20240118

「美紀ちゃん、またすごい格好して来たなぁ」
 大輔は開口一番、美紀の都会的なファッションに目を剥き、せせら笑った。
「別に普通ですけど」
 美紀はムッとして眉間にしわを寄せながら反論するが、たしかにブランドもののバッグはやり過ぎかもしれないと思う。今年は同窓会もあるから東京にいるときと変わらない格好で来たが、いつもの帰省はもっと加減して、努めてゆるい服を選んでいた。でないとここでは、悪い意味で浮いてしまうのだ。
「なんか恥ずかしいわ」
 大輔が美紀の出で立ちを見て無神経に言い放った言葉が、思いのほか胸に刺さる。
 東京と地元の街とでは、常識やものの感じ方がくるりと反転しているところがあるが、東京に馴染む努力をした結果、自分は地元じゃ恥ずかしい女になってしまったのかと、美紀は自嘲気味に思った。ヤンキー気質で中学のころから髪を染めたりしていたこの弟にしてみれば、東京に行って弾けた美紀は大学デビューも甚だしく、ダサくてイタい存在なのだろう。思春期に固定した地元のカーストは絶対だ。嫌なら来世に期待するか、二度と帰らないよりほかにない。
 ここへ帰ってくれば方言が戻るように、そういう地元の感覚にも自然とチューニングを合わせられた。だから大輔が、今日の自分の出で立ちを見て「恥ずかしい」と笑った気持ちも美紀には理解できた。それで、
「同窓会あるから」
 と付け足しておいた。
 そう言っておけば、気張っておしゃれして来たんだと受け流してくれると思って。
山内マリコ『あのこは貴族』)



 9時すぎに目が覚めた。二度寝にしくじる。階下へ。(…)が夜中に四度もうんこを漏らしたと母が言う。(…)はその後朝と昼に一度ずつ、庭でまたうんこをした。いくらなんでも快便すぎる。
 食卓で15日づけの記事の続きを書いて投稿する。朝昼兼用で弟のこしらえた稲庭うどんを食す。リングゲージがさっそくとどく。こちらの目当ての指輪は17号であるのだが、リングゲージでためしてみたところ、右手の中指にしても人差し指にしてもけっこうぶかぶかだった。指輪止め用に安いリングをもうひとつ買って重ねてつけるか。ポチる。33000円。三ヶ月遅れの誕生日プレゼントだ。
 食後、2023年1月16日づけの記事と2014年1月16日づけの記事を読み返す。後者に出版直後の『A』をプロデュースする計画が記録されているが、くだらなさすぎて笑ってしまった。

いまからでも遅くはないからじぶんでもTwitterをはじめるべきなんではないかという気もして作文中にちょっといろいろ考えていたのだけれどたとえばムージルとかヴァルザーとかカフカとかベケットとかウルフとかマンスフィールドとかその手のキーワードで検索をかけてヒットしたアカウントをことごとくフォローしてそれであとは一日につき一度か二度ほとんどbotのように「ムージルの未発表原稿発見だって!」とか「カフカの日記で言及されていた幻の小説とうとう翻訳されたみたい!」みたいな虚言とともに『A』へのリンクを張るみたいなことを毎日の習慣として延々とくりかえしつつときにはオバマビル・ゲイツ相手に@マークをとばして“Hello. I wrote a new Bible. Thank you very much.”と語りかけるという離れ業をみせるi_want_moneyというアカウントを作成してプロフィール欄には「一世一代のステルスマーケティングです」と紹介文を書き記すみたいな計画を思いついたりしたのだけれど思いついた時点でもうすっかり満足してしまって結局実行に移さなかった。

 そのまま16日づけの記事も書いて投稿する。2023年1月17日づけの記事と2014年1月17日づけの記事を読み返す。以下は前者より。

 一九〇八年一二月、アンリ・マティスは「画家のノート」という文章を発表して自らの制作方法を表明した。そのなかに、「布置(disposition, disposer)」という語が二度現れる。

私にとって、表現とは顔に溢れる情熱とか、激しい動きによって現される情熱などのなかにあるのではない。それは私のタブローの布置(disposition)の仕方全体のうちにある——人体が占めている場所、それらを取りまく余白の空間、釣合いなど、そこでは一切が役割をもっている。構図(composition)は画家が自分の感情を表現するために布置する(dispose)さまざまな要素を装飾的な仕方で整えるわざである。

 「布置(disposition, disposer)」という語が「画家のノート」のなかで使われるのはこの二か所のみだ。それは頻度において、「構図(composition)」や「表現(expression)」といった語のはるか後方に位置するマイナーな用語でしかない。しかしマティスにとって、この「布置」という操作は原理的な意味を持っている。

白いカンヴァスの上に青、緑、赤などの感覚をまき散らすと、一筆加えるごとに前に置かれた(posées)タッチはその重要さを失ってしまう。室内を描くとする——私の前には戸棚があり、実にいきいきした赤の感覚を私に与えている。そして私は満足のいくような赤を置く(pose)。この赤とカンヴァスの白との間にある関係が生まれる。そのそばに緑を置き(pose)、黄色で寄せ木の床を表現しようとする。[……]だが、これらのさまざまな色調はお互いを弱めてしまう。私が使ういろいろな記号はお互いを殺さないように釣り合いがとれていなければならない。

 マティスは、白いカンヴァスの上に、赤、緑、黄の「感覚」をまき散らす——ばらばらに置いていく(poser)。ばらばらに置かれた諸感覚を、後から装飾的な仕方で整えていく枝が、「構図(com-position)」である。だが、筆が加えられるたびに全体の構図は一つのまとまりに向かう一方、まき散らされた個々の感覚は「その重要さを失ってしまう」。いったい一つの画面として完成しており、同時に、そこにまき散らされた感覚のそれぞれもまた生彩を失わないような絵画はいかにして描きうるのか? すなわち一つであると同時にばらばらであるような絵画はいかにして描きうるのか?
 たんに一つにまとまっているだけの絵画なら、どんな凡庸な画家でも描きうる。問題は、一つであると同時にばらばらであること、画面に置かれた諸感覚の離散的な自立性を、絵画の最終状態にまで持ち込むことだ。「布置」、すなわち「離れて-置く(dis-poser)」という語が指しているのは、この離散化の操作である。マティスのあらゆる「構図」すなわち「共に-置く(com-poser)」ことの基底には、「離れて-置く」ことのアナーキーな運動がうごめいている。
平倉圭『かたちは思考する 芸術制作の分析』より「第3章 マティスの布置」 p.81-82)

 以下も。初出は2021年1月17日づけの記事。

 それでまた陰謀論について思うわけだが、じぶんがこの手の言説にハマらないのは十代と二十代の断絶のおかげなのかもしれない。田舎のローカルルールや価値観がまったく通じない都市部の大学に入学すると同時に本を読むようになり、じぶんのそれまでの人生すべてを否定されるような衝撃を受けたことによる去勢が、思考や価値観と呼ばれているものすべてに対する根深い懐疑になっているのではないか。いまでもおぼえているのだが、ゼミで知り合った(…)という同級生がいて、彼はたしか生まれは台湾で育ちは関東、父親はパイロットというエスタブリッシュな出の男で(そういう経歴の持ち主が国際関係学部にはたくさんいた)、そのプロフィールを知った時点で当時まだ左耳にピアスを五つくらいつけて眉毛をちょんちょんにしていた18歳のこちらは「なんやそれ! 少女漫画の住人かよ!」と若干気遅れするわけだが、たしか大学に登校した初日か二日目だったと思う、その彼がひとでごったがえした校内の廊下を歩いている最中、向こうから歩いてくる男子学生と肩をぶつけた瞬間に、「あ、ごめんなさい」とものすごく自然に謝ったのだ。これは死ぬほど衝撃だった。つまり、こちらの常識でいえば、すれちがいざまに肩をぶつけるということはすなわちケンカの合図であり鞘当てであるのであって、そこからガンつけ→巻き舌→殴り合いの三段式に事態は進行すべきであるし、そう進行しなかった場合はそのプロセスを拒んだほうがその後永遠にビビリのレッテルとともに過ごさなければならないものであったのだが、(…)はそのプロセスを拒んだというよりはまるでそんなプロセスなど存在しないかのようにふるまったのだった。いや、実際彼の世界にはそんなプロセスなど存在しなかったわけなのだが、とにかく、このときの衝撃はいまでも忘れられない。どれくらい衝撃的だったかというと、当時まだ(…)にいた(…)に帰宅後わざわざ電話をかけて京都と(…)は全然違う、高校と大学は全然違うぞと報告したくらいだった。じぶんから他人に用事もないのに電話をすることはまずないこちらがわざわざ夜アパートの自室から電話をかけた、そのことの重みを理解してほしい。
 (…)だけではなかった、(…)にしても(…)にしてもそうであるが、ヤンキーオーラを出しているこちらにたいしてごくごく普通に話しかけてくるその構えのなさにも心底おどろいた。田舎の不良社会というのはいわばマウントの取り合いがそのままコミュニケーションであり、いかに相手をびびらせるかという勝負がごくごく普通のやりとりのあいだも底流のようにしてあるのだが、標準語をあやつり屈託なく初対面のこちらのことをほとんど無防備にファーストネームで呼んでみせるそのふるまいに当時のこちらはやはり度肝を抜かれた、こいつらそんなふうには見えないがよっぽど腕に覚えがあるのか? 黒帯か? と疑心暗鬼になったのだった。ひとことでいえば、みんな上品だった。あるいは、18歳のこちらが下品だった。
 (…)に誘われて新京極をはじめて歩いたときも驚いた。派手な格好をしている男たちがうじゃうじゃいるのに、だれひとりとしてケンカを売ってこない(この違和感は後年、京都にやってきた(…)も表明していた)。髪を染めているもの同士ピアスをつけているもの同士が路上ですれちがったら、まずはガンつけするのが普通であるしそれをしないということはじぶんはビビリですと認めるようなものであるはずなのに、みんな平気でこちらから目をそらす、それも勘弁してくださいの逸らし方ではなくほんとうに文字通り「眼中にない」という感じの、目が合ったはずの一瞬もあったのにそこにはなんの意味もないという感じの逸らし方で、不気味に思えて仕方なかった、ぜんぜん落ち着かなかった、だから最初のうちは四条河原町のほうに出るのが嫌だった。
 ただ、じぶんはかぶれやすい人間なのでそういう非地元的なふるまいにもろにかぶれた。主に大学の同級生らをモデルに、彼らのふるまいや物腰を全力でインストールした。その過程はすごく楽しかったと思う。しかし、かぶれすぎたせいで、地元に対する感情がその後長期間にわたって「憎悪」や「軽蔑」で塗り固められていくという弊害も生じた。この感情には当然、問題だらけの家庭から離れてひとり暮らしすることになったあの解放感もかかわってくるわけだが(京都のアパートで寝泊まりすることになった最初の夜、めちゃくちゃ嬉しくなってひとり部屋でガッツポーズをとりまくったのをおぼえている)。
 話が大脱線した。ここで言いたいのはつまり陰謀論にハマらないためには去勢の経験が大切なんではないかということだ。千葉雅也は中学生か高校生のころ、いまほどまだ一般的ではなかったインターネットに毎晩接続して匿名のチャットをしていたらしいのだが、齧った程度の現代思想の知識をそのチャット上でひけらかしていたところ、チャット相手であった専門の大学教授に鼻っ柱をバキバキに折られたとずっと以前Twitterでつぶやいていたことがあったが、そういう去勢の経験、もっとカジュアルにいえば面子を潰されたという経験が、(情報そのものではなく)情報に触れる自分自身の知性を常に疑うという構えを一種の症候として作り出すのではないかと思ったのだ。つまり、陰謀論にハマらないためには(ワクチンとしての)黒歴史が必要だということだ。黒歴史の持ち主はじぶんがまたやらかしてしまうのではないかという不安に常につきまとわれている。それは別の言い方をすれば、自分自身の感じ方、考え方、認知に対する不信感のようなものだ。そういう不信感を適度に持ち合わせている主体は、よくもわるくも慎重になるし、その慎重さが「答え」に飛びつく安易さを牽制してくれる。
 それでいうと清水高志が炎上していた際、本当かどうか知らないけれども彼とかかわったことのある大学関係者だったと思うが、清水高志はじぶんの親族は全員が東大に入学しているので東大に入学することが当然みたいなことを語っていたといっていて、その文脈が知れないので勝手なことはいえないのだが、もしそれが批判者のいうように、一種のマウンティングとしてドヤ顔でなされた発言であったとすれば(さすがにそれはないと思いたいが!)、去勢なしでその年まで生きてしまったひとというふうにも理解できてしまう、知にかんしてじぶんがあやまることはまずないという前提が、こんなにも容易な陰謀論やフェイクに手を出してしまうというおよそ哲学者らしからぬふるまいを可能にしてしまったのかなと推測できる。めちゃくちゃ乱暴なアレだが。
 じぶんが18年間ずっと間違い続けてきたことを知る衝撃というのは、そしてそれを認める抵抗というのは尋常ではない。いまおもえば京都に出てほどないころ、当時はそんな言葉を知らなかったがじぶんは完全にSADっぽい症状を発症していたし(いちばん記憶に残っているのは、マクドナルド金閣寺店でひとりでハンバーガーを食べようとしたところ、周囲の視線が気になって全然食べることができなくなったことだ)、あれは一種の適応障害だったのではないかと思う。そしてその障害をこちらは、地元的なものを全否定することで一時的に誤魔化し(これはたとえていえば、極右から極左に転向するようなものでしかなく、主体に本質的な変化をもたらしてはいない)、その後十年以上かけてじっくり分析と解釈をくりかえしていったといえる。それまでの常識が「間違い」であることを知り、そしてその「間違い」とみなしたものが実際はただの「違い」であることをまた知る、その上でしかし「違い」のままですませてはいけない「間違い」もまたあることを、そしてその一線を見分けるものが知識であり、その一線をみずからの手でひきなおしていくことがプロセスとしての学習であることを理解するという長い旅路。
 常識、固定観念、身体や環境によって作りあげられてきた諸々のパターンを、これは間違いであると一度でも認識したことがあるかどうか、あるいはそれが間違いとなってしまう別の域に越境してみたことがあるかどうか、それがあるかないかだけで人間の深みのようなものにおそらくおおきな差が生まれる。去勢とは越境であるといってみてもいいかもしれない。

 以下は2014年1月17日づけの記事より。当時住んでいた下宿先の大家さんと交わした話。おもしろい。

その流れから今度はじぶんの隣室にすんでいるクレー魔ーの話になって最近はそれほどあの議事訴訟状じみた自称「抗議文」を送りつけてくることも少なくなってきたみたいなのだけれど相変わらず部屋から風呂場までの道のりを全裸で移動していて冬場だろうとなんだろうとおかまいなしみたいでやつが洗面器で股間を隠しながら大股で大家さん宅のほうに歩いていくほとんどコントのような光景をこちらもいちど目撃したことはあるのだけれど風呂を使いだすのは大家さんのいうところによるとだいたい夜中の3時半かそこらかららしくてその時間帯というのはちょうど大家さんが夜中に小用を足すためにいちど目覚める時間であるために覚えているのだと本人はいっていたのだけれどそこからじつに一時間半もの間すなわち5時ごろまでクレー魔ーは延々とシャワーを浴びつづけるらしくてそれを聞いたときにはさすがにマジっすかと聞き返したほどであったのだけれど部屋の電気だっていまだに契約していないみたいであんな方わたし昭和43年(48年だったか?)から下宿してますけどはじめてですといっていてまあそりゃそうだろうなと思っていろいろと愚痴など聞いているとひととおりしゃべりおえた大家さんが最後にため息をこぼすようにぽつりと一言あのひと病気ですわと凍てついた声色でこぼしたのでクソ笑った。

 作業中、四年生の(…)さんから微信。「日本語の本をオンラインで読むことができるアプリは何かお勧めがありますか」と。学生から似たような質問がときどきとどくが、そういうときの彼女たちがもとめているのはたいてい著作権を無視した無料であれこれ読みまくることのできるアプリであったりウェブサイトであったりする。日本人で電子書籍を読んでいるひとはたいていKindleを使っていると思うよと返信。(…)さんはインターンシップでまだ日本に滞在しているはず。
 大阪の(…)くんからも微信日本語学校の授業で济南のできごとをスピーチしたという。手書きの原稿が送られてきたが、なぜかこの夏休みにこちらと一緒に花火大会に行く計画をたてたことになっていたので、京都観光はするけど花火大会はどうかわからないよと返信すると、スピーチだから多少の嘘をおりまぜているのだとのこと。いまは警察署で在留カードの発行手続き中。
 (…)を車にのせて(…)川へ。往路は父が後部座席で(…)の介助、復路はこちらが担当。小雨が降っていたので今日はほかの犬に出くわすことはなかった。しかし(…)はよく歩いた。小便も四回した。
 帰宅。弟がネットで購入したという人間用おむつを(…)に穿かせる練習。尻尾のための穴を母がはさみでもうけてから後ろ足と尻尾を通す。ケツは問題なくカバーできるが、ちんこがぎりぎり。寝返りなど打っているあいだにずれてしまうかもしれない。もともと家にいるあいだはずっと尿漏れ対策のマナーベルトを装着しているのだし、そいつとおむつの二重装備でひとまずどうにかなるんではないかとなる。おむつを穿かせるにあたって邪魔になる尻尾や後ろ足の毛をはさみで短くカットする。
 夕飯は湯豆腐と鰯の塩焼きと鯛のあら汁。食後はソファで小一時間ほど寝る。(…)のマナーベルトには母が犬用おむつを半分に切ったやつを両面テープで貼りつけるようにしている。そのおむつのパッケージを母がこちらに差しだす。おむつとセットで使用できる犬用パンツの写真がパッケージにのっている。それをつければ小便も大便も同時にカバーできるらしい。これでいいではないかという。人間用おむつ+犬用マナーベルトの重装備ではなく、おなじメーカーの犬用おむつ+犬用パンツのほうが簡単ではないか、と。パッケージには老犬介護用という文字がある。(…)は明日で14歳になる。
 (…)からLINEがとどく。(…)が体調不良で今日と明日保育園を休む。ただ腹をくだしただけらしい。だからこちらの訪問は問題ない。保育園が休みである分、むしろはやく来てもらってもかまわないという話だったが、(…)の帰宅にあわせると応じる。はやければ17時、残業となれば19時ごろになるという。いちおう17時目処に出発しつつ、もし(…)が残業という流れになったら、書店に立ち寄って時間をつぶせばいい。
 入浴。あがってからきのうづけの記事を書いて投稿。一年前と十年前の記事の読み返し。以下は2023年1月18日づけの記事より。毎日本当にくだらないことばかり書いている。

 それにしてもスーパーというのはいい。京都に住んでいたころ、見慣れないスーパーがあれば必ず立ち寄ったし、バイト帰りや外食帰りにとりあえずコンビニに立ち寄るというのもほとんど習慣と化していたわけだが、ときどき思う、天国があるとすればそれはあちこちにスーパーやセブンイレブンファミリーマートがあるそのような空間のことをいうのではないか? ちなみに、地獄はどこまで歩いていってもSHOP99と100円ローソンしかない。

 帰宅。テンションが死ぬほどあがった状態でキッチンに立つ。どれほどテンションがあがっていたかというと、調理中にアニメ『幽遊白書』のエンディングテーマである「アンバランスなKissをして」をわざわざApple Musicで検索して流すほど。むかし、(…)や(…)や(…)とカラオケでオールしたとき、後半だんだんダレてきてどいつもこいつもよく知らん歌やむかしのアニメの歌を歌いはじめたその流れでこちらがこの曲を入れたのだが、曲がはじまる直前、モニターに表示されるアニメのなかに桑原——あるいはコエンマだったかもしれん——が出てきたらその場で歌唱終了するぜ! みたいなことをなんとなく宣言したところ、イントロの時点でまんまと登場したのだったか、あるいはサビの手前で登場したのだったか、とにかく死ぬほどおもしろい完璧というほかないタイミングで登場し、あえなく歌唱強制終了になったことがあった。しかし当時、われわれのあいだでは、だれかがなにかものすごく面白いことを口にしたり、あるいはなにかものすごくおもしろい事態が発生したりした場合、それがおもしろければおもしろいほど絶対に反応しないという妙なゲームが流行しており、このときも、こちらが歌い出そうとした瞬間——あるいはサビで気持ちよくなる瞬間——にまんまと桑原ないしはコエンマが画面に登場、かたわらにいた(…)がそれにすぐさま反応して真顔かつ無言のままリモコンで強制終了し、それを受けたこちらもなにくわぬ顔ですっと着席して次の人間にマイクを渡すという一連のふるまいを笑いもツッコミもいっさい不在のまま演じきったのだったが、あれからもう15年ほどになるのか、神々をわれわれを試そうとしていたとしかおもえないほどなにもかもが爆笑の瞬間のために整えられていたあの出来事は、いまだにだれの笑いも引き起こさないまま宙吊りになっているのだ。まるで幻覚のなかでいまでも妖狐蔵馬とたたかいつづけている戸愚呂兄のように。なんやこの比喩! 死ね!

 メールボックスをチェックすると(…)さんからメールがとどいている。ちょうど一年前のいまごろは(…)さんの発表動画をきっかけに『わたしは真悟』を精読していた時期であるのでシンクロするなと思いつつ中身をのぞくと、ワークショップで作成した詩を詩集にまとめて出版したので献本したいという。その詩集というのがいぬのせなか座からリリースされている『手のひらたちの蜂起/法規』(笹野真)だったので、えー! この謎の詩人って(…)さんだったのか! と死ぬほどびっくりした。とりあえず返信を書く。プロフィールが伏せられていることであるし、一般公開用の日記に(…)さん=笹野真である旨を書いていいのかどうかだけ確認。いや、これはマジでびっくりした!