20240119

 正月ということもあって街に人手はあったが、歩道を歩く人より車のほうが多いのは相変わらずだ。なにしろ道を歩いているだけで、知らずに目立っている。信号を渡るときは車に乗る人が、高みの見物よろしく通行人を眺めている視線を感じた。
山内マリコ『あのこは貴族』)



 (…)のおむつはうまく機能したらしかった。朝起きたらおむつのなかにしっかりうんこがおさまっていたと母がいった。父が職場から持ち帰ってきた天むすなどを食す。母は13時に予約を入れていた美容院にむかった。
 『一心同体だった』(山内マリコ)を最後まで読み進めた。ファスト風土からはじまった作家のテーマがシスターフッドフェミニズムにいたるその流れの説得力。(マイルド)ヤンキーの世界がいかに男根的であり家父長制的であり恋愛至上主義的であり抑圧的であったか、作家自身がみずからの出自を対象化して(距離を設けて)書きつけていく過程であらためて痛感され認識されていったのかもしれない歩みを、この作家の諸作品を追って読む読者のじぶんも追体験している錯覚をおぼえる。ファスト風土フェミニズムの組み合わせからなる——あるいはその軸足のゆるやかな移動からなる——作品群を追うことで、理論として理解し理論として賛意を示していたものが、ものすごくアクチュアルで身近なものとして接近してくるような、じぶんの生活および個人史にほぼ密着したものとしてなまなましくせまってくるような、そういう実感の変質みたいなものを感じる——というか、異性愛者の男性として(加害者側であったとしても被害者側ではなかったという意味で)これらの問題の当事者でなかった——当事者になりえなかった——じぶんが、ファスト風土や(マイルド)ヤンキーというキーワードに象徴される地元的なものいっさいに対してかつて抱いていた強烈な憎悪や反感をのりしろとすることで、男根的であり家父長制的であり恋愛至上主義的であり抑圧的であるそうした社会の空気に対する憎悪や反感を自身のものとしてひきうけることができるようになったというか、「地元」的なものに対する疑問や反感や底なしの呆れや諦念のようなものを踏み石とすることで、フェミニズム的なマターを(反省すべき加害者側たる「当事者」とはまた別の、もういっぽうの側の)「当事者」としてながめることができるようになった、そういう(認識ではなく)感受の変化が生じるのがわかった。
 以下、抜書き。

 元旦那は、バイト先で知り合って、けっこう長くつきあった人だった。プロポーズの言葉はこうだ。「俺、三十になったし、そろそろ結婚しようかな」
 
 そのちょっとひねくれた物言いを、私は照れ隠しと解釈した。
 
 私は男の人が照れたり強がったりするのを、かわいいなぁと思って、受け入れてしまうところがあった。たぶん、私に限らず女はみんなそうなんじゃないかな。男の落ち度フォローする感性ばかり磨いてきたせいで、 なんでも男に都合がいいふうに受け取ってしまう。
 
 ああ、照れてるんだな、かわいいとこあるなぁと勘違いして、相手の深いところにあるはずの、まごころを勝手に信じてしまう。「彼、口ではああ言ってるけど、本当は」って。
 
 そうやって相手を甘やかして、自分の優しさに酔って、なんでもうやむやにする癖がついていた。本質に向き合おうとせず、感情に揺さぶられているだけで、恋愛してるつもりになってた。
 
 状況証拠を思いっきり無視して、男の人にも自分と同じくらいの、愛情や思いやりや、優しさや、まっとうなハートがあるはずだと好意的に解釈するところが、女たちの弱点なんだとも知らず。
山内マリコ『一心同体だった』より「会話とつぶやき」 p.314-315)

 有給をつわりで使い果たしたところで、退職願を出した。さよなら出産手当金。さよなら、育児休業給付金。そこが二度と戻れない場所なんだってことがわかっていながら、そうせざるをえなかった。自分でも嫌になるほど、プライドが高いんだよなぁ。みじめな立場になってまで、居座りたくないっていう。
 
 仕事はやりがいもあったし性にも合ってたけど、所詮は田舎の中小企業で、体質はうんと保守的だから。おじさんたちは女を安くこき使えるコマだと思ってる。だんだん法律が整備されて、女を使い捨てられなくなったことを、あの人たちは心底迷惑がっていた。
 
 お上が言うなら仕方がないと、しぶしぶ女を昇進させたり、育児休業制度を整えたりするけど、子供を産んでも仕事を持っていたい女に吐く嫌味や苦言のストックは、無限に用意しているようだった。
 
 仕事は好きだったけど、自分が盾になってまで、こんな会社を変えようなんて気は起きない。
 
 辞表を出してからも、まだくよくよ考えてる。盾になってもよかったんじゃないか? 自分の前にも、盾になって道を作ってくれた女性たちがいたんだってことに、やっと気がついた。
 
 これ、誰かがツイートしてたんだけど、前任者の妊娠出産で空いた席に、自分が“補充”されてたケースって普通にあるよね。自分が若くてバリバリ働ける女のコマだったことに、妊娠する側に回ってはじめて気づくという。
 
 若くてバリバリ働ける女の「使い捨て」になってる席を、誰かが抗って、せき止めて、健全化させないと、三十代前後の女性の就労率がぐっと下がるM字カーブの問題は永遠になくならない。国が制度で解決させるべき問題を、当事者が人生懸けてやってる。
 
 そういうことは、三十代になってから知った。自分が子供のころも、十代二十代だったころも、ずっと女性にふりかかる問題を、上の世代がかばってくれてたんだ。多くは母親が、肩代わりしていた。盾になってくれてた。
 
 女性たちはリレーをしてる。自分の代でなにかをほんのちょっと良くする。変える。打破する。前進させる。そうやって、次の世界にバトンをつなぐというリレー。
 
 それって「家族」が遺伝子をリレーで繋いでるのと、あまりにも対照的だ。男性は、自分の遺伝子を残そうとするのは〝本能〟だと言う。主に、浮気の弁明のときに。
 
 比べると、血の繋がりのない、知り合いですらない、女性たちのあいだで脈々とつづいているリレーは、はるかに高潔だ。気高いつながりだ。
 
 ああ、なのに私、棄権しちゃったんだ。

 闘ってもよかったな。みっともなく居座って、若い女子社員から「お局」なんて呼ばれて、男の上司に煙たがられて、それでも自分がそこにいることで、次の世代の女性たちに道を作る。
 
 それを実行してきた、有名無名の、あまたの女性たちの個人的な奮闘の上に、自分がいたんだから。そうすることは当然だ。
 
 ああ、だけどいまの職場環境で、子育てしながら復職っていうのは、やっぱり考えられない。店長職は続けられないだろうし、時短勤務になったら給料も減るだろう。子供を預けるのにお金もかかることを考えたら、働かない方が、むしろプラスになる計算。なんか巧妙に仕組まれてるなぁ。

 そんな割りを食ってまで……という気持ちになって、やっぱり尻込みしてしまう。自分一人のことだったらリスクを取れたかもしれないけど、子供っていうままならない存在を抱えてとなると、かなり厳しい。
 
 子供を産んで母になることは、この上なく弱い立場になるってことなんだなぁと実感して、いまから戦々恐々。
山内マリコ『一心同体だった』より「会話とつぶやき」 p.324-327)

 上に「ファスト風土からはじまった作家のテーマ」と便宜的に書いたけど、厳密にいえばデビュー作は性愛がテーマということになっている「十六歳はセックスの齢」(第7回R-18文学賞・読者賞)であるのだから、もしかしたら今後そのテーマがフェミニズムシスターフッドを経由したかたちで回帰してくる可能性もあるわけだ。性愛ではなくても異性愛的なものを、それとどうしても相性の悪いもろもろのテーマをとりあつかってきた経験を一種批評的な構えとしてたずさえつつ、いわば一周まわった目線でとらえなおし描きなおす可能性もあるわけで、仮にこの作家がそういう方向にすすんだらそれはそれでめちゃくちゃおもしろそうだ。

 父の車で(…)駅まで移動。駅はやたらと混雑していた。直近の特急券は売り切れだった。コンビニでコーヒーを買ってホームに移動し、待合室で『吾輩ハ猫ニナル』(横山悠太)を読んだ。待合室ではやたらと声の大きなおばちゃんがいた。いや、おばあちゃんかもしれない。中国ではめずらしくないが、地元ではめずらしい。特急に乗りこんだあともやはり声の大きなおばちゃんがいた。待合室のおばちゃんとは別で、若い女性の席にまちがって腰かけており、困惑する女性を相手に大きな声で手元の切符の座席番号をよみあげては、あれ? これどういうことやろな? と車内に響きわたるほど大きな声で言った。
 『吾輩ハ猫ニナル』(横山悠太)は車内で読み終えた。すばらしかった。特に催眠状態から猫に変身するくだりが最高だった。この作品を中国(語)に明るくないひとはどう読むのだろうと思った。むしろそういうひとのほうがおもしろく読めるのかもしれない。
 大和西大寺で下車した。ならファミリーに入った。セブン銀行のATMで75000円×2をおろし、ジュンク堂書店に行った。『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』(下西風澄)と『創造性はどこからやってくるか——天然表現の世界』(郡司ペギオ幸夫)と『英文法を哲学する』(佐藤良明)と『ゼロから始めるジャック・ラカン——疾風怒濤精神分析入門 増補改訂版』(片岡一竹)と文庫化した『構造と力——記号論を超えて』(浅田彰)を買った。片岡一竹のは最初ちくま文庫の棚に見当たらなかった。店員さんにたずねてみたところ、在庫は三冊あるとのことだったが、棚にはやはり見当たらず、おかしいおかしいとなってふたりがかりであちこち探しにまわってくれた。もしかして万引きでもされたのかなと思った。あるいはひょっとすると——と思い、面出しされている書籍をどけてみたところ、奥から三冊出てきたので、店員さんを呼んだ。店員さんはこちらに礼を言った。おなじ店員さんに、店内を探してもやはり見つからなかった『存在論的中絶』(石川義正)と『再構築した日本語文法』(小島剛一)の在庫を探してもらったが、両方ともないとのことだった。
 買い物はそれでおしまい。一階にBEAMSがあったのでちょっとだけのぞいた。夏休みに一時帰国した際、ネットでBEAMSから感じのいいリュックサックが秋口に発売されるのをチェックしており、次の一時帰国の際に買おうと決めていたのだ。しかし店舗にブツはなかった。だからすぐに店を出た。
 大和西大寺にもどった。(…)と三山木駅で19時に待ち合わせする約束だった。30分ほどはやく到着しそうだったが、ベンチで書見でもすればいいというあたまだった。それで移動中は『ゼロから始めるジャック・ラカン——疾風怒濤精神分析入門 増補改訂版』(片岡一竹)を車両の扉付近に突っ立ったまま読んでいたのだが、目的の駅を乗り過ごしてしまった。気づけば桃山御陵前だった。もう着いた? という(…)からのLINEで乗り過ごしたことに気づいたのだった。まちがえて桃山御陵前まで来てしまったと返信すると、乗り過ごすにしても度がすぎていると指摘された。
 結局三山木駅に到着したのは19時半だったと思う。哲の車に乗った。ドラッグストアに寄ってもらい、歯ブラシとアレグラを買った。今年の花粉はずいぶん早い。たぶん暖冬のせいだと思うのだが、帰国した初日にはもう鼻くそがたまりやすくなっているのを感じた。あと一ヶ月ほどこっちに滞在するわけだが、この分だと出国前にはずいぶんひどいことになっているんじゃないかと思う。
 (…)家に到着した。(…)ちゃんと(…)と(…)が迎えてくれた。(…)は今日朝からずっとハイテンションだったらしい。先生が来る! 先生が来る! というので、部屋中を飛び跳ねまわっていたとのこと。夕飯は(…)ちゃん手作りのもので、かなりうまかった。その夕飯前だったか、あるいは夕飯後だったか忘れたが、こちらが脱いだコートをリュックとまとめてソファの近くに置いていたのに、(…)がジャンプして飛びのった。それを目にした(…)ちゃんが注意すると、(…)はわざとではないと弁明した。でもそれはあきらかにわざとだった。その点を(…)ちゃんが追求し、ちゃんと先生に謝りなさいと続けたが、(…)はふてくされるいっぽうで認めようとしなかった。それで(…)が叱った。ちゃんと謝ることができやんのやったらもう出ていってと言い、(…)の体をもちあげて風呂場のほうに連れていった。(…)は大泣きした。こういうことがかつてじぶんもあったなと思った。保育園に通っていた時分、悪いことをすると母親にしょっちゅう押し入れに閉じ込められた。小学生のころは「放り出す」というかたちだった。玄関に出されるのだ。(…)は泣きじゃくりながら謝罪にやってきた。翌日もふくめて(…)が叱られて泣きじゃくる場面を今回の滞在では何度も目にすることになる。
 泣きじゃくるといえば、しかし、(…)のほうがすさまじかった。夏休みにあったとき、夜泣きが相当ひどいという話はきいていたし、実際その泣き声を耳にしてもいたが、夜泣きの頻度こそ多少マシになっていたものの、その声量が段違いにデカくなっていた。泣き出した(…)をあやすためにこちらが抱っこする場面も何度かあったが、耳がキーンとなるほどの声量でギャーギャー泣くのだった。夏休みにあったときは(…)を猫可愛がりしていた(…)であるが、今回は全然泣きやまない(…)に対してイライラして仕方ないという態度をあらわにすることもたびたびあった、これがずっと続くと本当にもう投げ飛ばしてやりたくなることもあるのだと言った。前日だったか前々日だったか忘れたが、夜中の2時ごろから4時ごろまでまったく泣きやまなかったことがあったらしく、寝かしつけ担当だった(…)ちゃんもやはりそのときは限界にきて、マジでいい加減にしろよ! と怒鳴る声が聞こえてきたのだと(…)は笑って言った。(…)は夜泣きはそれほど大変ではなかった、むしろ手がかからないほうだった。いまは3歳児と0歳児を同時に育てているわけで、相当きついのだが、それでも(…)はやっぱり保育園にいる同じ年の子らとくらべるとずっと手がかからないというのはふたりの意見だった。だからこそそんな(…)を叱りつけたのち、ほんまはこんなに叱らんともええんかもしれんけど——と(…)が反省したようにこぼす場面もあった。
 しかし両親そろっていて、かつ、わりと手がかからないほうでこれなのだから、シングルで二人も三人も育てているひとはなかなかちょっとすごいもんだなという話を、子どもがふたりとも寝静まったあとだったと思うが、夫妻と話したのだった。あるいはそれは食後、(…)がサイフォンでいれてくれたコーヒーを飲みながらだったかもしれない。豆は三種類あった。苦いものと、酸っぱいものと、中間のもの。まずは苦いものをもらい、そのあと中間のものをもらい、翌日だったかに酸っぱいものをもらったのだが、中国でなんどか試す機会のあった酸味の強い豆にくらべると、(…)にいれてもらったものは全然飲みやすいものであったし、これだったら常飲できるとも思った。
 風呂に入ったあと、すでに(…)ちゃんも上にあがって寝てからだったと思うが、(…)から古着屋に行こうと誘われた。近所に24時間営業の無人店ができたらしかった。それで店にむかったのだが、深夜1時にもかかわらず先客の女子ふたりがいた。せまい店内で、たしかに無人店舗だった。会計がどういう仕組みになっているのかは知らない。なにも買わなかったからだ。品揃えは最悪だった。リサイクルショップの隅っこで叩き売りされているノーブランドの安物ばかりを集めたようなラインナップだった。わざわざ有料駐車場に金を払ってまでおとずれる価値はいっさいなかった。コンビニでナンみたいな生地でベーコンとチーズをくるんだクレープっぽいやつを買った。帰宅すると頭痛がひどかった。花粉症の症状が出はじめるころになるといつもこれだからなといいながらめがねをはずしたところ、あんたこめかみんとこ一生傷みたいになっとんでと(…)に言われた。めがねのフレームがきつすぎて、その跡がくっきりと残っているのだった。