では「括弧入れ」されて忘れ去られていることである。
 ここでの実存的な経験とは、ラカンが「現実界」(ラカンにおいて私たちがふだん目にする現実とは、「想像界」=想像的なものを通した「象徴界」=象徴的なものである。これに対し「現実界」とはその人にとって了解不可能なものであり、直接に接触すれば外傷となる)と呼ぶ、イマジネールを脅かすものである。「経験の隔離」とは、この実存的経験からいかに身を守るかという問題である。
 ギデンズは、この実存的なものの「括弧入れ」の問題を、社会学エスノメソドロジーという学問に依拠して記述する。
 ギデンズは、現象学的にいえば、「実践的意識」という日常行為における意識は、日常生活の中での「自然的態度(私たちの多くが日常生活するときにもっている態度)」によって前提とされている「括弧入れ(例えば毎日地震の心配をしたりはしない、また、つねになぜ人は生きるのかを考えたりはしない)」に密接に結びついているとする。そして存在論的な安心は、私たちが日々行為を特に意識しないで(非明示的に)行っていること——「実践的意識の非明示的特徴」と結びついているとする。
樫村愛子ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』より「第三章 なぜ恒常性が必要なのか」 p.141-142)


  • 朝方にのどの渇きで一度目が覚めた。口をすすいで小便をして白湯を飲んで二度寝。次に目が覚めると正午前。夢をいくつか見たが、忘れてしまった。第五食堂で炒面を打包。食後のコーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書き、投稿し、ウェブ各所を巡回し、一年前の日記を読み返す。作業中は『On the Streets of New York』(Moondog)と『Moondog and His Friends』(Moondog)をダウンロードして流した。アメリカのエルメート・パスコアールといった感じ。以下、2023年1月1日づけの記事より。

古井 『特性のない男』という小説は、恐らくムージルが見ていた彼なりの究極の小説への準備だったと思います。
 その究極の小説がどういうものかと想像するに、非常に聖譚に近い、ほとんど聖譚である短編ではないか。短編の形を『特性のない男』より前にいろいろ試みているんです。
大江 『三人の女』。
古井 あれをもっと諧謔の氷の上に載せて凝縮して、最終的にきわめて短い、しかし、物語。物語るとは何かと言えば、これは『特性のない男』の中の言葉ですが、青空がいきなりひろがり、その光を受けて、道の真中で一頭の牝牛が輝いた。これだけで何事かにならなくては物語ではない。何かが出てくると必ず物語になる。それを目指しているようですね。それが最後に断片となって進行中の形に、固定するわけですが。
大江健三郎古井由吉『文学の淵を渡る』)

  • 同日づけの記事には「ついでに天気予報ものぞいたのだが、明日以降最高気温が10度オーバーの日が続くらしく、6日からの三日間にいたっては19度、20度、20度となっていて、嘘でしょ?」という記述もあった。今年も、ではなかった、すでに去年ということになるわけだが、12月30日に最高気温20度をマークしていたし、いろいろぶっ壊れてんなという印象。
  • (…)に微信を送る。予定では明日police stationにパスポートを回収しにいくことになっているが都合はだいじょうぶか、と。のちほど授業中に返信がとどいた。明日の15時半に彼女のofficeで落ち合うことに。
  • 14時半から一年生2班の日語会話(一)。期末テストその三。教室に先着している学生らに「あけましておめでとうございます! 新年快乐!」とあいさつ。今日は(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの合計10人。予想どおり、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんは優秀。(…)さんと(…)さんのふたりは高二からの既習組。おなじ高二からの既習組である(…)さんと(…)さんはその一方でボロボロ。もっとボロボロだったのは(…)さんだったが、彼女は昨日だったか一昨日だったか、英語学科への「転籍」に成功したとの報告をモーメンツに投稿していたので、それでもう勉強する必要はなしと判断したのだろう。
  • テストを終えて教室を出る。卒業生の(…)くんから一日遅れのあけおメールが届く。三年生の(…)さんからも微信。第三食堂の受付にいるおばさんから電話があった、と。こちらが支払ったはずの100元、どうやら見つかったらしい。やっぱり! それなので(…)で食パンを三袋買ったのち、そのまま第三食堂に立ち寄って追加の100元をチャージしてもらったのだが、おばさんはこちらの顔を見るなりなにやら言い訳をするばかりでいっこうに謝ろうとしない、それでちょっと腹が立ったのでむすっとしていると、最後の最後になってようやく不好意思と口にしたが、容易には謝らない中国人というステレオタイプを地でいくようなふるまいをするなよと思った。もうおばさんとは呼ばん。ババアに格下げだ。(…)さんには当然お礼の微信を送る。
  • 帰宅。夕飯までの時間を利用して成績表を軽く記入。17時になったところで第五食堂で打包。帰路、(…)と(…)と遭遇。夕食に招待してくれるという話は生きているらしく、パクチーを使った料理のほかにこちらの好きな皮蛋を用意してくれるという。食後は仮眠。二年生の(…)さんから微信。もう日本に帰ったのかというので、テストがまだ終わっていないのに帰ることなんてできないと応じる。日本に帰国したらそのまま中国にもどってこないのかというので、そうそうもう戻りません、でも50000元くれたら大学に残りますとちょげる。(…)のコスプレイベントは楽しかったかとたずねると、とても楽しかったという返事。そりゃよかった。
  • シャワーを浴びる。執筆するつもりでいたのだが、今週中に教学手冊を教務室に提出しておきたいので、いまの時点で記入可能な成績はすべて先に記入しておくことに。作業中はずっとSPANK HAPPYの“Vendome, la sick KAISEKI”を流していた。元ネタのFelix Da Housecatの“Madame Hollywood”よりもやはり好きだ(とはいえ、元ネタのほうの“Sex, drugs and rock and roll / It's over, it's over / I decide it's over”というフレーズは、I decideというtwo wordsによって使い古しのフレーズが別のかがやきを放ってみえるという意味で、とても魅力的なのだが)。
  • 能登半島地震はかなり大きな被害を出しているらしい。ニュース記事のなかに「石川県能登半島震源とする地震で、石川県珠洲市の泉谷満寿裕(いずみや・ますひろ)市長は2日、県の災害対策本部会議にオンラインで出席し、「市内の6000世帯のうち9割が全壊またはほぼ全壊だ」と語った」という記述があった。さらに羽田空港JALの飛行機が炎上したというニュースもある(被災地に支援物資を運ぶ海上保安庁の航空機と衝突したという続報ものちほど出た)。さらにニューヨークで爆発騒ぎがあったという報道も夜遅くにあったが、これは3日現在、M1.7の弱い地震を住民が爆発と誤解して通報したものであることが判明している。その他、韓国最大野党代表が襲撃されて首を刺されたという報道もあった。正月早々めちゃくちゃだ。
  • ベッドに移動後は『魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題』(西川アサキ)の続き。第3章からはじまる計算機シミュレーション、非常におもしろい。あと、「自分の価値を否定してくる相手は「自分には分からない何か高次の価値」を知っていて否定してきたのかもしれない。もちろん、それは単なる「無根拠な恫喝」かもしれない。しかし「本当に、別の価値を知っているかもしれない不安=不確実性」は消すことができない。これは、(写真やビデオなどが使えない時に)自分の背中に何かがついていることを、他人に指摘されるような状況に似ている。指摘は真実かもしれないが、即座に確かめることはできない」というくだりを読んだときは、やはりラカン派の知を想定された主体についての話(転移の論理)を思った。言葉は本当に呪法でもあるのかもしれない。たとえそれが根拠ゼロの放言であったとしても、相手の価値を否定する言葉(呪文)をうまく投げかけさえすれば、それをきっかけに相手が自分に転移することもありうるのだ(あるいはより悪意ある言い方をするなら、「相手を自分に転移せしめることも可能なのだ」)。