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 ギデンズは、人々の生活における「ルーティーン」は、現実的にこの括弧入れを行っているとする。
 毎日同じ時間に起き学校や職場に行き、毎日三食とり、夜は眠り……という生活を私たちは時おり単調だと思う。
 が、退職したとたん、うつ状態になってしまったサラリーマンのように、引っ越したとたん、認知症になってしまった老人のように、ルーティンが壊れると人は不安定になる。
 このように固定した場やスケジュールといったルーティーンは「存在論的安心」を支えている。また、なぜ世界が動いているのかを特に問うことなく、日常が動いていくこと、その中に身を任せることは、そういった答えのない問いの中で立ち止まってしまったり混沌の中に投げ入れられてしまったりすることを防いでくれる。
 しかし一方でギデンズは、このルーティーンから抜け出して、新しい生活や新しい人生に人間が踏み出していけるのは、ルーティーン以外の希望や愛など、ある種の幻想と呼ばれる「存在論的安心」があるからだと指摘する。また、日常のルーティーンを少しだけアレンジして変化させてみることができるのも、そのくらいで自分の日常が大きく破綻するわけではないという「存在論的安心」があるからだとする。
 そしてギデンズはまた、逆にルーティンに強迫的に固執する人は、すでに存在論的安心がなくなっている人で、その人の場合、ルーティーンは、存在論的安心の欠如を補う補償的行為になっていると指摘している。それは自閉症者や一部の統合失調症者がルーティンに非常に固執するのと類似している。
樫村愛子ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』より「第三章 なぜ恒常性が必要なのか」 p.143-144)


  • 11時起床。朝昼兼用でトースト二枚。コーヒーを用意して阳台に移動し、15時まで「実弾(仮)」第五稿。シーン15を引き続き加筆。夢だからといっていろいろやりすぎないように気をつけないといけない。前半は「ちょっと変な状況」とか「微妙に違和感のある展開」にとどめておく、というかそういう「変な状況」や「違和感」を地道に積み重ねていけばいいのだ。そうすればおのずとリアリズムが決壊する。決定的な一撃は必要ない。それがコツだ。
  • 国際交流処へ。officeには(…)の姿のみ。パスポートと引き換えに渡すことになっている書類はあるかとたずねると、棚の中のバインダーを取り出し、You reminded me! と笑いながらバインダーに綴じてあった紙切れをこちらに手渡してみせる。パソコンでの作業がまだ少し必要らしく、ソファに腰かけてほんのちょっと待つことになる。コーヒーを飲むかとたずねられたが、うちで二杯飲んだばかりだったので水だけほしいと応じると、ミネラルウォーターの小さなペットボトルをくれた。(…)さんの置き土産である『海の向こうで戦争が始まる』(村上龍)を読む。
  • 出発。エレベーターに乗って5階から1階に移動。そのまま彼女の車が停めてある場所まで歩く。冬休みはいつからはじまるのかとたずねると、今月中旬くらいからだという。しかし冬休み中も仕事がたくさんあると続く。大学院開設にあたって必要な書類仕事が山ほどあるらしい。(…)が院を設けるという話についてはこれまで(…)先生からいろいろうわさ話レベルで聞いていたが、ちかぢかマジで開設することになるようだ。開設にあたっての条件はいろいろ厳しいのだが、政府が去年policyを転換したのが追い風になっているという。曰く、中国の経済状況は非常に悪い、新卒の就職率もかなり低い、そこで政府は去年大学で受け入れる学生の数を増やしたり大学院の開設を後押しする方向に舵を切った、そうすれば学生はひとまず学生という身分を維持することができるし、教員や事務員をあらたに雇うこともできる(雇用を創出することができる)、と。このpolicyの転換が、中央レベルでのアレであるのか、それとも省レベルでのアレであるのかはよくわからない。大学院を開設するにしても一部の学院だけではないのかというと、多くのmajorで開設する予定だという返事。さすがに日本語学科は無関係だと思うが(そもそも院生に指導できるレベルの教員なんて(…)先生と(…)先生とこちらくらいしかいない)、英語学科は開設することになるんではないかという気がする。
  • (…)は中国経済の悪化について何度も言及した。車に乗りこんだあと、実は教員らの給料も大幅にカットされたのだといった。今年はどうなるかまだわからないが、去年の給料は一昨年比でマイナス10%だった、それはわたしだけではなく外国語学院の教員もおなじだと続いたので、これにはさすがにおどろいた。10%はいくらなんでもデカすぎるやろ! 今年はたぶん去年ほどひどいことにはならないと思うとあったが、たとえ一年間かぎりのことであったとしてもマイナス10%というのはやはりエグすぎると思うし、というかそれだったら跨年の音楽フェスなんてするなよ! そんな金ねーだろ! と思ったのでその点訴えてみたところ、あのイベントの予算は大学が全部出しているわけではないとの返事。大学、(…)市、それにテレビ局のco-organizeだろうというのだが、いやそれにしたってまず職員に給料を払うべきだと思うというと、(…)は笑った。ちなみに、(…)は主として((…)市ではなく)(…)省の管轄にあるらしい。しかし部分的には(…)市の管轄にもあるらしく、そのあたりかなりcomplicatedであるとのこと。
  • 車内ではほかに中国の子どもたちの宿題が多すぎるという話も出た。これは以前健康診断を受けにいったときの待ち時間でも出た話題だ。(…)曰く、小学生はまだマシであるが、中学生の宿題についてはほとんどnightmareだという。同僚の、(…)の話だったか(…)の話だったか忘れたが、子どもが中学生であるのだが宿題を全部終わらせるころには深夜0時をまわっていることもしばしば、翌日にはしかし7時半までには学校に到着しなければならない、つまりまともに寝る時間もないらしい。双减はまったく効果なし。そういう生活を中高六年間ずっと送り続けるから中国の女子学生たちはみんなあれほどに薄毛なんだろうなとあらためて思った。ほか、(…)は去年体調を崩していた時期があったが、それも自身の中学時代に原因があるのだといった。fluで熱を出していた件かとたずねると、そうではないという否定ののち、医学用語か病名か、いずれにせよ聞きなれない単語でなにやら説明があったが、ちょっとよくわからなかった。digestionに関する問題らしかったが、中学時代は実家のあるrural areaから学校までbikeで一時間かけて通学していた、そういう生活を送っていたことが原因でいまの体調不良にもつながっているみたいな話だった。
  • 役所に到着。(…)は中国の経済状況について言及したついでに日本はどうかといった。日本はずっと経済的に停滞していた、ただマクロに見れば最近はちょっとずつ良くなってきているという専門家もいるにはいる、少なくとも仕事が見つからないということはない、むしろ少子高齢化の影響で仕事を見つけるのは簡単な時期だと思うというと、それはすばらしい、日本語学科の学生たちも日本に行けば仕事に困らないだろうと(…)はいった。実際中国からの移民の数はコロナ以降増えている、去年はたしか過去最高だったんではなかったかというと、実はわたしも日本での生活に興味があるのだと(…)はいった。わたしも夫も日本が好きだと続けたのち、でもparents in lawは反対するだろうと苦笑していうので、老人たちの感情は理解できる、彼らにとって日本が中国を侵略した記憶というのは全然古びていないだろうからというと、but history is historyと(…)はいった。やっぱり(…)の考え方けっこう変わったよなとあらためて思った。コロナ以降、かなり変化したと思う。以前も日記に書いたが、愛国教育浴びまくりであり、かつ、その場しのぎのでたらめ政策に右往左往するはめになった補償なき社会人生活を経験していない学生らにとってはほぼよそごとであったかもしれないが、そうではない世代にとってゼロコロナの一件はやはり政府に疑問を抱くものすごく大きなきっかけになったんではないか。
  • 受付に移動。パスポートの回収はすぐにすんだが、おなじ受付にうちの留学生がふたりいた。どちらも女性で、ひとりはヒジャブをかぶっていた。ヒジャブをかぶっていないほうが、あなたは日本人よね? と言いながらこちらに握手をもとめた。以前こちらが学生といっしょに歩いているのを見かけたという。ふたりは居住許可証の更新に必要なお金の払い戻し交渉のために来ているらしかった。本来は一回支払えばそれで問題なしとなる金を二度払った、それで一回分を回収しにきたのだが、ひとりはレシートをなくしてしまっている、それでちょっと交渉がごたついているようだった。
  • パスポートを回収後、(…)はここでa few minutes待っていてくれといって去った。トイレだろう。(…)はここに来ると必ずトイレにいく。というかこちらとどこかに出かけると、かならず出かけた先でトイレにいくのだが、あれはたぶん小便が近いというのではなく強迫的なものだろうなという印象をなんとなくこちらはおぼえている。(…)がそうだった。(…)はパニック障害になってからというもの(精神的に)頻尿になったと言っていたし、実際出先でしょっちゅうトイレに立ち寄った(そして日本はどこにでもトイレやコンビニがあるからすばらしいと言った)。(…)はオフィスの戸締りをするときもちょっと強迫的に何度も鍵の施錠を確かめることがあるし、(…)さんの荷物を日本に送るために郵便局に出向いたときも宛名を書くのに一字一字とても時間をかけて慎重に書いていた。
  • トイレからもどってきた(…)はこちらが手にしている『海の向こうで戦争が始まる』(村上龍)を見たいといった。中身をぺらぺらめくったあと、全然理解できないと続けた。いくらなのかというので、これは安い、20RMBと書いてある、second handであれば5RMBでも手にいれることができると続けたのち、でもこちらが好きな哲学や精神分析の本といった専門的なものになると高い、なかには一冊で500RMBを超えるものもあるというと、(…)はびっくりしていた。あなたの本はいくらなのかというので、たしか70RMBくらいだったと思う、でも全然売れていないよというと、ここ最近テクノロジーや人々の考え方は急速に転回している、ということはいまは理解されていないあなたの本が売れるようになるのも予想よりもはやいかもしれないと笑っていうので、そうなってくれればいいね、でも少なくともあと10年は働く必要があると思うよと受けた。
  • それから車に乗りこんだ。最近は本を読むひとが減った、みんなショート動画ばかりだ、うちの学生も抖音ばかり見ているというと、わたしもそうだと(…)は笑いながらいった。若いころはたくさん本を読んだ、『紅楼夢』を知っているか、わたしはあれを三度も通読したことがあるというので、それはすごいと応じた。最近はふつうの映画すら見るひとが少なくなったと(…)はいったのち、映画のあらすじだけをまとめた短い動画を見ている若者も多いと続けた。いわゆるファスト映画のことだろう。中国でもやはり事情はおなじなのだ。
  • 今年の冬は本当に暖かいという話にもなった。暖冬だとinsectが増える、すると作物に影響が出る、だから今後少し食費が高くなるかもしれないと(…)はいった。なるほど。いずれにせよまたあの暑い夏がやってくると考えるとしんどいものだ。日本では気温40度なんて経験したことなかったというと、あなたは寮暮らしで電気代は大学が支払ってくれるでしょう、でも外で暮らしていると電気代が本当にバカにならないからというので、(…)先生から以前そういう話をきいたおぼえがあるが、具体的にいくらくらいかかるのかについては知らなかったのでたずねたところ、夏場は一日につき100元かかるという。は? と思った。100元? 10元のまちがいじゃないかと思ったが、やはり100元だという。日本円にしておよそ2000円。一ヶ月で3000元かかるのかというと、肯定の返事。月々の電気代が6万円? マジで? 死ぬほどびっくりしていると、わたしの給料は5000元なので(あるいは6000元だったかもしれない)夏のあいだは給料の大半が電気代と食費に消えるのだと(…)は笑っていった。これはちょっと衝撃だった。(…)は夫と娘ふたりと義理の両親との6人暮らしだが、それにしても月々3000元はえげつない。(…)と(…)は夏休みや冬休みのあいだも寮で暮らしている、それは電気代を払わなくてもすむからだというので、たしかに夫妻からそういう話をきいたことはあったが、しかしまさかそれほどまで電気代が高騰しているとは思わなかった。
  • 警察署に到着。パスポートを提出してこちらの情報を登録しなおす必要があるのだが、先客で受付が混雑していたのでロビーにあるテーブルとチェアに移動し、そこでひととき雑談。(…)はもともと(…)の郊外出身。農業を営んでいるいとこが(…)にいて最近apartment houseを買ったらしいのだが、なんとその部屋にはエアコンがないという。金を節約するためだというのだが、夏場に家族でそのうちをおとずれたときはさすがにまいった、扇風機だけでやりすごせる気温では全然なかったのにいとこは平気そうにしていたというので、(…)の夏といえば(…)の夏よりもさらに暑いんではないかというと、肯定の返事。そうであるから(…)一家は汗をだらだら掻きながら滞在期間を過ごすはめになったらしい。
  • 最近オープンしたばかりのモールを知っているかとたずねると、まだおとずれたことはないが知っているという返事。うちの大学はやはりかなり便利な立地だと思う、徒歩圏内に万达があり、自転車を利用すれば(…)にもいける、それにくわえてタクシーで移動する距離ではあるもののあたらしいモールまでできたと続けると、あたらしいモールは(…)でもっとも巨大なものらしいという。大学の西側のエリアもどんどんあたらしい店が出てきているし、そういうようすだけ見ていると(…)の経済状態が悪いというのが信じられなくなるというと、大学の周辺は学生のおかげでうるおう、でもdowntownに行ってみればわかる、たくさんの店がシャッターをおろしているから、それにこれはほかの都市にあるモールでもおなじだが、むかしにくらべて客の数があきらかに減っているというので、あれ? もしかして(…)ってVPN使ってる? と不意に思った。downtownのシャッター商店街(?)っぷりにしてもモールの閑散としたようすにしても、翻墙している中国人らがTwitterで語る中国経済悪化論の具体例としてたびたびあげられるものだったからだ。(…)さんも(…)は暮らしやすかったと言っていた、(…)大学の周辺にはほんとうになにもないらしいからというと、でも大連は観光客に人気があるでしょうというので、大連の中心部はそうかもしれないけど大学があるのはsuburbanで本当になにもないらしいよといった。
  • ほどなくして受付から呼ばれた。移動して書類にサインする。なにをきっかけにそういう話になったのかは忘れたが、日本語学科もそう遠くないうちにcloseするかもしれないとこちらは考えているというと、私はそう思わないと(…)はいった。たしかに以前大学側はその可能性を検討していた、しかしpolicyが変更になったいまは事情が違うと続けた。政府は若者の就職率の悪化を受けて大学の定員数を増やそうとしている、定員が増えれば当然教師の数も増やさなければならずそれが雇用創出につながると、大学を出発する前にこちらに語ってみせた内容をここでもくりかえしたのち、だから日本語学科がcloseすることはないと思う、実際今年のfreshmanからtwo classesになったでしょう、むしろあなたが心配するべきなのは今後授業数が増える可能性だと笑っていうので、それはたしかにserious problemだと受けた。(…)先生に強く訴えてもうひとり外教を雇ってもらいなさいというので、それができるのであればこちらとしてもありがたいのだが、しかし内陸の僻地にあるレベルの低いこの大学にわざわざ好きこのんでやってくる日本人なんていないだろう。
  • 来年はwriting classを二つ担当することになる、speaking classの数が増えるのは問題ないがwriting classのほうはしんどいというと、あなたは全部じぶんの手で添削しているのかと(…)は驚いたようす。AIを使えばいい、わたしはそうしているというので、英語だったらそれでもいいかもしれないけど日本語だとまだまだむずかしいんじゃないかなというと、ChatGPTだったら対応できるでしょうというので、ぎょっとした。中国では使えないでしょう? と驚いてたずねると、でもVPNがあるでしょうと小声でいうので(われわれはこの会話を警察署内のカウンター前で交わしていた!)、とうとう尻尾を捕まえた! と思った。(…)もやっぱりVPNを使っているのだ! 翻墙しているのだ! 去年(…)がExpressVPNが使えなくなってこちらに助けをもとめてきたとき、彼は最初(…)に助けを求めたのだがVPNは違法だからという理由でほとんどとりあってもらえなかったみたいなことを言っていたが、あれはやはり立場的に口を閉ざしていただけで本当はひそかに自身もVPNを使用していたのだ! いや、もしかしたらVPNを使いだしたのは本当に最近なのかもしれないが、いずれにせよそれが中国社会に対する批判的な言説を頻繁に口にするようになった理由のひとつであることは間違いないだろう。中国にはもちろん中国版ChatGPTみたいなものもある。少なくとも英語に関しては問題なく機能するらしく、学生らにはまずそのAIを使用して自分自身で添削するように指導している、これは自習の方法のレクチャーにもなるからとても有用だと(…)はいった。それから彼女が外教のグループチャットに送っている告知の文章について、最近とてもレベルアップしたように思わないかというので、そもそも英文のレベルをjudgeすることができるほどじぶんの英語能力は高くないからと応じると、あれも最近はChatGPTに作成してもらっているのだ、以前は告知の文章を送るたびに(…)から細かく誤りを指摘されたものだが最近はそれも全然ないと笑っていった。
  • 手続き終了。(…)はこちらのパスポートを事務室でスキャンする必要があるので一日あずかりたいといった。明日またオフィスに取りにきてくれというので了承。(…)はそのまま自宅にもどるという。あなたのためにタクシーを呼ぶというので、歩いて帰るよ、ここから大学は遠いのかとたずねると、very far! という返事。でもじぶんは散歩が好きであるし、一時間くらいの距離であればなんとも思わないというと、じゃあ散歩にいいルートまで送っていくという。river sideを歩けばいい、あの道であれば大学までほぼ一本道であるし、景色もきれいであるし、車の排気ガスに全然ないから、と。こちらとしてはむしろごちゃごちゃした街中のほうを歩いてみたかったのだが、ここはおとなしくしたがっておくことに。
  • それで車に乗りこんだ。やっぱりあなたを大学まで送っていくと(…)はいった。river sideからでもけっこう距離があるからというので、何時間くらいとたずねると、30分くらいというので、それだったらだいじょうぶだよと笑った。中国の学生たちはちょっとした距離の移動でもすぐにタクシーに乗る、最初あれを見たときは衝撃的だった、うちの学生はみんな金持ちなのかと思った、というのも日本ではタクシーがとても高いからというと、(…)は笑って、じぶんはアメリカ滞在時にはじめてタクシーに乗ったとき本当に驚いた、アメリカのタクシーと美容院は信じられないくらい高かった、だから髪の毛をずっと切らずに過ごしていた、女だからそれで問題なかったけど男だったら大変だったと思うといった。
  • くだんのriver sideでおろしてもらった。See you tomorrow! といって車をおり、卓球台のならべられている公園内を突っ切ろうとすると、助手席の窓をあけた(…)から、公園内にはいかないほうがいい、川沿いを歩いたほうが一本道でわかりやすいと助言があったので、その指示にしたがうことに。それでriver sideを歩きはじめたのだが、すぐに気づいた、ここ現四年生らと牛肉の火鍋を食った帰りにぞろぞろと歩いたルートだ。
  • ガスった空に夕日が浮かんでおり、川面も微妙な光をたたえていた。散歩にちょうどいい時間帯だった。犬を連れた老人の姿が目立った。ジョギングしているひともいた。若者の姿はほとんど見かけなかった。時刻は17時をまわっていた。このまま大学にもどっても食堂のおかずはほぼなくなっているだろうなと思った。だったら(…)に立ち寄ってメシでも食おうかなと考えた。


  • 川沿いには途中スケートボードパークがあった。スケボーをしている若者の姿はまったくなかった。ただ小さな男の子が二人、スケボー用の斜面を滑り台代わりにして遊んでいるだけだった。パーク内にはスプレーでの落書きがたくさんあったが、そのなかに日本語の「進撃の巨人」という文字がまぎれこんでいた。


  • じきに見覚えのある(…)公园にたどりついた。もっと散歩したい気分だった。夕飯だけ食ってからもう一度散歩に出かけようかなと思った。(…)に立ち寄り、店員のおばちゃんに新年快乐のあいさつをし、食パンを二袋買った。それからセブンイレブンにたちよって弁当と夜食用のにぎりを買った。
  • 帰宅してメシを食った。やっぱり散歩したい気分だった。微信の万歩計アプリをチェックすると、卒業生の(…)さんが25000歩をマークしていた。たぶん今日帰省もしくは旅行したのだろう。こちらはこの時点で5000歩ほどだった。(…)さんに次ぐ二番手が15000歩ほどだったので、じゃあ今日は二番手になることを目標に歩こうと思った。それで部屋を出た。
  • 北門から大学の外に出た。東に行けば万达がある。そっち方面はなんとなく見知った地域であるので、今日はとりあえずひたすら西にむけて歩いてみようと決めた。それで歩き出した。どうしてかわからないが、Pharrell Williamsの“Happy”があたまをよぎっていたので(これから歩くぞという気持ちがあのMVを呼び起こしたのかもしれない)、イヤホンを装着して流した。(…)を通り越し、先日(…)さんがちょっと怖いといった路地も通り越した。そのあたりでいったん音楽は停止した。知らない風景を十全に味わうために聴覚を解放することにしたのだ。そのまま大通り沿いをひたすら歩き続けた。途中、高級な料亭のような店があったり、中学校があったり、煙草会社があったりした。しかし基本的には大通りに沿って歩くだけ、街路樹の柳に沿って歩くだけで、全然面白味がなかった。そして景色は次第に殺伐としはじめた。はやくも建物が姿を消した。歩道を歩くこちらの左手にあるのはただの空き地、スクラップ置き場、そしてガソリンスタンドのみ。右手は殺伐とした車道。当然歩行者なんてひとりも見当たらない。ルート選び、完全にミスったなと思った。ヴァルザー(というのは方角だけなんとなく決めたうえで徒歩で一日かけて長距離を歩くというこちらの謎の習慣のことだ)の記憶がよみがえる。京都→大阪行脚にしても、京都→草津行脚にしても、京都→宇治→京都行脚にしても、こういったルートに迷いこんでしまう時間がいちばん不安でいちばん退屈だったものだ。店もない。人もいない。ただ殺風景な大通り沿いを歩く。これがいちばんしんどい。途中で歩道をふさぐように大型トラックが一台停車していた。そのトラックを避けるようにして歩くと、トラックの陰になっていて気づかなかったのだが足元がぬかるみみたいになっており、左足がぐにゃりとした。明るいところに出て確認してみると、泥であることはまちがいないのだがうんこみたいな色をしたクソ汚いドロドロが白のエアフォースワンの底から側面にかけてべったりついていて、うわ最悪、シケた、今日は失敗、クソクソクソと思った。そこで意気がくじかれたので、禁断の百度地图を起動してみたところ、そのまままっすぐ進むとほどなくして川があり、その川を渡った先で南北にのびる大通りと交差することがわかったので、そこで南に折れることに決めた。
  • 川幅は短かった。渡った先で予定どおり左折(南進)することに。河川敷におりることもできるようだったが、軽く足を踏み入れてみたところ、街灯がまったくない真の暗闇がひろがっていたので、あかん、これ殺される場所やわ、となった。それで道路沿いを歩くことにした。イヤホンをふたたび装着した。中国の夜道を歩いているのだからShenmueの音楽をきくしかないなと思われたので“大陸と海”を流した。道のりはあいかわらず殺風景だった。ほどなくして交差点にさしかかった。ここを左折(東進)すればそのまま大学の南門に到着することになるわけだが、いくらなんでもそれはつまらなさすぎるし、この時点で出発してまだ一時間も経過していなかった。微信运动は毎日22時ごろが締めとなっており、そこで歩数のランキングが固定される。だからこちらとしては22時ぎりぎりまで歩こうという気持ちになっていた。出発したのが19時なのでぴったり3時間の散歩ということになる。10時間以上歩いたヴァルザーの日々にくらべれば楽勝だ。
  • それで交差点を直進(南進)した。そのままひたすら南進し続けてみることにしようと決めたのだ。音楽はいったん消した。西進し続けていた道のりにくらべるといくらかはマシだったが、この通りもやはりまた殺風景であることには違いなかった。建物はあるのだが、商店ではない。道は明るいが、歩行者はいない。大きな交差点をそのまま三つか四つほど通り越した。小便がしたかった。交通量も少なかったし、歩行者は皆無であったし、歩道には茂みや街路樹がたくさんあったので、その陰に隠れて立ちションすることは容易だったが、なんとなくゲームのつもりでもう少しがまんしてみることにした。どんなゲームやねん。でもそういう「縛り」がないとなにも楽しめない程度には今回の道のりはハズレばかりだったのだ。
  • 途中で左折(東進)した。その先に小川があった。河川敷におりることができたので、そこで立ちションした。それから道路にもどった。なんとなく大学の南部は盛えているという印象があったが、この印象はまちがいなかった。これまでの道中ほとんどまったく見当たらなかった商店がみるみるうちに道の両側沿いに姿をあらわしはじめたのだ。病院があった、メシ屋があった、煙草屋があった、マッサージ屋があった、チェーン店(闻湘月)があった! 歩行者もちらほら姿をあらわしはじめた。音楽を舐達麻の“FEEL OR BEEF BADPOP IS DEAD”に切り替えた。中国の個人店はおもしろい。商品棚であったり客用の食卓であったりが家主の生活空間と同居している一室を、道路に面した入り口の冬にもかかわらず開放したままになっているのから通りがかりにのぞむことができるのだ、それがなんとなく目に嬉しいのだ。シャッターをおろしている店がやはり目立った。時間帯の問題もあるだろうが、おそらくそれだけではない。「足浴」の看板も目立った。個室にマッサージの女性が待機しているのがみえたが、店舗によってはあきらかに水商売風の人の姿も見かけることがあった。たぶんそういうサービスも裏でやっているところなのだろう((…)さんは一度ふつうのマッサージを受けるつもりでマッサージ店をおとずれたところ、そこの女性スタッフから追加料金を払えば手で抜くこともできるよといわれたといっていた)。この通りとは別の通りで見かけた「足浴」の店のなかには、店内の照明が紫色のネオンになっていてその下でどこからどう見ても水商売とわかる若い女性が椅子に腰かけ、窓ガラス越しにおもてをゆく通行人をながめているというスタイルのものもあった(しかもその店のすぐそばには交番があった!)。
  • 通りはますますきらびやかになっていった。車よりも歩行者の数のほうがいまや多かった。道路の両側にさまざまな店が軒を連ねている。小さなショッピングモールのような建物さえ見つかった。そのそばに瑞幸咖啡がぽつりとあった。ここがセーブポイントだなというわけで店に入った。せまい店内にはテーブルとチェアのセットが四つか五つあるきり。そのうちのひとつで女性がテーブルに突っ伏して居眠りしていた。カウンターには女性スタッフがひとり。アプリでホットコーヒーを注文し、カウンターのそばのチェアに腰かけると、さっきまで居眠りしていた女性が起きあがり、カウンターの内側にひっこんだ。どうやらスタッフらしかった。こちらのあとに続いて中年男性がひとり、ふわふわの毛をしたスピッツを連れた女性がひとりやってきた。スピッツはこちらの姿を見かけるなり笑顔で飛びかかろうとした(飼い主がリードを引っ張ってぎりぎり制止した)。コーヒーを受けとったのち、休憩をかねて三十分ほど書見していこうかと思ったが(ダウンジャケットのポケットのなかには村上龍が入っていた)、ほどなくしてスタッフがこちらが邪魔だとばかりにフロアにモップをかけはじめた。それにくわえて、微信运动でこちらの歩数がまだベスト5にも入っていないという焦りもあった。ゆっくりしている暇はないなというわけで店を出た。
  • 本日二度目の使用となる百度地图によると、現在地からまっすぐ北上すればちょうど大学に行き着くらしかった。しかし帰るにはまだはやすぎる。それでさらに東進することにした。百度地图の画面上には大気汚染を意味するものらしい靄のエフェクトがかかっていた。実際、夜になるにつれて大気の状態が悪化しているのはあきらかだった。ビルの高い位置にかかげられている看板のネオンがかすんでみえるのだ。それにときどき覚醒剤を火であぶったときのようなにおいが鼻につくこともあった。どう考えても散歩日和ではない。しかしこちらはすでにひくにひけない状況だった。
  • 東進し続けた。『delayed』(syrup16g)を流した。大通りを何本か通り過ぎたところでようやく左折(北上)した。そこまで来るともはや庭だった。足がかなり疲れていた。信号待ちを利用して何度か休憩した。歩数ランキングを確認すると四位だった。一位の(…)さんに追いつくのは無理だったが、二位の(…)くん(約18000歩)と三位の(…)くん(約15000歩)は射程圏内だった、このまま歩き続ければ順調に追い越すことができる。
  • 老校区に入った。そのまま外国語学院に足を踏み入れ、一階の便所で小便をした。病院を通り抜けて車道沿いに出た。まだ帰るわけにはいかない。后街の入り口を通り越してそのまま西進した。途中、「(…)」という名前のライブバーを見つけた。「二次元主题音乐吧」と店名のとなりに書いてあった。アニソンばかりかかっているライブハウスかバーか、たぶんそういう趣向の店だと思うのだが、オープンしてまもないらしく入り口には開店を祝う花束が飾ってあった。セブンイレブンでときおり見かけるコスプレ女子は今後ここに通いつめるんじゃないかなと思った。中国建設銀行の店舗もあった。「中国」の部分だけ電球が切れており、暗闇のなかで「建設銀行」の文字だけがかがやいていたのだが、英訳の「China Construction Bank」の文字も「Chin」の部分だけ消えていて「a Construction Bank」になっており、つまり、「建設銀行」の見事な英訳になっていた。そんなところで足並みをそろえるの?


  • 右手に大きなホテルが見えたところでその角を右折(北進)した。すると先日(…)さんといっしょに歩いた屋台のならぶ通り(かつて「もうひとつの后街」と呼ばれていた一画)に出た。途中でさらに右折(東進)し、大学の西門近くまで出たのち、キャンパスをとりまく柵に沿って移動し、南門からようやく新校区のなかに入った。ときどきキャリーケースを運ぶ女子学生の姿を見かけた。里帰りをするのではなく、よそから大学にもどってくる姿だったので、たぶん年末年始だけ遠方に住む恋人のところに出かけており、期末試験にそなえてまたこっちにもどってきたのだろうと推測した。大気汚染はますます悪化していた。大学の外にある高層ホテルの輪郭が完全にガスのなかに埋没しており、赤いネオンの店名だけが上空にうっすらと浮かびあがっていた。バスケコートにそなえつけられた照明はシャワーヘッドみたいだった。光に照らされている宙に細かな塵や埃が浮かびあがっているのがまるで細かな水滴のようだったのだ。
  • 帰宅。時刻はちょうど22時で、歩数は20000歩をオーバーしていた。結果、第二位につくことができた。微信运动ではその日の歩数第一の記録をマークしたユーザーの設定した壁紙がほかのユーザーのトップ画面にも表示される仕様になっている。たとえば、こちらが微信运动のトップページに飛ぶと、25000歩以上で第一位についている(…)さんの設定した壁紙(『千と千尋の神隠し』で千尋が転校前の学校の友人からもらった花束と手紙の画像)が表示される。しかし(…)さんと「友達」になっていないユーザーのトップページには当然彼女の壁紙は表示されない。その代わりに20000歩をぎりぎりマークしたこちらの壁紙が表示されているかもしれないし、あるいはこちらと「友達」関係にない別のユーザーの壁紙が表示されているかもしれない。じぶんの壁紙がじぶんと「友達」関係にあるユーザーのうちいったい何人のトップページに表示されているのかもわかるようになっているので、それで確認してみたところ、90人以上のユーザーのトップページに現在こちらの設定した壁紙が表示されているとあった。よっしゃあ! となった。こちらの設定した壁紙というのは白目をむいたじぶんの顔面ドアップに「お前ら、運動しろ」という字幕を伏したものなのだ。この壁紙を設定したのはもう一年以上前になると思うのだが、今日のがんばりによって、ようやく多くのユーザーにこのメッセージを送りつけることに成功したことになる。やったぜ!
  • 足がまあまあしんどかった。とくに膝の裏がぴんぴんに張っており、容易に曲げることができない、「足が棒のようになる」という慣用句ってたぶんこの感じからきているんだろうなと思った(道中もうちょっと頻繁に屈伸しておくべきだった)。あがったところでおにぎりを食し、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、一年前の記事を読み返した。以下、「2016年7月13日づけの記事がヒットしたのだが、これはたぶん当時やっていたTwitterでつぶやいた内容だ」とされるもの。フラナリー・オコナーの小説について。

福音書で語られている逸話であったり歴史上の伝説的な挿話であったりの、先行する物語あるいは言説およびなかば形骸化した紋切り型のいいまわしの数々を、メタフォリックにではなくリテラルに現代に接ぎ木することで、既存の調和をグロテスクに破壊してみせるオコナーの狂人ないし狂信者たち。

短篇をまとめて読んでいると、そんなオコナーの狂人ないし狂信者たちというのは、ある意味ではなりそこねたキリストたちのようにみえる。
だからといってそれら賭けに破れたものたちを温かく見守るまなざしがそこにあるわけでもない。語られることのない彼らの勝負と敗北を歴史の闇から救うなどという甘ったるい認識は彼女にはない。むしろ、それらのなりそこねたキリストらがサタンとしてふるまうその瞬間をこそ彼女は活写する。容赦ない。

現実と適度に折り合いをつけて世俗化していたはずの信仰が、現実の変容を契機として均衡を失する。失したものが狂気に転じて登場人物の心身に宿ることもあれば、ほとんど突拍子もない終焉として筋書きそのものに介入することもある。調和の無理から生じた狂いが、登場人物か物語かのいずれかできたす。

  • そのまま今日づけの記事も書きだした。1時になったところで作業を中断し、ベッドに移動して就寝。